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2010年04月 アーカイブ

2010年04月01日

いかに内需拡大をするか 個人の仕事多角化が決め手 需要コモディティ作戦

今、日本の雇用情勢は、大変深刻です。内需があまりに縮小しているのです。海外に目を向ければ、先端技術は欧米にリードされ、中国韓国に追いつかれ、単純な製造物も中国をはじめアジア諸国に価格競争で敗れ、にもかかわらず為替は円高を推移し、輸入は増加し、国内はデフレスパイラルから抜け出せない。国内ではあきらめムードが蔓延し、国民の活力は沈静化し、国には頼れず、地方は疲弊し、多くの国民が不安と閉塞状況のなかで暮らしていると思います。

昨年9月に政権交代した民主党は、コンクリートから人へ、そして内需拡大をスローガンにこの不況の脱出を最重点の政策課題にしてきましたが、支持率は低下する一方です。

その政策の方向性は正しいと思いますが、ただ政府が旗を振るだけではこの不況を脱出できません。国民が自信とやる気を取り戻さなければならないのです。現状は、多くの国民が、どう生活し、どう生きていけばよいのかがまったくわからない状況なのです。

多くのエリートがこの景気の問題を、人口減少問題に結びつけます。しかしこれはあまりに大ざっぱな言い訳にしか過ぎません。近現代で、圧倒的に国力で世界を凌駕したイギリスとアメリカは、人口が多いから発展したわけではありません。いち早く産業のイノベーションをおこなったから国力が拡大したのです。以下はポールケネディの大国の興亡から引用したものです。

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次に平成21年度総務省発表の情報白書で、先進国の情報資本推移の国際比較です。

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この図は1995年を基準とした情報投資の拡大状況です。一慨に前図の、一人当たりの工業化と比較することはできませんが、これを見れば、いかに日本の情報投資が進んでいないかわかります。つまり、今日の日本は、近代史において革命で倒されたロシアと近い状況だったのです。人口の増加が、国の発展を促すのではありません。産業のイノベーションの進捗スピードが国力を拡大させるのです。より早く知価社会を実現することが国力を拡大させるのです。もちろんそのために日本は教育や企業の現場でイノベーションを起こさなければなりません。

しかし需要のないところに情報投資はできません。どのように需要をつくるか。それこそサービス産業の質的、量的変化、拡大しかないのです。国民一人一人のスペシャリスト化、IT活用の高度化が必要なのです。今、日本で一番欠落しているのはそこだと思います。これだけ経済規模が大きいのに、サービス産業の市場が活性化されていないのです。これは国がリードしてできるものではありません。いかに国民がやる気を出して、今の自分の行き詰まりを突破し、個人個人のビジネススタイルを確立させるか、だと思います。小泉政権の時の派遣法の改正は、労働者が、失業しても安易に派遣社員として食べていけるようになったので、目先の失業率は改善しても、産業のイノベーションは進歩しなかったのです。そのつけがリーマンショックで一気に問題化したのです。

とにかく派遣社員の正規雇用を今おこなうのは難しい。だとすれば、今までの技術や資格をとって、派遣社員同士でITを活用して手を組み、新しいサービスを自分たちの手で行うほうがよい。これは前のブログでお話したことなので、省きますが。(なぜ今ナナミなのかをご高覧ください)

そういう社会の実現に向けて、私はここで具体的なご提案をさせていただきたいと存じます。それは、みんなが都市への一極集中するのではなく、日本中に自分が稼げるビジネスを探せばよいのです。

当社も、スタッフ募集を時々行うのですが、おかげさまで多くの方の応募があります。しかし存念ながら、当社も余裕はあるわけではないので、現在、目先の問題でどうしても必要と思われる人材のみの採用となり、履歴書や自己PRを見て、時期が変われば一緒に仕事をさせていただきたいのに、と思われる才能や技術を持った方々が数多くいます。

そういう方々にも是非お伝えしたいのは、従来と同じパターンで就職活動しても苦労するばかり、ということです。経済は日々刻々と変わります。現在の経済状況を見れば、ひとつの仕事で豊かな生活ができるような仕事はなかなかどこをさがしても見つからないでしょう。しかし一月5万円の仕事を4つすれば、なんとか食べていくことはできるのです。

また少し、余裕ができれば、今なら小さな小屋くらいだったら、自動車を買うお金くらいで、ローンで田舎にセカンドハウスを購入することが可能です。先日宮古島へいってきたのですが、そうやってダイビングショップを宮古島で経営されている方にお会いしました。次のブログでご紹介します。

また、そこで小さな畑を耕し、おいしい農作物がとれれば、それをインターネットで販売することも可能です。将来、万が一、日本経済が破綻すればハイパーインフレになり、家族の食物を確保するためにもリスクヘッジになるでしょう。
せっかく当社に応募していただいた方には、当社の事業マッチングサイトをご用意してありますので、是非そちらへ応募していただければ、と存じます。可能な限りのバックアップをいたします。

当社も今、現在は普通の会社の体をなしていますが、将来的には社員と外部の方たちとの垣根を低くしていきたいと考えております。そのシステムこそが、現在売り出し中のシステム人材育成グループウエア「則天」なのです。「則天」はあらゆる角度から、社員ひとりひとりがチームや組織のシナジーを活用して利益をたたき出すか、ということを主眼に開発したものです。会社に実質的利益を出していれば、どういう形態で働いても、会社にこなくてもかまわないはずです。

つまり、日本の情報化への産業イノベーションのを進ませるには、会社はひとつ、仕事はもひとつ、という個人の考え方がかわり、会社自体も9時から5時までの勤務で働く、という意識を変えることが必要なのです。そしてそれを実現する道具がITなのです。

当社に応募してくる方たちの多くが、転職回数が多いのです。その理由の多くは職場の人間関係でしょう。とくにいじわるな古株の社員がいると、とたんにモチベーションは下がります。私も以前つとめていた会社で上司と折り合いが悪く、苦労した経験があります。

なぜ人は人をいじめるのでしょうか。それは、「いじめ」が権力維持の道具だからです。だから能力のない人間、コンプレックスの多いにんげん、頭の悪い出世できない人間が無冠の自分の権力を維持するために「いじめ」をおこなうのです。

しかしそれは、大変な人材の能力の損失です。その解決方法は、そういう「権力維持装置」を取り上げてしまえばよいのです。よく古株の頭の悪い人はITを入れると、「情」がなくなって職場が無味乾燥になる、といいます。そういう奴に限って「いじめ」や「セクハラ」や感情的問題を職場で起こします。

職場は利益がからむので、どうしても感情的になりがちです。だからこそシステマティックにするほうが社員にとってもよいのです。

ましてや他人同士で仕事をするには、とくに利益配分に関しては、システマティックにしないと、感情的問題がでてきます。

だから当社の則天を使いましょう。そういうところを開発主眼においた、現存する唯一のシステムなのです。ネット上でクラウドで気軽に使えます。

初期導入は無料です。


いかに内需拡大をするか2 宮古島旅行記

(ひとつ下のブログ「いかに内需を拡大するか」の続きです。そちらからお読みください)
先日、ひょんなことから、宮古島に行きました。私にとって外的なきっかけがなければ、宮古島へ行く、という発想さえありえませんでした。簡単に言えば、ショッピングセンターの景品に当たったのです。正確に言えば、辞退者が出たので、繰り上げ当選になったのです。恥ずかしいことに宮古島がどこにあるのさえ知らなかったのです。しかしいざいってみると、あまり観光地化されておらず、とても素朴で良い所でした。

宮古島自体はサンゴでできており、白いサンゴ礁の砂浜にエメラルドグリーンの砂浜はとても美しいところだったのです。

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産業はほとんどサトウキビとたばこの葉だそうで、サトウキビは収穫すると一反15万円、たばこは一反45万円だそうです。(1反=991.74m²すなわちおよそ三〇〇坪くらい。古代では1石を一反とした)二倍以上の開きがあるため、たばこは若い人もおこなうのですが、サトウキビは跡継ぎがいないそうです。漁師などの兼業が多いそうです。製糖工場も収穫時のみ稼働する、とのことでした。ですからあと産業といえるのは観光です。この島は川がないため、海は東洋一きれい、とのことで、ダイビングなども盛んです。

また宮古島はトライアスロンの開催地として有名です。今年も4月に開催されるそうです。泊まったホテルの前の前浜ビーチがトライアスロンのスタート地点で、以前テレビで見たことがありました。夜、ホテルのテラスから眺めると、月の光が海を照らし、沖の海面が銀色に輝きとても幻想的でした。

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二日目はあまりに海がきれい、とのことで、体験ダイビングをしました。いままでダイビングをしたことがなかったのです。ダイビングショップはいろいろあるのですが、池間地区が特にきれいである、とバスガイドさんが話していたことと、初心者にはフルフェイスマスクがよい、とのことであることと、グーグル検索でスポンサーサイトにまで掲載されていることからそのショップを選びました。ショップの人が車でホテルに迎えに来てくれて、20分でその池間地区にいきました。

本当は干潮八重という小さなサンゴ礁のあつまりみたいなところに行くはずだったのですが、あいにくその日は天気が悪く、ちかくのダイブポイントにいきました。それでも波は高く、昨日とは打って変わり、雨もちらつき、波もたかく、小さなダイブボートはスピードを上げるたびに舟の揺れは激しくなり、水しぶきをかぶり、ダイブポイントに着くころには、着ていたウエットスーツはずぶぬれになっていました。他のダイブポイントは天候が荒れると、潜れないのですが、この店はそれでも潜れる、とっておきのポイントがあるのです。それはなんと船で行っても、住宅の見えるポイントでした。

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エアボンベをつけ海に入っていくと、2,3メートルくらいから、耳がだんだん痛くなりました。耳抜きをしろ、とインストラクターはいうのですが、いくら鼻をつまんでも耳の痛みはとれず、ものすごい頭痛に見舞われました。やっとのことで慣れると、そこにはファイティングニモの世界が繰り広げられていました。

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(ダイビング中は写真は撮れないので、次の日、観光船のガラス張りの船底の撮影でダイビングの雰囲気を紹介)

宮古島には70件のダイビング教室があり、みな個人で行っていて、助手を募集してもなかなか応募がない、とのことでした。そのインストラクターも個人営業をされているのですが、10年前、フリーターとして宮古島に訪れて、ダイビングのライセンスをとり、3年くらいダイブショップの手伝いをしながら、独立してまずダイビング船を買い、3年前に100坪の土地に一階はダイブショップ、二階を自宅に家を建て、今は奥さんと二人暮らしだそうです。順調に売上げも伸び、今年、今より大型の船を購入し、4月にはその船を使えるそうです。

帰りにまたホテルまで送ってくれたのですが、通りすがりの風景のなかで、介護施設が目につきました。老後をこんな暖かいところで過ごしたい夫婦は多いのではないでしょうか。ただ夫婦で入所する場合はいいけれど、ひとりになると親族が気軽に来ることができなくなるとさびしいので、夫婦で暮らせる間に限定されるかもしれません。

税法上、都会で払った税金を地方で使う、という点も問題になるかもしれません。東京都のように自治体同士の契約も必要でしょう。そういう問題点をクリアしていけば、宮古島の介護事業は発展すると思いました。

宮古島はもちろん定職という意味では就職は難しいでしょう。どこへ行っても、ひとつのビジネスだけで食べていくことが難しいのです。

そこでご提案なのですが、個人でもたとえばダイビングのサポートをしながら、ダイビングのライセンスをとり、またたとえば午前中は社会保険福祉士や介護福祉士、ケアマネージャーの資格を取得して介護の仕事に携わる。

この島には一泊二食980円で泊まれる宿もあり、ニート、フリーターの人にはとても良い環境なのではないでしょうか。手持ち10万円もあれば仕事が全くなくても3ヶ月は暮らせる。いよいよお金がなくなったら、洞窟でくらして(宮古には洞窟がたくさんあります)魚をとれば餓死しない。最悪そこまでいかないでアルバイトで食べれるでしょう。

またある時は商業施設の電気工事に必要な電気主任技術者をとったり、これだけ温かく住みやすいのに、土地は格安で、セカンドハウスや老後などにいいので宅建をとって不動産ビジネスもいいかもしれません。

旅行業務取扱主任をとって小さなツアー会社をホームページ上で作り、自分ならではのツアーを企画するのもおもしろいかもしれません。おもしろいツアーを企画するには、その土地の歴史をうまく演出して物語を取り込むことも重要です。人の生きるストーリーが最も説得力があるからです。

宮古島の歴史は1390年ごろから記録が残っています。14世紀中旬ごろ、佐多大人を首領とする与那覇原軍団は兵千名をひきいて、各村を攻略していったが、目黒盛豊見親との戦いで一敗地にまみれ、四散しました。そのなかで真佐久という人が、重傷を負い、北東部の与那原に隠棲していたところ、沖縄本島の首里王国から明国への朝貢船が流れ着き、その船乗りに琉球の様子を聞きました。そして真佐久は首里王国に助けを借りて、宮古島を統一しようと考え、琉球に渡りました。琉球王はそれを受け入れ、兵3千をもって宮古島を統一し、真佐久は宮古の首長を任命してもらったのです。親亀、子亀、孫亀のようなストーリーです。

1609年、薩摩は兵3000を率いて琉球に上陸し、兵4000の琉球軍に勝ち、琉球の首都、首里城に入城した。征服に伴い、宮古島は琉球の出島になりました。

1771年の明和の大津波では2500人以上の人が亡くなり、1871年には宮古島島民の船4隻が遭難し、台湾に漂着し、54人の島民が台湾の山地人に惨殺され、西郷従道の台湾征討につながりました。

反対に1783年宮古島南岸上野村でドイツ商船が座礁すると、宮古の島民はこれを手厚く保護し、後に時のドイツ皇帝ヴィルヘルム1世は軍艦を宮古島に立ち寄らせ、感謝の石碑を遭難現場にたてました。そこが今うえのドイツ村という観光スポットになっているのです。うえのドイツ村はまさに歴史から観光スポットになった、具体例といえるでしょう。ただドイツ風の建物を数多くつくり、箱物中心であるので、コストがかかり、バブル期に作った観光スポットであり、今はそのようなことはできないでしょう。


戦争や政治の物語ばかりだけでなく、悲恋の物語もあり、東平安名岬に絶世の美女マムヤの墓というのがあります。いつの時代かはわかりませんが、マムヤという娘が住んでいました。あまりの美貌から男たちに言い寄られ、それがうっとうしいので、洞窟に隠れて機を織っていました。そのころ城辺地区を統治していた豪族、崎山の坊という人がマムヤを見つけ出し、妻子がいるにもかかわらず、それを隠して、強引に妻にしてしまいました。ところが妻子がいるのが発覚し、マムヤは崎山の坊にどちらを選ぶかただしたところ、彼は妻子を選び、マムヤは絶望して東平安名岬の断崖絶壁から海に飛び込んだ、という話です。

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とにかくこのグローバル化の時代に、国内に目を向ける人が減少しているように思います。もちろん外国と交渉できる能力のある人はどんどん外国に行くべきでしょう。しかしよくよく聞いてみると、なかなか中小企業の人でも個人でも外国でお金儲けを成功させた話はあまり聞きません。繰り返しになりますが、就職活動にいたずらに時間をかけるより、様々な地方をまわって土地の人とふれあい、そこでのビジネスを模索するほうが現実的に収入につながるのではないでしょうか。

そうそう、インターネット付きのノートパソコンは購入しなければなりませんが。これは今ならネット加入込みで、タダで購入できます。そして当社のナナミシリーズを旅の道ずれに連れて行きましょう。

最後にまたアピールになりますが、もしみなさんが宮古島でこのように暮らしたら、まず当社の歴史ネットゲーム「NextRevolution」( http://history-quiz.next-rev.com/ )でみなさんなりのご当地の歴史や観光を紹介していただき、ビジネスマッチング( http://bmp.next-rev.com/ )でツアー紹介や産物の販売、自己PRをしてください。

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