色々ご報告をしなければなりませんが、父の告別式の一週間後、今度は私が家の前の神社の階段から30段滑り落ちて、頚椎を脱臼し、九死に一生を得ました。
あまり思い出したくもありませんが、朦朧として、記憶は断片的にあります。生まれて初めて救急車に乗り、父と同じ病院の同じ集中治療室に運ばれ、おそらく同じベッドだったと思います。
三時ごろ運ばれ、CTとかMRIとかレントゲンとかとり、頭にキリストのいばらのような冠を被せ、ネジを頭蓋骨にはめ込んで固定し、重りで頭を引っ張って脱臼を元に戻そうとするのだけど、リミットの13キロ載せても変わらず、かなり時間が経ちました。
その間、色々な救急患者が運ばれてきました。二度目の心筋梗塞のおばあさんや、交通事故で運ばれた小さな男の子もいました。その男の子の泣き声が可哀そうで、僕もそこで初めて涙が止まりませんでした。
その病院では治療が難しいというので、夜中に大学病院に運ばれました。幸いそこで手術は大成功し、奇跡的に後遺症は手のしびれと肩凝り以外は五体に支障は出ませんでした。
脱臼したのは第五頚椎で、第四頚椎をやられてたら、呼吸できずに即死だったそうです。
自分の怪我は、あーあやっちゃった…とか、仕事どうしよう、としか思いません。意識も朦朧としている原因でもありますが。
ところが肉親が、死にかけるのを側から見るのは、やはり辛いです。自分の身以上に辛くかんじるのは、父が倒れて一ヶ月の父の看病を通して感じたことです。
人口呼吸器は特に辛そうでした。痰が絡んだ時の苦しそうな姿は本当に自分の身を切る辛さでした 。
夜寝る時も、いつ病院から危篤の連絡が来るか、本当に寝るのが恐ろしかったです。
いざ、夜中の三時ごろ、携帯が鳴り、でも電話取れずにいて、鳴り止んだ後にギョッとして携帯を取り出したら、弟からの電話で、病院から父の危篤を知らせるものでした。
病院に家族で駆けつけ、丸二晩看病している間、徐々に血圧が下がって行き、最後に心電図の波動が止まり、でもふた呼吸して、あとは心電図が直線を描き続けた時、どこかホッとした自分がいました。
生まれて初めて肉親を失い、そのシチュエーションが映画の1シーンのようで、悲しみが麻痺したようでした。
明日は百か日法要です。この日を境に故人への悲しみを断ち切らなければならないそうです。
正直自分は死にかけたことで、父への悲しみが和らいだように感じました。
明日の法要でまた何を感じるか、未知の体験です。