2018年11月19日

西郷どん

大河ドラマの西郷どんを、毎週面白く見ています。

いままでもなんども維新もので、西郷は出てきたのですが、今回がもっとも西郷隆盛という人物像が納得できました。

一番の謎は、征韓論です。
なぜ、西郷隆盛が単身朝鮮に渡る、と言い出したのか、それが腑に落ちませんでした。
色々な人が西郷隆盛を書いていますが、一番わかりやすいのは林房雄の西郷論です。

今回僕が、この大河ドラマでわかったのは、なぜ、西郷が、単身で朝鮮へ渡ろうとしたかは、第一次長州征伐で、西郷が単身長州へ乗り込み、長州を味方につけたことと同じことをしようとしたのでしょう。

つまり、朝鮮、中国と条約を結び、欧米列強に対抗しようとしたのだと思います。

ここで、西郷隆盛が政争で負けて、下野したことが、日露戦争を導き、朝鮮併合、中国侵攻を経て、日本の太平洋戦争での滅亡につながっていくのでしょう。

西郷は次のような詩を残しています。

肥水豊山路已窮
墓田帰去覇図空
半生功罪両般跡
地底何顔対照公 

 肥後や豊後への道はすでにふさがれた。
 故郷に帰り骨を埋めよう。
 維新のために覇を実現したが、今となってはむなしい。
 我が半生は、功罪半分だなあ。
 あの世で、照国(島津斉彬)公にどう顔向けできるだろうか。

あの時代にすでに日本の滅亡を予感してたのでしょう。

夏目漱石も三四郎の小説のなかで、三四郎が熊本から上京する汽車のなかで乗り合わせた男との会話で日露戦争での戦勝気分に沸いた日本のなかで、
三四郎が、「日本もこれからだんだん発展していくでしょう」というと
男はひとこと「滅ぶね」と言った文が出てきます。

この小説は1908年から朝日新聞に掲載されました。
1905年に日本が日露戦争で勝利してまだ3年のときです。

卓越した人はすでに半世紀先の日本の未来を予測していたのでしょう。


すでに、世界は情報、金融そして人材を一握りのグローバル資本家に握られてしまいました。
この秩序は500年は続くことでしょう。

そのなかで、日本人はいかに生きるべきか。
里山資本主義に学ぶしかないのですかね。

今、西郷隆盛や夏目漱石が生きていたら、なんというでしょうか。
  

2018年02月12日

沈黙 宗教とはなにか

昨日、「沈黙 SILENCE」という映画を見ました。

これは、遠藤周作の代表作で、1971年にも日本で映画が作られましたが、最近また米国で、スコセッシ監督が作ったのを見ました。

この映画について、数か月前に、NHKで特集され、興味をもっていたのですが、今回、テレビをつけたら、偶然放映されていてラッキーでした。

ストーリーは、時は江戸時代初め、イエスズ会に所属するポルトガルの若い神父二人が、日本で自分の師であるフェレイラ司教が消息を絶ち、彼を探すために、鎖国になった日本に、危険を顧みず渡航して、隠れキリシタンとなっている長崎や五島列島周辺の村民に助けられながら、しかし、香港から手引きしてもらった軟弱な隠れキリシタン、キチジローに裏切られ、長崎奉行につかまり、主人公である、ロドリゴ神父は棄教を迫られる。

しかも彼が棄教すれば、隠れキリシタンの村民を助ける、といわれ、彼が、抵抗すればするほど、捉えられた村民が、目の前で虐殺される。

そうこうしているうちに、一緒にに来たガルペ神父もとらえられ、簀巻きにされ、海に役人に投げ込まれる村民と命をともにしました。

そんな中、これほどまでに、深い信仰心をもって命を削っているのに、なぜ神は沈黙するのか、とロドリゴ神父は絶望します。

殺されるより辛いその拷問に苦しめられる中、ロドリゴ神父は、探していたフェレイラ神父に、長崎奉行に会わせられます。かれは、すでに棄教し、キリスト教を邪教とする書まで書かされていました。

自分の尊敬する師が、棄教するということに直面し、ロドリゴは絶望します。

さらに、追い打ちをかけるように、拷問をうける隠れキリシタンの農民の前に、フェレイラにも説得され、ついに、ロドリゴは棄教を決意し、踏み絵に踏み切ります。

そこではじめて、神は沈黙を破り、ロドリゴに神は語りかけます。「それでいいんだ」と。


そのシーンを、20年前、ロンドンでのことを思い出しました。ちょうどダイアナ妃が事故死して2週間後にロンドンにいました。当時、会社起こして5年たち、色々なことで苦労していました。ロンドンのホテルで、早く起きて、ビクトリア駅周辺を散歩していたのですが、ウエストミンスター寺院という、有名な教会とは別の教会なのですが、朝、パイプオルガンと讃美歌が開いた入口から流れてきました。

ぼくは思わず入口に入り、祭壇の前でひざまずき、自分のしていることは本当にいいのか、と神様に問いました。そうしたら、頭の中で、日本語で「それでいいんだ」という声をはっきり聴きました。

それを聞いたとたん、涙がとめどなくでてきて、自分でも初めての神秘体験を経験しました。
ただ、いま振り返って、その時以上にいまは苦労していて、なにがいいんだろ、という疑問が残ります。

ぼくは、神道も、キリスト教も、仏教も、みな信じます。
いまは、密教の勉強をしているので、仏教のお祈りを朝晩していますが、自分の苦労は、仏様から与えられた修行なんだと思わなければいけない、と教えられます。

だから、ロドリゴの苦悩は、自分のことのように共感します。
神も仏もなかなか答えてはくれません。
どんなに苦労しても「沈黙」されます。

この映画は、あまりの信仰の過酷さを表現しています。
棄教することも、信仰をより深める一手段だと。
命を犠牲にすることはもちろん、それ以上に過酷な信仰もあるのだ、と。

神を信じることは、苦労を乗り越えるには、重要です。しかし、神に祈る時間も、苦労の対策にあてれば、無神論者のほうが勝てるのでは、ということも頭をよぎります。

神は存在するのか。やはり、あの日本の生んだ天才三島由紀夫の言葉が思い起こされます。

三島由紀夫の絶筆、豊穣の海の最後の天人五衰のラストシーンで、月照寺の住職となった、綾倉聡子が、元々転生なんてなかったのでは、という話、神はいないのでは、という話、つまり密教も人間の空想が作り出したかもという話、僕は今のところ密教も神も信じているけど、本当のところは死んでみないとわかりません。

憲法改正と憲法変遷論

最近、憲法改正に関する話題が増えてきました。

あなたは、憲法改正に賛成ですか?反対ですか?

その答えに自信もって答えられる人が何人いるでしょうか?

ぼくも答えられません。

最近、マスコミ出身の政治家が、ネット動画で、憲法学者なんかいらない、憲法はそのまま正確によめれば、それでいいんだ!と暴言を吐いていました、歴史をみれば、それがあまりに暴言であることがわかります。

理由は簡単です。憲法は、その文言通りの政治にはならない、どういう政治状況になるか、まったくわからないからです。

フランスの法哲学者メインは、憲法は国家の入れ物で、政治はそこに入っている水と表現しました。

史上初の最も民主主義的な憲法であるワイマール憲法下で、あの独裁者ヒットラーは堂々と選挙に勝って、独裁政権を打ち立てました。政権握ってから、憲法を停止しましたが。

日本だって、明治憲法は、天皇に大権があるのに、明治天皇は、自分の反対する日露戦争をすら止められませんでした。そして、日露戦争の開戦が決定したとき「よもの海 みなはらからと思ふ世に など波風のたちさわぐらむ」とおもいっきり御前会議で歌をよみました。

もともと明治憲法は、薩長政治を有効におこなうために、天皇の大権の決定には内閣の「輔弼」つまり助けが必要、とちょこっと記入されただけで、薩長政治に政治実権は、握られてしまいました。

大正天皇は、天皇になるやいないや、その薩長政治の大権を天皇に権力を集中しようとして、山形有朋に、かえって実質的権力をはく奪されてしまいました。

昭和天皇は、明治天皇や、大正天皇を見て、よりうまく天皇大権を使おうと努力しましたが、満州における張作霖爆殺事件では、白川首相を更迭し、満州における陸軍の暴走をとめようとしたことが、逆に、満州事変を引き起こし、中国との戦争を引き起こすきっかけを作ってしまいました。

さらに、2.26事件では、天皇大権を取り戻そうとする、青年将校たちを、まっこうからその征伐に乗り出し、かえって、軍部の権限を増大させてしましました。

これだって、当時、尊皇派と統制派という、尊皇派は天皇中心の政治をおこなうことを主眼とする派閥と、憲法に基づいて、機能的におこなう派閥との陸軍内での対立で、昭和天皇は自分の権限強化より、憲法重視の政治を行うことを希望していたのです。

それは、天皇が皇太子時代に留学した、イギリス的君主国家を望み、そういう国家の実現を切望したいたのです。

しかし、2.26事件は首相は難を逃れたものの、多くの閣僚が、虐殺されたのですから、陸軍にたてつく文官が少なくなってしまいました。


今回の問題は、改憲派は、日本の国土は日本の軍隊がしっかり守るべき、という至極あたりまえのことをするには、押し付けられた憲法ではできないのでは、という話です。

勿論、軍隊を強化することは、国としての存在感の維持と、外交は、有利に働きます。


しかし、現実問題として、今の日本の軍事力は、実は世界でもかなり優位にたっている、ということです。

核にしたって、全国に原子力発電所があり、核兵器になりうる核燃料もたくさん国内に存在し、きわめて短期間での核兵器開発が可能なのも周知の事実です。

たしかに憲法は軍隊を持つことを禁じています。しかし、憲法より、国際法が優さるという世界の不文律のなか、一国を守ることは、基本的な国家の権利ではあるので、軍隊を増強するのは、憲法違反かもしれませんが、違反だから、すぐにやめなければならない、ということにはならないのです。

平たく言えば、人間に生存権があるように、国家も生存する権利があるのです。「国の交戦権はいかなる理由でも認めない。」という条文があっても、自国を侵略を準備する国家があれば、相手国家に攻めていき、先手攻撃しても、憲法に優越する事態における政治的行為として、一時的には許されることだと思います。

憲法は入れ物です。入れ物の間口を大きくすることは、憲法の存在意義をも低下させることでもあるのです。

したがって、僕は、憲法改正しなくても、憲法違反のままでも、今のままの憲法の方が都合がいいのではないか、とおもいます。

憲法改正をすれば、いの一番で、世界の紛争に巻き込まれ、イスラム圏の恨みを買って、日本の治安も悪くなる可能性も高くなるからです。

でも、それなら僕は、憲法改正反対とは、言いきれません。

なぜか。それは三島由紀夫が、憲法改正を訴えてクーデーターを起こし、自決したからです。

三島由紀夫は45歳で死にました。しかし、彼の残した出版物のありとあらゆる著作物は、あまりに頭脳明晰、すごすぎるのです。

先日家族で鎌倉にドライブに行ったとき、助手席に乗った、高校生の娘がモーツアルトは、人間が出せない波長の音楽を作曲した、という話をしていましたが、僕より、一回り若くして死んだ三島由紀夫は、あまりにも天才すぎて、しかも、かれは東大法学部出で、法律の専門家でもあったのです。

その三島由紀夫が命を懸けて、憲法改正を訴えた、ということは、常人では測れない、憲法の欠陥がこの憲法にあるのでしょう。

たぶん、国家の免疫なるものかもしれません。

いまの日本国憲法では、国家の尊厳もなく、愛国精神もない日本人を増加させ、日本国は免疫不全を起こす、ということなのでしょう。

しかし、ネトウヨと呼ばれる、愛国主義の人は増えている今日、三島由紀夫がこの状況をみれば、どうお考えでしょうか?

ただ、ただその一点だけで、僕は憲法改正に賛成か、反対かわかりません。

三島由紀夫には、生きててほしかったなあ。

貧困家庭における教育問題と資本主義の終焉

先日、知人の紹介で、「私たちは子どもに何ができるのか」(英治出版)という本を読みました。

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この本は、米国内のボランティアで、貧困家庭の親の支援を10年くらいしている著者が、貧困家庭の教育問題をデータにもとづいて、指摘することが主題の著作物です。

しかし私は、相変わらず自己流の解釈から、この本を二つのテーマからとらえました。

一つは貧困の問題ともう一つはディープラーニングの問題。

貧困の問題は情報と金融が一握りの人に握られることによる資本主義の終焉へと向かう中での格差社会で、貧困層の増大とともに、攻撃的な反社会性の人間を増産し、やがては彼らが向こう見ずな暴動から資本主義の終焉へと向かうことの現実をはじめて実感した気分です。

著者は、貧困層の拡大は、豊かな感受性やクリエイティブな脳を作る、非認知的教育が損なわれる、と警告しています。そして科学的に分析しています。

最近NHKで「欲望の経済学」という番組やってて、欧米のノーベル賞級の経済学者が、みんなこれから資本主義が終わり共産主義に変わるって言ってて驚きました。

ほんとかなあ、インターネットと金融を握る、グローバル資本家は、かなり長い歴史を支配できるのでは、って考えていましたが、この本読んでわかりました。

なんたって米国の半分が貧困家庭ですから。その貧困が暴力革命を起こす戦士を製造するって話です。日本でも足立区や新宿区では三分の一が生活保護家庭だといいます。

そして、著者は貧困家庭で育った子供に、非認知教育をおこなうことで、反社会性の大人をつくることが防げる、と説いています。家庭を超えた、自律性、そして明確な目標設定を作って学習をするディープランニングなるものを提唱しています。

ただ、僕は、ディープラーニングの場合、所詮作り事の目標に対する学習ということより、実際の働きの中で、どう学習して生産性を上げていくか、という実践的な学習が本当の学習(ディープランニング)なのではないかなって思います。

僕はそれをITを使ってどう教育をするか、というのを至高の学習と究極の経営という二冊の本で書きました。資本主義を終焉させないためには、繰り返しの主張ですが、中間層の復活が必需です。

中間層は体制に従順です。しかし、貧困層は、体制に暴力的です。

ターミネーター4は2018年を舞台にしています。マトリクスにしてもターミネーターにしてもグローバル資本家が生み出した人工知能に、人間が支配される、という映画です。

こうなりたい、という人はいないとおもうけどなあ。


2017年11月08日

ナナミの予言

最近気づいたことですが、2011年3月24日発売の「教えてナナミDS」のストーリーが、かなりリアルに現実味を帯びてきました!

http://www.media-5.co.jp/ds773/index.html

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3月11日をすぎているので、このくらいの想像はできるかもしれません。

しかし、このサイトを作ったのは、もっと前です。

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2011年1月11日にこのホームページを作りました。

早いもので、「教えてナナミDS」を発売して、六年が経ちました。
ナナミの「日本分裂」まであと四年です。

次の東京オリンピックが終わり、その反動となる2021年・・・

問題なのは、東日本です。

もしかして、立ち入り禁止地区になってるかも・・・

ナナミの予言が当たらないように、みんな勤勉勤労で、前向きに生きましょう!

2017年08月19日

フーテンの寅さん

今年の正月、たまに放映されるお能を録画するために、ビデオデッキを買いました。

今は、スマフォで録画予約から再生までできます。

そんなことから、時間を持て余す電車の中で、スマフォでテレビの録画予約をします。

また録画したものを、スマフォやタブレットでベッドの中や、wifiのつながるところでちょくちょく見ています。

いままで、あまりテレビや映画を見る習慣がなかったので、世の中の有名な映画を結構みるようになりました。

なぜか、最近は渥美清のドラマ、ドキュメンタリー,男はつらいよなどがよく放映されています。

男はつらいよは,渥美清が死ぬまで、48本も作られました。

まさに国民的映画です。

大学浪人のころ、恒例のお正月のテレビ番組で、この寅さんを見て、はじめて組織に属さない自分を同化し、面白い中に、寂しさを感じたのを覚えています。

高度成長期から平成の初めまで、石原裕次郎や加山雄三などの青春路線,高倉健や菅原文太のアウトロー路線、森繁久彌やクレージーキャッツ、そして渥美清に代表されるお笑い路線と、国民的映画はこの三つ巴でありました。


急拡大する日本経済の中で、裕次郎や加山はスマートに成功するおしゃれな勝ち組,やはり経済成長を裏稼業で稼ぐアウトローに比べ,寅さんは不器用で、そういう経済成長から取り残される下町の、本当に日常にあるような可笑しくも、ちょっと寂しい人情劇です。


今日ある勝ち組のオピニオンリーダーが、ユーチューブで講義をしているのを見ましたが、100万人の頂点に立て,という話です。

でも、クラスでもなかなか一番になれないのに,会社でもなかなか一番になれないのに,100万人の頂点に立つなんて、ほぼ100パーセントできないですよね。


でもリスナーは元気になるそうです。これは、僕はまやかしだとおもいます。

ひとはなかなか勝ち組にはなれない。でも寅さんのようにはなれるかもって思います。

おとこはつらいよは、1969年からはじまり、渥美清がなくなる1995年までじつに26年続きました。

どんなに社会を一世風靡したように感じても、石原裕次郎の青春ものも、1957年から67年くらいまでの10年、高倉健の任侠ものも1963年から70年、菅原文太のトラック野郎にいたってはたった5年程度です。

男はつらいよに続くのは、1981年から2001年までのドラマ「北の国から」の20年でしょう。

ヒーローものより、一般の等身大の人の映画がスーパーロングランになるのでしょう。

先日、あるユーチューブに100万人に一人になれ、というある先生の啓蒙ビデオを見ましたが、100万人に1人になるには、100万分の1、つまり、不可能ということじゃない、と思いました。

そういう啓蒙のしかたはあまり賛成できません。

そういえば、高校生のころ、トルストイが、小説でも音楽でも劇でも英雄や王侯貴族の芸術は新の芸術じゃない、等身大の民衆のなかから出てくる芸術こそ、もっとも価値がある、ということを言っている芸術論を読んだことを思い出しました。

ああ、トルストイがいってるのは、フーテンの寅さんのことなんだ、と今思い至りました。

私も少しでも、そんな教材が作れたらいいな、って思う今日この頃です。

2017年07月25日

銀座の恋の物語と現代

先日、石原裕次郎特集で、「銀座の恋の物語」という映画をダビングしていたので、ちょっと見てみました。

主演は、石原裕次郎と浅丘ルリ子です。この二人については、石原慎太郎の「弟」や浅丘ルリ子の私の履歴書で読んでいるので、結構人物の背景は理解していました。さらに小樽にある裕次郎記念館にも行ったので、裕次郎という人となりも感じるものがありました。

裕次郎というと、西部警察や、太陽にほえるという単純娯楽路線のドラマが有名ですが、記念館に行って、実際、彼が書いた絵や、趣味のものとかを見ると、繊細な芸術家肌のように感じました。

話はずれましたが、この銀座の恋の物語ができたのは、1962年です。

映画としてみる関心は、あまりないのですが、当時の社会現象的な大ヒットしたこの映画を、当時の社会の記録とみると、とても面白いものがあります。

ぼくも5歳くらいから映画に登場した松屋デパートに母に連れられた記憶があるので、なんとなく舞台の雰囲気はわかります。当時は傷痍軍人が白い服を着て座って、四丁目交差点とかで座ってアコーディオンとか弾いてたのをなんとなく覚えています。

ただ、銀座は、あまりにも今とはかけ離れて、規模の小さい町であったことは確かです。

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米国はこの時から、ダントツの経済大国でしたが、日本は他国とほぼ同じで、1970年代に抜きんでるので、1962年はまさにこれから、っていうときです。一人当たりの所得もこの時、年間13%の伸びで、1974年の28%増をピークに、うなぎのぼりに国民所得が増加していく時代でした。

1965年に東京オリンピックがありましたから、ちょうどその三年前です。敗戦より20年が経ちました。

今年も、オリンピックの三年前ですので、比較すると面白いですね。1985年のプラザ合意を起点として、1990年経済の失速が加速し、米国に経済で敗北し、早20年、ちょうど、1962年とおなじ立ち位置にいます。

しかし、3年後にオリンピックがあろうとも、もう1970年代のような経済の急成長はありえません。

理由は急速に人口が減少するからです。
米国もヨーロッパも人口は増加するのに、日本の人口減少は日本経済にとって経済に重大な影響を及ぼします。

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銀座の恋の物語の時代は、急速に人口も経済も成長する時代です。

現代は急速に人口も経済も縮小する時代です。

当時は、浅丘ルリ子演じるヒロインの目の前で、両親が空襲で火だるまになって死んでいくトラウマを抱えている、というような傷は、現代の日本人には多くはありません。

確かに東日本大震災は、日本人全員に大きな心の傷を残しましたが、死者の数字では、先の敗戦で民間合わせて312万人なので、それはそれは大きなことだったでしょう。


私が生まれた1960年は、東京空襲や原爆からたった15年しか経っていません。
いま、敗戦から70年以上経ち、今の時点から見ると、私が生まれた1960年は、限りなく戦争時代に近くなりました。

子供のころ、原爆の物語や空襲の絵本を見ると、かぎりなく昔のできごとのように思えていたのですが。

私たちは、生活する時代の流れの中で感じる感覚と、経済力を現す数字の上で見る感覚と、立ち止まって昭和を振り返ってみる感覚とでは、実に大きくずれているのがわかります。

石原裕次郎特集は、そのずれを気づかせてくれるうえで、一見の価値はあるとおもいます。

2017年07月01日

仙洞御所

先日、京都出張のついでに土曜日、京都を散策しました。

まず出町柳で降りて、妙音観音堂という出町柳のお堂をお参りしました。
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(妙音観音堂)

この近くは、北畠発生の地であることを、5年前、急な雷雨で雨宿りついでに入った本能寺に展示してあった、中世の古地図で見つけました。
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(中世古地図)
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(google map現代地図)
それ以来京都へ来ると、近くにある妙音堂にお参りにきております。
もっとも、この妙音堂を建てたのは北朝の公家の筆頭である西園寺家なのですが。

通り道に、鯖バッテラのお店があり、三貫だけの小さなお寿司のお弁当を買い、それを食べようと京都御所に行ったら、立派な門の前で、なにやら警察官立会いの元,キャンペーンのようなことをやっていました。近づいてみると,仙洞御所を当日拝観できる,という受付でした。僕はこれは、と思い、3時半の予約をしました。

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(京都御所)

僕は今から25年前桂離宮を拝観し、今度は仙洞御所に行ってみたいなって思いながら、あっという間に25年が経ってしまっていました。本当に浦島太郎のような気持ちです。

なぜ、仙洞御所に来たかったというと、隆慶一郎の「花と火の帝」という後水尾上皇を主人公の小説を読んでいたからです。

この25年は、人様以上に激動の25年だったはずなのに,いったい何をしてきたのだろうか?記憶がない。ないといえば嘘になるだろうけど、光陰矢の如しでもう五十代を半ば過ぎた自分がいます。

仙洞御所は、退位した天皇つまり、上皇が住まわれる御所を意味し、京都御所内にあるこの仙洞御所は、ご水尾上皇が建てたそうです。

そのほかには、光源氏のモデルといわれた源融が、光源氏のような屋敷をつくり、源融が亡くなった後、その息子が、宇多天皇に隠居後の御所として進呈したのも、当時、仙洞御所といわれていました。いまは東本願寺所有の渉成園として残っています。

大覚寺も亀山天皇が上皇になったとき、移り住んだので、仙洞御所と呼ばれたのでしょう。

最近では、今上天皇が退位した暁には仙洞御所に住んで欲しいという嘆願が京都市民よりあったそうですが、今上天皇は早若き日に住まわれていた東宮御所をご所望とか。

仙洞御所は、明治時代にすでに焼けて、もう一度再建しなければならないことを考えれば当然のご判断でしょう。再建するにはそれは莫大な費用がかかることでしょう。


さて、まずは、醍醐寺へ二年ぶりにお参りに行きました。醍醐寺はよく行くお寺で、春の桜も、秋の紅葉もいきました。特に春の桜会結願柴燈護摩法要は偶然に、立ち合えてよかったです。夏のこの季節は、とりたてて繁る青葉以外に特徴はなく、だから訪れる人も少なく、そのおかげで、実に静かにお参りができました。
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(醍醐寺庭)

醍醐寺からまた取って返し、地下鉄東西線で烏丸御池で降り,途中応仁の乱の二年前から京都で商いをしているという尾張屋という蕎麦屋で蕎麦を食べ仙洞御所へと戻りました。そのお蕎麦屋さんの今の当主は16代目と言います。

僕も人生 の半ばから後半に入ろうとしているわけですが、こんな感じの時間の感覚を15代遡ると,大河ドラマの花の乱の舞台の応仁の乱が繰り広げられていたのですね。これから行く仙洞御所を作った御水尾上皇は10代前くらいなのですかね。

歴史は本当に無常に、光陰矢の如しで過ぎ去ります。自分の過ごした50年もあっという間なので、これが10回続いてもあっという間でしょう。

「火と花の帝」は、後水尾上皇の生涯を、徳川幕府に屈服した悲劇的な人生として描いていました。しかし、この壮大な御所を見ると、とてもとても栄華を極めた人生としてしか思えません。

確かに後水尾上皇は、天皇の後継に、自分の望んだ後継を幕府に認めてもらえず、抗議の意味を含めて退位しました。

しかし、退位後も数多の愛妾に囲まれて、光源氏以上の暮らしをしてきたのだから、それはそれは一介の庶民とは比べるものではないでしょうが、実に羨ましいかぎりです。

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(仙洞御所手前の京都御所南にある九条家茶室)

確かに足利義満の金閣寺から比べれば、地味かもしれませんが、孫の義政の銀閣寺に比べれば、格段の規模とグレードです。
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(仙洞御所)

上皇の奥方が、上皇がなくなったあと移る大宮御所は、現在では、外国の要人の宿泊所になっているそうです。
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(大宮御所)
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(要人宿泊施設)
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(宿泊施設から眺められる竹林)

外見は、いかにも江戸時代に建てられた御所そのものですが、中は洋式だそうです。

この年になると、人の一生は、ほんとうにはかない、一瞬のものだなあって感じます。

能を見る時間が日増しに増えていくのも、あっという間に過ぎ去った人生を、霊界から見る劇だからでしょう。

そういえば、仙洞御所内で、在原業平の屋敷跡というのがありました。業平は、当時超イケメンで、伊勢物語の主人公といわれており、伊勢斎宮との密会事件を起こしたり、能の筒井筒という演目にも登場します。

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(在原業平屋敷跡)
本当に、若いころは、人生の長さに、ゆとりや希望を持ちますが、五十も半ばを過ぎると、
邯鄲の物語のように、人生が、午睡の一瞬(昼寝のようにちょっとした時間)であることをつくづく感じます。

仙洞御所は、そういう趣を漂わせる庭園でした。

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(仙洞御所 茶室)
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(茶室からの眺め)

北畠親房の晩年の歌に
「嘆けとて 老いの身にこそのこしけめ あるは数々あらずなる世に」
というのがあります。
これは、自分だけが生き残って、何時も思うのは、もうこの世にいない人のことばかりだなあっていう心境を読んだのでしょう。

親房は61歳で他界したので、肉体的には、その歳に近づきつつあります。しかし、当時の平均寿命が50代と考えると、今の80歳くらいの心境なのでしょう。
親房の老境をうたった歌をほかにも紹介します。

山深く 結ぶ庵もあれぬべし 身のうきよりは世を嘆くまに

幾里の 月にこころをつくすらむ 都の秋をみずなりしより

昔みし 平野にたてるあや杉の すぎにけりとてわれなわすれそ

いたずらに 過ぎる月日をせめてなど まてとばかりも契らさりけむ

かよいこし 人は軒ばの夜はの月 たのまぬ松の木のまにぞみるえる

年へし 波の枕のよるの夢 さめれば花のうてななりけり

小山田の 猪苗代水のひきひきに 人のにごる世ぞうき

幾里の 月に心をつくすらむ 都の秋をみずなりしより

これもみな わすれがたみになりぬべし 思いのほかの柴のかり庵

僕も老境がひたひたと近寄ってきた証なのでしょうか。
テラスで、休日は、ささやかな坪庭づくりに、興じております。
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2017年04月25日

次にくる需要革命すなわち生活者の革命とは?

それでは、次にくる需要革命、すなわち生活者の革命とは、どのようなものでしょうか?

われわれは、まず10年後の2027年をイメージしてみましょう。そしてさらに10年後2037年後を想定してみましょう。

まず、今進歩しつつある人工知能について考えてみましょう。

人工知能の構造は、パターンをなるべく多く記憶させ、具体的には、正解といわれる事例をたくさん記憶させ、判断すべき事象を、そのパターン群から類似、もしくは一致するものを選び出し、それを正解としてアクションをおこさせる、という仕組みです。

人工知能が発達すればするほど、より擬人的なロボットが出てくるのは明白です。

たとえば介護ロボットを作れるとします。

ある一人暮らしの寝たきり老人がいるとします。その老人が介護ロボットを雇います。

おなかすいた、と老人がいうと、ごはんを作って口に運んでくれます。トイレ、というとしびんやおむつをとりかえ、洗浄もしてくれる。もしくはトイレに運んでくれる。

さびしくて話しかけると、ロボットは実にきめ細やかに理想的な会話をしてくれる。

具合が悪くなれば、すぐに救急車を呼んでくれる。

これを、人間がやるときのデメリットは、人には感情があるので、優秀な介護をする人をさがさないと、本当に老人はつらいことになります。近年、介護老人ホームで老人の虐待が事件になったりしますが、そういうことはロボットにはありません。

おそらく教育でもそうでしょう。家庭教師を頼むより、言葉を認識するロボットが教えてくれるほうがより、優秀な先生でしょう。

仕事を管理監督指導するのもロボットがおこなったほうがいいかもしれません。

それでは人間がロボットにとってかわられないことはなにか?

まずトップの決断。これは、ロボットを利用して新しい目的を実現するのだから、トップつまり社長の決断とか、教育だったら親の決断とか、そういうものは、まずはロボットにとってかわられません。


こういう社会になることで、人間はどう変わるのか?教育とか、労働とか、人間にとって努力と苦痛が伴うものが、苦痛なく楽しく生産活動ができるようになるでしょう。

それは、人々が、競争原理に従って勉強したり、働いたりするのではなく、協調によってより付加価値をたかめ、楽しく人生を起こる社会の実現につながるのだと思います。


情報化社会は、豊かな中間層が7割以上もいて、そして仕事の時間も短く、あえて、楽しく貢献的に消費をおこない、また個人個人が仕事での投資も含めた生産活動をすることによって、よりみんなが豊な社会が実現されるのです。

経済の流れはより豊かにより活発にながれることが、みんなも潤すのです。決して一部の独占と中間層の消滅、貧富の差の拡大は富を持つ層の富すらも奪いかねないのです。

とにかく中間層を厚くして、経済をより活発に回すことが、富裕層にとっては、もっとも大きく儲けることができるのです。当然のことに中間層も下層も豊かになれます。

歴史は繰り返す、というなら確実にこの後、大きな戦争がきます。


しかし、人類が賢くなり、戦争を起こさなくても、情報化社会への需要マーケットの移行がスムーズに起こせれば、戦争は回避されます。


需要革命は、教育によって行われます。よりここちよい、でもしっかり知識や技術や思考を身に着けて、いままでにない仕事へと変化させる、そんな状況が拡大していけば、需要革命は起こると確信しています。

詳しくは、2008年に書いた拝著「究極の経営」をお読みください。

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あれから9年経ちますが、まったく修正のいらない内容と自負しております。

でも売れませんでした。(≧◇≦)

売れない古い本の宣伝で ドーモスミマセン!

2017年04月22日

次に必要なのは需要革命

昨日、NHKスペシャル「欲望の資本主義」というのを見ました。

とても素晴しいドキュメンタリーでした。

まず、冒頭で、米国のノーベル経済学者スティッグリッツが象徴的なことを話しました。

今の経済の問題は、総需要が不足し、その結果世界経済が減退している。
その根本的問題は、不平等。

つまり、富の集中によって、中間層がいなくなり、一局の金持ちに金が集中すること。

金持ちは貧乏人より金を使わない、ということ。

ここからは、私(北畠)の考え

だからこそ、中間層を増大させることが、経済発展に必要です。

そしてそこには限界があります。

人の欲望は、まずは衣食住という生活根本の欲望(需要)の消費に向かいます。

それが工業化社会の経済成長につながります。

まずは、産業革命後の欧米日本の産業の発展。それにいきづまり、世界大戦へと発展していきました。

次に、第二次世界大戦後の欧米日本の産業の発展。現代的な、自動車、洗濯機、冷蔵庫、テレビなどの現代的な家電の普及にともなう産業の発展。これは、日本がリードして、でも1990年代から行き詰り始めました。

つまり1800年初頭から始まった産業革命は1900年ころからアメリカを中心に自動車が庶民が乗るようになり、欧米日本に至っては、1950年までまたなければなりません。

つまり工業化社会が庶民生活に根付くには100年から150年かかったのです。
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1995年、クリントン政権における、ゴア構想、つまり情報スーパーハイウエイ構想が実現されると、インターネットを中心とする情報革命がおこりました。

この情報革命で、最も大きいことはBRICSといわれる、つまりブラジル、中国、ロシア、インド、中国、欧米日本以外の大国の経済成長をおもいっきり助長しました。

確かにかつて日本が、そうであったと同じように、人件費のやすさ。から世界の工場と言う役割で経済発展してきました。
しかし経済発展のもっとも大きなものは、国民が生活の現代化と呼ばれる自動車、冷蔵庫や洗濯機やテレビそして住宅などの購入です。

それが、ブリックスの経済発展に大きく貢献しているのです。

しかし、全て生活の現代化を満たした欧米諸国は、需要は満たされ、しかもインターネットの発達は拡大しない需要の中で、アマゾン、グーグル、フェイスブックに代表されるように、あらゆる生活の需要を奪って行きます。

その結果、個人商店や中小企業は消え、大企業と大富豪に集中するようになったのです。

どうしてこうなるか、というと、産業革命は当然のことですが、供給サイドの革命から始まります。

とくにインターネットのビジネスは、当初は金持ちも貧乏にも平等に訪れます。
しかし、需要がついていけず、大資本家は、インターネットビジネスでの優位性を保つために、無料でユーザーに普及させることを狙います。
今日におけるネットビジネスはそこで発展してきました。グーグルサイトもフェイスブックも利用者側は基本無料です。

最もテレビやラジオもそういう側面はありましたが。そういう意味ではテレビやラジオも情報化社会の先駆けという位置づけでもいいかもしれません。

工業化社会における産業革命も、1800年から1830年ごろから始まり、まず工場などの供給サイドで起こり、それにともない、イギリスでは、機械に取って代われた失業者たちが、ラッタイト運動をおこしました。

ラッタイト運動とは、暴徒が、工場を打ち壊したりする運動でした。
今日、情報化の進行に伴い、失業者の増大をネオラッタイトと呼んでいます。クリントン政権の時の労働長官で、「ワークオブ・ザ・ネーション」で有名なロバートライシュは、早くからこの問題を指摘しました。


産業革命は1800年くらいからスタートし、供給サイドの産業革命は素早く進行したのに、大衆は、なかなかこれを受け入れられず、供給過剰から、世界恐慌がおこり、二度までの世界大戦をおこし、やっと1950年代以降に、生活の工業化社会が浸透したのです。

今、世界は供給サイドの情報革命が進み、それに伴い、需要サイドがついていけず,格差が広がり、需要不足で、経済は行き詰まっています。

まさに、世界大戦前夜の世界そのものです。


これから、世界は、戦争に突入するのか、需要革命が起きるのか、大きな岐路に立たされています。


少なくとも日本は、先の大戦で、需要拡大で戦争を選び、国家を滅ぼしました。(太平洋戦争は日本は追い込まれた、という反論はあるでしょうが、満州朝鮮中国への侵攻は、景気対策の一環という見方は明確にできます。そのおかげで、旧財閥や新興財閥は大きく昭和初期には潤ったのですから)

その経験を生かすためには,勿論、後者を選ぶべきでしょう。


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