2017年11月08日

ナナミの予言

最近気づいたことですが、2011年3月24日発売の「教えてナナミDS」のストーリーが、かなりリアルに現実味を帯びてきました!

http://www.media-5.co.jp/ds773/index.html

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3月11日をすぎているので、このくらいの想像はできるかもしれません。

しかし、このサイトを作ったのは、もっと前です。

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2011年1月11日にこのホームページを作りました。

早いもので、「教えてナナミDS」を発売して、六年が経ちました。
ナナミの「日本分裂」まであと四年です。

次の東京オリンピックが終わり、その反動となる2021年・・・

問題なのは、東日本です。

もしかして、立ち入り禁止地区になってるかも・・・

ナナミの予言が当たらないように、みんな勤勉勤労で、前向きに生きましょう!

2017年11月07日

いまこそ南朝スピリッツを!

前回のブログで、いかに、新自由主義が進行し、貧富の差が大きくかわっていきていか、という話をしました。

この流れをわれわれ庶民が止めることはできないでしょう。

それを踏まえて、大企業や官庁に属さない、もちろん数少ないエスタブリッシュメントに属さない、庶民の我々はいかにして、いきることができるでしょうか?

それこそ、いまから660年前に存在した南朝の生き方こそ参考になると思います。

武力で敗北し、吉野の山奥に隠棲した南朝の人々は、つぶされもせず、やがて北朝に吸収されながらも、隠然とその存在を保っていました。

なぜ、南朝はつぶされずに、残ったのでしょうか?

まず、権力は常に一枚岩ではないからです。

巨大な富や権力をにぎった人は、こんどは、守りに入らなければなりません。
そうなると、色々なところから亀裂が生じるのです。

足利尊氏は、弟の足利直義や息子の直冬と分裂しました。

時がたって、応仁の乱でも、東軍と西軍で分裂しました。
その西軍も、うまく南朝の皇子を担いだりして応仁の乱は十年も戦が続き、
京都の町は灰塵に帰したのです。

なぜそうなるか、というと、各領主も、家督相続もめる場合が多いのです。

家督を勝ち取れなかず、幕府に認められなかったものは、反旗をひるがえして謀反をおこします。そのときに、反権力である南朝を担ぐのです。

そのようなことで、室町幕府は安定せずに、とうとう、戦国時代へ突入し、織田信長が台頭するのです。

信長は、天下統一には南朝の一掃が必要と感じ、三重や浪岡の北畠一族を根絶やしにしようとします。

それはまさに、的を得た戦略だったのです。


まず中間層の減少と貧困層の拡大を利用して成功したビジネスが、ユニクロと百円ショップのダイソーです。

若年層の貧困化を利用して拡大したのは、無料通話や無料ゲームで、顧客層をブレイクしたラインやグリーやミクシー、DeNAです。

ソフトバンクの孫社長は、ビジネスはインフラを狙わないといけない、と言ってます。

洋服も、百円ショップも、ゲームも、スマフォも生活で常に購入しなければならない、見えないインフラなのです。

われわれは、巨大なマスなインフラをつくるのではなく、小さいお客様でもニッチなインフラ供給をめざさなければなりません。

たとえば、よく昔、学校のそばには、駄菓子屋がありましたが、おなかのすいた生徒にとっては、お菓子を調達するインフラなのです。

室町時代の南朝は、家督相続やお家騒動で負けた人たちの敗者復活のインフラだったのです。

どのようなところにも、思いもよらない「マーケット」は存在しているのでしょう。

2017年11月04日

世界的経済の縮小期におけるわれわれ庶民の生き方

会社を起業して25年が経ちます。あっという間でした。その間、ビジネスの柱は何度も変わりました。

最近言われることは、よく25年も続けられましたね、といわれます。

周囲から見れば、経営を継続することは褒められることかもしれませんが、経営者にとっては、継続することは当たり前で、利益を出すことのみが義務なのです。

25年は一瞬に過ぎ去った感はありますが、本当に苦労の連続でした。

前にも出しましたが、現在は世界的な景気縮小期です。
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なにまた悲観的なことを言ってる、米国株は最高を更新しているし、日本株だって久しぶりに、2万円台を超えているではないか、といいますが、やっぱり、市場的にはおもいっきり縮小傾向にあるわけです。

日本経済も、人手不足で、株高で景気最高となっていますが、実際は団塊の世代が思いっきり定年で、しかも少子化による若手不足が、そのまま人手不足になっているのです。

団塊の世代がさらに、高齢化すると、お金をつかうのが、シルバー産業、介護施設、病院になるわけです。

それ以降はおもいっきり、市場はシュリンクの加速度を高めています。

ビジネスで、成功する可能性はさらに少なくなりつつあります。

経営の基本は拡大再生産です。それには、売れる商品か、売れるコーディネート力か、市場が絶対必要としているものが必要です。

そしてそういう利益の源泉をもたらすものは永遠ではありません。


そして統計的には、10年で1割が残り、30年では0.3パーセントしか企業は生き残れません。

生き残る可能性が高いのは、社員もおらず、1人で、しかもオフィスも自前で用意できるばあいです。

零細企業ではそうする会社が多く見受けられます。

なぜか?情報化社会が進み、インターネットが完全な生活インフラとなり、AIが発達しはじめ、金融から中心に、さらなる新自由主義が進み始めたからです。

いまや、グローバルスタンダードとなっている、新自由主義は、グローバル企業に必要な中小企業以外はすべて消滅させ、市場を一極集中し、1パーセントの資本家と、10パーセントの正規雇用者と、90パーセントの非正規雇用者からなる世界を目指しています。非正規雇用者は、生活必需品は、なるべく安価に供給され、娯楽は無料になることで、日々の生活での不満は解消されます。

資本主義が成熟すると、労働者は無料で生活必需品は供給されるというマルクスの予言はけっこう当たっています。ただ、資本家が消滅する、ということは、根本的な間違えでした。

つまり、新自由主義とは、10パーセントの企業と人で経済を運営する、というしくみです。現在の経済規模が、金融市場を中心に、30年前の10倍以上になっている現状を考えれば、至極当然の理論といえましょう。

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米国ではそれに近くなりつつあり、それに異を唱えたドナルドトランプが、米国大統領になりました。

米国に政治的にも経済的にも依存度の高い日本もそれに近づきつつあり、大企業の従業員と公務員、医者などが特権階級として存在し、中小企業の経営者や従業員、非正規雇用者の収入は減り続けています。

勿論、日本の政府も官僚も、新自由主義へ進むことを意図的に容認しているわけではありません。必死になって中小企業を残そうとする努力はしています。それは税金を確保する上でも中小企業の割合が多いからです。ただ、米国経済、とくに金融に依存する国内の経済事情では、それを食い止めることができないのです。

米国経済は、というと、トランプ大統領になり、新自由主義への歯止めはなかなかかからず、しかもその上に今度は戦争経済が台頭し、しかもアメリカンファーストで象徴されるように、ブロック経済化が行われる可能性が高くなりつつあります。

それは日本にとっては、さらに窮地に追い込まれる高い可能性を秘めています。

さらに、人工知能が発達すればするほど、経済格差はさらに広がります。まずは金融市場で、明確にそういう状況が起きました。

前置きが長くなりましたが・・・・

その中で、我々庶民が生き残れる最大のポイントはなにか?それは、勿論当たり前のことですが、お金をだしても絶対欲しいものやサービスを提供することです。提供にも、自分たちでつくる提供と、他社や他人が作ったものを提供することと二種類あります。

そしてより、様々な企業との有益なタイアップが必要でしょう。個人的にも有効なパートナーシップが必要です。

それをみつけるのは大変です。

自分の仕事の前に立って、お客様の気持ちになって、本当に自分の商品が欲しいか、欲しくなければ、どうしたら欲しくなるか、そこをつきつめることが大切ですね。

私も10年前に作った、則天という、人材育成型グループウエアの社員の日報をひっくり返してみながら、日々反省を続けております。

2017年08月19日

フーテンの寅さん

今年の正月、たまに放映されるお能を録画するために、ビデオデッキを買いました。

今は、スマフォで録画予約から再生までできます。

そんなことから、時間を持て余す電車の中で、スマフォでテレビの録画予約をします。

また録画したものを、スマフォやタブレットでベッドの中や、wifiのつながるところでちょくちょく見ています。

いままで、あまりテレビや映画を見る習慣がなかったので、世の中の有名な映画を結構みるようになりました。

なぜか、最近は渥美清のドラマ、ドキュメンタリー,男はつらいよなどがよく放映されています。

男はつらいよは,渥美清が死ぬまで、48本も作られました。

まさに国民的映画です。

大学浪人のころ、恒例のお正月のテレビ番組で、この寅さんを見て、はじめて組織に属さない自分を同化し、面白い中に、寂しさを感じたのを覚えています。

高度成長期から平成の初めまで、石原裕次郎や加山雄三などの青春路線,高倉健や菅原文太のアウトロー路線、森繁久彌やクレージーキャッツ、そして渥美清に代表されるお笑い路線と、国民的映画はこの三つ巴でありました。


急拡大する日本経済の中で、裕次郎や加山はスマートに成功するおしゃれな勝ち組,やはり経済成長を裏稼業で稼ぐアウトローに比べ,寅さんは不器用で、そういう経済成長から取り残される下町の、本当に日常にあるような可笑しくも、ちょっと寂しい人情劇です。


今日ある勝ち組のオピニオンリーダーが、ユーチューブで講義をしているのを見ましたが、100万人の頂点に立て,という話です。

でも、クラスでもなかなか一番になれないのに,会社でもなかなか一番になれないのに,100万人の頂点に立つなんて、ほぼ100パーセントできないですよね。


でもリスナーは元気になるそうです。これは、僕はまやかしだとおもいます。

ひとはなかなか勝ち組にはなれない。でも寅さんのようにはなれるかもって思います。

おとこはつらいよは、1969年からはじまり、渥美清がなくなる1995年までじつに26年続きました。

どんなに社会を一世風靡したように感じても、石原裕次郎の青春ものも、1957年から67年くらいまでの10年、高倉健の任侠ものも1963年から70年、菅原文太のトラック野郎にいたってはたった5年程度です。

男はつらいよに続くのは、1981年から2001年までのドラマ「北の国から」の20年でしょう。

ヒーローものより、一般の等身大の人の映画がスーパーロングランになるのでしょう。

先日、あるユーチューブに100万人に一人になれ、というある先生の啓蒙ビデオを見ましたが、100万人に1人になるには、100万分の1、つまり、不可能ということじゃない、と思いました。

そういう啓蒙のしかたはあまり賛成できません。

そういえば、高校生のころ、トルストイが、小説でも音楽でも劇でも英雄や王侯貴族の芸術は新の芸術じゃない、等身大の民衆のなかから出てくる芸術こそ、もっとも価値がある、ということを言っている芸術論を読んだことを思い出しました。

ああ、トルストイがいってるのは、フーテンの寅さんのことなんだ、と今思い至りました。

私も少しでも、そんな教材が作れたらいいな、って思う今日この頃です。

2017年07月25日

銀座の恋の物語と現代

先日、石原裕次郎特集で、「銀座の恋の物語」という映画をダビングしていたので、ちょっと見てみました。

主演は、石原裕次郎と浅丘ルリ子です。この二人については、石原慎太郎の「弟」や浅丘ルリ子の私の履歴書で読んでいるので、結構人物の背景は理解していました。さらに小樽にある裕次郎記念館にも行ったので、裕次郎という人となりも感じるものがありました。

裕次郎というと、西部警察や、太陽にほえるという単純娯楽路線のドラマが有名ですが、記念館に行って、実際、彼が書いた絵や、趣味のものとかを見ると、繊細な芸術家肌のように感じました。

話はずれましたが、この銀座の恋の物語ができたのは、1962年です。

映画としてみる関心は、あまりないのですが、当時の社会現象的な大ヒットしたこの映画を、当時の社会の記録とみると、とても面白いものがあります。

ぼくも5歳くらいから映画に登場した松屋デパートに母に連れられた記憶があるので、なんとなく舞台の雰囲気はわかります。当時は傷痍軍人が白い服を着て座って、四丁目交差点とかで座ってアコーディオンとか弾いてたのをなんとなく覚えています。

ただ、銀座は、あまりにも今とはかけ離れて、規模の小さい町であったことは確かです。

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米国はこの時から、ダントツの経済大国でしたが、日本は他国とほぼ同じで、1970年代に抜きんでるので、1962年はまさにこれから、っていうときです。一人当たりの所得もこの時、年間13%の伸びで、1974年の28%増をピークに、うなぎのぼりに国民所得が増加していく時代でした。

1965年に東京オリンピックがありましたから、ちょうどその三年前です。敗戦より20年が経ちました。

今年も、オリンピックの三年前ですので、比較すると面白いですね。1985年のプラザ合意を起点として、1990年経済の失速が加速し、米国に経済で敗北し、早20年、ちょうど、1962年とおなじ立ち位置にいます。

しかし、3年後にオリンピックがあろうとも、もう1970年代のような経済の急成長はありえません。

理由は急速に人口が減少するからです。
米国もヨーロッパも人口は増加するのに、日本の人口減少は日本経済にとって経済に重大な影響を及ぼします。

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銀座の恋の物語の時代は、急速に人口も経済も成長する時代です。

現代は急速に人口も経済も縮小する時代です。

当時は、浅丘ルリ子演じるヒロインの目の前で、両親が空襲で火だるまになって死んでいくトラウマを抱えている、というような傷は、現代の日本人には多くはありません。

確かに東日本大震災は、日本人全員に大きな心の傷を残しましたが、死者の数字では、先の敗戦で民間合わせて312万人なので、それはそれは大きなことだったでしょう。


私が生まれた1960年は、東京空襲や原爆からたった15年しか経っていません。
いま、敗戦から70年以上経ち、今の時点から見ると、私が生まれた1960年は、限りなく戦争時代に近くなりました。

子供のころ、原爆の物語や空襲の絵本を見ると、かぎりなく昔のできごとのように思えていたのですが。

私たちは、生活する時代の流れの中で感じる感覚と、経済力を現す数字の上で見る感覚と、立ち止まって昭和を振り返ってみる感覚とでは、実に大きくずれているのがわかります。

石原裕次郎特集は、そのずれを気づかせてくれるうえで、一見の価値はあるとおもいます。

2017年07月01日

仙洞御所

先日、京都出張のついでに土曜日、京都を散策しました。

まず出町柳で降りて、妙音観音堂という出町柳のお堂をお参りしました。
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(妙音観音堂)

この近くは、北畠発生の地であることを、5年前、急な雷雨で雨宿りついでに入った本能寺に展示してあった、中世の古地図で見つけました。
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(中世古地図)
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(google map現代地図)
それ以来京都へ来ると、近くにある妙音堂にお参りにきております。
もっとも、この妙音堂を建てたのは北朝の公家の筆頭である西園寺家なのですが。

通り道に、鯖バッテラのお店があり、三貫だけの小さなお寿司のお弁当を買い、それを食べようと京都御所に行ったら、立派な門の前で、なにやら警察官立会いの元,キャンペーンのようなことをやっていました。近づいてみると,仙洞御所を当日拝観できる,という受付でした。僕はこれは、と思い、3時半の予約をしました。

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(京都御所)

僕は今から25年前桂離宮を拝観し、今度は仙洞御所に行ってみたいなって思いながら、あっという間に25年が経ってしまっていました。本当に浦島太郎のような気持ちです。

なぜ、仙洞御所に来たかったというと、隆慶一郎の「花と火の帝」という後水尾上皇を主人公の小説を読んでいたからです。

この25年は、人様以上に激動の25年だったはずなのに,いったい何をしてきたのだろうか?記憶がない。ないといえば嘘になるだろうけど、光陰矢の如しでもう五十代を半ば過ぎた自分がいます。

仙洞御所は、退位した天皇つまり、上皇が住まわれる御所を意味し、京都御所内にあるこの仙洞御所は、ご水尾上皇が建てたそうです。

そのほかには、光源氏のモデルといわれた源融が、光源氏のような屋敷をつくり、源融が亡くなった後、その息子が、宇多天皇に隠居後の御所として進呈したのも、当時、仙洞御所といわれていました。いまは東本願寺所有の渉成園として残っています。

大覚寺も亀山天皇が上皇になったとき、移り住んだので、仙洞御所と呼ばれたのでしょう。

最近では、今上天皇が退位した暁には仙洞御所に住んで欲しいという嘆願が京都市民よりあったそうですが、今上天皇は早若き日に住まわれていた東宮御所をご所望とか。

仙洞御所は、明治時代にすでに焼けて、もう一度再建しなければならないことを考えれば当然のご判断でしょう。再建するにはそれは莫大な費用がかかることでしょう。


さて、まずは、醍醐寺へ二年ぶりにお参りに行きました。醍醐寺はよく行くお寺で、春の桜も、秋の紅葉もいきました。特に春の桜会結願柴燈護摩法要は偶然に、立ち合えてよかったです。夏のこの季節は、とりたてて繁る青葉以外に特徴はなく、だから訪れる人も少なく、そのおかげで、実に静かにお参りができました。
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(醍醐寺庭)

醍醐寺からまた取って返し、地下鉄東西線で烏丸御池で降り,途中応仁の乱の二年前から京都で商いをしているという尾張屋という蕎麦屋で蕎麦を食べ仙洞御所へと戻りました。そのお蕎麦屋さんの今の当主は16代目と言います。

僕も人生 の半ばから後半に入ろうとしているわけですが、こんな感じの時間の感覚を15代遡ると,大河ドラマの花の乱の舞台の応仁の乱が繰り広げられていたのですね。これから行く仙洞御所を作った御水尾上皇は10代前くらいなのですかね。

歴史は本当に無常に、光陰矢の如しで過ぎ去ります。自分の過ごした50年もあっという間なので、これが10回続いてもあっという間でしょう。

「火と花の帝」は、後水尾上皇の生涯を、徳川幕府に屈服した悲劇的な人生として描いていました。しかし、この壮大な御所を見ると、とてもとても栄華を極めた人生としてしか思えません。

確かに後水尾上皇は、天皇の後継に、自分の望んだ後継を幕府に認めてもらえず、抗議の意味を含めて退位しました。

しかし、退位後も数多の愛妾に囲まれて、光源氏以上の暮らしをしてきたのだから、それはそれは一介の庶民とは比べるものではないでしょうが、実に羨ましいかぎりです。

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(仙洞御所手前の京都御所南にある九条家茶室)

確かに足利義満の金閣寺から比べれば、地味かもしれませんが、孫の義政の銀閣寺に比べれば、格段の規模とグレードです。
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(仙洞御所)

上皇の奥方が、上皇がなくなったあと移る大宮御所は、現在では、外国の要人の宿泊所になっているそうです。
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(大宮御所)
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(要人宿泊施設)
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(宿泊施設から眺められる竹林)

外見は、いかにも江戸時代に建てられた御所そのものですが、中は洋式だそうです。

この年になると、人の一生は、ほんとうにはかない、一瞬のものだなあって感じます。

能を見る時間が日増しに増えていくのも、あっという間に過ぎ去った人生を、霊界から見る劇だからでしょう。

そういえば、仙洞御所内で、在原業平の屋敷跡というのがありました。業平は、当時超イケメンで、伊勢物語の主人公といわれており、伊勢斎宮との密会事件を起こしたり、能の筒井筒という演目にも登場します。

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(在原業平屋敷跡)
本当に、若いころは、人生の長さに、ゆとりや希望を持ちますが、五十も半ばを過ぎると、
邯鄲の物語のように、人生が、午睡の一瞬(昼寝のようにちょっとした時間)であることをつくづく感じます。

仙洞御所は、そういう趣を漂わせる庭園でした。

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(仙洞御所 茶室)
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(茶室からの眺め)

北畠親房の晩年の歌に
「嘆けとて 老いの身にこそのこしけめ あるは数々あらずなる世に」
というのがあります。
これは、自分だけが生き残って、何時も思うのは、もうこの世にいない人のことばかりだなあっていう心境を読んだのでしょう。

親房は61歳で他界したので、肉体的には、その歳に近づきつつあります。しかし、当時の平均寿命が50代と考えると、今の80歳くらいの心境なのでしょう。
親房の老境をうたった歌をほかにも紹介します。

山深く 結ぶ庵もあれぬべし 身のうきよりは世を嘆くまに

幾里の 月にこころをつくすらむ 都の秋をみずなりしより

昔みし 平野にたてるあや杉の すぎにけりとてわれなわすれそ

いたずらに 過ぎる月日をせめてなど まてとばかりも契らさりけむ

かよいこし 人は軒ばの夜はの月 たのまぬ松の木のまにぞみるえる

年へし 波の枕のよるの夢 さめれば花のうてななりけり

小山田の 猪苗代水のひきひきに 人のにごる世ぞうき

幾里の 月に心をつくすらむ 都の秋をみずなりしより

これもみな わすれがたみになりぬべし 思いのほかの柴のかり庵

僕も老境がひたひたと近寄ってきた証なのでしょうか。
テラスで、休日は、ささやかな坪庭づくりに、興じております。
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2017年04月25日

次にくる需要革命すなわち生活者の革命とは?

それでは、次にくる需要革命、すなわち生活者の革命とは、どのようなものでしょうか?

われわれは、まず10年後の2027年をイメージしてみましょう。そしてさらに10年後2037年後を想定してみましょう。

まず、今進歩しつつある人工知能について考えてみましょう。

人工知能の構造は、パターンをなるべく多く記憶させ、具体的には、正解といわれる事例をたくさん記憶させ、判断すべき事象を、そのパターン群から類似、もしくは一致するものを選び出し、それを正解としてアクションをおこさせる、という仕組みです。

人工知能が発達すればするほど、より擬人的なロボットが出てくるのは明白です。

たとえば介護ロボットを作れるとします。

ある一人暮らしの寝たきり老人がいるとします。その老人が介護ロボットを雇います。

おなかすいた、と老人がいうと、ごはんを作って口に運んでくれます。トイレ、というとしびんやおむつをとりかえ、洗浄もしてくれる。もしくはトイレに運んでくれる。

さびしくて話しかけると、ロボットは実にきめ細やかに理想的な会話をしてくれる。

具合が悪くなれば、すぐに救急車を呼んでくれる。

これを、人間がやるときのデメリットは、人には感情があるので、優秀な介護をする人をさがさないと、本当に老人はつらいことになります。近年、介護老人ホームで老人の虐待が事件になったりしますが、そういうことはロボットにはありません。

おそらく教育でもそうでしょう。家庭教師を頼むより、言葉を認識するロボットが教えてくれるほうがより、優秀な先生でしょう。

仕事を管理監督指導するのもロボットがおこなったほうがいいかもしれません。

それでは人間がロボットにとってかわられないことはなにか?

まずトップの決断。これは、ロボットを利用して新しい目的を実現するのだから、トップつまり社長の決断とか、教育だったら親の決断とか、そういうものは、まずはロボットにとってかわられません。


こういう社会になることで、人間はどう変わるのか?教育とか、労働とか、人間にとって努力と苦痛が伴うものが、苦痛なく楽しく生産活動ができるようになるでしょう。

それは、人々が、競争原理に従って勉強したり、働いたりするのではなく、協調によってより付加価値をたかめ、楽しく人生を起こる社会の実現につながるのだと思います。


情報化社会は、豊かな中間層が7割以上もいて、そして仕事の時間も短く、あえて、楽しく貢献的に消費をおこない、また個人個人が仕事での投資も含めた生産活動をすることによって、よりみんなが豊な社会が実現されるのです。

経済の流れはより豊かにより活発にながれることが、みんなも潤すのです。決して一部の独占と中間層の消滅、貧富の差の拡大は富を持つ層の富すらも奪いかねないのです。

とにかく中間層を厚くして、経済をより活発に回すことが、富裕層にとっては、もっとも大きく儲けることができるのです。当然のことに中間層も下層も豊かになれます。

歴史は繰り返す、というなら確実にこの後、大きな戦争がきます。


しかし、人類が賢くなり、戦争を起こさなくても、情報化社会への需要マーケットの移行がスムーズに起こせれば、戦争は回避されます。


需要革命は、教育によって行われます。よりここちよい、でもしっかり知識や技術や思考を身に着けて、いままでにない仕事へと変化させる、そんな状況が拡大していけば、需要革命は起こると確信しています。

詳しくは、2008年に書いた拝著「究極の経営」をお読みください。

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あれから9年経ちますが、まったく修正のいらない内容と自負しております。

でも売れませんでした。(≧◇≦)

売れない古い本の宣伝で ドーモスミマセン!

2017年04月22日

次に必要なのは需要革命

昨日、NHKスペシャル「欲望の資本主義」というのを見ました。

とても素晴しいドキュメンタリーでした。

まず、冒頭で、米国のノーベル経済学者スティッグリッツが象徴的なことを話しました。

今の経済の問題は、総需要が不足し、その結果世界経済が減退している。
その根本的問題は、不平等。

つまり、富の集中によって、中間層がいなくなり、一局の金持ちに金が集中すること。

金持ちは貧乏人より金を使わない、ということ。

ここからは、私(北畠)の考え

だからこそ、中間層を増大させることが、経済発展に必要です。

そしてそこには限界があります。

人の欲望は、まずは衣食住という生活根本の欲望(需要)の消費に向かいます。

それが工業化社会の経済成長につながります。

まずは、産業革命後の欧米日本の産業の発展。それにいきづまり、世界大戦へと発展していきました。

次に、第二次世界大戦後の欧米日本の産業の発展。現代的な、自動車、洗濯機、冷蔵庫、テレビなどの現代的な家電の普及にともなう産業の発展。これは、日本がリードして、でも1990年代から行き詰り始めました。

つまり1800年初頭から始まった産業革命は1900年ころからアメリカを中心に自動車が庶民が乗るようになり、欧米日本に至っては、1950年までまたなければなりません。

つまり工業化社会が庶民生活に根付くには100年から150年かかったのです。
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1995年、クリントン政権における、ゴア構想、つまり情報スーパーハイウエイ構想が実現されると、インターネットを中心とする情報革命がおこりました。

この情報革命で、最も大きいことはBRICSといわれる、つまりブラジル、中国、ロシア、インド、中国、欧米日本以外の大国の経済成長をおもいっきり助長しました。

確かにかつて日本が、そうであったと同じように、人件費のやすさ。から世界の工場と言う役割で経済発展してきました。
しかし経済発展のもっとも大きなものは、国民が生活の現代化と呼ばれる自動車、冷蔵庫や洗濯機やテレビそして住宅などの購入です。

それが、ブリックスの経済発展に大きく貢献しているのです。

しかし、全て生活の現代化を満たした欧米諸国は、需要は満たされ、しかもインターネットの発達は拡大しない需要の中で、アマゾン、グーグル、フェイスブックに代表されるように、あらゆる生活の需要を奪って行きます。

その結果、個人商店や中小企業は消え、大企業と大富豪に集中するようになったのです。

どうしてこうなるか、というと、産業革命は当然のことですが、供給サイドの革命から始まります。

とくにインターネットのビジネスは、当初は金持ちも貧乏にも平等に訪れます。
しかし、需要がついていけず、大資本家は、インターネットビジネスでの優位性を保つために、無料でユーザーに普及させることを狙います。
今日におけるネットビジネスはそこで発展してきました。グーグルサイトもフェイスブックも利用者側は基本無料です。

最もテレビやラジオもそういう側面はありましたが。そういう意味ではテレビやラジオも情報化社会の先駆けという位置づけでもいいかもしれません。

工業化社会における産業革命も、1800年から1830年ごろから始まり、まず工場などの供給サイドで起こり、それにともない、イギリスでは、機械に取って代われた失業者たちが、ラッタイト運動をおこしました。

ラッタイト運動とは、暴徒が、工場を打ち壊したりする運動でした。
今日、情報化の進行に伴い、失業者の増大をネオラッタイトと呼んでいます。クリントン政権の時の労働長官で、「ワークオブ・ザ・ネーション」で有名なロバートライシュは、早くからこの問題を指摘しました。


産業革命は1800年くらいからスタートし、供給サイドの産業革命は素早く進行したのに、大衆は、なかなかこれを受け入れられず、供給過剰から、世界恐慌がおこり、二度までの世界大戦をおこし、やっと1950年代以降に、生活の工業化社会が浸透したのです。

今、世界は供給サイドの情報革命が進み、それに伴い、需要サイドがついていけず,格差が広がり、需要不足で、経済は行き詰まっています。

まさに、世界大戦前夜の世界そのものです。


これから、世界は、戦争に突入するのか、需要革命が起きるのか、大きな岐路に立たされています。


少なくとも日本は、先の大戦で、需要拡大で戦争を選び、国家を滅ぼしました。(太平洋戦争は日本は追い込まれた、という反論はあるでしょうが、満州朝鮮中国への侵攻は、景気対策の一環という見方は明確にできます。そのおかげで、旧財閥や新興財閥は大きく昭和初期には潤ったのですから)

その経験を生かすためには,勿論、後者を選ぶべきでしょう。


2017年04月16日

思考支援ツール

先日、母校の中学校で当社の思考支援ツールを利用を活用した技術科の授業を行いました。

母校に行くのは、実に41年ぶりです。

耐震補強や内装や外装はリニューアルしたものの、作り、構造、は昔のままでした。

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雪の降った日、中庭の氷の張った池で、氷の下で泳いでいる鯉めがけて、みんなで雪をぶつけていて、先生が現れたのを僕一人知らず、取り残されて怒られたのですが、逃げたみんなを呼び出し、逆に一人池に残ってた僕が、正直者だと褒められたのが、とても恥ずかしかったのを覚えています。

私は、最初、なんの操作の説明もなく、予備練習もなく、生徒がすぐに使えるのか、不安でした。授業が始まり、iPADminiが配られ、先生が「今日は、1年生のときに作った椅子をどのような考えから作ったかを思い出して、その考えを図にしてみよう!」との号令の元、生徒がしんとして、タブレットに夢中になって操作を始めて、夢中になって自分の考えを思考支援ツールに打ち込んでいるのが、そのしん、となった教室の空気から感じました。

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そして各生徒のタブレットをのぞくと、(手元の自分のタブレットで、生徒全員の動作が見れます。)この授業のすごさが、だんだん見えてきたのです。

ご指導いただいている埼玉大学の山本先生がいつもおっしゃっている「児童生徒の思考の見える化」です。

いままでは、小中学校では、もちろん、優秀な先生は、児童生徒の思考力をつけさせるように、授業を進めてきました。

授業でまず問いかけを行い、生徒に疑問点を感じさせ、一人ひとり考えさせるのです。
どんなに考えさせても、児童生徒の評価は、中間、期末テストで、点数としてしか、評価されません。というよりできません。

ここが欧米先進国の、マンツーマン的な考える授業とは大きく異なるところです。欧米では基本ディベート中心で授業が進みます。しかし、日本は先生が授業の進行をコントロールします。


私が、20数年前、コンサルティング会社(後の日本総研)に入社したとき、研修で思考法なるものを徹底的に教育されたとき、なんて高校までの教育が無駄だったのだろう、と感じました。

幸い大学は、当時、意欲のある若い教授や助教授であり、社会科学でも法律、経済、倫理、社会学と別れた研究室での交流も多く、ディベート中心の授業が主でした。

社会に役立つためには、より考える授業が大切であることを大学卒業後に感じていました。

このコンサルティング会社の新人研修こそ、子供からやっていかなければいけないこと、と感じたのです。

しかし、日本の教育制度をドラスティックに変革することは、いまの現状では不可能です。そもそも現場の先生の権限が大きく、校長には人事権もありません。

それはそれで、素晴らしい制度だとは思いますが、とにかく方向転換することは難しいシステムです。

従来の教育システムでの問題点として、この間、日本総研と東京大学との共同研究発表がありました。日本の最高学府である東大生の任意をアンケートをとり、世の中の大学生との比較をすると、東大生はルーチンワークのみ、優れていることがわかりました。
そこで、東大と日本総研でそういう学生にいかに創造性をつくる研修カリキュラムができるか、共同研究をしているそうです。

難関大学で試験に合格するだけのテスト対策勉強を子供のころから繰り返し繰り返し行った結果、我慢強く、ルーチンワークを長時間こなすことが最もすぐれている、という結果なのです。

ハーバードやマサチューセッツ大学が世界中でインターネットで無料の大学の講義を行い、世界中の天才少年少女を集め、教育し、自国の科学や産業に生かそうとしている今日、日本の最高学府でのこのアンケート結果は非常に問題です。

私は、やはり創造性は子供のころから培っていかなければ、難しいのでは、と思います。
そこで、現状のシステムを壊すことなく、先生もすぐに導入できるように、山本教授の指導のもとに、この思考支援システムを3年前から開発しました。

従来の授業の方法は下図のように、教師による一方的な教育になりがちですが、思考支援ツールを活用することで、生徒は常に全員が思考し、それを思考支援ツールで表現しながら、インタラクティブに授業をおこなうことができます。またそれを記録し続けることもできます。

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話をもとに元しますが、

まず、生徒は、椅子を製作するにあtり、誰が座るか?予算はいくらか?材質は?どこに置くか?時間は?という言葉を並べる。

勿論みんな初めての試みなので、質的にもバラバラです。

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テーマは「椅子を制作するとき意識したこと」

生徒は、初めての思考支援ツールを触ったのですが、かなり複雑なフローチャートを、45人の生徒すべてが15分という短期間で作り上げました。

先生の操作の説明も1分程度でした。

この授業を参観して感じたのでは、技術科の授業が単に椅子を作るという授業から、生徒が社会人になった後、必要となるべくマーケティングやマネジメントの授業に、一瞬に飛躍したのです。これも山本教授の言う「思考の見える化」のなせる業であることが、今回の授業で実証されました。

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将来的には、思考支援ツールは、そのまま生徒の学習履歴として、保存できますので、それを希望高校や大学には、生徒の許可をもって閲覧させ、採用の参考にすることも可能です。

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アクティブラーニング、創造性豊かな人材育成への教育改革は、こういうツールの導入だけで、大幅に進歩していくことができる、と確信した授業でした。

思考支援ツール。ご関心のある方はこちらへ
http://www.media-5.co.jp/sikou/

2017年04月12日

井伊直虎と龍譚寺と井伊谷宮

今、大河ドラマで、「女城主井伊直虎」というのを放映しています。

相変わらずマンネリの戦国時代で、見る気もしなかったのですが、戦国時代に女城主なんていたんだ、って思ってちょっと見たら、結構面白かったので見ています。

なぜ面白いかっていうと、小林薫演じる南渓和尚の住職龍譚寺は行ったことがあるからです。そしてこの龍譚寺のとなりに、井伊谷宮という神社があります。この神社は明治に建てられたのですが、明治天皇の号令のもと、建武の新政で活躍した忠臣のちなむ場所に神社を立てて、官幣大社として国がらみで祀りました。
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(龍譚寺)
井伊谷宮は、宗良親王という後醍醐天皇の第4皇子を祀っているのです。
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(宗良親王陵)
宗良親王は短歌の達人にして、自ら武具をとって南朝のために、東日本を転戦しました。
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(井伊谷宮)
1338年、陸奥大将軍北畠顕家が戦死すると、南朝は東北奪還のため、大軍船で、常陸を目指します。しかし、途中、台風に遭遇し、北畠親房は霞ヶ浦へと、宗良親王は静岡に流され井伊道政にかくまわれ、北畠顕信は後村上天皇とともに伊勢へ戻されました。

宗良親王は井伊道政の娘をめとり、井伊を中心に信濃に勢力を伸ばし、北朝と対峙していました。

宗良親王は井伊家の菩提、龍譚寺野となりに、その墓だけを分離して井伊谷宮を、代々祀ってきたそうです。その神社が明治になって別格官幣社になったそうです。

井伊家は、南朝に最後まで忠義をつくし、井伊谷城は落城し、南北統一後は、北朝の今川家に組み込まれ、今川家に冷遇され、当主を殺されたり、戦死させたれたり、さんざんな挙句に、女当主として直虎がなり、それはあらゆるどん底の中から、徳川家康の配下に移り、井伊直政の代で徳川四天王といわれ、大出世し、徳川の譜代大名として、幕末に井伊直弼が大老として開国をしました。

井伊直政は、父を今川殺され、幼いころから、自分も今川に殺されそうになり、つぶれかかった領地を命からがら、徳川家康の傘下にはいることで、生き延び、家康が天下をとると、30万石の、譜代家臣最大の大名になりました。

1330年代に、南朝方についたばっかりに、1600年の関ケ原まで苦労の連続だったのです。
実に270年の苦労は、江戸時代に花開き、さらにその240年後、井伊直弼は開国を押し切り、暗殺され、藩も縮小の憂き目をみ、さらに江戸幕府もその7年後滅びました。

井伊直虎の物語は実に、そのどん底に近い物語なのかもしれません。一族のどん底の物語を大河にするのも珍しいかもしれません。

そうやって「女城主直虎」を見るのは面白いですね!

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