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価値連鎖

 生物は摂取する食物が変化すれば、それに応じてその生態も変化します。企業も同様に市場が変化すれば、それに合わせて商品形態、販売戦略、組織形態も変化させなければ生き残れません。高度成長期以降、いかに企業がその“生態系”を変化させてきたのでしょうか。その方法をバリューチェーン(価値連鎖)と言います。

 1975年代、皆と同じ生活水準、同じ物を持つことが幸せの指標でした。商品形態は100円ライターに代表される、大量生産、大量消費の時代であり、安く機能的な商品が市場で歓迎されました。壊れれば、安くて新しい物を買い換えればよしとする「使い捨ての時代」でした。

 そして流通経路は、メーカーから長年馴染みの問屋に商品を卸し、二次問屋、三次問屋を経て、小売店に流れます。常に単一のチャネルに安定的に商品が流れる商品流通形態が主流であったのです。メーカー、問屋、流通、小売店が、それぞれ住み分けテリトリーで安定して経営できるのを美徳としたのです。

 このような市場システムの中では、与えられた仕事を確実にこなすことが社員の使命であり、経験が重視され、年功序列、終身雇用が適切な組織形態だったのです。

 1980年代に入ると、若者を中心に自己主張が始まりました。服飾においてデザイナーズ・ブランドが台頭したことがその象徴的な事例です。趣向が多様化し、市場が細分化され始めると、市場に投下した商品は在庫が増加し、投資回収率が悪くなり始めました。

 企業は製造過程を変えると大きなコストがかかるため、商品の形は変えず、デザインを変化させることで、細分化され市場ニーズを満たそうとしました。デザイナーズ・ブランドの自動車や食器、家具が多く登場し始めたのもこの頃です。企業では細分化された市場をより明確に認識する必要が生まれ、多くの企業にマーケティング部門が設立されました。また、テレビや雑誌の成熟化に伴い、ユーザーの趣向を自社に有利に誘導しようとするイメージ戦略も企業の利潤追求に大きな役割を持つようになり、企業宣伝、広告への投資が飛躍的に伸びました。

 細分化された市場には、画一的なヒエラルキーの組織では対応できず、事業部制という各部署への権利委譲が始まったのです。

 1990年代に入ると、バブルの崩壊が起こり、多くの商品が売り上げを下げる中で、ファミコンやパソコンソフトなどのパッケージソフト主体の商品が伸びていったのです。販売戦略も単に市場の構造を把握するだけでなく、直接ユーザーとのコミュニケーションを図るようになりました。顧客の組織化、カードビジネスのブームはその具現化した戦略を企業に取り込んでいったのです。

 2000年代に入り、急速に多くの家庭がパソコンを持ちネットワークでつながるようになりました。家にいながら、メールを使い、インターネットショッピングや旅行・観劇の予約などを取るようになりました。

 昔は、このような消費スタイルになると、流通機能は不要となり、直接メーカーとユーザーのコミュニケーションにより、商品が配信されることが予想されました。しかし実際は、流通・小売り業は、量販店やスーパー、ディスカウント店に代表されるように淘汰され、一極集中し、利益をあげるポジションになりました。またインターネットも楽天やアマゾン、価格コムに代表されるインターネットで情報収集してショッピングするためのショッピングモールが全盛を極めています。
 
 パソコンの利用形態はデータ→情報→知識→知恵と流れます。具体的に言うとワープロソフトや表計算で「データ」を加工していた時代、インターネットなど「情報」を集める時代、情報を共有し、学習に利用する「知識」、ノウハウをパソコンで実践する「知恵」の時代へと移行します。しかし日本は、この「情報」の時代からなかなか「知識・知恵」の時代へとは進めません。それはなぜか。日本は、金融ビックバン以降、株価はあがり、また米国金融バブルにより、株式市場で利益をあげるか、もしくは外国金融資本の乗っ取りから、自社をいかに防ぐかで、商品市場にあった組織体系よりも、株式市場にあった組織へと変貌することになったのです。また国内消費市場は、冒頭でも述べたように、減少の一途をたどったのです。その結果、日本企業のITへの戦略的投資は抑えられ、そこで働く日本の消費者のITの利用形態は「情報」での利用にとどまっているのです。

 ただ電子辞書、ウィキペディア、マイクロソフトの「エンカルタ」という形で知識をデジタルで活用する時代は来ました。しかしパソコンの利用形態では、まだ「知識」の時代に来たとは言い切れません。「知識」の時代が完全に来る前に、「知恵」の時代に突入することが予測されます。

 なぜなら100年に一度の大不況であり、この不況を乗り切るために、人々はあらゆる手段を試みるでしょう。組織は、死に物狂いで知恵を結集して利益を求めることに行き着くことが想像されるからです。そして「知恵」の時代に突入すれば、「知識」的な利用も飛躍的に増大するでしょう。いろいろな媒体で「組織IQ」とか「暗黙知」が最近目立って語られるのもその流れです。ただ企業のなかで、皆の知恵を有効に結集させるためには、評価と配分を工夫しなければなりません。自分の知恵がどのように利益担保され、リターンされるのか、明確にならなければだれも知恵を出さないからです。現状の企業の状況はそういう状況です。

 「知識」の時代がなかなか来なかった理由に、日本の教育現場の問題もあります。教育現場でパソコンがなかなか利用されなかったのです。その理由は2つあります。ひとつは運用面で、個別習熟度別学習とそれに伴う遅滞者対策が教育現場で進まないからです。もうひとつはインフラ面で、一人一台環境のノートパソコンと、無線LANがなかなか普及しないからです。インフラ面はパソコンの価格がかなり下落したことで、今後の学校での普及に期待できます。運用面は、今、話題になっている文部科学省が主導する全国統一模試の結果を、学校ごとに公表するか否かにかかっています。なぜなら結果が明示されれば、現場の先生方は真剣に個別習熟度別学習に取り組むからです。教育現場でパソコンが当たり前のように活用されれば、各家庭でもパソコンを活用した学習が習慣化されるでしょう。

 そして、その時代が幕を開けると、人々はパソコンやITを手足のように酷使し始め、いかにビジネスに生かすか、いかに利益を獲得するか、考えめぐらせることでしょう。そうなると、もっとも有効なのは、他人の知恵をフルに活用することに行きあたります。もともと付加価値をあげるためには、よりよいパートナーを数多く見つけることです。そしていかにうまく知恵を出し合って付加価値のある商品やサービスに仕上げるか、が重要になっていきます。そして人々がそれを追いかけていくと組織のメリットがあるときだけ、企業を利用するという企業と個人の境界線がなくなるような労働形態が出現することが予想されます。

 おそらく今の派遣法の改正や労働問題はこういう形で解決されていくことでしょう。ある意味現代の労働問題は、こういった企業組織の変革期に必然的に起きる問題なのかもしれません。企業と個人が高度に発達したシステムで結び、労働キャリアをそのまま他企業に生かせれば、派遣社員やニートやフリーターの問題は解決します。