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宗教・神秘 アーカイブ

2007年09月17日

遅ればせながら、今年の春の話

毎年の桜の季節は、私の場合、家の前の神社の枝垂桜から始まります。2月くらいから藪椿が咲き始め、3月中旬くらいから枝垂桜が咲き始めます。そして2,3週間ほど咲くと、また椿だけになります。枝垂桜の散り始め、境内の地面に桜の花びらのじゅうたんができ、そこにぽつ、ぽつっと椿の花が転がっているのは比類なく美しい。私は、結城に下駄をはき、神社のお社の縁側に座り、枝垂桜を眺めながら、骨董市で買ってきたがらくたの青磁でちびりちびり日本酒を飲むのが、この時期の休みの過ごし方の定番です。

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しかし今年は、事件が起きました。枝垂桜が咲き始めた3月19日の翌朝、この境内で縊死された方がおりました。枝垂桜の下にある小さなお稲荷様の祠の軒に縄をかけたのだそうです。37,8歳の男性の方だったそうです。どういういきさつかは存じませんが、ご冥福をお祈りします。この話を私が知ったのは、1か月後だったのですが、それを聞いたとき、そういえば、この神社を題材にした短編小説があるのを思い出しました。水上勉の「崖」という初期の短編小説です。

水上勉は昭和25年ごろ、この神社の近くの農家の離れに3歳になる娘さんと暮らしていました。そのころの生活をモチーフにしたもので、主人公の「私」は会社が倒産して、その退職金で、妻と、農家の離れで暮らしていました。しかし家を買おうと、妻は新橋のキャバレーに勤めに行きました。そして高台にある神社のふもとの小さな家を買いました。しかし妻はあいかわらずキャバレー勤めを続け、「私」は毎晩終電のころ、旧中仙道を16分歩いて浦和駅まで妻を迎えに行きました。

ところがある日、妻は終電で帰ってこなかったのです。それ以来、「私」は妻の不貞を疑い、浮気現場を捕まえようと、旅へ出る、と言って縁の下に隠れていました。すると車の音がし、しばらくすると、外人と妻が睦む声が聞こえ、その声が収まったころを見計らって飛び出すと、妻は首を絞められて殺されていました。
亭主である「私」は疑われて一度は逮捕されたのですが、証拠不十分で釈放されました。しかしそれから数日後、「私」であるその主人公は神社の境内にある木で縊死していたのを発見されました。なぜ「崖」という題かというと、この地域は大宮台地の先端で、当時は崖になっていたのです。

私が小さいころ、この神社は遊び場だったのですが、まだ崖がありました。武蔵野線を作っていて、砂利が広々とした土地に山高く盛られていて、そこの上から見る夕焼けが印象的だったのを覚えています。神社は薄暗く、よく遅くまで遊んでいると、神隠しにさらわれるぞ、と周りの人に脅かされました。

まあ、ブログにのせるにはいかがなものかな、の話かもしれませんが、神社は人々の生活にかかわりながら、何百年、もしくは千年以上も続いてきました。そのなかで、人は育ち、お祝いごとをし、祈り、時として命を絶つこともあります。そうやって何百年もそこに神社があるのです。

この付近の「白幡」の由来は、平安時代、京都から清和源氏の祖である源経基が地元の郡司武蔵武芝との争いのおり、ちょうどこのあたりに陣をはったそうです。源氏の旗が白だったので「白幡」と名づけられたそうです。この神社も大宮台地の先端にあるので、おそらく出城か陣、もしくは物見やぐらなどに利用されたのでしょう。

この神社は明治に入り、廃仏毀釈のおり、近所の神社と統合されました。そのため、社が5つもあります。

以前、家の前に迎えに来てくれたタクシーの運転手さんが「この神社は百済系だな」と言っていました。本当かどうかわかりませんが、渡来の歴史にさかのぼって神社の由来を調べてみるのもおもしいかもしれません。

2007年09月29日

リスクと霊感

私は特定の宗教を信仰した経験がありません。ましてや若いころは無神論者でした。フロイスの「日本記」にも、日本の一般の人々は無神論者が多いと書かれております。年とともにすこしずつ、神社でもお寺でも教会でも、手を合わせるようになりました。漠然とではありますが、若いころから、どうも経営者といわれる人は宗教に入ったり、神がかり的な人が多いなあ、と思っていました。
また日本にはいたるところに神社仏閣があります。ほんとうに昔の人は神様が好きだな、とも思います。ただ、昔は科学が発達していなかったから仕方がないかな、とも感じました。

ところが最近、もしかして、危険に近いところにいる人間ほど、神や霊の存在を感じるのかな、とはたと気づいたのです。
そう、それは25年前のことです。
私は大学でワンダーフォーゲル部に所属していました。毎年ワンゲルでは夏合宿を行いますが、私は北海道の日高山脈ばかり登っていました。当時の日高はまだまったく開拓されておらず、「ここが日本か」と思うぐらい未開の地でした。登山道はすぐに藪でおおわれ、多くは道らしき道もなく、沢づたいに山を登り、尾根からは見渡す限り人家はなく、ここで怪我でもして歩けなくなれば、1 週間は救援隊がくるのを待たなければならないだろう、というようなところです。

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(日高山脈の尾根)

熊と出くわしたこともあります。雨の中で後輩が倒れ、動けなくなったり、岩場から転げ落ちたことも何度かあります。谷にかかる雪渓はいつ落ちるかわからず、その上を歩くか、その下をくぐるか選択して渡らなければなりません。まさに地雷原を、命をかけて歩くようなものです。こんな厳しい自然の中で山脈を踏破しようとなると、それはもう体力も精神力もぎりぎりのところでした。

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(雪渓を登る)

そんな環境の中に2週間もいると、厳しい自然の機嫌が伝わってきます。自然が絶対的な神に見えてくるのです。五感以外の第六感というものが本当についてきたように感じるのです。たとえば夜中、どんなに熟睡していても、動物がテントに近づく気配を察して飛び起きたり、滑落しても気を失いながら、崖の木の枝をつかんでいたり、それは都会の中にはない感覚や能力が備わります。そうなると、さまざまな厳しい自然の危険から身を守り、生き抜くことができます。

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(日高山脈)
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(七ノ沢カールにて)

5年前、出張のついでに土日を利用して、20年ぶりに日高に行きました。当時と変わらず、道は狭くなり、砂利になり、藪が覆い、人の気配もありませんでした。しばらくすると、当時の野性的な感性を思い出してきました。ところが、驚いたことにこの感性は、ここ最近、自分のなかにある経営者の感性に大変似ているのです。今の自分が、日高の自然以上に厳しい環境におかれているからかもしれません。
会社を興して以来、自分にとって大きなリスクをしょって会社を経営してきたことは、縄文人に戻るのかもしれない。昔はまったくの無神論者だった私が、今は特定の宗教はないけれど、神社や教会やお寺に行くと、敬虔な気持ちで手を合わせます。自分が日々社会に活かされていることを感謝します。

会社営むことと、会社に属して働くことのもっとも大きな違いは、藪の中に道を作るか、人の作った道を役目をもって通るか、の違いです。これはどちらがよいか、えらいか、という問題ではありません。役割の問題です。藪の中に道を作る人は、自分自身は、仕事ができなくてもよいのです。正確に危険を回避して道をつくる能力が必要なだけです。これこそ縄文人的能力、すなわちより強力な第六感をもっていなければならないのではないでしょうか。

理論どおりにビジネスが成功すれば、経営学者が一番成功するはずです。第六感は大きなリスクのなかでしか芽生えません。危機に敏感であると同時にプレッシャーに強いなど、生まれつきのものもあると思います。会社を興すためには、ビジネスモデルでの理論上の成立は当たり前であり、それでも成功率は3割でしょう。その3割に入るのは、経営者としての第六感と強力な「運」が必要になるでしょう。ビジネスをはじめたら何とかなる、と考えるのは、船の上から冬の海に飛び込むようなものです。暖かい船の上にいると、なんとか泳げそう、と思うのですが、実際冬の海にとびこむと、あまりの寒さにみるみる体が動かなくなり、薄れゆく意識のなかで暗い海の底に沈んでいくのです。私はなんどもそういう人たちを見てきました。

経営者でなくても責任感の強いリーダーや学者、文化人にはそういう第六感を持っている人は数多くいます。評論家の神様といわれる小林秀雄は、まさにその代表格でしょう。
その文章のなかでは、直接的に霊や神に言及することはほとんどありませんでしたが、講演のなかでは、常に霊の存在に触れていました。「神様がいるかって?いるに決まっているじゃないか」とその流暢なべらんめいで語ります。経営者はリスクを負う環境になるので、凡人でも神を感じるのでしょうけれど、そういう環境になくても感じられる人々はまさに天才なのでしょう。

そういう観点からすると、昔のその土地土地の為政者たちは大変なプレッシャーのなかにあったと思います。いつ殺されるか、いつ戦争で一族が滅亡するか、つねに命の危険にさらされているのですから。為政者たちが競って神社仏閣を建てるのは、科学が発達していなかったからではなく、常に危機と隣りあわせだったために神を感じられたから、なのでしょう。そういう観点からあらためて神社仏閣を見ると、時代時代の為政者たちの一族を率いる責任感とその重圧、恐怖がじかに伝わってきそうです。

2008年01月24日

5月22日

私は京都、鎌倉が好きです。ついでにいうと軽井沢も好きです。最近なかなか行けないのですが、その手の雑誌はすぐに買ってしまいます。昨年の秋のことですが「歴史を歩く 京都、鎌倉と北大路魯仙人」という雑誌を店頭でみつけ、面白い記事が載っていました。芥川賞作家の柳美里氏が書いていたのですが、最近、鎌倉に家を買ったそうです。占い師に見てもらったら鎌倉は戦争がよく起きるから、土地を買うのはよくない、といわれたのですが、扇が谷に大変気に入った物件があり、その占い師のいうことを無視して購入したそうです。事件は晩春に起きました。夜中に、柳氏が仕事をしていると、お子さんがとつぜん顔面蒼白で起きて来たそうです。そしてなにもない壁に向かって、「誰かいる、たくさんの人がここにいる」と硬直しながら言ったのです。柳氏はその日、つまり5月22日に、昔な何かあったんだと次の日、本屋で調べたら、鎌倉幕府滅亡の日だったのです。
P1010012.JPG(瑞泉寺境内)

1333年5月22日、後醍醐天皇は鎌倉幕府を滅ぼし、建武の親政をひきました。しかしこの幕府も足利尊氏の反乱で2年とは持たず、その後日本は南北朝という2つの政権に60年間割れたのでした。鎌倉幕府滅亡の原因は、直接の原因はマクロ的に見れば、貨幣の市場における流通量の急激な増加から地頭、荘園という従来の経済システムが急激に崩れていったこと、そして政治的には2度の元寇が国内におおきな精神的傷跡を残し、鎌倉幕府のような分権統治型政府より中央集権的政府の必要性が強まったことが言えるでしょう。
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(顕家像 霊山神社)

しかしなぜ建武の親政は2年で崩壊したのでしょう。ひとつには元の衰退により、外圧がなくなったことがあげられます。つまり国家的危機がなくなったので、中央集権的な国家を作る必要がなくなったのです。二つ目はこれが直接の原因だと思いますが、まさに後醍醐天皇のリーダーシップの問題です。

そのあたりのいきさつが良くわかる資料が残されています。側近が後醍醐天皇にあてた奏文(抗議文)です。それを残したのが、天皇の側近三房といわれた吉田定房、万理小路藤房、北畠親房の長男顕家です。側近中の側近の全員とその息子が徹底的に抗議しているのだから大変なものです。

吉田定房は後醍醐天皇が2回目に乱を起こそうとしたとき、北条氏を討つ正当な理由がない。いたずらに乱を起こせば、民衆が苦しみ、いたずらに血が流れるだけだ、と言い、北条氏に内通までしました。まさにそのとおりになったのです。

万里小路藤房は建武の親政の恩賞の配分が非常に不公平であることを後醍醐天皇に具申し、そのまま失踪しました。もっとも功績のあるものは護良親王、赤松円心、楠正成、足利尊氏、新田義貞であることを指摘し、天皇の息子である護良親王は政敵足利尊氏に引渡し、結果殺されてしまいました。また赤松円心は、はやくから北条氏に謀反し、親政誕生に大変な功績があったのに、前政権で、守護職だったものを、地頭職にまで降格してしまったのです。赤松円心は後に足利尊氏につき、足利政権確立におおきな立役者になりました。また宮中の内裏の造営も、政権が安定する前にそういうことはやめるべき、とも具申した。

北畠親房の長男顕家は16歳から鎮守府大将軍として東北の経営を任されていました。しかしもともと統治のいきとどいていない東北の地を収めるのは、並大抵のことでなく、当時の漢家(文部官僚)であった顕家は、まったくお門違いの弓矢をとって氾濫の鎮圧ばかりしなければならなかったのです。ところが、漢家であるから孫子の兵法が得意からなのか(武田信玄で有名な風林火山ののぼりは、親房顕家親子が初めて使ったのです)、いくさではほとんど負けずに軍神にまであがめられ、足利尊氏が京都を占領したとき、それを取り返したほどでした。しかし根本的な親政の過ちがなおらない中、奈良坂の戦いではじめて戦に破れ、だんだん追い詰められていきました。そのような中で下記のような抗議文を後醍醐帝に送ったのです。

1、権限を分権化すること。当時全国のトラブルや政治の裁定を全部中央でおこなっていたため、つねに裁定の滞りとずさんさが目立ち、後醍醐政権へのふまんが爆発していました。顕家は陸奥のほか、関東、九州、北陸に裁定する場所を分権化し、京都を含めた5箇所で政治をおこなうことを提案しました。

2、まず奢侈をやめ、税を低くして、民の安寧をはかるべきである。特に万理公路藤房もいったように内裏の造営はそのころの民衆の生活を非常に圧迫したようです。

3、いたずらに能力の低い人に高い位を与えることをやめさせる。そういう人は報奨金で対処すべきである。地位と報酬は別物、ということです。これは現代でもいえることですが、報酬をけちって地位を渡すととんでもないことになります。無能なリーダーほどその悪影響は大きいものですから。

4、つまらない取り巻きを作らないこと。そういう人物に大禄を支払わないこと。そして昔からの土地をもっている人にはその土地を返すこと。

5、民衆が塗炭の苦しみのなかにいるのに、酒宴やパーティーばかりやってはいけない。

6、朝令暮改をしないこと。行政をおこなうベースとなる法律、つまり「システム」はきちんと作らなければ、混乱をまねくことになります。

7、くだらない公家や官女や僧侶を重用しないこと。そして位の低いものでも有能ならば登用すること。

つまり現代的に言ってしまえば、
① 権限の分権化、②コスト意識、③公平平等な人材登用、④システムの構築、⑤公私混同の排除 の5つです。簡単にいえば、建武の親政はこれがまったくできていなかったのです。

現代の企業でもこの5つが成長と繁栄への永続の条件なのだと思います。

実は、私は「則天」の開発を進める上で、強く念頭にあったのはこの顕家の奏文です。
奏文の最後にこのような文章がかかれています。

以前条々、言(もう)すところ私にあらず。およそそれ政をなすの道、治を致すの要、我が君久しくこれを精練したまい、賢臣各々これを潤飾(じゅんしょく)す。臣のごときは後進末学、なんぞ敢て計い議せんや。しかりといえども、あらあら管見の及ぶところを録し、いささか丹心の蓄懐(ちくかい)をのぶ。書は言を尽くさず。伏して冀(ねがわ)くば、上聖の玄鑑(げんかん)に照して、下愚の懇情を察したまえ。謹んで奏す。     延元三年五月十五日従二位権中納言兼陸奥大介鎮守府大将軍臣源朝臣顕家上る
(いろいろご注進させていただいたことは、私心から出たものではありません。政治をおこなう方法、民を治めるにあたり大切なこと、お上が切磋琢磨し、優秀な部下たちがそれを実行するものです。私のような学問もまだ浅いものがこんなことを申しても恐縮ですが、今の世の中の現状を鑑みて、どうしても申し上げたいことがございました。書いたものは言を尽くさずですが、是非お聞き入れください)

北畠顕家はこの奏文を書いた一週間後、1338年5月22日、堺の石津で、20歳の若さで戦死しました。
死んでいくときの顕家の心中はいかばかりのものだったでしょうか。
あれから670年たった今でも、多くのまじめで有能なビジネスマンが、社長やリーダーに対し、こういう思いで働いていることと思います。

1333年5月22日に鎌倉幕府は滅亡し、ちょうどその5年後の5月の22日に顕家は戦死したのです。私はこの日が建武の親政の終わり、と考えます。なぜなら天皇親政は護良親王が軍隊を率い、それに全国の武家が呼応して旧政権を倒したのが始まりならば、大軍を率いて戦える最後の公家である北畠顕家の戦死をもって、南朝の求心力は失われたからです。5月22日の因果とでもいえるのでしょうか。

この日を新暦に直すと、6月10日になります。あまり関係はありませんが、私の誕生日は6月9日です。
だから5月22日という日にちょっぴり親しみを感じています。

2008年02月03日

メディアファイブ誕生秘話

それはある、研究会から始まりました。当時、住友ビジコン総合研究部(現日本総研)に属していた私は大手ハードメーカーや大学と組んで教育ソフトの研究会を主宰していました。そこに堺の教材会社の社長さんが参加しておりました。そしてそれがご縁で、その教材会社の新規事業のコンサルテーションをさせていただくことになりました。教育ソフトの開発です。初めてその会社にお邪魔してその帰り道、偶然に私と同じ苗字の地名を見つけました。そして北畠公園というのを見つけました。その奥にお墓があり、公園の3分の一をその墓の囲いで占められていました。柵の扉がしまっていたのでその前でなんとなく手を合わせながら、ひょっとしてこのコンサルティングが自分の人生を大きく変えるかもしれない、と予感しました。その墓は北畠顕家の墓でした。

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(北畠公園 顕家の墓)

顕家のことは、福島県岩瀬郡にある父の実家の村の会報誌や、父の話で知っていました。ただなぜかそのことは実家の方たちは、皆あまり話したがりませんでした。無関心なだけだったからかもしれませんが。

顕家は1318年に後醍醐天皇の側近である北畠親房の長子として生まれました。北畠家は村上源氏庶流であり、和漢をつかさどる家とされていました。以前玄象という能について書きましたが、そのなかで村上天皇が登場しています。その村上天皇を祖とし、臣下にくだされた家系が村上源氏の流れです。まあ今で言うと文部省と文化庁をあわせた役所の役人ということでしょう。顕家は1338年5月22日(旧暦)に足利尊氏方の高師直に堺の石津で討たれました。そして阿倍野の、今は公園になっているこの場所に葬られたそうです。

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(堺 石津川)
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(顕家慰霊塔 石津川ほとり)

教育ソフトの研究会は任天堂のスーパーファミコンがCD-ROMプレーヤーを出す予定にしていたので、そのフォーマットで出すことを念頭においた研究会でした。ところ任天堂は、CD-ROMプレーヤーのOEMを受け持つソニーとけんか別れし(その結果ソニーはプレーステーションを出したのです)、教育ソフトの研究会も存続の意味がなくなりました。そこで堺の教材会社の社長さんが、せっかくここまで研究してきたのだから、教育ソフトの専門の会社を作ろうよ、とおっしゃっていただき、私の勤めていた会社の了解もとり、メディアファイブは誕生しました。

ちょうど父が建設会社を役員定年で退職したのをきっかけに、社長に就任してもらいました。当初、父とは本当にぶつかりました。建設会社とソフト会社では、その経営手法が正反対だったからです。ソフト会社は大きな投資はあまり必要なく、当初、私は銀行との付き合いをあまり重要なものとは思ってませんでした。しかし父は、もちろん建設会社時代から、銀行との関係づくりを重視していました。私は当時そんな父を見て、ソフトビジネスがまったくわかっていないな、と思っていましたが、それが大変な思い違いであることを8年後に思い知らされました。2001年の9.11のときです。株価は半分になり、上場していた家電メーカーが一斉に翌年の3月に大量の商品の返品をしてきたのです。社内の社員の造反にもあい、3分の1の社員に退職され、しかも同じような会社をつくって妨害もされ、有効な手もなかなか打てず、その次の年から2年間連続して赤字を出してしまいました。こんなとき、日ごろから銀行との付き合いから、当社は運転資金に余裕があったので、のりこえることができました。世の中は本当になにがおこるかはわかりません。会社とは自分とのタイプの違い、年齢も異なるさまざまなタイプの人間がチームワークで働くことが大切であることをそのとき、しみじみ感じました。

会社登記は1993年11月25日です。実はこの日も偶然があります。先日お話した建武の親政は神武暦1993年5月22日に鎌倉幕府滅亡とともに誕生しました。神武暦1993年11月25日は顕家が陸奥将軍として仙台の近くにある多賀城についたころなのです。つまり顕家が歴史に登場する日なのです。

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(多賀城)

当時、私は歴史にはまったく興味がありませんでした。記憶力の悪い私は、大学受験の共通一次試験も最初理系志望だったこともあって、社会は倫社・政経を選択しました。ところが歴史にのめりこむようになったのは次のようなことがきっかけでした。

堺の教材会社でコンサルティングは始まり、まずどのような教科から作ろうか、ということのミーティングで、パソコンで学習するメリットをチェックしました。すると歴史は、授業などでもまず四大文明があり、縄文時代があり、奈良時代があり・・・と教科書で勉強すると、時間軸、空間軸がめちゃくちゃで、よくわかりませんでした。私は、そもそも、なんでもう終わったことを覚えなければならないのか、特に年代を覚えるなんてナンセンスだとずっと考えてきました。しかし時間軸、空間軸を整理し、時代と世界の流れを立体的に把握できれば、歴史からなにか発見できるものがあるのではないか、とそのとき感じました。

時間軸、空間軸で歴史を立体的に把握することは、本で読むのではできないことですし、しかも小・中学校だけでなく、一般の人にも教養ソフトとして販売できるので、そのような歴史のソフトを作ることになりました。それがメディアファイブで最初に開発した「ワールドヒストリー」です。ただ私は当時歴史をまったく知らなかったので困りました。本当に一から勉強しながらこのソフトを作成していったのです。

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(ワールドヒストリー)

そこで、一冊の本に出会いました。ポールケネディの「大陸の興亡」です。1500年から2000年までの大国、ヨーロッパ諸国、中国、日本、米国の経済と軍事行動の相関関係を的確につづったものです。とくに驚いたのは、中世では、中国文明がものすごく発達しており、活字による印刷が発達し、大量の書物が出回り、古くから大きな図書館がいくつもあったことです。11世紀末には7世紀あとの産業革命時のイギリスをはるかにしのぐ製鉄を生産していました。活版印刷の発明は学問を広め、広く全国から秀才を集め、官吏を登用し、その権限が強化され、それが国を富ます原動力になっている例として明王朝が栄えたことは特筆すべきことでしょう。

しかし明王朝も時間がたつにつれ、マイナスの部分も出てくるようになりました。1400年代に入ると中国も世界に目を向け、鄭和をはじめ遠征が盛んに行われました。彼らはヨーロッパの遠征者とちがって、各地の住民を略奪したり、殺傷したりはしませんでした。しかし再びモンゴルの脅威が増大してくると、そこにまわす資金を節約するために、遠洋航海は禁止されました。儒者による保守的な官僚体制は軍需を嫌い、市場経済が栄えるのを嫌い、その結果、派手な商人に干渉して財産を没収したり、軍需を切り詰めて、万里の長城などハコモノの需要創造をおこなって失業対策したり、まるで今日のどこかの国とそっくりなことをしていたのです。

もちろん功罪はありますが、400年にわたる白人優位の時代が続くのは、彼らが常にグローバル戦略をとり続けてきたことにあります。先日の、知事との懇談会でも申しましたが、日本の中小企業の最大の課題はグローバル戦略です。あの世界最強の企業、トヨタでさえも日本国内は売り上げに苦戦しているのです。

メディアファイブも、今後の中心課題はグローバル戦略です。当社のパテントは米国特許や国際特許を中心にとっております。教育こそ日本が海外に誇れるノウハウであり、グローバル化できる切り札と考えています。人材育成型グループウエア「則天」や、多機能学習ソフト「メディアファイブ プレミア」は、これだけのソフトはまだ存在しておりません。

今の日本を見ていると、この先は明の衰亡と同じ道をたどれるのではないか、と強く感じてしまいます。
経営者と政治家の懇親会でも、経営者たちはハコモノを要求します。おそらくすぐに自分たちのビジネスに直結するからでしょう。しかしなによりも今、中小企業の経営者が手がけなければならないことはグローバル化だと思います。そういう私もけっして英語が得意ではありません。自社の「英語すらすら」を、思い出しては三日坊主で英語日記をつけている体たらくです。でも英語で日記をつけ、ワードチェックをしてもらい、それを音声読み上げファイルに落とし、携帯電話やiPODに入れて持ち歩き、時間のあるときに聞いたりするのは、結構英語の即戦力になると思います。みなさんも一度お試しください。

話を元に戻しますが、私はこの「ワールドヒストリー」の製作を通じて、歴史を学ぶ意義がはじめてわかりました。いつの時代も人間は当然一生懸命に生き、様々な判断や選択で歴史的な結果になるのです。歴史を勉強することは実は人間そのものを勉強することであり、未来へのビジョンを把握するためにも大切なものなのだなあ、と強く感じました。

実は北畠親房や顕家がなにをした人かもそのとき初めて知ったのです。親房の書いた「神皇正統記」も歴史を通して未来や国家のビジョンを語るものでした。よくこの「神皇正統記」を古事記や日本書紀の焼き増しに過ぎない、悪口を言う人がいますが、そういう人は実際はよく読んでいないのです。この書物は歴史を通してどう生きるべきか、ということが中心に書かれているのです。現在でも十分読み応えのある書物だと思います。「神皇正統記」という題名が現代ではきわめて不適切なのでしょう。

この「ワールドヒストリー」も、未来のビジョンを語れるほどの商品にしたいなあ、と思いましたが、まだまだ歴史の勉強を始めたばかりの当時の私にとってとても無理な話でした。

前回も触れましたが、特に顕家が戦死する1週間前に後醍醐天皇に書いた奏文は、①分権統治 ②コスト意識の徹底 ③公正平等な登用 ④システムの構築 ⑤公私混同の排除 の5つの抗議からなり、これは670年たった今日においても、経営や組織運営にもっとも重要なものなのだと思います。これをよく20歳の若者が書いたなあ、と驚嘆しました。

次にラジオ短波と組んで「死地則戦」というソフトをつくりました。当時テレビで「カノッサの屈辱」というビジネスと歴史を結びつけるパロディ番組をやっていて、とても面白く見ていました。歴史とビジネスを孫子の兵法で結びつけてソフトにすればおもしろいだろうな、というところからスタートしたのです。もちろん孫子の兵法を勉強するのも始めてです。

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(死地則戦 メイン画面)

あとで知ったのですが、北畠家は漢家(中国の学問を学ぶ家)であり、親房や顕家は孫子の兵法の専門家だったようです。これも偶然といえば偶然です。

またラジオ短波と平行して漢字検定協会の仕事もしました。漢字のゲームソフトをつくることと、もうひとつは当時平安遷都1200年で、それにちなんだソフトをだすことです。京都には難しい地名が多く、その地名の漢字をあてるゲームソフトをつくりました。ある手違いで私が京都中の寺や風景を撮る羽目になり、2週間かけて100箇所以上まわりました。おかげで京都の地の利は大変くわしくなりました。そこで発見したのが、北畠という地名が洛北、伏見、長岡京に3つ存在していました。そこは親房や顕家の屋敷があったところだそうです。もっとも嵯峨野にも屋敷があり、1326年に火事になったという記録があります。

こういう仕事の偶然は、意図的にできるものではありません。当時会社で開催した、「パソコンソフトビジネスセミナー」や「マルチメディアビジネスセミナー」で私のつたない講演を聴いてくださった社長さんやリーダーの方たちが、私の考えに関心をお持ちになり、仕事を発注していただきました。それが全部今日のメディアファイブのベースとなり、気がつくと北畠親房や顕家を学ぶきっかけとなっているのです。

1998年に私は日本総研をやめ、メディアファイブの社長に就任しました。1998年の6月に父が入院したのでした。その結果、私は日本総研かメディアファイブかを選択しなければなりませんでした。本当は日本総研を辞めたくはなかったのですが、メディアファイブを閉じるわけにもいかず、決めました。辞表を本部長に提出する時1週間ためらいました。神武紀1998年の5月22日に顕家は戦死しました。私も西暦1998年、自分にとって人生最大の転機といってよいでしょう。

いざメディアファイブ1本になって見ると、この後、会社を続けていくことができるのか不安でした。しかしそれ以上に当時の社員の不安が相当なものだったろう、と入ってみてつくづく感じ、申し訳なく思いました。2足のわらじでの仕事は無意識のうちにどちらも逃げていたのです。それがよくわかりました。最初の半年は無給でしたが、とにかく夢中で仕事をしました。あまりに不安で、夜になると、むかし宗教団体の活動に熱心な友達にもらった法華経を探し出し(私は宗教団体に属したことはありませんが)、一生懸命唱えていました。

最初はわけもわからず唱えていたのですが、だんだん意味を知りたくなって、いろいろ新書など読み漁っているうちに、こんなたとえ話がありました。ある日、こどもたちが毒を飲んで苦しんでいました。名医である父親がよい薬を与えようとしたのですが、子供たちはその薬が苦そうで、飲みませんでした。そこで父親は一計を案じ、そのまま旅にでて、旅先で死んだとうそをついたのでした。風の便りに子供たちはそれを聞き、びっくりして父親からもらった苦い薬をのんで、毒害から救われました。父親も旅から戻ってみんなめでたしめでたし、というまあチープなわけのわからないたとえ話なのです。法華経、如来寿量品第十六のなかにあります。

ところが私の父は奇跡的に手術もしないで治ってしまいました。これも不思議なことなのですが、ある日私は、テレビで平幹二郎氏が、喉頭がんをやって、それを治すために玉川温泉で療養している番組を見ました。そこで私は父に玉川温泉を勧めました。ちなみにこれも後で知ったのですが、平幹二郎氏はNHKの大河ドラマの太平記のとき、北畠親房の役でした。ところが病気のため、降板し、近藤正臣氏になったのです。玉川温泉での療養が父の病を治したかどうかは、わかりませんが。

この一連のできごとで、恥ずかしながらいままで私は、大企業に勤めていたこともあり、競争原理のもと、自分のことばかり考えていたのが、人のためになにかをすることの重要性を初めて知りました。そしてこの如来寿量品第十六のたとえ話が大変尊いものに感じました。まさに私は、父の病を通してで、社会とのつながりを教えられたのです。今でも法華経や般若心経を、自己流ですが、とぎとぎ唱えております。

しかし法華経と般若心経を多少なりとも理解すると、日本の古典が本当におもしろくなります。平家物語でも本当にいろいろな武将が法華経を唱えるところが出てきます。平惟盛が那智の沖で入水するとき、法華経を唱えて入水しました。以前は、古典を読んでいると、「昔は科学が発達していないからすぐ神がかりだよ。」としらけていたのですが、いまではその心境をしみじみ感じて読むことができるようになったのです。

ただ660年前に、私と同じ姓の人が、日本を文化国家にしようとして理想を掲げ、無念にも果たせなかったことに、自分のことのように残念に思い、自分なりに調べ、考え、いろいろなことを自分なりに発見しました。よく調べてみると、本当に誤解されていることが多いのに驚かされました。もし自分の先祖でなければ、親房、顕家親子のことを、私だって世間のイメージ以上の関心は示さなかったでしょう。

さまざまな失敗や経験、また、たまたま就職するためにした勉強だったり、趣味だったり、仕事で学んだりしてきたことのすべてが、いまのメディアファイブのプロデュースという本流に流れ込む支流だったのです。ひとつひとつはいきあたりばったりの偶然だったのが、後から振り返ると見事に整然とその経験の積み重ねが今に繋がっているのです。

「世の中万事塞翁が馬」でも申しましたが、学生時代、自分が将来、なにをしたいかは、よくわかりませんでした。社会人になってもまだよくわかりませんでした。私は自ら経営者になりたい、と考えたことはありませんでした。いろいろな、当時一見無関係なあちらこちらの支流を流れながら、気がついてみたら、メディアファイブという他には存在しない、オンリーワンの会社を経営していたのです。

今回開発した人材開発型グループウエアは先ほど触れた顕家の奏文を目指して作ったのですが、そのきっかけは社員の造反にありました。会社が急成長する時期は何度かありますが、どうしても人手がほしいときは、あまりレベルの高くない、旧知の人間を仕方なく入れるものです。そういう時、そういう人間に悪意があると、とんでもないことになります。IT・ソフトビジネスは投資もいらないので、参入は比較的簡単です。しかしそれだけ競合も増えるのです。しかも市場はつねに激変します。昨年100売れたものが、今年半分になったりするのです。こういうなかで継続させることは本当に難しいのです。そのなかでけソフトビジネスの成功を見て、そのビジネスを奪いたくなり、ほかの社員や部下に「自分たちの会社をつくろうよ」とけしかける輩がでるものです。とくに中間管理職にそういう人間が出ます。

当時私は社長室をもっていました。若い社員とは直接の接触はありませんでした。すべては中間管理職が私の意向を部下に伝えて、ビジネスが動くのです。こういうとき、その人間に悪意があると、社長にも、部下にも指示や報告を自分の都合のよいように変えてしまうのです。私には、卑屈にぺこぺこしている人間が、ちがう部屋ではボスのようにえばり腐っていたりするのです。そういう人間が、影で人をいじめたりおだてたり、弱い立場の部下や女子を感情でつって味方につけるのです。そして取引先にもうそを塗り固めて、その商権を奪おうとするのです。

若い社員も情報を知らされてなく、直属の上司に殺生与奪の権利を握られていると、その上司に依存します。

当時、私は一生懸命集合研修をおこなっていました。そこでいくら啓蒙しても、感想文で社長にここちよい文章を書くのが関の山です。俺についてこい、型の感情をあおりながら組織を引っ張る経営は、感情で裏切られるのです。だれでも夫婦や子供とだってすぐ喧嘩をします。

だから経営はシステムで管理しなければならないのです。飲みにケーションは根本的な解決にはなりません。社員一人ひとりに会社のビジョンを明確化し、情報共有を徹底し、公正平等に評価するシステムをつくらなければならないのです。

私は社員の造反という苦い経験から、こういうことをおこさないシステムを作ろうと決心しました。完成まで5年がかりでした。膨大な投資もしました。いざ作ってみると、こういうシステムが本当に大切なのが後からわかりました。人がもっとも学習する場所は仕事をする場所です。こういう場所で卑怯なことをして成功する人間がリーダーとなる組織では、その下で働く人も腐ります。そしてそういう人の子供も腐ります。どんなに教育を変えても、まず経営が変わらなければ、世の中からいじめも犯罪も減りません。

私は自分の血筋を自慢するためにこういうことを書いているのではありません。600年で一組の夫婦から400万人の子孫ができるそうです。つまり、だれもが必ず歴史に残る先祖をもっているはずです。逆に、私自身、600年以上前のDNAなど本当につながっているかさえ怪しいものです。それは単なる偶然かもしれません。また私の深層心理がそういう方向へ結びつけているのかもしれません。神が本当にいるかどうかすら、私には定かではありません。

もちろんスタッフに恵まれたこともあります。阪神大震災も景気におおきく影響しました。マザーズができました。9.11で株価が半減すると、家電量販店は在庫圧縮をおこない大量の返品が発生しました。さきほど触れた造反にもあいました。現実は小説より奇なり、といいます。だれが世界最強の米国のニューヨークやペンタゴンが攻撃される、と考えるでしょう。

いろいろなことが起こりながら、それでもいろいろな人に助けられながら、県や市にも大切にしていただきながら、大変幸運にも15年間、当社は存続してきました。おかげで教育ソフトの専門会社ではトップになりました。

ビジネスは個人の小手先の発想だけではとても成功はしないとおもいます。たぶん個人の想定する範囲でビジネスの成功はむりでしょう。ましてやいい加減な人間や評論家的人間が生き延びられる可能性は少ないと思います。われわれは自分の考えうる限りの範囲内で、できる最大限のことを地道に精一杯仕事をするだけです。でもそれだけでは成功にはいきつけません。

精一杯の努力に、なにか目に見えない、自然界に導かれて、はじめてその努力は活かされるのでしょう。それを「神の意思」と擬人化されて感じるのでしょう。いや本当に神の意思なのかもしれません。私は記憶力が悪く不器用です。ひとつひとつのスキルでは多くの人たちにかないません。しかし私が失敗してきたり、拒絶されてきた数多くの学問や仕事や人との経験をとおして、あらゆることが、今のメディアファイブの経営に生かされています。私はそれを天命と呼ぶのだと思います。

おそらく先祖であるであろう親房や顕家は、自分のやりとげられなかった無念の一部を、DNAを通して私にさせているのかもしれません。(ちがうかもしれません。) ただ私は親房や顕家の思想や行動に、とても共感し、尊敬し、歴史上受けてきた彼らの誤解を解き、彼らの実現させたかった世界の構築に、少しでも役に立てたらよいと思っているのです。

そういう意味では私は、親房や顕家の小間使いの一人である、という考えでメディアファイブを経営しております。

私は宗教的なことは、門外漢なので、コメントする資格はありません。ただ私にとって、神様は依存する対象ではないと思います。お願いする対象でもありません。天命を感じたならば、それに向かい、一生懸命に世の中のために尽くすことなのだと思います。何かをしてもらうことを期待するのではなく、自分が世の中に役だたさせていただくことを感謝することなのだと思います。そのなかで、生活や仕事の中で、ささやかな幸せを感じたならば、それが神様からの報酬なのでしょう。

ただ、こういう考えにいたったのは先にも書きましたが、98年の38歳以降からです。若い人がこういうものを読んでも違和感を感じるかもしれません。私も若いときは、こういう話に関心も理解もできませんでした。ただ若い人たちには、自分の世界がすべて、と考えないでいただきたいと思います。まだまだこれから一山もふた山も三山も乗り越えなければならない困難が待っているのです。そしてだんだん大きな社会責任を負っていくのです。残酷な現実と直面することもあるでしょう。そのなかで、必死に、はいつくばってでも前向きに生きなければ「神様」は現れてくれないと思います。

親房や顕家のことは私のきわめて個人的な問題です。社員にもほとんどこの話はしません。しかし、親房や顕家が目指したことは、つまり、「人々が不毛な争いをやめ、日本の和を尊ぶ歴史文化を尊重し、公平平等の社会のなかで自己実現を行い、みんなで協力しあいながら付加価値を生み出し、自然を敬い、子供たちを育て、教育していく」ということは、いつの時代でも永遠普遍の理想です。

その理想国家の実現が、今の日本に特に一番必要なことだと思います。

メディアファイブはそういった国家の実現に少しでも寄与するために、存在させていただいているのだと思うのです。

メディアファイブのファイブはどういう意味があるのですか?とよく人に聞かれます。建前では、五感、陰陽五行、孫子の兵法の、道天地将法などすべて重要な世界は5から成立する、ということを説明しております。

しかし本当は5は私のラッキーナンバーなのでした。幼稚園も高校も大学も受験番号が、5番、25番で合格しました。生まれた場所も育った場所も今の私の住所も電話番号も末尾は5番です。

今は、私の心の中でのみに限ってのことですが、顕家が後醍醐天皇に残した奏文を書いた日 延元3年5月15日 の5だと信じています。

ただ、660年前のできごとと比較するのは、科学的根拠も多少はあると思います。マクロ的な経済循環(コンドラチェフ)は60年ごとで、660年もさらに大きな経済循環として考えられることかもしれません。
平安末期から室町初期にかけて、貨幣が急速に普及しました。武士の台頭は、経済が物々交換から貨幣に移ったことも大きな要因だったようです。今日、インターネットの発達による、情報の開放は、この時代と似た社会状況をつくりだしているのではないでしょうか。

似たような時代に、家柄や能力は月とすっぽんでも、同じDNAの人間が、スケールはちがっていても、似たような行動をとるとしても不思議ではないのかもしれません。だから歴史から未来を考えるヒントはあるのかもしれません。

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(21世紀への提言 「頑張り応援宣言」2001.12.10刊)

2008年05月31日

日本人の宗教観

5月31日、読売新聞で、日本人の宗教観についての世論調査の記事が出ていました。特定の宗教を信じている人は全体の26.1%。で、30年前の33.6%と比べると大幅ダウンしているようです。

しかし「自然の中に人間の力を超えた何かを感じるか」という問いには「ある」と答えた人は56%、ないは「39%」でした。

祖先を敬う気持ちがあるか、という問いには94%が「ある」で、4.5%が「ない」です。

この世論調査に宗教学者の山折哲雄氏が「日本人の信仰は、多神教で、しかも自然の中に人間の力を超える祖先を感じるもので、高い宗教心、信仰心がうかがえる」と評しています。

この世論の結果はまったく私も同感です。特定の宗教はなんとなく窮屈に見えるし、でも確かに自然に逆らうと運が良くなくなる気もします。政治でもそうですが、本当に私は世論と同じ「並み」の思考パターンだと思います。

私は20代前半までは、大学のクラブでの登山では、そういう「自然の中に人間の力を超えた何か」を感じることはあっても、それ以外ではまったくの無神論者でした。30代になり、当社を創業するにあたり、「何か」を感じたことがありました。30代後半からそういう思いは少しずつ強くなっていきました。

人は年をとるごとに、さまざまな苦労を重ねるたびに、人智を超えたなにかを感じる経験が多くなっていくのでしょう。

だからこの結果は私の人生に当てはめてみると、とても納得がいくのです。そしてこの宗教観は日本人にとって昔から 皆こんな感じだったのだと思います。

戦国時代に日本に来た宣教師ルイス・フロイスは日本人の宗教観についてこのようなことを言っています。
「われわれは教えに背いたものは背教者になるが、日本人はころころと宗教を変えても少しも不名誉と思わない。」
「日本人は神に現世の幸福を求め、仏には救霊だけを願う。」と言っています。

北畠親房の神皇正統記でも、「日本には八十万の神があり、人間の機根もいろいろであるから、教法もいろいろである。」と言っています。

昨今、日本人の心に、宗教観が薄れたのではないと思います。各家庭で知らず知らず、お正月の松飾、節分、桃の節句、端午の節句、田植え月、七夕、盆、菊月、十五夜、大晦日など生活の節目や話題、家の行事としてお供えをしていると思います。

これらの行事の古来からの意味は、八百万の神がそれぞれの季節に舞い降りてきて、そのためにお供えをして敬う日だそうです。

子供のいる家庭では、けっこうこういったお供えなどをやっているのではないでしょうか。季節のイベントとして、たとえ一人暮らしでも、こういうことを趣味にしたら、心もほぐれるし、運も良くなるかもしれません。

少し難しい本ですが「陰陽五行と日本の民俗」(人文書院 吉野裕子著)などお勧めです。

また「節季の室礼~和のおもてなし~」(二木屋主人 小林玖仁男著 求龍堂出版)もあわせて読まれると具体的に日本の季節の行事なども楽しく学べます。二木屋さんは、さいたま市の北浦和にある懐石料理のお店ですが、季節ごとの日本の室礼を、実にすばらしい演出で楽しませてくれます。

浦和に、京都の名旅館にも負けない和のおもてなしができる店があることは、とてもうれしいことです。

2013年05月19日

なぜ今エンディングコーディネーター? リスクマネジメントのひとつとお考えください。

最近、あるお客様から一通のメールをいただきました。その内容は、「この頃、エンディングコーディネーターの案内メールばかりくる」とおしかりのメールです。

なぜ今、当社はエンディングビジネスに力を入れるのか?

それはお客様のお問い合わせや、講習会の申し込みが急増しているからです。

なぜか?それはみなさんがこの世の中に不安をお感じになっているらでしょう。


先日新潮社より「日本最悪のシナリオ 9つの死角」という本を買いました。「尖閣衝突」「国債暴落」「首都直下地震」「パンデミック」「サイバーテロ」「核テロ」「エネルギー危機」「北朝鮮崩壊」「人口衰弱」この9つが起きたらどうなるか、という本です。

このほかにも、富士山や箱根山の爆発、東南海地震などもあります。

みなさんの記憶にもいまだ鮮明だと存じますが、9.11やリーマンショック、東日本大震災などが起きたときは、一瞬、経済は止まりました。

ところがです。新潮社の本に書かれている、9つのシナリオが起きたら、どうなるでしょう。

9.11やリーマンや東日本大震災の比ではありません。本当の天変地異です。

しかもこの9つのことは、残念ながら、いつ起きてもおかしくないほど間近に迫っています。

私はアベノミクスが成功することを節に祈っています。しかし、その一方、万が一でも上記の一つでも勃発すれば、経済は間違いなく大混乱です。

経済の大混乱は、通常の資格だけではなかなか食べていけません。

資格は、ビジネスへの入り口です。まずは資格をとることで、そのビジネスを必要としている人は耳を一回は傾けてくれます。あとは皆さんの演技力と素質と努力で、そのチャンスをお客様の満足に変えるのです。そこであなたはその仕事で食べられる切符を手に入れられる。

しかし、世の中は絶えず変化します。ひとつの仕事でビジネスを継続するのは難しいのです。一つの方法でビジネスを拡大していくことはなお難しいのです。

私は、常に7割の本業と3割の新規事業を心がけています。勿論新規事業はとても難しい。簡単にはいきません。

だから
エンディングコーディネーターなのです。

行政書士、宅建、社労士、FP,ケアマネージャーなどがこの資格を持てば、どんな天変地異が起きても、自分のお客様に頼りにされます。

9つのシナリオはだれでも想定できます。勿論起きないに越したことはない。でも起きることの準備をすることは、起きた後の行動で180度違います。

予防接種をするようなものです。いえそれをしなければなりません。

リスクマネジメントは大切です。

当社は当社のお客様が生き抜くためのIT道具づくりを使命と心しています。

今後当社はNPO法人エンディングコーディネーター協会の活動の一つとして、人々のビジネスのリスクマネジメントの研究にも力を入れたく思います。

いつの時代もこの世は修羅というブログを先日書きました。

戦後60年、日本は本当に豊かで、平和だったのです。歴史的に見れば、奇跡です。江戸時代は平和でも餓死者のでる飢饉はなんども訪れました。

だから、今、日本人はいざ、というときの行動が弱いのです。

日本がローマのように滅びるのか、復活するのかは、国民のみなさんすべてが、この9つの最悪のシナリオについて、対策を一生懸命に考えることでしょう。

そういう意味では、当社のお客様は本当に見識が高く、リスクマネジメントに敏感だ、ということです。そのお客様で構成されているSNS学習サイト「ネクレボ」はまさに人材の宝庫です。

まだ見られていない皆様に、ぜひ拝見していただきたく存じます。

備えあれば憂いなし。ピンチはチャンスです。

2013年06月14日

シャーマンの言葉

シャーマンという言葉を知っていますか?シャーマンとは巫女、神の言葉を伝える祈祷師を意味します。ウイキペディアによると、もともと語源はツングース語のシャマンでロシア語でシャマーンとなり、それが全世界に広がったそうです。

そういえば、昔、デルスウザーラというロシアの探検家の書いた本を、中学生時代、夢中になって読んだことがあります。デルスーというツングースの民がいて、狩猟をしているのですが、自然を神とあがめて生きる話を、彼と友人になったロシア人の探検家アルセーエフがノンフィクションで書いています。

黒澤明の映画としても有名です。

本題は映画の話ではありません。

シャーマンの話です。

以前このブログで、学生時代に登った日高山脈で、1週間未開の山の中で寝泊まりしていると、第6感が背中にくっついてくる、というよな話をしました。(背中にくっつくという表現は今回はじめてですが)

デルスウザーラは、生まれてから一生日高よりさらに未開の世界で生きているから、第6感の塊なのでしょう。シャーマンと呼ばれる人は都会にいても、さらにその第6感が超人的に発達している人なのだと思います。


その方は都内に住む、今年83歳になる、ご高齢のとても上品な女性の方です。パソコンを触ったこともないのにIT業界の今後の話を、一応は学校出てから、23年以上この業界にいる私が聞いても目からうろこの話をしていただけるのです。

たいていの占い師やおがみやさんといわれる人々は、お墓の話か水子の話で終わりますが、そういう話は一切しません。ほとんど合掌すらしません。

彼女の話はこういうことです。

戦後、次々と新しい国家が生まれ、しかし経済はどんどん国境がなくなり、少数の人間が経済を握り、貧富の差がどんどんひろがっていくことになるそうです。

はたしてそのようになり、今日において、ひとつの国家という概念で教育を考える意味はなくなり、グローバル社会という視点で、まずは英語教育に力をいれるべし、ということだそうです。

さらに世の中の常識が目まぐるしく変化する今日において、たとえば、シャーマンの家には美しい日本風の庭があるのですが、特に子供は庭というものに関心を示さないそうです。マンションで慣れてしまって、庭の風景を眺めるという意識のない子供が多く育っているそうです。

また最近シャーマンの家のちかくに建てられた家には窓がなく、正方形の家の真ん中がくりぬかれ、中庭のようになっている家も建ち始めたそうです。そのような家で育った子供たちは、従来とはちがった価値観を当然もってもおかしくはない。

いつの時代も「いまの若いものは」と批判しますが、その批判は間違いだそうです。地球は何十億年と生命は続き、その間目まぐるしく変化し、時代の変化を過去と現代を比較しながら学ぶことが大切だそうです。

どのように学ぶか、というと、今の子供たちから今の歴史を学ぶ、ということだそうです。
I反対に、今の子供たちをどのように教育するか、という問題は、ITを活用すれば、まったく発想の異なる今の子供たちに理解してもらうことが可能になるのでは、ということだそうです。

比較教育、今と同時に過去がある、ということだそうです。
若い人の目とわれわれの目を比較する。

現代はまマンガ世代です。 シャーマン能力の世界は分析の世界だそうです。マンガは住まいや暮らしから来ているそうです。

歴史を紐解けば、北畠親房は神皇正統記で、徳や正義という理屈で、自分の立場である南朝の正当性を主張しました。しかし、当時の武士は正義よりも、土地や金銭や地位という直接的な欲望を選び、時代は北朝のものとなりました。

武士たちの欲望への選択は、そのあと、徳川家康が1617年に全国統一をはたすまで、実に280年も、血で血を洗う戦乱の世が続いたのでした。

現代の現実を、正確に吸収して学ぶことこそ、正しい判断が可能だということだそうです。

そういえば、最近うれしいけど、ショックなできごとがありました。
任天堂3DS「ナナミと一緒に学ぼうEnglish上達のコツ」が大変ブレイクして好評なのですが、ナナミのボイスの花澤香菜さんの声をダウンロードできる店舗予約特典のおまけがネットオークションに出て、1時間たらずで1200円で落札されたのです。

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かたや、私がこのブログをベースに何年もかかって苦労して書いた「究極の経営」は、やはりオークションで残念ながら50円で出回り、しかも売れませんでした。

自画自賛で恐縮ですが、2009年4月に発売したこの新刊は、4年たった今日に読んでも、まったく違和感なく読める、まさに先見の明のあるはぞの本だと思います。

実に中味が濃い、とお褒めの言葉もたくさんいただきました。

でもナナミのおまけに比べて、まったく市場価値がないのです。でもそれが今日における現実なのです。現代の若い人たちの要求なのです。

そこを正確汲み取り、比較教育というなかで自分が学ばなければならないのでしょう。

シャーマンの教えは、私にこの現実を正視せよ、とおっしゃいいています。


いかがでしょう?ちょっと、こういうブログで話していい内容かわかりませんが、みなさんはどう思われますか?

2016年08月07日

暁の寺 前編

僕は中学生の時から、50の半ば過ぎのこの年になるまで、愛読書は小林秀雄と三島由紀夫です。

この二人の圧倒する才能にいくつになっても圧倒されます。

小林秀雄は、様々色々な全集を出していますが、何種類もある全集を、いくつも持っています。つまり、装丁が違う同じ内容の本をいくつも持っているのです。

小林秀雄の死は、小林が住んでいた鎌倉で偶然、聞きました。

初めて大学のゼミ合宿が鎌倉で行ったその日でした。そのちょっとした偶然が嬉しかったです。

三島由紀夫は、全集全巻は揃えていません。多くの小説、評論は読みましたが、繰り返し読むのは、近代能楽集と豊穣の海だけです。豊穣の海は、三島が自決する前の最後の作品群です。

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三島が自決した1970年11月25日は、僕は小学四年生でした。

三島がその自決のモデルとした226事件も、三島が小学四年生の時でした。そのちょっとした偶然も嬉しかったです。

三島由紀夫の最後の作品群である豊穣の海は、春の雪、奔馬、暁の寺、天人五衰の4部構成です。

物語の主人公の本田繁邦は昭和7年で、38歳。つまり明治28年生まれです。小林秀雄の10歳上の設定です。春の雪は本田と、春の雪の主人公である松枝清顕は18歳から、その物語は始まります。

本田と清顕は親友で、本田は実直な秀才であり、清顕は物憂げな美少年の華族の一人息子です。
清顕は、幼なじみの綾倉聡子が、清顕に思いを寄せていることを知りながら、無言の拒否をしているうちに、聡子は宮家に見染められ婚約する。清顕は大きな障害が出て初めて聡子との思いを遂げようと、密会を重ねる。最後は聡子は出家し、清顕は聡子に会おうと幾度も寒い月照寺に毎日通うも、思いを遂げられずに、肺炎になって死んでしまう、という話です。死ぬ前に清顕は本田に滝の下できっと会うって言葉を残しました。

第2巻の奔馬は、清顕は、彼の面倒を見ていた飯沼という書生の勲という息子に転生しました。転生の証は左脇腹の三つの黒子でした。飯沼は右翼となっていました。勲は剣道の学校の学生でした。勲も20歳で早世し、今度はタイの月光姫として転生したのです。それが第3巻の暁の寺です。

月光姫も20歳で早世し、老いた本田はヒョンな事から灯台で、脇腹に三つの黒子のある少年を見つけ、彼を清顕の転生かもと思い、養子にしたのですが、その少年は最悪な性格で、本田に恒常的に暴力を振るい、あらゆる陰謀を巡らせて財産と生活の主導権を本田から奪いました。
それでも本田は、この少年が20歳で死ぬまでの辛抱だと思い我慢してると、その少年は本田の親友の慶子から、あんたは20歳で死なないから転生ではない、と言われ、少年は転生として自分の人生を終えようと毒を飲んで死のうとしましたが、死ねずに失明したまま、生きながらえてしまいました。

最後に、老尼となった聡子に会い、清顕の話をしようとしたら、聡子は清顕など知らない、と言い出しました。本田はもし清顕がいなければ、勲おらず、月光姫もいないことになり、何より自分の存在まで否定することになるのでは、と聡子に慌てて問いかける。

それも心心(こころごころ)ですさかい、と聡子は少し目を強く本田を見ながらと言ってこの物語は終わります。

三島由紀夫はこの物語を書き終えて、そのまま市ヶ谷駐屯地に突入して自害しました。


僕は今まで春の雪は好きでしたが、特にこの暁の寺は、あまり関心がありませんでした。
しかし、タイに行って暁の寺を見て、久しぶりに暁の寺を読みました。
暁の寺は、一部と二部に分かれており一部は本田繁邦48歳、二部は58歳の設定です。

15歳で初めてこの本を読み、二十代、三十代、四十代と繰り返し読み続け、五十代に差し掛かって改めて読むと、初めて本田の年輪を生々しく実感しました。

勿論、輪廻転生や密教も15歳の時より学ぼうとはしたのですが、浅学菲才のため、最近まで、ほとんど理解できていなかったようです。最近短かに専門に勉強している人が現れ、多少は理解が進んだようにも感じますが。

日本を代表する作家であり、おそらく 今世紀最大の作家である三島由紀夫のテーマが輪廻転生であり、彼が命を賭して守ろうとしたのは、有史以来面々と純粋に転生しながら守られ続けた日本人の魂が汚されるのを防ぐ手段が市ヶ谷駐屯地突入だったのだろうか?

このテーマは今日の本題から外れますので、次に回しますが、小林秀雄の最後のテーマが本居宣長であるのにたいし、三島が輪廻転生が最後のテーマであることは、私もそれが生涯のテーマであったのだな、って今更ながら気付きました。

2016年08月08日

シュタイナー教育と輪廻転生

先のブログで述べましたが、中学生以来、僕が繰り返し読んできた二大文学者は小林秀雄と三島由紀夫でした。

三島由紀夫の最後のテーマは輪廻転生であり、小林秀雄は本居宣長でした。

一見小林秀雄は霊的な話には、残した文章の中には、大きく触れていないようですが、講演では、よく魂の問題として強調していました。「信じることと考えること」という新潮からだしている小林秀雄の講演集に冒頭で次のようなことを叫んでいます。

「魂があるかないかって?あるにきまっているじゃないか!」

やはり、大真面目に考えても、魂すなわち霊の問題は考えなければなりません。

教育とはなにか、大学の教育学部に入り、そして日本総研で企業教育を考え、教育ソフトの会社起こして23年、やっぱりシュタイナーに行き着きました。

シュタイナー教育というのをご存じですか?

2007年9月にこのブログでご紹介したことがあります。
パソコンを利用した教育はシュタイナーに学ぼう
http://blog.media-5.jp/kitabatake/2007/09/post_14.html

当時はシュタイナーをなかなか理解できませんでした。

そして霊的なことを、ブログのような公の場所で述べることは、とても抵抗があってできませんでした。

あれから実に9年が経ちました。

時のたつのは早いです。

いまだに、密教と同じで、よくわからないのですが、きわめて密教と共通するところが多く感じられます。

シュタイナーは言います。
「教育とは、生まれる以前の私たちになされていた活動を再び取り上げることなのです。」
(ルドルフシュタイナー教育講座1 教育の基礎としての一般人間学 高橋巌訳 P35)

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話は跳びますが、昨年3月末に父が倒れ、集中治療室に1か月入っていたときに、父の意識は混濁していましたが、面会できる1時間、父が他界するまでの一ヶ月間、毎日父の手を握っていました。

脳裏に浮かぶのは、幼い自分を寝かしつけるときに子守歌を歌ってくれた父、そして小学生の時、初島へ家族旅行へ行ったとき、夕暮れに散歩していると、スイカ畑で、父が500円札を農家の人に渡して、スイカをもらって旅館に帰ってくるときのシーンです。

親が死にかけているとき、つくづく感じるのは、親は肉親なんだな、ということです。
自分の肉体が受けているように、親の苦痛がそのまま自分の苦痛になっている、と感じます。

ここにDNAのつながりの不思議を感じます。

自分の元となるDNAが死にかけているとき、あるいは死んだあと、自分人生の大きな転換点のような気がします。

それは、もう、自分は子供ではいられない、という転換点なのでしょうか。

それと親から子へ、子から孫へ、生物が生まれた太古より、DNAの継承の鎖の一番近親の鎖を失おうとする、人生最も大きなイベントなのかもしれません。

子供が生まれることも大きなイベントかもしれませんが、親が死ぬ瞬間はその長い思い出と、無償に与え続けてくれた愛情の一つが消えゆく事実が、とても大きな喪失感として降りかかります。

それこそが体感するDNAのつながりなのかもしれません。

親の臨終が自分の生まれる以前のことを知る手掛かりになるとは思いませんが、生物学的な現実を目の当たりにすると、自分はDNAという鎖の一部であることを実感します。

36億年前に地球が誕生し、大気が生じて、水ができ、生物が生まれて、陸へあがり、猿人から人になって文明が起こり、有史になって江戸、明治、大正、昭和、平成へとつづく。

その間、DNAが絶えることなく面々と続き、春夏秋冬、潮の満ち引き、様々な二律背反を繰り返して現代にいたる。


人も共感と反発を繰り返しながら一人の人生が終わりながら、親から子供へ、子供から孫へとつながっていくのです。

そうしたなかで、時代は変わり、その時代にあった教育され、学習をおこないながら、人は経済活動を行い、子供を育て、子孫へと続くのです。

教育は、そうした大きな観点からも考察していかなければなりません。

シュタイナー教育はそういう観点から考案された教育メソッドのようです。

幼児から小学、中等教育、大学を経て、企業研修にいたるまで、教育と学習は続きます。

どうしても目先の受験や金儲けのための教育に人の関心は集まります。

しかし、本当に効果のある教育を実行するには、当然大きな自然の摂理を考えることが必要でしょう。

企業研修をして、ビジネスとは何か、プロとは何かを一生懸命時間を割いて研修しても、社員が感動して、共感してなければおそらく無駄な時間となるでしょう。

それどころか、仕事の明確な目標と実行、そして上司のきちんとしたチェックがなければ仕事はお金を生まないでしょう。

私は学校より、企業教育の方が有効と思っています。それは目指す目的が明確に同一だからです。

とにかく人を変えることは簡単ではありません。


できることは、線路の連結器のように、方向を変えて、その人の人生のステージを変えることです。

だから本当に難しいですね。

2016年08月17日

宗教消滅と資本主義の終焉

お盆休みに宗教消滅という本を読みました。

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米国はいまだに70%以上のキリスト教信者がいますが、
日本の新興宗教も激減し、ヨーロッパのキリスト教徒も
目に見えて減っている、というお話です。

簡単な話、マックスウエーバーを引き合いに出し、
資本主義は敬虔なキリスト教とともに起こった、というなら
水野和夫氏の「資本主義の終焉と歴史の危機」を引き合いに出し、
資本主義が終焉するなら、宗教も終焉するのでは、という話です。

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以前資本主義の終焉についてこのブログで触れました。
http://blog.media-5.jp/kitabatake/2014/05/post_102.html

資本主義時代の次はなにか?

シンクタンク時代の知人と20年ぶりに再会し、こんな新聞記事を紹介してくれました。

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共感と利他の精神が、資本主義の次のカギ、と主張されています。


まさに先のシュタイナー教育につながる話です。

ルドルフシュタイナー教育講座1 教育の基礎としての一般人間学 高橋巌訳 P26

「私たちの内部の感情世界は共感と反感の・・・魂の拡張と収縮の、絶えざる相互作用なのです。」

そして「反感」は記憶として形(表像)になり、「共感」は意志になるそうです。

そして

「本来人間は宇宙との関連の中で生きているのです。表像する私たちは、自分の中ですでに宇宙的な要素を持っているのです。」 p31

「宇宙そのものもまた、絶えず共感と反感による働きを、私たちと共に行っています。」
「人間というものが、宇宙的共感と宇宙的反感との所産」p32

つまり生誕することは魂だけの段階で、反発することで形になって人間として誕生することになるのです。

そして曲解すれば、人は共感という魂の部分で意志となり、ものやサービスを購入する決断(意志)をするのです。


ちなみに、拝著「究極の経営」もそういうことを先取りした本です!
是非お読みください!

横に紹介ページに誘導するバナーがあります。

ただ、この本、ひとつ重大な誤りがあります。
それは「社員を社長と同じ目線にもっていく」
という点です。

具体的に言うと
社員を、社員としての待遇で、つまり自動的に給料が毎月一定額入るしくみの中では、
「社員を社長と同じ目線にもっていく」ことは難しい、ということです。

やはりビジネスとしても完全歩合で、むしろ組織から独立している人を組織化して
おこなうビジネスなら成り立つかもしれません。

江戸時代の農民はみんな独立していました。

そういう制度のもとでないと、「社員を社長と同じ目線にもっていく」ことはできません、でした。


しかし、則天を導入し、上司によるチェックが確実に実行されていれば、学習する組織として有効に作動するでしょう!

手前みそで恐縮ですが、いまから7年前に書いた本ですが、資本主義の終焉が話題になる今日、今こそ答えになる本である、と自負しております!


本当に手前みそですみません・・・・

2016年10月16日

ドナルドキーンの「明治天皇」

タイ国王の死去で、ふと日本の天皇制について考えました。

この休みに、ドナルドキーンの「明治天皇」を久しぶりに読み返しました。
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今、関心のある天皇論はこの分厚い明治天皇と、ハーバードヒックスの昭和天皇です。

勿論日本人の書いた天皇論もだいたい読みましたし、陰謀論的な本も随分読みました。

明治天皇すり替え説です。

その真偽はともかく、日本人の書いた天皇論はだいたい偏っています。


今はなるべく客観視された天皇論を考えてみたいのです。


と思ってドナルドキーンの書いた、この分厚い明治天皇の上巻を紐解くと、すぐにとても面白い記述がありました。この文献は明治天皇実記という13冊からなる宮中の記録をベースにしているそうです。


それは父の孝明天皇が崩御し、明治天皇が即位したての時、孝明天皇の亡霊が頻繁に夜だけでなく、昼も出没し、明治天皇を悩ましたそうです。

孝明天皇が暗殺された噂は現代でも有名です。

第一の容疑者は岩倉具視で、第二の容疑者は伊藤博文です。

僕はこの記述にとても興味を覚えました。

まさにシェイクスピアのハムレットと同じストーリーだからです。

しかし、明治天皇はハムレットと違って、父を暗殺した疑いのある岩倉具視も、伊藤博文もことの外信頼していました。

明治天皇すり替え説が出てくる原因はこういったこともあるのでしょう。

一番大きいのは、本来北朝系であるはずの明治天皇が、南朝を正当化し、南朝で活躍した人々を祀る神社を国家プロジェクトとして進めたのです。

その第一が、先々週薪能を開催した大塔宮です。

護良親王→鎌倉 大塔宮 明治2年設立 
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明治天皇は能が好きだったので、多くの明治天皇の建てた大社は薪能をします。

後醍醐天皇→奈良 吉野神宮 明治22年設立 
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(吉野神宮)
宗良親王→静岡 井伊野谷宮 明治2年設立
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(井伊野谷宮)
新田義貞→福井 藤島神社 明治3年設立
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菊池武時 菊池神社→熊本 菊池神社 明治3年設立
楠木正成→神戸 湊川神社 明治5年設立 
北畠顕家、親房→福島 霊山神社 明治14年設立 
北畠顕家、親房 大阪 安倍野神社 明治15年設立 
北畠神社 明治15年改称

明治天皇が巡業の折に、その土地土地で、活躍した南朝の人を祀りました。

しかし護良親王、宗良親王、新田義貞、菊池武時、楠正成がまず先で、後醍醐天皇を祀るのが明治22年まで祀らなかったのが不思議といえば、不思議です。

ただ、「明治天皇」という学術的な本を読む限り、すり替え説はやはり事実ではないかもしれません。

というのは、鎌倉時代以降、積極的に政治にかかわろうとした天皇は、後鳥羽上皇、後醍醐天皇そして、500年以上たってはじめて孝明天皇が開国を反対して主張したのです。

しかも息子の明治天皇は小さいころから、一貫して、そういう父の意見に異を唱えていました。

まさに明治天皇の性格は小さいころから変わっていないのではないか、と思わせる史実の記録があります。

たとえ、北朝系の天皇といえども、明治天皇は建武の中興の再現を起こそうと、それは孝明天皇の強い意志でもあったのではないか。

そして孝明天皇を後醍醐天皇の対比として、自分は護良親王になぞらえたのではないか。

そして、実の父といえども、もし孝明天皇が生きていたら、自分も護良親王と同じ目にあったかもしれない、と考えたのかもしれません。

明治天皇は、小さいころから太平記や北畠親房の神皇正統記を好んで勉強していたという。

そういうことも南朝支持を打ち出したことなのではないか。

一生で10万の和歌をつくるなど、もし少年期を庶民の中で暮らしてできるものだろうか?

さらに明治天皇が崩御したとき、世界中のマスコミは明治天皇を賞賛したという。

ドナルドキーンも当時の世界の皇帝のなかで、明らかに最高の皇帝だったと言い切る。

他国との戦争や侵略を嫌がり、しかし、政治にはなるべく口出しをせず、しかし、日本を正しい方向へ導く。

明治天皇は有史以来もっともすぐれた天皇だったようです。

孝明天皇は毎日幼少時の睦宮(明治天皇)に和歌の指導をしたといいます。

生まれながらの帝王学を学ばなければ、ここまで完成した王は無理なのではないでしょうか?

明治天皇は11人の子供を生みましたが、生き残ったのは、わずか三人、しかも皇子は大正天皇だけでした。

大正天皇はあまり肯定的な評価を歴史家はしておりません。

しかしあれだけの漢詩をつくれるのは、相当明晰でないと無理だと思います

大正天皇は山形有朋を最も嫌い、山形も大正天皇をなるべくお飾りにしようとしたようです。

昭和天皇は明治天皇を手本としました。

しかし明治天皇を手本とすればするほど、昭和の時代は、どんどん難しい方向へ流れていきました。

それは明治の時代に、清、ロシアという大国に勝利し、それは国民に、戦争がなんでも解決してくれる、という軍隊万能観をうえつけてっしまったようです。

欧米列強は日本を見直した、というより、警戒し始め、

そして1923年関東大震災が起こり、東京が灰塵に帰し、追い打ちをかけるように1929年に世界恐慌が起こりました。

東北では大飢饉により、餓死者や娘を身売りする家が増え、さらなる2.26事件へとつながります。

ある意味、明治が偉大な時代であればあるほど、その反動のつけが昭和にまわってくるのです。

次回、ヒックスの昭和天皇論を紹介します。


しかし、孝明天皇はどんな思いで、引き継いだばかりの明治天皇の前に亡霊となって現れたのでしょうか?

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