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2015年08月 アーカイブ

2015年08月05日

父の死 そしてエンディングを考える。

3月31日月曜日朝、私は会社の朝礼で、前期のこと、そして今期の方針を話ていました。そこへ母からスマフォに連絡があり、父が実家の雨戸をあけようとして縁側から落ち、それを裏に住んでいる叔母が見つけ、すぐに救急車を呼んだけれども、心臓が止まっている、というような話のあと、「今、仕事抜けれられる?」とのんきなことを言うので、私は「親の心臓止まってまでぬけられない仕事なんかないよ」と怒りながら実家に向かいました。

実家に着くと、今まさに救急車が出ようとしていました。私は救急車を追うように日赤に向かいました。

日赤病院に着くと、父の心臓はまた動き始め、しかし、人工呼吸を止めると心臓が止まる状況でした。お医者さんの話によると、どうしてこれだけ急激に悪くなるかはわからない、と言っていました。「今度の治療では、人工心肺を着けますか?」と言われ、私と母は、即座にお願いします、と言いました。

父のベットに行くと、両手を動かせないようつながれていました。すぐに酸素マスクを取ろうするようです。僕と母がベットの側に行き、早く退院して家に帰ろうというと、父は首を横に振っていました。

とにかく苦しいらしく、早く呼吸器を取ってくれって言ってるようでした。父は手を自由にするとすぐに呼吸器を取ろうとするので、手を縛られていました。

その日主治医の先生に、人工心肺をつけますか?ときかれ、私も母も即座にお願いします、と返事しました。

ただ頭の片隅に白州正子さんのエッセイで、旦那さんの次郎氏が危篤になった時、呼吸器や管をすぐに外してくれ、と医者に頼んだ文章が思い出されていました。白州正子は本当に強い人だなあって感じました。

ただ人工心肺をつけると、植物人間になったり、意識があっても本人が苦しかったりと、主治医の先生は治療として進められるものではないとおっしゃっていました。

色々医療関係の人に聞いてもお金はかかるし、本人も、ましてや年老いた母の、看病という負担が大きくのしかかる可能性があり、すんなり決められることではないのです。

エンディングは非常に難しい、と初めて実感しました。

会社のエンディング担当のスタッフにも父がいざ、という時の準備をさせていたので、まだ生きているうちに告別式の原稿案をチェックさせられ、それも辛いことでした。

肉親である限り、おそらく多くの人にとっては、肉親の死は、自分が変わりたいほどつらいことであり、あってはならないこと、そして心電図の波がなくなり、一直線になるその時まで、回復を願うでしょう。

ただ、それまでに、様々なリスクが横たわっています。植物人間になれば、毎月大きな経済的肉体的負担が家族にのしかかり、そうでなくても、車椅子になっても家族の負担は大きくなります。

ましては夫婦のどちらかが残されて、元気ならば、その老体に大きな負担がのしかかります。

まさにエンディングに向けたランディングは非常に難しく、繊細で、一つ間違えば家族の悲劇になります。

私はエンディングコーディネーターというコンソーシアムを三年前立ち上げましたが、まさに本人もパートナーも家族も、誰もが乗り越えなければならないこのエンディングに向けた時期を、
みんなで考え、助け合え、誰もが幸せにエンディングを迎えられるための船にできれば幸いです。

2015年08月08日

御報告

色々ご報告をしなければなりませんが、父の告別式の一週間後、今度は私が家の前の神社の階段から30段滑り落ちて、頚椎を脱臼し、九死に一生を得ました。

あまり思い出したくもありませんが、朦朧として、記憶は断片的にあります。生まれて初めて救急車に乗り、父と同じ病院の同じ集中治療室に運ばれ、おそらく同じベッドだったと思います。

三時ごろ運ばれ、CTとかMRIとかレントゲンとかとり、頭にキリストのいばらのような冠を被せ、ネジを頭蓋骨にはめ込んで固定し、重りで頭を引っ張って脱臼を元に戻そうとするのだけど、リミットの13キロ載せても変わらず、かなり時間が経ちました。

その間、色々な救急患者が運ばれてきました。二度目の心筋梗塞のおばあさんや、交通事故で運ばれた小さな男の子もいました。その男の子の泣き声が可哀そうで、僕もそこで初めて涙が止まりませんでした。

その病院では治療が難しいというので、夜中に大学病院に運ばれました。幸いそこで手術は大成功し、奇跡的に後遺症は手のしびれと肩凝り以外は五体に支障は出ませんでした。

脱臼したのは第五頚椎で、第四頚椎をやられてたら、呼吸できずに即死だったそうです。

自分の怪我は、あーあやっちゃった…とか、仕事どうしよう、としか思いません。意識も朦朧としている原因でもありますが。

ところが肉親が、死にかけるのを側から見るのは、やはり辛いです。自分の身以上に辛くかんじるのは、父が倒れて一ヶ月の父の看病を通して感じたことです。

人口呼吸器は特に辛そうでした。痰が絡んだ時の苦しそうな姿は本当に自分の身を切る辛さでした 。

夜寝る時も、いつ病院から危篤の連絡が来るか、本当に寝るのが恐ろしかったです。

いざ、夜中の三時ごろ、携帯が鳴り、でも電話取れずにいて、鳴り止んだ後にギョッとして携帯を取り出したら、弟からの電話で、病院から父の危篤を知らせるものでした。

病院に家族で駆けつけ、丸二晩看病している間、徐々に血圧が下がって行き、最後に心電図の波動が止まり、でもふた呼吸して、あとは心電図が直線を描き続けた時、どこかホッとした自分がいました。

生まれて初めて肉親を失い、そのシチュエーションが映画の1シーンのようで、悲しみが麻痺したようでした。

明日は百か日法要です。この日を境に故人への悲しみを断ち切らなければならないそうです。

正直自分は死にかけたことで、父への悲しみが和らいだように感じました。

明日の法要でまた何を感じるか、未知の体験です。

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