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日本とイギリス

仕事の上で、あるいは生きていく上で、様々な考察が必要ですが、その考察を深める、もしくはより正しい方向に導くためには、ベンチマーク(比較検討)という手法が良く用いられます。僕の場合、時代では、現代と南北朝。地理的には日本とイギリスです。

日本とイギリスはとてもよく似ています。太平洋の東端にある日本。大西洋の東端にあるイギリス。人口の増加率もほぼ同じだといいます。

そもそも国家の成立からして似ています。日本は、弥生時代もしくは大和政権自体が大陸から、九州から東北地方までを征服していったことです。イギリスは1066年ノルマンディー公ウイリアムにより、征服されました。

しかも1000年以上も続いた皇室が現代も存在している点も似ています。この皇室が中世に、二家に分かれて、半世紀以上も争ったのも同じです。日本では南北朝(大覚寺統と持明院統)、イギリスでは赤バラ白バラ(ランカスター王家とヨーク王家)。
そしてその詳細は、日本では「太平記」「増鏡」「神皇正統記」と言う名著が残り、イギリスではシェイクスピアの歴史劇として残っています。

日本における南北朝時代は1333年後醍醐天皇が北条氏を倒したときからはじまり、足利義満の時代両朝の統一の1392年までの約60年間、1467年から1477年の応仁の乱など戦乱の日々がつづきました。

イギリスでは1337年から1453年までの1世紀以上、フランスとの間で百年戦争がおこり1455年から1485年にイギリスの内乱であるばら戦争がおきました。

日本における南北朝は大覚寺統と持明院統という皇室の争いから始まりました。結局は足利尊氏と後醍醐天皇という武士と公家の争いになりましたが。また応仁の乱は足利将軍家の跡継ぎ争いです。

シェイクスピアは日本でいうと戦国時代に生きた人でした。太平記の成立は室町時代なので150年から200年の時代差があります。

しかし内容でいうと、王室をめぐり、何代にもわたる戦いにつぐ戦い。裏切り、寝返り。あらゆる意味で太平記とシェイクスピアの歴史劇は似ています。大きく異なるのは、シェイクスピアの歴史劇は時の統治者エリザベス女王に劇を献上していたことであり、太平記は全面的に南北朝への公平な批評精神でかかれており、特に足利政権にことさらかたよった記述はしていないところが特徴です。

イギリスと日本は非常に類似点の多い国です。島国であり、侵略も少なく、清潔で、人口もイギリスでは18世紀前半まで、日本は18世紀後半まで出世率が死亡率を少し上回るところで、安定していました。他地域では人類の急増による、戦争、飢饉、疫病が多発していました。環境のよいなかで、イギリスは意図と偶然の中から、産業革命がおきました。日本は江戸時代から勤、倹、譲の精神で安定した社会を鎖国という閉鎖的な経済のなかでやりくりしてきました。

「クイーンを見て」でも触れましたが、私は97年9月にイギリスとフランスに行きました。ちょうどダイアナ妃がパリで不慮の死を遂げた一ヶ月後です。ちょうど10年経ち、当時の旅行を振り返ってみると、とてもイギリスとフランスの関係を知る上で、貴重なときに、重要な場所に行きました。まず、イギリスではロンドン塔とグリニッジ、バッキンガム宮殿、大英博物館、ウエリントン博物館、ウエストミンスター寺院、ビクトリア駅、中部のレスター市とその郊外にある、リチャード3世終焉の地、ボズワースです。フランスはモンマルトルにベルサイユ宮殿、ルーブル美術館にノルマンディー地方にあるモンサンミッシェルです。

旅行中とても面白かったのが、イギリス人はフランスのノルマンディー公に征服されたことにあまり触れたがらず、フランス人は年中、ノルマンディー公がイングランドを征服したことを、一にもなく二にもなく説明しているところです。

ちなみにフランスに征服された当時、イングランドの支配層はフランス語が日常会話となり、英語に戻ったには1300年代になってからだそうです。

これはけっこうイギリスのトラウマになっていて、その後の英仏百年戦争もこういうことが、根にあったのかもしれません。

ノルマンディーにある、モンサンミッシェル寺院に行ったときですが、「バイユーのタピストリー」の模造品が非常に安価で、寺院への道のおみやげ物やで売っていました。
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(97年9月 バッキンガム宮殿 ダイアナ妃への花束)
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(モンサンミッシェル)
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(バイユーのタピストリーのおみやげもの)

これはノルマンディー公がイングランドを征服したことをタペストリーにしたものです。縦50センチ、横70メートルに及ぶ、壮大な絵巻物で、今でこそフランスの国宝で、バイユー大聖堂に飾ってあるのですが、ナポレオン革命のとき、武器箱の上にかぶせる布として使われていたものを、地元の弁護士が気づいて国宝にしたものだそうです。

これから何回かに分けて、日本とイギリスそしてイギリスとフランスについて考えていきたいと思います。

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2008年02月12日 08:42に投稿されたエントリーのページです。

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