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自分の居場所はどこ?

 先日ブログで「失われた自分の居場所」についてお話しました。今日はどこに現代人の「居場所」があるのかを探りたいと思います。

SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)の普及は、自分の居場所を見失っている現代人の駆け込み寺かもしれません。マンガやゲームの集まりなど「おたく」文化も、実は自分の居場所を失った若い人たちの「居場所」を求める憩える場なのでしょう。もちろんSNSはおたくだけのものでなく、一般の人々に急速に普及してきていますが。

「自分の居場所」とは、自分の存在価値を確かめる場所ではないでしょうか。「おたく」文化は、自分がマンガやゲームではまりこんだ世界への感動や体験を、同じようなものに興味を持った人と共有体験することに存在価値を見出しているのではないでしょうか。

しかし本来、自分の趣味や友人の世界で共感しあえるだけでは、本当の意味で、存在価値を見出したことにはならないと思います。たぶんSNSだけに没頭するのでは、なにかしらのむなしさがぬぐいきれないのではないでしょうか。さらに30代、40代、50代と年配になるにつれて、さまざまな社会の責任が重くのしかかってくると、趣味の世界だけに走るわけにも行かず、なかなか自分の居場所が見つかりにくくなるものです。

やはり自分の社会的意義を見出すことが、本当の意味での存在価値を見出すこと、すなわち「失われた自分の居場所」を見つけることになると思います。

たとえば当社のソフトのシリーズに「メディアファイブ プレミアシリーズ」という、資格、語学、中学・高校の学習ものがあります。このソフトは、編集機能がついていることが特長として挙げられます。

学習する人が、自分の考えた内容を書き込んだり、インターネットで収集した情報をこの編集機能を利用して取り込むことで、自分なりの参考書ができます。こうした行動を通して、今、勉強している学問が、自分にとってどのように社会と関わっているかがわかり、どうやって社会に生かしていこうかと視野が広がります。

つまり、学ぶことを目的として、その学ぶ対象を自分なりに社会にどう役立てるかカスタマイズすることを通して前向きに、社会における自分の存在価値を感じることができます。そういう意味でも、学習上でのカスタマイズ、インタラクティブ性は自分の存在価値を見つける大切な要素なのではないでしょうか。

また12月上旬に発売される「メディアファイブ プレミア3.0」では、3分間の学習法としてラーメン学習(カップラーメンのお湯を注いで待つ間)、はみがき学習(はみがきしている間)、トイレ学習、寝る前3分学習なるものをご提案します。目的をもった勉強を、少しの工夫で日々の生活のなかに取り込むことで、自分を磨きながら毎日を楽しむ。それも「自分の居場所」かもしれません。

ブログでたびたび紹介しました「Next Revolutionv2 則天」では、自分の仕事の履歴が残り、自分の生産性や、スキルの向上がリアルにわかり、しかも自分のスキルを記録して、他の社員に利用してもらえるシステムです。会社における疎外感は、自分の評価を上司にのみ依存し、それが必ずしも公平に行われていないところから生じます。「則天」を利用することで、日々の仕事が適切に整理され、組織の中でいかに動くかが明確にわかり、自分の仕事を、自分なりに丁寧に工夫して積み重ねることで、客観的に評価されて自分の報酬につながっていく。そうした中で、職場で自分の居場所を見つけていくことは、大変幸せなことだと思います。

仕事の「見える」化がどれほど自分の居場所を見つけてくれるか、ということです。一見管理されて窮屈に思えるのですが、自分の仕事の形が見え、部下の仕事の形が見え、そして会社や組織全体の仕事の形が見えることは、社員も経営者の視線に近づいて会社をみることができます。そうなると、管理するより社員にまかせたほうがよほど的確な仕事ができるのです。つまり社員は自由に自分の仕事を全体の中から判断して行動し、その結果が会社に反映され、ひいては社会に反映され、大きなやりがいを感じるのです。その結果、自分の居場所をはっきり確認することができるのです。


 話は変わりますが、20年前、携帯電話の携帯メールが爆発的に普及するとはだれが思ったでしょうか。文字にする面倒さを考えれば、電話するほうが早いとだれもが思ったでしょう。しかし実際には携帯メールは、完全にコミュニケーションの主要手段として定着しました。その理由は、直接相手と話すと、感情面で様々に気を使わなければならないからです。メールであれば、時間的にも拘束されずに、いつでも好きなときに冷静に相手の意向を読むことができます。むしろテレビ電話のように、感情が直接的に伝わるもののほうが、どんなに身近になっても普及が遅れています。

時として人の感情はコミュニケーションを阻害します。新入社員が社長に直接話すには勇気がいります。しかし自分の意見を掲示板に書くことは、比較的スムーズにできます。部下を評価するとき、すべてをアナログ的に評価することは、間違いが起こりやすいし、それを知った部下は恨んだり、恩を感じたりしなければなりません。それが政治的に悪用されたり、不公正な評価になったりすることも多々あります。ある程度システマティックに評価されるほうが、人のしがらみから離れ、納得できるのではないでしょうか。

社会組織の中では絶えず人と人の感情のぶつかり合いが起こっています。自分の利益にかかわる職場ではなおさらです。その中で、人は傷つき、怒り、悶々とすることも多いと思います。現代人にとっては、時として感情とは無縁の、「システム」の中に身を置くことも、自分の居場所と感じられるのかもしれません。そこにほっとする場所があれば、それも時代の流れであり、新しい文化として肯定しなければならないのではないでしょうか。

最近、職場で心を患う人が増えているそうです。そういう人への対策としてメンタルヘルスが注目されています。しかしその原因は、必要以上に感情的なぶつかり合いの多い職場の中にあって職場の仕事やシステムに自分の居場所を見出せない人が、心の行き場所がなくなっていくことにあるように思われます。

今、職場やその中のシステムに、自分の居場所を見つけられるようにすることが、求められているのではないでしょうか。

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2007年11月06日 13:06に投稿されたエントリーのページです。

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