« 五月の短歌 | メイン | 生成AI時代の歩き方 終戦記念日 »

日本人の宗教観

5月31日、読売新聞で、日本人の宗教観についての世論調査の記事が出ていました。特定の宗教を信じている人は全体の26.1%。で、30年前の33.6%と比べると大幅ダウンしているようです。

しかし「自然の中に人間の力を超えた何かを感じるか」という問いには「ある」と答えた人は56%、ないは「39%」でした。

祖先を敬う気持ちがあるか、という問いには94%が「ある」で、4.5%が「ない」です。

この世論調査に宗教学者の山折哲雄氏が「日本人の信仰は、多神教で、しかも自然の中に人間の力を超える祖先を感じるもので、高い宗教心、信仰心がうかがえる」と評しています。

この世論の結果はまったく私も同感です。特定の宗教はなんとなく窮屈に見えるし、でも確かに自然に逆らうと運が良くなくなる気もします。政治でもそうですが、本当に私は世論と同じ「並み」の思考パターンだと思います。

私は20代前半までは、大学のクラブでの登山では、そういう「自然の中に人間の力を超えた何か」を感じることはあっても、それ以外ではまったくの無神論者でした。30代になり、当社を創業するにあたり、「何か」を感じたことがありました。30代後半からそういう思いは少しずつ強くなっていきました。

人は年をとるごとに、さまざまな苦労を重ねるたびに、人智を超えたなにかを感じる経験が多くなっていくのでしょう。

だからこの結果は私の人生に当てはめてみると、とても納得がいくのです。そしてこの宗教観は日本人にとって昔から 皆こんな感じだったのだと思います。

戦国時代に日本に来た宣教師ルイス・フロイスは日本人の宗教観についてこのようなことを言っています。
「われわれは教えに背いたものは背教者になるが、日本人はころころと宗教を変えても少しも不名誉と思わない。」
「日本人は神に現世の幸福を求め、仏には救霊だけを願う。」と言っています。

北畠親房の神皇正統記でも、「日本には八十万の神があり、人間の機根もいろいろであるから、教法もいろいろである。」と言っています。

昨今、日本人の心に、宗教観が薄れたのではないと思います。各家庭で知らず知らず、お正月の松飾、節分、桃の節句、端午の節句、田植え月、七夕、盆、菊月、十五夜、大晦日など生活の節目や話題、家の行事としてお供えをしていると思います。

これらの行事の古来からの意味は、八百万の神がそれぞれの季節に舞い降りてきて、そのためにお供えをして敬う日だそうです。

子供のいる家庭では、けっこうこういったお供えなどをやっているのではないでしょうか。季節のイベントとして、たとえ一人暮らしでも、こういうことを趣味にしたら、心もほぐれるし、運も良くなるかもしれません。

少し難しい本ですが「陰陽五行と日本の民俗」(人文書院 吉野裕子著)などお勧めです。

また「節季の室礼~和のおもてなし~」(二木屋主人 小林玖仁男著 求龍堂出版)もあわせて読まれると具体的に日本の季節の行事なども楽しく学べます。二木屋さんは、さいたま市の北浦和にある懐石料理のお店ですが、季節ごとの日本の室礼を、実にすばらしい演出で楽しませてくれます。

浦和に、京都の名旅館にも負けない和のおもてなしができる店があることは、とてもうれしいことです。

About

2008年05月31日 16:29に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「五月の短歌」です。

次の投稿は「生成AI時代の歩き方 終戦記念日」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

ブログパーツ

Powered by
Movable Type 3.34