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2010年02月 アーカイブ

2010年02月15日

なぜ、今、「ナナミ」なのか。 序章 「韓国に行ったこと」

昨年秋、15年ぶりに韓国に行きました。まず驚いたことは、ソウル市内が見違えるように美しくなったことです。15年前は、高度成長期の日本(路地はごみで汚く、道路は常に渋滞状態で、鉄道などの交通網は当時の日本よりはるかに発達していない)といった印象だったのが、いまやシアトルのような落ち着いた美しい巨大都市、といった様相に変貌していたのです。

さらに驚いたことには、夜、東大門市場にいくと、夜中でもその人の多さ、お店の数、品物のバラエティに富んだこと、今の日本では考えられないほど「消費」する場が活発でした。また値段も安く、ネクタイ200円、洋服が300円、500円とユニクロ顔負けの値段でした。

確かに15年前、まだ韓国では、週休1日で、熱心なサラリーマンは朝6時に来て、自己研鑽し、8時から始業し、夜中12時に帰宅する、というそのモーレツぶりに、本当に驚かされました。まさに1970年ごろの日本を見ているようでした。しかし今や、精神的にも経済的にも日本は韓国に抜かれた感があります。

韓国は、一度は経済破綻をし、IMFの占領下にあったはずなのに、なぜこのように発展しているのでしょうか。このエネルギーは韓国民ひとりひとりの向上心のエネルギーに他なりません。世界一のITインフラを誇り、教育にもITをフルに活用し、失業率は二桁に近く高くても、けっして浮浪者を数多く目にすることもなく、さっそうとたくましく生きている韓国人をみていると、なぜ、みんなこんなに前向きなのだろうか、と不思議に思いました。

その疑問に対する答えは次の日に、見つかりました。観光ツアーでバスで38度線に行ったのです。MDSという非武装地帯は観光地化されており、バスでソウルから1時間のところにありました。検問があり、パスポートをチェックされ、第1師団の場所から、北朝鮮や板門店が見えました。そこは朝鮮戦争の名残が色濃くのこるところで、銃弾でハチの巣だらけのさびた機関車や封鎖された線路などが、松本零二の漫画さながらに雨ざらしで展示されていました。

そのあと、都羅山駅という北朝鮮との往来のある駅(現在は電車は行き来していない)へ行きました。ここはブッシュ大統領も見学に訪れたそうです。この線路は中国北東部を通り、シベリア鉄道につながり、戦前はヨーロッパまでつながっていたそうです。

思えば有史以来、朝鮮半島は、中国、ロシアという大国に囲まれ、日本からもたびたび侵略され、ヨーロッパにおけるポーランドのように、侵略の悲劇が繰り返し行われていた場所なのです。現在、韓国では20歳ぐらいになると(19歳~29歳)、徴兵制度があり、大学を休学してみな兵役につきます。しかも38度線はいつ、何時、戦争が起きて、命を鴻毛のごとく軽く扱われるかわかりません。一緒に同行していただいた韓国ソフト企業の幹部の方も徴兵にいったそうで、南方にいくか38度線にいくかで、その兵役期間のストレスはまったく異なるそうです。幸い彼は南方へ配属されましたが。

直接銃をもって国を守る使命があり、しかもその直接の敵が、60年前までは同じ国の国民なのです。この国の若者たちは、いやでも国家とはなにか、民族とはなにか、ということと命がけで直接向き合わなければならない。

38度線には、北朝鮮が、韓国を攻めるために掘った坑道が20以上もあるという。そのうちいくつか発見され、3番目に発見された第3坑道は、現在観光地化されており、今回、その坑道に潜りました。

非武装地帯を眺めていると、その先に北朝鮮があり、そしてその先には中国とロシアが広大に広がっている。北朝鮮の孤立も、わけのわからない行動も、ある意味大国から独立を守るための必死な選択なのかもしれません。

その点、日本は四方海という深い壕に囲まれた、実にのんきな国家に見ます。日本は戦後、朝鮮戦争や、ベトナム戦争の特需を受けて、奇跡的な復興を遂げ、高度成長を経て世界第2位の経済大国になっていきました。

終戦後に押しつけられた、戦争放棄を謳った日本国憲法は、日本が直接戦争に巻き込まれることを防いできました。もちろん憲法上は違憲状態の境界線のなかで、自衛隊を整備してきたこともその要因には含まれるでしょう。

そういう平和ボケした今の日本は、もっとも国家として危険な状態にあるのではないか、と韓国に来て思います。あまりにも日本国民が鈍感すぎるからです。日本人が尊敬する現存する有名人は芸能人かスポーツ選手。ひとたびこういうテレビに出る人が選挙に立候補するとトップ当選をする。

古代ローマ帝国の衰亡期のきっかけは、コロッセオという競技場が市民に開放され、無料でパンを配り、為政者たちが、市民の人気とりだけに終始したからです。名君マルクスアレリウスの息子コンモデスは、皇帝になるや、暴君となり、落とした評判をコロッセオに出演して1万2千人の剣闘士を殺害して自分の威信を見せつけ、市民の人気とりを行いました。

これ以降、大ローマ帝国は衰退期には入り、市民は国家に対して危機意識を持たないまま、100年後ゲルマン民族の大移動のなかで分裂し、自然消滅的に衰退していったのです。

だからテレビタレントやスポーツ選手を人気取りのために候補者にたてる政治には本当に怒りを覚えます。実際本気で政治をやろうとすれば、今の日本では、軍事力を形式上放棄し、情報機関が弱いので、命がけでしょう。

国際社会である限り、そして最強の国家でない限り、かならず強国の影響を受けます。それは国際社会の最前線にいる政治家や官僚に直接大きな圧力となります。しかしそういう圧力はもちろん報道されることもなければ、国民が知る機会もあまりありません。

ただわれわれにできることは、そういう国で、どう生きるべきか、ということです。憲法を改正して、国防を増強させることも選択枝のひとつかもしれません。しかし1920年代の大恐慌の後、日本がそういう道を選んだことが日本の破滅を生んだことも忘れてはなりません。

私は10月の韓国旅行のあと、このブログの原稿を書いたのでしたが、アップしませんでした。あまりにも日本の将来が絶望的だったからです。韓国の38度線に立って、日本の鈍感さがとても危険に思えたのです。ここに立てば、中国やロシア、そして米国という大国からの威圧を否応なく感じ取れるのです。そして現実には存在するこの危機感が、どうしたら日本人に伝わるのか、どうしたら日本人がまた競争心や向上心を取り戻せるのか、わからなかったのです。

経済力の低下はそのまま国力の低下につながります。このまま日本の凋落が続けば、日本の独立すらも危ぶまれるのではないか。2020年ごろには形の上では独立国でも、実質的には米国、ロシア、中国に分割統治されることもあり得るのではないか・・・・。

しかし、私は、日本という国を大きく見損なっていました。
今の日本はけっして絶望的ではありません。
日本ではすでに十分次世代型ナレッジ社会の萌芽が芽生えていたのです。それは「萌」にヒントがあります。
だから「ナナミ」を作りました。
次のブログをお読みください。(なぜ、今、「ナナミ」なのか。内需拡大は世界の国益 PART2)

なぜ、今、「ナナミ」なのか。 内需拡大は世界の国益PART2

今回のテーマは「ナナミ」。2月4日に出した「教えて資格試験シリーズ」という萌え系タイトルの主人公です。いろいろなところで「メディアファイブは変わったね。どうしちゃったの?」と言われています。
お陰様で最近ではもっとも反響があり、出だし好調です。

nanami.JPG

なぜ、今、「ナナミ」なのか。
もともと10年前、「萌え系」ということばがブームになり始めたころ、ある「萌え系」のゲーム会社から、教育コンテンツの提供を依頼されたのです。その話はそれきりだったのですが、私は、これは売れるかもしれない、「萌え系」をつくるぞ!と社内にハッパをかけたのですが、「また社長が思いつきでなんか言っているよ」ぐらいで、だれにも相手にされませんでした。

当時社内では、学校をお客さんにしている教育ソフトメーカーが、「萌え系」を作るとはもってのほかだ、という空気に満ちあふれていました。社内に受け入れられないときは具体的な企画として押し通すしかありません。私は秋葉原の「萌え系」のショップを回りましたが、お店まわりをしているうちに、頭が混乱してなにも得ることのなく帰りました。そのとき強く感じたことは、「こういうのが世の中に蔓延するのは日本も末期に近いな」と感じたことでした。(最近その考えが誤りであることに気づきました。)

しかしその後、「萌え系」が非常にコアなユーザーで売れること、そしてこの不景気にかかわらず、「萌え系」を扱っている会社のトップの方たちとおつきあいして、その羽振りの良さにも驚き、なんとか当社でも「萌え系」を出すように開発部に厳命し、そういう仕事の経験をもつスタッフも採用しました。しばらくして、「ナナミ」の企画が開発部からあがってきました。そこには未来から送り込まれたアンドロイドのことが書かれており、それをみて私は「これだ!」と思ったのです。

現在に立って、これからどうなるんだろう、と未来を見ることはなかなか難しいものです。でも未来から現在をみることは、たとえそれが突拍子もない仮定であっても、現在を把握しやすいのではないでしょうか。

今、誰もが未来に不安を抱いています。誰もがまったく未来が見えないからです。

だから現在から過去へ行ったり、未来から過去に行ったりできるサイトがあれば、楽しいと思います。(歴史クイズサイトNEXTREVOLUTIONは、そういうサイトです。)

楽しみながら未来や過去を行ったり来たりしているうちに、なんとなくその不安が解消されるのではないでしょうか。

何度も繰り返しになりますが、教育のイノベーションが日本に一番必要だ、との気負いからメディアファイブを創業して17年、本当に苦労しました。この20年、内需は縮小し、ITバブル崩壊以降、教育やITへのモチベーションは下がる一方でした。

私は、これまでずっと手前味噌ですが、どうしてこんないいものを作っても、なかなか広がらないのだろう、わかってくれなのだろうとぼやき、最近では、こんなに努力して、知恵を絞っても報われないのなら、ちがう商売をすれば、もっと成功したのでは、とさらにたびたびぼやいていました。
(そうは言っても、それは1にも2にも私の力不足であることが要因であるのは自覚しております。)

その一方で米国はクリントン政権時代に早くもナレッジ社会実現を目指し、ロバートライシュ博士を国務大臣にし、ITにおけるゴア構想を打ち立て、米国企業はITと金融で世界を圧倒しました。

日本はこの20年、ITと教育に後ろ向きでした。しかもこの数百年に一度の産業革命の時期に、総理大臣が13人も変わっているのです。日本には強力なリーダーを出現させる土壌がない、ということなのではないか。古くは道鏡、菅原道真、平清盛、後醍醐天皇、足利義満、織田信長、豊臣秀吉、近現代では田中角栄、金丸信、竹下登、小沢一郎。最近では総理大臣になると、もしくは絶対権力を握ると贈収賄問題、政治資金規正法問題が浮上する。

なぜ日本では強力なリーダーが生まれにくいのか?先日、週刊文集で興味深い記事を目にしました。ウチの大学「誇れる卒業生」「恥ずかしい卒業生」という記事です。誇れる卒業生は野球選手が多く、1位古田、2位長島茂雄、3位原辰徳となり、政治家はやっと8位に小泉純一郎、17位に東国原英夫しかなく、反対に「恥ずかしい卒業生」は1、2位はお笑いタレントだが3位から小沢一郎、6位に鳩山由紀夫、東国原英夫、8位に森喜朗、11位に麻生太郎、15位に宇野宗佑など現在の権力者、総理大臣、総理大臣経験者が目白押しです。これは実に日本人を特徴づけるデータではないでしょうか。

それは天皇制と関係があると思います。先日の2月11日建国記念日は紀元前660年1月1日に神武天皇が即位した太陽暦の日のですが、2670年も万世一系なのです。実際は武烈天皇と継体天皇は5代さかのぼる血縁関係でした。にもかかわらず、万世一系としているのは、古来より日本は共同体的社会であり、天皇という永遠不変の祭祀の元、みな平等という意識が強かったからではないでしょうか。

イギリスではもともとの王族であったハロルド王とそれを征服したノルマンディー公ウイリアム一世はまったく別の王朝に見られていますが、系図では関係があり、武烈天皇と継体天皇ほどには血縁は離れていません。従って日本における「万世一系」は、血のつながり、というより神や自然など絶対的な存在であると考えられます。普遍的祭祀のもとに平等な共生社会をつくる村落共同体が日本の組織の基本だったのです。

もっと言うと、日本人はリーダーを作りたくないから、絶対的存在としての天皇を担いできたのではないでしょうか。それは比較的単一民族で、しかも四方海に囲まれていて、平安時代以降は鎌倉の元寇以外侵略の危機がなかったことにも原因しているかもしれません。

(話はずれますが、このことは企業経営にも言えることで、だからこそ日本のホワイトカラーの生産性は先進国最下位になるのだと思います。その解決法は「究極の経営」でご高覧ください。)

中国の人々はいつも異民族の侵略の危険性にさらされていたので、漢の劉邦、明の朱元璋、清のヌルハチなどどんなに下層階級出身だろうと強いリーダーについていく。

しかし日本史の中で、強力なリーダーは短命政権に終わり、日本人の人気は、直接権力を被らないスポーツ選手であり、嫌われるのは総理大臣や目に見える権力者なのです。そしてそれが人を特定させない官僚制度を発達させてきたのでしょう。

「究極の経営」でも言及しましたが、村落共同体は武士と一揆といわれる契約のもと、利益を折半し、村人は武士に守ってもらうという仕組みが中世より起こり、その流れが村請け制度として江戸時代まで続いたのでした。九割は農民といわれた日本は、まさに「サムライ」の国ではなく、「農民=ものづくり」の国なのです。

(「サムライ」は現代でいえば、官僚や大企業のエリートにあたります。本来かれらはサムライ同様「誇り」をモチベーションに公のために生きようとするはずなのですが、官僚たたきやリストラなどにより、「誇り」は傷つけられ、社会的にも組織的にも孤立感が強くなっているのではないでしょうか。)

考えてみれば、米国と日本の関係も国際的な「一揆契約」だと思います。日本は憲法上軍事力を放棄して、ものづくりに励み、米国に軍事力で守ってもらう。そこである程度の「年貢」を米国に提供することはやむを得ないことだと思います。まさに武士と農村の一対一関係なのです。

ポールケネディの「大国の興亡」(1993年 草思社)下巻210ページに下記のことが記述されています。

「もちろん「日本の奇跡」を実現させたのは、朝鮮戦争と、それにヴェトナム戦争の際のアメリカの国の防衛支出による刺激ばかりではない。・・・・・日本の工業を発展させた大きな理由のひとつは、狂信的なまでに高度の品質管理を追求し、西洋の進んだ経営技術や生産工程を取り入れ(改善し)・・・・・さらに国をあげて熱心に教育水準の向上に取り組んだことも理由にあげられるし、・・・・・・・・・起業家精神に富んだ町工場があり、・・・・・・・・
労使対立を妥協とお互いへの敬意によって乗り越えるという姿勢があったことも活力の基本となった。」

さらに
「日本経済が持続的な成長を遂げるには巨額の資本が必要だった。まさにその資本を手に入れることができた理由として一つには「非軍事国」としてアメリカの戦略的な傘の下にあり、防衛支出がきわめて少なかったことがあげられるが、これより大きいのは財政政策と税制によって異例なほど高い貯蓄率を確保し、これを投資に振り向けられたことだろう。」

また
「さらに、通商産業省がはたした役割も大きい。通産省は「新しい産業を育て、技術の進歩をうながし、同時に時代遅れになった産業の廃棄を秩序正しく協調的に進めていった」。このやりかたはアメリカの自由放任政策とはまったく異なるものである。」

要約すれば「日本の奇跡的経済成長は、軍事は米国に依存し、経済に国力を集中し、戦争による特需のほか、大企業、中小企業が一丸となって品質を追求し、欧米の技術を吸収改良し、教育水準を上げ、しかもそのリーダーシップを優れた官僚がおこなっていたこと」にあるのです。

もっと要約すれば、非軍事力という道を選び、日本は総中流意識のもと、道具を工夫し、技術革新をし、教育に力を入れ、強力なリーダー不在の中、顔の見えない官僚たちがそのコントロールをおこなったことが高度成長につながったのです。

城山三郎の「官僚たちの夏」はまさにそのことを生き生きと描いています。
今日の官僚たたきは、リーダーを作りたがらない日本的共同体のなかで、とても大きな危険をはらんでいます。高級官僚にはその権限にふさわしい厚い待遇をするべきです。今回の市場開放においても、高度成長期の官僚だったらどう行動をとることでしょうか。

冷戦終結後、日本の高度成長に危機感を抱いた米国は、日本の共生経済の象徴である「談合」と「系列」を解体させ、小泉政権下で金融の自由化をおこない、日本市場に徹底した競争原理を持ち込みました。当時、日本国民も、政府への依存と市場の不透明感がバブル崩壊から立ち直れない元凶と考え、市場開放を支持しました。恥ずかしながら私もそうでした。しかしその結果、日本経済は驚くほど意気消沈し、格差社会は広がり、内需縮小に拍車がかかり、高品質を誇っていた日本の大メーカーは海外に生産拠点を移し、そのクオリティは疑問視されはじめ、韓国、台湾、中国のメーカーに価格競争で勝てなくなりつつあります。

市場の閉鎖性の元凶に官僚をやり玉にあげたために、官僚もなすすべもなく、市場開放に合意していったのだと思います。

いままで資源のない日本という国が、自家発電のように輝くばかりに経済価値を生産していたのが、今、ほとんどその自家発電が止まろうとさえ見えるのです。この経済の凋落には米国も驚き、また大損もし、後悔しはじめているのではないでしょうか。高度成長期の日本のように、日本が、日本スタンダードの中で、自家発電を活発化させている方が、米国にとっても利が多いはずです。日本人には欧米流競争原理はあわなかったのです。

象徴的なのはトヨタです。私もアウディ、ローバーなどの外車、そしてマツダ、日産、ホンダ、スズキなどの日本車に乗りましたが、やはりトヨタ車がもっともバランスよく、故障も少なく安定していました。こういう車を作れるのは、会社の技術力だけではなく、共存共栄のもと、抱えている下請け中小企業の層の厚さからくるものではないでしょうか。それが、今日、アジアの台頭による価格競争の激化、内需縮小のなかで、しわ寄せは中小の下請け企業に来ていることが、今日トヨタが表面化している問題の遠因に感じます。(もちろん政治問題も大きいのですが)

日本は海外に生産拠点をシフトするのではなく、国内でふんばり、ITとナレッジを活用して他国にまねできない付加価値を作るべきです。そして国民総中流国家を目指すべきです。それが共同体国家日本のありかたではないでしょうか。

私は自衛隊を否定しません。もちろん可能な範囲で軍事技術力を高めるべきでしょう。自衛隊の違憲問題は、憲法改正の問題として長く論じられています。私も大学時代のゼミの主なテーマでした。19世紀のイギリスの法学者、ヘンリー・メインは、法は固定的であり、政治は流動的である、といっています。憲法は実態と乖離しているほうが、存在価値は高まります。なぜなら、憲法とは、17世紀のイギリスの哲学者、ホッブスのリバイアサンの定義から導けば、国家権力から人権を守るために存在しているのです。憲法と政治実態が乖離して、それが政治問題化されていれば、それだけ国家権力に対し、憲法のブレーキがきいている、つまり憲法の存在価値が高い、という証拠だと思います。(ちなみに私の卒論は憲法変遷論でした。)憲法がその時代にぴったり迎合していたら、憲法は単なる国家権力の裏付けの存在だけであり、値打ちは半減してしまいます。

その上で、日本は平和憲法のもと、米国との同盟関係を維持し、日本の利益の米国へのある程度の上納もやむを得ないことでしょう。それは日本社会で、古来からおこなわれている武士と農民の一揆契約にあたります。日本人は「サムライ」の国ではなく、ものを生産する平和な農工商の民なのだと思います。そして中国やロシアや近隣アジア諸国ともバランスよくつきあっていくべきでしょう。

確かに平和憲法は、米国から押し付けられた憲法かもしれませんが、実は古来からある日本の共同体社会にとても適した憲法ではないでしょうか。戦後の復興、経済2位への繁栄ぶりはそれを裏付ける現象だと思います。


「ナナミ」の「NextRevolution」の冒頭に2020年、日本が米国、中国、ロシアに分割統治される話があります。この話を思いついた下地はこの前のブログにある通り、昨秋、韓国の38度線にたった時です。競争社会に背中を向けるニートやフリーターがこのまま増加し、すべての日本人がなすすべもなく日本経済が凋落していったならば、本当に10年後、そういうことが起こるかもしれない。

しかしそうはならないでしょう。日本ではすでに次世代型ナレッジ社会の下地が十分作られているのです。ニートやフリーターは、工業型資本主義社会の崩壊の犠牲者であり、新しいナレッジ型の日本共同体を作るときの担い手になるのではないでしょうか。

ここで「ナナミ」の話に戻ります。

nanamikinoku.JPG
(紀伊国屋流山店おおたかの森店のキャンペーン状況)

中心となるキャッチコピーは下記の通りです。

競争心なんていらない。
   ・・・・・・これからは共生社会
かわいコちゃんに教えながら
   勉強するってけっこう快感。
幸せを追いかけるより、今の小さな幸せを味わおう!
ナナミに教える、ちょっとした幸せ。

そのこころがナナミのストーリー「NextRevolution」にあります。

「三津枝博士は2010年の社会状況を徹底的に分析し、次の結論を導いた。
ターゲットは大学生、20代、30代社会人、ニート、フリーターの男子。そんなターゲットに女子のアンドロイドつまりガイノイドを送り込み、ガイノイドに、ターゲットが教育したくなる気にさせる。そして、ガイノイドを教育しているうちに、ターゲットが自信と希望を持ち、ナレッジ社会で活躍できるように仕向けるのだ。

いくらロボットだからといって、素人が教えるのは無謀すぎると思われるだろう。もちろん過去に送り込んだゲイノイドに歴史を変える操作は磁場が狂うから、仕事はさせられない。しかしもう一つ教育上の目的もある。実は教師の使命感、自立感をもって学ぶことがもっとも楽しく、より深く学べるのだよ。そうやっていくうちにターゲットは自信をつけるのだ。教師と生徒なんて紙一重だ。成功者と敗北者の間もまたしかりだ。人は立場の違いで才能を発揮したり、失ったりするのだ。こういう教育の方法は30年代だからこそできる。

米国では1991年ロバートライシュ博士はすでに知価社会にはスペシャリスト中心の社会であることを提唱し、それをシンボリックアナリストと呼んだ。

クリントン政権はいち早くこのことに着目し、ロバートライシュ博士を大臣に取り立て、米国はいち早くナレッジ社会を実現させた。しかしあまりにバブルが拡大し、金融業界が膨張し、リーマンショックにつながった。なぜか?ナレッジ社会を競争原理のまま突入させると、欲望の暴走とそれを阻害するものを破壊することに知恵を巡らせる結果となる。それは知恵をマイナスに結集し、人類の滅亡へとつながる。それに比べ、日本のニート、フリーターのように戦うことに背を向け、社会から阻害された者たちは、ひとたび自信を取り戻し、ネットを活用して力を合わせればナレッジをプラスに働かせ、循環社会的価値を生み出すことができる。なにせ、江戸時代の循環社会の血がながれているのだから。

しかしそのような可能性を持っていたにもかかわらず、日本では、不幸なことに、いままでナレッジ社会を実現すべくリーダーシップを発揮したリーダーが出現しなかった。その原因は日本人も世界中からも、日本が米国型の合理主義を進めばより富を生み出すと思われていたからだ。しかし自由党から民政党への政権交代は、国民が、合理主義が日本にあわないことを気づいたからだ。2010年、目標を失った漂流する日本社会にこそ光をあてなければならない。」

つまり「萌え系」ブームは日本の末期症状ではなかったのです。むしろナレッジ型日本的共同体の再構築へのシグナルと萌芽だったのです。

かつてイギリスで農本主義から資本主義への移行期、囲い込み運動で土地を追われた農民や羊飼いが都市に流れて、資本主義の土台である工場労働の担い手になったように。

だから「ナナミ」を作りました。

ベストセラーの本のタイトルにもありましたが、「今起きていることは皆正しい。」
ニート・フリーターの人々よ、そして自信を失ったサラリーマンの方々、立ち上がりましょう!立ち上がる、といってもなにかと戦うのではないのです。「萌え系」の世界にいて良いのです。「競争」に背を向けていてよいのです。楽しく、心地よくコミュニケーションをとりながら、自分なりの世界を築きましょう。

孫子の兵法でも「戦わずして勝つ」ことが最上の策と言っています。究極の「勝ち」は幸せになることだと思います。いつも言われているように将来の幸せではありません。小さくても継続する「今」の幸せです。ゲームの楽しさでもいいし、「萌え」にひたる楽しさでもいいし、ネットでのコミュニケーションでも良いのです。

米国も中国もロシアも皆肯定し、ITをフルに活用して、気の合った人たちとネットでコミュニケーションをとり、アニメやキャラクター、ゲームを活用して自分たちの思いを共感し合いましょう!

日本人はもともと右脳系の民族です。浮世絵、浄瑠璃、歌舞伎、人形、羽子板、和歌や俳句など、昔から生活の身近に今でいうマンガや萌え系、ゲームに通じる娯楽が盛んにあったのです。

ただ、ある程度はお金を稼がなければ、最低限の衣食住が守れないので、自分の世界の中でお金を稼ぐことを考えましょう。自分の世界のなかで楽しくお金を稼げれば、世の中に対して自信と自由を感じます。

最初はまず年収300万円を目指し、次に500万円を目指し、そして700万円を目指す。気負わず、自然に時間をかけてゆっくりやればよいのです。楽しければ時間を忘れます。

今、大河ドラマでブームになっている坂本龍馬がそんな人だったのではないでしょうか。尊王攘夷でも開国でもどちらでもよいのです。どちらも良い面と悪い面があるのです。自分の頭で考えて取捨選択をし、自分の良さを時代に当てはめながら自分のペースで生きるのです。

「NextRevolution」
次の革命は新旧交代ではない。旧きも新しきも、資本家も労働者も、外国も日本も得をする、共生型ナレッジ社会の実現なのです。それは環境社会でもあります。

戦うよりも、すべてを受け入れて、共存し、そのなかで新しい付加価値を生むことが、日本古来からの先人の知恵であり、DNAなのです。みんながマイペースに自分の得意なところを探して社会に役立てるのです。

繰り返しになりますが、日本は自家発電のような国です。資源もなければ、広い土地もない。総中流社会で内需拡大したほうが、外国にとっても得なのです。日本に過度な競争原理を取り入れると、すぐにしぼんで光が消えてしまうのです。

そのためには日本人がまずITの活用を楽しみましょう。仕事でもプライベートでも。特に教育に関しては。当社はこれからもそんなソフトやシステムを開発していきます。

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