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倫敦塔

1997年の旅行記を今書くのは、あれから10年たち、私自身の知識や経験も以前よりは異なっていることです。「クイーン」という映画を見て、当時のことを振り返り、10年たっていろいろ思うところを述べさせていただきます。

まず最初に、ロンドン塔に行きました。当時、死地則戦Ⅲを開発するために取材をかねて行きました。死地則戦にはシェイクスピアの歴史劇が出てきます。夏目漱石も留学してすぐにロンドン塔に行きました。シェイクスピア研究の第1人者である漱石はロンドン塔に行くのは、当然といえば当然でしょう。その経緯が「倫敦塔」に書いてあります。漱石もシェイクスピアが好きで、まずその舞台に行きたかったのでしょう。この文章を書くときに、漱石の「倫敦塔」を読むと、当然ですが、この作家の筆力のすごさに改めて驚きました。しかも私の関心ごとと漱石の関心ごとがぴったり一致していたことには驚きました。

ロンドン塔で印象に残ったのは、なんて冷たい建物なのだろうか、ということです。こんな冷たいところで、生活するイギリス人は本当にストイックだなあ、と感じました。もっとも途中から宮殿というよりは、政治犯の牢獄であった歴史のほうが長いからそういう感じをうけるのも、当然といえば当然でしょう。

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(倫敦塔遠景)

ロンドン塔は、1078年、初代のノルマンディー公ウイリアムがまず、ロンドンを外敵から守るために要塞を建て、歴代の王がその周りに城を築き、ヘンリー3世で今の姿になったそうです。

メルギブソン主演のブレイブハートという映画があるが、スコットランドの英雄ウイリアム・ウォレスが車さきの刑に処されたのもこのロンドン塔だそうです。当時は処刑は見世物でもあり、どうもアングロサクソンの人たちは血が好きなのかもしれません。ロンドン塔からテムズ川を渡る対岸に「ロンドン・ダンジョン」という蝋人形館があり、ロンドンの歴史で処刑のシーン、たとえばスコットランド女王メアリーの処刑シーンや切り裂きジャックの犠牲者の遺体などの蝋人形がこれでもか、というくらい展示されていました。

またリチャード3世で、リチャードが兄王エドワード4世の二人の子供をロンドン塔に幽閉し、殺害して王位を奪った話がありますが、1674年に子供二人の遺体がロンドン塔から出て、その話を裏付けたことで近年話題になりました。こんな冷たい石の部屋に幽閉され、大人に殺された13歳と9歳の子供は本当にふびんだなあと感じました。

ヘンリー8世の鎧は実に巨大でした。いかにヘンリー8世が太っていたかが、わかる様な鎧でした。もっとも漱石はこれをヘンリー6世といっていますが、確かヘンリー8世だと思います。

イギリスの歴史はイングランドとスコットランドとの対立の歴史、スコットランドを併合すると、アイルランドとの闘争が現代までも続く。

エリザベス女王の母、アンブーリンの処刑場は中庭だったそうです。アンブーリンはヘンリー8世の2番目の妻で、キャサリン王妃の侍従でした。ヘンリー8世は6人の妻を持ち、そのうち2人をロンドン塔で処刑しています。もう一人はキャサリンハワードで、処刑の前に刑吏から逃れ、叫びながら逃げ回り、刑吏は3度目で首を落としたそうです。

ロンドン塔は幽霊がでることでも有名です。アンブーリンの首ナシの幽霊やキャサリンハワードの叫び声とかリチャード3世に殺された兄弟の子供の霊がさまよう、といいます。

まあ、これだけ血塗られた歴史なら、そういう逸話がでてくるのもやむをえないでしょう。

この旅行で、私は、フランスでは霊写真をとってしまいました。ノルマンディー地方にあるモンサンミッシェルでです。モンサンミッシェルはこのロンドン塔を建てたウイリアムの曽祖父が、もともとケルト人の聖地であったモン・トンブという島に修道院を建てたのが始まりだそうです。それ以降とくに英仏百年戦争時代はフランスの要塞だったそうです。さぞかしエドワード皇太子やヘンリー5世の時代は、英仏での城の争奪戦で凄惨な現場だったのでしょう。

どんな因果かしりませんが、この写真の壁を写し、そして帰国後、写真屋さんでプリントしたとき、この壁いっぱいに、逆三角形のドラキュラみたいな顔をした修道僧が怖い顔をして写っていました。
けれどもデジタルデータにはこのように写っていませんでした。

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(この壁に怖い修道僧が写っていました)

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2008年02月20日 12:31に投稿されたエントリーのページです。

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