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2012年02月 アーカイブ

2012年02月16日

あれから1年半になりました。

ご無沙汰しています。

あの震災以来のブログです。

あの震災以降、何度かブログを書きかけたのですが、公表するには至りませんでした。

日本はどうなるのだろうか。そして当社はどうすべきなのだろうか。

あの日以来、数多くの書物を読み、いろいろな人の話を聞き、考え続けてきました。

1年半が過ぎ、最近ようやくその問いの回答に確信をもてるようになりました。

その答えを導いてくれる、ヒントが今年正月にNHKの報道番組にありました。

その内容とは

1707年、東海、南海連動の宝永大地震が起こりました。さらに49日後富士山の大爆発で、気候不順から飢饉も発生し、未曽有の経済恐慌になりました。

それまで元禄バブルに乗じて沿岸部で拡大していった開発した新田は津波でやられ、農民は、その結果沿岸部の新田開発をあきらめ、いまある田畑でより生産性をあげる工夫に切り替えたそうです。二毛作もこのころ発明されたそうです。
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そのために庶民の間では、寺子屋が急増し、文盲率が急低下し、まさに庶民の知恵がこの経済恐慌を乗り越える原動力になったのです。

この時代の有名な為政者は新井白石であり、徳川吉宗でした。ふたりは政策における思想は正反対でしたが、学問好きであり、学問をもって政を治める点は共通でした。新井白石は幕政顧問で、吉宗は紀州藩主のときに、被災しました。吉宗のこの時の紀州半藩における復興が、その後の将軍として、日本を30年治める基本となりました。

特に吉宗は国民への教育の普及に注力しました。彼の政策を背景に、おそらく庶民のなかで学問が急速に広がっていったのは、急速に縮小しつつある経済のなかで、みんなが一時的な悦楽より、「学んで、働き、生きる」喜びに価値を感じるようになったのだと思います。

そういえば今年の3月2日の日経新聞に興味深い記事がありました。震災後日本人の価値観が変化した、というのです。精神的豊かさを求め、利他性が増した、というのです。

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利他制、調和、勤勉、勤労といった日本人特有の精神は地震、津波、台風など日本に生まれてきたからこそ定められた宿命のなかで磨かれてきたものなのでしょう。

日本における「神」という言葉も、人智を越えた自然の猛威に直面するとき、初めてその存在を実感するのでしょう。つまり自然という絶対者の意志(自然現象)の前に謙虚に真摯に対峙して生きるための存在を意味するのではないでしょうか。

私自身の細やかな経験は、以前書いたブログをご高覧ください。
http://http://blog.media-5.jp/kitabatake/2007/09/post_3.html「リスクと霊感」

終戦後、焼け野原から奇跡的な、復興をし、高度成長をへて世界2位の経済大国にまでのぼりつめました。当然、日本人はエコノミックアニマルといわれるように日本中が利益追求に覆われました。

しかしバブル崩壊後、今に至るまで長期に日本経済は低迷し、その間に中国、インドをはじめとして、新興国の目覚ましい経済発展が起こりました。日本も経済のグローバル化のなかで、日本企業が海外の10分の1以下の人件費で作った安い商品が流入し、デフレは加速し、国内企業は苦戦し、バブルまでは日本人は1億総中流と言われていたのが、今や中間層は消滅しそうな勢いです。

高度成長期でさえ、経済の主役は内需なのです。今の日本の復活は中間層の復活でしか実現できません。今こそ吉宗の改革を見習う時なのです。

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