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雪にちなんだ短歌

今日、雪が降りました。私の好きな雪をテーマにした短歌をご紹介します。

ふりにける身にぞおどろく淡雪の つもればきゆる色をみるにも
(自分の身にふりかかかる淡雪が、すっと消える様を見ると、自分のまわりから死んでいった人たちを思い出し、いまさらながらはっとむねがさわぎます)

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(吉野神宮)

ふみわけてとふ人あらばふりつもる 雪より深きあとはみてまし
(こんな深い雪をおして 私を訪ねる人もなくなりました。もう私を必要とする人はいないのかもしれません。)

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(美杉村 北畠神社)

あつめこし雪も蛍も年を経て 消えぬばかりの身ぞのこりける
(蛍雪の労というが、どんなに苦労してもただ老いて消えかかるこの身だけが残ってしまった。)

降る雪にまやの板間も埋もれて 月だにもらぬ夜半のさびしさ
(降る雪に真屋の板間も埋もれて 月の光さえ漏れてはこない、しんとした本当にさびしい夜だ)

いおりさす宿は深山のかげならば 寒き日毎にふるみぞれかな
(この庵は深山の影であるから 毎日ふるみぞれが、いおりに吹き込み、つらいなあ)

以上の句はみな北畠親房の作です。短歌の解釈は私が感じた勝手な解釈です。間違っているかもしれません。

以前、5年ほど前のことですが、西吉野の賀野生(あのう)というところへ行きました。奈良駅でレンタカーを借りて、当麻寺を通り、ずっと南下するとその地はありました。北畠親房の墓がある、と聞いて行ったのですが、その山村に近づくにつれて、通る車も少なくなり、人影もなく、しまいにはちらほら雪が降ってきました。奈良からは、途中当麻寺に寄ったこともあり、到着したときにはもう夕暮れになってしまいました。夕暮れといっても4時ごろだったのですが、山間の夕方は早いのかもしれません。そこにこの歌のような淡雪がだんだん数を増して降ってきたのです。

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(賀野生 伝親房墓)

吉野朝廷を高師直に焼かれ、賀野生に逃げ、そこに粗末な皇居や親房の住まいをつくり、そんななかで読んだ歌でしょう。

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(賀野生 南朝皇居)

親房は後醍醐天皇亡き後、後村上天皇の父親と言う意味の(准后)という位を授かりました。この位を授かったのは歴史上親房と足利義満だけです。同じ位とはいえ、南朝と北朝ではなんという違いでしょう。

親房はこの山奥で、ほとんど普通の人と同じ生活をしながら、自分の地位と生活のギャップにさぞかし嘆いていたでしょう。

ただ雪を見ると、顕家の後見として陸奥に赴任していったときのことを思い出し、息子を失った悲しみと、残ってしまった年老いた自分への嘆きがこれらの句から伝わってきます。

ほんとうにさびしいお参りでした。

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2008年02月04日 00:44に投稿されたエントリーのページです。

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