2016年11月11日

お客様が「お金を出したくなる商品やサービス」とはーどうしたらヒットを出せるか考えてみましょう。

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会社は、お客様が「お金を出したくなる商品やサービス」を生み出すことがすべてです。

したがって、「お金を出したくなる商品やサービス」ができるまで、改良改善をするしかありません。

それがすべてでしょう。

しかし、それが、簡単ではないのです。まず、組織に人材はいるのか、モチベーションはあるのか、目標は明確化されているのか、そして社員の気持ちも、その状況に応じて、四季折々です。

そんな混沌とした組織が、学びで成長できるとしたら、それはそれは素晴らしいでしょう。

 
二人一組になってコーチングしあうのは、いいかもしれません。


当然、部下とコミュニケーションも頻繁に行わなければなりません。

チームでできる学びとしては、一ヶ月自分がいろいろ大変だった仕事を話し合う、ということもあります。


実際の業務からの学びが大切であり、仕事そのものが学びになります。


仕事は金だけの問題ではなく、社員の納得感も重要です。


特に、以下の3つの項目の確認がお金を稼ぐことに、とても重要になります。この3つが、今日のビジネス、特に、個人業を難しくしているからです。

① この豊かな時代でも需要があるだろうか
とにかく需要が飽和な時代です。欲しい、と思わせられるものかが大切。

② 他の国ならもっと安くやれるか
ほかの国は、収入が半分、すくないところで10分の一です。人件費の圧倒的な不利ななかで、勝負できるビジネスかが問題です。

グローバルの難しさは、まさにここです。反対に国内だけで行えるビジネスは、グローバルの脅威になりません。

③ ITが代替できるか。ITでは無料のサービスが基本になりつつあります。その無料で済んでしまう ものは売れません。自分の商品やサービスが、無料のITと大きく差別化できるかを徹底的に考えましょう。

次の7つの項目が商品・サービス・プロモーションにおいて、今日ヒットを生みやすくしています。

 ① お客様の生き甲斐になるか?
    お客様にとって生きがいになる商品やサービスであれば、確実にお金を払ってくれます。

 ② 物語性はあるか?
    最近は物語性がヒットの要因をつくることにものなっています。「AKB48」はまさに、普通の女の子を自分が応援して、スターにする参加型のチームですし、「世界の終わり」はボーカルの男の子がいじめや引きこもりだったのが、セカオワハウスなる一軒家で共同生活して、大スターになっていく、とかです。

 ③ デザインは優れているか?
    機能や性能で訴追する時代は終わり、よりスマートでわかりやすいデザインがヒットしやすいです。

 ④ お客様が共感できるか?
    なによりもお客様が一目見て、わかりやすいことが大切です。

 ⑤ 遊びごころはあるか?
    商品の中に遊び心があることが大切です。

 ⑥ 全体のバランスがいいか?
   バランスがいい、ということは安心できる、ということであり、バランスと安心感は、多くの人に受け入れてもらうには、共感しやすいことも含めて重要です。

そこで、みなさんは以下のことをお答えください。

1、あなたが売り込もうとするターゲットは誰ですか?
 たとえば、知人、仕事上でしりあった人、友人、家族、会社の元同僚 などなど

2、あなたが売ろうとしている、商品、サービスは、明確な差別化がありますか?


3、あなたが売ろうとしている、商品、サービスは、この豊かな時代でも需要があるだろうか?


4、あなたが売ろうとしている、商品、サービスは、他の国ならもっと安くやれるか?


5、あなたが売ろうとしている、商品、サービスは、ITが代替できるか?


6、あなたが売ろうとしている、商品、サービスは、お客様の生き甲斐になるか?


7、あなたが売ろうとしている、商品、サービスは、物語性はあるか?


8、あなたが売ろうとしている、商品、サービスは、デザインは優れているか?


9、あなたが売ろうとしている、商品、サービスは、お客様が共感できるか?


10、あなたが売ろうとしている、商品、サービスは、遊びごころはあるか?


11、あなたが売ろうとしている、商品、サービスは、全体のバランスがいいか?

2011年04月10日

国家的危機における、個人、企業の戦略 まずは環境適応能力ある組織に属すこと。

今は大変な国家的危機にあります。にもかかわらず、評論家や経済学者は経済の落ち込みに対し、楽観しています。私もシンクタンクの研究員の端くれだったからわかりますが、こういう危機のときほど、こういう人種ほど当てにしてはいけない。彼らは、頭で考える。実感をしていない。阪神大震災のときの景気回復データをもとにシミュレーションして涼しい顔をしている。

しかし、今までのデータは全く通用しません。原発事故による、放射能の問題があるからです。スーパーマーケットにいくと、野菜も魚も、肉も、乳製品もありません。国産品が値崩れしているのです。街も暗く、外食を控える人も多くなりました。外国からの観光客も激減し、国内旅行に呑気に行く人もすくない。関東では、電力不足で、企業の活動も制限される。連日の余震は次の関東大震災や東海、東南海地震への不安をさらにかきたてる。その地震がまた新たな原発事故を引き起こしかねない。

経済は人や社会の空気のモチベーションできまるのです。農業も外食産業も、観光も、製造業も、あらゆる業種で影響しているのに、経済の落ち込みが、0.1パーセントどまりですむわけはないでしょう。勿論復興需要はあるでしょう。しかしその効果は最短でも半年から1年後からでしょう。これから、年末にかけて、大変な経済の落ち込みがあるはずです。

会社を起こして18年、其の間阪神大震災、9・11、リーマンショックなど信じられないような出来事が、何度も続きました。私自身いろいろその度ごとに苦労しました。しかしそれを乗り越えるごとに当社も成長したように思います。なによりも、頭で考えるのではなく、体感する事が大切なのです。体感とは、責任と行動から生まれるのです。今の日本の悲劇は、実際国を動かしている、官僚、大企業、マスコミのエリートたちは、行動力のある人が少ない事が原因かもしれません。今回のできこごとは、最大の苦労を覚悟して、最大の成長を目指すときなのです。

このようなまさに思っても見なかった乱世にはどのように生き抜いて行けば良いのでしょうか。というか、いままでが、あまりにも平和すぎたのです。まず考えるべきことは、これから先、いかなる将来が待っているか、それに対してどのような行動を取るべきか、松竹梅と考えることです。

まず最も大切なことは、生き抜くための組織やチームに属しているか、ということです。人は一人ではきわめて弱い動物です。群れをなして、チームを組んで行動することにより、あらゆる地上の動物や自然に打ち勝ってきたのです。

そしてあなたが属しているチームは環境適応能力に強いか、どうかです。もっとも優れた組織の優劣は環境適応能力にあります。それは、みなさん、生物学的にも依存はないでしょう。

それでは自分の属している組織が、環境適応能力に優れているかどうか、をどう判断すべきでしょうか。まずは明確なビジョンを持ち、実行力、指導力のあるリーダーがいるかどうかです。リーダー不在の組織は、それだけで、環境適応能力は不能に陥ります。派閥争いやリーダーが機能不全をおこしている組織からは早く脱出する必要があるでしょう。

その上で、その組織が次ぎの5点で機能しているか、です。
1,リーダーの元、権限が的確に分権化しているか。
2,コスト削減が徹底されているか。組織人一人一人に無駄を厭う気持ちを持っているか。
3,公平平等な評価がなされているか
4,システム構築はできているか。
5,公私混同がないか。

です。

1,権限の分権化とは
会社であれば、社員ひとりひとりが経営者の目線で考え、行動する、ということです。
2,コスト削減
ひとりひとりが無駄を排除する意識をもたなければ、身軽な組織になりません。
3,公平平等な評価
孫子の兵法のエッセンスでも風林火山のように組織を動かす秘訣は公平平等な評価が重要、といっています。なぜ公平平等な評価が必要か、というと、そうしなければ、当然人は主体的に、公私混同せず、組織のために的確に考えて、システマティックに働かないからです。つまり公平平等な評価はこの5つの構成要素の根幹にかかわるのです。
4,システム構築
組織がシステマティックにできていないと、あるいは属人的な組織は感情的になり、運営が滞りがちになります。
5,公私混同の排除
会社の会議でも、自分に得になるような意見しか言わない人が散見します。まず自分が得かどうかではなく、組織にとってそれがメリットか、どうかを考えて行動する組織にしていかなければなりません。

以上のこの5つの観点で組織の環境適応能力は測れます。またこのようにスタッフを教育していかなければなりません。

本来、明治維新前までは、寺子屋などで、四書五経といった徳目の教育が青少年教育の主体であったために、自然に組織で個人を生かす方法を徹底的に学ぶのです。

しかし、明治以降、特に戦後、知識教育の偏重と、西洋型組織におけるトップダウンの組織運営のしくみは、派閥、縄張り争いなど個人利益誘導のしくみが、特に日本の舵取りを担う、官僚や大企業などの大組織ではびこり、その結果が日本の衰退を招きました。

戦前は海軍、陸軍などの軍閥による対立や、陸軍における皇道派や統制派の派閥対立、戦後では、官僚における省ごとの対立や、大企業でも後継者を指名する場合、自分より小粒な人材を指名し、自分の影響力を残そうとすることなど。

今日、徳育教育もなく、特に戦後66年、個人主義だけがはびこるなかで、組織を通して個人を生かす方法はITを活用するしかありません。公平平等な評価のできる、教育と指示命令の仕組みをもった仕組みを組織に導入することが大切でしょう。

2008年12月07日

価値連鎖

 生物は摂取する食物が変化すれば、それに応じてその生態も変化します。企業も同様に市場が変化すれば、それに合わせて商品形態、販売戦略、組織形態も変化させなければ生き残れません。高度成長期以降、いかに企業がその“生態系”を変化させてきたのでしょうか。その方法をバリューチェーン(価値連鎖)と言います。

 1975年代、皆と同じ生活水準、同じ物を持つことが幸せの指標でした。商品形態は100円ライターに代表される、大量生産、大量消費の時代であり、安く機能的な商品が市場で歓迎されました。壊れれば、安くて新しい物を買い換えればよしとする「使い捨ての時代」でした。

 そして流通経路は、メーカーから長年馴染みの問屋に商品を卸し、二次問屋、三次問屋を経て、小売店に流れます。常に単一のチャネルに安定的に商品が流れる商品流通形態が主流であったのです。メーカー、問屋、流通、小売店が、それぞれ住み分けテリトリーで安定して経営できるのを美徳としたのです。

 このような市場システムの中では、与えられた仕事を確実にこなすことが社員の使命であり、経験が重視され、年功序列、終身雇用が適切な組織形態だったのです。

 1980年代に入ると、若者を中心に自己主張が始まりました。服飾においてデザイナーズ・ブランドが台頭したことがその象徴的な事例です。趣向が多様化し、市場が細分化され始めると、市場に投下した商品は在庫が増加し、投資回収率が悪くなり始めました。

 企業は製造過程を変えると大きなコストがかかるため、商品の形は変えず、デザインを変化させることで、細分化され市場ニーズを満たそうとしました。デザイナーズ・ブランドの自動車や食器、家具が多く登場し始めたのもこの頃です。企業では細分化された市場をより明確に認識する必要が生まれ、多くの企業にマーケティング部門が設立されました。また、テレビや雑誌の成熟化に伴い、ユーザーの趣向を自社に有利に誘導しようとするイメージ戦略も企業の利潤追求に大きな役割を持つようになり、企業宣伝、広告への投資が飛躍的に伸びました。

 細分化された市場には、画一的なヒエラルキーの組織では対応できず、事業部制という各部署への権利委譲が始まったのです。

 1990年代に入ると、バブルの崩壊が起こり、多くの商品が売り上げを下げる中で、ファミコンやパソコンソフトなどのパッケージソフト主体の商品が伸びていったのです。販売戦略も単に市場の構造を把握するだけでなく、直接ユーザーとのコミュニケーションを図るようになりました。顧客の組織化、カードビジネスのブームはその具現化した戦略を企業に取り込んでいったのです。

 2000年代に入り、急速に多くの家庭がパソコンを持ちネットワークでつながるようになりました。家にいながら、メールを使い、インターネットショッピングや旅行・観劇の予約などを取るようになりました。

 昔は、このような消費スタイルになると、流通機能は不要となり、直接メーカーとユーザーのコミュニケーションにより、商品が配信されることが予想されました。しかし実際は、流通・小売り業は、量販店やスーパー、ディスカウント店に代表されるように淘汰され、一極集中し、利益をあげるポジションになりました。またインターネットも楽天やアマゾン、価格コムに代表されるインターネットで情報収集してショッピングするためのショッピングモールが全盛を極めています。
 
 パソコンの利用形態はデータ→情報→知識→知恵と流れます。具体的に言うとワープロソフトや表計算で「データ」を加工していた時代、インターネットなど「情報」を集める時代、情報を共有し、学習に利用する「知識」、ノウハウをパソコンで実践する「知恵」の時代へと移行します。しかし日本は、この「情報」の時代からなかなか「知識・知恵」の時代へとは進めません。それはなぜか。日本は、金融ビックバン以降、株価はあがり、また米国金融バブルにより、株式市場で利益をあげるか、もしくは外国金融資本の乗っ取りから、自社をいかに防ぐかで、商品市場にあった組織体系よりも、株式市場にあった組織へと変貌することになったのです。また国内消費市場は、冒頭でも述べたように、減少の一途をたどったのです。その結果、日本企業のITへの戦略的投資は抑えられ、そこで働く日本の消費者のITの利用形態は「情報」での利用にとどまっているのです。

 ただ電子辞書、ウィキペディア、マイクロソフトの「エンカルタ」という形で知識をデジタルで活用する時代は来ました。しかしパソコンの利用形態では、まだ「知識」の時代に来たとは言い切れません。「知識」の時代が完全に来る前に、「知恵」の時代に突入することが予測されます。

 なぜなら100年に一度の大不況であり、この不況を乗り切るために、人々はあらゆる手段を試みるでしょう。組織は、死に物狂いで知恵を結集して利益を求めることに行き着くことが想像されるからです。そして「知恵」の時代に突入すれば、「知識」的な利用も飛躍的に増大するでしょう。いろいろな媒体で「組織IQ」とか「暗黙知」が最近目立って語られるのもその流れです。ただ企業のなかで、皆の知恵を有効に結集させるためには、評価と配分を工夫しなければなりません。自分の知恵がどのように利益担保され、リターンされるのか、明確にならなければだれも知恵を出さないからです。現状の企業の状況はそういう状況です。

 「知識」の時代がなかなか来なかった理由に、日本の教育現場の問題もあります。教育現場でパソコンがなかなか利用されなかったのです。その理由は2つあります。ひとつは運用面で、個別習熟度別学習とそれに伴う遅滞者対策が教育現場で進まないからです。もうひとつはインフラ面で、一人一台環境のノートパソコンと、無線LANがなかなか普及しないからです。インフラ面はパソコンの価格がかなり下落したことで、今後の学校での普及に期待できます。運用面は、今、話題になっている文部科学省が主導する全国統一模試の結果を、学校ごとに公表するか否かにかかっています。なぜなら結果が明示されれば、現場の先生方は真剣に個別習熟度別学習に取り組むからです。教育現場でパソコンが当たり前のように活用されれば、各家庭でもパソコンを活用した学習が習慣化されるでしょう。

 そして、その時代が幕を開けると、人々はパソコンやITを手足のように酷使し始め、いかにビジネスに生かすか、いかに利益を獲得するか、考えめぐらせることでしょう。そうなると、もっとも有効なのは、他人の知恵をフルに活用することに行きあたります。もともと付加価値をあげるためには、よりよいパートナーを数多く見つけることです。そしていかにうまく知恵を出し合って付加価値のある商品やサービスに仕上げるか、が重要になっていきます。そして人々がそれを追いかけていくと組織のメリットがあるときだけ、企業を利用するという企業と個人の境界線がなくなるような労働形態が出現することが予想されます。

 おそらく今の派遣法の改正や労働問題はこういう形で解決されていくことでしょう。ある意味現代の労働問題は、こういった企業組織の変革期に必然的に起きる問題なのかもしれません。企業と個人が高度に発達したシステムで結び、労働キャリアをそのまま他企業に生かせれば、派遣社員やニートやフリーターの問題は解決します。

リエンジニアリング

リエンジニアリングという言葉はあまり最近聞かれません。どうせビジネス用語などはコンサルティング会社か、経営学の先生がめしのたねに造語してるだけなので、覚える必要はないと思います。
でも現場で使えるエッセンスは覚えておくべきでしょう。

リエンジニアリングとは「ビジネス・プロセスを根本的に考え直し、抜本的にそれをデザインし直すこと」です。しかし、どうデザインすべきかは、古来より決まっています。

「公平平等な評価をし、教育、学習と仕事を一体化させながらつねに自分の仕事や組織を改善し、進化させていくこと」なのです。孫子は、大軍を臨機応変に風林火山に動かすためには、公平な分配と道天地将法を日頃組織に訓練させろ、と言っています。それを三国志の曹操は「教令一致」(教えることと指示することを一体化させろ)と解説しています。

具体的にはどういうことでしょう。
企業組織が拡大していくと、中間管理職にスタッフの評価を託す、従来の人事評価システムでは、実際、公平平等な評価ができるリーダーは、そう多くはいません。

その結果、スタッフは、直接自分の昇進や収入の増加につながる人事権を握っている上司への企業内営業へ走る傾向が強くなります。

そして、企業としての正当な活動がされなくなるケースが増えてきます。
そこで、こうした利潤追求に結びつかない、無意味な社内営業をなくすために、
会社が創造するリアルタイムの付加価値を、公平平等に分配するシステムが必要になるのです。

社員に無意味な縄張り意識を取らせないためにも、社員に「部署」という意識よりも「利益追求」という企業目的のために行動させることが大切です。

一歩進んで、社員一人一人が小さな事業主としての意識を持たせなければなりません。

メーカーの営業マンを例にとると、従来は売上のノルマを設定され、その数値を達成することが仕事の目標でした。そしてその目標達成のために、リーダーは足で稼げ、とか御客様の懐に飛び込めとか、現実味のない根性論を展開する上司が多かったのです。

本来、そういう上司は失格です。つねに社員が売れるための「しくみづくり」と「モチベーション」をナビゲートしてやることこそリーダーの役割です。

まず社員にチベーションをつけることが重要かもしれません。それは先ほど述べた「小さな事業主」に追い込むことです。責任と自由を同時に持たせて、目標を設定するのです。利益追求に貪欲にさせなければなりません。

次にどうしたら利益を上げられるか、を顧客の立場にたって考えることです。そうすると、まず顧客がなにを欲しがっているのか、そしてどうしたら顧客のそのニーズにこたえられるかを考えることです。必死にならなければ、利益なぞ獲得できません。小さな事業主だからこそ必死になれるのです。

これからは単純にモノを売る商売から、サービスやコンサルティング、情報などのソフトが利益や売り上げに大きく貢献することになります。

そのために営業マンに課せられる能力は
1. 市場分析能力 マーケティングの知識を活用して市場の現状、流れ、自社商品の位置づけなどを読みとりながら、自らが肌で感じる市場に深く切り込んでいけること。 2. 販売店指導能力 販売店経営者の立場に立って、いかに利益を上げるか、特に自社商品をどう扱えばよいか、在庫管理も含めて的確なアドバイスができること。
3. 企画力+開発に必要な基礎的技術能力 どのような商品が市場で受け入れられるのか、商品知識、商品を構成している基礎的な技術知識を備えることにより、的確に開発にフィードバックできること。
こうした能力は、今までごく限られた「伝説的な」営業マンにのみ可能なものとされてきました。しかし、いま、ITの活用により、多くのヒトがこの能力を身につけることが可能となるのです。 単純作業からゼネラルへ 自分の役割を明確化することは大切である。しかしよりよく仕事をするには、仕事の流れの全体像を把握しなければなりません。組織を仕事の全体の流れを把握するしくみをつくることが必要です。

権限委譲
現場が、組織全体のしくみを把握していれば、現場で改善できることも多いはずです。むしろ現場で問題が生じたら、現場ですぐに改善できる仕組みにする必要があります。その場合、すぐに電子決済できるITを活用した稟議機能が必要でしょう。

評価の基準 評価の基準は、いかに個人が会社に付加価値を生んでいるか、ということです。しかしこの付加価値を単に入ってくる利益だけでとらえると、社員がスタンドプレーに走り、直接利益を生まない部署ではモチベーションが下がったりします。

そこで、評価の基準を、従来の人事評価をすべてにするのではなく、社員のグループウエアなどでの活動を自動的に記録するしくみをつくり、プロフィットを中心とする「採算」そしていくら仕事で改善提案したか「学習」スキルや技術の基準「スキル」どのくらい情報提供したか「情報」 それに従来の「人事」そして「目標達成度」を加えた6項目で点数を出し、リアルタイムに出た利益を社員の点数の割合に応じて配分するのです。

そうすることにより、目に見えない社内貢献も含めて社員は今、自分がどのくらい利益貢献しているかが把握できます。

教育
教育は三国志の時代から、曹操が教令一致を説いているように、経営に重要なポイントです。もちろん従来型の集合研修も必要です。しかしいつも身近ですぐに学べ、さらに新たに学んだものをすぐに入力して利用できるシステムにすることが、社員教育の効果を引き出します。

2008年12月06日

ボズワース

エドワード4世の弟グロスター公は、次兄クレランス公を謀反の罪で陥れ、処刑させ、エドワード4世が死去すると、その幼子であるエドワード5世の摂政になるも、すぐにロンドン塔で、その兄弟を殺し、リチャード3世として王位についた。

そこでランカスター側はこれに対抗して挙兵。フランスのヘンリーテューダもリチャードを倒すためにイギリスに上陸する。

リチャード3世は諸侯に集合かけ、兵を集めるも、弟がヘンリー側に与していることに不安を感じる。

両軍はボズワースの原野に進撃する。

リチャード軍は先陣をノーフォーク公、後陣をノーサバラント伯が務め、王自身は中央で全軍を指揮する。
一方ヘンリー軍はオクスフォード伯が全軍を統括。中央にヘンリー、左右にサー、ジョン、サベージおよびギルバートタルボットという布陣。

戦いはボズワースの丘陵に突き出た「アンビエン・ヒル」の争奪戦に始まりました。リチャードはノーフォーク公にアンビエントヒルの占領を命じ、王もこれに続く。

一方ヘンリーも全軍に進撃を命じるが、目指したアンビエントヒルはすでにノーフォーク公に占領され、また進路が湿地帯に阻まれたため北に転進する。

ヘンリー軍が陣容を整え、攻撃に転じ、アンビエンヒルの斜面を登り始める。

ノーフォーク軍は丘をかけ下り、斜面の中腹でヘンリー軍を押し返す。しかしノーフォーク公は戦死する。

王はノーフォークの戦死によりヘンリーとの勝負を決めようとし、ヘンリーの前の厚い護衛層を突破しようとし、ノーサバラント伯に出動命令を送る。しかしノーサバラントはスタンリの動きが挙動不審なのを警戒して動かず。
このときスタンリー卿はヘンリー側に寝返り、リチャード軍の側面に迫る。

王はこの裏切りを知ると親衛隊を終結し、斜面をかけ下り、スタンリ軍めがけて突進するも、湿地帯に馬の脚を取られ、立ち往生し、敵に囲まれる。

リチャード三世は戦死する。
リチャード3世 1幕1場「平時と非常時のリーダー」
長い薔薇戦争は赤い薔薇側のヨーク家が勝利し、、容姿端麗な兄のエドワードが王座につきました。後のリチャード3世、弟のグロスターはランカスター家との戦いの日々では、存在価値が大きかった自分が、平和の時代が来ると、居場所を持たないのに気づきます。そこで兄のエドワード王と次の兄のクラレンスを倒し、自分が王座につこうと企みました。安定した時代はバランスのとれた毛並みのよいエリートがリーダーとなり、変革の時は異端児がリードして体制をひっくり返す。いつの時代でも平時と非常時のリーダー像はエドワードとリチャードのように対象的です。非常時のリーダーが平時で地位を保つのは難しい。ナポレオン、ヒトラー、織田信長、西郷隆盛はその典型といえるでしょう。

リチャード3世 5幕3場「戦わずして負ける」
孫子の5つのキーワードのひとつに「天」というのがあるが、その「天」の一つであろう気、運勢を呼び込むことも重要な戦略です。リチャード3世は兵力では圧倒的に有利でした。にもかかわらず戦争の前夜、野営のテントでリチャードが寝ていると、亡霊が出現しました。彼は気が動転し、状況は一変した。悪の限りを尽くし、策略をめぐらし、地位を獲得しても、そこに正当性がなければ、気や運を呼び込むのは難しいものです。
これは「天」に逆らって戦う前から負けてしまっている人間の独白です。ビジネスでもリーダーの姿勢は常に顧客に対しては誠実であり、社員に対しては正義を貫く姿勢が大切です。濡れ手に粟の商売をしたり、社内に派閥を作ったり、不公正な人事はどんなに自分の立場が強くても、いずれは崩壊の憂き目をみるようです。正義や誠実さはすきをつくらず、前向きの姿勢が運をよぶのでしょう。正義と誠実は比肩するもののない最高の戦略なのです。

リチャード3世 5幕3場「戦わずして勝つ」
リッチモンド伯、後のヘンリー7世はリチャード3世との戦いの前夜、はればれとした明るい気持ちで部下と戦略を討議していました。自分の正当性を信じ、前向きな明るく余裕のある状況は、リチャード3世とは対照的です。兵の数では不利でも運勢が見方しているので、悲壮な暗さはみじんもない。運気を追い風に、つまり「勢い」にのって一気に決戦を挑もうという「人事を尽くして天命を待つ」状況はすでに戦わずして勝つ状態なのです


始計編
リーダーには常に理論と公正さが必要。

デュークスベリの戦い

フランスに亡命していたヘンリー6世の王妃マーガレットは、皇子エドワードと南英ウェーマスに上陸。バーネットでの味方の敗北を知るが、再挙を決意しウェールズ入りを目指す。

エドワード4世はこれを阻止しようと、王妃軍を追い、デュークスベリ南方に広がる原野での決戦となる。

マーガレット王妃を中心とするランカスター軍はデュークスベリの町を背に右翼をソマセット公、左翼にデヴォンシャ伯、中央に17歳の王子エドワードという布陣。しかし中央で実際に指揮をとっていたのは、寝返りの常習犯ウェンロック卿である。

一方エドワード4世率いるヨーク軍は右翼へースティング、左翼グロスター、そして中央にはエドワード4世が弟クラレンスを従えて全軍を指揮する。
また200の槍部隊を予備軍として左翼後方に配する。

戦いは砲撃戦で始まる。

ランカスター軍右翼のソマセット公が、側面からの奇襲を図り、右手の小山の外側を回って密かに軍を進める。
王エドワードは、この小山の西の高台に敵が伏兵を置く危険を考え、ここを占領させるために一隊を送る。この一隊はソマセット軍と遭遇するが、身を隠してこれをやり過ごし、引き返して奇襲を受けながらも陣容を立て直した見方とともにソマセット軍を挟み撃ちにする。

ソマセット軍に呼応して正面から攻撃をかけることになっていたウェンロックが動かず、ソマセット軍は大敗を喫する。

辛うじて陣地に戻ったソマセット公はウェンロックの裏切りに憤激してこれを殺害。

リーダーを失ったランカスター中央軍は敗走。これに連鎖して全軍は総崩れとなり、勝敗は決した。

これもランカスター側はフランス人の傭兵に依存するという寄せ集めの組織力の弱さが、現場での混乱を招いた。

傭兵であり、寝返りの常習犯であるウェンロックを中央軍の司令官にしていたことも問題である。

謀攻編 勝ちを知るに5つあり。
 戦うべきかを見極められるものは勝つ
 軍の多寡に応じて用法を用いられるものは勝つ
 司令官と兵が一心同体のときは勝つ
 思慮分別のあるものがないものと戦えば勝つ。
 司令官が有能で君主がよけいな口出しを、しないことをわきまえていれば勝つ。
敵を知り己をしれば百戦危うからず。

タウトンの戦い

1461年、戦死したヨーク公の息子エドワードは、ランカスター側の大軍を破り、父の仇を取ったのち、ロンドンに入場し、国王を宣言した。

ロンドン入城したエドワードは、北方に退いていたランカスター側のヘンリー6世の王妃マーガレットの軍を追って進軍を開始した。

王妃軍はその数4万とも8万ともいわれる大軍勢をもってタウトンの丘陵地帯に布陣し、エドワードを迎えうつ。

こうしてばら戦争中最大規模の決選の火ぶたが切って落とされた。
ヨーク軍は降りしきり雪と追い風に乗じて弓矢戦に出る。

第1矢を放つと直ちに射程距離の外に退避、敵軍の矢の浪費を誘う策である。
逆風に加え、雪のために視界の利かない中、やみくもに矢を放ったランカスター軍は矢を使い尽くし、数にまかせて進撃するが、両軍に横たわるくぼ地を越えたところを、待ち構えていたヨーク軍に矢を射かけられる。

しかし兵の数で上回るランカスター軍は、ヨーク軍の左翼カスル・ヒル森に伏兵を配置していた。

戦いは歩兵戦に、続いて白兵戦となっていく。前線の兵士が倒れると、後部の者がとってかわる。勝敗の帰趨は四段を許さない。

ヨーク軍は敵の圧倒的な兵員数やカルス・ヒル森の伏兵のために後退を余儀なくされ、一時劣勢に陥る。

しかしやがて後続のサフォーク軍が戦場に到着し、味方の右翼となって戦列に加わり始める。

次々到着するサフォーク軍は、敏速にランカスター軍の左翼を脅かす。
サフォーク軍の加勢は両軍の士気に微妙な影響を及ぼし、ランカスター軍は、前線離脱する兵が現れる。はじめは単独で、やがてグループで、その波紋は急速に広がり、ついにランカスター軍は総崩れとなる。

ヨーク軍は退却する敵を追撃する。
敗走するランカスター軍は、タウトンを抜け出し、コック側にさしかかる。ところがそこは切り立った崖と川幅いっぱいに溢れる水で敗走兵の行く手を阻み、大混乱となる。屍は川の水をせき止めて堤となし、追跡軍はその上を踏み越えて走る。ここを越えても、この先のタドカスターの渡り場でも同様な惨状が繰り広げられる。

ランカスター側の敗因は、最高司令官が戦争には素人のマーガレット王妃がリーダーシップをとったことがあげられる。

数の上では優勢でも、司令官にリーダーシップがなければ組織は維持することはできない。

逆風下で戦争の口火を切ったという基本的なミスも犯している。
バーネットの戦い
エドワード4世はかつての腹心ワリックにより王位を奪われ、フランスへ逃亡の身となるが、半年後には英国上陸を果たす。

今やランカスター側に与するワリックは、これを知り、ロンドンを目指し、南進するエドワードを追うが、エドワードはロンドンに入城を果たし、ワリックを倒すべく北進した。
1471年4月 両者はバーネット北方に広がる原野で対峙する。
その日は一帯に濃い霧が立ち込めていた。

エドワードを中心とするヨーク軍は中央に王自ら陣取り、右翼に王の弟グロスター公、左にへースティング卿、対するワリックを中心とするランカスター軍は中央にモンタギュ候、左翼にエクセター公、右翼にオクスフォード伯という布陣で、ワリックは中央後部に予備軍を従えて全軍を統括する。

エドワードはラッパを吹奏させ、総進撃が開始された。
緒戦は先ず飛び道具で始まるが、霧のため双方ともやみくもに打ち合い、両軍とも損害はほとんど受けなかった。

エドワード軍は白兵戦に移る。
兵力はエドワード軍10000、対するワリック軍は15000.
ワリック軍右翼オクスフォード伯は敵軍へースティング隊に迫り、これを撃破。
しかし、この状況は、霧が幸いして味方に伝わらず、エドワード軍に敗走の連鎖反応は起きなかった。

ワリック軍左翼のエクスターがグロスターの猛攻に押される。ワリック軍は予備軍の一部を向けて援護する一方、中央でのエドワードの進撃に対して持ちこたえる。
逃走する敵を追って南下したオックスフォード伯は、800の残兵を集めて戦線に復帰。敵の背後を突こうとするが、霧のため誤って、オクスフォード軍が戦場を出て行ったあとをカバーしていた味方のモンタギュ軍を攻撃してしまった。モンタギュ軍はオクスフォード軍が寝返ったと思い、ワリック軍は大混乱に陥った。

エドワードは敵軍のこの混乱を見逃さず、全軍に進撃の号令を下し、予備兵を和リック軍左背の「死者の谷」に送り込む。

エドワード軍右翼グロスターも進撃し、大勢はエドワード軍勝利に決する。
ワリックは敗戦を悟り、戦場を抜け出し、北へのがれるが、追手に捕らえられて殺される。
ワリックはキングメーカーと呼ばれていた。エドワード4世を王位につけたのも、ヘンリー6世を復権させたのも彼の力によるところが大きかった。

この戦いの勝負の最大の原因はオックスフォード伯の軍勢が、濃い霧のために間違えて味方のモンタギュ軍を攻撃し、裏切りと勘違いしたモンタギュ軍と同士討ちをはじめたことである。
地形編では、軍兵には次の6つの欠点が存在することを指摘する。
逃げ足の速いもの、緩んでいる者、落ち込む者、混乱するもの、かってに撤退するもの、そして戦いでこれらの欠点が露呈するのは天地の禍ではなく、将たるものの過失である、と。

へースティングの部隊を打ち負かしたあと、オクスフォード伯の軍隊は勝ちに乗じて略奪するものや、帰参するものが出て、収拾がつかなくなった。ようやく軍兵を集めて戦列に加わったものの、同士討ちになってしまった。自然という偶然が勝敗をつけたように見えるが、孫子流にいえば、リーダーシップの問題といえるだろう。

ヘンリー6世 5幕2場 「死と敗北」
バーネットの戦いで瀕死の重傷を負ったワリックの独白である。いかに輝かしい栄光があろうとも死ぬ時は自分の体の大きさしか自分の所領はない、と生のはかなさを嘆いていま

五丈原の戦い

蜀の皇帝劉備亡きあと、諸葛孔明は劉備の子、劉禅の後見として呉との関係を回復した後、南方の平定をおこなった後、227年ついに北伐を決意。魏軍を率いる司馬仲達とはじめて相まみえることとなる。
こうして三国志を代表する軍師諸葛孔明と司馬仲達と最初で最後の戦いが始まる。
第1次北伐 孔明は趙雲の別動隊により、敵を牽制、本隊はき山をおさえるべく行軍する。

孔明は敵の総司令官が仲達だと知ると、必ず攻めてくるであろう街亭を守るために腹心の馬謖を派遣する。街亭を奪われると、孔明軍が分断され、個別撃破されるからである。

ところが馬謖は孔明の指示を無視し、自軍を南側の山上にあげてしまう。
これを仲達は見逃さず、馬謖はあっというまに仲達に包囲される。水をたたれた馬謖は山を下り、白兵戦を挑み、破れてしまう。

諸葛孔明は命令を無視した馬謖を切り、「泣いて馬謖を切る」はここから生まれた。

第2次北伐 孔明が陳倉を攻めると予想した仲達は故芽衣の破城攻撃に対抗するため、弓の名人かく昭を派遣する。

わずか千人のかく昭軍は数万の蜀軍と20日以上も渡り合う。

孔明は敵の大軍が近づいてきたことを知り、さらに食糧が尽きてきたこともあり、退却を開始する。

このとき、孔明を追ってきた王双は白兵戦で敗れ、殺されてしまう。

第3次北伐 まず魏が第1次南伐をおこなった。

しかし40日にわたり降り続く豪雨が魏軍の進攻を阻む。この隙に孔明は魏延に涼州方面を攻略させる。

涼州攻撃の帰り道、魏延は魏軍の郭准と遭遇し、孔明軍との挟みうちでこれを壊滅させる。

第4次北伐 孔明の死が近いと気づいた仲達はひたすら守りの体勢をとっていたが血気はやる配下達や諸将を抑えきれず、き山に進軍することになる。

戦略的には仲達が勝っていたが、戦術的には孔明が勝っていたので、孔明軍の圧勝に終わった。

食糧が尽きかけたので、退却を始めた孔明軍を、仲達は張こうに追撃させるが、孔明の伏兵に襲われ、張こうはあっけない最期を遂げる。

第5次北伐 孔明は五丈原に陣を構える。しかしどんな挑発にも仲達は乗ってこなかった。対峙して3か月。孔明は女物の服などを送りつける。仲達陣営の諸将たちはこの侮辱に怒り、一触即発となるが、仲達は帝に出陣の打診を送るが、帝は老臣をよこし、諸将たちをなだめた。

234年孔明が死に、臨終に臨んで、後を託した楊儀に策を遺言する。
蜀軍は退却し、仲達は追撃するが、蜀軍は反撃の形勢を示し、司馬懿は慌てて軍を退いた。この事を聞いた人々は「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」などと噂した。
司馬仲達は「私は生者を相手にする事は得意だが、死者を相手にするのは苦手だ」と論語の一節、「未だ生を知らず、焉くんぞ死を知らん」にかけて語ったという。

蜀は劉備なきあと、劉禅が王となった。劉備は死に際に、諸葛孔明に、劉禅に皇帝の才能なくば、孔明がそのあとを継ぐように、遺言したのだが、孔明は劉禅に忠誠を誓った。

街亭の戦いでは、孔明の腹心であった馬謖を起用したのだが、馬謖は自分の才能に過信し、孔明の指示をきかなかったばかりに率いた蜀軍を全滅させてしまった。孔明はカリスマ的リーダーであるが、どうも後継者を育てるのは得意ではないようだ。また同じく腹心であった魏延と楊儀は孔明のあとめを争い、魏延は殺され、楊儀は失脚した。カリスマ的な天才リーダーの傍で働いていると、時としてそのスタッフは自分の能力を過信し、決断を誤ることが多い。大企業でばりばり働いていた人が、いざ独立したり転職したりすると、思うように働けないことにいら立つケースもこれに該当する。

五丈原で、孔明が死んだとき、その死を隠し、撤退したことは「詐を以て立つ」典型であろう。ビジネスでも常に理想的な状態でビジネスを行えるわけではない。顧客に理想的な状態をアピールし、納品する時まで、もしくは段階的に理想的商品を納品するケースもある。

博望ヒ

劉備軍、諸葛孔明は夏侯惇軍十万に対し、次のような布陣を引く。
「張飛は千の部隊を指揮し、博望城西側の予山に隠れ、敵が来ても決して戦わず、その前進を見過ごし、南方に火の手が上がったら、戦闘部隊に続行してくる部隊を襲いなさい。」
「関羽は千の部隊を指揮し、博望城東側の森林内に潜みなさい。

戦わず、南方に火の手が上がったら、博望城内の食糧集積所を襲いなさい。」
「関平と劉封、五百の部隊を指揮し、博望城南方、山間の草地に隠れ、敵の戦闘部隊が入ってきたら火攻めにしなさい。」

「趙雲は民兵を指揮して博望城北方に進出し、敵に遭遇したら負けたふりをして逃げなさい」
「君(劉備)は趙雲隊の後方を前進していただきたい」
「夏侯惇が十万の兵を率いて、多数のちゅう重車を従えて博望城の北に現れる。趙運の貧弱な部隊を嘲笑し、一蹴して今夜の宿営地新野の城に入ろうと駒を急がせる。」
「博望付近で劉備が合流。劉備、趙運はさらに敗走を続ける。」

「夏侯惇が罠に気付く。しかし事情を知らない後続部隊から後から押し寄せてくるので下がろうにもさがれない。」

「関平、劉封が火攻めを行う。夏侯惇は多数の死傷者を残して逃げていく。」
「後方では、張飛が部隊を襲い、関羽が食糧集積所を襲撃していた。劉備軍が勝利する。」

九地編 狭い地では謀をめぐらせ。大軍相手に勝つには狭い地での奇襲が有効である。

官渡の戦い

西暦200年春、本拠地許州を守る最終防衛ライン官渡に陣を構えた曹操と、それを攻める袁紹との歴史的な決戦が始まる。

曹操は許州を守る最終防衛ラインである官渡で守りを固める。
袁紹軍は、敵の守りが固いことを知り、高い櫓を作って、その上から敵陣に向かい一斉に矢石の攻撃を加える。

それに対し曹操も石を発射する装置を作らせて反撃。袁紹軍の高櫓をことごとく粉砕する。
次に袁紹軍は坑道を掘り、敵陣に入ろうとする。曹操軍は陣のまわりに濠を掘り、水を注いでこれを防ぐ。

食糧が少なくなった曹操軍は許州に急使を出すが、その急使を出すが、その急使が袁紹配下の許ように捕らえられる。

許ようは袁紹に報告するが、袁紹はこれを疑い、許ようが曹操に内通していると決め付けたため、許ようは袁紹のもとを離れ、曹操に寝返る。

許ようの進言により曹操は敵の食糧が鳥巣に集積されていることを知り、自ら五千の兵を率いてこれを攻撃。奇襲が功を奏し、鳥巣は曹操軍に制圧される。

これを知った袁紹は張ごう、高覧に官渡を攻撃させる一方、一万の兵を与え鳥巣救援に向かわせる。

しかしどちらも曹操軍に惨敗し、張ごうと高覧は袁紹の罰をおそれて、曹操軍に降伏。袁紹軍は混乱状態に陥る。
この機に曹操は総攻撃をかけ、袁紹軍は崩壊。