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創作 アーカイブ

2008年02月03日

創作 石津

 顕家の戦死のときの心境を想像してみました。

 何時間たったろう。もうなにも感じない。水平線から40度の位置にある太陽は立ち上る煙で霞んでどんよりよどんでいる。いやもう日に赤みがさしている。夕方に近いのかもしれない。砂浜に寄せる波の音が静かに響く。いや雲も出てきたようだ。 いやな午後だ。こんな退廃的な気分でいるのは久しぶりだ。初めて大負けした般若坂の戦いのときもこのような気分だった。こんなどんよりした天気だったのかもしれない。左手に神社が見える。小さなほこらが立っている。

 後ろから矢がひゅうっ、ひゅうっと2,3本飛んできた。振り返ると、一斉に矢が飛んでくる。立ちこめる煙の中からものすごい量の矢がこちらめがけてとんでくる。敵だ。しかし敵の姿は見えない。いやこんな大量の矢がとんでくるとしたら、敵陣かもしれない。向きをくるりと変え、馬に備え付けている盾をとった。

 通り雨が振り出した。さっきまで太陽が顔を出していたのに、時雨かな。父上が時雨を歌によく詠んでいたなあ。お胴にあごを乗せる。紐や金具があたりざらざらする。雨にまじった血と唾の匂いがなにか生臭い。

 左足に鈍い痛みを感じた。膝に矢が刺さった。供のものは何人いるだろう。この敵陣を突破しなければ吉野へはいけない。とても突破できる気はしない。顕家にとって、かれを阻んでいるものはもはや敵という「人」のあつまりではなかった。義を阻むなにか人間の救いようのない欲望の壁のように感じた。この壁を突破するにはこれから何百年とかかることを確信した。何回も転生を繰り返さなければこの壁は突破できない。 ここが死に場所だ。父上、おさらばでございます。 煙の立ちこめた彼方から、とぎれることなく無数の矢は飛んでくる。琵琶の音のように鋭く乾いていた音で横をかすめる。しかし静かだ。心臓の音だけが低く、ゆっくりと、しかし確実なリズムで地の底から響くように聞こえる。どど どど どど どど どど どど 。顕家は娘を思い浮かべようとして、やめた。あまりにも悲しすぎる。宗広、親朝、頼んだぞ。そして気持ちを振り切るかのように腹の底から叫んだ。「出撃!」。すると「おう!」と思いもかけない大きな歓声がわき起こった。こんなにも味方はいるのか。そんなはずはない。しかし、もうまわりを見合わす余裕もない。血で視界もままならない。しかしこのつわものたちはこの先何百年も自分についてきてくれる頼もしさとありがたさを感じた。

 矢はあいかわらず横殴りの雨のようにふってくる。「どう」と馬の腹を蹴ると 矢の方向に向けて突撃した。左目の上に矢が刺ささった。兜のつばを突き抜けてのことだから、脳までは鏃は達してはいまい。まだ意識はある。でもどんどん視野が狭くなる。かすかに左手に松の木の林が見える。

ふと木の陰からなにものかが襲いかかる。「我こそは越生左右衛門丞四郎である。そちらにおわすは北畠顕家公とお見受けいたす。尋常に勝負」前方で叫んでいる言葉もとぎれとぎれに聞こえる。もう体は動かない。地べたにたたきつけられる衝撃を感じた。そしてたぶん背中から何度も刺されているのだろう。痛みはもう感じない。ただなぜかなま暖かい液体が鎧のなかに流れてくるのがわかる。もうだめだろうな。そう思っている時間が限りなく長い。だれかもう一人近寄ってくる気配があった。背後が騒がしい。遠くから「殿」と叫ぶ声が聞こえる。あああれは南部の声だ。生きていたのか。よかった。 そう思った瞬間、首になにかひやりとあたった。そしてその冷たさがゆっくりと右から左に流れた。なぜか松の枝と煙の間から青空が少し見えた。そして記憶はそこで途絶えた。

 何時間たっただろう。何日たったのか。何年か。今伊勢の山の中にいます。静かだ。限りなく静かだ。ああ自分は死んでよかったのだろうか。取り返しのつかないことをしてしまった。 父上の思想をひろめることこそ自分の役割ではなかったのか。戦いに勝ち、権力を御上の手に取り戻すことばかり考えていた。自分は戦が得意であったばかりに、戦に勝つことばかりを考え、戦にかつ最大の目的は民の安寧にあり、後醍醐帝のもとではそれがかなわないのではないか、という絶望感から死を選んでしまったようだ。もちろん長きにわたる戦いに疲れてもいた。思想など安定した社会を実現してはじめて可能なことだ。戦いの最中にはそんなものは無力に思えた。

 たとえ権力は尊氏に奪われても、思想を確立しておくことがもっとも大切だったのではないか。父上のお考えになる天下を維持することは難しいかもしれない。しかし伊勢や吉野だけでも確保し、維持させるのはそう難いことではない。そうして父上の思想をしかるべき世のために確固たるものにしておくべきだった。私の戦略は時間を背に展開してきた。時間に追いつかれた時が負けだと思っていた。般若坂の時もそうだった。石津のときもそうだった。私は生まれてからいつも時間より先に生きた。

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(般若坂から東大寺の裏手に出る)

 しかし時間をまつことも大切だ。こんど生まれる機会を与えられたら、待つことの得意な人間になろう。待つことの得意な人生。老齢になるまで、世に知られず、普通の人生をおくり、当たり前の暮らしをし、時間をかけて父の教えを広めるのだ。そして時を待つのだ。人が人として生きる世を待つのだ。

 ああそういう暮らしをしてみたかった。そういう人生をおくり、学問を整え、確立することが、本当に世の中のためになるのかもしれない。自分は歌らしい歌すらも残さなかった。もう今となってはどうにもならない。そうおもうと悔しさで胸がいっぱいになった。父に申し訳ない、あれだけ偉大な知識人を父に持ちながら、自分は父の思想を広める立場にいながら、なにもできずにしんでしまった。滅びの美学は、死んでみると底が浅いように思える。いいようのない後ろめたさが残った。

ここに顕能はまだおるのか。もう館はないぞ。草もぼうぼうではないか。

そしてそこでまた記憶はとぎれた。

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(霧山城跡)

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(霧山城跡から望む)

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(現在の堺市石津川)

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