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遅ればせながら、今年の春の話

毎年の桜の季節は、私の場合、家の前の神社の枝垂桜から始まります。2月くらいから藪椿が咲き始め、3月中旬くらいから枝垂桜が咲き始めます。そして2,3週間ほど咲くと、また椿だけになります。枝垂桜の散り始め、境内の地面に桜の花びらのじゅうたんができ、そこにぽつ、ぽつっと椿の花が転がっているのは比類なく美しい。私は、結城に下駄をはき、神社のお社の縁側に座り、枝垂桜を眺めながら、骨董市で買ってきたがらくたの青磁でちびりちびり日本酒を飲むのが、この時期の休みの過ごし方の定番です。

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しかし今年は、事件が起きました。枝垂桜が咲き始めた3月19日の翌朝、この境内で縊死された方がおりました。枝垂桜の下にある小さなお稲荷様の祠の軒に縄をかけたのだそうです。37,8歳の男性の方だったそうです。どういういきさつかは存じませんが、ご冥福をお祈りします。この話を私が知ったのは、1か月後だったのですが、それを聞いたとき、そういえば、この神社を題材にした短編小説があるのを思い出しました。水上勉の「崖」という初期の短編小説です。

水上勉は昭和25年ごろ、この神社の近くの農家の離れに3歳になる娘さんと暮らしていました。そのころの生活をモチーフにしたもので、主人公の「私」は会社が倒産して、その退職金で、妻と、農家の離れで暮らしていました。しかし家を買おうと、妻は新橋のキャバレーに勤めに行きました。そして高台にある神社のふもとの小さな家を買いました。しかし妻はあいかわらずキャバレー勤めを続け、「私」は毎晩終電のころ、旧中仙道を16分歩いて浦和駅まで妻を迎えに行きました。

ところがある日、妻は終電で帰ってこなかったのです。それ以来、「私」は妻の不貞を疑い、浮気現場を捕まえようと、旅へ出る、と言って縁の下に隠れていました。すると車の音がし、しばらくすると、外人と妻が睦む声が聞こえ、その声が収まったころを見計らって飛び出すと、妻は首を絞められて殺されていました。
亭主である「私」は疑われて一度は逮捕されたのですが、証拠不十分で釈放されました。しかしそれから数日後、「私」であるその主人公は神社の境内にある木で縊死していたのを発見されました。なぜ「崖」という題かというと、この地域は大宮台地の先端で、当時は崖になっていたのです。

私が小さいころ、この神社は遊び場だったのですが、まだ崖がありました。武蔵野線を作っていて、砂利が広々とした土地に山高く盛られていて、そこの上から見る夕焼けが印象的だったのを覚えています。神社は薄暗く、よく遅くまで遊んでいると、神隠しにさらわれるぞ、と周りの人に脅かされました。

まあ、ブログにのせるにはいかがなものかな、の話かもしれませんが、神社は人々の生活にかかわりながら、何百年、もしくは千年以上も続いてきました。そのなかで、人は育ち、お祝いごとをし、祈り、時として命を絶つこともあります。そうやって何百年もそこに神社があるのです。

この付近の「白幡」の由来は、平安時代、京都から清和源氏の祖である源経基が地元の郡司武蔵武芝との争いのおり、ちょうどこのあたりに陣をはったそうです。源氏の旗が白だったので「白幡」と名づけられたそうです。この神社も大宮台地の先端にあるので、おそらく出城か陣、もしくは物見やぐらなどに利用されたのでしょう。

この神社は明治に入り、廃仏毀釈のおり、近所の神社と統合されました。そのため、社が5つもあります。

以前、家の前に迎えに来てくれたタクシーの運転手さんが「この神社は百済系だな」と言っていました。本当かどうかわかりませんが、渡来の歴史にさかのぼって神社の由来を調べてみるのもおもしいかもしれません。

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2007年09月17日 19:05に投稿されたエントリーのページです。

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