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シアトル雑感

 今年5月、マイクロソフト様のご招待でシアトルに行かせていただきました。行きの機内ではなるべく寝ていくつもりだったのですが、自社の「3週間で英語スラスラ」を夢中でやっていたら、時間を忘れ、ほとんど寝られませんでした。3時間では、英語スラスラにはなかなかなりません。でもなかなかいいソフトですよ。

 到着後は、私のような時差ボケ症状を慮ってか、市内視察という粋なスケジュールでした。最初の視察はボーイングの元本社に隣接する航空博物館で、いきなりその過激さ、迫力に面食らいました。ポールケネディの「大国の興亡」を思い出しました。

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(航空博物館)

 1783年独立戦争で勝利したアメリカは、その肥沃な農地と工業で都市が急成長し、賃金は19世紀に入ると西ヨーロッパの3割も高くなり、移民が殺到し、1816年に850万人の人口が1860年には3140万人まで膨れ上がりました。そして20世紀に入るとダントツで世界最大の工業国に躍り出ました。さらに1861年〜1865年の南北戦争で急激に軍事大国へと変身していきました。材木会社を経営していたW.ボーイングが海軍技師ウェスターバレットと作った飛行機会社がボーイングです。どおりで初期の工場は製材所を思わせます。

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 太平洋戦争においては、空軍があるかないかが、日本軍と米軍の戦場の現場で大きな違いとなったようです。そういう意味ではアメリカの繁栄の武器となる、20世紀初頭のボーイングと20世紀後半に設立されたマイクロソフトがともにシアトルにあることは、偶然の一致としては趣き深く感じました。

 さらに面白いのは、博物館の前に妙な合金の塊が大事そうにモニュメントとして飾ってあり、これは日本の三菱とボーイング社で共同開発した合金だそうです。これがつい何日か前に、日本で完成し、シアトルに運ばれ、地元の新聞ではこの合金と日本の技術の賞賛とに6面をさいて特集したそうです。シアトルという街はなぜか職人的なものに敬意を払っているようです。

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 シアトルは大正時代まで、日本人街がありました。というより、シアトルは日本人が作った街でもあるそうです。それが大正から昭和にかけて、移民法が制定され、日本人はシアトルから追い出されてしまいました。日本人の米国への反感はこのとき、大きく顕在化されたそうです。

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(日本人がつくったマーケット)

 明治天皇はサンフランシスコ大地震のとき、かなり多額の私財を、地震の救済のために米国に寄付しました。逆に、関東大震災のとき、米国はさらに多額の寄付を日本にしました。このようなやりとりがあるにもかかわらず、移民法の制定は日米の関係を一途に悪化させました。

 われわれは、相手の国を見るとき、人と同じように、単純化された関係でその国を見ます。しかし、当然のことながら国は多くの人の意思や利益で成り立っているのです。自分たちの国との関係も単純な見方は、正しいものではないでしょう。国を擬人化すること自体危険なことなのかもしれません。

 話を戻します。航空博物館に圧倒されつつシアトル市内に入りました。シアトルは趣のある古い町で、緯度も高いせいかヨーロッパを思わせます。中心街以外は木の高さ以上のビルをつくることを禁じており、また循環社会を標榜していて、この落ち着いた美しい街は本当にアメリカの余裕を感じさせるところでした。白人居住率も70%を超え、アメリカでもっとも白人の割合が多い街だそうです。この街がアメリカのめざす理想の未来都市なのかもしれません。しかしこの静かな、美しいなかに秘められている圧倒的なスケールとパワーは、この博物館に代表される、世界最大の軍事力を背景に、全世界の主導権を握り、全世界を下請け工場と市場にしているアメリカならではの余裕でしょう。

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(シアトル中心部)

 シアトルの中心街でステーキを食べ(時差ボケにはステーキがよいそうです。)ワシントン湖のクルーズに行きました。ここの湖畔にはマイクロソフトのビル・ゲイツをはじめ、アマゾンのジェフ・ベソスなど世界的な富豪の邸宅が並んでいます。「風と共に去りぬ」に出てくるような邸宅が小さく見えるくらい、豪邸が並び、当たり前のようにクルーザーとか水上飛行機とかが置かれていました。

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(クルーザーがあたりまえな豪邸群)

 その後、シアトル郊外のマイクロソフト本社に行きました。ここは「キャンパス」と呼ばれ、木の高さ以上の建物を建ててはならず、なんとマイクロソフトは3階建てのオフィスが200棟近く建っているそうです。一見大学の構内に見えるので通称キャンパスと呼ばれるのです。ここに世界中から優秀な技術者が集まってくるのだから、あらゆるソフトはここで開発が可能なのではと思いました。

 今回の出張のテーマは、いかにマイクロソフトのサードパーティーとしてビジネスができるか、というものでした。マイクロソフトの方向性は「インフラ」です。OSをはじめ、ワープロや表計算、データベースなど汎用的なアプリケーションやソフトはマイクロソフトが作る。日本のソフトベンダーはそれと共存したニッチ、たとえば業種特化したものを作ってください、ということなのです。それが、いかにアメリカという巨大国家と共存して日本が生きるか、ということとリンクしていて大変考えさせられるものでした。

 アメリカは航空博物館に象徴されるように、強大な軍事力を背景に基幹ビジネスを展開していきます。ソフト業界も世界情勢も当分この状況を変えられるものではありません。日本のIT業界は「浮利は追わず」で、地域に根ざし、自分たちが普通に暮らしていけるだけの利益をめざしてビジネスをしていけば、アメリカやアメリカの企業と競争する必要はないのです。そしてそれこそニッチなビジネスを、極めれば、それを世界中に紹介していけばよいのです。

 「浮利は追わず」はもともと住友家の家訓なのですが、お金というものは、汗を流した仕事にしか集まらないのではないでしょうか。ちょうど私が会社を興したころ、一代で会社を上場させた社長さんからお聞きしました。「自分の成功は人のやらないところをやったからだと思う。3K。つまり、きつい、きたない、きけんな仕事に取り組んだからだ」。

 そんなことを思い出した出張でした。

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2007年09月17日 18:53に投稿されたエントリーのページです。

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