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人生 アーカイブ

2011年03月22日

未曾有の大震災に直面して

3月11日(金)に発生した東北地方太平洋沖地震にて被災された方、そのご家族・関係者の皆様には、心よりお見舞い申し上げます。


ほぼ、1年ぶりにブログを書きます。

私は本当にみなさんにお伝えしたいことしかここでは書かないので、長期に渡るご無沙汰をお許しください。

今、日本は歴史上、まれにみる国難に遭遇しています。663年の白村江の戦いでの敗戦、1274年、1281年の元寇、植民地支配の恐れのあった1868年の明治維新、1923年の関東大震災、1930年の昭和の大恐慌、1945年の敗戦。今回の国難はこれらに匹敵するかもしれません。史上最大級の地震と津波。そして史上最大級の原発事故。

私は2011.3.11 14:46 この時間、会社の近くにある、浦和駅前にある、デパートに入っている本屋でこの地震と遭遇しました。あまりに大きな揺れに、居合わせた人々みなかなり驚いていて、これだけの揺れは初めての経験でした。こんな頑丈なビルでもこれだけ揺れるのだから、外はかなり被災しているのではないかと、会社のこと、家族の事が思い浮かび心配でした。揺れはかなり長時間にわたり異様に続き、その長さが少しづつ経済のダメージを実感しつつありました。

会社につくと、エレベーターは止まっていたので、非常階段で3階にかけ上ったところ、社内は普段のまま、まったくものも落ちていませんでした。私の部屋は本箱を重ねておいてあり、ちょっとした地震でも倒れそうな場所なのですが、まったく大丈夫でした。

しかしすぐに家人から連絡があり、下の娘が保育園の遠足で葛西臨海水族館に行っている、という。会社の安全の確認がとれたので、私はすぐに自宅に車で戻ろうとすると、道路も水が噴き出し、今回の地震の大きさを物語っていました。そして途中でまた大きな地震が始まりました。車道は渋滞し、電信柱が大きく揺れて、道行く女子高生も立っていられないのか、手すりをつかんでしゃがみこんでいました。私は電線が落ちてこないか、心配でした。

家に戻ってみると、家人は青い顔して、こんどは千葉に近い茨城で地震があり、10メートルの津波が千葉に来ている!と泣き叫んでいました。テレビでは津波は家や車を押し流す、信じられない映像がリアルタイムに映し出されています。私はすぐには事の重大さを実感できず、デパートでの大揺れの時に、すでに経済におけるダメージの重要性は実感していたのですが、家族の命の危機という実感はできないでいました。

頭が真っ白になりながら、この危機になにもできない自分がもどかしくなり、地震でめちゃくちゃになっているという3階に、おろおろと上がり、私の書斎を確認すると、本箱がひっくり返り、もっとも大切にしていた骨董も割れ、ガラスが散乱している始末でした。どうも地震がくると、大切な骨董から壊れるのです・・。

しかし今、家族に起きようとしていることに比べれば、こんなことはどうでもいいように思えました。むしろ大切な骨董が娘の身代わりになってくれるのでは、という無力な神頼みに近い考えをうつらうつら思っていました。ただ、仕舞い忘れたひな壇が跡形もなく壊れて、散乱している本の上に投げ出されているのが悲しく感じました。

すぐに1階に戻り、テレビ画面は宮城沖、福島沖でヘリコプターからの巨大津波の映像が映っていました。まさに私が小学生の頃見た、豪華客船がひっくり返る映画「ポセイドンアドベンチャー」のワンシーンを見ているようでした。今朝、娘が、遠足へ行くことがうれしくてはしゃいでいる姿が目に浮かび、これが悪夢であることを切に願いました。

しかししばらくして、娘の乗ったバスが、水族館を離れた趣旨を保育園から聞き、またテレビでヘリコプターが葛西臨海公園を映していて、液状化はおきているものの津波の被害はなさそうだったので安心しました。娘は5時間遅れで、夜11時ごろ帰ってきました。娘を抱き締められる幸運を神に感謝しました。

思うに、デパートでの大揺れから、家に戻って、あのポセイドンアドベンチャーのような津波の映像をリアルタイムに眺めている間に、私が動顛しているまさにその時に、家族を、家を、職場、人生を、命を一瞬に失った方々が多数いらっしゃるのです。


今、世界中でもっとも固唾をのんで注目されている福島原発の近くに、天神岬というキャンプ場があります。昨年のゴールデンウイーク、私は家族とここでオートキャンプをしました。とてもきれいな岬です。
%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E5%B2%AC.jpg(原発そばの天神岬)

そしてここから二つの巨大な原発のある海岸線を通り、宮城との県境にある松川浦という岬へ潮干狩りに行きました。いわきから相馬にいたるこの海岸線はすべて今回の巨大津波に飲み込まれてしまったのです。見たことのある風景が巨大津波にのみ込まれる映像がテレビで映っていました。
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(相馬の海岸線の林 津波がこの林の二倍もある高さで襲ってきたのをテレビで見ました。)
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(同じく相馬の海岸沿いの道路。左手が海。ここで木々の二倍の波が襲ったかと思うと・・)
souma.png(松川浦)

このあまりにも恐ろしい自然災害に直面して、私は26年前に登った日高山脈を思い出しました。このことは以前のブログに書きましたが、人が少ないがゆえに、道はすぐに配松に覆われ、歩行路に浸食した崖に足を踏み外し、あやうく100メートルの崖を落ちそうになったり、沢と配松を伝って移動する登山は雨が降るとすぐに歩行困難になり、やっとの思いでカールにつくと、熊が近くに来たりと、あまりに未開な自然は巨大で、偉大で、それは恐ろしいものでした。まさにそこには人智を超えた神のような存在を感じました。下界に降りると、いつもなにげなく生きている都会は、いかにコンクリートに囲まれた、ちっぽけで人工的な、いつわりの安全な世界で固められていたことか、と感じました。

ところがその安全で人工的な世界に、さながら山麓にあらわれた巨大熊のように、全長500キロメートルの巨大な竜のような地震が襲ったのです。あり得ないことです。あの阪神大震災や9.11、リーマンショックでさえ、軽い出来事のように思えるような今回の地震、この事件が起こす経済的な災難は想像を絶するものとなるでしょう。

子供や親が生きているかいないかで、家や職場を失うかどうかで、人の人生は、すべてが一変します。でもその境はほんの僅かなのです。もうちょっと茨城沖の地震が南にずれていたら、確実に津波は娘をおそったでしょう。昨年、原発の近くでキャンプをしていたときに、今度の地震が起きたかもしれません。地震国家日本において、あらゆる天災は生活における表裏一体なものです。

95年、阪神淡路大震災の時、発生から1ヶ月後、御影という神戸三宮の手前の駅に降りたのですが、一面見渡す限りなにもなかったのです。日常なにも変わっていない大阪から電車でたった30分走ると、少しづつ、車窓は倒壊した家屋が増え始め、御影に降りるとあたり立っている建物はなにもなく、まるで戦災で焼け野原になった時代にタイムスリップしたようでした。今回の震災は本当に終戦直後に匹敵する大災害でしょう。少なくともその覚悟が必要です。

この災害自体も未曾有なものです。しかしこの後にくる大型の経済の落ち込み、これも大変な問題です。復興需要を期待する向きものありますが、従来の経済危機のなかでの、今後数ヶ月は日本の経済の要である東京を中心とする電力不足による企業の停滞、食、住以外での消費マインドの冷え込み、これは9.11、リーマンショックをはるかに凌ぐ経済危機を誘発する危険があります。ハイパーインフレや国債の暴落のリスクも現実のものとして迫ってきています。

私は、自分の過去を振り返ると、他の経営者と異なり、目標を掲げて自己実現するのではなく、偶然と挫折の連続で、むしろ挫折や失敗を生かして今まで生きてきたのです。ピンチには強いタイプかもしれません。わかりやすく言うと、ピンチをどのように良い方に持って行くか、を見つけるのが得意なのです。

しかし今度のピンチはいままでで、遙かに最大級のピンチです。経済がどこまでストップするかわからないからです。日本のもっとも売りであった安全神話が根底から崩れたのです。この信用こそが日本最大の財産と思っていたものが。長期的には確かに土木、建設など復興需要は莫大にあるでしょう。しかし今年は大変厳しい経済環境になることはまちがいありません。

今考えることは、まず衣食住というライフラインを守るか。つまりどうやって生き残るか、次に各人の最低限の収入を確保するか、ということです。つまり企業は組織をどうやって確保、維持していくか、です。

ただ95年の阪神淡路大震災の時と大きく異なることがあります。それはITの力です。このころは、ITの萌芽期であったために、大幅にITの活用は減退しました。しかし今回は、被災者が、救援や安否確認にツイッターやメールをかなり活用して役に立った報道が頻繁になされ、報道を見る立場の人間も、テレビでの情報の他、インターネットでの内外の情報も多角的に入手することができました。各国の情報を瞬時に翻訳していくれる多言語解析のサイトは大変効果的です。

最近の日本人は、画一的な報道にはみな疑心暗鬼になっていて、あらゆる多角的な報道をインターネットで把握する人が増えてきたようです。それとともに、テレビでも過去の大震災の時のようにお涙ちょうだい的な情緒的な報道が少なくなってきたように感じます。日本人一人一人のなかには、経済大国のなれの果てのいきづまりから、知らず知らずのうちに欲と無気力と他人依存が蔓延していたのです。今、有史以来最大級の国家危機において、この国の国民が、そこから目を覚ましつつあるように感じます。

われわれは、もはや地震と放射能の危険にさらされているこの国土で安穏と生活することは許されなくなりつつあります。ユダヤの民をお手本に、だれでもがIT、金融、マネジメント、語学そして教育に堪能になり、世界にビジネスを求めていかなければならないのです。なによりも得意とするチームワークを活用して。

私たちは、この大震災をきっかけに、安全神話の崩れたこの国で、目を覚まし、戦後の焼け野原にたった日本人のように、もう一度立ち上がることができるかもしれません。

いえ、立ち上がらなければなりません。2011.3.11に一瞬で失われた数万の命のためにも。

2012年02月16日

あれから1年半になりました。

ご無沙汰しています。

あの震災以来のブログです。

あの震災以降、何度かブログを書きかけたのですが、公表するには至りませんでした。

日本はどうなるのだろうか。そして当社はどうすべきなのだろうか。

あの日以来、数多くの書物を読み、いろいろな人の話を聞き、考え続けてきました。

1年半が過ぎ、最近ようやくその問いの回答に確信をもてるようになりました。

その答えを導いてくれる、ヒントが今年正月にNHKの報道番組にありました。

その内容とは

1707年、東海、南海連動の宝永大地震が起こりました。さらに49日後富士山の大爆発で、気候不順から飢饉も発生し、未曽有の経済恐慌になりました。

それまで元禄バブルに乗じて沿岸部で拡大していった開発した新田は津波でやられ、農民は、その結果沿岸部の新田開発をあきらめ、いまある田畑でより生産性をあげる工夫に切り替えたそうです。二毛作もこのころ発明されたそうです。
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そのために庶民の間では、寺子屋が急増し、文盲率が急低下し、まさに庶民の知恵がこの経済恐慌を乗り越える原動力になったのです。

この時代の有名な為政者は新井白石であり、徳川吉宗でした。ふたりは政策における思想は正反対でしたが、学問好きであり、学問をもって政を治める点は共通でした。新井白石は幕政顧問で、吉宗は紀州藩主のときに、被災しました。吉宗のこの時の紀州半藩における復興が、その後の将軍として、日本を30年治める基本となりました。

特に吉宗は国民への教育の普及に注力しました。彼の政策を背景に、おそらく庶民のなかで学問が急速に広がっていったのは、急速に縮小しつつある経済のなかで、みんなが一時的な悦楽より、「学んで、働き、生きる」喜びに価値を感じるようになったのだと思います。

そういえば今年の3月2日の日経新聞に興味深い記事がありました。震災後日本人の価値観が変化した、というのです。精神的豊かさを求め、利他性が増した、というのです。

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利他制、調和、勤勉、勤労といった日本人特有の精神は地震、津波、台風など日本に生まれてきたからこそ定められた宿命のなかで磨かれてきたものなのでしょう。

日本における「神」という言葉も、人智を越えた自然の猛威に直面するとき、初めてその存在を実感するのでしょう。つまり自然という絶対者の意志(自然現象)の前に謙虚に真摯に対峙して生きるための存在を意味するのではないでしょうか。

私自身の細やかな経験は、以前書いたブログをご高覧ください。
http://http://blog.media-5.jp/kitabatake/2007/09/post_3.html「リスクと霊感」

終戦後、焼け野原から奇跡的な、復興をし、高度成長をへて世界2位の経済大国にまでのぼりつめました。当然、日本人はエコノミックアニマルといわれるように日本中が利益追求に覆われました。

しかしバブル崩壊後、今に至るまで長期に日本経済は低迷し、その間に中国、インドをはじめとして、新興国の目覚ましい経済発展が起こりました。日本も経済のグローバル化のなかで、日本企業が海外の10分の1以下の人件費で作った安い商品が流入し、デフレは加速し、国内企業は苦戦し、バブルまでは日本人は1億総中流と言われていたのが、今や中間層は消滅しそうな勢いです。

高度成長期でさえ、経済の主役は内需なのです。今の日本の復活は中間層の復活でしか実現できません。今こそ吉宗の改革を見習う時なのです。

2012年12月21日

なぜ、今葬儀ビジネスか?

みなさんは自分の臨終を想像したことがありますか?僕は中学生のころから寝る前の布団の中で、自分の臨終を夢想したりしていました。その時はモーツアルトのレクイエムがいつも心の中で鳴り響いていました。

私にとってモーツアルトのレクイエムは唯一あの世を体感できる音楽です。16歳の時カラヤンが来日し、このレクイエムをコンサートホールに聞きに行ったときは、あたかも臨死体験をしているような感動でした。観客席以上にいるのでは、というくらい大勢の合唱団とオーケストラは、この世のものとは思えないくらい荘厳な、地下からよみがえるような音楽を、本当に地響きをたてながら創り出していました。おそらく私の人生のなかで経験できる最高のコンサートだったと思います。

死は、残された遺族には痛恨の心の傷になるでしょうが、死の瞬間は本人にとってはけっして暗い、厭わしいものではないと思います。どこかにこれで永遠に休める、というほっとした感情があるはずです。ただ多くの人が、愛する家族や世間に対し、やり残したことや、言い忘れてきたことを多少なりとも悔いながら死んでいくのだと思います。

僕の葬式はシンプルに、あっさりとしてもらいたいものです。ただ春なら桜、夏や秋なら桔梗、冬なら水仙をすこし飾ってほしいです。モーツアルトのレクイエムは流してほしいです。けっして白木の祭壇や豪華な菊飾りは不要です。見ず知らずの葬儀屋さんに事務的にことを図られて、粛々と進み、半分以上の利益をふんだくられるような葬式だけはしてほしくありません。

昔、黒澤明監督の「夢」という映画に、電気も水道も通らない美しい田舎の村での100歳を超えた老婆の葬儀のシーンがありました。笠智衆演じるこれまた100歳を超えた老人が登場し、自分の初恋の人の葬式のパレードに参加しにいくのです。明るい音楽が鳴り響き、花弁が舞、子供たちは駆け巡り、まるでお祭りのようなシーンでした。

自分の死が、重苦しく、思い出したくないものになるか、あるいは美しいおもいでになるかは、これは当人の人生にとってとても大きな問題ではないでしょうか。今の時代は、死をただただ忌み嫌ういやなものになっていると思います。それはそのまま人生そのものを少なからず台無しにしているのではないでしょうか。

江戸時代、武士は自分の死をより名誉あるものにするために、生を大切にしていました。農民も、そのリーダーはひとたび代官の悪政に立ち向かうとき、自分の死と引き換えに村の利益を守りました。

人は自分の死を見つめて、はじめて生きる意味を感じるのではないでしょうか。能という芸術はかならず死霊が出てきて、かつて生きていた生の時を語ります。歌舞伎や浄瑠璃も心中ものが数多く残されています。忠臣蔵も常に死がテーマです。

生きる意味が希薄になった現代の日本人は、まさに葬儀を見ず知らずの商売人に委ね始めたころから、生きてく上での意義を見失っていったというのは言い過ぎでしょうか。

自分の身内を、また自分を送るためにも、最低限の葬儀の知識は必要なのではないでしょうか。自分の死を見つめ、死を意識してはじめて、生きる意味、ありがたみを感じるのだと思います。

当社は教育ソフトメーカーです。生きるための資格やスキルをより効率よく、楽しく学べる商品を開発するのが使命です。そのためにも死を見つめて、よりよく生きることをお客様に実感していただくことも当社のすべき使命と感じました。

ここにエンディングノートを皆様に無償にてご提供いたします。これは皆様のライフノートでもあります。死を見つめ、生を見つめ、どう生きるべきかを考えて、皆様の人生を充実させてください。私どもメディアファイブは少しでも皆様の人生を充実して生きるためのお役にたてることが、なによりの幸せと存じます。

2013年02月11日

こんな時代をどう生きる?

どうしたら人はお金を稼げるのか?それは誰もなかなかわからないものです。やはり「運」は最も大きな要素だと思います。よく成功した経営者がギャンブルに走り、運試しをする、というのをよく聞きます。私はそんな大成功した経営者でもないので、そんな経験はありません。ギャンブルも弱いし嫌いです。

自分が強力に運がいいわけでもないので、あまり偉そうなことは言えませんが、周りの運のいい人の共通点は、人の悪口を言わない。前向き。なにか宗教に関心があり、神を敬っている。運やつきを大切にしている。というところですかね。口から発した言葉は言霊といって霊力があるらしいですよ。ぐちや人の悪口ばかりいったり、常にマイナスイメージをもっていたり、暗い人は確実に運は悪いですね。

その次は人為的なものです。お金を稼ぐためにはどうしたらよいか、ということを必死で考え、いろいろなアイデアを出すことです。自分の強みは何か?そしてそれをどう社会に必要なニーズとして供給できるのか?具体的に自分がターゲットにするお客様はどうしたら自分の「商品」や「サービス」を買ってくれるのか?

まず大切なのは自分のいままでのキャリアでどう稼ぐか、ということです。営業だった人は自分の顧客が自分の経営資源でしょう。しかし営業ができなくても、対人が苦手でも今はインターネットについて詳しければ、それを活用してお客様を集めることができます。しかしお客様が一目見て、関心してくれる商品やサービスを有していなければなりません。またホームページの表現方法も大切です。

なによりも大切なのは、購入してくれるお客様と自分がwin-winでなければなりません。当社ではまずお客様が当社の商品を購入して合格しなければなりません。当社の商品はアンケート結果を追跡すると平均6割近いお客様が合格するので、しかもアンケートユーザーの8割以上のお客様からお褒めの言葉をいただくので、それは実現できていると思います。(HPに詳細があります)

次に資格をとってどうお金を稼ぐか、ということが明確でなければなりません。勿論多くの人はいかに就職や昇進に有利か、というケースも多いです。しかし会社に入っても、やはり昇進のポイントはいかに稼ぐか、ということですから、独立を目指す人も、会社員も同じノウハウが必要になります。

英語はだれもが上手くなることにこしたことはありません。世界共通語みたいなものです。聞き流すだけの教材が流行っていますが、これも勿論一利はありますが、それは耳から続けてなん百時間聞くと英語がわかるようになる、ということで、手っ取り早いのは留学することです。

それができなければ、やはり順当な教材を学習することです。当社の教材は、あらゆる学習法が入っているので、やはり近道で英語が上達するようです。

次にお勧めするのはW資格です。行政書士と宅建、行政書士とファイナンシャルプランナー、行政書士とケアマネージャー、ファイナンシャルプランナーと中小企業診断士や宅建といったぐあいです。自分のキャリア(経験)と専門資格をうまくミックスして、お客様に必要とされることです。特に、これから相続税の改訂がなされますが、年配の方はそこにとても関心を持っています。行政書士やファイナンシャルプランナーを持つことで、相続のコンサルテーションをすることができます。

ただどれも結構ヘビーな資格なので、楽して取得するためには当社の教材をご活用されることをお勧めします。当社のユーザーは資格マニアがとても多いのです。

またてっとり早く顧客と密接な信頼を得るには、当社が開催しているエンディングコーディネーターをお勧めします。平成15年以降、相続税は最低を推移し、現在、親の相続を受けた団塊の世代が、退職金も順当にもらい、最も豊かです。

しかし今後相続税の改訂がおこり、この人たちが子供へと相続する時の相続対策に不安を持つ人も多いと思います。そういう相続相談と相まってエンディングへの準備の相談も乗ることは、顧客のニーズや信頼をさらに強めます。

日本経済は現在中国に抜かされたといっても第3位です。しかも5000万人以上の国では、1人あたりのGDPは米国に次ぐ2位です。しかも米国はトップクラスの格差社会です。実質これだけ景気が悪くても、日本が最も平均的に豊かな国、ということです。

勿論語学をマスターして海外に打って出るのものよいでしょう。しかし多くの人が一人では、そう簡単にできるものではありません。中国などではトラブルに巻き込まれる経験をする人のほうが多いくらいです。

そうなってくると、いかに内需を活発化させるか、が問題です。それはやはりサービスという分野を活性化させることです。サービスを売るには、スペシャリストとなってサービスに付加価値をつけることです。しかし単なるコンサルとして売るには、まだ日本ではお金にするのは難しいものです。

自分の持っている「商品」をコンサルという付加価値をつけて売ることです。ファイナンシャルプランナーは「保険」という商品を、資産運用のコンサルを通して販売します。しかし保険を売る人は数多くいます。お客様により大きい差別化をするには、生きるためのコンサルとして、もっと幅広くものを売るべきです。

たとえばテーマを家族、として当社の商品をお客様にお勧めするのはいかがでしょう。現在、子供の学習履歴も親のスマフォで見れるのです。どこまで学習したのか、なにを学習したのか、どこがわからないのか、通勤途中に確認することもできるのです。

そういうことから当社は、アフリエーター、代理店を募集します。

これからも様々なアイデアをご提案させていただきます。


2016年08月21日

日本はあまりに住みやすい。新しいビジネスのすすめ

先日、タイに行って驚いたのは、伊勢丹があり、

その中にダイソーがあり、それは、なんと100円ショップならぬ、100バーツショップだったのです。
100バーツとは300円です。安くても190円くらいだそうです。
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伊勢丹も、浦和伊勢丹より高い気がします。

センブンイレブンのコンビニもあり、髭剃りやコーラもあんまり日本と値段は変わりませんでした。

しかし、平均年収は日本の10分の1程度です。

もっとも経済成長過程にあるので、庶民はどんどん消費をし、日本に比べ貯蓄をしないのでしょう。

勿論屋台の食料品は日本の半分以下ですが。


まあそれにしても、年収比にしては日本は物価は安すぎます。

日本の平均年収は440万と言われていますが、それは、正社員を中心に、大企業や公務員の年収サンプルを中心とした30万人の平均で、実際は300万、6割いる派遣社員の平均年収は240万程度です。

それでは暮らしていけない、っていいますがほんとうでしょうか?

ユニクロのバーゲンと百円ショップに行って、家賃5万でキレイなトイレ風呂付のワンルームに暮らせ、しかもちゃんと税金や厚生年金、保険料を払っていれば、死ぬまで安全で高度な医療を受けられます。

変な犯罪は増えても、どんどん犯罪率も低下し、教育も充実し、やはりこれほど住みやすい国家は、あまりないのではないでしょうか。

だからこそ、中国の人も東南アジアの人もどんどん日本に観光でやってくるのです。

おそらく、政府が移住手続きの障壁を下げれば、こぞって海外からの移住者はふえるでしょう。

とにかく、物価の比較の上で、賃金が高い。

安倍政権の反対方向に行っていますが、これは感覚ですが、実質暮らしやすくなっているのです。デジタルの世界では、原則ゲームと地図、ナビやブログ、ニュースや相談、ポルノ他あらゆる生活上の必要情報は無料。

その状態が、生活は良くしていますが、日本の景気を悪くしているのです。

企業はグローバルに見れば高い賃金を払わなければならないので、コスト面で不利です。

労働者の7割は中小企業で、中小企業の7割は、支払い猶予の経験があるそうです。

それでも、税金と社会保険は中小企業ばかりのしかかります。消費税は庶民に負担を強いるか、といったらデフレ下ですから、消費税分の値段は下がります。下げないと売れないからです。

つまり消費税とは別名中小企業売り上げ税なのです。中小企業は売り上げに応じて、儲かろうが、儲かるまいと有無を言わさず取られます。

社会保険もあまりに中小企業には負担が重すぎます。

私は国の批判をしているわけではありません。本当に政府も官庁もほかの国に比べてかなり頑張っています。

ここまで中小企業を支援する国はありません。

アベノミクスを批判する人に言いたい。ほかになにがあるのか?日銀の大胆な金融政策もむしろ賞賛すべきです。本当に勇気があります。

ただただ、新しい日本独自のビジネスが広がらないのが問題なのです。

食料や住まいも、選ばなければ、東南アジアまではいかなくても先進国の半分くらいで購入できます。

昨年父が亡くなりましたが、3,4年は病院を入ったり出たりしていました。
つらい言い方ですが、お年寄りがなくなるまでに少なくとも2~300万くらい,多い人で一千万円の医療保険が支払われるのではないでしょうか?

これから団塊の世代が鬼籍に入る時代です。

死ぬのに国の税金は大きく使われるのです。

そしてその老人が若者の3倍いるのです。

日本人は働き者だし、清潔だし、しかしこのような状況下で、国をよみがえらすのは、もはや一人一人の意志でしか復活はできません。

かならず来る大地震にもめげずに、日本のサムライ魂を毎日の生活を通して世界にアピールしましょう!


先週の土曜に池上某のニュースの解説で、なぜ日本が1000兆円の借金があるか?というテレビをやっていましたが、もんじゅに1兆円とか、再生燃料を運ぶのに、毎年10億円とか、ぜんぜん本質的な話をしていません。

この話は、1000万円の借金をしている人が、1万円の買い物をとがめられ、毎年1円無駄遣いをしていることを大きくとりあげているのと等しいものです。あまりに視聴者を馬鹿にしている放送でした。

しかも企業は儲かっているけど、みんな貯蓄に回すので、社員の給料には反映されない、という話です。それは大企業だけの話です。まあ公の電波の上で放送するのはこれが限界なのでしょう。

日本国内では、政府関連ビジネス、医療介護系、他シルバー産業以外ビジネスをすること自体厳しいです。

実際、内部留保がたまっているのは、大企業だけです。それは一重に円安効果です。


とにかく不景気を脱出することは、ビジネスを変える以外ありません。

日本の十分の一以下の賃金で生産する商品が、ユニクロと百円ショップの商品として、家の近くにいたるところにあるからです。

グローバル資本主義に入れない、その他大勢の日本人は、具体的にどのようなビジネスをすればよいのか?それは、人と人とつながることだと思います。

東南アジアではできない。グローバル資本主義が入り込めない、入る価値を認めない、ビジネス。ひとりでもできるビジネス。

それはその人の人生のステージを一つ上げるビジネス。資格をもって、一人でビジネスをして、そして、自分の経験とスキルでだれかの人生を変えてあげる。ITを活用して。マンツーマンで。

資格を取りたい人をとれるようにマンツーマンで導いてあげる。
化粧で見違えるようにキレイになるようにマンツーマンで導いてあげる。
10歳は若返るようにマンツーマンで導いてあげる。

SNSやメールを活用すればすぐにでもできます。

そういうビジネスこそ、これからの日本を元気にするビジネスだと思います。

そういうビジネスを働く人が、多く広がれば日本はよみがえります。

そういうビジネスを、メディアファイブも始めます。

2017年01月01日

あけましておめでとうございます!

2017年1月1日


あけましておめでとうございます。

今年ももよろしくお願いします。

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人生50余年が過ぎ、光陰矢の如しを実感しております。

会社も創業早25年となり、6年ぶりの主力商品プレミア6は、おかげ様で大きな反響をいただいております。


人は悲しいことや辛い記憶のほうが、強く記憶に残るものです。

思い起こせば、もっとも大きな出来事は一昨年の父の死でした。

やはり両親の片方が欠けることは、私の精神に大きな影響を及ぼしました。

さらに3.11、リーマンショック、9.11、阪神大震災なども大きな出来事でした。


うれしいことも、もちろん沢山ありました。

私の使命は、人々が、何かを学んで、そして、それが人々の人生や生活を豊かにする仕組みを作ることと思い、この三十年仕事をしてまいりました。


その願いはまだまだ、達成できておりません。


今年こそ、人生の目標を実現すべく邁進してまいります。


ことしも、メディアファイブをよろしくお願い申し上げます。

ところで話は変わりますが、正月休みは、家で、掃除をしたり、花をかざったり、本を読んだり、仕事をしたりしていました。


前から気になっていたことを一つしました。

それは、朝の連ドラで有名になった、マッサンことニッカの創業者竹鶴正孝が、晩年毎晩一瓶のんでたのが、ハイニッカだった、ということです。


日本のウイスキーづくりの創始者であるとともに、世界最高のウイスキーを作った天才が、なぜ、そんな安酒を飲んでいたのだろうか、と。


私も、学生時代、サントリーホワイトをワンダーフォーゲルブの山の仲間とさんざん飲んでいましたが、とてもいまでも飲みたいとは思いません。レッドに至ってはとても悪酔いするのだけ覚えています。


会社も終わった大晦日に酒屋にたまたまあったので、1000円で買ったのですが、720ミリリットルの大びんしかなく、こんな大きな瓶を買いたくないなあ、って思いつつ買いました。

その晩、オンザロックで飲んでみると、思いのほか、すごくおいしいのです。

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こんなに飲みやすく、マイルドでおいしいとは思いませんでした。

正月、オンザロックで半分以上飲んでしまいました。


なんで、こんな美味しくて安いウイスキーが売れないのだろうか、と商売の難しさを感じました。

やっぱり宣伝力は大きいのかなあ、と感じます。

ニッカは、確か草刈正雄がにこにこしながら大瓶のハイニッカを継いで回るコマーシャルでした。

サントリーのコマーシャルは、本当にうまい。

最近では井川遥、その前は小雪、最初は石川さゆりの、歌までヒットした「ウイスキーはお好きでしょ?」

子犬のCM、三宅一生のCM、田中裕子のCMなど、
実にウイスキーのターゲット層である30~50代に響く、ちょっとした恋心をくすぐるコマーシャルでした。

私は、大原麗子のコマーシャルが好きでした。

今年は広報宣伝を、もっともっと勉強したいと思います。

2017年08月19日

フーテンの寅さん

今年の正月、たまに放映されるお能を録画するために、ビデオデッキを買いました。

今は、スマフォで録画予約から再生までできます。

そんなことから、時間を持て余す電車の中で、スマフォでテレビの録画予約をします。

また録画したものを、スマフォやタブレットでベッドの中や、wifiのつながるところでちょくちょく見ています。

いままで、あまりテレビや映画を見る習慣がなかったので、世の中の有名な映画を結構みるようになりました。

なぜか、最近は渥美清のドラマ、ドキュメンタリー,男はつらいよなどがよく放映されています。

男はつらいよは,渥美清が死ぬまで、48本も作られました。

まさに国民的映画です。

大学浪人のころ、恒例のお正月のテレビ番組で、この寅さんを見て、はじめて組織に属さない自分を同化し、面白い中に、寂しさを感じたのを覚えています。

高度成長期から平成の初めまで、石原裕次郎や加山雄三などの青春路線,高倉健や菅原文太のアウトロー路線、森繁久彌やクレージーキャッツ、そして渥美清に代表されるお笑い路線と、国民的映画はこの三つ巴でありました。


急拡大する日本経済の中で、裕次郎や加山はスマートに成功するおしゃれな勝ち組,やはり経済成長を裏稼業で稼ぐアウトローに比べ,寅さんは不器用で、そういう経済成長から取り残される下町の、本当に日常にあるような可笑しくも、ちょっと寂しい人情劇です。


今日ある勝ち組のオピニオンリーダーが、ユーチューブで講義をしているのを見ましたが、100万人の頂点に立て,という話です。

でも、クラスでもなかなか一番になれないのに,会社でもなかなか一番になれないのに,100万人の頂点に立つなんて、ほぼ100パーセントできないですよね。


でもリスナーは元気になるそうです。これは、僕はまやかしだとおもいます。

ひとはなかなか勝ち組にはなれない。でも寅さんのようにはなれるかもって思います。

おとこはつらいよは、1969年からはじまり、渥美清がなくなる1995年までじつに26年続きました。

どんなに社会を一世風靡したように感じても、石原裕次郎の青春ものも、1957年から67年くらいまでの10年、高倉健の任侠ものも1963年から70年、菅原文太のトラック野郎にいたってはたった5年程度です。

男はつらいよに続くのは、1981年から2001年までのドラマ「北の国から」の20年でしょう。

ヒーローものより、一般の等身大の人の映画がスーパーロングランになるのでしょう。

先日、あるユーチューブに100万人に一人になれ、というある先生の啓蒙ビデオを見ましたが、100万人に1人になるには、100万分の1、つまり、不可能ということじゃない、と思いました。

そういう啓蒙のしかたはあまり賛成できません。

そういえば、高校生のころ、トルストイが、小説でも音楽でも劇でも英雄や王侯貴族の芸術は新の芸術じゃない、等身大の民衆のなかから出てくる芸術こそ、もっとも価値がある、ということを言っている芸術論を読んだことを思い出しました。

ああ、トルストイがいってるのは、フーテンの寅さんのことなんだ、と今思い至りました。

私も少しでも、そんな教材が作れたらいいな、って思う今日この頃です。

2018年02月12日

貧困家庭における教育問題と資本主義の終焉

先日、知人の紹介で、「私たちは子どもに何ができるのか」(英治出版)という本を読みました。

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この本は、米国内のボランティアで、貧困家庭の親の支援を10年くらいしている著者が、貧困家庭の教育問題をデータにもとづいて、指摘することが主題の著作物です。

しかし私は、相変わらず自己流の解釈から、この本を二つのテーマからとらえました。

一つは貧困の問題ともう一つはディープラーニングの問題。

貧困の問題は情報と金融が一握りの人に握られることによる資本主義の終焉へと向かう中での格差社会で、貧困層の増大とともに、攻撃的な反社会性の人間を増産し、やがては彼らが向こう見ずな暴動から資本主義の終焉へと向かうことの現実をはじめて実感した気分です。

著者は、貧困層の拡大は、豊かな感受性やクリエイティブな脳を作る、非認知的教育が損なわれる、と警告しています。そして科学的に分析しています。

最近NHKで「欲望の経済学」という番組やってて、欧米のノーベル賞級の経済学者が、みんなこれから資本主義が終わり共産主義に変わるって言ってて驚きました。

ほんとかなあ、インターネットと金融を握る、グローバル資本家は、かなり長い歴史を支配できるのでは、って考えていましたが、この本読んでわかりました。

なんたって米国の半分が貧困家庭ですから。その貧困が暴力革命を起こす戦士を製造するって話です。日本でも足立区や新宿区では三分の一が生活保護家庭だといいます。

そして、著者は貧困家庭で育った子供に、非認知教育をおこなうことで、反社会性の大人をつくることが防げる、と説いています。家庭を超えた、自律性、そして明確な目標設定を作って学習をするディープランニングなるものを提唱しています。

ただ、僕は、ディープラーニングの場合、所詮作り事の目標に対する学習ということより、実際の働きの中で、どう学習して生産性を上げていくか、という実践的な学習が本当の学習(ディープランニング)なのではないかなって思います。

僕はそれをITを使ってどう教育をするか、というのを至高の学習と究極の経営という二冊の本で書きました。資本主義を終焉させないためには、繰り返しの主張ですが、中間層の復活が必需です。

中間層は体制に従順です。しかし、貧困層は、体制に暴力的です。

ターミネーター4は2018年を舞台にしています。マトリクスにしてもターミネーターにしてもグローバル資本家が生み出した人工知能に、人間が支配される、という映画です。

こうなりたい、という人はいないとおもうけどなあ。


2023年07月01日

世界が大きく変わる時が来ました。OpenAIの登場!

世界が大きく変わる時が来ました。

江戸時代、蒸気機関が新橋横浜間で開通したのときと同じことが、
精神世界での起きたのです!

人が何時間も調べて、しかも最高の教育を受けて、何時間も何日もかけて、初めてまとめ上げることができる内容を、OpenAIはいとも簡単に、10秒足らずでまとめてしまいます。

もちろん平気で嘘もつきますから、ある程度の知識や正解かを確認できる能力は必要ですが。
昨日のメルマガで、以下のように書きました。

【AI時代の到来】
 ChatGPTの登場とこれから必要とされる人材と学習ChatGPTの登場は、情報検索からコミュニケーションまで、私たちの生活と働き方を大きく変えました。このAIの力を個々がいかに活用できるかが、今後のキャリアやビジネス成功の鍵となります。

【世界が変わる】
 ChatGPTは、複雑な問いに対して人間のように答え、大量の情報を効率的に分析する能力を持っています。これにより、情報を得る時間が大幅に短縮され、私たちがより重要な意思決定に集中できるようになりました。未来はAIと人間が協働する世界です。

【求められる人材】
 ChatGPTのようなAIと協働できるスキルは、これからの人材にとって必須となります。特に、AIの出力を分析し、適切な判断を下すことができる「クリティカルシンキング」、AIとの円滑なコミュニケーションを取る「デジタルリテラシー」、そしてAIがまだ対応できないクリエイティブな思考力はますます重要となります。

【必要とされる学習】
 そして、この新しい時代に適応するための学習方法も変化します。情報の詰め込み式教育から、自己学習力と問題解決力を伸ばす教育へとシフトする必要があります。AIが情報を提供し、人間がそれをもとに深く考える。そんな学び方が求められます。


実はこの文章も、ChatGPTをベースにしています。

私は、35年間、シンクタンクと起業したメディアファイブで、いかに知=ナレッジを素晴らしく展開できるシステムを作ることを追求してきました。

そして、まさに、言いたいことを、一瞬で表示するこのChatGPTには、ほんとに驚かされます。

私は、35年間、このChatGPTをいままで作り上げてきたラーニングスケルトンAIというシステムに組み込むことで、大まかな人生における仕事の完成と感じております。

あと人生に残される仕事は、このシステムを一人でも多くの人にその良さを知っていただき、使ってよろこんでいただくことだと思います。

個人向けはこちら
https://www.media-5.co.jp/hp/ls_personal/index.html
小中学校はこちら
https://www.media-5.co.jp/hp/products/class/class_2/giga_school.html
高校、大学、社会人、法人はこちら
https://www.media-5.co.jp/hp/learningskeleton/koukou/index.html

私は、すでにラーニングスケルトンAIを、学校向け商品としてだけでなく、自分の仕事のツールとしても片時も手放せません。
今、多くのお客様の問い合わせが来てるのですが、私ひとりで、お客様にあったご提案をラーニングスケルトンAIを活用してご提案しています。

みなさんもぜひお試しください。

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