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海外 アーカイブ

2007年09月17日

シアトル雑感

 今年5月、マイクロソフト様のご招待でシアトルに行かせていただきました。行きの機内ではなるべく寝ていくつもりだったのですが、自社の「3週間で英語スラスラ」を夢中でやっていたら、時間を忘れ、ほとんど寝られませんでした。3時間では、英語スラスラにはなかなかなりません。でもなかなかいいソフトですよ。

 到着後は、私のような時差ボケ症状を慮ってか、市内視察という粋なスケジュールでした。最初の視察はボーイングの元本社に隣接する航空博物館で、いきなりその過激さ、迫力に面食らいました。ポールケネディの「大国の興亡」を思い出しました。

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(航空博物館)

 1783年独立戦争で勝利したアメリカは、その肥沃な農地と工業で都市が急成長し、賃金は19世紀に入ると西ヨーロッパの3割も高くなり、移民が殺到し、1816年に850万人の人口が1860年には3140万人まで膨れ上がりました。そして20世紀に入るとダントツで世界最大の工業国に躍り出ました。さらに1861年〜1865年の南北戦争で急激に軍事大国へと変身していきました。材木会社を経営していたW.ボーイングが海軍技師ウェスターバレットと作った飛行機会社がボーイングです。どおりで初期の工場は製材所を思わせます。

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 太平洋戦争においては、空軍があるかないかが、日本軍と米軍の戦場の現場で大きな違いとなったようです。そういう意味ではアメリカの繁栄の武器となる、20世紀初頭のボーイングと20世紀後半に設立されたマイクロソフトがともにシアトルにあることは、偶然の一致としては趣き深く感じました。

 さらに面白いのは、博物館の前に妙な合金の塊が大事そうにモニュメントとして飾ってあり、これは日本の三菱とボーイング社で共同開発した合金だそうです。これがつい何日か前に、日本で完成し、シアトルに運ばれ、地元の新聞ではこの合金と日本の技術の賞賛とに6面をさいて特集したそうです。シアトルという街はなぜか職人的なものに敬意を払っているようです。

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 シアトルは大正時代まで、日本人街がありました。というより、シアトルは日本人が作った街でもあるそうです。それが大正から昭和にかけて、移民法が制定され、日本人はシアトルから追い出されてしまいました。日本人の米国への反感はこのとき、大きく顕在化されたそうです。

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(日本人がつくったマーケット)

 明治天皇はサンフランシスコ大地震のとき、かなり多額の私財を、地震の救済のために米国に寄付しました。逆に、関東大震災のとき、米国はさらに多額の寄付を日本にしました。このようなやりとりがあるにもかかわらず、移民法の制定は日米の関係を一途に悪化させました。

 われわれは、相手の国を見るとき、人と同じように、単純化された関係でその国を見ます。しかし、当然のことながら国は多くの人の意思や利益で成り立っているのです。自分たちの国との関係も単純な見方は、正しいものではないでしょう。国を擬人化すること自体危険なことなのかもしれません。

 話を戻します。航空博物館に圧倒されつつシアトル市内に入りました。シアトルは趣のある古い町で、緯度も高いせいかヨーロッパを思わせます。中心街以外は木の高さ以上のビルをつくることを禁じており、また循環社会を標榜していて、この落ち着いた美しい街は本当にアメリカの余裕を感じさせるところでした。白人居住率も70%を超え、アメリカでもっとも白人の割合が多い街だそうです。この街がアメリカのめざす理想の未来都市なのかもしれません。しかしこの静かな、美しいなかに秘められている圧倒的なスケールとパワーは、この博物館に代表される、世界最大の軍事力を背景に、全世界の主導権を握り、全世界を下請け工場と市場にしているアメリカならではの余裕でしょう。

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(シアトル中心部)

 シアトルの中心街でステーキを食べ(時差ボケにはステーキがよいそうです。)ワシントン湖のクルーズに行きました。ここの湖畔にはマイクロソフトのビル・ゲイツをはじめ、アマゾンのジェフ・ベソスなど世界的な富豪の邸宅が並んでいます。「風と共に去りぬ」に出てくるような邸宅が小さく見えるくらい、豪邸が並び、当たり前のようにクルーザーとか水上飛行機とかが置かれていました。

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(クルーザーがあたりまえな豪邸群)

 その後、シアトル郊外のマイクロソフト本社に行きました。ここは「キャンパス」と呼ばれ、木の高さ以上の建物を建ててはならず、なんとマイクロソフトは3階建てのオフィスが200棟近く建っているそうです。一見大学の構内に見えるので通称キャンパスと呼ばれるのです。ここに世界中から優秀な技術者が集まってくるのだから、あらゆるソフトはここで開発が可能なのではと思いました。

 今回の出張のテーマは、いかにマイクロソフトのサードパーティーとしてビジネスができるか、というものでした。マイクロソフトの方向性は「インフラ」です。OSをはじめ、ワープロや表計算、データベースなど汎用的なアプリケーションやソフトはマイクロソフトが作る。日本のソフトベンダーはそれと共存したニッチ、たとえば業種特化したものを作ってください、ということなのです。それが、いかにアメリカという巨大国家と共存して日本が生きるか、ということとリンクしていて大変考えさせられるものでした。

 アメリカは航空博物館に象徴されるように、強大な軍事力を背景に基幹ビジネスを展開していきます。ソフト業界も世界情勢も当分この状況を変えられるものではありません。日本のIT業界は「浮利は追わず」で、地域に根ざし、自分たちが普通に暮らしていけるだけの利益をめざしてビジネスをしていけば、アメリカやアメリカの企業と競争する必要はないのです。そしてそれこそニッチなビジネスを、極めれば、それを世界中に紹介していけばよいのです。

 「浮利は追わず」はもともと住友家の家訓なのですが、お金というものは、汗を流した仕事にしか集まらないのではないでしょうか。ちょうど私が会社を興したころ、一代で会社を上場させた社長さんからお聞きしました。「自分の成功は人のやらないところをやったからだと思う。3K。つまり、きつい、きたない、きけんな仕事に取り組んだからだ」。

 そんなことを思い出した出張でした。

2007年09月19日

高田屋嘉兵衛とシリコンバレー

もう、何年も前の話です。北海道出張で函館に行ったときのこと。帰りの列車までまだ時間があったので、元町のバカラ美術館に行きました。場所がわからずうろうろしていると、高田屋嘉兵衛資料館というのがありました。この名前は聞いたことがある程度で、「おろしや黒務箪」という緒方拳さんの映画があったかなあ、という程度。あまり関心はなかったがバカラ美術館の場所を聞けると思い、入ってみました。ところが高田屋嘉兵衛なる人は江戸時代最大の商人で、幕府のお取りつぶしに遭った時には1200万両蓄財していたということでした。これは現代で換算すると国家予算の4分の1だそうで、江戸三大豪商のひとり銭屋五兵衛でも300万両だからいかにすごいか、ということです。

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(小樽にしん御殿より湾を望む。昔ここににしんを追い込んで漁をしました。高田屋嘉兵衛も海産物の貿易で巨万の富を作りました。)

この人が歴史で有名になったのは、1800年初頭、ロシアの軍艦が日本に漂着し、その乗組員が函館にある松島藩に2年にわたり幽閉された、「ゴローニン事件」です。ロシアは日本に対して武力で乗組員の奪還をはかろうとしたが、たまたま函館沖で高田嘉兵衛がロシア海軍に拉致され、その事情を知り、幕府に掛け合い、ロシアの乗組員の解放に成功しました。

これは日本とロシアの戦争を回避することにもつながり、もしこのとき戦争をしていたら、当時のロシア帝国はもっとも隆盛を誇っていた時期でもあり、日本は占領されていた公算が大きいようです。にもかかわらず、高田嘉兵衛は、その家を幕府に取りつぶされました。その死後であったのがせめてもの救いです。あまりに強大になったからです。江戸時代、大商人はみな取りつぶされました。淀屋橋で有名な淀屋、銭屋、高田嘉兵衛、紀伊国屋文左衛門などなど。三井、住友は徹底的に質素な暮らしと、幕府への献納で現代まで生き延びましたが、これは奇跡に近いそうです。

思えば士農工商どの家にも四書五経が置いてあり、国民の7割が字を読めました。こんな国家は世界中なく、大変優れた国家であったのは疑いありません。しかし隆盛を誇った企業をつぶすという愚挙は江戸幕府の寿命を大きく縮めたと思います。経済は信用で成り立っています。それなのに、商人が儲かると、幕府が難癖つけて店をつぶす、ということは、経済自体を破壊しているわけです。その場では膨大なお金が直接入るでしょうが、ひとつの経済のポンプをつぶすことにより、お金の流れは何倍もの勢いをなくします。

江戸時代の役人は現代の役人と通じるものがあります。企業と国家の問題は大変重要な政治問題でもあります。アメリカは強い政府という印象を与えながらも、企業の売り込みまで政府がおこないます。むしろ企業が主で国家が従であるという印象すらあります。日本は官主導で、国家予算を補助金や受注としてうまく取り込める企業が成長してきました。建設、医療、教育、通信、米をはじめとする食品、農業などなど・・・。

そういう意味では、戦後から高度成長までは、ほんとうに巧く経済が成長していったのだと思います。そして世界第2位の経済大国になったことはもちろん有史以来はじめてでしょう。江戸時代の経済政策とは雲泥の差です。江戸時代は、せっかく戦国時代を経て安定した政治や開墾の奨励で大幅に生産高を上げたのに、中期以降は農民の締め付けで、貧農といわれる人を多く生み、彼らは農業を捨てるようになり、大幅に生産高は減少していきました。それに比べ、戦後の復興計画は、満州での15年にわたる国土建設の体験をもとに国土計画を立て、着実に経済復興を遂げました。

オイルショックを乗り越え、円高不況を乗り越え、80年代後半に入ると、経済成長は成熟期のいきづまりを打破できなくなりました。そこでバブルというマジックで好景気をつくり、バブルがはじけ、未曾有の不良債権が発生しました。そのいきづまりを打破するために、構造改革がおこなわれ、戦後日本のビジネスの構造は一変されてしまいました。
どう変わったか、というと、より自由競争が活発化されたのです。

これからは本当に企業経営を真剣に考えなければなりません。実は今、サンフランシスコに来ています。ドリームフォース07というイベントの視察です。これはgoogleに次ぐ成長を遂げているセールスフォースというIT会社が主催しているイベントです。日本ではまだなじみは薄いのですが、ネット上でシステムを利用するSaas(Software as a Service)というビジネスモデルの大成功例です。ネット上でシステムを改良していくので、システム上の工夫をどんどんできることが特徴です。このイベントに参加するには一人500ドル、ブースに出展するには日本の実に10倍の金額にかかわらず、5000人以上の人が世界中から集まり、300社のサードパーティが出展しました。

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(ツインピークスよりサンフランシスコを望む)
今、世界中で経営革新に経営者やリーダーは注目しているのです。より自由化された市場では、個人や企業のイノベーションは必須です。特にいかにもアメリカらしくマーケティングのツールが多く出展されていました。

当社も「NextRevolution」というSaas型経営支援ツールを開発したので、先行しているアメリカの状況を把握するのが視察の主目的でした。当社のシステムは、個人の生産性が企業内でいかにあがっているかをリアルタイムに把握でき、そのために個人はいかに組織を有効に活用し仕事を工夫して生産性をあげるか、という人材開発のツールなのですが、このようなものはまだ世界中にはないようです。まさにジャパニーズマネジメントシステムなのです。

もともとサンフランシスコは、小さな漁村だったところに、1848年に金鉱脈が発見され、
世界中の人が押し寄せ、金鉱脈だけでなく、ジーパンのリーバイスなど発掘する道具や衣類の産業も大きく栄えたそうです。また稼いだ金の保管などで、銀行も栄えたそうです。現在は近郊にシリコンバレーがあり、まさにゴールドラッシュならぬITラッシュとなっているわけです。

日本企業もビジネスマンも、早くビジネスツールの工夫に関心を持たないと、世界中に遅れをとることになるのではないでしょうか。10年前、米国コムデックスのイベントの時には、日本とアメリカのITの進歩の距離はそれほど離れていない気がしました(市場規模という点では離れていましたが)。しかし、今、アメリカともヨーロッパとも大きく距離が開けられたように感じます。とくに企業でも個人でも学校でも、お客様の意識という視点で。そういう意味では、明治維新のとき同様、海外視察は大変重要な行為になってしまったのかもしれません。こんなにも情報が発達したにもかかわらず。

日本ではITはもしかして必要ない、と思っている人も多いのではないでしょうか。
私たちメディアファイブは、企業はもとより、ビジネスマン個人の方々にも、学校関係者の方々にも、今年リタイアする個人の方々にもビジネスイノベーションを一緒に考え、お手伝いさせていただきたいと思います。近々そういうサイトを作成する予定です。是非皆様もご参加ください。

ジョージ・ルーカスと教育

サンフランシスコに来て今日で4日目です。昨日、ジョージ・ルーカスが講演しました。講演内容は意外にも「教育」でした。彼はジョージ・ルーカス教育ファンドというものを作っていて、いろいろな活動をしています。その観点は次の5つです。

1.子供たちに、プロジェクトを立て、それにそって実行する能力をつけさせる。
2.組織やチームでコラボレーションする能力を身につけさせる。
3.学校で学ぶ理由、社会のなかでどのようにその学問が役立つかを認識させる。
4.学校現場の先生にどうしたら教育のイノベーションをしていただけるか。
5.家族や友達との関係を学ぶ。

この5つの観点から、ITを使って教育のイノベーションを行う、ということです。今までの歴史上の人たちを全員よみがえらせても、現代の人数の5%にしかならない。(20世紀に入り、天文学的に人口が急増した、ということ)そんな環境の激変するなかで200年前と同じような教育をおこなっていたらだめだ、といいます。

1については、社会において物ごとを実行するには計画を立て、それにそって実行することです。それを子供のうちから学ぶことは、社会でもっとも基本的なことだそうです。
2は、社会に出れば、組織やチームで協力しあうことによって、仕事を成功させることができます。ところがペーパーテストで他人に勝つことしかしない現在の学校教育は問題が大きいことを指摘します。
3の「学校で学ぶ理由」では、宇宙ロケットの仕事をしたいなのなら微分が必要になるし、ファンドマネージャーなら、映画をつくるなら何が必要か、というように、
社会の仕事や現象からその学問を教えることにより、その学問を学ぶ意義を伝えることができる、といいます。
4の、どうしたら教師にITを使ったイノベーションの理解を得るか。ルーカスは自分の学生時代の経験や視点を思い出し、教師に語って聞かせるそうです。
5は、1と同様、家庭での教育も大変重要であり、親、兄弟との関係、それから友達との関係も学ぶ必要があるということです。

最後に、ルーカスは、人が生活し、子供を育て、普通に生きる以上のお金は、人を幸せにしない、といいます。pleasure(快楽)とjoy(喜び)の違いを認識してほしい。pleasureは利己的で、一時的な喜びであるのに対し、joyは永久に残るものだ、と。

とてもすばらしい講演でした。私もまったく同感です。ルーカスの掲げた5つのコンセプトは、おこがましい言い方で恐縮ですが、メディアファイブの開発方針とぴったり一致しています。

まず私は本当に記憶力が悪く、いかに記憶を苦痛なく、確実にできるか、という観点でエデュカートリッジシステムを開発しました。そして自分なりに学習内容を整理するために編集機能をつけ、携帯電話やI-podとの連携に努めました。そしてプロジェクト管理やチームをコラボレーションするグループウエアも作りました。当社のe-Learningは任天堂のwiiでも利用できます。そして今年、家族で使えるグループウエアも開発します。さらに社会の必要性、という観点からコンテンツ開発をおこなっております。家族の絆を深めるファミリーナレッジも開発中です。

なによりもお金に関する考え方には同感です。お金を余分に持つ人は、そのお金を社会に再配分する責任を負っているのです。企業経営者は投資を的確に行い、社員に的確に配分し、さらに成功をおさめ余剰のお金ができたら、社会に対し再配分する義務を負っていると思います。

米国社会は9割の富を1割の人が独占している、といいます。
その1割の人が、ベンチャーに資金を提供して、新しいビジネスが始まります。
そして圧倒的な軍事的優位と、ほぼ世界共通語となる英語をもって世界中に市場を広げることができ、成功するベンチャー企業はあっという間に大企業に変身するのです。
成功して余剰資金ができれば、教育を中心に社会奉仕をおこないます。米国では特に教育に対する奉仕は徹底しています。

今日、米国は、個人も企業も社会のイノベーションが加速度的に進んでいるようです。Saas(Software as a Service)のビジネスは、それを進めさせる重要なツールなのです。日本において、システムを改良するのは大変お金のかかるものです。しかしインターネット上でおこなうサービスならば、常に低価格で改良が行われ,しかもそのアイデアをほかの企業でも活用できる、ということです。それにより、企業におけるシステムの改良スピードが加速します。もちろん米国といえどもシリコンバレーのあるサンフランシスコが特別、というのはあるでしょう。10年前、コムデックスUSAという当時米国最大のPCの展示会に行きましたが、そのときは日本と米国との格差をそれほど感じませんでした。しかし、今回、そのイノベーションに対する意識において、日本企業と米国企業は圧倒的な差を感じました。そのことについては、また書きます。

とにかく昨日は、また崇敬できる賢人を一人みつけたことに大きな喜びを感じた1日でした。

2008年02月12日

日本とイギリス

仕事の上で、あるいは生きていく上で、様々な考察が必要ですが、その考察を深める、もしくはより正しい方向に導くためには、ベンチマーク(比較検討)という手法が良く用いられます。僕の場合、時代では、現代と南北朝。地理的には日本とイギリスです。

日本とイギリスはとてもよく似ています。太平洋の東端にある日本。大西洋の東端にあるイギリス。人口の増加率もほぼ同じだといいます。

そもそも国家の成立からして似ています。日本は、弥生時代もしくは大和政権自体が大陸から、九州から東北地方までを征服していったことです。イギリスは1066年ノルマンディー公ウイリアムにより、征服されました。

しかも1000年以上も続いた皇室が現代も存在している点も似ています。この皇室が中世に、二家に分かれて、半世紀以上も争ったのも同じです。日本では南北朝(大覚寺統と持明院統)、イギリスでは赤バラ白バラ(ランカスター王家とヨーク王家)。
そしてその詳細は、日本では「太平記」「増鏡」「神皇正統記」と言う名著が残り、イギリスではシェイクスピアの歴史劇として残っています。

日本における南北朝時代は1333年後醍醐天皇が北条氏を倒したときからはじまり、足利義満の時代両朝の統一の1392年までの約60年間、1467年から1477年の応仁の乱など戦乱の日々がつづきました。

イギリスでは1337年から1453年までの1世紀以上、フランスとの間で百年戦争がおこり1455年から1485年にイギリスの内乱であるばら戦争がおきました。

日本における南北朝は大覚寺統と持明院統という皇室の争いから始まりました。結局は足利尊氏と後醍醐天皇という武士と公家の争いになりましたが。また応仁の乱は足利将軍家の跡継ぎ争いです。

シェイクスピアは日本でいうと戦国時代に生きた人でした。太平記の成立は室町時代なので150年から200年の時代差があります。

しかし内容でいうと、王室をめぐり、何代にもわたる戦いにつぐ戦い。裏切り、寝返り。あらゆる意味で太平記とシェイクスピアの歴史劇は似ています。大きく異なるのは、シェイクスピアの歴史劇は時の統治者エリザベス女王に劇を献上していたことであり、太平記は全面的に南北朝への公平な批評精神でかかれており、特に足利政権にことさらかたよった記述はしていないところが特徴です。

イギリスと日本は非常に類似点の多い国です。島国であり、侵略も少なく、清潔で、人口もイギリスでは18世紀前半まで、日本は18世紀後半まで出世率が死亡率を少し上回るところで、安定していました。他地域では人類の急増による、戦争、飢饉、疫病が多発していました。環境のよいなかで、イギリスは意図と偶然の中から、産業革命がおきました。日本は江戸時代から勤、倹、譲の精神で安定した社会を鎖国という閉鎖的な経済のなかでやりくりしてきました。

「クイーンを見て」でも触れましたが、私は97年9月にイギリスとフランスに行きました。ちょうどダイアナ妃がパリで不慮の死を遂げた一ヶ月後です。ちょうど10年経ち、当時の旅行を振り返ってみると、とてもイギリスとフランスの関係を知る上で、貴重なときに、重要な場所に行きました。まず、イギリスではロンドン塔とグリニッジ、バッキンガム宮殿、大英博物館、ウエリントン博物館、ウエストミンスター寺院、ビクトリア駅、中部のレスター市とその郊外にある、リチャード3世終焉の地、ボズワースです。フランスはモンマルトルにベルサイユ宮殿、ルーブル美術館にノルマンディー地方にあるモンサンミッシェルです。

旅行中とても面白かったのが、イギリス人はフランスのノルマンディー公に征服されたことにあまり触れたがらず、フランス人は年中、ノルマンディー公がイングランドを征服したことを、一にもなく二にもなく説明しているところです。

ちなみにフランスに征服された当時、イングランドの支配層はフランス語が日常会話となり、英語に戻ったには1300年代になってからだそうです。

これはけっこうイギリスのトラウマになっていて、その後の英仏百年戦争もこういうことが、根にあったのかもしれません。

ノルマンディーにある、モンサンミッシェル寺院に行ったときですが、「バイユーのタピストリー」の模造品が非常に安価で、寺院への道のおみやげ物やで売っていました。
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(97年9月 バッキンガム宮殿 ダイアナ妃への花束)
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(モンサンミッシェル)
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(バイユーのタピストリーのおみやげもの)

これはノルマンディー公がイングランドを征服したことをタペストリーにしたものです。縦50センチ、横70メートルに及ぶ、壮大な絵巻物で、今でこそフランスの国宝で、バイユー大聖堂に飾ってあるのですが、ナポレオン革命のとき、武器箱の上にかぶせる布として使われていたものを、地元の弁護士が気づいて国宝にしたものだそうです。

これから何回かに分けて、日本とイギリスそしてイギリスとフランスについて考えていきたいと思います。

2008年02月20日

倫敦塔

1997年の旅行記を今書くのは、あれから10年たち、私自身の知識や経験も以前よりは異なっていることです。「クイーン」という映画を見て、当時のことを振り返り、10年たっていろいろ思うところを述べさせていただきます。

まず最初に、ロンドン塔に行きました。当時、死地則戦Ⅲを開発するために取材をかねて行きました。死地則戦にはシェイクスピアの歴史劇が出てきます。夏目漱石も留学してすぐにロンドン塔に行きました。シェイクスピア研究の第1人者である漱石はロンドン塔に行くのは、当然といえば当然でしょう。その経緯が「倫敦塔」に書いてあります。漱石もシェイクスピアが好きで、まずその舞台に行きたかったのでしょう。この文章を書くときに、漱石の「倫敦塔」を読むと、当然ですが、この作家の筆力のすごさに改めて驚きました。しかも私の関心ごとと漱石の関心ごとがぴったり一致していたことには驚きました。

ロンドン塔で印象に残ったのは、なんて冷たい建物なのだろうか、ということです。こんな冷たいところで、生活するイギリス人は本当にストイックだなあ、と感じました。もっとも途中から宮殿というよりは、政治犯の牢獄であった歴史のほうが長いからそういう感じをうけるのも、当然といえば当然でしょう。

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(倫敦塔遠景)

ロンドン塔は、1078年、初代のノルマンディー公ウイリアムがまず、ロンドンを外敵から守るために要塞を建て、歴代の王がその周りに城を築き、ヘンリー3世で今の姿になったそうです。

メルギブソン主演のブレイブハートという映画があるが、スコットランドの英雄ウイリアム・ウォレスが車さきの刑に処されたのもこのロンドン塔だそうです。当時は処刑は見世物でもあり、どうもアングロサクソンの人たちは血が好きなのかもしれません。ロンドン塔からテムズ川を渡る対岸に「ロンドン・ダンジョン」という蝋人形館があり、ロンドンの歴史で処刑のシーン、たとえばスコットランド女王メアリーの処刑シーンや切り裂きジャックの犠牲者の遺体などの蝋人形がこれでもか、というくらい展示されていました。

またリチャード3世で、リチャードが兄王エドワード4世の二人の子供をロンドン塔に幽閉し、殺害して王位を奪った話がありますが、1674年に子供二人の遺体がロンドン塔から出て、その話を裏付けたことで近年話題になりました。こんな冷たい石の部屋に幽閉され、大人に殺された13歳と9歳の子供は本当にふびんだなあと感じました。

ヘンリー8世の鎧は実に巨大でした。いかにヘンリー8世が太っていたかが、わかる様な鎧でした。もっとも漱石はこれをヘンリー6世といっていますが、確かヘンリー8世だと思います。

イギリスの歴史はイングランドとスコットランドとの対立の歴史、スコットランドを併合すると、アイルランドとの闘争が現代までも続く。

エリザベス女王の母、アンブーリンの処刑場は中庭だったそうです。アンブーリンはヘンリー8世の2番目の妻で、キャサリン王妃の侍従でした。ヘンリー8世は6人の妻を持ち、そのうち2人をロンドン塔で処刑しています。もう一人はキャサリンハワードで、処刑の前に刑吏から逃れ、叫びながら逃げ回り、刑吏は3度目で首を落としたそうです。

ロンドン塔は幽霊がでることでも有名です。アンブーリンの首ナシの幽霊やキャサリンハワードの叫び声とかリチャード3世に殺された兄弟の子供の霊がさまよう、といいます。

まあ、これだけ血塗られた歴史なら、そういう逸話がでてくるのもやむをえないでしょう。

この旅行で、私は、フランスでは霊写真をとってしまいました。ノルマンディー地方にあるモンサンミッシェルでです。モンサンミッシェルはこのロンドン塔を建てたウイリアムの曽祖父が、もともとケルト人の聖地であったモン・トンブという島に修道院を建てたのが始まりだそうです。それ以降とくに英仏百年戦争時代はフランスの要塞だったそうです。さぞかしエドワード皇太子やヘンリー5世の時代は、英仏での城の争奪戦で凄惨な現場だったのでしょう。

どんな因果かしりませんが、この写真の壁を写し、そして帰国後、写真屋さんでプリントしたとき、この壁いっぱいに、逆三角形のドラキュラみたいな顔をした修道僧が怖い顔をして写っていました。
けれどもデジタルデータにはこのように写っていませんでした。

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(この壁に怖い修道僧が写っていました)

2010年02月15日

なぜ、今、「ナナミ」なのか。 序章 「韓国に行ったこと」

昨年秋、15年ぶりに韓国に行きました。まず驚いたことは、ソウル市内が見違えるように美しくなったことです。15年前は、高度成長期の日本(路地はごみで汚く、道路は常に渋滞状態で、鉄道などの交通網は当時の日本よりはるかに発達していない)といった印象だったのが、いまやシアトルのような落ち着いた美しい巨大都市、といった様相に変貌していたのです。

さらに驚いたことには、夜、東大門市場にいくと、夜中でもその人の多さ、お店の数、品物のバラエティに富んだこと、今の日本では考えられないほど「消費」する場が活発でした。また値段も安く、ネクタイ200円、洋服が300円、500円とユニクロ顔負けの値段でした。

確かに15年前、まだ韓国では、週休1日で、熱心なサラリーマンは朝6時に来て、自己研鑽し、8時から始業し、夜中12時に帰宅する、というそのモーレツぶりに、本当に驚かされました。まさに1970年ごろの日本を見ているようでした。しかし今や、精神的にも経済的にも日本は韓国に抜かれた感があります。

韓国は、一度は経済破綻をし、IMFの占領下にあったはずなのに、なぜこのように発展しているのでしょうか。このエネルギーは韓国民ひとりひとりの向上心のエネルギーに他なりません。世界一のITインフラを誇り、教育にもITをフルに活用し、失業率は二桁に近く高くても、けっして浮浪者を数多く目にすることもなく、さっそうとたくましく生きている韓国人をみていると、なぜ、みんなこんなに前向きなのだろうか、と不思議に思いました。

その疑問に対する答えは次の日に、見つかりました。観光ツアーでバスで38度線に行ったのです。MDSという非武装地帯は観光地化されており、バスでソウルから1時間のところにありました。検問があり、パスポートをチェックされ、第1師団の場所から、北朝鮮や板門店が見えました。そこは朝鮮戦争の名残が色濃くのこるところで、銃弾でハチの巣だらけのさびた機関車や封鎖された線路などが、松本零二の漫画さながらに雨ざらしで展示されていました。

そのあと、都羅山駅という北朝鮮との往来のある駅(現在は電車は行き来していない)へ行きました。ここはブッシュ大統領も見学に訪れたそうです。この線路は中国北東部を通り、シベリア鉄道につながり、戦前はヨーロッパまでつながっていたそうです。

思えば有史以来、朝鮮半島は、中国、ロシアという大国に囲まれ、日本からもたびたび侵略され、ヨーロッパにおけるポーランドのように、侵略の悲劇が繰り返し行われていた場所なのです。現在、韓国では20歳ぐらいになると(19歳~29歳)、徴兵制度があり、大学を休学してみな兵役につきます。しかも38度線はいつ、何時、戦争が起きて、命を鴻毛のごとく軽く扱われるかわかりません。一緒に同行していただいた韓国ソフト企業の幹部の方も徴兵にいったそうで、南方にいくか38度線にいくかで、その兵役期間のストレスはまったく異なるそうです。幸い彼は南方へ配属されましたが。

直接銃をもって国を守る使命があり、しかもその直接の敵が、60年前までは同じ国の国民なのです。この国の若者たちは、いやでも国家とはなにか、民族とはなにか、ということと命がけで直接向き合わなければならない。

38度線には、北朝鮮が、韓国を攻めるために掘った坑道が20以上もあるという。そのうちいくつか発見され、3番目に発見された第3坑道は、現在観光地化されており、今回、その坑道に潜りました。

非武装地帯を眺めていると、その先に北朝鮮があり、そしてその先には中国とロシアが広大に広がっている。北朝鮮の孤立も、わけのわからない行動も、ある意味大国から独立を守るための必死な選択なのかもしれません。

その点、日本は四方海という深い壕に囲まれた、実にのんきな国家に見ます。日本は戦後、朝鮮戦争や、ベトナム戦争の特需を受けて、奇跡的な復興を遂げ、高度成長を経て世界第2位の経済大国になっていきました。

終戦後に押しつけられた、戦争放棄を謳った日本国憲法は、日本が直接戦争に巻き込まれることを防いできました。もちろん憲法上は違憲状態の境界線のなかで、自衛隊を整備してきたこともその要因には含まれるでしょう。

そういう平和ボケした今の日本は、もっとも国家として危険な状態にあるのではないか、と韓国に来て思います。あまりにも日本国民が鈍感すぎるからです。日本人が尊敬する現存する有名人は芸能人かスポーツ選手。ひとたびこういうテレビに出る人が選挙に立候補するとトップ当選をする。

古代ローマ帝国の衰亡期のきっかけは、コロッセオという競技場が市民に開放され、無料でパンを配り、為政者たちが、市民の人気とりだけに終始したからです。名君マルクスアレリウスの息子コンモデスは、皇帝になるや、暴君となり、落とした評判をコロッセオに出演して1万2千人の剣闘士を殺害して自分の威信を見せつけ、市民の人気とりを行いました。

これ以降、大ローマ帝国は衰退期には入り、市民は国家に対して危機意識を持たないまま、100年後ゲルマン民族の大移動のなかで分裂し、自然消滅的に衰退していったのです。

だからテレビタレントやスポーツ選手を人気取りのために候補者にたてる政治には本当に怒りを覚えます。実際本気で政治をやろうとすれば、今の日本では、軍事力を形式上放棄し、情報機関が弱いので、命がけでしょう。

国際社会である限り、そして最強の国家でない限り、かならず強国の影響を受けます。それは国際社会の最前線にいる政治家や官僚に直接大きな圧力となります。しかしそういう圧力はもちろん報道されることもなければ、国民が知る機会もあまりありません。

ただわれわれにできることは、そういう国で、どう生きるべきか、ということです。憲法を改正して、国防を増強させることも選択枝のひとつかもしれません。しかし1920年代の大恐慌の後、日本がそういう道を選んだことが日本の破滅を生んだことも忘れてはなりません。

私は10月の韓国旅行のあと、このブログの原稿を書いたのでしたが、アップしませんでした。あまりにも日本の将来が絶望的だったからです。韓国の38度線に立って、日本の鈍感さがとても危険に思えたのです。ここに立てば、中国やロシア、そして米国という大国からの威圧を否応なく感じ取れるのです。そして現実には存在するこの危機感が、どうしたら日本人に伝わるのか、どうしたら日本人がまた競争心や向上心を取り戻せるのか、わからなかったのです。

経済力の低下はそのまま国力の低下につながります。このまま日本の凋落が続けば、日本の独立すらも危ぶまれるのではないか。2020年ごろには形の上では独立国でも、実質的には米国、ロシア、中国に分割統治されることもあり得るのではないか・・・・。

しかし、私は、日本という国を大きく見損なっていました。
今の日本はけっして絶望的ではありません。
日本ではすでに十分次世代型ナレッジ社会の萌芽が芽生えていたのです。それは「萌」にヒントがあります。
だから「ナナミ」を作りました。
次のブログをお読みください。(なぜ、今、「ナナミ」なのか。内需拡大は世界の国益 PART2)

2016年08月17日

暁の寺 後編

三島由紀夫の暁の寺の表紙はこういうものです。

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実際の暁の寺です。

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タイは、オレンジの袈裟を身に着けたお坊さんも、よく目にします。
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三島由紀夫の表紙を連想させる寺院です。
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中に入ると、お坊さんがいて、人々の信仰心に答えています。
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遠くに見える肖像は国王と妃殿下です。

タイの民衆は仏教と皇室をこよなく愛しているようです。


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まずは、タイのバンコクの スワンナプーム国際空港の巨大さには驚かされました。

タイの経済成長は著しく、その右肩上がりの経済は、スワンナプーム国際空港の巨大さに象徴されるようでした。

右肩上がりの国家や組織と、右肩さがりの国家や組織では、おもいっきりその中での活動には差がでます。

当然右肩あがりの組織では、モチベーションは高く、組織もまとまりやすく、しかし、スタンドプレーをする人もある程度許容されます。


右肩下がりの組織では、モチベーションも低く、組織もまとまりにくく、スタンドプレーを許さない風潮になります。


勿論国の経済状況と、その中で活動している企業組織は大きく影響されます。

教育も右肩上がりの国や組織では、モチベーションも高く、教育や学習への意欲も強まるでしょう。

今や右肩さがりの日本で、いかなる組織マネジメントをするか、は大切です。

右肩下がりの業績に歯止めをし、組織をまとめ、右肩上がりに転換する方策を考えなければなりません。

タイに居て、そのことをつくづく考えました。

2016年08月21日

日本はあまりに住みやすい。新しいビジネスのすすめ

先日、タイに行って驚いたのは、伊勢丹があり、

その中にダイソーがあり、それは、なんと100円ショップならぬ、100バーツショップだったのです。
100バーツとは300円です。安くても190円くらいだそうです。
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伊勢丹も、浦和伊勢丹より高い気がします。

センブンイレブンのコンビニもあり、髭剃りやコーラもあんまり日本と値段は変わりませんでした。

しかし、平均年収は日本の10分の1程度です。

もっとも経済成長過程にあるので、庶民はどんどん消費をし、日本に比べ貯蓄をしないのでしょう。

勿論屋台の食料品は日本の半分以下ですが。


まあそれにしても、年収比にしては日本は物価は安すぎます。

日本の平均年収は440万と言われていますが、それは、正社員を中心に、大企業や公務員の年収サンプルを中心とした30万人の平均で、実際は300万、6割いる派遣社員の平均年収は240万程度です。

それでは暮らしていけない、っていいますがほんとうでしょうか?

ユニクロのバーゲンと百円ショップに行って、家賃5万でキレイなトイレ風呂付のワンルームに暮らせ、しかもちゃんと税金や厚生年金、保険料を払っていれば、死ぬまで安全で高度な医療を受けられます。

変な犯罪は増えても、どんどん犯罪率も低下し、教育も充実し、やはりこれほど住みやすい国家は、あまりないのではないでしょうか。

だからこそ、中国の人も東南アジアの人もどんどん日本に観光でやってくるのです。

おそらく、政府が移住手続きの障壁を下げれば、こぞって海外からの移住者はふえるでしょう。

とにかく、物価の比較の上で、賃金が高い。

安倍政権の反対方向に行っていますが、これは感覚ですが、実質暮らしやすくなっているのです。デジタルの世界では、原則ゲームと地図、ナビやブログ、ニュースや相談、ポルノ他あらゆる生活上の必要情報は無料。

その状態が、生活は良くしていますが、日本の景気を悪くしているのです。

企業はグローバルに見れば高い賃金を払わなければならないので、コスト面で不利です。

労働者の7割は中小企業で、中小企業の7割は、支払い猶予の経験があるそうです。

それでも、税金と社会保険は中小企業ばかりのしかかります。消費税は庶民に負担を強いるか、といったらデフレ下ですから、消費税分の値段は下がります。下げないと売れないからです。

つまり消費税とは別名中小企業売り上げ税なのです。中小企業は売り上げに応じて、儲かろうが、儲かるまいと有無を言わさず取られます。

社会保険もあまりに中小企業には負担が重すぎます。

私は国の批判をしているわけではありません。本当に政府も官庁もほかの国に比べてかなり頑張っています。

ここまで中小企業を支援する国はありません。

アベノミクスを批判する人に言いたい。ほかになにがあるのか?日銀の大胆な金融政策もむしろ賞賛すべきです。本当に勇気があります。

ただただ、新しい日本独自のビジネスが広がらないのが問題なのです。

食料や住まいも、選ばなければ、東南アジアまではいかなくても先進国の半分くらいで購入できます。

昨年父が亡くなりましたが、3,4年は病院を入ったり出たりしていました。
つらい言い方ですが、お年寄りがなくなるまでに少なくとも2~300万くらい,多い人で一千万円の医療保険が支払われるのではないでしょうか?

これから団塊の世代が鬼籍に入る時代です。

死ぬのに国の税金は大きく使われるのです。

そしてその老人が若者の3倍いるのです。

日本人は働き者だし、清潔だし、しかしこのような状況下で、国をよみがえらすのは、もはや一人一人の意志でしか復活はできません。

かならず来る大地震にもめげずに、日本のサムライ魂を毎日の生活を通して世界にアピールしましょう!


先週の土曜に池上某のニュースの解説で、なぜ日本が1000兆円の借金があるか?というテレビをやっていましたが、もんじゅに1兆円とか、再生燃料を運ぶのに、毎年10億円とか、ぜんぜん本質的な話をしていません。

この話は、1000万円の借金をしている人が、1万円の買い物をとがめられ、毎年1円無駄遣いをしていることを大きくとりあげているのと等しいものです。あまりに視聴者を馬鹿にしている放送でした。

しかも企業は儲かっているけど、みんな貯蓄に回すので、社員の給料には反映されない、という話です。それは大企業だけの話です。まあ公の電波の上で放送するのはこれが限界なのでしょう。

日本国内では、政府関連ビジネス、医療介護系、他シルバー産業以外ビジネスをすること自体厳しいです。

実際、内部留保がたまっているのは、大企業だけです。それは一重に円安効果です。


とにかく不景気を脱出することは、ビジネスを変える以外ありません。

日本の十分の一以下の賃金で生産する商品が、ユニクロと百円ショップの商品として、家の近くにいたるところにあるからです。

グローバル資本主義に入れない、その他大勢の日本人は、具体的にどのようなビジネスをすればよいのか?それは、人と人とつながることだと思います。

東南アジアではできない。グローバル資本主義が入り込めない、入る価値を認めない、ビジネス。ひとりでもできるビジネス。

それはその人の人生のステージを一つ上げるビジネス。資格をもって、一人でビジネスをして、そして、自分の経験とスキルでだれかの人生を変えてあげる。ITを活用して。マンツーマンで。

資格を取りたい人をとれるようにマンツーマンで導いてあげる。
化粧で見違えるようにキレイになるようにマンツーマンで導いてあげる。
10歳は若返るようにマンツーマンで導いてあげる。

SNSやメールを活用すればすぐにでもできます。

そういうビジネスこそ、これからの日本を元気にするビジネスだと思います。

そういうビジネスを働く人が、多く広がれば日本はよみがえります。

そういうビジネスを、メディアファイブも始めます。

2016年10月02日

三島由紀夫「ライ王のテラス」と天空の城ラピュタとアンコールワット

三島由紀夫「ライ王のテラス」という戯曲をご存知ですか?最近宮本亜門の演出、鈴木亮平主演で今年三月に上演されました。

三島由紀夫「ライ王のテラス」という戯曲をご存知ですか?最近宮本亜門の演出、鈴木亮平主演で今年三月に上演されました。

三島由紀夫最後の戯曲であり、先のブログでご紹介した最後の小説「豊饒の海 第三巻 暁の寺」の取材に三島が1970年にタイに行ったあとに、カンビジアに足を延ばし、アンコールワットに行って、そこで着想して書いたそうです。

題名がセンシティブなのか、本は発禁となり、今は、三島由紀夫全集25巻でしか見られないそうです。
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ストーリーは日本では鎌倉時代を同時代とするクメール王朝の国王 ジャヤーヴァルマン7世が遠征し、勝利し、アンコールワットの隣接しているところに、バイヨン神殿を作るところから始まります。
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(アンコールワット)
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(バイヨン神殿)
しかし、王宮の場所や向きが悪い、と占い師に反対されながらも、王は王宮建設を着工します。terasu1.jpg
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(ライ王のテラス)

それが原因かどうかは定かではありませんが、王はライ病に侵され、人前に姿を現さなくなります。
そうしているうちに、側近の宰相は、王を暗殺しようと試み、王の生みの母は宰相とねんごろになり、王を殺して、もう一度生みなおそう、と試み、第2王妃に、王の暗殺を命じます。

しかし第2王妃はそれを拒み、しかし宰相に犯されそうになります。 そこを王の母が宰相を背後から刺し、宰相は死の間際に王に、自分と第2王妃は密通していた、と嘘をついて死んでいきます。

王は誰も信じなくなり、ナーガという蛇神を妃として、誰も近づけようとはしません。
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(蛇神ナーガ)

いよいよ王に死が近づき、王は死ぬ間際に、自分の健康な時の若い肉体の王の幻を見ます。

そして王の精神と肉体の対話がはじまり、肉体は肉体の不死の勝利を主張し、精神は精神の永遠の勝利を主張しました。

しかしついに、王は死にます。塔上の若く美しい肉体は自らの勝利を讃え、「肉体こそ永遠なのだ。青春こそ不死なのだ」と言いました。

三島は、市ヶ谷駐屯地での自死を決意し、自分の精神と滅びゆく肉体に問いかけていたのでしょう。

確かに、三島の精神は死後50年経とうとしている今日でも、いや今日こそ、予言者の復活のごとく燦然と注目されています。

これだけ、死後50年たっても、いまだに映画や劇で上演される作家は、空前絶後でしょう。


話は飛びますが、天空の城ラピュタを見たことがありますか?

かつて栄えていた都市が滅び去り、壊れたロボットがなまなましく、ときどき忘れたように動く。

アンコールワットへ行った時、ラピュタを思い出しました。

まさにラピュタの世界が繰り広げられていました。

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アンコールワットがいつ滅びたか、はっきりわかっていません。タイに滅ぼされたとも、南に王国の首都を移したとも言われています。

アンコールワットが発見されたのは19世紀、フランス人によってジャングルで見つけられました。

アンコールワットの壁画の天地創造は、日本の古事記や日本書紀の天地創造ととても似ています。

歴史学者トインビーによると、文明のサイクルは、自然環境と優れた指導者が現れて誕生し、自然環境や人口増加、隣国との戦争などの問題解決する過程で成長し、問題解決に失敗して衰退を始め、内乱やクーデター、隣国にとの戦争で滅ぼされるそうです。

企業も似たようなものですが。

しかし文明が栄えている時間は本当に一瞬です。

ちなみに最強の恐竜Tレックスは、3000万年地球を支配していました。人間はせいぜい20万年。文明が生まれたときを考えると、せいぜい一万年です。

そんなあっと言う間の時間で、人の一生はさらに一瞬です。

アンコールワットには、江戸時代に森本一房という日本人が祇園精舎と間違えて出かけたそうです。

祇園精舎といえば、平家物語
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の鐘の色 盛者必衰の理を現す おごれるものは久しからず ただ、春の夜の夢の如し 」
アンコールワットの回廊には、さまざまな歴史を刻んだ叙事詩が描かれています。

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人の少ないこの回廊の石の彫刻を眺めながらあるいていると、本当に人間の肉体は一瞬に滅びるのだなあ、と感じます。

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「ライ王のテラス」の主題が身に染みて感じます。

回廊の石の彫刻を眺めていると、突然激しいゲリラ豪雨がふり注ぎました。こちらの通り雨は降る時間は短いのですが、降るときは、バケツの水を流すがごとく、降り注ぎます。
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現世で右往左往する私たちも、アベノミクスも、大恐慌も、中国や北朝鮮問題も、国債暴落の恐れも、そして地震すらも ただ春の夜の夢の如しです。

2016年10月15日

タイの国王

先日、タイのプミポン国王が御他界されたことがニュースで流れました。

タイの空港に降りると、国王夫妻の肖像がバンコク市内のいたるところで掲げられ、日本とは違う社会であることを思い知らされます。
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先のブログでも触れましたが、長年タイに在住の方によりますと、戦後、元々軍事クーデターで民主主義が戻り、軍部は政治は停滞すると、すぐに軍事クーデターを起こすそうです。長い間タクシン派と反タクシン派の対立が続き、その調停も最後は王がするそうです。

ちなみにタイ国王室は、世界で最も資産の多い王室だそうです。

隣国のカンボジアやベトナムに比べ、タイの幸運は、プミポン国王が大きく影響していたのかもしれません。

ひょっとしたら、日本の明治天皇にちかいかもしれません。

ドナルドキーンの明治天皇を読み返してみます。

2016年10月16日

NHKスペシャル マネーワールド資本主義の未来

「NHKスペシャル マネーワールド資本主義の未来」

とうとう、こういう番組が放送されるようになりました。

資本主義は行き詰まり、この先どうすればよいか、というドキュメンタリーです。
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20161016

全五回の放送だそうです。

第1集 世界の成長は続くのか

第2集 経済の“支配者”は誰か~国家 VS 市場経済・ルールをめぐる闘い~

第3集 富は分かち合えるのか~巨大格差の果てに~

大切なことです。
ぼくがブログでおっかなびっくり述べていることです。
ちょっとホッとしています。
こんなこと言っていいのかな、とか思いながら書いていたら
税務署が入っちゃったりして・・・・
やっぱりやばいのかなあ、って思っていたところだったので
取り越し苦労でよかったです。(冗談です。)

第1集は、かいつまんでいうと、世界経済はいきづまり、格差はひろがり、残る希望はAIとエコノミーシェアリングだ、ということです。

原因は中流の罠です。つまり、世界中である程度の現代的な生活が実現されたので、基本的欲望はもうない、ということです。

そして、それを打破するビジネスのひとつとして、まずAIを紹介されました。

AIを活用して、ファイナンスをする企業が、イギリスのEU離脱で大儲けした、という話です。

次に、エコノミーシェアリングなるものが、紹介されました。

それはなにか、というと民泊です。フランスで民泊を進めるインターネット会社が7兆円企業に成長し、利用者は一億人を突破したことを述べてます。

そして、紹介された民泊をしているフランスの個人宅は年間350万円それで稼いでいるそうです。

第1集の紹介はこれまでにして、僕の感想です。

AIはもう、一般人を豊かにするためには無理です。ここの領域はそれこそ、第2集であきらかになる、ハーバードやスタンフォードの出身勢、つまり、グーグル、フェイスブック、マイクロソフトの領域なのです。

金融と情報(インターネット)を押さえられているので、庶民の恩恵はありません。

次に、エコノミーーシェアリング、これは、どこでも民泊をやれ、っていうことではないですよね?

ちょっと言い方は違うと思います。これこそ、僕が長年主張している、消費者の投資家化、つまり個人が自己投資して、ビジネスし、少し豊になることです。

民泊もその一つにすぎません。自宅を改造し、宿泊客をとるビジネスなのですから。

それ以上に、資格者などのスペシャリストが提携してビジネスをする市場こそ、今後飛躍的に拡大していく市場なのです。


手前みそですが、2009年に出版した「究極の経営」で主張したことです。

是非このNHKスペシャルはとてもわれわれ庶民の行く末を見据える大事なドキュメンタリーなので
みなさんもご高覧することをお勧めします。

2017年04月22日

次に必要なのは需要革命

昨日、NHKスペシャル「欲望の資本主義」というのを見ました。

とても素晴しいドキュメンタリーでした。

まず、冒頭で、米国のノーベル経済学者スティッグリッツが象徴的なことを話しました。

今の経済の問題は、総需要が不足し、その結果世界経済が減退している。
その根本的問題は、不平等。

つまり、富の集中によって、中間層がいなくなり、一局の金持ちに金が集中すること。

金持ちは貧乏人より金を使わない、ということ。

ここからは、私(北畠)の考え

だからこそ、中間層を増大させることが、経済発展に必要です。

そしてそこには限界があります。

人の欲望は、まずは衣食住という生活根本の欲望(需要)の消費に向かいます。

それが工業化社会の経済成長につながります。

まずは、産業革命後の欧米日本の産業の発展。それにいきづまり、世界大戦へと発展していきました。

次に、第二次世界大戦後の欧米日本の産業の発展。現代的な、自動車、洗濯機、冷蔵庫、テレビなどの現代的な家電の普及にともなう産業の発展。これは、日本がリードして、でも1990年代から行き詰り始めました。

つまり1800年初頭から始まった産業革命は1900年ころからアメリカを中心に自動車が庶民が乗るようになり、欧米日本に至っては、1950年までまたなければなりません。

つまり工業化社会が庶民生活に根付くには100年から150年かかったのです。
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1995年、クリントン政権における、ゴア構想、つまり情報スーパーハイウエイ構想が実現されると、インターネットを中心とする情報革命がおこりました。

この情報革命で、最も大きいことはBRICSといわれる、つまりブラジル、中国、ロシア、インド、中国、欧米日本以外の大国の経済成長をおもいっきり助長しました。

確かにかつて日本が、そうであったと同じように、人件費のやすさ。から世界の工場と言う役割で経済発展してきました。
しかし経済発展のもっとも大きなものは、国民が生活の現代化と呼ばれる自動車、冷蔵庫や洗濯機やテレビそして住宅などの購入です。

それが、ブリックスの経済発展に大きく貢献しているのです。

しかし、全て生活の現代化を満たした欧米諸国は、需要は満たされ、しかもインターネットの発達は拡大しない需要の中で、アマゾン、グーグル、フェイスブックに代表されるように、あらゆる生活の需要を奪って行きます。

その結果、個人商店や中小企業は消え、大企業と大富豪に集中するようになったのです。

どうしてこうなるか、というと、産業革命は当然のことですが、供給サイドの革命から始まります。

とくにインターネットのビジネスは、当初は金持ちも貧乏にも平等に訪れます。
しかし、需要がついていけず、大資本家は、インターネットビジネスでの優位性を保つために、無料でユーザーに普及させることを狙います。
今日におけるネットビジネスはそこで発展してきました。グーグルサイトもフェイスブックも利用者側は基本無料です。

最もテレビやラジオもそういう側面はありましたが。そういう意味ではテレビやラジオも情報化社会の先駆けという位置づけでもいいかもしれません。

工業化社会における産業革命も、1800年から1830年ごろから始まり、まず工場などの供給サイドで起こり、それにともない、イギリスでは、機械に取って代われた失業者たちが、ラッタイト運動をおこしました。

ラッタイト運動とは、暴徒が、工場を打ち壊したりする運動でした。
今日、情報化の進行に伴い、失業者の増大をネオラッタイトと呼んでいます。クリントン政権の時の労働長官で、「ワークオブ・ザ・ネーション」で有名なロバートライシュは、早くからこの問題を指摘しました。


産業革命は1800年くらいからスタートし、供給サイドの産業革命は素早く進行したのに、大衆は、なかなかこれを受け入れられず、供給過剰から、世界恐慌がおこり、二度までの世界大戦をおこし、やっと1950年代以降に、生活の工業化社会が浸透したのです。

今、世界は供給サイドの情報革命が進み、それに伴い、需要サイドがついていけず,格差が広がり、需要不足で、経済は行き詰まっています。

まさに、世界大戦前夜の世界そのものです。


これから、世界は、戦争に突入するのか、需要革命が起きるのか、大きな岐路に立たされています。


少なくとも日本は、先の大戦で、需要拡大で戦争を選び、国家を滅ぼしました。(太平洋戦争は日本は追い込まれた、という反論はあるでしょうが、満州朝鮮中国への侵攻は、景気対策の一環という見方は明確にできます。そのおかげで、旧財閥や新興財閥は大きく昭和初期には潤ったのですから)

その経験を生かすためには,勿論、後者を選ぶべきでしょう。


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