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高田屋嘉兵衛とシリコンバレー

もう、何年も前の話です。北海道出張で函館に行ったときのこと。帰りの列車までまだ時間があったので、元町のバカラ美術館に行きました。場所がわからずうろうろしていると、高田屋嘉兵衛資料館というのがありました。この名前は聞いたことがある程度で、「おろしや黒務箪」という緒方拳さんの映画があったかなあ、という程度。あまり関心はなかったがバカラ美術館の場所を聞けると思い、入ってみました。ところが高田屋嘉兵衛なる人は江戸時代最大の商人で、幕府のお取りつぶしに遭った時には1200万両蓄財していたということでした。これは現代で換算すると国家予算の4分の1だそうで、江戸三大豪商のひとり銭屋五兵衛でも300万両だからいかにすごいか、ということです。

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(小樽にしん御殿より湾を望む。昔ここににしんを追い込んで漁をしました。高田屋嘉兵衛も海産物の貿易で巨万の富を作りました。)

この人が歴史で有名になったのは、1800年初頭、ロシアの軍艦が日本に漂着し、その乗組員が函館にある松島藩に2年にわたり幽閉された、「ゴローニン事件」です。ロシアは日本に対して武力で乗組員の奪還をはかろうとしたが、たまたま函館沖で高田嘉兵衛がロシア海軍に拉致され、その事情を知り、幕府に掛け合い、ロシアの乗組員の解放に成功しました。

これは日本とロシアの戦争を回避することにもつながり、もしこのとき戦争をしていたら、当時のロシア帝国はもっとも隆盛を誇っていた時期でもあり、日本は占領されていた公算が大きいようです。にもかかわらず、高田嘉兵衛は、その家を幕府に取りつぶされました。その死後であったのがせめてもの救いです。あまりに強大になったからです。江戸時代、大商人はみな取りつぶされました。淀屋橋で有名な淀屋、銭屋、高田嘉兵衛、紀伊国屋文左衛門などなど。三井、住友は徹底的に質素な暮らしと、幕府への献納で現代まで生き延びましたが、これは奇跡に近いそうです。

思えば士農工商どの家にも四書五経が置いてあり、国民の7割が字を読めました。こんな国家は世界中なく、大変優れた国家であったのは疑いありません。しかし隆盛を誇った企業をつぶすという愚挙は江戸幕府の寿命を大きく縮めたと思います。経済は信用で成り立っています。それなのに、商人が儲かると、幕府が難癖つけて店をつぶす、ということは、経済自体を破壊しているわけです。その場では膨大なお金が直接入るでしょうが、ひとつの経済のポンプをつぶすことにより、お金の流れは何倍もの勢いをなくします。

江戸時代の役人は現代の役人と通じるものがあります。企業と国家の問題は大変重要な政治問題でもあります。アメリカは強い政府という印象を与えながらも、企業の売り込みまで政府がおこないます。むしろ企業が主で国家が従であるという印象すらあります。日本は官主導で、国家予算を補助金や受注としてうまく取り込める企業が成長してきました。建設、医療、教育、通信、米をはじめとする食品、農業などなど・・・。

そういう意味では、戦後から高度成長までは、ほんとうに巧く経済が成長していったのだと思います。そして世界第2位の経済大国になったことはもちろん有史以来はじめてでしょう。江戸時代の経済政策とは雲泥の差です。江戸時代は、せっかく戦国時代を経て安定した政治や開墾の奨励で大幅に生産高を上げたのに、中期以降は農民の締め付けで、貧農といわれる人を多く生み、彼らは農業を捨てるようになり、大幅に生産高は減少していきました。それに比べ、戦後の復興計画は、満州での15年にわたる国土建設の体験をもとに国土計画を立て、着実に経済復興を遂げました。

オイルショックを乗り越え、円高不況を乗り越え、80年代後半に入ると、経済成長は成熟期のいきづまりを打破できなくなりました。そこでバブルというマジックで好景気をつくり、バブルがはじけ、未曾有の不良債権が発生しました。そのいきづまりを打破するために、構造改革がおこなわれ、戦後日本のビジネスの構造は一変されてしまいました。
どう変わったか、というと、より自由競争が活発化されたのです。

これからは本当に企業経営を真剣に考えなければなりません。実は今、サンフランシスコに来ています。ドリームフォース07というイベントの視察です。これはgoogleに次ぐ成長を遂げているセールスフォースというIT会社が主催しているイベントです。日本ではまだなじみは薄いのですが、ネット上でシステムを利用するSaas(Software as a Service)というビジネスモデルの大成功例です。ネット上でシステムを改良していくので、システム上の工夫をどんどんできることが特徴です。このイベントに参加するには一人500ドル、ブースに出展するには日本の実に10倍の金額にかかわらず、5000人以上の人が世界中から集まり、300社のサードパーティが出展しました。

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(ツインピークスよりサンフランシスコを望む)
今、世界中で経営革新に経営者やリーダーは注目しているのです。より自由化された市場では、個人や企業のイノベーションは必須です。特にいかにもアメリカらしくマーケティングのツールが多く出展されていました。

当社も「NextRevolution」というSaas型経営支援ツールを開発したので、先行しているアメリカの状況を把握するのが視察の主目的でした。当社のシステムは、個人の生産性が企業内でいかにあがっているかをリアルタイムに把握でき、そのために個人はいかに組織を有効に活用し仕事を工夫して生産性をあげるか、という人材開発のツールなのですが、このようなものはまだ世界中にはないようです。まさにジャパニーズマネジメントシステムなのです。

もともとサンフランシスコは、小さな漁村だったところに、1848年に金鉱脈が発見され、
世界中の人が押し寄せ、金鉱脈だけでなく、ジーパンのリーバイスなど発掘する道具や衣類の産業も大きく栄えたそうです。また稼いだ金の保管などで、銀行も栄えたそうです。現在は近郊にシリコンバレーがあり、まさにゴールドラッシュならぬITラッシュとなっているわけです。

日本企業もビジネスマンも、早くビジネスツールの工夫に関心を持たないと、世界中に遅れをとることになるのではないでしょうか。10年前、米国コムデックスのイベントの時には、日本とアメリカのITの進歩の距離はそれほど離れていない気がしました(市場規模という点では離れていましたが)。しかし、今、アメリカともヨーロッパとも大きく距離が開けられたように感じます。とくに企業でも個人でも学校でも、お客様の意識という視点で。そういう意味では、明治維新のとき同様、海外視察は大変重要な行為になってしまったのかもしれません。こんなにも情報が発達したにもかかわらず。

日本ではITはもしかして必要ない、と思っている人も多いのではないでしょうか。
私たちメディアファイブは、企業はもとより、ビジネスマン個人の方々にも、学校関係者の方々にも、今年リタイアする個人の方々にもビジネスイノベーションを一緒に考え、お手伝いさせていただきたいと思います。近々そういうサイトを作成する予定です。是非皆様もご参加ください。

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2007年09月19日 05:53に投稿されたエントリーのページです。

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