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失われた「自分の居場所」

10月14日、NHKのドキュメンタリー「21世紀のドストエフスキー テロの時代を読み解く」を見ました。最近、世界中でドストエフスキーの本がベストセラーになっているそうです。19世紀後半、ロシアはテロと犯罪が蔓延する社会で、ドストエフスキー自身テロリストとして処刑の一歩手前までいきました。万人の心の底にある悪を描き出し、2001年におきたアメリカの前代未聞のテロ、9.11以降、現代社会を考える、というテーマの番組でした。

一番印象に残っているのは、映像作家が、「攻撃はセキュリティのためにすることが多い」という一言でした。自分や家族や仲間を守るために、先制攻撃をしかけるのが攻撃だ、と言うのです。

確かにマズローは欲求の段階を説き、もっとも強いのは生理的欲求、次に安全の欲求、そして集団帰属の欲求、自我の欲求、最後にもっとも高尚なのが、自己実現の欲求といっています。普通に暮らしているうちは飢餓はありませんから、いかに安全の欲求が社会生活で強いか、ということです。


9.11で、米国民がアフガニスタンやイラクへの出兵を支持したのはまさに第2、第3の9.11が起こることへの不安からでしょう。つまり安全の欲求からブッシュ大統領の戦争を支持したのです。9.11の3ヶ月後に私が書いた文章があります。ちょっとご紹介します。

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有事における処世術  2001.12.12
ワールドトレードビル爆破テロの中継は多くの人に衝撃を与え、誰もがみな第3次世界大戦を予感した。その日以来世界の株価は暴落し、世界同時不況の様相は深刻さを日増しに増していった。それに関係があるのかないのか定かではないが、いままで不況知らずだった当社のソフトの注文も大幅に減った。取引先の流通の商品部長は「昨年同月期の4割減で、今月は過去最低の売上実績だった。」とぼやいていた。

大衆紙ではある芸能人が「あの事件以来、10日以上たつというのに、無力感と虚無感が心を占めるばかりで、なにをやっても身が入らない」といっているが、多くの人の実感ではないか。この虚無感は年配の人には、敗戦直後を思い出させるらしい。焼け野原の故郷に立ち尽くし、ほとんどの国民は無力感に打ちのめされている。

しかしいち早く前向きに生きようとした人たちが大きなチャンスをものにしていった。不良債権処理は遅々として進まず、ITバブルは崩壊し、そして倒産ラッシュにリストララッシュ。そこへきて今度のテロ事件。泣きっ面に蜂どころの騒ぎでない。しかしあれだけ壊滅的な敗戦を食らっても、10年で復興し、20年で成長期に入り、30年で世界有数の経済大国になった日本である。この景気は日本人が本気になればあっという間に回復できるであろう。正義を貫き、隣人と協力し合い、真剣に生きること、仕事、家庭や人間関係を考えれば、次の世代こそ日本のための時代になると思う。

今回のテロは第3次世界大戦にはならない。なぜなら国家間戦争は20世紀の遺物であり、21世紀情報化社会では、ナンセンスだからである。20世紀までのリソースは石油であり、土地であり、金であった。土地や資源が中心の経済は領土が必要である。情報化社会のリソースはITであり、人である。本当は軍隊や戦争などいらないのだ。日本は戦争放棄を憲法でうたっている。まさに21世紀的憲法だ。

半年前、こんなことがあった。駐車場に車を入れようとしたら、小さな蛇の尻尾を車で轢いてしまった。ちょうどその日は私の娘が生まれた日で、しかもその年は蛇年なので、できればその蛇を逃がしたかった。しかしそのもがいている蛇の頭は逆三角形で模様が横に入っている。マムシである。もしこの蛇を今逃がしたならば、家の前の神社に逃げ込み、そこに来る近所の子供たちにでも噛み付いたら大変である。結局、断腸の思いで殺してしまった。それ以来、毎年娘の誕生日には、そしてその蛇の命日には、その死骸を捨てた神社の側溝に塩と酒をまいて、手を合わせている。

あからさまに武器を持ち、周囲に威嚇することは、自分も危険にさらされるのである。トップクラスの軍事力を持たない国が、20世紀的軍隊を持ち、外交的手段として威嚇や攻撃に利用することはかなり危険なことです。

日本人は勤勉で教育熱心で、共同体を得意とする国家です。今こそ、日本人一人一人は自信を取り戻し、正義を取り戻し、世界にお手本になる情報化社会国家をつくっていこうではありませんか。
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それ以来、6年の歳月が過ぎました。もちろん第3次世界大戦は起きませんでしたが、アフガニスタンでは今もテロは続き、イラク戦争は泥沼化の様相を呈し、戦火は周辺地域へ拡大しています。しかし中国、インドに代表されるようにアジア圏は好景気に沸き、日本も海外需要の増加で不景気から脱却し、戦後最長の好景気が続いている、といわれました。しかし景気がいいのは海外市場を得意とする大企業ばかりです。

日本は世界のお手本になる情報社会どころか、ITに背を向け、ホワイトカラーの生産性は先進国でも最下位となり、子供の学力は低下し、中小企業やIT企業にとっては依然として厳しい状態は続きます。格差社会は広がり、けっして好景気の明るい様相は巷にはありません。むしろ人々は会社や学校や家庭にそのよりどころや、自分の居場所を次々と失ってきているようにも見受けられます。

この日のドキュメンタリーを見て、私は、自分の思考の盲点を見つけたように思います。いままで私は、ITを活用して、人がいかに能力を高めることができるか、そういうシステムを開発することばかり考えてきたのです。人はいかに記憶をよくできるようになるか、人はいかにして学習を楽しくできるか、学習をいかにすぐ社会に役立てられるか、組織がいかに有効に活動できるか、そのようなことばかり考え、商品やシステムをアピールしてきました。

しかしその前に、人間には「自分や家族や、仲間、属している組織を守るために」行動する、という絶対的な感覚があります。「自分と仲間の居場所を守る」感覚なのです。自分の居場所が失われようとしている今日、まずそのニーズを満たすことが大切なのかもしれません。

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2007年11月05日 10:42に投稿されたエントリーのページです。

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