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2007年10月24日

分配の法則

先日、ある人との会話でこのようなことがありました。その人いわく、メディアファイブは「小学生、中学生に教材を提供して、何十年か後に世の中がよくなることを目指せばいい」と言うのです。私は即座に否定しました。生徒を啓蒙するのは先生の役割です。当社はソフトメーカーです。小、中学校では先生が必要な「道具」を提供する以外は越権行為です。

たとえば、クラスで学習意欲をなくした子供がいれば、能力別出題や、繰り返し学習の苦痛を取り除くためのゲーム学習、授業の復習をスムーズに行うために、家庭用ゲーム機でも学習できるしくみ、対戦モードで授業を盛り上げ、授業についていけない子供がいれば、学年を超えた学習ができるリメディアル。

なによりも是非みなさんにお試しいただきたいのは「編集機能」で、自分の関心をもつ事項をネットやデジカメで集めてのオリジナルな教材づくりを、児童、生徒一人ひとりに行っていただきたいのです。そういうところから社会と学校での学習とのつながりを発見し、勉強が楽しくなり、世の中で役立てる勉強もできるようになるのです。メディアファイブは学校現場、家庭学習の現場での問題点を分析し、それを解決するために学習する方法やノウハウなどの「システム」を提供する会社なのです。

しかし当社が取り組んでいる、もうひとつ大きな事業があります。それは利益を「分配」するシステムの開発です。企業において、人の評価はすなわち分配するための評価といって過言はありません。これがとても難しいのです。社員の不満も、会社の問題も、重要なものはほとんどここから派生します。

富(利益)の分配はあらゆる歴史上、あらゆる社会でもっとも重要な問題です。いかに富の分配を的確にするかが、国の、社会の、企業の盛衰を決めます。日本の影の絶対権力が旧大蔵省であることは周知の事実です。税金を配分する省に国家権力は集中します。会社や官庁でも規模が大きくなるほど人事部に権力が集中していることがままあります。人事とは役職だけでなく報酬も決定するからです。

その「利益の分配」において、社員の不満を少なくし、組織を向上させ、社員も向上させ、それを通して社員のよりどころを作るシステムを開発しました。人材開発型グループウエア「Next Revolution」です。

その特長をご紹介しましょう。これは当社で導入実験して2年目になりますが、とても大きな効果が出ています。一見社員の管理が徹底され、社員はやりづらそうなのですが、実は社員の「心の安定」に大きく貢献しているところです。このシステムで、社員一人ひとりの1年間の実績や仕事の足跡、努力をすべてもらさず、公平に評価できます。不満があれば、その足跡を見せながら、上司に訴えればよいのです。評価を人に頼っている今までのやり方だと、どうしても偏った評価になります。上司はもっと部下に働いてほしいと思うし、部下は自分の上司にもっと自分の仕事を認めてほしい、と思うのです。

人は当然、自分のために働きます。そのもっとも大きな原動力は「報酬」です。仕事はすべて「報酬」に直結していなければ、おろそかになります。いろいろな人が集まる組織で仕事をする場合、あらゆる構成要素を「報酬」に直結させることこそ、マネジメントの重要なものといえるでしょう。

仕事の構成要素には、利益追求、経費節減、職場や仕事の改善・工夫、技術や仕事を磨く(学習)、部下への教育、リーダーシップなどがあります。しかしこれらの要素のうち、利益追求以外は、ほとんどが人事評価というシステムでひとくくりされます。それはリーダーに頼った、実に大雑把で問題ある評価なのです。それが働く人たちの不安や不満をつくってきたのではないでしょうか。システムによって、働く要素をきちんと定めた角度から評価できれば、個人の成長は見違えるほどのものになるでしょう。

三国志で有名な曹操は「道とは教令をもってこれを導く」といっています。つまり会社の方向性は教育と命令によって動かさなければならない、ということです。普通は命令だけですが、命令と教育によって組織も、人も成長させることを目指したのでしょう。それゆえに曹操は、最後は三国の中の勝者となって中国に魏を打ち立てることができたのでしょう。

「教」とは単に人や組織を成長させるだけのものではありません。人によりどころを作ることができるのです。自分はこの組織に使われるだけでない、ここで成長し、活かされている、と感じれば、そこはよりどころとなるのです。しかも公正な報酬が得られるならば、さらに前向きに活動することができると思います。

冒頭で小、中学校のシステムについて触れましたが、社会が腐敗していれば、どのように小、中学校のときにすばらしい教育がなされても意味がありません。長尾龍一氏の「憲法問題入門」の序文に「サラリーマン川柳傑作選」というのが載っていました。
やれ打つな頭はそんなに出ていない
肩書きがなくてアイデア横取られ
尻尾ふるポチに自分の姿見る
・・・などなど。

今の日本では、夢と希望をもって社会に入っても、幻滅する度合いが増えるだけです。まずは企業や社会での分配の法則がきちんと確立されることが、教育の第1歩だと思います。つまりお父さんの教育がまず必要なのだと思います。

2007年10月26日

分配の法則2:君主論から学ぶ

マキャベリの君主論を読んだことがありますか? 君主を社長に、国を会社に置き換えると次のようになります。特に現代に通用しやすい内容を抜粋しました。( )内は私の勝手な解釈です。

抜粋1
会社を安定させるもっとも有効な対策のひとつは、社長がオフィスや現場に机をおくこと。こうすれば、社内は安定する。
(現場の雰囲気や会話は経営上の大切な定性情報です。また社長が現場にいると、野心家は企みにくくなる。野心家は社長への情報伝達を、いつも自分の有利な言い方で行います。可能ならばその人の仕事ぶりを直接見て評価するに限ります。)

抜粋2
社長が与える給料や報酬に対してそれなりの感謝を期待しても、社員は不満を持つ。その理由は、報酬を与える側の傲慢と、受ける側の傲慢が、報酬の値段について折り合えないためである。
(分配の最も難しいところです。)

抜粋3
社長は陰謀からわが身を守ろうとするならば、自分がえこひいきしていた人物こそ、十分警戒をしなければならない。
(不平等は、損する人に不満を与える危険性以上に、得する人を甘やかし、理不尽な考えを抱かせる危険性のほうが怖い。)

抜粋4
社長は自分に関わるあらゆる人に重大な侮辱を加えないように心がけなければならない。
(上から下への侮辱は、気がつかないうちに水面下で重大な問題を引き起こす原因となる。特に上がジョークと思って言っていることが、下には大変な侮辱として取られ、強く恨まれるケースは多い。)

抜粋5
反乱はほとんど成功しない。それは反乱が一人ではできないからである。つまり誘う人に、現状以上の成功報酬の約束をしなければならないが、実際、反乱を実行することすら困難なのに、実行後に成功報酬を満足に出すことはほとんど不可能なのである。
(永遠の真実)

抜粋6
社長が注意しなければならない相手は、少数の野心家だが、彼らの野心に対する対策には、いろいろな手段があり、それほど難しくはない。
(しかしそれを知っている人は、そのノウハウを絶対人に公開しないでしょう。でも私は公開します。Next Revolutionを導入しましょう!)

抜粋7
乗っ取る会社内の社員を利用して会社を手に入れた場合、それに荷担した社員は後々問題をおこす。なぜなら新社長はとうてい彼らの期待する報酬に応えられないから。 それに裏切りやすい性格の人材は誰も危なくて使えないでしょう。経営者は、多少無能でも信頼できる人間を社員に選びます。
(裏切りやスパイ行為を他社から誘われてどんなに成功しても、あとで切り捨てられるのが離反スパイの末路であることは、いつの時代でも変わらぬ真理。だからこれだけは確実に身の破滅。)

抜粋8
上記のことから、元の会社に不満をもち、そのために乗っ取る側の社長に通じ、乗っ取りに手を貸した人々を味方にするよりは、旧政権に満足していて、新社長を敵視した人々を味方に引きつける方がはるかに安全である。
(前の会社の社長の悪口を言う人物を採用すると、たいてい失敗します。)

抜粋9
もっとも懸念しなければならないのは、お追従者である。自己愛こそはあらゆる追従者のなかで、もっとも気をつけなければならない。人間は自分のこととなると、実に身びいきである。この点をつかれると人にだまされる。
(お追従者を引き連れて、いつも飲み歩いている社長は必ず滅ぶと思います。)

抜粋10
天の使命を感じなければ、社長になってはならない。天の使命を感じている間は、社長は天の使用人になれる。
(至言ですね)

社長やリーダーの方はご参考になったでしょうか。君主論を書いたマキャベリは15世紀から16世紀にかけてのイタリアの政治思想家です。ローマの歴史を丹念に分析してまとめ、メディチ家のロレンツオに献呈した政治論です。有史以来、組織の中の人間の感情と行動はまったく変わらない、ということでしょう。

人間は感情的な生き物です。そして組織の中で自分を有利な立場に持っていこうとすることは人間の本性です。争いや分裂や陰謀はそういう人間の本性のぶつかり合いでおこります。

陰謀家は人の恨みやコンプレックスを巧みに利用します。そして人情家を装い、同情やおだてで人を誘います。極め付きの言葉は「僕たちの会社を作らない?」と周囲を誘います。しかし野心家はだれよりもあくなき野心をもっています。最後は、その周囲の人たちを蹴散らし、「僕」の会社にしてしまうのです。

シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」は読んだことがありますか? カシアスはシーザーの暗殺の企てにブルータスを誘うとき、まずブルータスが、いかに民衆から人気があり、求められているか煽てます。そして次に正義と平等を前面に出し、シーザーのささいな欠点を責めます。シーザーが溺れかけたことや、発作をおこして醜態をさらしたことなどです。

ブルータスはシーザーにかわいがられていたにもかかわらず、シーザーにどこか嫉妬心を持っていたのでしょう。シーザーはブルータスをかわいがり、カシアスを嫌っていました。カシアスが陰謀を持つのは当然としても、ブルータスはシーザーの寵愛を受けているがゆえに、自分の能力や魅力を過信してしまったのです。トップからかわいがられることに慣れると、自分はトップ以上の能力を持つ、と錯覚するのです。本来リーダーの仕事能力と実務の仕事能力は別物です。つまり抜粋3の教訓です。カシアスはブルータスの心の隙間に情をもって入り込みます。そしてシーザーの暗殺は実行され、あの有名な「ブルータス、おまえもか」ということになります。

抜粋6で野心家を封じるには、「Next Revolution」を利用することをお勧めしました。
君主論で言っていることは、トップは公平、平等に組織を治めなければならない、ということです。極論をいえば人よりシステマティックに組織を治めることが理想かもしれません。だから「Next Revolution」こそ、組織を公平、平等に治めるためのツールなのです。

人と人の関係は、目に見えないシステムで結ばれています。親と子、妻と夫、部課長と部下、社長と社員、経営者と株主、会社と顧客などなど。そしてそのコミュニケーションは言葉や文章で伝達されます。しかしコミュニケーションが届かないところがあります。そういうところは人間の信頼関係や正義感、理屈や道理で補います。しかし野心家が、ひとたび悪用しようとすると、確実なコミュニケーションの届かないところを狙います。だからそこをITで補う必要があるのです。

なぜそんなこと言い切れるか、ですか?
そう、読者の皆さんはもうお気づきかもしれません。私は5年前、社員の造反で、本当に痛い目に会いました。組織を感情や正義で治めることの限界を知りました。そして5年がかりでこのシステムを開発したのです。今はすばらしい社員たちと目標をひとつにして、仕事にまい進しております。

2007年10月29日

分配の法則3 ITを活用して評価するメリット

先の「番外編」における、「歴史上の多くの為政者が、富の再配分を宗教の力で解決しようと考えた」という弊社・田中部長の指摘は、なるほどと思います。端的に言ってしまえば、「神はあなたの行動をすべて見ています。あなたの行いに対する報酬が、現世で不足していたのならば、来世で払いますよ。」ということでしょう。歴史上世界中で、多くの為政者たちが部下や領民に対して、そういう形で宗教を利用し、欲望をコントロールして不満を抑えてきたことは確かでしょう。

宗教における富の再配分と、人が行う富の再配分と、ITが行う富の再配分はどのような点で異なるのでしょうか。人が富の再配分を行う際、それを満足いくように行うには、大変な能力と慎重さが必要です。そしてかつては宗教の力で、人を評価・判断する人間の能力の限界を補いました。

戦後、高度成長期の日本では、終身雇用、年功序列、企業ブランドという会社教が、宗教の代わりをしたのかもしれません。若いときに安月給でこき使われても、長い年月我慢して働けば、出世もでき、年金ももらえるということで、サラリーマンは我慢してきました。

しかし、年功序列、終身雇用、年金までもが崩壊しつつある日本の企業社会で、人が行う不正確な評価への不満を解決することはもはや不可能です。ITの活用で、少しでも正確な評価を心がけることが大切です。

ITの活用は、人間が判断する能力の限界を補います。たとえば「Next Revolutionv2 則天」は自分の活動した仕事の履歴が残ります。どのような仕事を何時間したか。どのくらい経費を使ったか。どのように仕事を改善したか。仕事の能力を向上するためにどのくらい努力したか。これを単に自己申告で「報告」するのではなく、実際、チームのなかでこのシステムを活用しながら計画を立て、仕事をするので、正確な個人の仕事の履歴が残るのです。

そしてその仕事の履歴結果が、どのような利益をもたらすのかが、ひとつひとつの仕事ごとにわかります。リーダーはその定量的データに、仕事の質という定性データを「評価」という形でインプットすれば、自動的に配分が決まります。

つまり利益の配分はシステムに仕組まれているので、リーダーは仕事の定性的評価だけをすればよいのです。
今まで、リーダーに気に入られるよう心がけ、リーダーの前でだけは完璧に仕事をし、結果さえ出せれば、よい評価をもらえました。しかしそれでは本当の仕事の評価にはなりません。自分の仕事の履歴が残ることにより、自分の仕事の積み重ねの歴史が残り、それはどんなリーダーが上につこうと、会社のシステムに変わることなく存在するのです。

ひとつ注意しなければならないのは、リーダーシップに欠け、つねに会社を自分のためだけに利用しようとする中間管理職ほど、このシステムに抵抗することです。なぜなら自分で部下を評価する裁量が減るため、部下への強制力が弱まると感じ、自分の権限が維持できなくなると考えるからです。

派閥を作るうえでもこのシステムは不都合に働きます。また下の人のアイデアを横取りしたり、下の人間の考えを曲折して上へ伝えたりすることも、掲示板という存在があるためにできなくなります。そういう姿勢の中間管理職こそ、組織にとってもっとも問題です。

君主論で述べた造反はこういう社員が起こします。それを未然に防ぎ、排除できることもこのシステムの最大の長所でしょう。

ITが万能とは思いません。しかし組織的な行動の訓練や、思想教育、宗教教育を受けていない日本では、チームで付加価値を上げる、そしてリーダーシップを高めるシステムをいち早く導入することが不可欠のように思います。

今、人事システムや営業支援システム、経営システムを連結させる動きが、大企業を中心に出始めています。来春にはじまるJ-SOXの施行は、それに拍車をかけています。しかし企業の中で既存のシステムを連結させることは膨大な費用と時間がかかります。またSaasの出現は、従来のシステム構築の意義をゼロベースから考えさせるインパクトがあります。まずはCSV形式などで、気軽に売上げや経費のデータを取り込めるシステムを利用して、社員の生産性を毎月提示し、改善や生産性の向上にひとりひとり励んでいける土壌をつくることが大切だと思います。

「Next Revolution」をぜひ、お気軽におためしいただけたら、と存じます。


2007年11月06日

自分の居場所はどこ?

 先日ブログで「失われた自分の居場所」についてお話しました。今日はどこに現代人の「居場所」があるのかを探りたいと思います。

SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)の普及は、自分の居場所を見失っている現代人の駆け込み寺かもしれません。マンガやゲームの集まりなど「おたく」文化も、実は自分の居場所を失った若い人たちの「居場所」を求める憩える場なのでしょう。もちろんSNSはおたくだけのものでなく、一般の人々に急速に普及してきていますが。

「自分の居場所」とは、自分の存在価値を確かめる場所ではないでしょうか。「おたく」文化は、自分がマンガやゲームではまりこんだ世界への感動や体験を、同じようなものに興味を持った人と共有体験することに存在価値を見出しているのではないでしょうか。

しかし本来、自分の趣味や友人の世界で共感しあえるだけでは、本当の意味で、存在価値を見出したことにはならないと思います。たぶんSNSだけに没頭するのでは、なにかしらのむなしさがぬぐいきれないのではないでしょうか。さらに30代、40代、50代と年配になるにつれて、さまざまな社会の責任が重くのしかかってくると、趣味の世界だけに走るわけにも行かず、なかなか自分の居場所が見つかりにくくなるものです。

やはり自分の社会的意義を見出すことが、本当の意味での存在価値を見出すこと、すなわち「失われた自分の居場所」を見つけることになると思います。

たとえば当社のソフトのシリーズに「メディアファイブ プレミアシリーズ」という、資格、語学、中学・高校の学習ものがあります。このソフトは、編集機能がついていることが特長として挙げられます。

学習する人が、自分の考えた内容を書き込んだり、インターネットで収集した情報をこの編集機能を利用して取り込むことで、自分なりの参考書ができます。こうした行動を通して、今、勉強している学問が、自分にとってどのように社会と関わっているかがわかり、どうやって社会に生かしていこうかと視野が広がります。

つまり、学ぶことを目的として、その学ぶ対象を自分なりに社会にどう役立てるかカスタマイズすることを通して前向きに、社会における自分の存在価値を感じることができます。そういう意味でも、学習上でのカスタマイズ、インタラクティブ性は自分の存在価値を見つける大切な要素なのではないでしょうか。

また12月上旬に発売される「メディアファイブ プレミア3.0」では、3分間の学習法としてラーメン学習(カップラーメンのお湯を注いで待つ間)、はみがき学習(はみがきしている間)、トイレ学習、寝る前3分学習なるものをご提案します。目的をもった勉強を、少しの工夫で日々の生活のなかに取り込むことで、自分を磨きながら毎日を楽しむ。それも「自分の居場所」かもしれません。

ブログでたびたび紹介しました「Next Revolutionv2 則天」では、自分の仕事の履歴が残り、自分の生産性や、スキルの向上がリアルにわかり、しかも自分のスキルを記録して、他の社員に利用してもらえるシステムです。会社における疎外感は、自分の評価を上司にのみ依存し、それが必ずしも公平に行われていないところから生じます。「則天」を利用することで、日々の仕事が適切に整理され、組織の中でいかに動くかが明確にわかり、自分の仕事を、自分なりに丁寧に工夫して積み重ねることで、客観的に評価されて自分の報酬につながっていく。そうした中で、職場で自分の居場所を見つけていくことは、大変幸せなことだと思います。

仕事の「見える」化がどれほど自分の居場所を見つけてくれるか、ということです。一見管理されて窮屈に思えるのですが、自分の仕事の形が見え、部下の仕事の形が見え、そして会社や組織全体の仕事の形が見えることは、社員も経営者の視線に近づいて会社をみることができます。そうなると、管理するより社員にまかせたほうがよほど的確な仕事ができるのです。つまり社員は自由に自分の仕事を全体の中から判断して行動し、その結果が会社に反映され、ひいては社会に反映され、大きなやりがいを感じるのです。その結果、自分の居場所をはっきり確認することができるのです。


 話は変わりますが、20年前、携帯電話の携帯メールが爆発的に普及するとはだれが思ったでしょうか。文字にする面倒さを考えれば、電話するほうが早いとだれもが思ったでしょう。しかし実際には携帯メールは、完全にコミュニケーションの主要手段として定着しました。その理由は、直接相手と話すと、感情面で様々に気を使わなければならないからです。メールであれば、時間的にも拘束されずに、いつでも好きなときに冷静に相手の意向を読むことができます。むしろテレビ電話のように、感情が直接的に伝わるもののほうが、どんなに身近になっても普及が遅れています。

時として人の感情はコミュニケーションを阻害します。新入社員が社長に直接話すには勇気がいります。しかし自分の意見を掲示板に書くことは、比較的スムーズにできます。部下を評価するとき、すべてをアナログ的に評価することは、間違いが起こりやすいし、それを知った部下は恨んだり、恩を感じたりしなければなりません。それが政治的に悪用されたり、不公正な評価になったりすることも多々あります。ある程度システマティックに評価されるほうが、人のしがらみから離れ、納得できるのではないでしょうか。

社会組織の中では絶えず人と人の感情のぶつかり合いが起こっています。自分の利益にかかわる職場ではなおさらです。その中で、人は傷つき、怒り、悶々とすることも多いと思います。現代人にとっては、時として感情とは無縁の、「システム」の中に身を置くことも、自分の居場所と感じられるのかもしれません。そこにほっとする場所があれば、それも時代の流れであり、新しい文化として肯定しなければならないのではないでしょうか。

最近、職場で心を患う人が増えているそうです。そういう人への対策としてメンタルヘルスが注目されています。しかしその原因は、必要以上に感情的なぶつかり合いの多い職場の中にあって職場の仕事やシステムに自分の居場所を見出せない人が、心の行き場所がなくなっていくことにあるように思われます。

今、職場やその中のシステムに、自分の居場所を見つけられるようにすることが、求められているのではないでしょうか。

2008年01月08日

ビジネスは戦いにあらず。「則天去私」の心で

あけましておめでとうございます。今年は9日間お正月休みがあり、ゆっくりさせていただきました。年末、掃除をしながらテレビで「華麗なる一族」を見ました。主人公は新興財閥である万俵財閥の長男、万俵鉄平です。

彼は万俵財閥総帥で阪神銀行頭取である父、大介より、祖父の子であると疑われ、子供のころより冷遇されてきました。そして鉄平は東大工学部を出て、祖父がもっとも大切にしていた製鉄所のあとを継ぐ。研究を重ねて世界に通用する鉄を開発するが、はからずも父にその会社をつぶされる。敗れた鉄平は父大介に涙ながらに言う。「なぜビジネスは戦わなければならないのですか。良いものをつくり、みんなが豊かになるのがビジネスではないのですか」と。

今から80年前、同じようなことを言った人がいました。渋沢栄一です。「商売は商戦にあらず」。今の言葉では、「ビジネスは戦いにあらず」でしょう。偶然、浦和の小さな古本屋で見つけた、昭和3年発行の「処世の王道」という渋沢の著書の中に書いてありました。野村徳七を例に出して、相場は儲かった人がいれば、損をする人も必ず出るが、買った人も、売った人もみんなが得をするのが商売だ、と言いました。私はこの言葉が渋沢の言葉の中で一番好きです。

1993年以降、米国は金融のグローバル化を強め、世界中に実業の10倍近い金が動きました。金融界の英雄であるジョージ・ソロスでさえ、金融が資本主義を滅ぼすと警告をしました。企業は常に買収におびえ、株価の維持に固執するあまり、本来、山あり谷ありの業績をいかにうまくコントロールするかが経営の手腕のはずなのに、右肩あがりの経営に終始させることにより、企業組織の破壊、社員の心理的破壊、企業間の破壊、市場の破壊を招く結果となるのです。

ドラマのなかでも父万俵大介は自社の合併のために息子を自殺に追い込みました。単なる数字だけの合併やスクラップアンドビルドのなかだけでのリストラや乗っ取りといった、人のいままでの努力や人生を踏みにじる結果しか生まれません。

最近、米国のサブプライムローン問題に端を発し、金融市場のグローバル化にかげりが出始めているようです。私たちはいまこそ実業と金融の関係をもう一度見直す時期にきているのではないでしょうか。

本来金融は実業を発展させるための潤滑剤のはずです。近代の先物取引は江戸幕府が大阪堂島にひらいたのが先駆けといわれていますが、これも初めは米の値段を、安定的に取引するための手段だったはずです。渋沢栄一や万俵鉄平のように、みんなが得をする経営者を応援するために金融市場はあるべきです。

企業経営は波乗りです。つまりいかに人を育てるか、お金をいかにうまく生み出し、投資し、社員や社会に還元していくか、を私心なく采配できる経営者にお金が集まるべきでしょう。なぜならそういう経営者こそ本当の付加価値を生むことができるのだから。

人と人は争うのではなく、協力しあうほうが絶対得です。競争したり、戦ったりする暇があれば、お互いの良いところを見出し、より良いものを作るほうが良いはずです。企業もしかりです。そのための切り札は組織における情報共有と公平平等な分配、そして人材教育です。甘い?と思われる方もいるかもしれません。しかしその考えは間違いです。協力しあいながら本当の付加価値を出すことのほうが、はるかに地道な努力と時間と忍耐と覚悟が必要なのです。

だれでもみな手持ちの金と時間は限られています。そのなかで付加価値を出すことは並大抵なことではないのです。その学習は、人が生きるうえでもっとも難しく、もっとも重要なのだと思います。その学習こそ、「経営」です。「経営のコツここなりと気づいた価値百万両」と松下幸之助は言いました。「経営」は経営者だけでなく、社員一人ひとり、いえ国民一人ひとり皆が学ぶものなのではないでしょうか。

経営者は、私心なくお金をあるべき自然の流れに従って流さなければなりません。自然を「天」と置き換えれば、「則天」です。つまり「則天去私」が経営者のめざすべき心がけなのだと私は思っています。
この言葉は私の中学時代からの座右の銘でもありました。

そしてこういった経営を実現させるために3年がかりで開発した人材育成型グループウェア、「NextRevolution」のアップバージョンを明日ようやく発売します。

「則天」と命名しました。

2008年02月03日

世の中万事塞翁が馬

先日、母校である埼玉大学の授業で話す機会がありました。自分の出た研究室の三輪先生に挨拶にお伺いしたら、ちょうど今教養部で(1年生)「社会を覗く」、とかいう授業をやっていて、地元の中小企業に就職するのも面白いぞ、という講義をしており、ちょうど君はそれに当てはまるから、少し授業で話してくれないか、とおっしゃいました。私は社員募集のお願いに来たものだから、是非話をさせてください、と二つ返事で引き受けました。

話は、自分がなぜこの大学に入り、学び、就職し、今日に至ったか、そして今日の自分がいかに偶然の重なりの上にたっているか、ということです。そもそも学生でおもいつく職業は限られていて、学生時代の将来の志望なぞあてになるもではありません。
その辺のところをお話させていただきました。下記の内容は話した内容をもう少し詳しく言及しています。

私は高校時代、いわゆる「文学少年」でした。1年生のとき剣道部をやめてから、毎日の生活は、学校の登下校時は文庫本を読み、家に帰ると古典全集を読み、フルートとピアノを弾き、剣道の素振りを3千回おこなう、というのが日課の変な高校生でした。ただ数学だけは好きで、大学への数学だけは毎日解いていました。白いノートに鉛筆で解答を書くことがとても面白かったのです。

とにかくうだつのあがらない、変な文学少年であった私は、一生本を読んで、フルートを吹いて人間関係のしがらみから離れた,哲学者ショウペンハウエルのような人生を送ることを夢見ていました。そこで最初は三島由紀夫の「午後の曳航」という小説にあこがれて船乗りになろうと思い、商船大学を目指そうと、理系に入ったのですが、入試の応募条件が視力1.0以上でないとダメ、ということで、あきらめました。次に北杜夫のドクトルマンボウ航海記を読んで、船医になろうと医学部を目指しましたが、当時医学部は受験ブームで、最難関で、学力が追いつきませんでした。音楽大学を目指そうとも思いましたが、それほど才能があるとも思えず、結局将来やりたいこともわからず、聞こえのよさそうな大学をミーハーに受けては落ちて、そうこうしているうちに2浪目に突入しました。そして受験科目が私の得意な数学と国語、という理由だけで埼玉大学の教育学部を受けました。当時校内暴力に中学、高校は荒廃していて、そのような中にいくのはいやだ、と思い、小学校国語を第1志望にしました。なにか劇団ひとりのエッセイのようになってきましたが、高校時代から大学にかけて、私は世の中すべてから否定されている感覚がありました。ただただ自分の文学や勉強の世界だけが自由だと思っていたのです。

大学1年のとき、一般教養科目で、数人でおこなう授業がありました。なぜかそこで法学特別講義に参加しました。ここではハンスケルゼンというドイツの法哲学者の「民主主義と国家」という英文テキストを数人で勉強しました。もともと数学が好きだった私は法学の、論理を組み立てる学問にたちまち魅了されました。ただちに長尾龍一先生が訳されたケルゼン全集を買いあさり、読み始めました。そして単純にも、法律がこんなに面白いのならば、弁護士になろうと考え、高い通信教育講座の教材を親に買わせました。しかし3日坊主とまではいかなかったものの、3ヶ月ぐらいで放り出してしまいました。

大学2年になり、教育学部の法学特講を受け、社会科に転科しようと思い、試験を受け、3年から三輪先生の法学研究室に入りました。当時、社会科学分野は経済学、倫理学、法学、社会学の4分野あり、合同合宿もあり、みんな議論ばかりしていました。法学研究室のテーマは終戦後の新憲法制定から始まり、高度成長期の法的問題、改憲問題、そして著作権法の改正問題などでした。

肝心の教育学部の授業は当時あまり興味がわかず、睡眠学習でした。ただ教育学部の必須の授業は出欠をとるものが多く、授業には出席しました。当時家庭教師をいくつもかけもちをしており、妙に具体的にあの子にこう教えようか、ああ教えようかと、知行合一的に身についたようです。

また小学校課程だったので、全教科を授業で学ばなければなりませんでした。しかし当時の授業を受けたことは、教育ソフトのプロデュースをしている今日、大変重要な私の財産になったのでした。卒論は憲法変遷論でした。このことについては別途また書きます。

クラブはジャズ研とワンダーフォーゲル部に入りました。最初剣道部に入ったのですが、2浪がたたり、閉ざされたくさい空間で4年すごすのが嫌になり、ワンゲルに変えました。だいたい昼ごろ学校に来て、昼食をワンゲルの部員がたむろしている第2生協に行き、研究室の授業がなければ、マージャンをするか、図書館でレポートを書いているか、デートをしているか。夕方からは家庭教師のバイトか、ワンゲルのトレーニングか、ジャズ研の練習にもときどき顔を出していました。ワンゲルのトレーニングはマラソンとサッカーでした。ワンゲルの当時の部長は中村次郎先生で、教育工学の大家であり、今や中村次郎賞なるものがあります。

研究室でのテーマは憲法制定過程の検証、戦後高度成長期の政策、憲法改正、著作権法の改正などでした。著作権法の改正は、当時、通産省と文化庁で、コンピュータプログラムの著作権の権利の範囲をめぐり、論争が活発化されていました。通産省はプログラムの進歩には著作権をある程度弱くしなければならない、と主張し、文化庁はプログラムの著作権を厳格に保護すべきだ、という主張でした。結論からすると、当時日本メーカーによる、IBMのメインフレームのプログラムコピー問題が大問題となり、米国の圧力で文化庁の案が採択されました。このとき高度情報化社会について徹底的にしらべ、僕は
ネット社会では直接民主制をはじめ、今日の社会の弊害を取り除けるのではないか、という希望をもちました。ネット革命論なる論文を書いたのを覚えています。ネット社会になれば、いろいろな社会の矛盾も解消し、人間性豊かな社会を実現できるのではないか、という内容でした。今自分がやっていることはこのときの構想がベースになっています。それで、いまやっているプロジェクトを「NextRevolution」となずけているのです。その当時の内容についても別の機会でお話します。

当時研究室では、三輪先生の方針で、本や資料にこだわることなく自由にみんなで議論しました。社会科学分野なので、経済学研究室、社会学研究室、倫理学研究室と合同でゼミや合宿をすることもありました。いろいろな視点から同じテーマを議論しあうのはとても楽しく勉強になりました。とにかく議論ばかりの大変活気のあるゼミでした。この4年間は大変私の財産になりました。

まあクラブを掛け持ちし、好き勝手に勉強したり、マージャンもよくよくやっていたので、1年のときは9単位、2年のときは22単位しか取れませんでした。3年、4年であとの全単位を奇跡的にとり、一応外資系の保険会社にも内定はしたのですが、ちょうど秋も深まる11月ごろ、学務から一本の電話がありました。「あのう、一般教養で単位が1単位足りないのです。」私は学校にすぐに飛んで行きました。なんと一般教養科目で「心理学」が必修なのに、間違えて「倫理学」をとってしまっていたのです。目の前が真っ暗になりました。しかし結局、国立大学では、単位のお目こぼしは「法律違反」となるので、留年になりました。

まあ仕方なく留年になったのですが、2浪1留ではどこの企業にも入れない、と落ち込みました。ならば学科試験のあるところを狙おう、ともちろん教育学部だったので、小学校の採用試験、国家上級試験、新聞社などいろいろ受けたのですが、全部落ちました。ただ一箇所ひっかかったのが、コナミというゲーム会社でした。いまやコナミはゲームソフトのトップ企業として大企業になってしまいましたが、当時はまだ60人の社員に60人のわれわれ新入社員がはいったくらいの会社だったのです。会社説明でカスタムLSIとかなんとか説明があるのですが、なにをやる会社なのか、僕にはさっぱりわかりませんでした。
最初に配属されたのは本社の総務部でした。もちろん不動産の管理、文書の管理、いろいろな雑務もやるのですが、文書管理規定をつくったり、食堂の赤字を減らしたりとか、当時、コナミは大阪新2部という今でいうマザーズのようなところに上場していて、公募増資の準備や株主総会の手伝い、マーケティングなどもやらさせていただきました。総務部の男は課長と自分しかいなかったので、しかも私がいたこの3年で1部上場までいったのですから、本当にダイナミックで勉強になりました。

しかし2年目になると、早く東京に戻りたいために、営業を志望し、東京の営業本部に行きました。そこでパソコンゲームソフトの販売を担当したのです。今メディアファイブの主力であるパッケージソフトビジネスはここで覚えたことがベースとなっています。ソフトバンクさんとのお付き合いもこのときからです。当時のソフトバンクはまだ100人たらずで、まさか今のような日本を代表する企業になるとは夢にも思いませんでした。あれから23年、毎年ソフトバンクさんにお伺いするたびに、巨大化し、一流化、グローバル化していくさまは本当に驚嘆でした。最もコナミの急成長振りも同様ですが。コナミもソフトバンクも日本を代表する天才IT経営者で、身近でその手法を実感できたことは私にとって本当に幸運でした。

営業ではよく土日に家電量販店の店頭でゲーム大会を開きました。当時、コナミの主力商品である「グラディウス2」「サラマンダ」は大変な人気で、店頭でイベントをすると大変多くの子供たちが集まってきました。ゲームをチャンレンジして失敗するとまた後列に並びなおし、グラディウスの絵が書かれているテレホンカードをとれるまで何回でもチャレンジする子が本当に多かったです。私はこの有様を見て、このゲームに学習する機能がついたら、どれだけ子供たちは勉強がすきになるだろう、と強く思いました。それが教育ソフトに携わりたい最初の動機でもありました。しかしコナミは当時教育ソフトプロジェクトを撤退する方向であり、私は、これは一社で開発するのは難しい、と考え、今の日本総研の前身である「住友ビジネスコンサルティング」というところを応募しました。

「住友ビジコン」は当時、住友グループのシンクタンク的存在で、私のキャリアではとても入れなかったでしょうが、ちょうどバブルの絶頂期であり、ソフト化ということが注目されていて、当時の総合研究部長が非常に柔軟な方でもあって、奇跡的に合格しました。まあいわゆるバブル転職組です。

入ると、すぐに4週間の宿泊研修がありました。ここで、経営コンサルティングするためのあらゆるノウハウを学びました。人事管理、簿記、会計、思考法、ディベート、プレゼンテーション、生産管理、システム、マーケティング、貿易、経営、組織論などなど。MBAんの2年間でやるようなことを4週間で凝縮してやるので、本当にハードでした。しかし寝る前になると皆で議論し、本当に楽しい研修でした。立場や専門の異なる優秀な人たちとの議論は本当に勉強になります。しかし、振り返ると、埼玉大学での研究室での4年間も、議論ベースで皆が勉強し、田舎の大学ながら、すごいものがあったなあ、といまさらながら思いました。

最初についたリーダーは三石玲子氏でした。昨年残念ながら50歳の若さでお亡くなりになりましたが、これまた三石玲子賞なるものができるほどインターネットの世界では有名なかたです。当時はカードの専門家でした。なぜ僕は、パソコンソフトビジネスを行うために入ってきたのに、カードビジネスを手伝わなければいけないのか、と内心不満をもっていたのですが、今考えると、三石さんに指導していただき、非常に贅沢で、ありがたいことでした。もっとも彼女がご存命でおられたら、あまりそんなことを考えなかったのですが。

私は当時いろいろな人にお世話になったのに、本当に若気のいたりで不義理をしました。今の若い人でやはり自分の都合ばかり考えている人もたまに見かけますが、自分のことを振り返ると、まったく人のことは言えず、赤面の至りです。ただもしもっと自分に徳や義理があれば、今の状況はもっとよいものになっていたでしょう。

彼女が常日頃おっしゃっていたことは「背伸びしてはだめ。なにごとも基本が大事。」「ライフスタイルで考えること」「もっとよく考えなさい。世の中はそんなに甘くはないのよ」でした。

最近では彼女の書かれたものを手元に置き、いろいろ仕事に迷うと本を手にとってぺらぺらめくっているのですが、いつもそんな声が聞こえてきそうです。

メディアファイブは住友ビジコン時代に生まれました。その詳細は次の「メディアファイブ創業秘話」に書きますが、98年までの5年間は、会社の了解を得て、二束のわらじをはいていました。

95年、住友ビジコンは住友銀行と日本情報サービスと合併し、日本総研にかわりました。いまでは日本最大級のシンクタンクだそうです。

私はまだ発展途上にあり、成功を語る資格はありません。しかし周囲の成功された方を見ていると、世の中に成功術なる術はないと思います。ドラゴン桜は人の作った入試だから、それを突破する術はあるでしょう。でも人為の及ばぬ社会や人の一生に、こうすれば確実に成功する、という術はあろうはずもありません。誰が阪神大震災を予想しました?だれがバブルの崩壊を予想しました?だれが911を予想しました?現実は小説より奇なり、といいます。

今昔物語に「谷底に落ちても平茸をとる話」というのがあります。信濃の国司が任官から京へ帰る途中、山中でがけから落ちました。崖下から縄をおろせ、と声がするので、家来が言われたとおりにすると、こんどは引き上げろ、という。家来が引き上げてみると、中にきのこをいっぱい抱えながら、国司が乗っていました。そして「受領(国司)は倒れても土をつかめというではないか」と涼しい顔でいいはなったという話です。中学校の教科書などにのっていた話でご存知の方も多いと思います。成功のエッセンスはこういうところにあるのではないでしょうか。

私は最近数多くの成功している経営者に会う機会が増えましたが、成功している人の共通点は、素直で、与えられたチャンスや義務に誠実に、精一杯取り組み、失敗や不幸にも誠実に、精一杯乗り越えて、それをプラスに活かそうとしています。そして一生懸命、目の前のことを一つ一つ取り組んでいながら、すこしずつ自分の天命が理解できるようになっていくようです。

反対に失敗する人の共通点はどこか斜に構え、策略や陰謀を好み、自分だけが得することばかり考え、目先の判断で自分の人生を変えていこうとすることです。

世の中万事塞翁が馬とはよく言ったものです。それが成功の秘訣なのかもしれません。

メディアファイブ誕生秘話

それはある、研究会から始まりました。当時、住友ビジコン総合研究部(現日本総研)に属していた私は大手ハードメーカーや大学と組んで教育ソフトの研究会を主宰していました。そこに堺の教材会社の社長さんが参加しておりました。そしてそれがご縁で、その教材会社の新規事業のコンサルテーションをさせていただくことになりました。教育ソフトの開発です。初めてその会社にお邪魔してその帰り道、偶然に私と同じ苗字の地名を見つけました。そして北畠公園というのを見つけました。その奥にお墓があり、公園の3分の一をその墓の囲いで占められていました。柵の扉がしまっていたのでその前でなんとなく手を合わせながら、ひょっとしてこのコンサルティングが自分の人生を大きく変えるかもしれない、と予感しました。その墓は北畠顕家の墓でした。

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(北畠公園 顕家の墓)

顕家のことは、福島県岩瀬郡にある父の実家の村の会報誌や、父の話で知っていました。ただなぜかそのことは実家の方たちは、皆あまり話したがりませんでした。無関心なだけだったからかもしれませんが。

顕家は1318年に後醍醐天皇の側近である北畠親房の長子として生まれました。北畠家は村上源氏庶流であり、和漢をつかさどる家とされていました。以前玄象という能について書きましたが、そのなかで村上天皇が登場しています。その村上天皇を祖とし、臣下にくだされた家系が村上源氏の流れです。まあ今で言うと文部省と文化庁をあわせた役所の役人ということでしょう。顕家は1338年5月22日(旧暦)に足利尊氏方の高師直に堺の石津で討たれました。そして阿倍野の、今は公園になっているこの場所に葬られたそうです。

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(堺 石津川)
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(顕家慰霊塔 石津川ほとり)

教育ソフトの研究会は任天堂のスーパーファミコンがCD-ROMプレーヤーを出す予定にしていたので、そのフォーマットで出すことを念頭においた研究会でした。ところ任天堂は、CD-ROMプレーヤーのOEMを受け持つソニーとけんか別れし(その結果ソニーはプレーステーションを出したのです)、教育ソフトの研究会も存続の意味がなくなりました。そこで堺の教材会社の社長さんが、せっかくここまで研究してきたのだから、教育ソフトの専門の会社を作ろうよ、とおっしゃっていただき、私の勤めていた会社の了解もとり、メディアファイブは誕生しました。

ちょうど父が建設会社を役員定年で退職したのをきっかけに、社長に就任してもらいました。当初、父とは本当にぶつかりました。建設会社とソフト会社では、その経営手法が正反対だったからです。ソフト会社は大きな投資はあまり必要なく、当初、私は銀行との付き合いをあまり重要なものとは思ってませんでした。しかし父は、もちろん建設会社時代から、銀行との関係づくりを重視していました。私は当時そんな父を見て、ソフトビジネスがまったくわかっていないな、と思っていましたが、それが大変な思い違いであることを8年後に思い知らされました。2001年の9.11のときです。株価は半分になり、上場していた家電メーカーが一斉に翌年の3月に大量の商品の返品をしてきたのです。社内の社員の造反にもあい、3分の1の社員に退職され、しかも同じような会社をつくって妨害もされ、有効な手もなかなか打てず、その次の年から2年間連続して赤字を出してしまいました。こんなとき、日ごろから銀行との付き合いから、当社は運転資金に余裕があったので、のりこえることができました。世の中は本当になにがおこるかはわかりません。会社とは自分とのタイプの違い、年齢も異なるさまざまなタイプの人間がチームワークで働くことが大切であることをそのとき、しみじみ感じました。

会社登記は1993年11月25日です。実はこの日も偶然があります。先日お話した建武の親政は神武暦1993年5月22日に鎌倉幕府滅亡とともに誕生しました。神武暦1993年11月25日は顕家が陸奥将軍として仙台の近くにある多賀城についたころなのです。つまり顕家が歴史に登場する日なのです。

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(多賀城)

当時、私は歴史にはまったく興味がありませんでした。記憶力の悪い私は、大学受験の共通一次試験も最初理系志望だったこともあって、社会は倫社・政経を選択しました。ところが歴史にのめりこむようになったのは次のようなことがきっかけでした。

堺の教材会社でコンサルティングは始まり、まずどのような教科から作ろうか、ということのミーティングで、パソコンで学習するメリットをチェックしました。すると歴史は、授業などでもまず四大文明があり、縄文時代があり、奈良時代があり・・・と教科書で勉強すると、時間軸、空間軸がめちゃくちゃで、よくわかりませんでした。私は、そもそも、なんでもう終わったことを覚えなければならないのか、特に年代を覚えるなんてナンセンスだとずっと考えてきました。しかし時間軸、空間軸を整理し、時代と世界の流れを立体的に把握できれば、歴史からなにか発見できるものがあるのではないか、とそのとき感じました。

時間軸、空間軸で歴史を立体的に把握することは、本で読むのではできないことですし、しかも小・中学校だけでなく、一般の人にも教養ソフトとして販売できるので、そのような歴史のソフトを作ることになりました。それがメディアファイブで最初に開発した「ワールドヒストリー」です。ただ私は当時歴史をまったく知らなかったので困りました。本当に一から勉強しながらこのソフトを作成していったのです。

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(ワールドヒストリー)

そこで、一冊の本に出会いました。ポールケネディの「大陸の興亡」です。1500年から2000年までの大国、ヨーロッパ諸国、中国、日本、米国の経済と軍事行動の相関関係を的確につづったものです。とくに驚いたのは、中世では、中国文明がものすごく発達しており、活字による印刷が発達し、大量の書物が出回り、古くから大きな図書館がいくつもあったことです。11世紀末には7世紀あとの産業革命時のイギリスをはるかにしのぐ製鉄を生産していました。活版印刷の発明は学問を広め、広く全国から秀才を集め、官吏を登用し、その権限が強化され、それが国を富ます原動力になっている例として明王朝が栄えたことは特筆すべきことでしょう。

しかし明王朝も時間がたつにつれ、マイナスの部分も出てくるようになりました。1400年代に入ると中国も世界に目を向け、鄭和をはじめ遠征が盛んに行われました。彼らはヨーロッパの遠征者とちがって、各地の住民を略奪したり、殺傷したりはしませんでした。しかし再びモンゴルの脅威が増大してくると、そこにまわす資金を節約するために、遠洋航海は禁止されました。儒者による保守的な官僚体制は軍需を嫌い、市場経済が栄えるのを嫌い、その結果、派手な商人に干渉して財産を没収したり、軍需を切り詰めて、万里の長城などハコモノの需要創造をおこなって失業対策したり、まるで今日のどこかの国とそっくりなことをしていたのです。

もちろん功罪はありますが、400年にわたる白人優位の時代が続くのは、彼らが常にグローバル戦略をとり続けてきたことにあります。先日の、知事との懇談会でも申しましたが、日本の中小企業の最大の課題はグローバル戦略です。あの世界最強の企業、トヨタでさえも日本国内は売り上げに苦戦しているのです。

メディアファイブも、今後の中心課題はグローバル戦略です。当社のパテントは米国特許や国際特許を中心にとっております。教育こそ日本が海外に誇れるノウハウであり、グローバル化できる切り札と考えています。人材育成型グループウエア「則天」や、多機能学習ソフト「メディアファイブ プレミア」は、これだけのソフトはまだ存在しておりません。

今の日本を見ていると、この先は明の衰亡と同じ道をたどれるのではないか、と強く感じてしまいます。
経営者と政治家の懇親会でも、経営者たちはハコモノを要求します。おそらくすぐに自分たちのビジネスに直結するからでしょう。しかしなによりも今、中小企業の経営者が手がけなければならないことはグローバル化だと思います。そういう私もけっして英語が得意ではありません。自社の「英語すらすら」を、思い出しては三日坊主で英語日記をつけている体たらくです。でも英語で日記をつけ、ワードチェックをしてもらい、それを音声読み上げファイルに落とし、携帯電話やiPODに入れて持ち歩き、時間のあるときに聞いたりするのは、結構英語の即戦力になると思います。みなさんも一度お試しください。

話を元に戻しますが、私はこの「ワールドヒストリー」の製作を通じて、歴史を学ぶ意義がはじめてわかりました。いつの時代も人間は当然一生懸命に生き、様々な判断や選択で歴史的な結果になるのです。歴史を勉強することは実は人間そのものを勉強することであり、未来へのビジョンを把握するためにも大切なものなのだなあ、と強く感じました。

実は北畠親房や顕家がなにをした人かもそのとき初めて知ったのです。親房の書いた「神皇正統記」も歴史を通して未来や国家のビジョンを語るものでした。よくこの「神皇正統記」を古事記や日本書紀の焼き増しに過ぎない、悪口を言う人がいますが、そういう人は実際はよく読んでいないのです。この書物は歴史を通してどう生きるべきか、ということが中心に書かれているのです。現在でも十分読み応えのある書物だと思います。「神皇正統記」という題名が現代ではきわめて不適切なのでしょう。

この「ワールドヒストリー」も、未来のビジョンを語れるほどの商品にしたいなあ、と思いましたが、まだまだ歴史の勉強を始めたばかりの当時の私にとってとても無理な話でした。

前回も触れましたが、特に顕家が戦死する1週間前に後醍醐天皇に書いた奏文は、①分権統治 ②コスト意識の徹底 ③公正平等な登用 ④システムの構築 ⑤公私混同の排除 の5つの抗議からなり、これは670年たった今日においても、経営や組織運営にもっとも重要なものなのだと思います。これをよく20歳の若者が書いたなあ、と驚嘆しました。

次にラジオ短波と組んで「死地則戦」というソフトをつくりました。当時テレビで「カノッサの屈辱」というビジネスと歴史を結びつけるパロディ番組をやっていて、とても面白く見ていました。歴史とビジネスを孫子の兵法で結びつけてソフトにすればおもしろいだろうな、というところからスタートしたのです。もちろん孫子の兵法を勉強するのも始めてです。

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(死地則戦 メイン画面)

あとで知ったのですが、北畠家は漢家(中国の学問を学ぶ家)であり、親房や顕家は孫子の兵法の専門家だったようです。これも偶然といえば偶然です。

またラジオ短波と平行して漢字検定協会の仕事もしました。漢字のゲームソフトをつくることと、もうひとつは当時平安遷都1200年で、それにちなんだソフトをだすことです。京都には難しい地名が多く、その地名の漢字をあてるゲームソフトをつくりました。ある手違いで私が京都中の寺や風景を撮る羽目になり、2週間かけて100箇所以上まわりました。おかげで京都の地の利は大変くわしくなりました。そこで発見したのが、北畠という地名が洛北、伏見、長岡京に3つ存在していました。そこは親房や顕家の屋敷があったところだそうです。もっとも嵯峨野にも屋敷があり、1326年に火事になったという記録があります。

こういう仕事の偶然は、意図的にできるものではありません。当時会社で開催した、「パソコンソフトビジネスセミナー」や「マルチメディアビジネスセミナー」で私のつたない講演を聴いてくださった社長さんやリーダーの方たちが、私の考えに関心をお持ちになり、仕事を発注していただきました。それが全部今日のメディアファイブのベースとなり、気がつくと北畠親房や顕家を学ぶきっかけとなっているのです。

1998年に私は日本総研をやめ、メディアファイブの社長に就任しました。1998年の6月に父が入院したのでした。その結果、私は日本総研かメディアファイブかを選択しなければなりませんでした。本当は日本総研を辞めたくはなかったのですが、メディアファイブを閉じるわけにもいかず、決めました。辞表を本部長に提出する時1週間ためらいました。神武紀1998年の5月22日に顕家は戦死しました。私も西暦1998年、自分にとって人生最大の転機といってよいでしょう。

いざメディアファイブ1本になって見ると、この後、会社を続けていくことができるのか不安でした。しかしそれ以上に当時の社員の不安が相当なものだったろう、と入ってみてつくづく感じ、申し訳なく思いました。2足のわらじでの仕事は無意識のうちにどちらも逃げていたのです。それがよくわかりました。最初の半年は無給でしたが、とにかく夢中で仕事をしました。あまりに不安で、夜になると、むかし宗教団体の活動に熱心な友達にもらった法華経を探し出し(私は宗教団体に属したことはありませんが)、一生懸命唱えていました。

最初はわけもわからず唱えていたのですが、だんだん意味を知りたくなって、いろいろ新書など読み漁っているうちに、こんなたとえ話がありました。ある日、こどもたちが毒を飲んで苦しんでいました。名医である父親がよい薬を与えようとしたのですが、子供たちはその薬が苦そうで、飲みませんでした。そこで父親は一計を案じ、そのまま旅にでて、旅先で死んだとうそをついたのでした。風の便りに子供たちはそれを聞き、びっくりして父親からもらった苦い薬をのんで、毒害から救われました。父親も旅から戻ってみんなめでたしめでたし、というまあチープなわけのわからないたとえ話なのです。法華経、如来寿量品第十六のなかにあります。

ところが私の父は奇跡的に手術もしないで治ってしまいました。これも不思議なことなのですが、ある日私は、テレビで平幹二郎氏が、喉頭がんをやって、それを治すために玉川温泉で療養している番組を見ました。そこで私は父に玉川温泉を勧めました。ちなみにこれも後で知ったのですが、平幹二郎氏はNHKの大河ドラマの太平記のとき、北畠親房の役でした。ところが病気のため、降板し、近藤正臣氏になったのです。玉川温泉での療養が父の病を治したかどうかは、わかりませんが。

この一連のできごとで、恥ずかしながらいままで私は、大企業に勤めていたこともあり、競争原理のもと、自分のことばかり考えていたのが、人のためになにかをすることの重要性を初めて知りました。そしてこの如来寿量品第十六のたとえ話が大変尊いものに感じました。まさに私は、父の病を通してで、社会とのつながりを教えられたのです。今でも法華経や般若心経を、自己流ですが、とぎとぎ唱えております。

しかし法華経と般若心経を多少なりとも理解すると、日本の古典が本当におもしろくなります。平家物語でも本当にいろいろな武将が法華経を唱えるところが出てきます。平惟盛が那智の沖で入水するとき、法華経を唱えて入水しました。以前は、古典を読んでいると、「昔は科学が発達していないからすぐ神がかりだよ。」としらけていたのですが、いまではその心境をしみじみ感じて読むことができるようになったのです。

ただ660年前に、私と同じ姓の人が、日本を文化国家にしようとして理想を掲げ、無念にも果たせなかったことに、自分のことのように残念に思い、自分なりに調べ、考え、いろいろなことを自分なりに発見しました。よく調べてみると、本当に誤解されていることが多いのに驚かされました。もし自分の先祖でなければ、親房、顕家親子のことを、私だって世間のイメージ以上の関心は示さなかったでしょう。

さまざまな失敗や経験、また、たまたま就職するためにした勉強だったり、趣味だったり、仕事で学んだりしてきたことのすべてが、いまのメディアファイブのプロデュースという本流に流れ込む支流だったのです。ひとつひとつはいきあたりばったりの偶然だったのが、後から振り返ると見事に整然とその経験の積み重ねが今に繋がっているのです。

「世の中万事塞翁が馬」でも申しましたが、学生時代、自分が将来、なにをしたいかは、よくわかりませんでした。社会人になってもまだよくわかりませんでした。私は自ら経営者になりたい、と考えたことはありませんでした。いろいろな、当時一見無関係なあちらこちらの支流を流れながら、気がついてみたら、メディアファイブという他には存在しない、オンリーワンの会社を経営していたのです。

今回開発した人材開発型グループウエアは先ほど触れた顕家の奏文を目指して作ったのですが、そのきっかけは社員の造反にありました。会社が急成長する時期は何度かありますが、どうしても人手がほしいときは、あまりレベルの高くない、旧知の人間を仕方なく入れるものです。そういう時、そういう人間に悪意があると、とんでもないことになります。IT・ソフトビジネスは投資もいらないので、参入は比較的簡単です。しかしそれだけ競合も増えるのです。しかも市場はつねに激変します。昨年100売れたものが、今年半分になったりするのです。こういうなかで継続させることは本当に難しいのです。そのなかでけソフトビジネスの成功を見て、そのビジネスを奪いたくなり、ほかの社員や部下に「自分たちの会社をつくろうよ」とけしかける輩がでるものです。とくに中間管理職にそういう人間が出ます。

当時私は社長室をもっていました。若い社員とは直接の接触はありませんでした。すべては中間管理職が私の意向を部下に伝えて、ビジネスが動くのです。こういうとき、その人間に悪意があると、社長にも、部下にも指示や報告を自分の都合のよいように変えてしまうのです。私には、卑屈にぺこぺこしている人間が、ちがう部屋ではボスのようにえばり腐っていたりするのです。そういう人間が、影で人をいじめたりおだてたり、弱い立場の部下や女子を感情でつって味方につけるのです。そして取引先にもうそを塗り固めて、その商権を奪おうとするのです。

若い社員も情報を知らされてなく、直属の上司に殺生与奪の権利を握られていると、その上司に依存します。

当時、私は一生懸命集合研修をおこなっていました。そこでいくら啓蒙しても、感想文で社長にここちよい文章を書くのが関の山です。俺についてこい、型の感情をあおりながら組織を引っ張る経営は、感情で裏切られるのです。だれでも夫婦や子供とだってすぐ喧嘩をします。

だから経営はシステムで管理しなければならないのです。飲みにケーションは根本的な解決にはなりません。社員一人ひとりに会社のビジョンを明確化し、情報共有を徹底し、公正平等に評価するシステムをつくらなければならないのです。

私は社員の造反という苦い経験から、こういうことをおこさないシステムを作ろうと決心しました。完成まで5年がかりでした。膨大な投資もしました。いざ作ってみると、こういうシステムが本当に大切なのが後からわかりました。人がもっとも学習する場所は仕事をする場所です。こういう場所で卑怯なことをして成功する人間がリーダーとなる組織では、その下で働く人も腐ります。そしてそういう人の子供も腐ります。どんなに教育を変えても、まず経営が変わらなければ、世の中からいじめも犯罪も減りません。

私は自分の血筋を自慢するためにこういうことを書いているのではありません。600年で一組の夫婦から400万人の子孫ができるそうです。つまり、だれもが必ず歴史に残る先祖をもっているはずです。逆に、私自身、600年以上前のDNAなど本当につながっているかさえ怪しいものです。それは単なる偶然かもしれません。また私の深層心理がそういう方向へ結びつけているのかもしれません。神が本当にいるかどうかすら、私には定かではありません。

もちろんスタッフに恵まれたこともあります。阪神大震災も景気におおきく影響しました。マザーズができました。9.11で株価が半減すると、家電量販店は在庫圧縮をおこない大量の返品が発生しました。さきほど触れた造反にもあいました。現実は小説より奇なり、といいます。だれが世界最強の米国のニューヨークやペンタゴンが攻撃される、と考えるでしょう。

いろいろなことが起こりながら、それでもいろいろな人に助けられながら、県や市にも大切にしていただきながら、大変幸運にも15年間、当社は存続してきました。おかげで教育ソフトの専門会社ではトップになりました。

ビジネスは個人の小手先の発想だけではとても成功はしないとおもいます。たぶん個人の想定する範囲でビジネスの成功はむりでしょう。ましてやいい加減な人間や評論家的人間が生き延びられる可能性は少ないと思います。われわれは自分の考えうる限りの範囲内で、できる最大限のことを地道に精一杯仕事をするだけです。でもそれだけでは成功にはいきつけません。

精一杯の努力に、なにか目に見えない、自然界に導かれて、はじめてその努力は活かされるのでしょう。それを「神の意思」と擬人化されて感じるのでしょう。いや本当に神の意思なのかもしれません。私は記憶力が悪く不器用です。ひとつひとつのスキルでは多くの人たちにかないません。しかし私が失敗してきたり、拒絶されてきた数多くの学問や仕事や人との経験をとおして、あらゆることが、今のメディアファイブの経営に生かされています。私はそれを天命と呼ぶのだと思います。

おそらく先祖であるであろう親房や顕家は、自分のやりとげられなかった無念の一部を、DNAを通して私にさせているのかもしれません。(ちがうかもしれません。) ただ私は親房や顕家の思想や行動に、とても共感し、尊敬し、歴史上受けてきた彼らの誤解を解き、彼らの実現させたかった世界の構築に、少しでも役に立てたらよいと思っているのです。

そういう意味では私は、親房や顕家の小間使いの一人である、という考えでメディアファイブを経営しております。

私は宗教的なことは、門外漢なので、コメントする資格はありません。ただ私にとって、神様は依存する対象ではないと思います。お願いする対象でもありません。天命を感じたならば、それに向かい、一生懸命に世の中のために尽くすことなのだと思います。何かをしてもらうことを期待するのではなく、自分が世の中に役だたさせていただくことを感謝することなのだと思います。そのなかで、生活や仕事の中で、ささやかな幸せを感じたならば、それが神様からの報酬なのでしょう。

ただ、こういう考えにいたったのは先にも書きましたが、98年の38歳以降からです。若い人がこういうものを読んでも違和感を感じるかもしれません。私も若いときは、こういう話に関心も理解もできませんでした。ただ若い人たちには、自分の世界がすべて、と考えないでいただきたいと思います。まだまだこれから一山もふた山も三山も乗り越えなければならない困難が待っているのです。そしてだんだん大きな社会責任を負っていくのです。残酷な現実と直面することもあるでしょう。そのなかで、必死に、はいつくばってでも前向きに生きなければ「神様」は現れてくれないと思います。

親房や顕家のことは私のきわめて個人的な問題です。社員にもほとんどこの話はしません。しかし、親房や顕家が目指したことは、つまり、「人々が不毛な争いをやめ、日本の和を尊ぶ歴史文化を尊重し、公平平等の社会のなかで自己実現を行い、みんなで協力しあいながら付加価値を生み出し、自然を敬い、子供たちを育て、教育していく」ということは、いつの時代でも永遠普遍の理想です。

その理想国家の実現が、今の日本に特に一番必要なことだと思います。

メディアファイブはそういった国家の実現に少しでも寄与するために、存在させていただいているのだと思うのです。

メディアファイブのファイブはどういう意味があるのですか?とよく人に聞かれます。建前では、五感、陰陽五行、孫子の兵法の、道天地将法などすべて重要な世界は5から成立する、ということを説明しております。

しかし本当は5は私のラッキーナンバーなのでした。幼稚園も高校も大学も受験番号が、5番、25番で合格しました。生まれた場所も育った場所も今の私の住所も電話番号も末尾は5番です。

今は、私の心の中でのみに限ってのことですが、顕家が後醍醐天皇に残した奏文を書いた日 延元3年5月15日 の5だと信じています。

ただ、660年前のできごとと比較するのは、科学的根拠も多少はあると思います。マクロ的な経済循環(コンドラチェフ)は60年ごとで、660年もさらに大きな経済循環として考えられることかもしれません。
平安末期から室町初期にかけて、貨幣が急速に普及しました。武士の台頭は、経済が物々交換から貨幣に移ったことも大きな要因だったようです。今日、インターネットの発達による、情報の開放は、この時代と似た社会状況をつくりだしているのではないでしょうか。

似たような時代に、家柄や能力は月とすっぽんでも、同じDNAの人間が、スケールはちがっていても、似たような行動をとるとしても不思議ではないのかもしれません。だから歴史から未来を考えるヒントはあるのかもしれません。

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(21世紀への提言 「頑張り応援宣言」2001.12.10刊)

2008年03月16日

私が、ただ、ひたすら伝えたいこと。

私は、もちろん専門家ではないのですが、多少は政治経済のことは知っているつもりでした。大学時代はゼミで戦後政治をくわしく勉強し、卒論は憲法変遷論でした。この年になるまで、日本の経済史や、政治関係の、それこそ何百冊という本も読みました。

しかし私は、政治的センスがありません。私の考えは一般世論と同じレベルです。私が投票する人や党は大抵勝ちます。(これは自慢ではなく、自分の政治レベルが大衆レベルであるということ)郵政民営化の選挙のときも、賛成に投票しました。今、そのことをだれかに正直に話すと、大抵「お前は政治がわかっていない」、と馬鹿にされます。

確かに、小泉政治は、大企業だけが豊かになり、国内経済、特に地方の経済は大変な落ち込みをもたらしました。

でも当時私は、日本人が、いつまでも高速道路やダムのなどの補助金に頼って生活しているのではダメだと思ったのです。個人が自分に投資することに目覚め、みんなで知恵を出し合い、力を合わせて仕事をすれば、日本人ならば、世界に通用する仕事ができるのではないのか、と思ったのです。

ところが結果は、地方は疲弊し、格差はひろがり、個人はやる気をなくし、自分への投資をやめ、パソコンに背を向け、いわゆるひきこもる人が増えてしまいました。

ただ国民に、国を頼る傾向は少なくなってきたことだけは確かです。あとは国民が「やる気」と小さな「成功体験」を持つことです。

私が教育ソフトメーカーをはじめたのも、人と知恵を育てるグループウエア開発しているのも、ただひたすら、この世の中が、みんなで知恵を出し合うことが富を生み出す社会に早くなって欲しいからです。

もっと具体的に言うと、組織に属していても、個人でも、自分に「投資」することで、自分の収入を増やし、豊かな生活を送る術を個人個人が身につけることにあります。

経済の専門家は、人口の増えない社会に経済発展はありえない、といいます。
しかし消費市場に「投資」という概念が持ち込まれれば、市場は無限に広がると思います。この考えを私は大学時代から持っていました。

消費市場は、人の生活における消費は有限ですが、個人が「投資」にめざめれば、そこで利益が生まれ、再生産されるからです。個人における「投資」はITの普及とともに可能になります。市場の川下である消費市場が広がれば、川上である生産財市場も拡大します。だから早く知価社会へ産業革命しなければならないのです。

農業社会では単なる道具である、鋤や鍬のような工業製品の市場が拡大して、工業化社会になったのと同様に、知恵や知識が従来の産業と結びつくことで、市場が拡大して、知価社会になるのです。

もともとイギリスで起きた産業革命は燃料不足による社会不安から起き、戦争が工業化社会への牽引となりました。知価社会は人口の急増(19世紀以前にくらべ)による弊害、先進国における人口のいきづまり、工業化社会経済のいきづまりから派生し、環境問題や高齢化社会、ITの普及が牽引になるでしょう。

私の身近な人が、3年前に亡くなったのですが、元は農林省の家畜衛生試験場の技官で、退官後は、ザンビア大学やモンゴル大学の教授として第3国の獣医学やウイルス、DNAの研究の指導に当たっていました。

しかし70歳になってからは、引退し、毎日将棋や言語学や仏教の勉強をしていました。時々、家へ遊びに来たのですが、大抵私と、そういった話で盛り上がりました。さすが東大出の研究者だけあって、それはそれは、あらゆる分野の知識や知恵は大変なものでした。

私は、そのうち本を書いたり、学問の仕方などで、会社の仕事も手伝ってもらおうと思っていたのですが、急死してしまい、日本の学問、文化にとっても本当に残念でなりません。特に長年研究してきたDNAと日本語の言語の起源と、仏教文化の関係を書いてもらいたかった。

定年を迎えた人が、その経験や知恵を生かす場所が、今の日本になかなかありません。ITを活用すれば、そういう人の人財を有効に活かせるはずです。

年配の人だけではありません。運悪く社会で活躍できない才能は、日本中に数多く眠っているはずです。たとえその仕事には就いていなくても、あなたの中にもだれにも負けない才能が眠っているかもしれません。

私はメディアファイブで、人々の才能を掘り返し、利益につなげるための道具を開発してきました。

プレミアシリーズで、世の中で初めて五感で学べ、携帯電話やiPodとの連携を強め、いつでもどこでも人々の才能を活かし、さらに勉強好きにするシステムを開発しました。

そして、人々の能力を正当に組織で活かし、利益をもたらすためのシステム「則天」を開発しました。

私は今年、完成した「則天」をベースに、そういう情報交流や仕事ができるSNSを作ろうと思います。老若男女みな参加してください。自分の可能性をそこで追求できれば、と思います。

日本人はものすごく高い知恵とエネルギーと大和魂を持っているはずです。元寇の危機のときも、江戸の元禄文化も、明治維新だって、戦後の焼け野原のときだって、高度成長期だって世界に類のない奇跡を起こしてきたではないでしょうか。

今度は個人、一人ひとりが、企業ひとつひとつが、国に頼らず奇跡を起こす番です。それは民間ベースで、地方ベースで「IT共同体」をつくればよいのです。

是非みなさん一緒に力を合わせて、もう一度奇跡を起こしましょう!自分の才能を見つけ、目標を持ち、その目標を目指して命をかけて働き、考え、知恵を絞れば、かならず利益を出せるはずです。

2008年04月19日

渋沢栄一とお花見

私は埼玉ニュービジネス協議会という、主にベンチャー企業の経営者の集まりに属しております。その中で、交流委員会、渋沢委員会、IT・教育委員会というものがあり、私はIT ・教育委員会をコーディネートさせていただいております。

先日渋沢委員会で渋沢栄一資料館の見学とお花見を王子飛鳥山でおこない、私も参加させていただきました。

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渋沢栄一資料館は10年ぶりに訪れました。10年前、どうしてビジネスはなかなか巧くいかないのだろう、と思い悩みながら電車に乗っていると、飛鳥山が目に入り、そういえば、ここに渋沢栄一の邸宅があったと思い、思わず見たくなって途中下車しました。

10年前は冬の夕暮れだったので、暗いイメージが記憶に残っていましたが、今回はお天気で、桜も満開で、飛鳥山はお花見で賑わっていました。館長さんに案内していただき、いろいろと説明を受けました。

10年前には、なぜ渋沢栄一が成功したか、よくわからなかったのですが、今思うと、次のようなことではないでしょうか。

1、徳川慶喜の家来となり、その側近である平岡円四郎に認められたこと。
2、幕府使節団としてパリへ行き、資本主義のあるべき姿を知り、必要なものを日本に作った。
3、「共存共栄」の思想が、周囲の人と金を集めた。
4、家が商家であり、しかも小さい頃から論語を学んでいました。そのことがマックスウエーバーのいう、ヨーロッパとピューリタンと似たような、日本武士道と論語という資本主義を成長させるための教育を、渋沢は偶然うけてきた。

前にも触れましたが、私は渋沢栄一の「処世の王道」という昭和3年発刊の古本を偶然古本屋で見つけました。この本は大正12年に発刊しようとしたのですが、関東大震災で紙型が焼失し、それ以後絶版になっていたものが、渋沢の米寿の祝いに改めて昭和3年、発刊したものです。

その内容を要約すると、
1、なぜ論語を学ぶのか
・論語は父、年長の従兄から学んだ。
・論語は実践しやすい
・維新前の商工業者には素養がない。維新後、外国との交流も始まったので、品位を高めなければならない。

2、徳川慶喜の家来になる
・幕府は早晩つぶれるので、慶喜公の将軍就任には反対
・豪族政治になると思っていた
・パリ万国博に大使として派遣される
・静岡で商工会を開く
・勝海舟は慶喜公を静岡におしこめる
・函館戦争に榎本武明にさそわれる
・大久保利通に嫌われる。識見卓抜で、その才能たるや、底の見えぬ気味悪さ
・西郷隆盛は賢愚を超越
・木戸孝允は文学の趣味が深く、考えも組織的
・勝海舟はこの三公の器まで行かない
・祖先崇拝は温故知新
・江藤新平と黒田清隆は自分の意見を押し通す
・伊藤博文は議論好き。論理的かつ博覧強記で相手を説得。

3、富貴は正道をもってする
4、算盤の基礎を論語の上におけ
5、西郷は情に流され、江藤新平は残忍にはまる。大久保利通はその間。
6、商売は商戦にあらず
戦いは相手を倒すことにあり(+―)商売は相手も幸せにする(++)。

7、西洋と東洋と道徳のちがい
西洋:よいことはなるべく人に勧める
東洋:己の欲せざることは人にすることなかれ
というものです。

とくに幕末の偉人が等身大に描かれていて、とても面白かった。

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話は渋沢記念館の見学に戻りますが、今回の見学で、もっとも印象に残ったのは、館長さんがとくに強調していたのが、栄一が政治の道を選ばず、経済の道を選んだ、ということです。

私も世の中を良くするのは経済だと思っています。特に、15年前、ポール・ケネディの「大国の興亡」を読んだとき、いかに経済が歴史を作ってきたかを痛感しました。

渋沢が作った企業群は現在も日本経済の中心を担っている企業が多く、もし今日、グループ化すれば、もちろん日本一のグループになるでしょう。しかし渋沢は会社を作っても、私物化をしませんでした。戦後、財閥解体のとき、GHQは渋沢一族が、財閥と見られている割りに、財産があまりに少ないことにびっくりしたそうです。

渋沢に私欲がなかったから、渋沢に金と権力が集まったのでしょう。ひょっとしたら維新の英雄より、渋沢のほうが、よほど今日の日本の礎を築いた人なのかもしれません。

お花見の帰りの居酒屋では皆大変盛り上がりました。

2008年07月07日

環境問題の本質

最近、テレビでも地球温暖化にともなう環境問題が、数多く報道されるようになりました。
しかし、どの番組もいかにCO2の排出を抑えるか、という問題ばかり報道され、物事の本質には触れられておりません。その本質とは、「循環社会に戻る」ということだと思います。具体的にいえば、企業間においては「共存共栄」、仕事をする人においては「適材適所」だと思います。

産業革命以降、人は飽くなき利潤追求を目指し、未開地を侵略し、森林を伐採し、供給過剰と倒産を繰り返し、その小波が大きく集まって景気変動となり、さまざまな破壊と生産が繰り返されていきました。

これはすべて「神の見えざる手」による「競争原理」という万国共通の法則に従い、地球上の経済は動いてきました。その結果、経済の過熱とともにエネルギーが生産され、消費され、地球は温まってきたのです。

なぜかくも「競争原理」が広がっていたのでしょうか。それは「競争原理」がいかなる人間の間にも共通の“プロトコル”つまり、意志を共感できるきまりだからです。個人個人が「利益」を得るために最も有効な手段が「競争原理」だと、みんなが思い込んでいるから、「競争原理」が世の中のスタンダードになるのです。

人が誕生し、群れをなし、村ができ、「長」と呼ばれる人が選ばれ、民を豊かにするために隣の村を襲うとき、「競争原理」はスタートしました。中世までは土地の奪い合い、近代は国の奪い合い、そして現代は「金」の奪い合いで「競争原理」は拡大してきました。人は、自分の利益のために戦争に駆り出され、自分の利益のために働くのです。あらゆる人と人の行動のプロトコルが「利益」だったのです。中世の大航海時代、地球の裏側にある未開人との交易も「利益」により成り立っていたのです。

しかしこの「競争原理」による人間の営みに、地球環境が耐えられなくなってきたのでしょう。否、地球環境の悪化に伴う人間の滅亡によるリセットも「神の見えざる手」の予定調和の一つなのでしょう。

個人個人で電気をこまめに消す、など省エネの姿勢は大切だと思います。しかし家庭の水道の蛇口の水滴を止めるような作業をみんなでしている間、「競争原理」の元、想像を絶する巨大な無駄遣いが世界で行われているのです。

中国の上海や深圳 、香港など東沿岸地域は値段が高くて人が住めない空家の超高層の巨大マンションが山のごとく乱立しているそうです。元の切り上げを狙った投資家が買い漁った結果だそうです。この実需要に見合わない巨大マンションを作るために山から石灰岩を切り出し、大量の鉄を生産するために膨大なにCO2を排出するのです。これも地球規模で考えれば、「競争原理」のなせる無駄です。

またバイオエネルギーを作るために同等の石油を消費し、さらに投機による穀物価格の高騰から、世界中で餓死者まで出て、暴動が続発しているという。これなどは「競争原理」の無駄を超えた愚行でしょう。

それではわれわれは、神に定められた運命に従い、繁殖しすぎた生物の末路に従い、滅亡へ向けて、繁殖しすぎたネズミのごとく、池の中へ黙々と飛び込んでいかなければならないのでしょうか。

ちょっと考えてみてください。本当に「競争原理」が人々の「利益」を生むための最適な手段なのでしょうか。バブル時代に「競争原理」に乗っかって、巨万の富を稼ぎ出し、豪遊していたバブル紳士たちはほとんど破産しました。これまでの歴史のなかでも、平家や信長や秀吉やナポレオンやヒトラーなど風雲児といわれたヒーローはなぜか短命です。そして、つい最近も邯鄲の夢といわれたIT長者がいました。皆さんの記憶にも新しいことと思います。

本当は、「競争原理」は「利益」を得るための最上の策ではないのでは?世の中は必ず波があります。上昇気流の波に乗って大成功しても、大成功すればするほど、舵を切りにくくなり、結局は大失敗するのでしょう。何度か上昇、下降を繰り返し、だんだん拡大するほうが安全なのかもしれません。「競争原理」に代わる「利益」を生むための方策はないものでしょうか。

「利益」を生むことにけっして長けていない私が発言しても説得力はないかもしれませんが、ひとつご提案があります。ITを活用することです。今は携帯電話で相手との交渉ができるのです。つまりいつでもどこでも意思の疎通が可能なのです。つまり「競争原理」に代わる新しい「プロトコル」を作ればよいのです。

それは「共存共栄」「適材適所」のシステムをプロトコルにすることです。「競争原理」は一方が一方を打ち負かすことで、無駄が多く発生します。「共存共栄」「適材適所」に切り替えることで、打ち負かされた「負け組」も有効に生かすことができるのです。

私たちメディアファイブは、まず5年の歳月をかけ「適材適所」のシステムを開発しました。人材育成型グループウエア「則天」です。利益は天の配剤に任せて、いかに人が自分の能力に合った仕事を生かし、才能をのばしていくためのシステムです。

そして今、歴史ネットゲーム「NextRevolution」を開発しています。これによって、多くの人や会社が自由に集まり、歴史のなかで1年を100分の1程度に短縮し、時間の流れ、人の生き死に、時代の生滅を体感しながら、ビジネスや人材マッチングの場を提供していこうと考えております。

特に江戸時代は、庶民の生活の状況も含めて、これからを「共存共栄」の社会にしていくために参考になる時代だと思います。教育ブログ「江戸の教育力」で触れましたが、徳川吉宗は享保の改革で、庶民の隅々まで寺子屋をたてるなど教育の普及に努めた結果、多くの農業指南書が出され、農民は農業の改良に努め、飛躍的に農業生産性が上がったのです。

なぜ「NextRevolution」か?それは有史以来の「競争原理」による人の営みを、次の時代は「共存共栄」に変えていかなければならないからです。「革命」の本来の意味は、古いものを倒して新しい時代を創るということですが、古い時代を尊重しつつ「共存共栄」の時代に変えていかなければならないと思います。これこそが有史以来の人間にとっての大革命となるでしょう。ITを活用すれば可能なことだと思います。

このような有史始まって以来の「革命」的な試みが世界中で起こることが、環境問題解決の本質なのではないでしょうか。

人の利益追求を辞めさせることはできません。だれも人の欲望を止めることはできないからです。マルクスの失敗はここにあります。しかし無意味な戦いは辞めさせることが可能です。なぜならもし闘わなくても利益追求ができるなら、誰も無意味に傷つけ合いたくはないからです。

それでも人間の闘争本能は消せるわけはない、という人もいるでしょう。それが真実なのかもしれません。そうであれば、もうだれも水に飛び込むネズミの集団(=人間)を止めることはできないでしょう。

今日は、ちょっと大風呂敷を広げすぎたかもしれません。すみません。

2008年09月04日

構想20年 「NextRevolution」誕生!

この度、メディアファイブは、歴史ネットゲーム「Next Revolution」を開発しました。今から20年前に構想し、会社を設立して15年、なんどもこのプロジェクトに着手しながら頓挫しましたが、ようやく完成の第1歩を踏み出すことができました。

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「Next Revolution」は、多くの人や会社が自由に集まり、歴史のなかで1年を100分の1程度に短縮し、時間の流れ、人の生き死に、時代の生滅を体感しながら、自分の才能を発見し、自分の能力を伸ばし、そこで楽しむだけにとどまらず、ビジネスや人材マッチングの場としても活かせるポータルサイトです。

皆さんに様々なゲームや活動をこのなかで営んでいただき、それを通して自分とはなにか、この国とはなにか、人生とはなにかを見つめなおすことができたなら、幸いです。

なぜ「Next Revolution」と命名したか?それは有史以来の「競争原理」による人間の営みを、次の時代は「共存共栄」に変えていかなければならないからです。「革命」の本来の意味は、古いものを倒して新しい時代を創るということですが、古い時代を尊重しつつ「共存共栄」の時代に変えていかなければならないと思います。「共存共栄」は日本や日本人がもっとも得意とする技術ではないでしょうか。これこそが有史以来の人間にとっての大革命となるでしょう。ITを活用すれば可能なことだと思います。

今、この国を覆っている閉塞感は、もちろん不況によるものもありますが、なによりも日本人の価値観の喪失にあると思います。

思えば、この閉塞感はどこから来たものでしょう。いまから63年前、日本は圧倒的な力の米軍の前に無条件降伏をしました。それから米国のリーダーシップのもとで高度成長を遂げました。オイルショック、ドルショック、円高不況を経営の合理化で乗り越え、米国からも「ジャパン アズ ナンバーワン」という本が出版されるほど称賛されるようになり、アメリカ以上に商売の付加価値をつりあげ、土地と株のマジックで容易に利益を獲得する術を覚え、バブルとなり、それがはじけた後は、もはやコツコツ独自のビジネスを行うことを忘れ、ITならなにがなんでもIT、マンション建設ならマンション建設ラッシュとなり、中国や新興国とのビジネスが儲かるとどんどん工場を海外へ移すなど、この国の経済は安易なビジネスに走るケースが多くなってきました。

容易なビジネスは、ITスキャンダル、耐震疑惑、サブプライム問題など、突然大きな事件となり、いとも簡単にバブルははじける。本当に人間が思い上がり、崩されるバベルの塔のごとく突然ビジネスは収束します。

もともと円高不況のころからは、構造不況といわれ、つまり資本主義の構造上の限界に来ていたのです。機械の発達により、生産性の向上が進み、価格が低下し、人の好みも細分化され、デザインやITというソフトウエアでの付加価値を増加させる。しかしそれも限界に達したころ、金融という手段で、バブルを作って不況を克服する手段が日本初で取られ始めたのです。

最初は土地を担保に株を買う、という手段で、クリントン政権のころからは、ファンドマネージャーが経済のかじ取りを行い、本格的に金融資本が本格化していきました。そしてみるみる巨大金融資本が誕生し、実体経済の存在すらも脅かすようになり、プライムローン問題をきっかけに、実体経済の崩壊が深刻化しているのです。

それでは次はどうすればよいか。経済は循環です。循環の流れに勢いをつけるためにはポンプがなければなりません。人口の増加、アジア国家の台頭、戦争、グローバリゼーションなど経済の流れを速める手段は多々あります。しかしもっとも有効なのは、私は消費者市場に投資の概念が持ち込まれることだと思います。

もちろん株式投資も自分の資産を増やすために、どこに有望な企業があるかを探り、投資することもその代表的な行為でしょう。しかし巨大金融資本が跋扈するなか、なかなかセオリー通りにはいかなく、とんでもない損をすることの方が多いのが現状です。

私はその経済モデルのお手本を江戸時代に求めます。江戸時代、9割は農民でした。幕末土地を持たない小作農は増えてはいたものの、その多くは自分の土地で工夫して作物を耕す自作農家です。
今でいう中小企業事業主がほとんどだったのです。寺子屋が発達し、農業研究の本が普及しました。江戸時代の農家は、試行錯誤し、気候や環境を研究しながら、よりおいしい、環境に強い農作物(しかもなるべく年貢の対象にならないように)をつくりました。

そしてこの鎖国の時代に、人々が豊かに生きた原因は3つのシステムによるものと思います。「教育」、「五人組」、そして「藩を中心とする地域産業」の活性化のシステムです。

教育に関しては、四書五経が普及し、どんなに貧乏な人でも大根1本持っていけば学問が気軽に学べる環境がありました。五人組は「連帯責任」を負わせ、お互いを監視する悪いイメージで、私たちは教えられてきましたが、たとえば年貢を払えない人がいれば、あとの4人が助ける仕組みは、チームワークで生産する、というとても素晴らしいシステムでもあるのです。

江戸時代、鎖国によって閉ざされた市場のなかで、人々は個人個人が、付加価値を生みだして食べていく術を身につけていきました。だからこそ知識の蓄積のある老人は大切にされたのです。(幕末、外国公使や探検家で有名なシュリーマンなどが手記を残していますが、日本人は皆、子供と老人を大切にすると書かれています。)

「高田屋嘉平とシリコンバレー」で述べましたが、江戸時代、大商人は皆取りつぶされました。淀屋橋で有名な淀屋、銭屋、高田嘉兵衛、紀伊国屋文左衛門などなどです。(そんななか三井、住友は徹底的に質素な暮らしと、幕府への献納で現代まで生き延びましたが、これは奇跡に近いそうです。)このような信用経済を破壊する行為は、幕府の経済的無知から生まれたものと思っていました。

しかし巨大な商人が誕生すると、閉ざされた経済の中では大商人のお金の再配分の力は大きな政治力を持ちます。自分の金と思って抱え込み適切な配分をしなければ、庶民にお金が回ってきません。個人個人が事業主であった江戸時代、大商人をつぶすという格差社会の是正はある程度必要悪であったのかもしれません。

三井、住友が生き延びた理由は、その時代に合った適切な再配分をしたからなのでしょう。日本においては、政治家や官僚が政治を安定させるために政治権力を適切に配分する役目をになっているのと同様に、事業家は、付加価値のある産業を生むために適切に資本を配分する役割をになっているのかもしれません。

ただ、江戸時代の問題点は、長く続いた幕府の体制により、それを運営する幕府の役人がサラリーマン化し、つまり組織のなかで動く歯車と化したことです。そして西欧列強の植民地政策の圧力に適切な対処がとれず、新しい中央集権国家を作らなければならない羽目に陥ったのです。

しかし外圧に対処するために作られた国家は富国強兵のもと、多様化、循環社会、個別化という江戸時代の良い部分も根こそぎ破壊していきました。廃仏毀釈運動がその象徴的なものです。神社と仏閣の混在化された地域社会の文化を意図的に破壊したのです。

夏目漱石や森鴎外は、お上ににらまれないように、日本の古き良き文化の破壊に警告を発し続けました。

そして今日、江戸時代の「五人組」はITというデジタルシステムに名前を変えて、教育・協業するためのITシステムとして、各地域を活性化しこの国を救う、と私は考えます。

メディアファイブでは教育ソフトやe-Learninngで気軽に学べ、みんなが知恵を出し合い協力できるシステム「則天」をプロデュースし、歴史のなかで、地域の活性化をめざす「Next Revolution」をつくりました。

具体的には、1000以上のコンテンツから自分の才能を発見するためのiモード公式サイト「学びのたね」。そして科学で実証された、五感学習でその才能を伸ばすための「media5 premierシリーズ」。家族で学べ、家族のきずなを深めながら健康や体力も管理できる「ファミリーナレッジ」。組織でその才能を発揮し、仕事で活かす「則天」。「則天」は、江戸幕府で致命傷となった「サラリーマン」を「事業主」に育てるシステムでもあるのです。そして今回、そういった個人、家庭、組織を結び社会で自分や組織の能力を活かすポータルサイトが「Next Revolution」なのです。

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(メディアファイブのラインナップと戦略)

また埼玉NBCの副会長、そしてIT委員長として地方の中小企業の「経営のIT化」を促進する活動を微力ながら行っておりますが、しかしなかなかその壁はあまりに厚いように感じられます。

大切な学びは、「知恵」だと思います。学校において、きっちり教科書を学ぶことより、勉強についていけなくなり、一念発起して、一学年前の教科書から勉強し、挫折を乗り越える、その乗り越えた経験と自信こそ、人生で役立つ「知恵」ではないでしょうか。

単に上司の指示に忠実に従い、人事評価で良い点をとることよりも、自分で考え、試行錯誤しながら利益を追求する知恵を身につけることこそ、人生を成功に導く知恵ではないでしょうか。

この国を考え、自分の生れた土地、住んでいる土地を考え、自分の仕事を考え、付加価値を出していくことに成功すれば、本当に生きている喜びを味わえると思います。

メディアファイブの商品やサービス、ネットゲームを活用することで、明日への活力となるヒントを得ることができ、新しい価値観を発見することができたなら幸いです。

2008年09月28日

いかにしてこの大不況を乗り越えるか。そのキーは「イノベーション」

先日、経営者の会合で、ある人がスピーチで「この経済危機を気力で乗り越えましょう!念じればキャッシュがついてくる!」とおっしゃっていました。念じるだけではキャッシュはついてきません。

太平洋戦争末期の日本のように、気力や神風にだけに頼ることは、滅亡を早めるだけです。
敗戦後、昭和天皇は「日本は精神力だけで戦争を乗り切ろうとした。日本は科学で負けたのだ」とおっしゃいました。その言葉に象徴されるように、太平洋戦争は米国にハイテクで負けたのです。

現在の危機的経済状況下では、経営のイノベーションしかこの不況を乗り越える手段はないと思います。世の中、本当の勝負の時は、「イノベーション」しかありません。
繰り返しになりますが、日本の経済はイノベーションによって高度成長を遂げました。二度のオイルショックも円高不況も経営のイノベーションで乗り越え、日本の経営が世界で注目されるようになったのです。

しかしバブルといわれる時期から、株と土地の高騰で企業は利益を上げることを覚え、その結果、売上規模とバランスシートでの利益率が株価を決定し、見せかけのバランスシートのきれいな企業が「勝ち組」として資産価値を拡大させていきました。

そして、市場にも見せかけの商品が跋扈し、消費者やユーザーは離れていき、多くの市場が衰退していきました。

今必要なことは原点に返ることです。経営の体力が続く限り、よりクオリティの高い商品を作り、あらゆる市場に様々な形態の工夫をして販売していくことです。

さらにバランスシート経営からキャッシュフロー経営へと変革し、また最終的には個人生産性追求経営に移行させることが必要だと思います。

キャッシュフロー経営は京セラの稲盛氏が提唱したことで広く知られています。投資をし、それを回収するための金の流れを追求する経営手法です。

これは大企業など、大規模な投資をし、回収する経営手法には最適です。しかし中小企業ではそれだけではダメだと思います。

中小企業においては(私は究極的には大企業も同じだと思いますが)基本的に社員一人一人の生産性を追求することが、真の利益追求だと思います。いままで「人」は人件費の負担が大きいから、それを抑える方向で「イノベーション」が考えられてきました。それは誤解だと思います。

インターネットの発達により、価格競争に拍車がかかりました。安くできるものは徹底的に価格競争に入ります。「人」が介在しないものは、いくらでも安くできるのでは、という心理が買い手の根底にあるからです。

したがって構成する社員の個人個人の生産性を追求することにより、個人が生産性追求に目覚め、試行錯誤するのです。その結果、ミツバチが蜂蜜を集めるように会社に付加価値が集まるのです。この付加価値はバランスシートにおける利益とはちがい、本物の付加価値になります。

そしてその付加価値を社員全員で販売していくのです。

これからの経営は「個人生産性の追求」。

どのように行うか?「則天」をご高覧ください。
http://www.media-5.co.jp/sokuten/
いずれにしてもこれから本格的な格差社会に突入します。

必至に働き、生きようとする意思のある人しか生き残れないと思います。必至に働き、生きようとする意思のある人は自分のイノベーションに余念がありません。

どのように「自分をイノベーション」するか?「至高の勉強法(試験に合格する勉強法)」をご高覧ください。
http://blog.media-5.jp/five-senses//
そして「パソコン五感学習」をご高覧ください。
http://www.media-5.co.jp/hp/premier3_s/index.html
ちょっと先走ってご報告してしまいますが、昨日、都内の病院で、当社のパソコン五感学習の効果をMRIで実験しました。これは4月につづいて2度目です。数年前、脳機能ブームの発端となった漢字書き取りが脳にいい、という説は実は間違っているのです。同じことを、同じスタイルで繰り返し学習すると、脳機能の向上は起きなくなるのです。脳機能は同じ内容も、別の角度で学習してはじめて脳機能は向上するのです。当社のシステムはそう作ってあるのです。従来実験に利用されていた脳波測定(よく頭に線をつないだもの)は実は、少しでも感情が入ると反応する、というチープなもので不正確なものなのです。正確な実験データがでたら、また皆さんに正式にご報告します。

このようにメディアファイブは自社で開発し、改良しつづけ、実験し、お使いになる皆様により良い「本物」だけを提供してまいりました。

メディアファイブは個人のイノベーション、学校のイノベーション、企業のイノベーション、そして社会のイノベーションを追求して15年努力し続けてまいりました。

今こそ、皆様のお役に立ちたいと考えております。

2008年10月10日

資本主義の原点に帰りましょう!

今、リーマンブラザーズの破綻、メリルリンチの買収、国内でも4半期前まで空前の利益をだしている企業が突然破綻するなど、従来ではありえないことが起きています。さらに株価の下落は止まらず、底なしの様相を呈しています。

1929年以来の大恐慌の到来が、本格化しそうです。具体的にはどういうことなのでしょうか。
それは従来型の経済のシステムの崩壊が始まったことを示唆しています。 従来型の経済システムとは、バランスシートを重視する経営を基本とする経済システムです。 総資産はいくらか。その中で利益はいくら出しているか。その数字により、銀行はその企業の融資額を決め、利息を決め、証券市場は株式公開をさせるかどうかを決めます。

企業において、株式公開がもっとも儲かるものであり、その株式公開は、売上規模を求む経営であることです。 もともと証券会社は上場にあたり、手数料収入が収益源となるため、発行株式の多い企業、すなわち、規模が大きいほど利益が大きくなるので、売上の大きい会社を上場させる傾向にあります。 急拡大する企業は、消費市場でも法人市場でも突然大きなニーズが現れ、その市場をいち早く押さえた企業です。

間接的ではありますが、日本の十指に入る経営者が、その部下である私の友人にしみじみ言っていたそうです。自分の財産はほとんど株式市場で儲けたようなものだ。実際のビジネスはどんなにヒットを出してもたかが知れている。その会社は創業以来、常に3割以上の利益を叩き出し、大ヒットをいくつも叩き出した企業です。この言葉は、株式市場がいかに実ビジネスからかい離していたかを物語ります。

その結果、株式市場で利益を出す企業、つまりファンドに信じられないほどの金があつまり、1993年以降、米国は金融のグローバル化を強め、世界中に実業の10倍近い金が動きました。

しかし、そのような証券市場での価値に見合う企業が雨後の筍のように出てくるのでしょうか。そのような中で、証券会社は利益をだすために、似た会社で、売上規模がある程度大きくなったところで上場させ、自社の利益拡大を図ろうとしたのです。

ところが、二番煎じ、三番煎じの会社は、一番煎じに比べ市場シェアも抑えられず、またオリジナリティも薄いため走り続けるには限界があります。そこで様々な無理をすることで、悪くすると破たんの原因にもなります。

そして短期的利益に執着することが、長期的戦略においてはデメリットであることも増えてきます。

もともと誕生してから早く上場する会社は、その成長力はまさに実力でしょう。しかし商品ラインナップや事業領域の幅は狭く、本業の行き詰まりから次の手を打つことが難しくなります。攻撃型のボクサーが以外に防御に弱いように。

本当に企業の評価は、その売上や利益、そこにいる人材や業歴で把握することができるのでしょうか?会社は固形物ととらえられてはいないでしょうか。会社も、人や組織で構成されている流動物です。どんなに業歴が華々しくても、利益が上がっていても、所詮企業の血液がお金である限り、流動物です。

金融界の英雄であるジョージ・ソロスでさえ、金融が資本主義を滅ぼすと警告をしました。企業は常に買収におびえ、株価の維持に固執するあまり、本来、山あり谷ありの業績をいかにうまくコントロールするかが経営の手腕のはずなのに、右肩あがりの経営に執着するあまり、企業組織の破壊、社員の心理的破壊、企業間の破壊、市場の破壊を招く結果となるのです。

そして最近、米国のサブプライムローン問題に端を発し、金融市場のグローバル化にかげりが出始め、いよいよ崩壊がはじまりました。私たちはいまこそ実業と金融の関係をもう一度見直す時期にきているのではないでしょうか。

本来金融は実業を発展させるための潤滑剤のはずです。近代の先物取引は江戸幕府が大阪堂島にひらいたのが先駆けといわれていますが、これも初めは米の値段を、安定的に取引するための手段だったはずです。渋沢栄一や万俵鉄平のように、みんなが得をする経営者を応援するために金融市場はあるべきです。

企業経営は波乗りです。つまりいかに人を育てるか、お金をいかにうまく生み出し、投資し、社員や社会に還元していくか、を私心なく采配できる経営者にお金が集まるべきでしょう。なぜならそういう経営者こそ本当の付加価値を生むことができるのだから。

今日行われている金融資本と、本来ある資本主義では、本質的なところで相対するものです。本来の資本主義は皆で金を出し合い、利益を生みだしたら利益を分かち合うものなのです。

何度も引用して恐縮ですが、そのことはすでに100年以上もむかし、渋沢栄一が看破しています。「商売は商戦にあらず」。今の言葉では、「ビジネスは戦いにあらず」でしょう。偶然、浦和の小さな古本屋で見つけた、くしくも大恐慌の1年前、1928年発行の「処世の王道」という渋沢の著書の中に書いてありました。野村徳七を例に出して、相場は儲かった人がいれば損をする人も必ず出る、だが買った人も、売った人もみんなが得をするのが商売だ、と言いました。私はこの言葉が渋沢の言葉の中で一番好きです。

人と人は争うのではなく、協力しあうほうが絶対得です。競争したり、戦ったりする暇があれば、お互いの良いところを見出し、より良いものを作るほうが良いはずです。企業もしかりです。そのための切り札は組織における情報共有と公平平等な分配、そして人材教育です。甘い?と思われる方もいるかもしれません。しかしその考えは間違いです。協力しあいながら本当の付加価値を出すことのほうが、はるかに地道な努力と時間と忍耐と覚悟が必要なのです。

だれでもみな手持ちの金と時間は限られています。そのなかで付加価値を出すことは並大抵なことではないのです。その学習は、人が生きるうえでもっとも難しく、もっとも重要なのだと思います。その学習こそ、「経営」です。「経営のコツここなりと気づいた価値百万両」と松下幸之助は言いました。「経営」は経営者だけでなく、社員一人ひとり、いえ国民一人ひとり皆が学ぶものなのではないでしょうか。

経営者は、私心なくお金をあるべき自然の流れに従って流さなければなりません。自然を「天」と置き換えれば、「則天」です。つまり「則天去私」が経営者のめざすべき心がけなのだと私は思っています。
この言葉は私の中学時代からの座右の銘でもありました。

金融資本が世界中を跋扈し、穀物にも手を伸ばし、それがため、餓死する人もでる始末です。天はこの狂える人間の愚行に天罰を加えたのでしょう。つまり金融というバベルの塔を壊したのです。

それでは次はなにか。もちろんまた悪魔の手品(マジック)が現れるかもしれません。しかし、今言えることは、「実ビジネスは壊れない」ということです。まじめに働き、身の丈に合った利益を出し、常に改善をおこないながら再投資する。この資本主義の原点のビジネスはこの危機に一緒に崩壊することはないでしょう。

それではいままでのように働いていればよいのか?否です。原点のビジネスを維持し続けられないから、問題がおこるのです。

大切なことは、利益を出すシステムを整備することです。それはなにか?資本主義の原点から考えれば「イノベーション=改良」です。

「もの」が付加価値を生み出す時代は終わったのです。否、「もの」が付加価値を生み出すのは若い急成長国家です。日本においては価格競争から「もの」だけでは利益を出しにくくなるでしょう、これから付加価値を生み出すのは、人に依存するサービスであり、知恵によって作られた商品です。

また、破たんする会社の特徴は売上やニーズより、投資や開発を先行させる傾向があります。 まず売上をあげること、ニーズを発掘することを全社が一丸となって進めることが重要ではないでしょうか。

企画部門、開発部門、総務部門など内勤でもSEO対策やメールで新規開拓も可能です。しかしその活動が継続的かつ効果的なものにするためには、内務者の明確な活動記録や評価するシステムが必要です。

日本における中小企業で、いきなりグローバル戦略は難しい。自社商品やサービスを究極まで質を上げ、そのノウハウを海外展開することが重要。

そのためには改善提案が必要。グループウエア上でも、日報の記入にしても、改善提案しやすいシステムをつくることが必要。

ノウハウや技術をシークレットにすることは、その普及に歯止めがかかります。これからは技術をオープンにし、みんなが活用できるようにし、自分たちはその進化力の速さとクオリティで他の企業との差別化をすることが必要で、一人一人が常に仕事の改善改良を続けるシステムに、組織をかえていかなければなりません。

そうはいってもなかなか、通常の業務のなかに改善提案やシステム導入はできません。理由は評価システムが大雑把だからです。人は自分の働きが、報酬に見合わなければ働きません。それを年に2回、中間管理職まかせで決定することは企業の進歩を促進しません。
採算、人事、学習、技術といった項目で定常的に評価することが、人をまじめに一生懸命に働くのです。

ヒットが出ますように、儲かりますように、という運頼みの経営から全員が知恵を出し合い、どうやって利益がでるかを工夫しあいながら、粘りの頭脳経営をしなければなりません。

なぜ経営は実態を把握しずらいのでしょうか。まずバランスシートで本当に利益があがっているかどうか、把握することはできません。その商品やお客様、サービスが利益を上げているかどうかは、通常の販売管理ソフトでは、期をまたいでいるので解りにくいのです。

従って、その商品やサービスがスタートしてから、どれだけのコストと時間がかかり、どれだけの利益をだしたか、明確になるシステムが必要です。

そしてそのプロジェクトが利益を出しているかどうか、だれが、どの程度貢献しているか、という参加している人の貢献シェアが明確にならなければなりません。

だれかが仕事をしたら、その結果が明確にならなければ、仕事のイノベーションは生まれません。しかし従来の経営手法では一人一の仕事の結果が明確化されていないのです。

個人の仕事の結果を明確化する個人生産性のシステムが必要なのです。上司によるいい加減な評価は、人材の資源を有効に活用することはできません。

「行き詰ったら原点に帰る」昔から言われている原理原則です。巷では、億万長者になれる、とか楽して儲けるとか甘い言葉の散乱した本が店頭に並べられています。しかし今度の金融危機はそういう甘言がみなまやかしであることを証明しています。当たり前のことをコツコツすることが大切なのだと思います。

改善改良の継続、公平平等の分配、個人生産性の向上。もちろんなかなか実行することは難しいです。当社でも3年前から取り組んではいますが、なかなか理想的な状態にはなりません。

しかしたとえば当社では間接部門でもメール営業やSEO対策をおこなってもらっています。それもきちんとそういう行為が実を結べば、結果として評価される仕組みなので、みな続いているのだと思います。

そして自分の仕事の結果が出て、報酬として受け取ったとき、働くよろこびとモチベーションにかわるのでしょう。

利益を出すシステムづくりを早急にしないと、「念じていれば神風(キャッシュ)がふいてくる」と祈るしか方法がなくなってしまいます。

2008年11月16日

真言内証義と経営システム

前のブログで、玉川温泉につかって北畠親房の「真言内証義」と顕家の「奏文」を繰り返し読んだことは述べました。なぜこの二つか、というと、顕家の思想的主張はこの「奏文」にしか書かれていないのですが、「真言内証義」は比較的短文で、しかも曼陀羅についてかかれているからです。いくら読んでも、難しすぎてよくわからないのですが、なんとなくこの中に当社が5年をかけて開発している経営システム「則天」の普及へのヒントが隠されているような気がしたのです。「読書百篇意自ら通ず」という言葉がありますが、70回くらいしか読んでいないので、まだ意自ら通じていません。ただこうやって文章にしてしまえば、少しは理解が進むかな、という思いから筆をとりました、ならぬキーボードをたたき始めました。

まったくの素人の私が無造作に話すとご批判を受けるかもしれませんが、早い話がもともと仏教の目的は、人間の本質を洞察し、欲望に満ち溢れた人間を、いかに高い次元へと導くか、ということだと思います。経営も欲望に満ち溢れた人間を、いかに機能的に会社の目的に組織的に導くか、ということなのだから、仏教がヒントになるかも、と思うのです。もともと曼陀羅は仏教の概念をシステム化したものなのですから、これはこのまま経営システムとして応用することは可能です。

前回のブログで、仏教の目的が法報応の3段階で進むことにちなんで、「則天」の目的を1、改善提案 2、目標と予算の管理 3、個人の生産性という三段階に分けることに気づいた、と述べました。さらに醍醐味の5味にちなんで5つのステップに分けます。(もともと分けているのですが)情報共有モデル→ナレッジモデル→プロジェクトモデル→スタンダードモデル→フルモデルへのステップです。

「真言内証義」は過去の原因を把握しろ、と言います。人はそれぞれで、みな過去になにか背負ってきたように一人一人強烈にキャラクターがあります。天、人間、修羅、餓鬼、畜生、地獄という六道というのがあり、その人がどこから来たのか、と考えたくなる時があります。まあ大抵「人間」からなのですが。時として「修羅」や「餓鬼」からきたのでは、と思う人もたまにいます。

また四苦八苦というのがあり、「生、老、病、死」という基本のほかに「愛別離苦、怨憎得苦、所求不得苦、五取おん苦」というのがあります。愛する人と別れる苦しみ、いやな人に会う苦しみ、欲しいものが手に入らない苦しみ、自我に執着する苦しみがあるそうです。そしてこの苦しみの原因が無明という欲望から来ていると。その種類は3つあり、貪(感覚的欲望)・瞋(生存に執着する欲望)・癡(生存を断ちたい欲望)の3つの欲望から来ているといいます。

そしてこの苦しみを解決する手段が八正道と呼ばれる正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定から成るそうです。

思うに会社の問題点は、そこに構成する人々のこういった欲望から起因します。しかも人それぞれの欲望や苦しみがあり、それが、本来目的にそって機能するはずの組織が機能しなくなるのです。

日本の伝統的な経営システムである年功序列・終身雇用という制度は、一生涯の雇用を保証し、若い時は安月給でも歳をとるに従い地位と給料があがる仕組みです。独身の時は、沢山働き、会社に利益をもたらし、歳を取ると、住宅ローンをはじめ、子どもの学費や親の介護などどんどんお金がかかります。そういうときに、とても優れた制度なのです。出世する確率も高く、会社に対し、強いモチベーションも持てます。そのために様々な個人的な欲望を抑え、会社に対する誇りと所属意識は芽生え、玉石混合ですが、上司から様々な教育を受け、会社は組織を維持することができました。

しかし今日、バブル崩壊以降、大企業を中心にリストラが大幅に敢行され、労働流動性が加速し、非正規雇用者が増加し、その結果、年功序列・終身雇用というシステムが制御していた個人の欲望をコントロールするシステムが崩壊し、企業は組織のモチベーションやモラルを維持するのが難しくなってきたのだと思います。とくに、「教育するシステム」という観点からは深刻だと思います。なぜなら年配の人が若い人を教育したら、いつ自分の立場が危うくなるか分からないからです。したがって中間管理職も、従来の役割や機能は低下し、むしろ上司にも部下にも、自分に有利になるよう働きかけ、むしろ悪い面が増えてきたようです。今日では、中間管理職を減らす組織が増加しています。夜の飲み会は、以前はある程度上司や先輩とのコミュニケーションや教育の場であったのが、今日、中間管理職のリーダーシップの欠如を埋め合わせや、組織のためより個人の利益誘導に利用されることが多くなったのだと思います。

企業モラルの低下も目先の利益に走るのもこのシステムの崩壊は要因の一つにあると思います。また国内消費市場の冷え込みが回復しないのもこのシステムの崩壊が要因のひとつになっていると思います。先日、埼玉NBCの会合で、北畑前通産事務次官の講演を拝聴してびっくりしたのですが、かつての日本の高度成長は輸出が要因ではなく、国内消費の上昇が最大の要因だ、ということをおっしゃっていました。どんなに株価があがっても、大企業が儲けても、国内消費の活発化なくして本当の景気回復はないのです。そして国内消費の活発化は未来への安心と夢がなくては実現できません。年功序列・終身雇用の崩壊が日本国民に与えたものは、未来への希望を失い、個人主義に走ること、モラルをなくすこと、そしてやる気をなくすことです。その結果個人消費は収縮し、マクロ的にみれば、労働生産性を低下させ、教育レベルを低下させているのです。

だからいち早く年功序列・終身雇用にかわるシステムを普及させなければならないのです。そのシステムこそ「則天」なのです。個人の仕事の結果を記録し、組織の貢献度を記録し、個人の知恵をシステム的に結集し、最終的には金、人、技術、情報、学習という点でシステマティックに、より正当な評価をすることができるのです。こういうシステムを企業が一般的に利用することになり、正当な評価が約束されれば、社員は自己投資や研鑽に目覚め、会社の生産性はあがります。これは以前からの私の持論ですが、次世代型経済は個人市場が、従来の消費市場に加え、「自己投資」を含めた投資市場により飛躍的に拡大するものと思います。そうなったとき、企業の生産性は飛躍的に向上し、教育力はまたOECDのトップクラスに返り咲き、日本は世界のリーディングカンパニーになるでしょう。

親房は、遠い将来、そういう日本になることを願ってこの「真正内証義」を書いたのではないでしょうか。それにしてはあまりに難しすぎます。もっと簡単に書いてもらいたいです。

2008年12月14日

篤姫

今日、NHKの大河ドラマ「篤姫」の最終回です。今までにない高視聴率で、大変な人気だったようです。私も毎週楽しみに見ていました。なぜこんなに人気なのか、が話題になっています。戦争シーンが少なく、女性にスポットをあてているのがいいのではないでしょうか。そして篤姫役の宮崎あおいさんがとてもいい味を出しています。NHKの朝の連続ドラマ「純情きらり」のときも大変光っていました。

私はもちろんそういう条件も含めて、今日の世情、もしくは視聴者の心理、もっと言うと今の日本が落日の徳川家と重なるからではないでしょうか。どんなに一生懸命頑張っても滅びゆく大きな流れのなかで、篤姫が健気に明るく生き抜こうとする姿がとてもすがすがしく感動的に感じるのでしょう。そういえば「純情きらり」も、昭和初期から太平洋戦争へ突入する、日本が滅亡へと向かう時代を宮崎あおいさんは好演していました。もしかして、彼女の初々しい演技は、滅亡に向かう時代のなかで、その次に生まれる時代の希望の小さな光みたいな存在に感じられるのかもしれません。

今、どういう日本が滅びようとしているのか。それは篤姫の時代、黒船来航から始まった、欧米を目標とする社会なのかもしれません。明治の時代、欧米に追いつくために富国強兵、殖産興業をスローガン、日清、日露戦争を経て、ようやく追いついてきたな、と感じたら、太平洋戦争の敗戦で、ゼロに戻り、戦後、強兵を捨て、殖産興業で、再度欧米にチャレンジして世界第2位の経済大国まで来たのです。

そして、バブルで米国まで追い越しそうになったとき、バブル崩壊が起き、10年立ち直れずにいました。その後米、国主導のグローバリゼーションの中で、BRICSの台頭に活路を見出し、それもつかの間、今世界同時不況のもと、その活路も失い、本当の行き詰まりに直面し始めました。

もともと日本は、西欧列強の勢いに押され、江戸幕府を倒し、西欧のシステムを猿まねのように取り入れたにすぎません。それから140年間、欧米への憧れから、その猿まねのシステムを表面的に取り入れながらも日本的経営で成功してきたのです。ところがこの10年、企業はこの日本的経営もとっぱらってしまい、非雇用正規社員が先進国でも例を見ない4割という社会になってしまったのです。

山本七平は「指導者の条件」の中で、日本人が作り出した組織は、「一揆」だと言います。一揆というと百姓一揆をイメージしますが、もともと利益に基づいた集団規約を指すのだそうです。そして、その建前は全員平等なのです。足利時代から戦国にかけて地方小領主が、安全保障のために同盟しはじめたもので、この時代、武士も百姓も町人もみんななにかしらの一揆に入っていたそうです。そしてこの一揆の組織が周囲を取りこみ大きくなったのが戦国大名だそうです。織田信長も毛利元就も皆この成立過程を経てきているわけです。

徳川家康の大変優れたところは、その日本的組織を十分把握した上で、江戸幕府のシステムを作っているところです。士農工商それぞれの階級が独立していて、それぞれ皆哲学と誇りを持っているのです。そして組織体系はその階級のなかでは、皆が平等な一揆を形成していったのです。

明治に入り、西欧のシステムに合わせようとしたのですが、もともと日本人は外部のシステムを日本的に改良して入れるものは入れるし、受け入れられないものは定着しません。ボトムアップ型の組織がまさに西欧型ツリーシステムのなかで、日本型一揆組織を実現した組織なのでしょう。

しかし、この10年のグローバル化で、日本企業は派遣社員を4割にまで増加させてしまいました。正社員も、年配者からどんどんリストラしました。これは500年以上続いた日本型一揆組織の排除に他なりません。その結果、日本の企業の生産性は先進国最下位まで転落したのです。

それでは、これからどのようになるのか。くしくも、先週篤姫が江戸城を去る前に言った言葉があります。「私たちが残すのは、徳川の城ではない。徳川の心を残すのです。」
徳川時代は9割近くが農民で、農民も一部の小作人以外は自営であり、そのリーダーは民意で選ばれ、農村は自治が中心に営まれていました。今の企業も、中小企業が9割であるのと同じようなものでしょう。篤姫が言うように「徳川の心」を思い出せば良いのです。
「徳川の心」とは、徳川幕府が作り上げた日本の一揆型組織の心なのだと思います。徳川幕府の崩壊とともに幕を開けた欧米追従の国家はもう限界です。

具体的にどうすればよいのか。ITを使うことです。企業も、社員も、SOHO、フリーターも、ニートも、失業者も、破産者も今、自分はどのような付加価値があるのか。どのような人たちや組織を結びつければお金が入ってくるのか。自分や会社や他の人たちとグループウエアで結び、一揆型組織を形成するのです。これこそ日本が古来より受け継がれていた農村共同体のシステムであり、それを引きつぐ一揆型組織なのです。

エコノミーパソコンは5万円を切り、ただで購入し、つきづき通信費を払えばよいものまで出てきました。またメディアファイブでは個人の利益を分配するグループウエア「則天」を開発しました。いつでもASP型もあるので、インターネットから簡単に導入することができます。もう環境も準備もできているのです。あとは皆さんの「やる気」です。

お断りしておきますが、私は鎖国主義者ではありません。日本は米国の属国という人もいますが、国際社会の中で生き抜くには、序列の中で生きるのは仕方のないことです。徳川家康だって織田信長に追従して妻子を殺させられた。それはどんなに戦国武将といえども誰も味わえない苦しみを味わったのだと思います。それでも、じっとこらえた。そして信長亡きあと、今度は格下と思っていた豊臣秀吉に横から天下を取られました。国替えまでさせられた。それでも慎重にこらえ、誇りを持ち続け、280年にわたる、日本人の特徴をよく活かした、ある意味では理想的な国家を建設することができたのだと思います。日本は形式上は独立国の形態を保っているのです。戦前のように、欧米のグローバリゼーションと距離を置くことは、そのまま国際社会の孤立化に進みます。

われわれ日本人にアメリカンドリーム的な野望のある人は少ないと思います。ほとんどの人たちがプールつきの家やジェット機を持つことをうらやましいとは思わないでしょう。それより、小さな家庭菜園で野菜を作ったり、温泉に行ったり、家族の団欒や精神的満足を求める人のほうが多いと思います。だから身の回りの生活に満足できれば、国際社会のなかでの搾取にそれほど目くじらを立てる必要はないと思います。ただ、本当に貧しい人々はなくさなければなりません。失業した人やニート、フリーターの人々の能力を生かし、公平平等に分配するシステムが必要なのです。だから今こそ皆がITを使いこなす時です。そしてグループウエアで知恵を出し合い、利益を生むしくみを真面目に必死に作り出すことです。失業者も、フリーターも、ニートも、派遣社員も、経営者も、社員も、SOHOもみんなで力を合わせて日本人の最も得意とする、一揆的組織をもう一度復活させましょう。われわれ庶民はわれわれにできる一つ一つの仕事を利益の上がるものに、生計を立てていくために、追いかけていきましょう。

歴史は繰り返すと言います。もちろん形を変えて。今、西欧合理主義に無理やり追従して140年、その自分たちにあわない窮屈な鎧を脱ぎ棄てる時なのかもしれません。篤姫の言う「徳川の心」をもう一度思い出すときなのです。

今日、宮崎あおいさんが、滅びゆく徳川の時代のなかで、どう次の時代を示唆する「きらり」を演技するのか、楽しみです。

2009年04月01日

構想15年、著作3年で完成しました。!

本当にご無沙汰しております。今年になってなかなかブログが書けなかったのは、実は1冊の本と1本のDSの原稿を書いていたからです。

まず本からご紹介します。

4月22日当社から「究極の経営」を出版します。15年前、メディアファイブを設立した頃、「デジタル社会の成功法則」という書籍を出すことを計画しました。しかしなかなか推敲が進まず、5年前、「則天」のバージョン1が発売したころ、本格的に発売しようと考え、さらに一昨年、タイトルを「究極の経営」と題して、昨年5月に発売しようとし、なんと1年後の今年の4月22日になりました。

実に難産でした。日本人一人一人が自己実現の喜びで働く民族であり、そのためのツールを作っていこう、という構想を発表するはずが、15年の間に、ツールの対象であるシステムやコンテンツを作り続け、結局コンセプトを発表する前に、すべて作るべきものは世に出してしまいました。

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おこがましい言い方をお許しいただければ、ようやく画竜点睛を書いたわけです。つまりこの本に書かれていることは、すぐにソフトやシステムで現実の経営やビジネスの現場で実現できるのです。つまりこの本とメディアファイブで作ったソフト、システムがすべて「究極の経営」という作品なのです。

サブタイトルは「景気循環の波を活用した 組織と個人の生産性飛躍法」です。
ポイントは2001年9.11にあります。この日を境に日本の内需は縮小の一途をたどっています。内需が縮小すると、自己実現のための市場が縮小し、より生理的、親和的、一時欲求的市場が中心に栄えます。その結果日本における知的なイノベーションは遅れてしまいました。今日、幼稚化した日本を嘆く知識人が多いのもそのためです。しかしこれは景気循環の一現象であり、今回の恐慌はその流れをリセットするきっかけを作ることが予想されます。

このような景気循環のなかで、いかに個人と組織の関係を見つめ直すか、が今、とるべき戦略と考えます。

企業においてはITを活用し、社員を事業主の目線まで引き上げ、組織のレバレッジを活用して組織の生産性を向上させること。

こういったテーマを孫子の兵法(古典から学ぶ)、旭山動物園、など様々な身近な視点での話(コラム)も交えてご紹介していきます。


今までにない、新しいご提案が随所に入っていると思います。ご期待ください!

さらに「孫子の兵法DS」を5月21日に発売します。

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これは今日様々な厳しい現実と決断を突きつけられているビジネスマンが、戦略的思考法を訓練できるソフトです。これは上記の「究極の経営」と連携したソフトで、まさにビジネスマンの暗黙知を磨くためのに作りました。「究極の経営」とあわせてご利用いただくと、より実践的です。

以上よろしくお願いします。
詳しくはホームページでご高覧ください。

2009年06月27日

日本の内需拡大は世界の国益

日本の内需拡大が重要であることを主張するのは、今流行りのナショナリズム的な観点からではありません。

歴史をひもとけば、日本人はきわめて非政治的、きわめて経済的な国民性を持っています。一揆においても宗教性を帯びたものはもちろんありましたが、日本の民衆は、そもそも統治者の圧政ではなく、餓死者が出るほどの経済的貧窮が原因で一揆を起こすことがほとんどでした。

戦後の安保闘争だけが、日本史上異色な政治闘争ではありましたが、これも大学生を中心とする若者だけに限定されていて、とても国民運動まで発展したとはいえません。


どうしても授権側はそのトラウマがあるようですが、当時、国家主導の経済体制が右肩上がりの経済の急成長を実現していく中で、今から思えば、心理的なゆとりと、社会主義国家の理想が信じられていた、という環境下のなかで、一部の学生と若者の活動が過激に拡大したのだと思います。

もともと日本人の中で、普通に生活する以上の夢や野望を強く持ち合わせる人は、そう多くはありません。なにしろ有史以来正真正銘、草食(米食)の国民性なのです。その傾向はますます強くなっていくようです。かつては一億総中流といわれた時代がありましたが、そういう生活が続けば、当然政権も長期化します。

したがって、現代においてもっとも社会を不安定にさせるものは、格差社会を助長する愚民政策であり、逆に社会を安定させるためには、教育を活発化し、国民にやる気を出させ、内需拡大させなければならないと思います。

今や日本国民は、それを認めれば、トヨタやパナソニック、ソニー、任天堂など世界トップクラスのメーカーを出現させます。ひとたび国民がFXに目を向ければ、米国のグリンスパンの為替対策に支障をきたすパワーすらもっています。

諸外国はそこに警戒感を向けるのかもしれません。しかし、日本人は「普通の生活」さえ送れれば、経済的視点から政治的視点に目を向けることはないのです。もちろん今でさえ政治的関心や知識は豊富にもっています。しかし、生活における貧窮がなければ、それを行動に移すことはありません。

徳川幕府崩壊のきっかけは、1836年の天保の大飢饉から大塩平八郎の乱からスタートしましたし、日本の右傾化のきっかけとなった二・二六事件も東北大飢饉と世界恐慌が引き金となっています。日本のことわざに「食い物の恨みは怖い」というのがありますが、歴史上おとなしい日本人が豹変するのは「食い物の恨み」ならぬ「生活の恨み」かもしれません。

日本が内需拡大をし、日本人の中心的生活意識を中流(年収400万円~700万円)に保てれば、外国製品も潤うでしょうし、その余剰金も世界中に還元できるようになると思います。さらに、なによりもあらゆるノウハウを世界中に惜しげなく供給することができると思います。

もちろん、これからは中国やインドが大きな市場となっていくことは明白です。しかし、日本の内需は優れた実ビジネスを作ります。そのビジネスは今やアジアの工場で作られます。日本の内需が健全であることが、さらにアジアの市場の進歩と拡大のスピードを強めるはずです。

日本における内需が活発化することは、資源のない日本で、無からすばらしい有を生じさせ、大きな建設的消費(個人的投資)を生み、質素な生活を好むゆえに生まれる巨大な剰余金を生み、世界を潤わす。まさに打ち出の小槌なのです。


だから、私は日本の内需は健全に進化していかなければならないと主張するのです。

2009年07月05日

「景気循環の波を活用した組織と個人の生産性飛躍法」―孫子の兵法を現代経営に活かす 補足

「景気循環の波を活用した組織と個人の生産性飛躍法」―孫子の兵法を現代経営に活かす
7月2日に、埼玉県中小企業公社の勉強会で、90分のコマで講演をさせていただきました。演題は上記のものです。今年の4月に「究極の経営」という本を出版し、6月に「孫子の兵法DS」を発売しましたが、その内容を題材にしたものです。久しぶりのスピーチで、時間配分がうまくいかず、思ったことの半分もお話できなかったのですが、とても楽しかったです。勉強会には、埼玉県下の2世経営者の方たちが、41人ほど参加されました。

さすが、皆さん大変優秀な方たちばかりで、頂いた質問や意見も大変鋭いものでした。お答えしきれなかったことがあるので、このブログで補足説明をさせていただければ、と存じます。
この日のテーマの本質は、「いかにうまく人を使うか」ということだと思います。ただ、私は人を使うことは旨くありません。自信もありません。はっきり言って苦手です。だから、「則天」という人を使う、組織を動かす道具を作ったのです。そして、その道具の設計思想の基本は「孫子の兵法」にあります。

そもそもなぜ「孫子の兵法」なのか。「孫子の兵法」は2500年前に書かれた戦争に勝つための兵法の書です。人間と組織の心理の本質をとらえ、組織が目的に向かっていかに効果的に力を発揮させることができるか、を説いたものです。組織の力を永続的に最大限発揮するポイントは、一重に環境適応能力にあります。そして2500年間、古今東西、歴史上の名将といわれるリーダーのバイブル的存在が「孫子」なのです。この2500年間、文明はめまぐるしく変わりましたが、人間の本質的な心理は変わりません。みんな野心があり、保身があり、不満があり、夢があり、欲がある。そういう一人一人をいかにうまく結び、束ね、目標達成へ向けて、リーダーが活動するか、そういうリーダーの苦労も変わらないのだと思います。

古来より、日本人には、日本人の組織を活かす知恵があります。それを現代の経営に活かすためには、「孫子の兵法」という、古今東西のリーダーが利用してきた「教科書」を利用して表現することが適切なのだと思い、経営と孫子をミックスした本にしました。有史以来、もっとも読み継がれてきた書物といえば、西洋では聖書、日本では法華経と般若心経、でも古今東西問わずリーダーのための読みものは「孫子の兵法」です。

日本では、武田信玄の「風林火山」が有名ですが、「孫子の兵法」のエッセンスの一つはこの「風林火山」にあると思います。

「兵は詐を以て立ち、利を以て動き、分合を以て変を為す者なり。故に其の疾きことは風の如く、其の徐(しずか)なることは林の如く、侵掠することは火の如く、動かざることは山の如く、動くことは雷の震うが如し。郷を掠(かす)めて衆に分かち、地を廓して利を分かち、権に懸けて動く。」

簡単に言えば、組織を一つにして集中と分散を的確に行い、風林火山のように動くべし。その極意は公平平等の分配にある。組織を風林火山のように臨機応変に素早く動かすには、公平平等の分配がもっとも重要だというのです。つまり、最強の組織にするには「公平平等」な組織にすることが基本だと、孫子は教えます。

だから私は、企業においても公平平等な評価をするシステムを作ることが、なによりも重要であるとご提案するのです。当社の開発した「則天」ではどのようにしているかご説明しましょう。

今、ここにある4人のチームで仕事をして、報酬100万円もらったとします。Aさんはリーダーで給料を時で換算すると4000円。Bさんは3000円。Cさんは2000円。Cさんは1000円。

採算項目、つまりお金を稼ぐプロジェクトなり、お客様にどれだけ貢献したか、まず時間×金額で貢献度を出します。
A課長はトータル5時間で20000円の労働コスト。B係長は9時間で27000円の労働コスト。Cさんはトータル10時間で20000円のコスト Dさんは10時間で10000円のコストです。
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単純にいけば 20000円:27000円:20000円:10000円です。
ところが、この仕事A課長のお客様の仕事で、A課長の貢献度が大きいとします。
すると定性評価で修正して 3:2:2:1 となりました。
これに加えて採算評価を6割、人事評価を1割、スキル評価を1割、情報貢献度を1割、学習(カイゼン度)を1割とします。スキル評価は業務マニュアルをよく書いて、部下などがよく参考にしていると、評価が高くなります。その度合いを調整して…
A:B:C:Dは4:3:2:1となり、100万円の利益をその割合で分配すると、
40万円:30万円:20万円:10万円と分配されます。
6割は利益貢献から分配し、4割は日頃の組織への貢献度で評価するのです。もちろんこの割合は企業によりまちまちですから、割合を自社の方針に沿って変更してください。
このようにすれば、社員はアンモラルに数字ばかり追うことはしなくなります。

組織貢献やチームで仕事をとってこようと考え、行動していきます。
このように本来ならば、評価とは、だれが今月どれだけ売り上げたかの積み上げでしかありません。
しかし、営業成績だけで社員を評価すれば、社員は個人プレーに走ります。個人プレーの集合体の組織には限界があります。
善く戰う者は、これを勢に求めて人に責めず、故に能く人を択びて勢に任ぜしむ。
(戦争がうまいリーダーは組織の勢いに求めて、人に依存しない。適材適所で組織を動かす)
「孫子の兵法」でもこのように組織の能力を高めて目標を達成しろ、といっています。リーダーの人格や能力を高めるのではなく、システムで統治すべきなのです。始計篇の冒頭で道、天、地、将、法を組織運営の原点にしています。道つまり教育と命令を一体化するシステム。天つまり会社全体の状況を見える化するシステム。地つまりビジネスの環境を子細に把握できるマーケティングシステム。将つまりリーダーシップを発揮させるためのエッセンス、スタッフを公平平等に評価するシステム。法つまり組織を社会性を逸脱させず、効率的、発展的に進歩させるシステムづくりが大切なのです。「孫子の兵法」は極論を言えば、組織を環境適応に強い、組織レバレッジの強いシステムを作れ、ということなのだと思います。

よくリーダーは、自分の人間的魅力や器を高めようとします。しかし、それが本当にすばらしい組織をつくるのでしょうか。この事例は適切ではないかもしれませんが、今週の「週刊文春」に石原裕次郎の元マネージャーの記事が載っていて、自分が裕次郎にかわいがられれば、かわいがられるほど周囲にいじめられ、それに耐えられなくなりやめた、という話でした。

したがって、カリスマ的な自信のお持ちの方でも、システマティックに経営を行うほうが、繁栄を永続的にすることが可能になるのだと思います。歴史をひもとけば、信長は大変カリスマ的であり、秀吉は稀代の人垂らしです。けれども、もっとも人気のなかった家康の時代が270年にも及んだのです。しかも史上最も平和で、最も豊かで、最も知的な時代だったのです。

先日のセミナーの主題で、あまり言及できなかったところを補足させていただきました。

2009年07月17日

販売会社宣言!

当社は販売会社になります!

当社はいままで、いかに良いものをお客様に利用していただくか、商品に改良に改良を重ね、教育ソフトから資格ソフト、e-Learningからグループウエア、経営システムに至るまで独自開発し、ラインナップしてまいりました。

ありとあらゆる知恵を製品開発に盛り込み、プレミアロイアルも則天もお客様にプレゼンすれば、本当に驚いていただいております。

しかし、私はお恥ずかしいことに、とても重大なことに、いまさらながら気づいたのです。

当社の商品は、なかなか知名度が上がりません。
なぜなのか…。当社の商品が需要創造商品だからです。
確かにご利用いただけば、とても便利です。リピーターも多くおります。
しかし、イノベーター・アーリーアダプターから広がりません。
なぜなら当社以外に、ここまで凝った商品はまだなく、多くの人が実体験していないのです。
商品が並んでいてもピンとこず、お客様が自ら、積極的にパソコンで勉強しよう、と思い至らないのです。

勉強法の本は売れています。しかし、いくら本を読んでも勉強法は身に付きません。
当社のソフトでは、効果的な勉強法をパソコン上で実践できるのです。
そこをどうやってお客様にお伝えできるか。そこの創意工夫が大切なのです。
そのプロモーションとして「至高の学習法」という本を出版しました。
しかし、宣伝をしないこともあって、なかなかヒットとまではつながりません。
ただおかげさまで、大変評判は良いのです。

人材育成型経営システム「則天」も当社に導入して3年経ちますが、本当に役に立っています。開発型の企業として商品改良に努め、効率的に効果的に開発を進めてまいりました。このグループウエアのおかげで、社員は変わりました。先月、社内で販売会社宣言をしたら、社員全員で販売について真剣に考え、行動するようになりました。このように、180度の経営転換にも混乱なく組織を変えるソフトなのに、なぜ急速に広まらないのだろう、と考えます。やはりその「体感」をお客様に伝える工夫が必要なのでしょう。

1998年ごろでしたか、私は、宮崎駿監督の「となりのトトロ」は面白い、という話を周囲の人から聞きました。それでも、私はまったく関心を持てませんでした。そのうち「もののけ姫」が大人気となってちょっと気になりだし、2001年に「千と千尋の神隠し」が映画館の観客動員数の記録を塗り替えた、という話を聞いて、そのDVDを初めて買いました。その時の驚きと感動は筆舌に尽くしがたく、それからしばらくして宮崎駿監督の作品は全部買いました。

しかし、宮崎駿といえども最初のころは「となりのトトロ」もなかなかヒットせず、苦労したようです。お客様がいかに強く欲しいと感じる商品を作るか。もちろんそれは前提です。それ以上に、いかにお客様に関心を持っていただくか、そして購買を決意していただくか、そこにあらゆる知恵と工夫を注ぎこむべきでしょう。

これからは、販売にありとあらゆる知恵を絞ります。どのような企業にニーズがあるのか。どのような部署にニーズがあるのか。だれが最も必要としているのか。

私は企業コンセプトを追求しつづけ、その結果、商品ラインナップはできました。ここまでは、だれにも負けません。しかし、もっとも大切である販売という現実が不十分だったのです。

最近、企業営業をして、担当者の方をお会いしても、まったく認知されていませんでした。

とにかくお客様を見つけることに徹します。そして、そのノウハウは「則天」で生かし,お客様にオープンにします。

そのために、商品をわかりやすく、簡単に、絶対お客様が欲しくなる商品にしていくことも必要です。

さらに、来週からビジネスマッチングサイトを公開します。これは、当社のソフトでビジネススキルをアップさせた方たちが、その経験をビジネスとして生かして、収入アップのお手伝いをするために作ったのです。このサイトは、お客様の中から、他のお客様に商品を販売できる人を募集するサイトです。そして、「則天」を活用してバーチャルカンパニーを作り、皆さんにビジネスをしていただくサイトです。どういう商品をいかなる方法で売るか、議論しながらみんなで力を合わせて、売り上げを上げていきたいと思います。

このように、当社は「販売」を徹底的に研究して、会員ユーザーの皆さんとともに利益を上げてまいります。

ここに、開発会社としてのメディアファイブは、もちろん今後も商品の改良に切磋琢磨してまいりますが、社員全員が、そしてユーザー会員の皆様が、商品やスキルをいかにお金に変えるか、を考える販売力の強い、「販売会社」になることを宣言します!

時代はすでにメーカーとユーザーの垣根はなく、お互いにwin-winで成功させる時代です。
メディアファイブはその最右翼として皆様とともに、生活や仕事を守ります!

2010年02月15日

なぜ、今、「ナナミ」なのか。 序章 「韓国に行ったこと」

昨年秋、15年ぶりに韓国に行きました。まず驚いたことは、ソウル市内が見違えるように美しくなったことです。15年前は、高度成長期の日本(路地はごみで汚く、道路は常に渋滞状態で、鉄道などの交通網は当時の日本よりはるかに発達していない)といった印象だったのが、いまやシアトルのような落ち着いた美しい巨大都市、といった様相に変貌していたのです。

さらに驚いたことには、夜、東大門市場にいくと、夜中でもその人の多さ、お店の数、品物のバラエティに富んだこと、今の日本では考えられないほど「消費」する場が活発でした。また値段も安く、ネクタイ200円、洋服が300円、500円とユニクロ顔負けの値段でした。

確かに15年前、まだ韓国では、週休1日で、熱心なサラリーマンは朝6時に来て、自己研鑽し、8時から始業し、夜中12時に帰宅する、というそのモーレツぶりに、本当に驚かされました。まさに1970年ごろの日本を見ているようでした。しかし今や、精神的にも経済的にも日本は韓国に抜かれた感があります。

韓国は、一度は経済破綻をし、IMFの占領下にあったはずなのに、なぜこのように発展しているのでしょうか。このエネルギーは韓国民ひとりひとりの向上心のエネルギーに他なりません。世界一のITインフラを誇り、教育にもITをフルに活用し、失業率は二桁に近く高くても、けっして浮浪者を数多く目にすることもなく、さっそうとたくましく生きている韓国人をみていると、なぜ、みんなこんなに前向きなのだろうか、と不思議に思いました。

その疑問に対する答えは次の日に、見つかりました。観光ツアーでバスで38度線に行ったのです。MDSという非武装地帯は観光地化されており、バスでソウルから1時間のところにありました。検問があり、パスポートをチェックされ、第1師団の場所から、北朝鮮や板門店が見えました。そこは朝鮮戦争の名残が色濃くのこるところで、銃弾でハチの巣だらけのさびた機関車や封鎖された線路などが、松本零二の漫画さながらに雨ざらしで展示されていました。

そのあと、都羅山駅という北朝鮮との往来のある駅(現在は電車は行き来していない)へ行きました。ここはブッシュ大統領も見学に訪れたそうです。この線路は中国北東部を通り、シベリア鉄道につながり、戦前はヨーロッパまでつながっていたそうです。

思えば有史以来、朝鮮半島は、中国、ロシアという大国に囲まれ、日本からもたびたび侵略され、ヨーロッパにおけるポーランドのように、侵略の悲劇が繰り返し行われていた場所なのです。現在、韓国では20歳ぐらいになると(19歳~29歳)、徴兵制度があり、大学を休学してみな兵役につきます。しかも38度線はいつ、何時、戦争が起きて、命を鴻毛のごとく軽く扱われるかわかりません。一緒に同行していただいた韓国ソフト企業の幹部の方も徴兵にいったそうで、南方にいくか38度線にいくかで、その兵役期間のストレスはまったく異なるそうです。幸い彼は南方へ配属されましたが。

直接銃をもって国を守る使命があり、しかもその直接の敵が、60年前までは同じ国の国民なのです。この国の若者たちは、いやでも国家とはなにか、民族とはなにか、ということと命がけで直接向き合わなければならない。

38度線には、北朝鮮が、韓国を攻めるために掘った坑道が20以上もあるという。そのうちいくつか発見され、3番目に発見された第3坑道は、現在観光地化されており、今回、その坑道に潜りました。

非武装地帯を眺めていると、その先に北朝鮮があり、そしてその先には中国とロシアが広大に広がっている。北朝鮮の孤立も、わけのわからない行動も、ある意味大国から独立を守るための必死な選択なのかもしれません。

その点、日本は四方海という深い壕に囲まれた、実にのんきな国家に見ます。日本は戦後、朝鮮戦争や、ベトナム戦争の特需を受けて、奇跡的な復興を遂げ、高度成長を経て世界第2位の経済大国になっていきました。

終戦後に押しつけられた、戦争放棄を謳った日本国憲法は、日本が直接戦争に巻き込まれることを防いできました。もちろん憲法上は違憲状態の境界線のなかで、自衛隊を整備してきたこともその要因には含まれるでしょう。

そういう平和ボケした今の日本は、もっとも国家として危険な状態にあるのではないか、と韓国に来て思います。あまりにも日本国民が鈍感すぎるからです。日本人が尊敬する現存する有名人は芸能人かスポーツ選手。ひとたびこういうテレビに出る人が選挙に立候補するとトップ当選をする。

古代ローマ帝国の衰亡期のきっかけは、コロッセオという競技場が市民に開放され、無料でパンを配り、為政者たちが、市民の人気とりだけに終始したからです。名君マルクスアレリウスの息子コンモデスは、皇帝になるや、暴君となり、落とした評判をコロッセオに出演して1万2千人の剣闘士を殺害して自分の威信を見せつけ、市民の人気とりを行いました。

これ以降、大ローマ帝国は衰退期には入り、市民は国家に対して危機意識を持たないまま、100年後ゲルマン民族の大移動のなかで分裂し、自然消滅的に衰退していったのです。

だからテレビタレントやスポーツ選手を人気取りのために候補者にたてる政治には本当に怒りを覚えます。実際本気で政治をやろうとすれば、今の日本では、軍事力を形式上放棄し、情報機関が弱いので、命がけでしょう。

国際社会である限り、そして最強の国家でない限り、かならず強国の影響を受けます。それは国際社会の最前線にいる政治家や官僚に直接大きな圧力となります。しかしそういう圧力はもちろん報道されることもなければ、国民が知る機会もあまりありません。

ただわれわれにできることは、そういう国で、どう生きるべきか、ということです。憲法を改正して、国防を増強させることも選択枝のひとつかもしれません。しかし1920年代の大恐慌の後、日本がそういう道を選んだことが日本の破滅を生んだことも忘れてはなりません。

私は10月の韓国旅行のあと、このブログの原稿を書いたのでしたが、アップしませんでした。あまりにも日本の将来が絶望的だったからです。韓国の38度線に立って、日本の鈍感さがとても危険に思えたのです。ここに立てば、中国やロシア、そして米国という大国からの威圧を否応なく感じ取れるのです。そして現実には存在するこの危機感が、どうしたら日本人に伝わるのか、どうしたら日本人がまた競争心や向上心を取り戻せるのか、わからなかったのです。

経済力の低下はそのまま国力の低下につながります。このまま日本の凋落が続けば、日本の独立すらも危ぶまれるのではないか。2020年ごろには形の上では独立国でも、実質的には米国、ロシア、中国に分割統治されることもあり得るのではないか・・・・。

しかし、私は、日本という国を大きく見損なっていました。
今の日本はけっして絶望的ではありません。
日本ではすでに十分次世代型ナレッジ社会の萌芽が芽生えていたのです。それは「萌」にヒントがあります。
だから「ナナミ」を作りました。
次のブログをお読みください。(なぜ、今、「ナナミ」なのか。内需拡大は世界の国益 PART2)

なぜ、今、「ナナミ」なのか。 内需拡大は世界の国益PART2

今回のテーマは「ナナミ」。2月4日に出した「教えて資格試験シリーズ」という萌え系タイトルの主人公です。いろいろなところで「メディアファイブは変わったね。どうしちゃったの?」と言われています。
お陰様で最近ではもっとも反響があり、出だし好調です。

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なぜ、今、「ナナミ」なのか。
もともと10年前、「萌え系」ということばがブームになり始めたころ、ある「萌え系」のゲーム会社から、教育コンテンツの提供を依頼されたのです。その話はそれきりだったのですが、私は、これは売れるかもしれない、「萌え系」をつくるぞ!と社内にハッパをかけたのですが、「また社長が思いつきでなんか言っているよ」ぐらいで、だれにも相手にされませんでした。

当時社内では、学校をお客さんにしている教育ソフトメーカーが、「萌え系」を作るとはもってのほかだ、という空気に満ちあふれていました。社内に受け入れられないときは具体的な企画として押し通すしかありません。私は秋葉原の「萌え系」のショップを回りましたが、お店まわりをしているうちに、頭が混乱してなにも得ることのなく帰りました。そのとき強く感じたことは、「こういうのが世の中に蔓延するのは日本も末期に近いな」と感じたことでした。(最近その考えが誤りであることに気づきました。)

しかしその後、「萌え系」が非常にコアなユーザーで売れること、そしてこの不景気にかかわらず、「萌え系」を扱っている会社のトップの方たちとおつきあいして、その羽振りの良さにも驚き、なんとか当社でも「萌え系」を出すように開発部に厳命し、そういう仕事の経験をもつスタッフも採用しました。しばらくして、「ナナミ」の企画が開発部からあがってきました。そこには未来から送り込まれたアンドロイドのことが書かれており、それをみて私は「これだ!」と思ったのです。

現在に立って、これからどうなるんだろう、と未来を見ることはなかなか難しいものです。でも未来から現在をみることは、たとえそれが突拍子もない仮定であっても、現在を把握しやすいのではないでしょうか。

今、誰もが未来に不安を抱いています。誰もがまったく未来が見えないからです。

だから現在から過去へ行ったり、未来から過去に行ったりできるサイトがあれば、楽しいと思います。(歴史クイズサイトNEXTREVOLUTIONは、そういうサイトです。)

楽しみながら未来や過去を行ったり来たりしているうちに、なんとなくその不安が解消されるのではないでしょうか。

何度も繰り返しになりますが、教育のイノベーションが日本に一番必要だ、との気負いからメディアファイブを創業して17年、本当に苦労しました。この20年、内需は縮小し、ITバブル崩壊以降、教育やITへのモチベーションは下がる一方でした。

私は、これまでずっと手前味噌ですが、どうしてこんないいものを作っても、なかなか広がらないのだろう、わかってくれなのだろうとぼやき、最近では、こんなに努力して、知恵を絞っても報われないのなら、ちがう商売をすれば、もっと成功したのでは、とさらにたびたびぼやいていました。
(そうは言っても、それは1にも2にも私の力不足であることが要因であるのは自覚しております。)

その一方で米国はクリントン政権時代に早くもナレッジ社会実現を目指し、ロバートライシュ博士を国務大臣にし、ITにおけるゴア構想を打ち立て、米国企業はITと金融で世界を圧倒しました。

日本はこの20年、ITと教育に後ろ向きでした。しかもこの数百年に一度の産業革命の時期に、総理大臣が13人も変わっているのです。日本には強力なリーダーを出現させる土壌がない、ということなのではないか。古くは道鏡、菅原道真、平清盛、後醍醐天皇、足利義満、織田信長、豊臣秀吉、近現代では田中角栄、金丸信、竹下登、小沢一郎。最近では総理大臣になると、もしくは絶対権力を握ると贈収賄問題、政治資金規正法問題が浮上する。

なぜ日本では強力なリーダーが生まれにくいのか?先日、週刊文集で興味深い記事を目にしました。ウチの大学「誇れる卒業生」「恥ずかしい卒業生」という記事です。誇れる卒業生は野球選手が多く、1位古田、2位長島茂雄、3位原辰徳となり、政治家はやっと8位に小泉純一郎、17位に東国原英夫しかなく、反対に「恥ずかしい卒業生」は1、2位はお笑いタレントだが3位から小沢一郎、6位に鳩山由紀夫、東国原英夫、8位に森喜朗、11位に麻生太郎、15位に宇野宗佑など現在の権力者、総理大臣、総理大臣経験者が目白押しです。これは実に日本人を特徴づけるデータではないでしょうか。

それは天皇制と関係があると思います。先日の2月11日建国記念日は紀元前660年1月1日に神武天皇が即位した太陽暦の日のですが、2670年も万世一系なのです。実際は武烈天皇と継体天皇は5代さかのぼる血縁関係でした。にもかかわらず、万世一系としているのは、古来より日本は共同体的社会であり、天皇という永遠不変の祭祀の元、みな平等という意識が強かったからではないでしょうか。

イギリスではもともとの王族であったハロルド王とそれを征服したノルマンディー公ウイリアム一世はまったく別の王朝に見られていますが、系図では関係があり、武烈天皇と継体天皇ほどには血縁は離れていません。従って日本における「万世一系」は、血のつながり、というより神や自然など絶対的な存在であると考えられます。普遍的祭祀のもとに平等な共生社会をつくる村落共同体が日本の組織の基本だったのです。

もっと言うと、日本人はリーダーを作りたくないから、絶対的存在としての天皇を担いできたのではないでしょうか。それは比較的単一民族で、しかも四方海に囲まれていて、平安時代以降は鎌倉の元寇以外侵略の危機がなかったことにも原因しているかもしれません。

(話はずれますが、このことは企業経営にも言えることで、だからこそ日本のホワイトカラーの生産性は先進国最下位になるのだと思います。その解決法は「究極の経営」でご高覧ください。)

中国の人々はいつも異民族の侵略の危険性にさらされていたので、漢の劉邦、明の朱元璋、清のヌルハチなどどんなに下層階級出身だろうと強いリーダーについていく。

しかし日本史の中で、強力なリーダーは短命政権に終わり、日本人の人気は、直接権力を被らないスポーツ選手であり、嫌われるのは総理大臣や目に見える権力者なのです。そしてそれが人を特定させない官僚制度を発達させてきたのでしょう。

「究極の経営」でも言及しましたが、村落共同体は武士と一揆といわれる契約のもと、利益を折半し、村人は武士に守ってもらうという仕組みが中世より起こり、その流れが村請け制度として江戸時代まで続いたのでした。九割は農民といわれた日本は、まさに「サムライ」の国ではなく、「農民=ものづくり」の国なのです。

(「サムライ」は現代でいえば、官僚や大企業のエリートにあたります。本来かれらはサムライ同様「誇り」をモチベーションに公のために生きようとするはずなのですが、官僚たたきやリストラなどにより、「誇り」は傷つけられ、社会的にも組織的にも孤立感が強くなっているのではないでしょうか。)

考えてみれば、米国と日本の関係も国際的な「一揆契約」だと思います。日本は憲法上軍事力を放棄して、ものづくりに励み、米国に軍事力で守ってもらう。そこである程度の「年貢」を米国に提供することはやむを得ないことだと思います。まさに武士と農村の一対一関係なのです。

ポールケネディの「大国の興亡」(1993年 草思社)下巻210ページに下記のことが記述されています。

「もちろん「日本の奇跡」を実現させたのは、朝鮮戦争と、それにヴェトナム戦争の際のアメリカの国の防衛支出による刺激ばかりではない。・・・・・日本の工業を発展させた大きな理由のひとつは、狂信的なまでに高度の品質管理を追求し、西洋の進んだ経営技術や生産工程を取り入れ(改善し)・・・・・さらに国をあげて熱心に教育水準の向上に取り組んだことも理由にあげられるし、・・・・・・・・・起業家精神に富んだ町工場があり、・・・・・・・・
労使対立を妥協とお互いへの敬意によって乗り越えるという姿勢があったことも活力の基本となった。」

さらに
「日本経済が持続的な成長を遂げるには巨額の資本が必要だった。まさにその資本を手に入れることができた理由として一つには「非軍事国」としてアメリカの戦略的な傘の下にあり、防衛支出がきわめて少なかったことがあげられるが、これより大きいのは財政政策と税制によって異例なほど高い貯蓄率を確保し、これを投資に振り向けられたことだろう。」

また
「さらに、通商産業省がはたした役割も大きい。通産省は「新しい産業を育て、技術の進歩をうながし、同時に時代遅れになった産業の廃棄を秩序正しく協調的に進めていった」。このやりかたはアメリカの自由放任政策とはまったく異なるものである。」

要約すれば「日本の奇跡的経済成長は、軍事は米国に依存し、経済に国力を集中し、戦争による特需のほか、大企業、中小企業が一丸となって品質を追求し、欧米の技術を吸収改良し、教育水準を上げ、しかもそのリーダーシップを優れた官僚がおこなっていたこと」にあるのです。

もっと要約すれば、非軍事力という道を選び、日本は総中流意識のもと、道具を工夫し、技術革新をし、教育に力を入れ、強力なリーダー不在の中、顔の見えない官僚たちがそのコントロールをおこなったことが高度成長につながったのです。

城山三郎の「官僚たちの夏」はまさにそのことを生き生きと描いています。
今日の官僚たたきは、リーダーを作りたがらない日本的共同体のなかで、とても大きな危険をはらんでいます。高級官僚にはその権限にふさわしい厚い待遇をするべきです。今回の市場開放においても、高度成長期の官僚だったらどう行動をとることでしょうか。

冷戦終結後、日本の高度成長に危機感を抱いた米国は、日本の共生経済の象徴である「談合」と「系列」を解体させ、小泉政権下で金融の自由化をおこない、日本市場に徹底した競争原理を持ち込みました。当時、日本国民も、政府への依存と市場の不透明感がバブル崩壊から立ち直れない元凶と考え、市場開放を支持しました。恥ずかしながら私もそうでした。しかしその結果、日本経済は驚くほど意気消沈し、格差社会は広がり、内需縮小に拍車がかかり、高品質を誇っていた日本の大メーカーは海外に生産拠点を移し、そのクオリティは疑問視されはじめ、韓国、台湾、中国のメーカーに価格競争で勝てなくなりつつあります。

市場の閉鎖性の元凶に官僚をやり玉にあげたために、官僚もなすすべもなく、市場開放に合意していったのだと思います。

いままで資源のない日本という国が、自家発電のように輝くばかりに経済価値を生産していたのが、今、ほとんどその自家発電が止まろうとさえ見えるのです。この経済の凋落には米国も驚き、また大損もし、後悔しはじめているのではないでしょうか。高度成長期の日本のように、日本が、日本スタンダードの中で、自家発電を活発化させている方が、米国にとっても利が多いはずです。日本人には欧米流競争原理はあわなかったのです。

象徴的なのはトヨタです。私もアウディ、ローバーなどの外車、そしてマツダ、日産、ホンダ、スズキなどの日本車に乗りましたが、やはりトヨタ車がもっともバランスよく、故障も少なく安定していました。こういう車を作れるのは、会社の技術力だけではなく、共存共栄のもと、抱えている下請け中小企業の層の厚さからくるものではないでしょうか。それが、今日、アジアの台頭による価格競争の激化、内需縮小のなかで、しわ寄せは中小の下請け企業に来ていることが、今日トヨタが表面化している問題の遠因に感じます。(もちろん政治問題も大きいのですが)

日本は海外に生産拠点をシフトするのではなく、国内でふんばり、ITとナレッジを活用して他国にまねできない付加価値を作るべきです。そして国民総中流国家を目指すべきです。それが共同体国家日本のありかたではないでしょうか。

私は自衛隊を否定しません。もちろん可能な範囲で軍事技術力を高めるべきでしょう。自衛隊の違憲問題は、憲法改正の問題として長く論じられています。私も大学時代のゼミの主なテーマでした。19世紀のイギリスの法学者、ヘンリー・メインは、法は固定的であり、政治は流動的である、といっています。憲法は実態と乖離しているほうが、存在価値は高まります。なぜなら、憲法とは、17世紀のイギリスの哲学者、ホッブスのリバイアサンの定義から導けば、国家権力から人権を守るために存在しているのです。憲法と政治実態が乖離して、それが政治問題化されていれば、それだけ国家権力に対し、憲法のブレーキがきいている、つまり憲法の存在価値が高い、という証拠だと思います。(ちなみに私の卒論は憲法変遷論でした。)憲法がその時代にぴったり迎合していたら、憲法は単なる国家権力の裏付けの存在だけであり、値打ちは半減してしまいます。

その上で、日本は平和憲法のもと、米国との同盟関係を維持し、日本の利益の米国へのある程度の上納もやむを得ないことでしょう。それは日本社会で、古来からおこなわれている武士と農民の一揆契約にあたります。日本人は「サムライ」の国ではなく、ものを生産する平和な農工商の民なのだと思います。そして中国やロシアや近隣アジア諸国ともバランスよくつきあっていくべきでしょう。

確かに平和憲法は、米国から押し付けられた憲法かもしれませんが、実は古来からある日本の共同体社会にとても適した憲法ではないでしょうか。戦後の復興、経済2位への繁栄ぶりはそれを裏付ける現象だと思います。


「ナナミ」の「NextRevolution」の冒頭に2020年、日本が米国、中国、ロシアに分割統治される話があります。この話を思いついた下地はこの前のブログにある通り、昨秋、韓国の38度線にたった時です。競争社会に背中を向けるニートやフリーターがこのまま増加し、すべての日本人がなすすべもなく日本経済が凋落していったならば、本当に10年後、そういうことが起こるかもしれない。

しかしそうはならないでしょう。日本ではすでに次世代型ナレッジ社会の下地が十分作られているのです。ニートやフリーターは、工業型資本主義社会の崩壊の犠牲者であり、新しいナレッジ型の日本共同体を作るときの担い手になるのではないでしょうか。

ここで「ナナミ」の話に戻ります。

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(紀伊国屋流山店おおたかの森店のキャンペーン状況)

中心となるキャッチコピーは下記の通りです。

競争心なんていらない。
   ・・・・・・これからは共生社会
かわいコちゃんに教えながら
   勉強するってけっこう快感。
幸せを追いかけるより、今の小さな幸せを味わおう!
ナナミに教える、ちょっとした幸せ。

そのこころがナナミのストーリー「NextRevolution」にあります。

「三津枝博士は2010年の社会状況を徹底的に分析し、次の結論を導いた。
ターゲットは大学生、20代、30代社会人、ニート、フリーターの男子。そんなターゲットに女子のアンドロイドつまりガイノイドを送り込み、ガイノイドに、ターゲットが教育したくなる気にさせる。そして、ガイノイドを教育しているうちに、ターゲットが自信と希望を持ち、ナレッジ社会で活躍できるように仕向けるのだ。

いくらロボットだからといって、素人が教えるのは無謀すぎると思われるだろう。もちろん過去に送り込んだゲイノイドに歴史を変える操作は磁場が狂うから、仕事はさせられない。しかしもう一つ教育上の目的もある。実は教師の使命感、自立感をもって学ぶことがもっとも楽しく、より深く学べるのだよ。そうやっていくうちにターゲットは自信をつけるのだ。教師と生徒なんて紙一重だ。成功者と敗北者の間もまたしかりだ。人は立場の違いで才能を発揮したり、失ったりするのだ。こういう教育の方法は30年代だからこそできる。

米国では1991年ロバートライシュ博士はすでに知価社会にはスペシャリスト中心の社会であることを提唱し、それをシンボリックアナリストと呼んだ。

クリントン政権はいち早くこのことに着目し、ロバートライシュ博士を大臣に取り立て、米国はいち早くナレッジ社会を実現させた。しかしあまりにバブルが拡大し、金融業界が膨張し、リーマンショックにつながった。なぜか?ナレッジ社会を競争原理のまま突入させると、欲望の暴走とそれを阻害するものを破壊することに知恵を巡らせる結果となる。それは知恵をマイナスに結集し、人類の滅亡へとつながる。それに比べ、日本のニート、フリーターのように戦うことに背を向け、社会から阻害された者たちは、ひとたび自信を取り戻し、ネットを活用して力を合わせればナレッジをプラスに働かせ、循環社会的価値を生み出すことができる。なにせ、江戸時代の循環社会の血がながれているのだから。

しかしそのような可能性を持っていたにもかかわらず、日本では、不幸なことに、いままでナレッジ社会を実現すべくリーダーシップを発揮したリーダーが出現しなかった。その原因は日本人も世界中からも、日本が米国型の合理主義を進めばより富を生み出すと思われていたからだ。しかし自由党から民政党への政権交代は、国民が、合理主義が日本にあわないことを気づいたからだ。2010年、目標を失った漂流する日本社会にこそ光をあてなければならない。」

つまり「萌え系」ブームは日本の末期症状ではなかったのです。むしろナレッジ型日本的共同体の再構築へのシグナルと萌芽だったのです。

かつてイギリスで農本主義から資本主義への移行期、囲い込み運動で土地を追われた農民や羊飼いが都市に流れて、資本主義の土台である工場労働の担い手になったように。

だから「ナナミ」を作りました。

ベストセラーの本のタイトルにもありましたが、「今起きていることは皆正しい。」
ニート・フリーターの人々よ、そして自信を失ったサラリーマンの方々、立ち上がりましょう!立ち上がる、といってもなにかと戦うのではないのです。「萌え系」の世界にいて良いのです。「競争」に背を向けていてよいのです。楽しく、心地よくコミュニケーションをとりながら、自分なりの世界を築きましょう。

孫子の兵法でも「戦わずして勝つ」ことが最上の策と言っています。究極の「勝ち」は幸せになることだと思います。いつも言われているように将来の幸せではありません。小さくても継続する「今」の幸せです。ゲームの楽しさでもいいし、「萌え」にひたる楽しさでもいいし、ネットでのコミュニケーションでも良いのです。

米国も中国もロシアも皆肯定し、ITをフルに活用して、気の合った人たちとネットでコミュニケーションをとり、アニメやキャラクター、ゲームを活用して自分たちの思いを共感し合いましょう!

日本人はもともと右脳系の民族です。浮世絵、浄瑠璃、歌舞伎、人形、羽子板、和歌や俳句など、昔から生活の身近に今でいうマンガや萌え系、ゲームに通じる娯楽が盛んにあったのです。

ただ、ある程度はお金を稼がなければ、最低限の衣食住が守れないので、自分の世界の中でお金を稼ぐことを考えましょう。自分の世界のなかで楽しくお金を稼げれば、世の中に対して自信と自由を感じます。

最初はまず年収300万円を目指し、次に500万円を目指し、そして700万円を目指す。気負わず、自然に時間をかけてゆっくりやればよいのです。楽しければ時間を忘れます。

今、大河ドラマでブームになっている坂本龍馬がそんな人だったのではないでしょうか。尊王攘夷でも開国でもどちらでもよいのです。どちらも良い面と悪い面があるのです。自分の頭で考えて取捨選択をし、自分の良さを時代に当てはめながら自分のペースで生きるのです。

「NextRevolution」
次の革命は新旧交代ではない。旧きも新しきも、資本家も労働者も、外国も日本も得をする、共生型ナレッジ社会の実現なのです。それは環境社会でもあります。

戦うよりも、すべてを受け入れて、共存し、そのなかで新しい付加価値を生むことが、日本古来からの先人の知恵であり、DNAなのです。みんながマイペースに自分の得意なところを探して社会に役立てるのです。

繰り返しになりますが、日本は自家発電のような国です。資源もなければ、広い土地もない。総中流社会で内需拡大したほうが、外国にとっても得なのです。日本に過度な競争原理を取り入れると、すぐにしぼんで光が消えてしまうのです。

そのためには日本人がまずITの活用を楽しみましょう。仕事でもプライベートでも。特に教育に関しては。当社はこれからもそんなソフトやシステムを開発していきます。

2010年04月01日

いかに内需拡大をするか 個人の仕事多角化が決め手 需要コモディティ作戦

今、日本の雇用情勢は、大変深刻です。内需があまりに縮小しているのです。海外に目を向ければ、先端技術は欧米にリードされ、中国韓国に追いつかれ、単純な製造物も中国をはじめアジア諸国に価格競争で敗れ、にもかかわらず為替は円高を推移し、輸入は増加し、国内はデフレスパイラルから抜け出せない。国内ではあきらめムードが蔓延し、国民の活力は沈静化し、国には頼れず、地方は疲弊し、多くの国民が不安と閉塞状況のなかで暮らしていると思います。

昨年9月に政権交代した民主党は、コンクリートから人へ、そして内需拡大をスローガンにこの不況の脱出を最重点の政策課題にしてきましたが、支持率は低下する一方です。

その政策の方向性は正しいと思いますが、ただ政府が旗を振るだけではこの不況を脱出できません。国民が自信とやる気を取り戻さなければならないのです。現状は、多くの国民が、どう生活し、どう生きていけばよいのかがまったくわからない状況なのです。

多くのエリートがこの景気の問題を、人口減少問題に結びつけます。しかしこれはあまりに大ざっぱな言い訳にしか過ぎません。近現代で、圧倒的に国力で世界を凌駕したイギリスとアメリカは、人口が多いから発展したわけではありません。いち早く産業のイノベーションをおこなったから国力が拡大したのです。以下はポールケネディの大国の興亡から引用したものです。

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次に平成21年度総務省発表の情報白書で、先進国の情報資本推移の国際比較です。

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この図は1995年を基準とした情報投資の拡大状況です。一慨に前図の、一人当たりの工業化と比較することはできませんが、これを見れば、いかに日本の情報投資が進んでいないかわかります。つまり、今日の日本は、近代史において革命で倒されたロシアと近い状況だったのです。人口の増加が、国の発展を促すのではありません。産業のイノベーションの進捗スピードが国力を拡大させるのです。より早く知価社会を実現することが国力を拡大させるのです。もちろんそのために日本は教育や企業の現場でイノベーションを起こさなければなりません。

しかし需要のないところに情報投資はできません。どのように需要をつくるか。それこそサービス産業の質的、量的変化、拡大しかないのです。国民一人一人のスペシャリスト化、IT活用の高度化が必要なのです。今、日本で一番欠落しているのはそこだと思います。これだけ経済規模が大きいのに、サービス産業の市場が活性化されていないのです。これは国がリードしてできるものではありません。いかに国民がやる気を出して、今の自分の行き詰まりを突破し、個人個人のビジネススタイルを確立させるか、だと思います。小泉政権の時の派遣法の改正は、労働者が、失業しても安易に派遣社員として食べていけるようになったので、目先の失業率は改善しても、産業のイノベーションは進歩しなかったのです。そのつけがリーマンショックで一気に問題化したのです。

とにかく派遣社員の正規雇用を今おこなうのは難しい。だとすれば、今までの技術や資格をとって、派遣社員同士でITを活用して手を組み、新しいサービスを自分たちの手で行うほうがよい。これは前のブログでお話したことなので、省きますが。(なぜ今ナナミなのかをご高覧ください)

そういう社会の実現に向けて、私はここで具体的なご提案をさせていただきたいと存じます。それは、みんなが都市への一極集中するのではなく、日本中に自分が稼げるビジネスを探せばよいのです。

当社も、スタッフ募集を時々行うのですが、おかげさまで多くの方の応募があります。しかし存念ながら、当社も余裕はあるわけではないので、現在、目先の問題でどうしても必要と思われる人材のみの採用となり、履歴書や自己PRを見て、時期が変われば一緒に仕事をさせていただきたいのに、と思われる才能や技術を持った方々が数多くいます。

そういう方々にも是非お伝えしたいのは、従来と同じパターンで就職活動しても苦労するばかり、ということです。経済は日々刻々と変わります。現在の経済状況を見れば、ひとつの仕事で豊かな生活ができるような仕事はなかなかどこをさがしても見つからないでしょう。しかし一月5万円の仕事を4つすれば、なんとか食べていくことはできるのです。

また少し、余裕ができれば、今なら小さな小屋くらいだったら、自動車を買うお金くらいで、ローンで田舎にセカンドハウスを購入することが可能です。先日宮古島へいってきたのですが、そうやってダイビングショップを宮古島で経営されている方にお会いしました。次のブログでご紹介します。

また、そこで小さな畑を耕し、おいしい農作物がとれれば、それをインターネットで販売することも可能です。将来、万が一、日本経済が破綻すればハイパーインフレになり、家族の食物を確保するためにもリスクヘッジになるでしょう。
せっかく当社に応募していただいた方には、当社の事業マッチングサイトをご用意してありますので、是非そちらへ応募していただければ、と存じます。可能な限りのバックアップをいたします。

当社も今、現在は普通の会社の体をなしていますが、将来的には社員と外部の方たちとの垣根を低くしていきたいと考えております。そのシステムこそが、現在売り出し中のシステム人材育成グループウエア「則天」なのです。「則天」はあらゆる角度から、社員ひとりひとりがチームや組織のシナジーを活用して利益をたたき出すか、ということを主眼に開発したものです。会社に実質的利益を出していれば、どういう形態で働いても、会社にこなくてもかまわないはずです。

つまり、日本の情報化への産業イノベーションのを進ませるには、会社はひとつ、仕事はもひとつ、という個人の考え方がかわり、会社自体も9時から5時までの勤務で働く、という意識を変えることが必要なのです。そしてそれを実現する道具がITなのです。

当社に応募してくる方たちの多くが、転職回数が多いのです。その理由の多くは職場の人間関係でしょう。とくにいじわるな古株の社員がいると、とたんにモチベーションは下がります。私も以前つとめていた会社で上司と折り合いが悪く、苦労した経験があります。

なぜ人は人をいじめるのでしょうか。それは、「いじめ」が権力維持の道具だからです。だから能力のない人間、コンプレックスの多いにんげん、頭の悪い出世できない人間が無冠の自分の権力を維持するために「いじめ」をおこなうのです。

しかしそれは、大変な人材の能力の損失です。その解決方法は、そういう「権力維持装置」を取り上げてしまえばよいのです。よく古株の頭の悪い人はITを入れると、「情」がなくなって職場が無味乾燥になる、といいます。そういう奴に限って「いじめ」や「セクハラ」や感情的問題を職場で起こします。

職場は利益がからむので、どうしても感情的になりがちです。だからこそシステマティックにするほうが社員にとってもよいのです。

ましてや他人同士で仕事をするには、とくに利益配分に関しては、システマティックにしないと、感情的問題がでてきます。

だから当社の則天を使いましょう。そういうところを開発主眼においた、現存する唯一のシステムなのです。ネット上でクラウドで気軽に使えます。

初期導入は無料です。


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