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2018年11月 アーカイブ

2018年11月19日

西郷どん

大河ドラマの西郷どんを、毎週面白く見ています。

いままでもなんども維新もので、西郷は出てきたのですが、今回がもっとも西郷隆盛という人物像が納得できました。

一番の謎は、征韓論です。
なぜ、西郷隆盛が単身朝鮮に渡る、と言い出したのか、それが腑に落ちませんでした。
色々な人が西郷隆盛を書いていますが、一番わかりやすいのは林房雄の西郷論です。

今回僕が、この大河ドラマでわかったのは、なぜ、西郷が、単身で朝鮮へ渡ろうとしたかは、第一次長州征伐で、西郷が単身長州へ乗り込み、長州を味方につけたことと同じことをしようとしたのでしょう。

つまり、朝鮮、中国と条約を結び、欧米列強に対抗しようとしたのだと思います。

ここで、西郷隆盛が政争で負けて、下野したことが、日露戦争を導き、朝鮮併合、中国侵攻を経て、日本の太平洋戦争での滅亡につながっていくのでしょう。

1945年、東京裁判の地方裁判で、もう東条英機によって予備役に組み込まれていて、病の床に伏していた石原莞爾は、裁判官に、太平洋戦争の遠因は、黒船による、日本の開国が原因である、と述べました。

まさに大久保利通がレールをひいた富国強兵、殖産興業政策の行き着く先が、太平洋戦争による日本の滅亡だったのです。

西郷は次のような詩を残しています。

肥水豊山路已窮
墓田帰去覇図空
半生功罪両般跡
地底何顔対照公 

 肥後や豊後への道はすでにふさがれた。
 故郷に帰り骨を埋めよう。
 維新のために覇を実現したが、今となってはむなしい。
 我が半生は、功罪半分だなあ。
 あの世で、照国(島津斉彬)公にどう顔向けできるだろうか。

あの時代にすでに日本の滅亡を予感してたのでしょう。

夏目漱石も三四郎の小説のなかで、三四郎が熊本から上京する汽車のなかで乗り合わせた男との会話で日露戦争での戦勝気分に沸いた日本のなかで、
三四郎が、「日本もこれからだんだん発展していくでしょう」というと
男はひとこと「滅ぶね」と言った文が出てきます。

この小説は1908年から朝日新聞に掲載されました。
1905年に日本が日露戦争で勝利してまだ3年のときです。

卓越した人はすでに半世紀先の日本の未来を予測していたのでしょう。


すでに、世界は情報、金融そして人材を一握りのグローバル資本家に握られてしまいました。
この秩序は500年は続くことでしょう。

そのなかで、日本人はいかに生きるべきか。
里山資本主義に学ぶしかないのですかね。

今、西郷隆盛や夏目漱石が生きていたら、なんというでしょうか。
  

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