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環境問題の本質

最近、テレビでも地球温暖化にともなう環境問題が、数多く報道されるようになりました。
しかし、どの番組もいかにCO2の排出を抑えるか、という問題ばかり報道され、物事の本質には触れられておりません。その本質とは、「循環社会に戻る」ということだと思います。具体的にいえば、企業間においては「共存共栄」、仕事をする人においては「適材適所」だと思います。

産業革命以降、人は飽くなき利潤追求を目指し、未開地を侵略し、森林を伐採し、供給過剰と倒産を繰り返し、その小波が大きく集まって景気変動となり、さまざまな破壊と生産が繰り返されていきました。

これはすべて「神の見えざる手」による「競争原理」という万国共通の法則に従い、地球上の経済は動いてきました。その結果、経済の過熱とともにエネルギーが生産され、消費され、地球は温まってきたのです。

なぜかくも「競争原理」が広がっていたのでしょうか。それは「競争原理」がいかなる人間の間にも共通の“プロトコル”つまり、意志を共感できるきまりだからです。個人個人が「利益」を得るために最も有効な手段が「競争原理」だと、みんなが思い込んでいるから、「競争原理」が世の中のスタンダードになるのです。

人が誕生し、群れをなし、村ができ、「長」と呼ばれる人が選ばれ、民を豊かにするために隣の村を襲うとき、「競争原理」はスタートしました。中世までは土地の奪い合い、近代は国の奪い合い、そして現代は「金」の奪い合いで「競争原理」は拡大してきました。人は、自分の利益のために戦争に駆り出され、自分の利益のために働くのです。あらゆる人と人の行動のプロトコルが「利益」だったのです。中世の大航海時代、地球の裏側にある未開人との交易も「利益」により成り立っていたのです。

しかしこの「競争原理」による人間の営みに、地球環境が耐えられなくなってきたのでしょう。否、地球環境の悪化に伴う人間の滅亡によるリセットも「神の見えざる手」の予定調和の一つなのでしょう。

個人個人で電気をこまめに消す、など省エネの姿勢は大切だと思います。しかし家庭の水道の蛇口の水滴を止めるような作業をみんなでしている間、「競争原理」の元、想像を絶する巨大な無駄遣いが世界で行われているのです。

中国の上海や深圳 、香港など東沿岸地域は値段が高くて人が住めない空家の超高層の巨大マンションが山のごとく乱立しているそうです。元の切り上げを狙った投資家が買い漁った結果だそうです。この実需要に見合わない巨大マンションを作るために山から石灰岩を切り出し、大量の鉄を生産するために膨大なにCO2を排出するのです。これも地球規模で考えれば、「競争原理」のなせる無駄です。

またバイオエネルギーを作るために同等の石油を消費し、さらに投機による穀物価格の高騰から、世界中で餓死者まで出て、暴動が続発しているという。これなどは「競争原理」の無駄を超えた愚行でしょう。

それではわれわれは、神に定められた運命に従い、繁殖しすぎた生物の末路に従い、滅亡へ向けて、繁殖しすぎたネズミのごとく、池の中へ黙々と飛び込んでいかなければならないのでしょうか。

ちょっと考えてみてください。本当に「競争原理」が人々の「利益」を生むための最適な手段なのでしょうか。バブル時代に「競争原理」に乗っかって、巨万の富を稼ぎ出し、豪遊していたバブル紳士たちはほとんど破産しました。これまでの歴史のなかでも、平家や信長や秀吉やナポレオンやヒトラーなど風雲児といわれたヒーローはなぜか短命です。そして、つい最近も邯鄲の夢といわれたIT長者がいました。皆さんの記憶にも新しいことと思います。

本当は、「競争原理」は「利益」を得るための最上の策ではないのでは?世の中は必ず波があります。上昇気流の波に乗って大成功しても、大成功すればするほど、舵を切りにくくなり、結局は大失敗するのでしょう。何度か上昇、下降を繰り返し、だんだん拡大するほうが安全なのかもしれません。「競争原理」に代わる「利益」を生むための方策はないものでしょうか。

「利益」を生むことにけっして長けていない私が発言しても説得力はないかもしれませんが、ひとつご提案があります。ITを活用することです。今は携帯電話で相手との交渉ができるのです。つまりいつでもどこでも意思の疎通が可能なのです。つまり「競争原理」に代わる新しい「プロトコル」を作ればよいのです。

それは「共存共栄」「適材適所」のシステムをプロトコルにすることです。「競争原理」は一方が一方を打ち負かすことで、無駄が多く発生します。「共存共栄」「適材適所」に切り替えることで、打ち負かされた「負け組」も有効に生かすことができるのです。

私たちメディアファイブは、まず5年の歳月をかけ「適材適所」のシステムを開発しました。人材育成型グループウエア「則天」です。利益は天の配剤に任せて、いかに人が自分の能力に合った仕事を生かし、才能をのばしていくためのシステムです。

そして今、歴史ネットゲーム「NextRevolution」を開発しています。これによって、多くの人や会社が自由に集まり、歴史のなかで1年を100分の1程度に短縮し、時間の流れ、人の生き死に、時代の生滅を体感しながら、ビジネスや人材マッチングの場を提供していこうと考えております。

特に江戸時代は、庶民の生活の状況も含めて、これからを「共存共栄」の社会にしていくために参考になる時代だと思います。教育ブログ「江戸の教育力」で触れましたが、徳川吉宗は享保の改革で、庶民の隅々まで寺子屋をたてるなど教育の普及に努めた結果、多くの農業指南書が出され、農民は農業の改良に努め、飛躍的に農業生産性が上がったのです。

なぜ「NextRevolution」か?それは有史以来の「競争原理」による人の営みを、次の時代は「共存共栄」に変えていかなければならないからです。「革命」の本来の意味は、古いものを倒して新しい時代を創るということですが、古い時代を尊重しつつ「共存共栄」の時代に変えていかなければならないと思います。これこそが有史以来の人間にとっての大革命となるでしょう。ITを活用すれば可能なことだと思います。

このような有史始まって以来の「革命」的な試みが世界中で起こることが、環境問題解決の本質なのではないでしょうか。

人の利益追求を辞めさせることはできません。だれも人の欲望を止めることはできないからです。マルクスの失敗はここにあります。しかし無意味な戦いは辞めさせることが可能です。なぜならもし闘わなくても利益追求ができるなら、誰も無意味に傷つけ合いたくはないからです。

それでも人間の闘争本能は消せるわけはない、という人もいるでしょう。それが真実なのかもしれません。そうであれば、もうだれも水に飛び込むネズミの集団(=人間)を止めることはできないでしょう。

今日は、ちょっと大風呂敷を広げすぎたかもしれません。すみません。

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2008年07月07日 10:31に投稿されたエントリーのページです。

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