2025年07月16日

カーツワイル シンギュラリティはより近く

1,米国トランプ政権誕生とAI政策の注目、その背景にあるシンギュラリティの概念

米国ではトランプ政権が誕生したことを契機に、人工知能(AI)に関する政策や議論が一段と活発になっています。これらの動きの背景には、未来の技術進化に関する深い考え方や予測が関係しています。その一つが、トーマス・カーツワイルという未来学者が書いた著書『シンギュラリティは近い』です。

2,シンギュラリティと人類の進化のエポック(時代区分)

この書籍では、人類の進化や技術革新を「エポック(時代区分)」という視点で捉えています。大きく分けて6つのエポックがあり、それぞれの段階で地球や生命、文明の変化が大きく進展してきました。以下の図をご覧ください。

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3,各エポックの概要

エポック1:地球誕生と生命の起源
地球が誕生しました。
海ができました。
有機物(生命の材料になる物質)が形成されました。
その有機物から微生物と呼ばれる単純な生命が誕生しました。

これが最初の時代区分です。

エポック2:多細胞生物と繁栄
生殖と進化を繰り返しながら、多細胞の生命体へと進化しました。
魚が海を泳ぎ、陸に上がる爬虫類、哺乳類、鳥類といった複雑な生き物が登場しました。

エポック3:人類の出現と社会の形成
人類が現れました。
集団で暮らすための村や都市を築きました。
国家や文明を発展させ、戦争も起きました。
この段階では現代の私たちも含まれます。

エポック4:技術革新とIT革命
コンピューターの発明が世界を大きく変えるきっかけとなりました。
日本のNECが最初の半導体とマイクロコンピュータ(例:TK80)を開発。
マイクロコンピュータが普及し始めました。
1980年代には、スティーブ・ジョブズのAppleⅡが登場。
日本ではNECのPC88や、ソニー、松下電器のMSX、任天堂のファミコンなどが発売されました。
私もこの時期に大学を卒業し、ゲーム会社のコナミに就職。
コナミの東京支店の下の階では、当時はまだ設立5年目のソフトバンクもコナミのゲームを家電量販店に卸すソフトの問屋さんでした。
いまや、ソフトバンクは日本で最も巨大な、グローバル企業です。当時仕事で、ソフトバンクへ行くたびに、人がネズミ算式に増えていき、その光景は、あまりに不思議でした。

この時代の変化が、今の情報社会の基盤になっています。

エポック5:AIとビッグデータの時代
約40年が経ち、インターネットやパソコンの普及に続き、特に近年はAI技術が急速に進展しています。
その象徴的な出来事が、「ChatGPT」の登場です。
数万人の研究者やエンジニアの努力により、AIが高度な会話や判断を行えるレベルに到達し、爆発的に普及しこれから訪れるエポック6:シンギュラリティ(技術的特異点)
そして今、私たちは将来的に「シンギュラリティ」と呼ばれる段階の訪れを予感しています。
これは、人類の知能や文明が、現在の理解を超えるほどに急激に進化し、自ら自己改善を繰り返す段階のことです。
まさに、「人類の文明がひっくり返るような時代」が近づいていると言えるでしょう。

4,今後の展望と私たちに求められること

このような未来の流れの中で、私たち一人ひとりが「どう生きるべきか?」を真剣に考える必要があります。シンギュラリティに向かう過程で、先見の明を持つ人々は、新たな大きなチャンスをつかむことができるでしょう。

私たちは、これからの時代に備え、変化を恐れず、積極的に学び、準備を進めていくことが重要です。未来は予測できない部分も多いですが、適切な情報と理解を持つことで、その流れに乗ることができるのです。


この文章が、未来技術や進化の流れを理解するためのヒントとなれば幸いです。

2025年05月16日

515事件と組織の問題

93年前、1932年の5月15日、515事件が起きました。
当時、1929年に起きた世界大恐慌のさなか、企業倒産が相次ぎ、大財閥は富を蓄積し、農民の貧困化は増し、
娘を売る東北の農民も数多くいました。
部下に農民出身が多い、青年将校は、そういった状況に反発し、クーデターが頻発していました。

もともと海軍の青年将校たちは、陸海軍横断的なクーデターを画策して、のちに226を起こした、陸軍の青年将校の安藤輝三たちに一緒にクーデターを起こそうと持ち掛けましたが、
陸軍は、皇道派の頭目である荒木貞夫が犬養内閣で、陸軍大臣になったことから、クーデターに反対し、むしろ阻止する方向で動きました。もしこの時、515事件が起きていなければ、226事件も起きず、太平洋戦争も防げたかもしれません。

当時の青年将校たちは、モチベーションも高く、私心なく、仲間で酒を酌み交わせば、天下国家を語る立派な青年であったのが、どうして、このような国家にとってマイナスになる行動を起こしたのだろうか?

一つは、兵学校という超難関の学校に合格し、陸軍海軍の中でのみ活動し、しかし、戦前は総理大臣を多く輩出するので、それなりのプライドとモチベーションを持っていたのでしょう。

戦前の教育は愛国教育をおこない、日本歴史を学び、儒学などの哲学も教え込まれたのに、それが行き過ぎて、515事件や226事件を引き起こしたのです。

当時も反中国的な雰囲気が、醸し出されていたのは事実です。

張作霖爆殺事件が起きて、それを引き金に、満州事変が起きましたが、犬養毅は、旧友である張作霖の張作霖の息子の張学良の日本の荷物を、中国に送り返してあげるなど、父を失った張学良を支援する動きに、515事件の首謀者は、犬養首相を中国とつながる政治家として、暗殺しました。

当時、近衛文麿のブレーンの尾崎秀美など、政治家の周囲はスパイが多くいました。もちろん日本の財閥も暗躍したでしょう。そのへんの雰囲気は、三島由紀夫の遺作「豊饒の海4部作」の2作目「奔馬」に詳しく描かれています。

しかし、現在の政治家とくらべると、一般人にしても、当時の日本人は誠実で、純粋で、正義感の強い国民だったことは間違いありません。

三島由紀夫英霊の声で、226の首謀者の霊に、「戦後、日本はちっぽけで、空虚な島に成り下がった、と言っています。」

これはすべて組織と個人の問題に起因します。

「5・15事件はなぜ軍隊の組織に問題があったのか?」という観点から考えてみます。


5・15事件の主役は、海軍の青年将校と一部陸軍将校、民間右翼団体でした。彼らは上官の命令や軍隊の公式な統制を無視して、独自にクーデター(首相暗殺)を決行しました。これは**軍隊の本来あるべき「上官の命令に絶対服従」の原則が崩れ始めていた**という重大な組織上の問題を意味しています。

青年将校たちの思想・使命感が行き過ぎて、組織全体を代表しない「個人や小集団の暴走」を許してしまった。この現象は、軍組織の根本的な綱紀の弛み、統制の弱体化を示しています。

① 独自の「正義」が優先された

青年将校たちは強い使命感・正義感を持っていました。その行動は「国家を正すため」「腐敗した政治を正すため」という、自己流の正義に基づいています。**組織内個人の「正義」「義憤」が組織のルールや上官の判断より優先される土壌があった**、―――これ自体が、軍隊の組織問題です。

② 組織内の意見対立・分裂

皇道派 vs. 統制派など、陸軍内でも海軍内でも派閥抗争や方針の違いが激化し、組織全体としてのまとまりや一貫した方針が欠如していました。青年将校の暴発を押さえこむ“内部統制力”が失われていたのです。

この結果、組織が分裂し、異なる意見や理念を持つ勢力が勝手に行動を起こせてしまう、という危険な状態となりました。

③ 社会と組織の距離/軍の“政治化”

また、軍の青年将校の多くが地方の貧しい出身であり、貧困に苦しむ家族や農村の現状を知っているため、「軍人としての職務」と「国や社会を守るべきだという個人的信念」との間で葛藤がありました。

本来、軍隊は政治から中立であるべきですが、「大義名分」を掲げて政治に介入してしまう“軍の政治化”も組織の脆弱性です。

結論

5・15事件が示した「軍隊組織の問題」とは、

上下関係の統制・軍紀の弛緩
独自正義の台頭と組織意思の軽視
派閥抗争・意見対立(組織の分裂)
軍の“政治化”による本来任務の逸脱

こうした“組織の危機”が、青年将校によるテロ・クーデターを許した背景にあったと言えます。

この脆弱な軍隊組織が、その後の2・26事件や、軍部独裁・暴走、そして悲劇的な戦争への道を開いてしまったのです。

これにちかいことは、組織の大小にかかわらず、現代の組織でも起こります。

特に、若い人の多いモチベーションの高い若いベンチャー企業で起きます。

私も経験しました。

今、そういう組織の問題を解決するAIグループウエア「則天」の改良を検討しています。

2025年05月03日

AIの危険性は、教育のAI化で回避 NEXUSを読んで

ユラ・ハラリは、またセンセーショナルな本を出しました。「NEXUS 情報の人類史」です。この人は、「ホモサピエンス全史」「ホモ・デウス」と人類の指針となる本を出してきました。
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どれもとても重要な本ですが、今度の「NEXUS 情報の人類史」は我々の生活そのものに影響する、現存する最も重要な本というしかありません。

結論からすると、このAIの社会の浸透は、人類を破滅に導く、ということのようです。
じゃあ、AIを使うのをやめよう、というのは、不可能です。もう後戻りはできません。
なにか対策はあるのでしょうか?

このような問いかけを通じて、私たち自身が「考える」という訓練を日々積み重ねていくことが、これからのAI時代を生き抜く唯一の力になります。ハラリが『NEXUS』で危惧しているのは、情報をすべてAIに委ね、人間が「判断停止」に陥ることです。無批判にAIの答えを受け入れれば、そのAIを操るプラットフォームや政府、企業によって私たちの自由や意思決定が奪われかねません。

教育とは、まさに「問い続ける力」「判断を保留して多角的に検証する力」を鍛える場です。AIはあくまで道具であり、答えではありません。正しい問いを立てる主体性や、違和感やリスクの兆候をキャッチする感性、自分の言葉でものごとをとらえ直す力。これらを育てる教育が、いまほど必要な時代はありません。

AIの台頭は脅威であると同時に、学びのあり方を根本的に見直すチャンスでもあります。AIのまやかしを冷静に見抜く批判精神を、一人ひとりが身に付けること。それを支える教育こそが、ハラリの描いた「AIによる人類の悲観的未来」を乗りこえる唯一の希望です。

子どもも大人も「知る」ことの喜び、「自分で問い、考える」ことの大切さを学び直す時です。私たちが教育を再定義するとき、AIの時代も人間の自由な思考と創造性が灯り続けるはずです。

人類ひとりひとりが、AIをうのみするのではなく、出してきた答えに、いろいろな角度から分析し、AIのまやかしや、からくりを見抜く力を養うことです。もちろんAIをうまく活用して、より高度な知的レベルを獲得することを学ぶことは言うまでもありません。

たとえば、当社のツインAIシステムは、まさに、そういう目的で開発されました。
AIで出した答えに関連する情報や動画を集める機能がついてます。

さらに定例文でそのAIの解答の反論を示すAIを出すことも必要です。
「このAIの解答の問題点をしてして」
とか
「このAIの解答の反論を述べて」
とかです。

このような仕組みは、「唯一絶対の解答」に依存しがちなAI時代の教育にこそ不可欠です。自分が得た知識の根拠を探し、別の角度から比較し、反論を立ててみる――ツインAIシステムのようなツールは、まさに批判的思考のトレーニングを助けます。これからの教育現場は、「正答を素早く出す力」よりも、「なぜそれが正しいのか/正しくないのかを問い直す力」を養う場所へと変化していくでしょう。

AIによる情報は膨大ですが、その中身や背景、そして隠された意図を見抜けなければ、本当の意味で「知る」ことにはなりません。ハラリがNEXUSで描いたように、私たちはAIと共存する宿命にあり、AIの進化を止めることも、過去に引き返すこともできません。しかし、教育によって「情報を鵜呑みにしない目」と「新しい問いを生み出す力」を持つ人間が増えればAIがもたらす危機的未来を希望の未来へと変えていくことが可能です。

大事なのは、AIに支配される側で終わるのではなく、AIを理解し、活用し、人間が主体的に「選択する」知恵を持つこと。そのためには、一人ひとりが日常の中で問い、つながりを探し、対話することがこれまで以上に求められます。

私たちは教育によって、思考停止ではなく思考深化の道を歩まなければなりません。自分の頭で考え、疑い、議論しあうことで、AI時代を「人類の成長と自由の時代」に変えていきましょう。

AIと教育―この二つをどう結びつけ、どう使いこなすか。その意識が、私たちの未来を決める鍵なのです。

2025年04月23日

今日本が国家として向かうべき方向性とそれを実現させるための教育とは

本の文化、経済、政治をよりよくするための教育には、以下のような具体的な要素やアプローチが考えられます。

今日本が求められている国家とは、国民側から見れば、農林水産業も工業も商業も、付加価値のイノベーションによる、生産性の向上、それに伴い、どの分野もグローバルに展開できるための品質向上、つまり世界中で最も求められる商品にすること、そのためにいかにAIを活用して各産業の品質向上とオリジナリティな商品を作りえるか、です。

それを実現するための教育とは・・・

1. 創造性と批判的思考の育成
教育課程の改革:日本の教育では、知識の詰め込みが重視されがちですが、創造性や批判的思考を重視するカリキュラムの導入が重要です。プロジェクトベースの学習やディスカッションを通じて、学生が自ら考える力を養うことが求められます。

2. グローバル教育
国際感覚の育成:多様性を尊重し、国際社会での理解を深める教育が必要です。英語教育だけでなく、異文化理解や国際問題に関するセミナー・ワークショップを充実させることが重要です。

3. 技術教育の強化
STEM教育の推進:科学、技術、工学、数学の教育を強化し、未来の産業において必要なスキルを身につける機会を増やすことが大切です。また、プログラミングや情報リテラシー教育も積極的に取り入れる必要があります。

4. 社会参加と市民教育
地域との連携:地域社会との連携を強化した教育を行うことで、学生が社会の一員としての意識を持ち、積極的に社会に貢献する態度を育むことが重要です。ボランティア活動や地域プロジェクトへの参加が促進されるべきです。

5. 教育への投資
資源の確保:教育に対する公共投資を増やし、質の高い教育環境を整えることが必要です。教師の待遇改善や教育施設の充実も重要な課題です。

6. 生涯学習の促進
社会人教育の充実:若者だけでなく、全世代を対象とした生涯学習機会を提供することで、学び続ける文化を育成し、経済や文化の発展に寄与します。

7. 倫理教育と国際感覚
マナーや倫理観の教育:人間関係や職場でのコミュニケーションが重視される現代において、倫理やマナーの教育を強化することで、より良い社会人を育成し、企業の信用力向上にも寄与します。

これらのアプローチを通じて、日本の教育が文化、経済、政治に対してより積極的な影響を与えることが期待されます。教育は未来を築くための礎であり、現代の課題に適応するためには継続的な改革が求められます。

2025年04月22日

国家と教育3

プラトンの『国家論』をもとにした教育の考え方を、日本の教育システムにどう活かすかを考えてみました。

1. 段階的な教育:
プラトンは教育が段階を追って進むべきだと言いました。つまり、まずは「基礎をしっかり学ぶ」ことから始めて、その後「難しいことを学ぶ」ようにするのが大事です。例えば、小学校で基本的なことを学び、中学校でさらに深いことを学び、高校や専門学校で専門的な知識を深めるといった流れを強化することが必要です。

2. 倫理や道徳を学ぶ:
プラトンは知識だけでなく、正しい行動や考え方を育てることも大切だと考えました。現代の教育でも、道徳の授業や、地域のボランティア活動を通じて、社会に対する責任感を養う教育が重要です。

3. 多様性を尊重する:
プラトンは男女が同じように教育を受けるべきだと言いました。今の日本でも、性別に関係なくみんなが平等に学べる環境を作ることが大事です。また、特に科学や技術の分野では女性がもっと活躍できるようなプログラムを増やすべきです。

4. 批判的に考える力を育てる:
プラトンは、ただ知識を詰め込むのではなく、自分で考える力が必要だと言いました。授業をもっとディスカッション形式にしたり、自分でプロジェクトを考える時間を増やすことで、みんなが考える力を身につけられるようにすることが大切です。

5. 個性に合った教育:
プラトンはそれぞれの人の能力や興味に応じて教育を選ぶことが大事だと捉えていました。今の教育でも、生徒一人ひとりが自分に合った進路を選べるようにサポートすることが重要です。進路相談を充実させて、専門的な学びの機会を提供することが求められます。

これらの考え方を取り入れることで、より良い教育を提供し、未来の社会を支える知恵や倫理を持った人を育てることができるでしょう。プラトンの教育に関するアイデアは、今の教育を見直す良いきっかけになります。

国家と教育について2プラトンの国家論から教育システムを考える

プラトンの『国家論』では、教育が理想的な社会を作るためにとても大切だと考えられています。

1. 段階的な教育: プラトンは、教育をいくつかの段階に分けました。最初は基本的なこと、例えば音楽や体育から始まり、次第に難しいこと、哲学や数学、天文学などに進むべきだとしました。これは、社会が必要とする役割ごとに、学ぶことを変える必要があるからです。

2. 知恵を求める: 教育の目的は、ただ単に技術や知識を身につけることではなく、真理や正しいことを理解し、知恵を持つことだと言います。プラトンは、理想的な社会では賢い哲学者が国を治めるべきだと考えました。

3. 男女平等の教育: プラトンは、男女同じように教育を受けるべきだと提案しました。特に、国家を守る役割を担う人たちには、男女を区別せずに同じ教育を受けさせることで、最も優れた人が選ばれると考えました。

4. 道徳的な教育: 教育は知識を教えるだけでなく、良い倫理や道徳を育てることも大切だとプラトンは言っています。正しい価値観を持つ市民が育つことで、理想的な国家が作られると信じていました。

5. 才能を見極めること: 教育で見つけた才能のある人には、特別な教育をして、その役割に合った人材に育てる必要があります。才能のある人がリーダーや知恵のある人として成長することが大切です。

要するに、プラトンの教育の考え方は、ただ知識を学ぶだけではなく、倫理や哲学を通じて人間としての成長を目指しています。これは今でも、教育がどのようにあるべきかを考える上で大事な視点を提供していると思います。

国家と教育について1

国家と教育には、とても大切な関係があります。教育は、国を豊かにしたり、文化を守ったりするのに大きく関わっています。ここでは、その関係を6つのポイントでわかりやすく説明します。

1. 国の考えと教育:国は、その国の考えや大切にしていることを教育を通じて次の世代に伝えます。たとえば、自由や平等を大切にする国では、子どもたちにそういった価値について学ばせる教育が行われることが多いです。

私は、小中学校時代、国語の教科書で、シェイクスピアや小林秀雄、中原中也、百人一首、万葉集を通して、日本文化の美しさに憧れました。

2. 経済の成長と教育:教育がしっかりしていると、仕事ができる人がたくさん育ちます。これが経済の成長につながります。高校や大学の教育や専門的なスキルを学ぶことが、国の経済を強くします。

私は、文化的なことは高校時代に、今の仕事に関連することは大学時代に学びました。大学では教育学部の社会科学の法学研究室に属していましたが、経済学、倫理学、社会学の研究室とも仲がよく、横断的な議論の場であったことはとても勉強になりました。

またなにより、教育学部なので、教育工学はもとより、教育学、教育心理や各科目に至るまで、教育の基礎を学んだことは貴重でした。

3. みんなに平等な機会:教育は、誰でも平等にチャンスを持つための手段です。質の高い教育が、すべての人に提供されることで、貧しい家庭から抜け出すことができるかもしれません。

そのことに関しては、当時の国立大学の月謝は年間18万円でした。今は国立大学が、私立大学なみに値上がりしたのは、非常に残念です。

4. 国際的な競争:今の時代、国同士の競争があり、教育の質がその国の強さにも影響します。教え方を見直したり、新しい教育プログラムを作ったりして、国を良くしようとする努力が続けられています。

最も優れたシステムは米国で、世界中に、一流大学は、ネットで門戸を開いており、天才を見つけると、学校の援助で、自分の大学に入学させます。さらに米国は金融も発達しており、彼らが起業すれば、何度失敗しても資金が集まる土壌です。

5. 文化を守る教育:教育は、国の文化や伝統を次世代に伝えるためにも重要です。歴史や民族の文化について学ぶことで、子どもたちが自分のルーツを理解できるようになります。

今日の日本の問題は、太平洋戦争で無条件降伏したあと、GHQの方針で国を否定する教育がいまだに続いています。むしろ海外からの旅行者のほうが、日本の文化を深く愛する傾向にあり、このことは、特に、日本の教育として修正していかなければ、国が亡ぶ可能性があります。

確かに戦前は、天皇を神格化し、国を崇拝する教育でした。日清、日露戦争に日本が勝ち、戦争すれば、日本は強いので、最強の外交手段と、日本国民自身考える傾向があったことは否めません。

反戦教育も絶対的に必要ではありますが、それと同時に日本文化や歴史のすばらしさを認識する教育も必要です。さらに反戦教育と同時に、日本を守るための教育も、軍事力、外交含めて国民が学ぶべき重要な課題です。

6. 政府と教育制度:国の政府は、どのように教育を行うかを決める法律や方針を作り、そのためにお金を使います。こうすることで、教育が国の目指す方向に合わせたものになります。

このように、教育は国を支える大事な要素であり、国の未来や人々の幸せに大きく影響しています。

日本の教育の方針は、文科省が2018年に、柴山プランを発表し、その方向性は素晴らしいと思います。
https://www.mext.go.jp/a_menu/other/1411332.htm#1411332
ただ、これを学校現場に落とし込むには、当初、長い年月がかかると思われました。

なによりも戦後の受験体制のままでは、とてもこのような教育は、現場ではできません。

ただ、生成AIが世の中に登場したことで、一気に世の中は変わります。まずは、デジタル教科書が変わります。

いち早く日本が世界に先駆け、教育改革を行い、社会に生かせれば、エマニュエルトッドの予言どおりに、日本は世界をリードする国にかわることでしょう!

2025年03月26日

AI時代から昭和時代をながめる。映画『ゆきてかえらぬ』を見ました。

小林秀雄や中原中也を愛読するようになったのは15歳の時でした。高校受験の国語の勉強で、小林秀雄と中原中也がよく出題されていたからです。また、川端康成や立原道造も高校の受験勉強で好きになりました。受験勉強の影響で本を読みたくなり、その結果、大学受験の時も本ばかり読んでいました。大学受験時はもっとひどく、小林秀雄に魅了されると、モーツァルトやドガ、セザンヌに夢中になり、ドフトエフスキーや日本の能にも興味を持ちました。そのため、勉強そっちのけで読書やピアノ、フルートの練習、そして上野の美術館や博物館ばかり通った結果、浪人も経験しました。

そのころは,あまりに自分の関心と周囲の関心が異なり、非常に孤独で、それでも人生を芸術や文学の中で過ごしたいと思い、思い悩んでいました。大学ではワンダーフォーゲル部とジャズ研究会に入り、山を登り続けました。ピアノとフルートの演奏は15歳から半世紀たった今でも続いています。(山はさすがに社会人になってからあまり登りませんが)

一人で映画を見に行くのも、ほぼ半世紀ぶりです。16歳の時に三島由紀夫の『午後の曳航』を映画で見て以来のことです。小林秀雄や中原中也、長谷川泰子の映画なんてマイナーで、すぐに終わってしまい、夜は立川でしか上映されていませんでした。1時間かけて、20時40分からの上映にぎりぎりで滑り込みました。

映画館に入ると、予想通り100人収容の小さな映画館で、5人くらいしか観客はいませんでした。最初は予約していた後ろから5番目の真ん中の席に座り、薄暗い中で、京都の中原中也の下宿から映画がスタートしました。最初のシーンを見て、これはなかなか良いなと思いました。

しかし、見下ろして映画を見るよりも見上げて見たいと思い、すぐに前から2番目の席に移動しました。そして小林秀雄と中原中也というと、酒というイメージがあり、コンビニで買った八海山の小瓶をポケットに忍ばせていたので、それを取り出しながら映画を見ました。

この映画は、題材が難しいのにとても良かったです。小林秀雄を岡田将生が演じるなんて驚きましたが、岡田将生はNHKのドラマ『昭和元禄落語心中』でも名人落語家、有楽亭八雲を好演しており、小林秀雄の講演は志ん生に近いと言われていますので、適役かもしれません。

中原中也役の俳優については知りませんでしたが、自分のイメージとは大きな違和感はありませんでした。『火宅の人』の中原中也を演じていた真田広之よりは、より実像に近い気がしました。

長谷川泰子のイメージについては、学生時代からあまり良くない印象でしたが、この映画を見て変わりました。彼女は中原中也という天才詩人と小林秀雄という天才思想家に愛される、特別な女性だったんだと感じました。カミーユ・クローデルとロダンのように、小林と中原も彼女から芸術的なインスピレーションを受けていたのかもしれません。

映画を見る前は、広瀬すずが長谷川泰子を演じることに少し違和感を感じていました。しかし、映画を見て彼女の美しさと演技に感心しました。

中原中也の詩は、小林秀雄と長谷川泰子がいたからこそ生まれたと思います。二人の出会いは、彼らの創作意欲を大いに刺激したことでしょう。大きな才能は、理性的なコントロールが効かなくなることがあります。

最近の例としては、K2の未踏峰に挑戦した平出和也と中島健郎が挙げられます。NHKスペシャルで彼らの挑戦を見ました。中島はインタビュー中に突然泣き出しました。彼自身は暖かい家庭を持っているのになぜこんな危険なこと(登山)をするのかと疑問に思って涙したのです。

その気持ちはなんとなく理解できます。彼は平出と共に、山岳界のノーベル賞と言われるピオレドール賞を二度も受賞しています。平出は三度受賞です。彼らは日本における天才クライマーです。(私が同郷の加藤保男に憧れ、大学でワンダーフォーゲル部に入部した理由も加藤保男の影響でした。私は、就職せずに山のガイドや山小屋の管理人になりたかったのですが、クライミング技術では同期の同級生に超えられない人が二人いました。ただ、田舎の大学の同期でも超えられない人間がいるので、とても仕事にするのは難しいと思いました。)

平出も中島も登山技術では世界最高峰の人たちだと思います。そういった能力を持った人たちは、未踏峰に登らざるを得ないのです。

才能を持つ人は、自己を犠牲にしても突き進んでしまうものです。平出や中島と同様に、小林秀雄と中原中也は、長谷川泰子が触媒として彼らの至高の作品を生み出したのだと感じます。

映画で知ったのですが、中原中也の詩「お太鼓たたいて笛吹いて」は、ある郷土歌に影響を受けているようです。

小林、中原の文学に初めて出会ってから50年経ちました。私は成長しているのでしょうか?

この映画は多くの予算がかかっているわけではないでしょうが、私が今まで見た映画の中では最高傑作のひとつだと思います。


ちなみに、最初の大学の研究室のゼミ合宿は鎌倉で、鎌倉のバスに乗っているとき、小林秀雄の逝去をしりました。

鎌倉に長く住んでいた小林とのなにがしかの因縁を感じました。

小林と中原が青春を送っていたのは、大正から昭和にかけての時代です。昭和元年が1925年ですから、今年、ちょうど昭和元年100周年です。小林と中原が現代のAI時代を生きていたら、どのように感じ、どのように行動するでしょうか?

そこで、当社のラーニングスケルトンAIの新コネクトシートを使って、下記のように質問してみました。

「下記内容(上記ブログ)の続きで、今年は昭和元年から100年たって、100年前の小林秀雄と中原中也がタイムマシンで今のAI時代をどのように感じ行動したか、推察してください」

そうしたら以下の解答が帰ってきました。

小林秀雄と中原中也がタイムマシンで100年後の現代に降り立ち、AIが広く普及しているこの時代に出会ったとします。おそらく彼らの反応は、人間の存在や創造性の本質をさらに深く探求する機会として、興味深く受け止めたことでしょう。

小林秀雄は、AIが言語や文章を生成する姿に強い関心を抱いたかもしれません。彼は常に人間の思考の深淵に興味を持っていました。そのため、AIがどのようにして「思考」を模倣し、文章を生み出すのか、そしてそれが人間の表現力にどのように影響するのかを考察せずにはいられなかったでしょう。彼はAIによって生成された文章を分析し、人工と人間の創造性の境界を議論するエッセイを書くかもしれません。

一方、中原中也は、AIの技術を通じて新しい詩的インスピレーションを追求したのではないでしょうか。AIが生成するイメージや言葉の組み合わせから、新たな視点や感覚を見出すことでしょう。彼の詩には、常に人間の感情の繊細さと孤独感が漂っていますが、現代のテクノロジーがもたらす孤独や接続についても、詩を書いていたかもしれません。

また、彼らはAIがもたらす社会的影響にも敏感であったはずです。小林は、AIの台頭によって変わる人間の役割や価値観に対する哲学的な問いを提起し、社会や文化に与える影響を考察するのではないでしょうか。中原は、技術と人間の関係性の変化がもたらす感情的な揺れ動きや不安定さを詩に織り込むかもしれません。

映画、文学、音楽をこよなく愛した彼らは、AIブームの中で創られた新しい芸術形式にも好奇心を持ったことでしょう。これまでにない新しい表現方法に胸を躍らせ、自分たちの創造的探求を続けていったのではないかと想像されます。AIと人間のコラボレーションによって新たな芸術の可能性を模索し続ける姿が想像できます。
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すごすぎる。

でも考えてみようっと!


それで読み返して、考えたのですが、小林秀雄は、AIの文体に、興味を持っただろうか?
多分否定的だと思う。なぜなら、かれは、文体を通した生身の人間の魂に興味があるわけで、人工で作られた文体には興味なかったと思います。AIではなかったが、そういう批評がどこかにあった気がします。

中原中也に関しては・・・その気持ちを想像すらできません。中原中也の詩魂を理解するには、あまりに僕は歳をとりすぎ、感覚は鈍感になってしまったので。

2025年02月27日

2.26事件とAI 後編

なぜ、2.26事件で青年将校たちは、あのような暴挙をおこしたのでしょうか?
世界恐慌が始まり、冷害も重なり、東北地方では、娘を身売りする親が続出していました。
当時、徴兵で駆り出される兵隊は、農家の次男三男が多く、部下より青年将校たちは、地方の惨状を聞いていました。

青年将校は、政治が、外国や財閥からの賄賂をもらった老獪な政治家による政治がその原因と信じ込み、当時の岡田内閣の閣僚を暗殺していきました。

まあ、近衛文麿のブレーンである尾崎秀美がゾルゲ事件で昭和41年に逮捕され、処刑されたことを考えると、現在の政治状況と近いものはあったのでしょう。

米国でも、財務次官補のハリーホワイトなどソ連のスパイだった官僚や政治家も多く、戦後マッカーシーによる赤狩りが行われたほどでした。

事件の前年、226事件の幹部の一人、安藤輝三大尉は、当時、天皇の侍従長であった、鈴木貫太郎に東北の農村の惨状を直談判しに行きました。その時、安藤は鈴木の人格に感銘して、西郷隆盛のような人だ、と言ったそうです。

高橋是清は、近現代で最高の政治家であり、最も私信の少ない政治家なのに、軍備予算を削減したことで、青年将校の刃にかかってしまった。先日小金井公園にある移築された高橋是清邸に入って感動しました。大河ドラマ韋駄天で、ショーケンが、高橋是清を演じ、まさに遺作となったシーンなのですが、まさにそのシーンは、ここでロケをしたのを覚えていました。
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組織は、モチベーションやプライドが高ければ、高いほど、反動としての不満も高くなる。

226事件は、日本の陸軍の若手将校たちが1936年に引き起こしたクーデター未遂の出来事です。これは大きな組織内での「派閥争い」の一つの例です。以下に簡単に説明します。

1. 指導層と下層の断絶
当時、若い将校たちは上の人たち(指導層)が何を考えているのかを理解できず、信頼関係が築かれていませんでした。普通の組織では、指導者とメンバーがコミュニケーションを取り合い、信頼し合うことが重要ですが、その関係が壊れていたのです。これにより、若手将校たちは自分たちの思いを実現しようと強引に行動しました。

2. 組織文化の欠如
陸軍の中に、きちんとした価値観や文化が育まれていなかったため、若手将校たちは暴力に訴えることが許される雰囲気を作ってしまいました。組織の内部での士気や倫理感が低下してしまい、暴力行為を正当化してしまったのです。

3. 合意形成の不在
組織では、みんなが意見を出し合い、合意を形成することが大切ですが、この事件ではそれができませんでした。特定のグループが自分たちの理想を無理強いして、他の意見が無視されるような状態になりました。結果、結束が失われてしまったのです。

4. リーダーシップの分散
組織の中で誰がリーダーかがはっきりせず、各将校が自分勝手に動くことが許されました。これにより、組織全体としての方向性が見えなくなり、最終的には分裂を招く結果に繋がりました。

5. 外部環境への適応力不足
226事件は、当時の日本が置かれている国際的な状況や時代の流れにうまく適応できていなかったことも影響しています。組織が外の環境に目を向けず、自分たちの内部問題ばかりを考えることで、外部からのプレッシャーに対処できなくなりました。

226事件は、組織内部のコミュニケーション不足やリーダーシップの欠如、文化の不在などが重なり合って引き起こされたもので、現代の組織にとっても重要な教訓があります。全員が協力し、意見を尊重し合うことが、強い組織を作るためには不可欠です。

さらに具体的に説明すると

226事件は、1936年に日本の陸軍の若手将校たちが政府を転覆しようとしたクーデター未遂の出来事です。これは、当時の政治情勢や軍の内部事情が絡み合った複雑な背景を持っています。以下に、事件の前に起きた満州事変や石原莞爾の影響についても含めて、説明します。

1. 満州事変とその影響
満州事変とは、1931年に日本の軍隊が中国の満州地域を占領した事件です。この事件は、石原莞爾という若い陸軍の将校が主導的な役割を果たし、自分たちの判断で行動しました。彼はこの行動によって英雄視され、多くの若い将校たちが彼のように、軍の力で国を動かしたいと考えるようになりました。これが、下層の将校たちの「自分たちの手で政治を変えたい」という気持ちを高める要因となりました。

2. 指導層との断絶
226事件が起こる頃、若手の将校たちは上司や政府の指導層と距離を感じていました。彼らは、政治の決定に参加することなく、ただ命令を受けるだけの立場であったため、憤りを感じていました。このような不満が彼らの行動につながりました。

3. 組織文化の変化
満州事変を経て、若手将校たちの間に「軍の力が最も重要」という価値観が育っていきました。このため、暴力的な手段がとられても許されるという雰囲気が生まれました。彼らは、意思統一や合意形成を無視し、自己の理想を実現しようとする傾向が強くなりました。

4. 合意形成の欠如
226事件の計画には、多くの若手将校が参加しましたが、彼らの間にもしっかりした合意はありませんでした。政府をどう変えるか、どのように行動すべきかについて、それぞれの思いが異なっていました。強い仲間意識はあったものの、具体的なビジョンが欠けていたのです。

5. リーダーシップと適応力の不足
事件を起こした若手将校の中には、リーダーシップを発揮する者もいれば、各自が好き勝手に動く者もいました。リーダーが一人ではなく、組織内での役割分担が曖昧であったため、全体としての方向性が見えなくなってしまいました。また、国際的な情勢や世の中の変化に適応できず、自分たちの内部問題ばかりに焦点を当てていたことも、大きな問題でした。

226事件は、満州事変の影響で生まれた若手将校の英雄視や、内部のコミュニケーション不足、リーダーシップの欠如、組織文化の不在が重なって引き起こされたものです。この事件からは、組織におけるコミュニケーションやメンバー間の信頼、リーダーシップの重要性が学べます。全員が協力し、意見を尊重し合うことが、強い組織を作るためには不可欠です。

組織におけるコミュニケーション不足やリーダーシップ、合意形成の欠如は、いつの時代でもどんな組織でも起こります。これをAIを活用したグループウエアが存在すれば、ある意味、こういう組織の劣化や誤解に基づく悲劇はおきなかったと思います。

次回、どういうシステムがあれば、このような悲劇が生まれなかったかを説明します。

2025年02月26日

2.26事件とAI 前編

今年、226事件が起きて89年になります。

226事件は1936年に起きました。
三島由紀夫が11歳のときでした。

三島事件は、1970年に起きました。
私が10歳のときでした。

三島が11歳の時の226事件の体験談をどこかで読みましたが、
自分が三島事件を小学四年生の時テレビで見た感覚とどこか共通してる、
と感じました。

226事件は、日本の軍部が政治に深く関与し始めた時期に起きた重大な事件です。

根本原因
1. 経済的不安、昭和恐慌による桁外れの経済的困難が背景にありました。農村部の貧困や失業率の高さが社会不安を増大させました。
2. 政治腐敗と不信、政治家たちの腐敗と政策の不透明さがあったため、国民や軍部は政府に不満を募らせていました。
3. 軍内部のイデオロギー対立、陸軍内では、天皇親政を望む革新派(統制派と皇道派)と、その手法に異を唱える勢力との間で対立がありました。青年将校は強硬な改革を志向する皇道派の影響を受けました。

結果
政府高官の暗殺 高橋是清大蔵大臣、斎藤実内閣総理大臣などが暗殺され、一時的に政府の機能が麻痺しました。
クーデター失敗  青年将校たちの動きは最終的に失敗に終わり、多くの首謀者が処刑や重罰を受けました。

政治への影響
1. 軍部の影響力強化 事件後、政府と天皇制に対する軍部の影響力がむしろ増す結果となりました。軍部が政治的な影響をさらに強めていくきっかけとなりました。
2. 統制派の台頭 陸軍内でより現実的な統制派が勢力を伸ばし、組織としての結束や政治的な影響力を高めました。

陸軍組織の欠陥
1. 上下関係の不明確さ 当時、陸軍内では若手将校の自主的な行動がしばしば許容され、組織的な統制が弱かったことが、こうした事件につながりました。
2. 教育の偏り 陸軍士官学校での教育がイデオロギー重視であり、政治的慎重さや法の尊重が欠けていました。
3. 内部対立 陸軍内での派閥対立が激しく、組織内のまとまりに欠けていたことも影響しました。

なによりも、明治維新以降、日清戦争、日露戦争で、日本は、奇跡的に大国に勝ち、
日本国民そのものが軍人を過度にリスペクトし、最終手段は、戦争で解決すればいい、という雰囲気が国内に蔓延したいたようです。

陸軍士官学校も、海軍士官学校も帝大以上に難関と言われ、青年将校は最高のエリートとして将来を嘱望されていました。

2.26事件は、政治を暴力で動かす結果となり、米国との開戦に、歯止めをかける政治家がいなくなった要因にもなりました。

昭和天皇独白録では、昭和天皇は、太平洋戦争の開戦を止められなかったのは、もし止めていたら、自分は暗殺され、さらに国家は収集がつかないものになっていたであろう、と証言しました。

実際、2.26事件の首謀者安藤大尉は、クーデターにより、自分と仲が良かった秩父宮を立てようとしたようです。

昭和天皇が、2.26事件の勃発で、激怒したのは、そのことが念頭にあったと推察されます。

大きな組織にいると、派閥などの政治力で動くこと組織が古くなるほど大きくなります。

そもそも国力が米国の10分の1しかないのに、開戦時には、陸軍が北進して、中国やロシアと戦い、海軍は南進して、イギリスやオーストラリアなどと戦いながらの開戦では、どんなに大きい国家でも勝てるものでも勝てません。

組織は70年で劣化すると言われています。1917年に革命で生まれた
ソビエト連邦も1987年に崩壊しました。

中国共産党も1948年に中国本土統一して、2018年ごろから行き詰り始めました。

日本もすでに戦後70年です。

組織の劣化が派閥争いや、組織内論理で行動するようになり、70年で亡ぶのです。
組織の劣化こそ、AIによって防げるのではないか、と考えます。

次回はそのことについて話します。

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