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政治経済 アーカイブ

2007年09月17日

「クイーン」という映画を見て

 「クイーン」という映画を久しぶりに地元の映画館で見ました。これは1997年8月31日パリでダイアナ妃が交通事故死したことから始まる映画です。偶然にもこの事故から2週間後、私はパリとロンドンに行っていました。まだ事故現場は生々しく、バッキンガム宮殿の門前には花束が数多く置かれていました。

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(97年9月バッキンガム宮殿の前 ダイアナ妃への花束が門に積まれている。)

 映画は、ダイアナ妃に同情するイギリス国民からの非難に悩みながら、王室を守ろうとするエリザベス女王の心の葛藤と、それを助けようとする就任したばかりの若きブレア首相とのやりとりを描いたものです。エリザベス女王はイギリス国民の良心を信じながらも、大衆を心情的に煽る大衆紙に傷つきます。

 法哲学者長尾龍一氏はケルゼン選集のあとがきにこのように書いています。
「民主主義とは絞首台に登らされる自由でもある」と。
つまり大衆は時として判断を間違える。間違えた判断により絞首台に上ることもあるのです。ナチスを選んだのも民主主義憲法下のことだし、文化大革命もソ連時代のスターリン支持も大衆の選択ミスで数千万人の命が失われました。

 大衆とはとても不思議な「意思」です。10人集まると意見はばらばら。それが1万人、100万人、1000万人・・・・と増えてくると、結構また大衆という人格が見えてくる。これは人であって人でない。意思であって意思ではない。大衆が受け入れればすぐに何億、何百億という金が動く。どんなにチープなテレビ番組でも、視聴率10%で1000万人が見、億という広告料が動く。

 太平記と同時代に北朝の花園院は「太子を誡める書」のなかでこう言っています。
「民衆は暗愚であるからこれを教導するには仁義をもってし、凡俗は無知であるからこれを統治するに政術をもってする」。そして仁義や政術を身につけるには「学びに学んで経書を身につけ、正しい知識、正しい判断ができるように日々自分を評価し、反省しなければならない」と。

 「クイーン」では女王がタブロイド紙の過激な記事に傷つきます。ある意味ダイアナ妃を死に追いやった張本人であるタブロイド紙が、まったく反省する様子もなく、今度はダイアナ妃の味方をして王室の存続の否定を国民に煽る。すべては新聞が売れるため、部数を伸ばすためという理由で、命や生活を脅かされるほうはたまったものではない。

 リーダーが判断を誤ったならば、毅然とその過ちを正すのはよいと思います。しかし目上だろうが、同僚だろうが、部下だろうが、節度、というものがあります。マスコミには人としてのその節度を忘れた報道が目に付くと、私は思います。人の痛みを考えない報道に、なんの真理があるのでしょうか。相対立する立場の双方に立って真理を追究するのがマスコミであり、あまりに節度を欠いた報道姿勢は非難されるべきだと思います。

 民主主義体制は国民の教養レベルが一定水準であることを前提として存在可能な国家のシステムです。また「自然法」にのっとった国家システムです。「自然法」とは正義にのっとる、ということです。正義という価値判断が機能せず、「利」という価値判断で国家が動き始めたならば、これも民主主義の危機といえるでしょう。

 私は、日本人は、消費という観点からは世界でトップレベルの国民だと思います。日本人は、お金を払う段になると、商品やサービスに対する目の厳しさは大変なものです。それは、日本の市場に供給する企業の商品やサービスの品質向上能力を磨きます。それゆえに、世界の市場で、日本の商品の品質レベルが通用するのでしょう。しかし政治、文化、生活といった点では、日本人はけっこう鈍感になってきているのではないでしょうか。

 ただ、「クイーン」を見て、あれだけ国民の文化水準の高いといわれている英国民の弱点を垣間見た気がします。そこにちょっとイギリスへの親近感と安堵と、もしかして追いつけるかも?という野心が芽生えました。
 
 でも、イギリスを始め、ヨーロッパの教育のイノベーション(特に IT化)は進化のさなかにあるそうです。日本にとっては、今が一番その背中に近づいているのかもしれません。このままでは、これからの10年、日本は西欧に大きく引き離されてしまう可能性があります。これは行政の問題ではありません。行政はむしろ焦っています。国民のITへの敬遠、パソコン離れに起因することが大きいと思います。

やっぱりまた不安になりました・・・・。どうしたらITはみなさ んに受け入れられるのでしょうか。映画を見ても、けっきょく最後は日 ごろの私のテーマに行き着いてしまいました。

2008年02月03日

670年前の悲劇

デュマの巌窟王を読んだことがありますか。14年間無実の罪に陥れられ、モンテクリスト伯としてよみがえり、自分を陥れた人たちを復讐するフランスの小説です。しかし日本に670年間も誤解され、無視されつづけた最強の巌窟王がいます。北畠親房です。

北畠親房というと、どうも右寄りの思想と見られています。その原因は「神皇正統記」を書いたからでしょう。この書は1339年、戦場のなかの常陸の大宝城や関城で書かれました。しかしこの内容は、実は、とても右寄りの人には受け入れられない本なのです。戦前は右翼の攻撃対象にもなっていました。なぜなら武烈天皇や陽成天皇の例を出し、行いや心持ちの悪い天皇は廃嫡してしまえ、と述べているのです。さらに陽成天皇を廃嫡した藤原基経や、承久の乱で朝廷に反旗を翻して後鳥羽上皇を隠岐に流した北条泰時の徳を褒め称えているのです。さらに親房は、日本人はみな元を正せばアマテラスにいきつくから皆兄弟なのだと言っています。(「人はすなわち天下の神物である。ゆえに人たるもの精神の正しさを失ってはならぬ」日本の名著9神皇正統記上P371)、(「天下の万民はすべて神の子である。神は万民の生活が安らかにするこおを本願とする。」同下P431)

かといって神を限定するわけでもなく、人間みなその心はそれぞれなのだから、いろいろな宗教があるのを認めなければならない、と言っており(「ひとつの宗派に志ある人が、他の宗派を非難したり低く見たりすることはたいへんな間違いである。」同中P395)いかにリベラルだったかがわかります。

そもそも読者の中には「神」ということばも抵抗がある方が多いのではないでしょうか。親房の「神」はすなわち八百万の神、イコール自然や天という言葉で置き換えて差し支えないと思います。宮崎駿のトトロやもののけ姫、千と千尋の「神」と同じイメージです。

親房は山間の村人たちに政治意識、国家観念を啓蒙していきました。もちろん武家を敵に回したための、戦闘要員として村人たちを引き入れた、という理由もあるでしょう。しかし、親房が従来思われている、天皇崇拝、公家の権益を守るだけの人間であったならば、そのような行動にはでないでしょう。なぜなら北朝と和解し、良い暮らしをしようと思えば、いくつもチャンスはあったのだから。親房が実現したい国家、それは国民すみずみまで学問と日本の伝統文化を大切にする文化国家の建設だったのです。

賀野生には親房の理想国家の建設に共鳴し、武器をとって命をおとした村人の慰霊碑が親房の墓のとなりに建っています。

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(村人たちの慰霊碑)

先日、経済団体での上田知事との懇談会で、知事が日本国内の需要の低さを嘆いていましたが、私は国民の独立心と向上心に火をつけなければならない、と思い、メディアファイブを作ったとき、資格試験のソフトの開発に力を入れました。消費市場を投資市場に変えていかなければならないのです。その辺のことは2001年に刊行した頑張り応援宣言の中に収録されている、「21世紀への提言」をご高覧ください。911の年、日本経済はどん底になり、失業者が増加したときに、皆さんに資格をとって頑張っていただこう、と無料で配布したものです。

もうひとつ親房の誤解を解かねばなりません。彼が血統を重視したことです。なぜ血統を重視したか。ひとつは上記にあるように日本人はみなアマテラスに行き着く、という文化国家の建設にありました。
もうひとつは、これがもっとも大問題なのですが、いままでブログに書いてきた、報酬の分配の問題です。彼は上古を例にとり、(「まず勲功があるからといって官位をあげることはしませんでした。そのかわり勲位という制度をつくり、それ相応の待遇をうけることができたのです。」同下P443)今でも勲一等というのはこの名残なのです。(「そして官職を選ぶ基準はまず行いの正しい人。そしてその次に才能のある人を選びました。また徳義、清廉、公平、勤勉の4つを重点として人を選択したそうです。」同下P445)

当時報酬は土地でした。しかも建武の親政になり、北条政権が滅びると恩賞の問題で日本中大混乱に陥りました。親房がいいたかったことは、(「土地は政治の基であり、恩賞ではな」ということ。同下P447)もともと武士は朝廷の一官職であったのが、平氏の台頭から北条政権にかけて朝廷から離脱を始め、殺し合いで土地を奪うようになってしまったことを親房は思わず「武士は長年にわたる朝敵」と言ってしまったのです。まあこういうことを宣言すれば武士は味方から逃げていくでしょう。親房の失敗と誤解はここにあるのだと思います。親房はあまりに人間を信じすぎ、理想高く、人々の理性に期待していたのです。だから日本人はみな神の子だ、という神皇正統記を書いたのでしょう。

しかしこれはもてるものの、高い地位にあるものの思い込みだと思います。大部分のもてない人々は奪い合い、殺し合い、ぎりぎりのところで生き延びているのです。人々の欲望を理性で制限させようとする政治はいつの時代でも失敗します。田中氏が以前のブログで指摘したように宗教しかその解決の手段は当時なかったのでしょう。

それでは親房はどうすればよかったのか。息子の顕家が尊氏を破って都を奪還したとき、恩賞をとらずに、みなの手本にさせるぐらいが関の山だったでしょう。欲望を抑えろといっても、当時ではどうすることもできなかったのです。

やはり力で欲望への配分を制限するしかなかったのです。つまり「公家の武家化」を実現するしかなかった。しかし南朝の公家で武士を指揮できるのは、護良親王と顕家しかいなかった。なぜ後醍醐天皇は自分の息子であり、建武の親政第一の功労者である、護良親王を足利尊氏に渡してしまったのか。護良親王なきあと、顕家の戦死で建武の親政は実質終わったことになってしまうのです。

それから300年近く、欲望を力で奪い取る、戦乱の世が続きました。徳川家康や天海の出現で、ようやく乱れたる世にピリオドを打つことができたのです。もちろん宗教という手段も使いますが、徳川幕府は欲望を合い反する2つの勢力を共存させることで、みなの欲望をそいできました。つねに二律背反なものを同居させました。士農工商という階級をつくり、商人など金持ちほど低い位にする。またこの時代にもまだ南北朝の対立の流れは存在していたのですが、それも温存する。譜代、外様と藩を分け、徹底した分権統治と、外様同士を争わせ、あらゆる社会で2律背反を同居させることにより、徳川幕府を脅かす巨大な勢力が誕生しないようにしたのです。その結果270年近い安定した社会を生み出しました。

そして黒船の出現とともに、また強力な中央集権国家の存在が必要となり、その対応が柔軟にできなかった徳川幕府は倒れ、明治政府が誕生しました。そして中央集権のもと、個人と組織の競争はまた始まりました。

日本は軍部の派閥争いから、危うく国を滅亡させる寸前まで陥りました。

戦後、自由主義の下、個人の競争、会社の競争の元で、日本は大きく高度成長を遂げました。
しかしその成長もだんだん行き詰まりつつあり、環境問題も表面化し、競争原理だけで本当にいいのか、新しい突破口を皆が模索しはじめました。

そして今、ITの出現とともに、組織と個人のシナジーが可能になったのです。ようやく親房の理想が実現できる世の中が到来したのです。

2008年03月16日

私が、ただ、ひたすら伝えたいこと。

私は、もちろん専門家ではないのですが、多少は政治経済のことは知っているつもりでした。大学時代はゼミで戦後政治をくわしく勉強し、卒論は憲法変遷論でした。この年になるまで、日本の経済史や、政治関係の、それこそ何百冊という本も読みました。

しかし私は、政治的センスがありません。私の考えは一般世論と同じレベルです。私が投票する人や党は大抵勝ちます。(これは自慢ではなく、自分の政治レベルが大衆レベルであるということ)郵政民営化の選挙のときも、賛成に投票しました。今、そのことをだれかに正直に話すと、大抵「お前は政治がわかっていない」、と馬鹿にされます。

確かに、小泉政治は、大企業だけが豊かになり、国内経済、特に地方の経済は大変な落ち込みをもたらしました。

でも当時私は、日本人が、いつまでも高速道路やダムのなどの補助金に頼って生活しているのではダメだと思ったのです。個人が自分に投資することに目覚め、みんなで知恵を出し合い、力を合わせて仕事をすれば、日本人ならば、世界に通用する仕事ができるのではないのか、と思ったのです。

ところが結果は、地方は疲弊し、格差はひろがり、個人はやる気をなくし、自分への投資をやめ、パソコンに背を向け、いわゆるひきこもる人が増えてしまいました。

ただ国民に、国を頼る傾向は少なくなってきたことだけは確かです。あとは国民が「やる気」と小さな「成功体験」を持つことです。

私が教育ソフトメーカーをはじめたのも、人と知恵を育てるグループウエア開発しているのも、ただひたすら、この世の中が、みんなで知恵を出し合うことが富を生み出す社会に早くなって欲しいからです。

もっと具体的に言うと、組織に属していても、個人でも、自分に「投資」することで、自分の収入を増やし、豊かな生活を送る術を個人個人が身につけることにあります。

経済の専門家は、人口の増えない社会に経済発展はありえない、といいます。
しかし消費市場に「投資」という概念が持ち込まれれば、市場は無限に広がると思います。この考えを私は大学時代から持っていました。

消費市場は、人の生活における消費は有限ですが、個人が「投資」にめざめれば、そこで利益が生まれ、再生産されるからです。個人における「投資」はITの普及とともに可能になります。市場の川下である消費市場が広がれば、川上である生産財市場も拡大します。だから早く知価社会へ産業革命しなければならないのです。

農業社会では単なる道具である、鋤や鍬のような工業製品の市場が拡大して、工業化社会になったのと同様に、知恵や知識が従来の産業と結びつくことで、市場が拡大して、知価社会になるのです。

もともとイギリスで起きた産業革命は燃料不足による社会不安から起き、戦争が工業化社会への牽引となりました。知価社会は人口の急増(19世紀以前にくらべ)による弊害、先進国における人口のいきづまり、工業化社会経済のいきづまりから派生し、環境問題や高齢化社会、ITの普及が牽引になるでしょう。

私の身近な人が、3年前に亡くなったのですが、元は農林省の家畜衛生試験場の技官で、退官後は、ザンビア大学やモンゴル大学の教授として第3国の獣医学やウイルス、DNAの研究の指導に当たっていました。

しかし70歳になってからは、引退し、毎日将棋や言語学や仏教の勉強をしていました。時々、家へ遊びに来たのですが、大抵私と、そういった話で盛り上がりました。さすが東大出の研究者だけあって、それはそれは、あらゆる分野の知識や知恵は大変なものでした。

私は、そのうち本を書いたり、学問の仕方などで、会社の仕事も手伝ってもらおうと思っていたのですが、急死してしまい、日本の学問、文化にとっても本当に残念でなりません。特に長年研究してきたDNAと日本語の言語の起源と、仏教文化の関係を書いてもらいたかった。

定年を迎えた人が、その経験や知恵を生かす場所が、今の日本になかなかありません。ITを活用すれば、そういう人の人財を有効に活かせるはずです。

年配の人だけではありません。運悪く社会で活躍できない才能は、日本中に数多く眠っているはずです。たとえその仕事には就いていなくても、あなたの中にもだれにも負けない才能が眠っているかもしれません。

私はメディアファイブで、人々の才能を掘り返し、利益につなげるための道具を開発してきました。

プレミアシリーズで、世の中で初めて五感で学べ、携帯電話やiPodとの連携を強め、いつでもどこでも人々の才能を活かし、さらに勉強好きにするシステムを開発しました。

そして、人々の能力を正当に組織で活かし、利益をもたらすためのシステム「則天」を開発しました。

私は今年、完成した「則天」をベースに、そういう情報交流や仕事ができるSNSを作ろうと思います。老若男女みな参加してください。自分の可能性をそこで追求できれば、と思います。

日本人はものすごく高い知恵とエネルギーと大和魂を持っているはずです。元寇の危機のときも、江戸の元禄文化も、明治維新だって、戦後の焼け野原のときだって、高度成長期だって世界に類のない奇跡を起こしてきたではないでしょうか。

今度は個人、一人ひとりが、企業ひとつひとつが、国に頼らず奇跡を起こす番です。それは民間ベースで、地方ベースで「IT共同体」をつくればよいのです。

是非みなさん一緒に力を合わせて、もう一度奇跡を起こしましょう!自分の才能を見つけ、目標を持ち、その目標を目指して命をかけて働き、考え、知恵を絞れば、かならず利益を出せるはずです。

2008年04月19日

渋沢栄一とお花見

私は埼玉ニュービジネス協議会という、主にベンチャー企業の経営者の集まりに属しております。その中で、交流委員会、渋沢委員会、IT・教育委員会というものがあり、私はIT ・教育委員会をコーディネートさせていただいております。

先日渋沢委員会で渋沢栄一資料館の見学とお花見を王子飛鳥山でおこない、私も参加させていただきました。

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渋沢栄一資料館は10年ぶりに訪れました。10年前、どうしてビジネスはなかなか巧くいかないのだろう、と思い悩みながら電車に乗っていると、飛鳥山が目に入り、そういえば、ここに渋沢栄一の邸宅があったと思い、思わず見たくなって途中下車しました。

10年前は冬の夕暮れだったので、暗いイメージが記憶に残っていましたが、今回はお天気で、桜も満開で、飛鳥山はお花見で賑わっていました。館長さんに案内していただき、いろいろと説明を受けました。

10年前には、なぜ渋沢栄一が成功したか、よくわからなかったのですが、今思うと、次のようなことではないでしょうか。

1、徳川慶喜の家来となり、その側近である平岡円四郎に認められたこと。
2、幕府使節団としてパリへ行き、資本主義のあるべき姿を知り、必要なものを日本に作った。
3、「共存共栄」の思想が、周囲の人と金を集めた。
4、家が商家であり、しかも小さい頃から論語を学んでいました。そのことがマックスウエーバーのいう、ヨーロッパとピューリタンと似たような、日本武士道と論語という資本主義を成長させるための教育を、渋沢は偶然うけてきた。

前にも触れましたが、私は渋沢栄一の「処世の王道」という昭和3年発刊の古本を偶然古本屋で見つけました。この本は大正12年に発刊しようとしたのですが、関東大震災で紙型が焼失し、それ以後絶版になっていたものが、渋沢の米寿の祝いに改めて昭和3年、発刊したものです。

その内容を要約すると、
1、なぜ論語を学ぶのか
・論語は父、年長の従兄から学んだ。
・論語は実践しやすい
・維新前の商工業者には素養がない。維新後、外国との交流も始まったので、品位を高めなければならない。

2、徳川慶喜の家来になる
・幕府は早晩つぶれるので、慶喜公の将軍就任には反対
・豪族政治になると思っていた
・パリ万国博に大使として派遣される
・静岡で商工会を開く
・勝海舟は慶喜公を静岡におしこめる
・函館戦争に榎本武明にさそわれる
・大久保利通に嫌われる。識見卓抜で、その才能たるや、底の見えぬ気味悪さ
・西郷隆盛は賢愚を超越
・木戸孝允は文学の趣味が深く、考えも組織的
・勝海舟はこの三公の器まで行かない
・祖先崇拝は温故知新
・江藤新平と黒田清隆は自分の意見を押し通す
・伊藤博文は議論好き。論理的かつ博覧強記で相手を説得。

3、富貴は正道をもってする
4、算盤の基礎を論語の上におけ
5、西郷は情に流され、江藤新平は残忍にはまる。大久保利通はその間。
6、商売は商戦にあらず
戦いは相手を倒すことにあり(+―)商売は相手も幸せにする(++)。

7、西洋と東洋と道徳のちがい
西洋:よいことはなるべく人に勧める
東洋:己の欲せざることは人にすることなかれ
というものです。

とくに幕末の偉人が等身大に描かれていて、とても面白かった。

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話は渋沢記念館の見学に戻りますが、今回の見学で、もっとも印象に残ったのは、館長さんがとくに強調していたのが、栄一が政治の道を選ばず、経済の道を選んだ、ということです。

私も世の中を良くするのは経済だと思っています。特に、15年前、ポール・ケネディの「大国の興亡」を読んだとき、いかに経済が歴史を作ってきたかを痛感しました。

渋沢が作った企業群は現在も日本経済の中心を担っている企業が多く、もし今日、グループ化すれば、もちろん日本一のグループになるでしょう。しかし渋沢は会社を作っても、私物化をしませんでした。戦後、財閥解体のとき、GHQは渋沢一族が、財閥と見られている割りに、財産があまりに少ないことにびっくりしたそうです。

渋沢に私欲がなかったから、渋沢に金と権力が集まったのでしょう。ひょっとしたら維新の英雄より、渋沢のほうが、よほど今日の日本の礎を築いた人なのかもしれません。

お花見の帰りの居酒屋では皆大変盛り上がりました。

2008年10月10日

資本主義の原点に帰りましょう!

今、リーマンブラザーズの破綻、メリルリンチの買収、国内でも4半期前まで空前の利益をだしている企業が突然破綻するなど、従来ではありえないことが起きています。さらに株価の下落は止まらず、底なしの様相を呈しています。

1929年以来の大恐慌の到来が、本格化しそうです。具体的にはどういうことなのでしょうか。
それは従来型の経済のシステムの崩壊が始まったことを示唆しています。 従来型の経済システムとは、バランスシートを重視する経営を基本とする経済システムです。 総資産はいくらか。その中で利益はいくら出しているか。その数字により、銀行はその企業の融資額を決め、利息を決め、証券市場は株式公開をさせるかどうかを決めます。

企業において、株式公開がもっとも儲かるものであり、その株式公開は、売上規模を求む経営であることです。 もともと証券会社は上場にあたり、手数料収入が収益源となるため、発行株式の多い企業、すなわち、規模が大きいほど利益が大きくなるので、売上の大きい会社を上場させる傾向にあります。 急拡大する企業は、消費市場でも法人市場でも突然大きなニーズが現れ、その市場をいち早く押さえた企業です。

間接的ではありますが、日本の十指に入る経営者が、その部下である私の友人にしみじみ言っていたそうです。自分の財産はほとんど株式市場で儲けたようなものだ。実際のビジネスはどんなにヒットを出してもたかが知れている。その会社は創業以来、常に3割以上の利益を叩き出し、大ヒットをいくつも叩き出した企業です。この言葉は、株式市場がいかに実ビジネスからかい離していたかを物語ります。

その結果、株式市場で利益を出す企業、つまりファンドに信じられないほどの金があつまり、1993年以降、米国は金融のグローバル化を強め、世界中に実業の10倍近い金が動きました。

しかし、そのような証券市場での価値に見合う企業が雨後の筍のように出てくるのでしょうか。そのような中で、証券会社は利益をだすために、似た会社で、売上規模がある程度大きくなったところで上場させ、自社の利益拡大を図ろうとしたのです。

ところが、二番煎じ、三番煎じの会社は、一番煎じに比べ市場シェアも抑えられず、またオリジナリティも薄いため走り続けるには限界があります。そこで様々な無理をすることで、悪くすると破たんの原因にもなります。

そして短期的利益に執着することが、長期的戦略においてはデメリットであることも増えてきます。

もともと誕生してから早く上場する会社は、その成長力はまさに実力でしょう。しかし商品ラインナップや事業領域の幅は狭く、本業の行き詰まりから次の手を打つことが難しくなります。攻撃型のボクサーが以外に防御に弱いように。

本当に企業の評価は、その売上や利益、そこにいる人材や業歴で把握することができるのでしょうか?会社は固形物ととらえられてはいないでしょうか。会社も、人や組織で構成されている流動物です。どんなに業歴が華々しくても、利益が上がっていても、所詮企業の血液がお金である限り、流動物です。

金融界の英雄であるジョージ・ソロスでさえ、金融が資本主義を滅ぼすと警告をしました。企業は常に買収におびえ、株価の維持に固執するあまり、本来、山あり谷ありの業績をいかにうまくコントロールするかが経営の手腕のはずなのに、右肩あがりの経営に執着するあまり、企業組織の破壊、社員の心理的破壊、企業間の破壊、市場の破壊を招く結果となるのです。

そして最近、米国のサブプライムローン問題に端を発し、金融市場のグローバル化にかげりが出始め、いよいよ崩壊がはじまりました。私たちはいまこそ実業と金融の関係をもう一度見直す時期にきているのではないでしょうか。

本来金融は実業を発展させるための潤滑剤のはずです。近代の先物取引は江戸幕府が大阪堂島にひらいたのが先駆けといわれていますが、これも初めは米の値段を、安定的に取引するための手段だったはずです。渋沢栄一や万俵鉄平のように、みんなが得をする経営者を応援するために金融市場はあるべきです。

企業経営は波乗りです。つまりいかに人を育てるか、お金をいかにうまく生み出し、投資し、社員や社会に還元していくか、を私心なく采配できる経営者にお金が集まるべきでしょう。なぜならそういう経営者こそ本当の付加価値を生むことができるのだから。

今日行われている金融資本と、本来ある資本主義では、本質的なところで相対するものです。本来の資本主義は皆で金を出し合い、利益を生みだしたら利益を分かち合うものなのです。

何度も引用して恐縮ですが、そのことはすでに100年以上もむかし、渋沢栄一が看破しています。「商売は商戦にあらず」。今の言葉では、「ビジネスは戦いにあらず」でしょう。偶然、浦和の小さな古本屋で見つけた、くしくも大恐慌の1年前、1928年発行の「処世の王道」という渋沢の著書の中に書いてありました。野村徳七を例に出して、相場は儲かった人がいれば損をする人も必ず出る、だが買った人も、売った人もみんなが得をするのが商売だ、と言いました。私はこの言葉が渋沢の言葉の中で一番好きです。

人と人は争うのではなく、協力しあうほうが絶対得です。競争したり、戦ったりする暇があれば、お互いの良いところを見出し、より良いものを作るほうが良いはずです。企業もしかりです。そのための切り札は組織における情報共有と公平平等な分配、そして人材教育です。甘い?と思われる方もいるかもしれません。しかしその考えは間違いです。協力しあいながら本当の付加価値を出すことのほうが、はるかに地道な努力と時間と忍耐と覚悟が必要なのです。

だれでもみな手持ちの金と時間は限られています。そのなかで付加価値を出すことは並大抵なことではないのです。その学習は、人が生きるうえでもっとも難しく、もっとも重要なのだと思います。その学習こそ、「経営」です。「経営のコツここなりと気づいた価値百万両」と松下幸之助は言いました。「経営」は経営者だけでなく、社員一人ひとり、いえ国民一人ひとり皆が学ぶものなのではないでしょうか。

経営者は、私心なくお金をあるべき自然の流れに従って流さなければなりません。自然を「天」と置き換えれば、「則天」です。つまり「則天去私」が経営者のめざすべき心がけなのだと私は思っています。
この言葉は私の中学時代からの座右の銘でもありました。

金融資本が世界中を跋扈し、穀物にも手を伸ばし、それがため、餓死する人もでる始末です。天はこの狂える人間の愚行に天罰を加えたのでしょう。つまり金融というバベルの塔を壊したのです。

それでは次はなにか。もちろんまた悪魔の手品(マジック)が現れるかもしれません。しかし、今言えることは、「実ビジネスは壊れない」ということです。まじめに働き、身の丈に合った利益を出し、常に改善をおこないながら再投資する。この資本主義の原点のビジネスはこの危機に一緒に崩壊することはないでしょう。

それではいままでのように働いていればよいのか?否です。原点のビジネスを維持し続けられないから、問題がおこるのです。

大切なことは、利益を出すシステムを整備することです。それはなにか?資本主義の原点から考えれば「イノベーション=改良」です。

「もの」が付加価値を生み出す時代は終わったのです。否、「もの」が付加価値を生み出すのは若い急成長国家です。日本においては価格競争から「もの」だけでは利益を出しにくくなるでしょう、これから付加価値を生み出すのは、人に依存するサービスであり、知恵によって作られた商品です。

また、破たんする会社の特徴は売上やニーズより、投資や開発を先行させる傾向があります。 まず売上をあげること、ニーズを発掘することを全社が一丸となって進めることが重要ではないでしょうか。

企画部門、開発部門、総務部門など内勤でもSEO対策やメールで新規開拓も可能です。しかしその活動が継続的かつ効果的なものにするためには、内務者の明確な活動記録や評価するシステムが必要です。

日本における中小企業で、いきなりグローバル戦略は難しい。自社商品やサービスを究極まで質を上げ、そのノウハウを海外展開することが重要。

そのためには改善提案が必要。グループウエア上でも、日報の記入にしても、改善提案しやすいシステムをつくることが必要。

ノウハウや技術をシークレットにすることは、その普及に歯止めがかかります。これからは技術をオープンにし、みんなが活用できるようにし、自分たちはその進化力の速さとクオリティで他の企業との差別化をすることが必要で、一人一人が常に仕事の改善改良を続けるシステムに、組織をかえていかなければなりません。

そうはいってもなかなか、通常の業務のなかに改善提案やシステム導入はできません。理由は評価システムが大雑把だからです。人は自分の働きが、報酬に見合わなければ働きません。それを年に2回、中間管理職まかせで決定することは企業の進歩を促進しません。
採算、人事、学習、技術といった項目で定常的に評価することが、人をまじめに一生懸命に働くのです。

ヒットが出ますように、儲かりますように、という運頼みの経営から全員が知恵を出し合い、どうやって利益がでるかを工夫しあいながら、粘りの頭脳経営をしなければなりません。

なぜ経営は実態を把握しずらいのでしょうか。まずバランスシートで本当に利益があがっているかどうか、把握することはできません。その商品やお客様、サービスが利益を上げているかどうかは、通常の販売管理ソフトでは、期をまたいでいるので解りにくいのです。

従って、その商品やサービスがスタートしてから、どれだけのコストと時間がかかり、どれだけの利益をだしたか、明確になるシステムが必要です。

そしてそのプロジェクトが利益を出しているかどうか、だれが、どの程度貢献しているか、という参加している人の貢献シェアが明確にならなければなりません。

だれかが仕事をしたら、その結果が明確にならなければ、仕事のイノベーションは生まれません。しかし従来の経営手法では一人一の仕事の結果が明確化されていないのです。

個人の仕事の結果を明確化する個人生産性のシステムが必要なのです。上司によるいい加減な評価は、人材の資源を有効に活用することはできません。

「行き詰ったら原点に帰る」昔から言われている原理原則です。巷では、億万長者になれる、とか楽して儲けるとか甘い言葉の散乱した本が店頭に並べられています。しかし今度の金融危機はそういう甘言がみなまやかしであることを証明しています。当たり前のことをコツコツすることが大切なのだと思います。

改善改良の継続、公平平等の分配、個人生産性の向上。もちろんなかなか実行することは難しいです。当社でも3年前から取り組んではいますが、なかなか理想的な状態にはなりません。

しかしたとえば当社では間接部門でもメール営業やSEO対策をおこなってもらっています。それもきちんとそういう行為が実を結べば、結果として評価される仕組みなので、みな続いているのだと思います。

そして自分の仕事の結果が出て、報酬として受け取ったとき、働くよろこびとモチベーションにかわるのでしょう。

利益を出すシステムづくりを早急にしないと、「念じていれば神風(キャッシュ)がふいてくる」と祈るしか方法がなくなってしまいます。

2008年11月16日

真言内証義と経営システム

前のブログで、玉川温泉につかって北畠親房の「真言内証義」と顕家の「奏文」を繰り返し読んだことは述べました。なぜこの二つか、というと、顕家の思想的主張はこの「奏文」にしか書かれていないのですが、「真言内証義」は比較的短文で、しかも曼陀羅についてかかれているからです。いくら読んでも、難しすぎてよくわからないのですが、なんとなくこの中に当社が5年をかけて開発している経営システム「則天」の普及へのヒントが隠されているような気がしたのです。「読書百篇意自ら通ず」という言葉がありますが、70回くらいしか読んでいないので、まだ意自ら通じていません。ただこうやって文章にしてしまえば、少しは理解が進むかな、という思いから筆をとりました、ならぬキーボードをたたき始めました。

まったくの素人の私が無造作に話すとご批判を受けるかもしれませんが、早い話がもともと仏教の目的は、人間の本質を洞察し、欲望に満ち溢れた人間を、いかに高い次元へと導くか、ということだと思います。経営も欲望に満ち溢れた人間を、いかに機能的に会社の目的に組織的に導くか、ということなのだから、仏教がヒントになるかも、と思うのです。もともと曼陀羅は仏教の概念をシステム化したものなのですから、これはこのまま経営システムとして応用することは可能です。

前回のブログで、仏教の目的が法報応の3段階で進むことにちなんで、「則天」の目的を1、改善提案 2、目標と予算の管理 3、個人の生産性という三段階に分けることに気づいた、と述べました。さらに醍醐味の5味にちなんで5つのステップに分けます。(もともと分けているのですが)情報共有モデル→ナレッジモデル→プロジェクトモデル→スタンダードモデル→フルモデルへのステップです。

「真言内証義」は過去の原因を把握しろ、と言います。人はそれぞれで、みな過去になにか背負ってきたように一人一人強烈にキャラクターがあります。天、人間、修羅、餓鬼、畜生、地獄という六道というのがあり、その人がどこから来たのか、と考えたくなる時があります。まあ大抵「人間」からなのですが。時として「修羅」や「餓鬼」からきたのでは、と思う人もたまにいます。

また四苦八苦というのがあり、「生、老、病、死」という基本のほかに「愛別離苦、怨憎得苦、所求不得苦、五取おん苦」というのがあります。愛する人と別れる苦しみ、いやな人に会う苦しみ、欲しいものが手に入らない苦しみ、自我に執着する苦しみがあるそうです。そしてこの苦しみの原因が無明という欲望から来ていると。その種類は3つあり、貪(感覚的欲望)・瞋(生存に執着する欲望)・癡(生存を断ちたい欲望)の3つの欲望から来ているといいます。

そしてこの苦しみを解決する手段が八正道と呼ばれる正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定から成るそうです。

思うに会社の問題点は、そこに構成する人々のこういった欲望から起因します。しかも人それぞれの欲望や苦しみがあり、それが、本来目的にそって機能するはずの組織が機能しなくなるのです。

日本の伝統的な経営システムである年功序列・終身雇用という制度は、一生涯の雇用を保証し、若い時は安月給でも歳をとるに従い地位と給料があがる仕組みです。独身の時は、沢山働き、会社に利益をもたらし、歳を取ると、住宅ローンをはじめ、子どもの学費や親の介護などどんどんお金がかかります。そういうときに、とても優れた制度なのです。出世する確率も高く、会社に対し、強いモチベーションも持てます。そのために様々な個人的な欲望を抑え、会社に対する誇りと所属意識は芽生え、玉石混合ですが、上司から様々な教育を受け、会社は組織を維持することができました。

しかし今日、バブル崩壊以降、大企業を中心にリストラが大幅に敢行され、労働流動性が加速し、非正規雇用者が増加し、その結果、年功序列・終身雇用というシステムが制御していた個人の欲望をコントロールするシステムが崩壊し、企業は組織のモチベーションやモラルを維持するのが難しくなってきたのだと思います。とくに、「教育するシステム」という観点からは深刻だと思います。なぜなら年配の人が若い人を教育したら、いつ自分の立場が危うくなるか分からないからです。したがって中間管理職も、従来の役割や機能は低下し、むしろ上司にも部下にも、自分に有利になるよう働きかけ、むしろ悪い面が増えてきたようです。今日では、中間管理職を減らす組織が増加しています。夜の飲み会は、以前はある程度上司や先輩とのコミュニケーションや教育の場であったのが、今日、中間管理職のリーダーシップの欠如を埋め合わせや、組織のためより個人の利益誘導に利用されることが多くなったのだと思います。

企業モラルの低下も目先の利益に走るのもこのシステムの崩壊は要因の一つにあると思います。また国内消費市場の冷え込みが回復しないのもこのシステムの崩壊が要因のひとつになっていると思います。先日、埼玉NBCの会合で、北畑前通産事務次官の講演を拝聴してびっくりしたのですが、かつての日本の高度成長は輸出が要因ではなく、国内消費の上昇が最大の要因だ、ということをおっしゃっていました。どんなに株価があがっても、大企業が儲けても、国内消費の活発化なくして本当の景気回復はないのです。そして国内消費の活発化は未来への安心と夢がなくては実現できません。年功序列・終身雇用の崩壊が日本国民に与えたものは、未来への希望を失い、個人主義に走ること、モラルをなくすこと、そしてやる気をなくすことです。その結果個人消費は収縮し、マクロ的にみれば、労働生産性を低下させ、教育レベルを低下させているのです。

だからいち早く年功序列・終身雇用にかわるシステムを普及させなければならないのです。そのシステムこそ「則天」なのです。個人の仕事の結果を記録し、組織の貢献度を記録し、個人の知恵をシステム的に結集し、最終的には金、人、技術、情報、学習という点でシステマティックに、より正当な評価をすることができるのです。こういうシステムを企業が一般的に利用することになり、正当な評価が約束されれば、社員は自己投資や研鑽に目覚め、会社の生産性はあがります。これは以前からの私の持論ですが、次世代型経済は個人市場が、従来の消費市場に加え、「自己投資」を含めた投資市場により飛躍的に拡大するものと思います。そうなったとき、企業の生産性は飛躍的に向上し、教育力はまたOECDのトップクラスに返り咲き、日本は世界のリーディングカンパニーになるでしょう。

親房は、遠い将来、そういう日本になることを願ってこの「真正内証義」を書いたのではないでしょうか。それにしてはあまりに難しすぎます。もっと簡単に書いてもらいたいです。

2009年04月01日

構想15年、著作3年で完成しました。!

本当にご無沙汰しております。今年になってなかなかブログが書けなかったのは、実は1冊の本と1本のDSの原稿を書いていたからです。

まず本からご紹介します。

4月22日当社から「究極の経営」を出版します。15年前、メディアファイブを設立した頃、「デジタル社会の成功法則」という書籍を出すことを計画しました。しかしなかなか推敲が進まず、5年前、「則天」のバージョン1が発売したころ、本格的に発売しようと考え、さらに一昨年、タイトルを「究極の経営」と題して、昨年5月に発売しようとし、なんと1年後の今年の4月22日になりました。

実に難産でした。日本人一人一人が自己実現の喜びで働く民族であり、そのためのツールを作っていこう、という構想を発表するはずが、15年の間に、ツールの対象であるシステムやコンテンツを作り続け、結局コンセプトを発表する前に、すべて作るべきものは世に出してしまいました。

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おこがましい言い方をお許しいただければ、ようやく画竜点睛を書いたわけです。つまりこの本に書かれていることは、すぐにソフトやシステムで現実の経営やビジネスの現場で実現できるのです。つまりこの本とメディアファイブで作ったソフト、システムがすべて「究極の経営」という作品なのです。

サブタイトルは「景気循環の波を活用した 組織と個人の生産性飛躍法」です。
ポイントは2001年9.11にあります。この日を境に日本の内需は縮小の一途をたどっています。内需が縮小すると、自己実現のための市場が縮小し、より生理的、親和的、一時欲求的市場が中心に栄えます。その結果日本における知的なイノベーションは遅れてしまいました。今日、幼稚化した日本を嘆く知識人が多いのもそのためです。しかしこれは景気循環の一現象であり、今回の恐慌はその流れをリセットするきっかけを作ることが予想されます。

このような景気循環のなかで、いかに個人と組織の関係を見つめ直すか、が今、とるべき戦略と考えます。

企業においてはITを活用し、社員を事業主の目線まで引き上げ、組織のレバレッジを活用して組織の生産性を向上させること。

こういったテーマを孫子の兵法(古典から学ぶ)、旭山動物園、など様々な身近な視点での話(コラム)も交えてご紹介していきます。


今までにない、新しいご提案が随所に入っていると思います。ご期待ください!

さらに「孫子の兵法DS」を5月21日に発売します。

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これは今日様々な厳しい現実と決断を突きつけられているビジネスマンが、戦略的思考法を訓練できるソフトです。これは上記の「究極の経営」と連携したソフトで、まさにビジネスマンの暗黙知を磨くためのに作りました。「究極の経営」とあわせてご利用いただくと、より実践的です。

以上よろしくお願いします。
詳しくはホームページでご高覧ください。

2010年02月15日

なぜ、今、「ナナミ」なのか。 序章 「韓国に行ったこと」

昨年秋、15年ぶりに韓国に行きました。まず驚いたことは、ソウル市内が見違えるように美しくなったことです。15年前は、高度成長期の日本(路地はごみで汚く、道路は常に渋滞状態で、鉄道などの交通網は当時の日本よりはるかに発達していない)といった印象だったのが、いまやシアトルのような落ち着いた美しい巨大都市、といった様相に変貌していたのです。

さらに驚いたことには、夜、東大門市場にいくと、夜中でもその人の多さ、お店の数、品物のバラエティに富んだこと、今の日本では考えられないほど「消費」する場が活発でした。また値段も安く、ネクタイ200円、洋服が300円、500円とユニクロ顔負けの値段でした。

確かに15年前、まだ韓国では、週休1日で、熱心なサラリーマンは朝6時に来て、自己研鑽し、8時から始業し、夜中12時に帰宅する、というそのモーレツぶりに、本当に驚かされました。まさに1970年ごろの日本を見ているようでした。しかし今や、精神的にも経済的にも日本は韓国に抜かれた感があります。

韓国は、一度は経済破綻をし、IMFの占領下にあったはずなのに、なぜこのように発展しているのでしょうか。このエネルギーは韓国民ひとりひとりの向上心のエネルギーに他なりません。世界一のITインフラを誇り、教育にもITをフルに活用し、失業率は二桁に近く高くても、けっして浮浪者を数多く目にすることもなく、さっそうとたくましく生きている韓国人をみていると、なぜ、みんなこんなに前向きなのだろうか、と不思議に思いました。

その疑問に対する答えは次の日に、見つかりました。観光ツアーでバスで38度線に行ったのです。MDSという非武装地帯は観光地化されており、バスでソウルから1時間のところにありました。検問があり、パスポートをチェックされ、第1師団の場所から、北朝鮮や板門店が見えました。そこは朝鮮戦争の名残が色濃くのこるところで、銃弾でハチの巣だらけのさびた機関車や封鎖された線路などが、松本零二の漫画さながらに雨ざらしで展示されていました。

そのあと、都羅山駅という北朝鮮との往来のある駅(現在は電車は行き来していない)へ行きました。ここはブッシュ大統領も見学に訪れたそうです。この線路は中国北東部を通り、シベリア鉄道につながり、戦前はヨーロッパまでつながっていたそうです。

思えば有史以来、朝鮮半島は、中国、ロシアという大国に囲まれ、日本からもたびたび侵略され、ヨーロッパにおけるポーランドのように、侵略の悲劇が繰り返し行われていた場所なのです。現在、韓国では20歳ぐらいになると(19歳~29歳)、徴兵制度があり、大学を休学してみな兵役につきます。しかも38度線はいつ、何時、戦争が起きて、命を鴻毛のごとく軽く扱われるかわかりません。一緒に同行していただいた韓国ソフト企業の幹部の方も徴兵にいったそうで、南方にいくか38度線にいくかで、その兵役期間のストレスはまったく異なるそうです。幸い彼は南方へ配属されましたが。

直接銃をもって国を守る使命があり、しかもその直接の敵が、60年前までは同じ国の国民なのです。この国の若者たちは、いやでも国家とはなにか、民族とはなにか、ということと命がけで直接向き合わなければならない。

38度線には、北朝鮮が、韓国を攻めるために掘った坑道が20以上もあるという。そのうちいくつか発見され、3番目に発見された第3坑道は、現在観光地化されており、今回、その坑道に潜りました。

非武装地帯を眺めていると、その先に北朝鮮があり、そしてその先には中国とロシアが広大に広がっている。北朝鮮の孤立も、わけのわからない行動も、ある意味大国から独立を守るための必死な選択なのかもしれません。

その点、日本は四方海という深い壕に囲まれた、実にのんきな国家に見ます。日本は戦後、朝鮮戦争や、ベトナム戦争の特需を受けて、奇跡的な復興を遂げ、高度成長を経て世界第2位の経済大国になっていきました。

終戦後に押しつけられた、戦争放棄を謳った日本国憲法は、日本が直接戦争に巻き込まれることを防いできました。もちろん憲法上は違憲状態の境界線のなかで、自衛隊を整備してきたこともその要因には含まれるでしょう。

そういう平和ボケした今の日本は、もっとも国家として危険な状態にあるのではないか、と韓国に来て思います。あまりにも日本国民が鈍感すぎるからです。日本人が尊敬する現存する有名人は芸能人かスポーツ選手。ひとたびこういうテレビに出る人が選挙に立候補するとトップ当選をする。

古代ローマ帝国の衰亡期のきっかけは、コロッセオという競技場が市民に開放され、無料でパンを配り、為政者たちが、市民の人気とりだけに終始したからです。名君マルクスアレリウスの息子コンモデスは、皇帝になるや、暴君となり、落とした評判をコロッセオに出演して1万2千人の剣闘士を殺害して自分の威信を見せつけ、市民の人気とりを行いました。

これ以降、大ローマ帝国は衰退期には入り、市民は国家に対して危機意識を持たないまま、100年後ゲルマン民族の大移動のなかで分裂し、自然消滅的に衰退していったのです。

だからテレビタレントやスポーツ選手を人気取りのために候補者にたてる政治には本当に怒りを覚えます。実際本気で政治をやろうとすれば、今の日本では、軍事力を形式上放棄し、情報機関が弱いので、命がけでしょう。

国際社会である限り、そして最強の国家でない限り、かならず強国の影響を受けます。それは国際社会の最前線にいる政治家や官僚に直接大きな圧力となります。しかしそういう圧力はもちろん報道されることもなければ、国民が知る機会もあまりありません。

ただわれわれにできることは、そういう国で、どう生きるべきか、ということです。憲法を改正して、国防を増強させることも選択枝のひとつかもしれません。しかし1920年代の大恐慌の後、日本がそういう道を選んだことが日本の破滅を生んだことも忘れてはなりません。

私は10月の韓国旅行のあと、このブログの原稿を書いたのでしたが、アップしませんでした。あまりにも日本の将来が絶望的だったからです。韓国の38度線に立って、日本の鈍感さがとても危険に思えたのです。ここに立てば、中国やロシア、そして米国という大国からの威圧を否応なく感じ取れるのです。そして現実には存在するこの危機感が、どうしたら日本人に伝わるのか、どうしたら日本人がまた競争心や向上心を取り戻せるのか、わからなかったのです。

経済力の低下はそのまま国力の低下につながります。このまま日本の凋落が続けば、日本の独立すらも危ぶまれるのではないか。2020年ごろには形の上では独立国でも、実質的には米国、ロシア、中国に分割統治されることもあり得るのではないか・・・・。

しかし、私は、日本という国を大きく見損なっていました。
今の日本はけっして絶望的ではありません。
日本ではすでに十分次世代型ナレッジ社会の萌芽が芽生えていたのです。それは「萌」にヒントがあります。
だから「ナナミ」を作りました。
次のブログをお読みください。(なぜ、今、「ナナミ」なのか。内需拡大は世界の国益 PART2)

なぜ、今、「ナナミ」なのか。 内需拡大は世界の国益PART2

今回のテーマは「ナナミ」。2月4日に出した「教えて資格試験シリーズ」という萌え系タイトルの主人公です。いろいろなところで「メディアファイブは変わったね。どうしちゃったの?」と言われています。
お陰様で最近ではもっとも反響があり、出だし好調です。

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なぜ、今、「ナナミ」なのか。
もともと10年前、「萌え系」ということばがブームになり始めたころ、ある「萌え系」のゲーム会社から、教育コンテンツの提供を依頼されたのです。その話はそれきりだったのですが、私は、これは売れるかもしれない、「萌え系」をつくるぞ!と社内にハッパをかけたのですが、「また社長が思いつきでなんか言っているよ」ぐらいで、だれにも相手にされませんでした。

当時社内では、学校をお客さんにしている教育ソフトメーカーが、「萌え系」を作るとはもってのほかだ、という空気に満ちあふれていました。社内に受け入れられないときは具体的な企画として押し通すしかありません。私は秋葉原の「萌え系」のショップを回りましたが、お店まわりをしているうちに、頭が混乱してなにも得ることのなく帰りました。そのとき強く感じたことは、「こういうのが世の中に蔓延するのは日本も末期に近いな」と感じたことでした。(最近その考えが誤りであることに気づきました。)

しかしその後、「萌え系」が非常にコアなユーザーで売れること、そしてこの不景気にかかわらず、「萌え系」を扱っている会社のトップの方たちとおつきあいして、その羽振りの良さにも驚き、なんとか当社でも「萌え系」を出すように開発部に厳命し、そういう仕事の経験をもつスタッフも採用しました。しばらくして、「ナナミ」の企画が開発部からあがってきました。そこには未来から送り込まれたアンドロイドのことが書かれており、それをみて私は「これだ!」と思ったのです。

現在に立って、これからどうなるんだろう、と未来を見ることはなかなか難しいものです。でも未来から現在をみることは、たとえそれが突拍子もない仮定であっても、現在を把握しやすいのではないでしょうか。

今、誰もが未来に不安を抱いています。誰もがまったく未来が見えないからです。

だから現在から過去へ行ったり、未来から過去に行ったりできるサイトがあれば、楽しいと思います。(歴史クイズサイトNEXTREVOLUTIONは、そういうサイトです。)

楽しみながら未来や過去を行ったり来たりしているうちに、なんとなくその不安が解消されるのではないでしょうか。

何度も繰り返しになりますが、教育のイノベーションが日本に一番必要だ、との気負いからメディアファイブを創業して17年、本当に苦労しました。この20年、内需は縮小し、ITバブル崩壊以降、教育やITへのモチベーションは下がる一方でした。

私は、これまでずっと手前味噌ですが、どうしてこんないいものを作っても、なかなか広がらないのだろう、わかってくれなのだろうとぼやき、最近では、こんなに努力して、知恵を絞っても報われないのなら、ちがう商売をすれば、もっと成功したのでは、とさらにたびたびぼやいていました。
(そうは言っても、それは1にも2にも私の力不足であることが要因であるのは自覚しております。)

その一方で米国はクリントン政権時代に早くもナレッジ社会実現を目指し、ロバートライシュ博士を国務大臣にし、ITにおけるゴア構想を打ち立て、米国企業はITと金融で世界を圧倒しました。

日本はこの20年、ITと教育に後ろ向きでした。しかもこの数百年に一度の産業革命の時期に、総理大臣が13人も変わっているのです。日本には強力なリーダーを出現させる土壌がない、ということなのではないか。古くは道鏡、菅原道真、平清盛、後醍醐天皇、足利義満、織田信長、豊臣秀吉、近現代では田中角栄、金丸信、竹下登、小沢一郎。最近では総理大臣になると、もしくは絶対権力を握ると贈収賄問題、政治資金規正法問題が浮上する。

なぜ日本では強力なリーダーが生まれにくいのか?先日、週刊文集で興味深い記事を目にしました。ウチの大学「誇れる卒業生」「恥ずかしい卒業生」という記事です。誇れる卒業生は野球選手が多く、1位古田、2位長島茂雄、3位原辰徳となり、政治家はやっと8位に小泉純一郎、17位に東国原英夫しかなく、反対に「恥ずかしい卒業生」は1、2位はお笑いタレントだが3位から小沢一郎、6位に鳩山由紀夫、東国原英夫、8位に森喜朗、11位に麻生太郎、15位に宇野宗佑など現在の権力者、総理大臣、総理大臣経験者が目白押しです。これは実に日本人を特徴づけるデータではないでしょうか。

それは天皇制と関係があると思います。先日の2月11日建国記念日は紀元前660年1月1日に神武天皇が即位した太陽暦の日のですが、2670年も万世一系なのです。実際は武烈天皇と継体天皇は5代さかのぼる血縁関係でした。にもかかわらず、万世一系としているのは、古来より日本は共同体的社会であり、天皇という永遠不変の祭祀の元、みな平等という意識が強かったからではないでしょうか。

イギリスではもともとの王族であったハロルド王とそれを征服したノルマンディー公ウイリアム一世はまったく別の王朝に見られていますが、系図では関係があり、武烈天皇と継体天皇ほどには血縁は離れていません。従って日本における「万世一系」は、血のつながり、というより神や自然など絶対的な存在であると考えられます。普遍的祭祀のもとに平等な共生社会をつくる村落共同体が日本の組織の基本だったのです。

もっと言うと、日本人はリーダーを作りたくないから、絶対的存在としての天皇を担いできたのではないでしょうか。それは比較的単一民族で、しかも四方海に囲まれていて、平安時代以降は鎌倉の元寇以外侵略の危機がなかったことにも原因しているかもしれません。

(話はずれますが、このことは企業経営にも言えることで、だからこそ日本のホワイトカラーの生産性は先進国最下位になるのだと思います。その解決法は「究極の経営」でご高覧ください。)

中国の人々はいつも異民族の侵略の危険性にさらされていたので、漢の劉邦、明の朱元璋、清のヌルハチなどどんなに下層階級出身だろうと強いリーダーについていく。

しかし日本史の中で、強力なリーダーは短命政権に終わり、日本人の人気は、直接権力を被らないスポーツ選手であり、嫌われるのは総理大臣や目に見える権力者なのです。そしてそれが人を特定させない官僚制度を発達させてきたのでしょう。

「究極の経営」でも言及しましたが、村落共同体は武士と一揆といわれる契約のもと、利益を折半し、村人は武士に守ってもらうという仕組みが中世より起こり、その流れが村請け制度として江戸時代まで続いたのでした。九割は農民といわれた日本は、まさに「サムライ」の国ではなく、「農民=ものづくり」の国なのです。

(「サムライ」は現代でいえば、官僚や大企業のエリートにあたります。本来かれらはサムライ同様「誇り」をモチベーションに公のために生きようとするはずなのですが、官僚たたきやリストラなどにより、「誇り」は傷つけられ、社会的にも組織的にも孤立感が強くなっているのではないでしょうか。)

考えてみれば、米国と日本の関係も国際的な「一揆契約」だと思います。日本は憲法上軍事力を放棄して、ものづくりに励み、米国に軍事力で守ってもらう。そこである程度の「年貢」を米国に提供することはやむを得ないことだと思います。まさに武士と農村の一対一関係なのです。

ポールケネディの「大国の興亡」(1993年 草思社)下巻210ページに下記のことが記述されています。

「もちろん「日本の奇跡」を実現させたのは、朝鮮戦争と、それにヴェトナム戦争の際のアメリカの国の防衛支出による刺激ばかりではない。・・・・・日本の工業を発展させた大きな理由のひとつは、狂信的なまでに高度の品質管理を追求し、西洋の進んだ経営技術や生産工程を取り入れ(改善し)・・・・・さらに国をあげて熱心に教育水準の向上に取り組んだことも理由にあげられるし、・・・・・・・・・起業家精神に富んだ町工場があり、・・・・・・・・
労使対立を妥協とお互いへの敬意によって乗り越えるという姿勢があったことも活力の基本となった。」

さらに
「日本経済が持続的な成長を遂げるには巨額の資本が必要だった。まさにその資本を手に入れることができた理由として一つには「非軍事国」としてアメリカの戦略的な傘の下にあり、防衛支出がきわめて少なかったことがあげられるが、これより大きいのは財政政策と税制によって異例なほど高い貯蓄率を確保し、これを投資に振り向けられたことだろう。」

また
「さらに、通商産業省がはたした役割も大きい。通産省は「新しい産業を育て、技術の進歩をうながし、同時に時代遅れになった産業の廃棄を秩序正しく協調的に進めていった」。このやりかたはアメリカの自由放任政策とはまったく異なるものである。」

要約すれば「日本の奇跡的経済成長は、軍事は米国に依存し、経済に国力を集中し、戦争による特需のほか、大企業、中小企業が一丸となって品質を追求し、欧米の技術を吸収改良し、教育水準を上げ、しかもそのリーダーシップを優れた官僚がおこなっていたこと」にあるのです。

もっと要約すれば、非軍事力という道を選び、日本は総中流意識のもと、道具を工夫し、技術革新をし、教育に力を入れ、強力なリーダー不在の中、顔の見えない官僚たちがそのコントロールをおこなったことが高度成長につながったのです。

城山三郎の「官僚たちの夏」はまさにそのことを生き生きと描いています。
今日の官僚たたきは、リーダーを作りたがらない日本的共同体のなかで、とても大きな危険をはらんでいます。高級官僚にはその権限にふさわしい厚い待遇をするべきです。今回の市場開放においても、高度成長期の官僚だったらどう行動をとることでしょうか。

冷戦終結後、日本の高度成長に危機感を抱いた米国は、日本の共生経済の象徴である「談合」と「系列」を解体させ、小泉政権下で金融の自由化をおこない、日本市場に徹底した競争原理を持ち込みました。当時、日本国民も、政府への依存と市場の不透明感がバブル崩壊から立ち直れない元凶と考え、市場開放を支持しました。恥ずかしながら私もそうでした。しかしその結果、日本経済は驚くほど意気消沈し、格差社会は広がり、内需縮小に拍車がかかり、高品質を誇っていた日本の大メーカーは海外に生産拠点を移し、そのクオリティは疑問視されはじめ、韓国、台湾、中国のメーカーに価格競争で勝てなくなりつつあります。

市場の閉鎖性の元凶に官僚をやり玉にあげたために、官僚もなすすべもなく、市場開放に合意していったのだと思います。

いままで資源のない日本という国が、自家発電のように輝くばかりに経済価値を生産していたのが、今、ほとんどその自家発電が止まろうとさえ見えるのです。この経済の凋落には米国も驚き、また大損もし、後悔しはじめているのではないでしょうか。高度成長期の日本のように、日本が、日本スタンダードの中で、自家発電を活発化させている方が、米国にとっても利が多いはずです。日本人には欧米流競争原理はあわなかったのです。

象徴的なのはトヨタです。私もアウディ、ローバーなどの外車、そしてマツダ、日産、ホンダ、スズキなどの日本車に乗りましたが、やはりトヨタ車がもっともバランスよく、故障も少なく安定していました。こういう車を作れるのは、会社の技術力だけではなく、共存共栄のもと、抱えている下請け中小企業の層の厚さからくるものではないでしょうか。それが、今日、アジアの台頭による価格競争の激化、内需縮小のなかで、しわ寄せは中小の下請け企業に来ていることが、今日トヨタが表面化している問題の遠因に感じます。(もちろん政治問題も大きいのですが)

日本は海外に生産拠点をシフトするのではなく、国内でふんばり、ITとナレッジを活用して他国にまねできない付加価値を作るべきです。そして国民総中流国家を目指すべきです。それが共同体国家日本のありかたではないでしょうか。

私は自衛隊を否定しません。もちろん可能な範囲で軍事技術力を高めるべきでしょう。自衛隊の違憲問題は、憲法改正の問題として長く論じられています。私も大学時代のゼミの主なテーマでした。19世紀のイギリスの法学者、ヘンリー・メインは、法は固定的であり、政治は流動的である、といっています。憲法は実態と乖離しているほうが、存在価値は高まります。なぜなら、憲法とは、17世紀のイギリスの哲学者、ホッブスのリバイアサンの定義から導けば、国家権力から人権を守るために存在しているのです。憲法と政治実態が乖離して、それが政治問題化されていれば、それだけ国家権力に対し、憲法のブレーキがきいている、つまり憲法の存在価値が高い、という証拠だと思います。(ちなみに私の卒論は憲法変遷論でした。)憲法がその時代にぴったり迎合していたら、憲法は単なる国家権力の裏付けの存在だけであり、値打ちは半減してしまいます。

その上で、日本は平和憲法のもと、米国との同盟関係を維持し、日本の利益の米国へのある程度の上納もやむを得ないことでしょう。それは日本社会で、古来からおこなわれている武士と農民の一揆契約にあたります。日本人は「サムライ」の国ではなく、ものを生産する平和な農工商の民なのだと思います。そして中国やロシアや近隣アジア諸国ともバランスよくつきあっていくべきでしょう。

確かに平和憲法は、米国から押し付けられた憲法かもしれませんが、実は古来からある日本の共同体社会にとても適した憲法ではないでしょうか。戦後の復興、経済2位への繁栄ぶりはそれを裏付ける現象だと思います。


「ナナミ」の「NextRevolution」の冒頭に2020年、日本が米国、中国、ロシアに分割統治される話があります。この話を思いついた下地はこの前のブログにある通り、昨秋、韓国の38度線にたった時です。競争社会に背中を向けるニートやフリーターがこのまま増加し、すべての日本人がなすすべもなく日本経済が凋落していったならば、本当に10年後、そういうことが起こるかもしれない。

しかしそうはならないでしょう。日本ではすでに次世代型ナレッジ社会の下地が十分作られているのです。ニートやフリーターは、工業型資本主義社会の崩壊の犠牲者であり、新しいナレッジ型の日本共同体を作るときの担い手になるのではないでしょうか。

ここで「ナナミ」の話に戻ります。

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(紀伊国屋流山店おおたかの森店のキャンペーン状況)

中心となるキャッチコピーは下記の通りです。

競争心なんていらない。
   ・・・・・・これからは共生社会
かわいコちゃんに教えながら
   勉強するってけっこう快感。
幸せを追いかけるより、今の小さな幸せを味わおう!
ナナミに教える、ちょっとした幸せ。

そのこころがナナミのストーリー「NextRevolution」にあります。

「三津枝博士は2010年の社会状況を徹底的に分析し、次の結論を導いた。
ターゲットは大学生、20代、30代社会人、ニート、フリーターの男子。そんなターゲットに女子のアンドロイドつまりガイノイドを送り込み、ガイノイドに、ターゲットが教育したくなる気にさせる。そして、ガイノイドを教育しているうちに、ターゲットが自信と希望を持ち、ナレッジ社会で活躍できるように仕向けるのだ。

いくらロボットだからといって、素人が教えるのは無謀すぎると思われるだろう。もちろん過去に送り込んだゲイノイドに歴史を変える操作は磁場が狂うから、仕事はさせられない。しかしもう一つ教育上の目的もある。実は教師の使命感、自立感をもって学ぶことがもっとも楽しく、より深く学べるのだよ。そうやっていくうちにターゲットは自信をつけるのだ。教師と生徒なんて紙一重だ。成功者と敗北者の間もまたしかりだ。人は立場の違いで才能を発揮したり、失ったりするのだ。こういう教育の方法は30年代だからこそできる。

米国では1991年ロバートライシュ博士はすでに知価社会にはスペシャリスト中心の社会であることを提唱し、それをシンボリックアナリストと呼んだ。

クリントン政権はいち早くこのことに着目し、ロバートライシュ博士を大臣に取り立て、米国はいち早くナレッジ社会を実現させた。しかしあまりにバブルが拡大し、金融業界が膨張し、リーマンショックにつながった。なぜか?ナレッジ社会を競争原理のまま突入させると、欲望の暴走とそれを阻害するものを破壊することに知恵を巡らせる結果となる。それは知恵をマイナスに結集し、人類の滅亡へとつながる。それに比べ、日本のニート、フリーターのように戦うことに背を向け、社会から阻害された者たちは、ひとたび自信を取り戻し、ネットを活用して力を合わせればナレッジをプラスに働かせ、循環社会的価値を生み出すことができる。なにせ、江戸時代の循環社会の血がながれているのだから。

しかしそのような可能性を持っていたにもかかわらず、日本では、不幸なことに、いままでナレッジ社会を実現すべくリーダーシップを発揮したリーダーが出現しなかった。その原因は日本人も世界中からも、日本が米国型の合理主義を進めばより富を生み出すと思われていたからだ。しかし自由党から民政党への政権交代は、国民が、合理主義が日本にあわないことを気づいたからだ。2010年、目標を失った漂流する日本社会にこそ光をあてなければならない。」

つまり「萌え系」ブームは日本の末期症状ではなかったのです。むしろナレッジ型日本的共同体の再構築へのシグナルと萌芽だったのです。

かつてイギリスで農本主義から資本主義への移行期、囲い込み運動で土地を追われた農民や羊飼いが都市に流れて、資本主義の土台である工場労働の担い手になったように。

だから「ナナミ」を作りました。

ベストセラーの本のタイトルにもありましたが、「今起きていることは皆正しい。」
ニート・フリーターの人々よ、そして自信を失ったサラリーマンの方々、立ち上がりましょう!立ち上がる、といってもなにかと戦うのではないのです。「萌え系」の世界にいて良いのです。「競争」に背を向けていてよいのです。楽しく、心地よくコミュニケーションをとりながら、自分なりの世界を築きましょう。

孫子の兵法でも「戦わずして勝つ」ことが最上の策と言っています。究極の「勝ち」は幸せになることだと思います。いつも言われているように将来の幸せではありません。小さくても継続する「今」の幸せです。ゲームの楽しさでもいいし、「萌え」にひたる楽しさでもいいし、ネットでのコミュニケーションでも良いのです。

米国も中国もロシアも皆肯定し、ITをフルに活用して、気の合った人たちとネットでコミュニケーションをとり、アニメやキャラクター、ゲームを活用して自分たちの思いを共感し合いましょう!

日本人はもともと右脳系の民族です。浮世絵、浄瑠璃、歌舞伎、人形、羽子板、和歌や俳句など、昔から生活の身近に今でいうマンガや萌え系、ゲームに通じる娯楽が盛んにあったのです。

ただ、ある程度はお金を稼がなければ、最低限の衣食住が守れないので、自分の世界の中でお金を稼ぐことを考えましょう。自分の世界のなかで楽しくお金を稼げれば、世の中に対して自信と自由を感じます。

最初はまず年収300万円を目指し、次に500万円を目指し、そして700万円を目指す。気負わず、自然に時間をかけてゆっくりやればよいのです。楽しければ時間を忘れます。

今、大河ドラマでブームになっている坂本龍馬がそんな人だったのではないでしょうか。尊王攘夷でも開国でもどちらでもよいのです。どちらも良い面と悪い面があるのです。自分の頭で考えて取捨選択をし、自分の良さを時代に当てはめながら自分のペースで生きるのです。

「NextRevolution」
次の革命は新旧交代ではない。旧きも新しきも、資本家も労働者も、外国も日本も得をする、共生型ナレッジ社会の実現なのです。それは環境社会でもあります。

戦うよりも、すべてを受け入れて、共存し、そのなかで新しい付加価値を生むことが、日本古来からの先人の知恵であり、DNAなのです。みんながマイペースに自分の得意なところを探して社会に役立てるのです。

繰り返しになりますが、日本は自家発電のような国です。資源もなければ、広い土地もない。総中流社会で内需拡大したほうが、外国にとっても得なのです。日本に過度な競争原理を取り入れると、すぐにしぼんで光が消えてしまうのです。

そのためには日本人がまずITの活用を楽しみましょう。仕事でもプライベートでも。特に教育に関しては。当社はこれからもそんなソフトやシステムを開発していきます。

2010年04月01日

いかに内需拡大をするか 個人の仕事多角化が決め手 需要コモディティ作戦

今、日本の雇用情勢は、大変深刻です。内需があまりに縮小しているのです。海外に目を向ければ、先端技術は欧米にリードされ、中国韓国に追いつかれ、単純な製造物も中国をはじめアジア諸国に価格競争で敗れ、にもかかわらず為替は円高を推移し、輸入は増加し、国内はデフレスパイラルから抜け出せない。国内ではあきらめムードが蔓延し、国民の活力は沈静化し、国には頼れず、地方は疲弊し、多くの国民が不安と閉塞状況のなかで暮らしていると思います。

昨年9月に政権交代した民主党は、コンクリートから人へ、そして内需拡大をスローガンにこの不況の脱出を最重点の政策課題にしてきましたが、支持率は低下する一方です。

その政策の方向性は正しいと思いますが、ただ政府が旗を振るだけではこの不況を脱出できません。国民が自信とやる気を取り戻さなければならないのです。現状は、多くの国民が、どう生活し、どう生きていけばよいのかがまったくわからない状況なのです。

多くのエリートがこの景気の問題を、人口減少問題に結びつけます。しかしこれはあまりに大ざっぱな言い訳にしか過ぎません。近現代で、圧倒的に国力で世界を凌駕したイギリスとアメリカは、人口が多いから発展したわけではありません。いち早く産業のイノベーションをおこなったから国力が拡大したのです。以下はポールケネディの大国の興亡から引用したものです。

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次に平成21年度総務省発表の情報白書で、先進国の情報資本推移の国際比較です。

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この図は1995年を基準とした情報投資の拡大状況です。一慨に前図の、一人当たりの工業化と比較することはできませんが、これを見れば、いかに日本の情報投資が進んでいないかわかります。つまり、今日の日本は、近代史において革命で倒されたロシアと近い状況だったのです。人口の増加が、国の発展を促すのではありません。産業のイノベーションの進捗スピードが国力を拡大させるのです。より早く知価社会を実現することが国力を拡大させるのです。もちろんそのために日本は教育や企業の現場でイノベーションを起こさなければなりません。

しかし需要のないところに情報投資はできません。どのように需要をつくるか。それこそサービス産業の質的、量的変化、拡大しかないのです。国民一人一人のスペシャリスト化、IT活用の高度化が必要なのです。今、日本で一番欠落しているのはそこだと思います。これだけ経済規模が大きいのに、サービス産業の市場が活性化されていないのです。これは国がリードしてできるものではありません。いかに国民がやる気を出して、今の自分の行き詰まりを突破し、個人個人のビジネススタイルを確立させるか、だと思います。小泉政権の時の派遣法の改正は、労働者が、失業しても安易に派遣社員として食べていけるようになったので、目先の失業率は改善しても、産業のイノベーションは進歩しなかったのです。そのつけがリーマンショックで一気に問題化したのです。

とにかく派遣社員の正規雇用を今おこなうのは難しい。だとすれば、今までの技術や資格をとって、派遣社員同士でITを活用して手を組み、新しいサービスを自分たちの手で行うほうがよい。これは前のブログでお話したことなので、省きますが。(なぜ今ナナミなのかをご高覧ください)

そういう社会の実現に向けて、私はここで具体的なご提案をさせていただきたいと存じます。それは、みんなが都市への一極集中するのではなく、日本中に自分が稼げるビジネスを探せばよいのです。

当社も、スタッフ募集を時々行うのですが、おかげさまで多くの方の応募があります。しかし存念ながら、当社も余裕はあるわけではないので、現在、目先の問題でどうしても必要と思われる人材のみの採用となり、履歴書や自己PRを見て、時期が変われば一緒に仕事をさせていただきたいのに、と思われる才能や技術を持った方々が数多くいます。

そういう方々にも是非お伝えしたいのは、従来と同じパターンで就職活動しても苦労するばかり、ということです。経済は日々刻々と変わります。現在の経済状況を見れば、ひとつの仕事で豊かな生活ができるような仕事はなかなかどこをさがしても見つからないでしょう。しかし一月5万円の仕事を4つすれば、なんとか食べていくことはできるのです。

また少し、余裕ができれば、今なら小さな小屋くらいだったら、自動車を買うお金くらいで、ローンで田舎にセカンドハウスを購入することが可能です。先日宮古島へいってきたのですが、そうやってダイビングショップを宮古島で経営されている方にお会いしました。次のブログでご紹介します。

また、そこで小さな畑を耕し、おいしい農作物がとれれば、それをインターネットで販売することも可能です。将来、万が一、日本経済が破綻すればハイパーインフレになり、家族の食物を確保するためにもリスクヘッジになるでしょう。
せっかく当社に応募していただいた方には、当社の事業マッチングサイトをご用意してありますので、是非そちらへ応募していただければ、と存じます。可能な限りのバックアップをいたします。

当社も今、現在は普通の会社の体をなしていますが、将来的には社員と外部の方たちとの垣根を低くしていきたいと考えております。そのシステムこそが、現在売り出し中のシステム人材育成グループウエア「則天」なのです。「則天」はあらゆる角度から、社員ひとりひとりがチームや組織のシナジーを活用して利益をたたき出すか、ということを主眼に開発したものです。会社に実質的利益を出していれば、どういう形態で働いても、会社にこなくてもかまわないはずです。

つまり、日本の情報化への産業イノベーションのを進ませるには、会社はひとつ、仕事はもひとつ、という個人の考え方がかわり、会社自体も9時から5時までの勤務で働く、という意識を変えることが必要なのです。そしてそれを実現する道具がITなのです。

当社に応募してくる方たちの多くが、転職回数が多いのです。その理由の多くは職場の人間関係でしょう。とくにいじわるな古株の社員がいると、とたんにモチベーションは下がります。私も以前つとめていた会社で上司と折り合いが悪く、苦労した経験があります。

なぜ人は人をいじめるのでしょうか。それは、「いじめ」が権力維持の道具だからです。だから能力のない人間、コンプレックスの多いにんげん、頭の悪い出世できない人間が無冠の自分の権力を維持するために「いじめ」をおこなうのです。

しかしそれは、大変な人材の能力の損失です。その解決方法は、そういう「権力維持装置」を取り上げてしまえばよいのです。よく古株の頭の悪い人はITを入れると、「情」がなくなって職場が無味乾燥になる、といいます。そういう奴に限って「いじめ」や「セクハラ」や感情的問題を職場で起こします。

職場は利益がからむので、どうしても感情的になりがちです。だからこそシステマティックにするほうが社員にとってもよいのです。

ましてや他人同士で仕事をするには、とくに利益配分に関しては、システマティックにしないと、感情的問題がでてきます。

だから当社の則天を使いましょう。そういうところを開発主眼においた、現存する唯一のシステムなのです。ネット上でクラウドで気軽に使えます。

初期導入は無料です。


2013年02月11日

本居宣長2

私がなぜ本居宣長に関心をもったか。それは勿論、自分が少年のころから最も影響を受けた小林秀雄の最後の大作、ある意味エンディングノート、ということもあります。でも、もっと強い動機があるのです。

それはおととしの3.11の大地震です。あのとき、当社のビジネスは、単に、平和な豊かな社会でしか、成り立たないのでは、という感情に駆られました。この大災害の時に、資格や学習ビジネスはどのように役に立つのか。それがとても頼りなく感じたのです。もっと人生の根源的にかかわるビジネスが必要なのではないか?

エンディングビジネスを立ち上げる決心はこの時に芽生えました。

あらゆるビジネスが、エンディングに携わるノウハウを持つことによって、より深く、崇高な仕事へと進化するのでは、と感じたのです。東北で津波の跡を見たとき、人の仕事は、単に自分の日々の仕事だけではなく、大地震が来たとき、大災害に見舞われたとき、大恐慌が勃発したとき、ハイパーインフレが起きたとき、そして戦争に日本が巻き込まれたとき、人の一生でこういった災害や事件は必ず一度は経験をするもです。

それを乗り越えるためのスキルを、みなさんが身に着けるのも、当社の役目なのではないのか。みなさん一人ひとりに守るべき家族があり、あらゆる環境に対処できる仕組みを当社は構築しなければいけないのではないか、と。

私はいろいろ調べました。以前のブログでも触れましたが、大災害の時、最もリーダーシップを発揮した指導者は、そう、暴れん坊将軍で知られている、徳川吉宗です。元禄の大地震、宝永の東南海地震、富士山の大噴火と、3.11級の大災害が5年以内にたてつづけに起こり、しかも享保の大飢饉も起こりました。

どこかの政府と違い、この大災害で徳川家は蓄財をすべて放出しました。その財政危機のなか、あらゆる復興をおこなったのが、吉宗の享保の改革です。学校の学習もそういうふうに教えてくれれば、歴史も面白かったのに・・・・。

吉宗の取った改革は、幕府内部の派閥を潰し、まず組織をシステマティックにし、国民全体に学問を奨励し、従来の産業である、米の税を重くして、新しい産業には無税としました。その結果、2耗作が活発になり、国民の9割である農民は、春夏は米、秋冬は麦や大豆などを作るようになりました。

まさに教育立国が、この大災害からの復興を果たしたのでした。ただし、復興まで70年かかったそうです。

ただなによりこの吉宗の時代以降、大学者が次々と誕生したのです。吉宗のご意見番である荻生徂徠を始め、徂徠に強く影響された本居宣長、賀茂真淵、石田梅岩、宣長のライバルである上田秋成、などです。

実は日本は大地震の後に時代が変わったり、イノベーションが起こったりする傾向があるようです。といってもこれだけ多くの大地震を頻繁に経験していると、そう言い切れるものではないかもしれません。しかし生物の進化は困難に直面したときに起こる、と言われています。前向きに考えれば、地震が日本人を鍛えている、と考えられます。

だからこそ、荻生徂徠や本居宣長の思想も今の日本人に必要なのかもしれません。

ちなみに本居宣長の生誕の地、松坂から1時間山奥へ行くと、美杉村という閑村があり、そこには伊勢北畠を祭る北畠神社というのがあります。もともとはそこに霧山御所という山城があり、伊勢北畠氏は1570年織田信長に滅ぼされ、それ以降荒れ果てていたのを200年たって本居宣長が見つけ出し、祠をたてた、という説があります。

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本居宣長が発見したという北畠神社の庭園

2013年02月19日

アベノミクスは是か非か?

というような題をかかげましたが、僕にはわかりません。
大学は教育学部でしたが、法学研究室にいて法学、政治学をずいぶん夢中で勉強し、卒論も憲法変遷論でした。

しかし毎回、選挙の時には、いろいろネットで調べて政党や候補者を決めて投票にいくのですが、いつも2年ぐらいたつと「騙された!」と思います。騙され続けて30余年、もう男に騙されて、流れ流れた場末のおばちゃん気分です。今でも当時のゼミの先生と時々お酒をともにさせていただく機会があるのですが、そういうお話をすると、あきれられます。

なぜ政治の予想は外れるのか。それは日本の政治構造自体、変革が難しいのです。政治構造というより、もっと国民の体質というか、古来からの根本的な日本人の問題だと思います。

それは山本七平の出世作である、「日本人とユダヤ人」という著作の中にもありましたが、日本の政治システムの特徴である天皇制は、権力が、象徴もしくは祭祀と実権力と二つに分離されているシステムであり、このしくみが、比較的安定した平和な日本を作っている要因だそうです。

つまり、諸外国に比べたら、日本特有のこの政治システムは優れている、ということのようです。
平安時代や江戸時代のように300年もほとんど戦争がなかったり、太平洋戦争以外、外国から占領されたこともなく、国民への虐殺も織田信長の一向門徒への弾圧以外はほとんど見当たらない状況を見ても、そうなのかもしれません。

ただ、この古来からある、権力の二重構造の仕組みは、戦前のように、本当の危機になると、だれがリーダーになっても、思うようには動きません。簡単には革命を起こせないのです。革命とまで言わなくても構造改革を。

安倍首相の要請を受けて、ある大手コンビニがボーナスをアップしました。しかし大手コンビニは利益率も高く、非常に安定した収入なので、それが可能なのです。しかも個人の収入が増えれば、もっとも身近で恩恵を受けるのがコンビニです。

それに多くの企業が追従するのかどうか・・・・疑問です。


話は飛びますが、当社は、埼玉ニュービジネス協議会と埼玉経済同友会の2つの経済団体に属しています。

前者は若手経営者が多く、後者は埼玉の重鎮経営者が多く属しています。ただ両方とも2代目、3代目が多いのです。2代目、3代目ということは古くから生業としているビジネスであり、新しい産業で成功している経営者はごくまれです。

両団体とも時々、経産省の幹部の方がこられて、講演やディスカッションをしますが、よく経営者のひとたちが官僚の方たちに言うのは、最近総理大臣がころころ変わり、政治的リーダーシップがないことを嘆かれています。

しかし戦前も戦後も総理大臣は平均すれば毎年一人ぐらいなのです。このように戦前も戦後も政治的リーダーシップが弱いのは、先にも述べましたが、日本の政治システムが、構造的にリーダーシップをとりにくいのです。

最近、太平洋戦争前の日本にどんどん似てきた、といわれます。たしかに、尖閣問題をめぐる最近の中国との軋轢は、盧溝橋事件を発端とした日中戦争を思わせます。これは1937年、盧溝橋という橋での一発の銃声が日本と、中国との戦争を引き起こしたのです。

大正12年(1923年)関東大震災が起こり、昭和2年(1927年)関東大震災の震災手形の焦げ付きを引き金として、金融恐慌が起こり、昭和4年にひきつづき世界恐慌が起き、昭和6年に、満州事件がおこり、そして浜口雄幸、井上準之助が金融引き締めを行い、経済は悪化し、そこを高橋是清が金融緩和して恐慌脱出を図ったのです。

今日では、浜口の金融引き締めより、高橋是清の金融緩和が正しい、とされていますが、これには戦争と満州国建設というとんでもない需要創造があったのです。

今、アベノミクスの問題点は、市中に金融需要がない、ということです。景気が悪いから、企業に投資意欲がなく、よって内部留保するため、金融緩和は景気が良くならない、という観点です。いくら高橋是清を成功例として出しても、先にも述べた戦争需要とセットにしないと比較できないのです。

その戦争需要に匹敵する需要が、今日の国内市場にないのです。企業に投資意欲がない、といいますが、これは間違いです。先ほど述べましたが、内部留保の豊富な、2代目、3代目の中小企業が、積極投資しないのです。

それは当然です。だってさしあたりおとなしくしていれば、千三つの成功率といわれる新規事業で金を無駄にするリスクを負わなくていいのです。

銀行は当然リスクを負いたくありませんから、内部留保の厚い保守的な企業にお金を貸したがります。内部留保の少ない新興企業には、お金を貸しません。だから市中にお金が流れないのです。

2代目、3代目の、内部留保の厚い中小企業こそ、既得権益者なのです。だから変革を望みません。

野口悠紀雄氏を代表とする金融緩和反対派がいっているように、市中にお金が流れないと、そのうちに国債が暴落し、国家破綻へとつながります。野口氏が言うには、国家破綻が起きてもハイパーインフレにはならないそうです。ハイパーインフレの定義は13000%アップだそうです。せいぜい100倍くらいだそうです。私は100倍でもハイパーインフレと勘違いしていました。

日本から資金が大移動を始めたら、そうなるそうです。それがいつかはわからない。けれど米国のファンドはその時、ぼろもうけをするために、その時を虎視眈々と狙っているそうです。

そうならないためにも、新たな需要創造が必要なのです。産業の構造改革が必須なのです。情報、金融立国となった米国やイギリス、そして独自の文化国家を作ったフランスはすでに構造改革が「なされました。

日本はナレッジ社会へと脱皮しなければ、ギリシャ、スペインのように欧州危機を引き起こす国家と同列に連なってしまいます。

日本の構造改革はなにか?それは中小企業改革です。日本の9割の企業であり、労働従事者は中小企業なのだから。江戸時代でいう農民層です。そして一人で活動しているスペシャリストです。
こういうひとたちがしっかり収入を得られる仕組みを作らなければなりません。

しかし、先ほど触れましたが、現在安定している中小企業は既得権益者ですから、変わるはずもありません。イノベーションをしなければならない新興ベンチャーと個人が変わるしかないのです。

当社は20年前、まさに、ナレッジ社会への進行を進めるために誕生した会社です。より多くのスペシャリストを作り、そういう社外のスペシャリストや社員が結び合って、知恵を出し合って付加価値を生み出す。そういう仕組みを作り続けてきました。

それが当社の学習コンテンツであり、人材育成グループウエア則天であり、ネクレボなのです。
ゲームでモチベーションをあげる仕組みも加えました。

しかしイノベーターやアーリーアダプターの方には受け入れていただけるのですが、なかなかマジョリティ(大衆)の方たちが大きく動く、というまではできていません。


今回、みなさんが、稼げるようなアフリエイトの仕組みを構築しました。是非、より多くの人がこの仕組みにご参加いただき、この国の構造改革を実践していただきたく存じます。

もちろん農林水産業や医療や環境ビジネスは構造改革の柱かもしれません。ただここは既得権益との問題でなかなか進みません。

ナレッジビジネスこそ、既得権益なき、構造改革なのです。注目されないのは、まだ大きく儲かる実績がないからです。

「エンターテイメント+学ぶ+稼ぐ」という切り口で、ご一緒に時代を創りましょう!みなさんの才能が必要なのです。

2013年03月23日

ネクストレボリューション 次の革命が迫っています。だからネクレボ

今、中小企業の多くのスクラップアンドビルドを国は考えているそうです。少なくとも民主党政権ではそういう方針だったようです。

その理由として、日本にイノベーションが進まない大きな原因が、労働者数九割所属する中小企業のなかで、イノベーションする体力も気力もなく、モラトリアムで借金を塩づけになったままにいる企業が数多く存在することだからだそうです。

こういう話は特に、会計士や税理士の先生、銀行の人が話しています。

国家を動かしている人々はもちろん優秀です。でも政治で抑えられてきたのです。選挙で政治が支持をえるためには、勿論地元密着の中小企業の支持が必要だからです。

それゆえ、政治家や国家は無能よばわりされながらも中小企業を守ってきたのです。

それでは国家はいつ本音を断行するつもりでしょう。
ケース1
このモラトリアムの解除の3月をもって銀行に処分させる。
コメント
しかしこれをすれば、間違いなく自民党は6月の参議院選で敗北します。だからおこなうとしても参議院選後でしょう。

ケース2
アベノミクスが失敗し、国債が暴落する。
コメント
これは、いかに、銀行がリスクをとって、どれだけ市中にお金を流すかにかかっています。しかし企業を選別しなければ、また塩づけの二の舞になります。アベノミクスが失敗すれば、大混乱になるでしょう!もちろんハイパーインフレにはなりませんが、(ハイパーインフレは千倍、一万倍だそうです。)インフレ率は100倍にはなるでしょう。

ケース3
首都圏、東海地方に大地震が発生する
コメント
勿論そうなれば、自然発生的にケース2となり、世界中の大混乱になるでしょう。でもこのケースの確率はけっこう高いです。国家はここでスクラップアンドビルドを狙っている可能性は高いです。
東北の大震災の時でさえ、国のお金がないので、放置状態が長く続いているのです。首都圏び大震災が起これば、一時、経済は停止するでしょう。

いずれにしても、大混乱は近いうちに来るでしょう。そして300年に一度の経済革命が日本におこります。革命という言葉は若い時は、憧れとチャンスと英雄を生む、美味なことばに響いていました。

しかし今は、世の中の体制がひっくり返ることによる、いままで生活してきた人々が、生活基盤を失う慟哭と、絶望と、数多くの悲劇が圧倒的な数で起きることがわかりました。

それは明治維新も、建武の親政も、鎌倉幕府誕生も、イギリスの革命も、フランスの革命も、アメリカの南北戦争も、そして東西冷戦の終結による東ヨーロッパの解放も、ありとあらゆる、圧倒的な悲劇のなかで新しい体制が生まれてきたのです。

最近、私はふつうの生活が、どれほど幸せなのか、身に染みて感じます。


今、日本は、多くの人にとって、圧倒的な悲劇が目前に迫っています。それは本当の産業革命がおこるからだからです。というかおこらざるを得ないのです。


国家に必要なのは、世界で通用するグローバル企業です。そしてその企業群は、世界に人材を求め、日本での雇用は生まれません。

大量失業の時代を迎える前に、日本の次の革命が起きなければなりません。

それは、組織に頼らない、個人が独立する時代なのです。

多くの人々が、資格やノウハウを複数持ち、営業ノウハウを身に着け、ネットワークで連携しながら、個を生き抜くことです。

大衆が知恵をもつことが、可能なのは、江戸の吉宗の時代、大震災や富士山の大噴火のあと、庶民の間に学問がおこり、致命的な経済を70年かけて復興し、それを証明しました。

私は、その革命を誘導する道具を、無知無力ながら、人生をかけて作ってきました。

そのしくみが、ネクストレボリューション、ネクレボであり、それを身に着けるのがネクスタをはじめとして当社が開発した数々の教材であり、みなさんたちがネクレボで知り合い、事業を提供する場が則天であり、稼いでいただくのが、当社主催のネットワークビジネスです。

それが無駄になるのか、有効に活用されるのか、まだわかりません。でもネクレボは日ましに活気づいてはいます。


話は飛びますが、私は、今、カッチーニのアベマリアを様々な演奏形態をあつめて、そのBGMを聞きながらこのブログを書いています。


この音楽には、思い入れがあります。

数年前、義父の葬式のとき、出棺のとき流れていました。

義父は優秀な農林省の技官でした。インターネットの凄さを23年前私に教えてくれました。もともとはこういう仕組みは、学術論文の世界で利用されていたようです。しかし私は、当時その重要性に気づくことはできませんでした。狂牛病の研究も問題になる10年以上前からおこなっていました。

畜産農家の経営がいかに難しいかも話していました。こんどのTPPの問題が、畜産農家にとっていかに深刻な問題かがよくわかります。

退官後、ザンビア大の教授やモンゴル大の教授を歴任しましたが、今問題になっている外交問題もしきりと心配していました。どんなにODAの援助をしても、日本の宣伝をほとんどしない外務省にいつもクレームをつけていたようです。そのおかげで、途中で、健康問題を理由に教授派遣を打ち切られてしまいました。

晩年は仏教の勉強をしていました。清廉潔白すぎて頑固でしたが、日本への愛国心はものすごく強くもっていました。

私は自社が出版社の機能をもちながら、これほど優秀な人の著作を一冊でも世の中に問うことができなかったのが悔やまれてなりません。

人生を世に問うて、脚光をあびる成功をものにする人は一握りです。ほとんどの人が、どれほど優秀でも、なにも残さず、時間とともに消えていきます。


ただ、生きている限り、可能な限り、夢を捨てず、失敗にくじけず、チャレンジし続けることが大切なのだと思います。一人ひとり、何度失敗しても、そのあきらめない強い心が、少しずつ数を増し、次第に大きな流れとなって、次の時代の大河を作るのだと思います。

その大河の流れは、時代が変わるときにすべてを失った、多くの人の慟哭の、悲しみの涙で作られるのです。

私は、最近、毎日毎日そう自分に言い聞かせて生きています。

2016年08月21日

憲法改正はするべきか、しないべきか。

「憲法改正はするべきか、しないべきか。」

憲法改正はするべきか、しないべきか、という議論が強くでています。

実際するべきなのでしょうか?

「憲法改正といってもいろいろあるんだよ、君、9条だけじゃないんだよ。もっと勉強したまえ」
としたり顔でいう政治家や評論家はよくいます。でも本音は以下の通り。

憲法改正問題はただひとつ、「国の交戦権は認めない、陸海空軍は保持しない。」だけです。

この問題だけが、国の枠組みを百八十度変えてしまう条文だからです。
憲法改正は、この条文だけ考えればいいのです。

あとは「憲法変遷」という理屈で片が付きます。

私の結論を先に述べます。 →答えはわかりません。

私は、教育学部でしたが、法学研究室だったので、卒論は憲法変遷論でした。

憲法変遷とは、憲法を変えずに、実態的違憲状態が続いた場合、その状態をどう捉えるか、というテーマです。

まさに今のテーマそのものです。


憲法の定義はホッブスのリバイアサンが有名です。

リバイアサンは怪獣と意味で、権力という怪獣を縛り付けるのが憲法だ、ということです。
つまり国民を権力から守るための法律なのです。
憲法という国家の枠組みなのです。

政治は、その枠組みの中で、満々ている水の如く、いろんな風が吹くと、その時々で枠から水がこぼれる、その水が憲法が変質したものか、違憲になるのか、ということなのです。

憲法の枠を厳しくすることが、憲法の力を強くするのです。国民の権利をより守るものです。

憲法改正は国民のパワーを弱めるものです。


日本の憲法は戦後一回も変更していません。
改正要件が非常に厳しい硬性憲法なのです。

日本国憲法は、陸海空軍その他の戦力を持たない、としながらしかし、日本国にれっきと存在する自衛隊は世界でも有数の軍事力として存在しています。

本来軍事力を持たない国家など存在しません!そういう意味ではあまりに非常識な憲法です。

しかし、新憲法下で、自国の軍隊が、他国と戦争しなかったのは、やはりこの憲法のおかげでしょう。

どんなに、米国に兵隊を出せ、と迫られても、

つまり、過去に、朝鮮戦争やベトナム戦争など、共産国との対立のなかで、

GHQは、当初、日本に軍隊をおかない、という方針を転換し、警察予備隊を作り、自衛隊を作りました。

しかし、日本の世論はもとより、マスコミ、国家にいたるまで、憲法9条をたてに、自衛隊を前線には向かわせずに済みました。

イラク戦争でも、米国の要請に対し、直接の戦闘はせずに済みました。

そういう意味では、日本国憲法は、たとえ押し付けられた憲法と言われても非常に効力を発揮し、日本の平和と発展に多大な貢献をしたのです。

ただ、それは、冷戦という資本主義国家と、共産主義国家という対立の軸のなかで、日本は米国に比較的守られながら平和と繁栄を手に入れられたからです。

平和憲法があったので、ことさらそれを利用して、戦争を避けることができました。

やはり、戦いの極意は柳生石舟斎が編み出した、無刀取りが最強の極意でしょう。

太平洋戦争で辛苦をなめた日本の戦後政治家は、日本国憲法を活用して、世界に冠たる繁栄した国家をつくりあげたのです。

しかし、ソ連の社会主義体制は崩壊し、中国が目まぐるしく経済力、軍事力を拡大させていく中で、冷戦構造が崩壊し、経済では日本が米国の経済的仮想敵国にされるようになった今日、いままでと同じようにはいきません。

世界的状況も情報と金融を、国を超えたグローバル資本主義に押さえられ、こうなると資本主義国家は、オセロの四隅を取られたごとく、ほとんど、その支配下から免れることはできません。

たとえ史上最大最強の世界帝国であるアメリカでさえも。

ただグローバル資本主義のリーダーのひとり、クリントンに昔ながらの資本主義実業家トランプは結構いい線で戦っています。

いずれにしろ、今日のグローバル資本主義の集団は、ピケティをはじめ、あらゆる学者が指摘しているように、国の概念を超えています。

そして、グローバル資本主義は戦争でも大きく儲かります。日本の国債の暴落も狙っています。

こういう状況下で、軍隊は持ちません!攻撃はしません!防衛のみです!って開き直った手法が通用するのかどうか。

単純に米国対中国、ロシアという構図ではないからです。テロ集団もあります。


海外へいくと、日本以外は常戦準備状態であることを痛感します。


日本はあまりにも平和すぎます。そこに、巨大地震が襲えば、国債は大丈夫か?中国やロシアからは本当に攻撃されないのか?


こういう場合、本来ならば、憲法も、基本に立ち返る必要はあるかもしれません。


具体的に言うと、米国は最初にグローバル資本主義に支配されました。つまりウォール界に支配されました。

今米国でトランプが優勢なのは、彼が不動産で成功してきて、明確に反ウォール界の旗を掲げたのに、良識組の米軍人など制服組が彼を支持した事が始まりだったと、一部から言われています。

イスラム国の設立に現政権が関わっている、という話もあります。

出どころはウイクリークスやスノーデンの情報が主で、真実かどうかはわからない。

ただ、いえることは、民主主義政治下ではお金で民衆をいくらでも洗脳できる事です。

ナチスドイツも、中国共産党もグローバル資本家が出資した、という話があります。


私はグローバル資本が悪いとは思っていません。資本主義の行き着く果ては自然のながれとして、グローバル資本主義があるのです。

利益を稼ぐのに、インターネットや金融をコントロールすることも、そのシステムを構築したのもグローバル資本主義なので、当然の成り行きです。


ただ、このグローバル資本主義の時代が続く限り、どんどんその傘下からはみ出した庶民のビジネスは厳しくなっていくことだけは事実です。

しかも、グーグルに代表されるように、下請けといわれるようなその傘下に入れる人たちも、大変少ないエリートだけです。


その傘下に入らないほとんどのその多大勢の庶民は、収入もさらに下がります。

その中で、どのように楽しく勉強し、楽しくノウハウを身に着けて、楽しく楽に働きながら生きていくか、そのお手伝いをするのが、メディアファイブです。まあ楽になるには、どんな場合でも、よっぽど苦労しないと楽にはなりませんが。

繰り返し言いますが、国家資格は進撃の巨人(グローバル資本主義)のウォール(壁)です。
(ひょっとしてウォール街という地名にはこんな意味が隠されているのかも((冗談です)))


こういう例はあります。
最近タイでクーデターがありました。

タイでは頻繁に軍事クーデターが起きます。タイの国民はけっこうこのクーデターを肯定する人も多いそうです。

もともと軍事クーデターによって民主化したので、政治がだんだん宗教色が強くなっていくと、民主主義に戻すため軍事クーデターがおきるそうです。
米国のトランプ現象に近いことです。

極論すると、グローバル資本主義に対抗できるのは、制服組の軍人だけです。

しかしこれも大変危険なことです。
日本はこれで大失敗をしたからです。

そう、2.26事件です。
エリートである青年将校たちは1936年、昭和11年、関東大震災、世界恐慌のあおりで、東北地方では娘を売り、飢饉にあえぐことに見かねて、財閥の後押しされている政府の主要閣僚を襲ったことです。

かれらは優秀で、実に行動力ある青年でしたが、すべては裏目にでました。そして世直しどころか、大日本帝国を滅亡まで導いてしまいました。

だから制服組が政治に参加するのもとても危険なことではあります。


憲法を改正するメリット、デメリット、しないメリット、デメリットを明確に列挙し、さらに突っ込んだ議論をすべきです。

時代の岐路に立っていることは事実です。

それを、単に左翼、右翼で片づけるのは、冷戦時代の発想です。そのような報道やインターネットの書き込みがなされ、世の中がなにも考えずに、時代がすぎていくことこそ、きわめて危険です。

今日の憲法改正反対運動は、崖っぷちに立っているのに、目隠しして、戦争反対って歌いながらスキップしているようなものです。

イメージですべての物事を判断できるほど、世の中は単純ではありません。

迫っている関東圏の大地震がすべてを握っています。

それほど、東北の大震災と関東大震災と東南海地震は世の中を変えてしまいます。


国の法的体制もそれに間に合うように点検しなければ、なりません。


ただ、関東大震災がきても、国は、物理的な軍事侵略さえされなければ、滅びません。滅ぶどころか国の借金はチャラになり、大変な財政優良国家に変身します。

国債をどんどん発行しても、どんどんマイナス金利にしても大丈夫なのです。

なぜか、国債が暴落すると、ハイパーインフレになります。1ドル百円が仮に1万円になるとします。すると今度は日本は世界でもトップクラスで外債を持っています。300兆円とします。その100倍の金を日本政府は持つことになります。それを地震の復興資金にあてれば、巨大な復興需要となります。

本当に、日本国の政府も官僚も深慮遠謀というか、優秀です。

ただ、私たち庶民は、庶民ひとりひとりが独立心をもって、きちんとビジネスをすれば大丈夫です。

2016年09月17日

とと姉ちゃんと、野口悠紀雄の「戦後経済史」

三連休の初日、野口悠紀雄氏の「戦後経済史」と「変わった経済、変わらない日本」を読みました。

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「戦後経済史」を読んでいたら、今朝リビングに降りてきたら、テレビでNHKの朝の連ドラの「とと姉ちゃん」を放映してたのを思い出しました。

ちょうど、とと姉ちゃんが出版している、「暮らしの手帳」で、洗濯機の性能比較を公開する、というお話でした。

家には、1998年発刊の「暮らしの手帳」があり、まだとと姉ちゃんが編集者として名前がありました。

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1998年くらいになると、料理の話ばかりでしたが、戦後、高度成長期の日本で、家事の三種の神器といわれる、洗濯機、冷蔵庫、テレビをみんなが買いたくて、色々なメーカーの性能比較とかが読者の関心ごととなって、「暮らしの手帖」で盛んに特集していたのでしょう。

その当時はそして給料が、どんどん上がっていくに従い、家庭の暮らしもどんどんよくなり、洗濯機や冷蔵庫やテレビを買い替えて、それが家庭の幸せであり、国民全体がその幸せを追って、日本は驚異的な内需拡大により、高度成長を遂げるのです。

野口悠紀雄の戦後経済史も、この内需こそが高度成長を作った、と言っていました。

2000年を過ぎて、アジアやブリックスが高度成長を遂げるのも、世界の工場が、すでに人件費の高騰した日本から、第三諸国に移り、第三諸国の国民も、三種の神器を求めて高度成長が実現したのです。

暮らしの手帳が一世を風靡したのも、その象徴だったのでしょう。

話を「戦後経済史」に戻すと、

日本の戦後の復興計画は、すでに、終戦前に、安倍首相の祖父である岸信介を中心に、計画されていたそうです。

というより、戦争における日本経済は、敗戦にむかって、どんどん追い詰められ、国家総動員法という、統制経済が岸信介を中心に進められました。

戦後の復興を、満州建国を復興モデルとして、統制経済に近い形で、岸信介たちは復興させました。


一時、敗戦という形でリセットした日本経済は、表面上は占領軍の指導の下に、しかし実際は、戦前から温存されていた官僚たちが、満州建国をモデルに、見事に復興を成し遂げたのです。

勿論焼野原の中で、驚異的なインフレとなり、戦後十年は国民は塗炭の苦しみを乗り越えてきました。

大都市の空襲による、工場の壊滅や、戦後米軍がめぼしい機械を米国に持って行ったことで、かえって日本は新しい機械を入れて、生産性があがった、という話もあります。

そして野口氏の説は米国と英国はITと金融で、見事経済の停滞を乗り越え、情報化への産業革命を果たしたのに対し、日本とドイツは工業化からの脱却ができずにいる、という話でした。

そして中国は日本のGDPを二倍近く引き離し、東南アジアやBRICSといわれる国の成長が著しい時代になりました。


日本は新しい産業を早くつくらないと、来るべき老人社会に、竹やりで立ち向かうことになる、というのが、氏の結論でした。


さらに1年前に出した新書「変わった世界、変わらない日本」では、高度なサービス業による、内需拡大と人材開国が必要だ、と提言しています。

僕はそれに反対ではないのですが、日本における雇用制度では、難しいと考えます。

あまりに現状の雇用制度は、働く気のない人にも手厚い保護がなされています。

それこそ戦後の統制経済のなごりでしょう。

しかし、それは、日本人のプロ意識を劣化させています。ここを解決しない限り、日本は変わらないでしょう。

私は、今の政府は、おじいちゃんがやったことと同じことをしようとしている気がします。

「一度リセットして、新しい日本を作る。」


そのためか、政府や日銀が外貨を買い出したか、買う話が今、浮上しています。
(現状では日銀は外債を買えません)
出所は、安倍首相だそうです。ますますおじいさんと同じことをするのではないでしょうか?


私たち庶民はどうすればいいか?それはしっかり自分のビジネスを、プロ意識をもって、社会に必要と認められることです。

そうであれば、どんな環境下でも生きていけます。

2016年09月30日

アベノミクスの成功はただ一つ、内需創造だけ。

いまや、マイナス金利の世界になり、銀行は、回収できるところへ貸出することだけが、最重要課題です。

アベノミクスの成功は、国内の消費市場を拡大することだけが、最後のトリガーなのです。

それは、中小企業が活発化し、50歳以上のひとたちが、第二の人生に自己投資することだけだと思います。

それは60歳でもいい、70歳でもいい。高度成長期を担った、根性だけはある高齢のひとたちが、ひとりでもいいからビジネスをはじめることです。

先のブログで「中所得国の罠」というのに触れました。

ある程度の生活ができるようになると、生活向上への需要がおちて、高度成長がいきづまる、というものです。

さらなる成長はどうしても新しい内需を創造しなければなりません。

バブル崩壊の1990年以降、日本は、次の需要創造に、ITにかけ、2002年のITバブル崩壊で、それ以降さらなる需要創造ができていません。


新しい需要創造とはなにか?
それは就業人口7割を擁する中小企業であり、44.8%を占める50歳以上のシニア世代が自己投資のために需要を創造することです。

この年代は、バブル時代を謳歌し、企業が元気な時代に管理職を経験し、高度成長期を生きた親の遺産が入り始めた層です。

いわば、一番お金を持っている層です。

自己投資とは、個人で、第二創業をすることです。

米国ではフリーランスという個人事業主が、自分の専門性を生かしてITを活用してビジネスをする人が急増中です。

この2,3年、長くて4,5年でシニアの自己投資市場がブレイクするか、あるいは、国債の暴落による、リセットで、日本を再構築するか、二つに一つでしょう。


メディアファイブでは、第二創業を支援するシステムを構築中です!

2016年10月16日

ドナルドキーンの「明治天皇」

タイ国王の死去で、ふと日本の天皇制について考えました。

この休みに、ドナルドキーンの「明治天皇」を久しぶりに読み返しました。
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今、関心のある天皇論はこの分厚い明治天皇と、ハーバードヒックスの昭和天皇です。

勿論日本人の書いた天皇論もだいたい読みましたし、陰謀論的な本も随分読みました。

明治天皇すり替え説です。

その真偽はともかく、日本人の書いた天皇論はだいたい偏っています。


今はなるべく客観視された天皇論を考えてみたいのです。


と思ってドナルドキーンの書いた、この分厚い明治天皇の上巻を紐解くと、すぐにとても面白い記述がありました。この文献は明治天皇実記という13冊からなる宮中の記録をベースにしているそうです。


それは父の孝明天皇が崩御し、明治天皇が即位したての時、孝明天皇の亡霊が頻繁に夜だけでなく、昼も出没し、明治天皇を悩ましたそうです。

孝明天皇が暗殺された噂は現代でも有名です。

第一の容疑者は岩倉具視で、第二の容疑者は伊藤博文です。

僕はこの記述にとても興味を覚えました。

まさにシェイクスピアのハムレットと同じストーリーだからです。

しかし、明治天皇はハムレットと違って、父を暗殺した疑いのある岩倉具視も、伊藤博文もことの外信頼していました。

明治天皇すり替え説が出てくる原因はこういったこともあるのでしょう。

一番大きいのは、本来北朝系であるはずの明治天皇が、南朝を正当化し、南朝で活躍した人々を祀る神社を国家プロジェクトとして進めたのです。

その第一が、先々週薪能を開催した大塔宮です。

護良親王→鎌倉 大塔宮 明治2年設立 
kamakuratakigi.jpg(大塔宮 薪能)
明治天皇は能が好きだったので、多くの明治天皇の建てた大社は薪能をします。

後醍醐天皇→奈良 吉野神宮 明治22年設立 
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(吉野神宮)
宗良親王→静岡 井伊野谷宮 明治2年設立
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(井伊野谷宮)
新田義貞→福井 藤島神社 明治3年設立
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菊池武時 菊池神社→熊本 菊池神社 明治3年設立
楠木正成→神戸 湊川神社 明治5年設立 
北畠顕家、親房→福島 霊山神社 明治14年設立 
北畠顕家、親房 大阪 安倍野神社 明治15年設立 
北畠神社 明治15年改称

明治天皇が巡業の折に、その土地土地で、活躍した南朝の人を祀りました。

しかし護良親王、宗良親王、新田義貞、菊池武時、楠正成がまず先で、後醍醐天皇を祀るのが明治22年まで祀らなかったのが不思議といえば、不思議です。

ただ、「明治天皇」という学術的な本を読む限り、すり替え説はやはり事実ではないかもしれません。

というのは、鎌倉時代以降、積極的に政治にかかわろうとした天皇は、後鳥羽上皇、後醍醐天皇そして、500年以上たってはじめて孝明天皇が開国を反対して主張したのです。

しかも息子の明治天皇は小さいころから、一貫して、そういう父の意見に異を唱えていました。

まさに明治天皇の性格は小さいころから変わっていないのではないか、と思わせる史実の記録があります。

たとえ、北朝系の天皇といえども、明治天皇は建武の中興の再現を起こそうと、それは孝明天皇の強い意志でもあったのではないか。

そして孝明天皇を後醍醐天皇の対比として、自分は護良親王になぞらえたのではないか。

そして、実の父といえども、もし孝明天皇が生きていたら、自分も護良親王と同じ目にあったかもしれない、と考えたのかもしれません。

明治天皇は、小さいころから太平記や北畠親房の神皇正統記を好んで勉強していたという。

そういうことも南朝支持を打ち出したことなのではないか。

一生で10万の和歌をつくるなど、もし少年期を庶民の中で暮らしてできるものだろうか?

さらに明治天皇が崩御したとき、世界中のマスコミは明治天皇を賞賛したという。

ドナルドキーンも当時の世界の皇帝のなかで、明らかに最高の皇帝だったと言い切る。

他国との戦争や侵略を嫌がり、しかし、政治にはなるべく口出しをせず、しかし、日本を正しい方向へ導く。

明治天皇は有史以来もっともすぐれた天皇だったようです。

孝明天皇は毎日幼少時の睦宮(明治天皇)に和歌の指導をしたといいます。

生まれながらの帝王学を学ばなければ、ここまで完成した王は無理なのではないでしょうか?

明治天皇は11人の子供を生みましたが、生き残ったのは、わずか三人、しかも皇子は大正天皇だけでした。

大正天皇はあまり肯定的な評価を歴史家はしておりません。

しかしあれだけの漢詩をつくれるのは、相当明晰でないと無理だと思います

大正天皇は山形有朋を最も嫌い、山形も大正天皇をなるべくお飾りにしようとしたようです。

昭和天皇は明治天皇を手本としました。

しかし明治天皇を手本とすればするほど、昭和の時代は、どんどん難しい方向へ流れていきました。

それは明治の時代に、清、ロシアという大国に勝利し、それは国民に、戦争がなんでも解決してくれる、という軍隊万能観をうえつけてっしまったようです。

欧米列強は日本を見直した、というより、警戒し始め、

そして1923年関東大震災が起こり、東京が灰塵に帰し、追い打ちをかけるように1929年に世界恐慌が起こりました。

東北では大飢饉により、餓死者や娘を身売りする家が増え、さらなる2.26事件へとつながります。

ある意味、明治が偉大な時代であればあるほど、その反動のつけが昭和にまわってくるのです。

次回、ヒックスの昭和天皇論を紹介します。


しかし、孝明天皇はどんな思いで、引き継いだばかりの明治天皇の前に亡霊となって現れたのでしょうか?

NHKスペシャル マネーワールド資本主義の未来

「NHKスペシャル マネーワールド資本主義の未来」

とうとう、こういう番組が放送されるようになりました。

資本主義は行き詰まり、この先どうすればよいか、というドキュメンタリーです。
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20161016

全五回の放送だそうです。

第1集 世界の成長は続くのか

第2集 経済の“支配者”は誰か~国家 VS 市場経済・ルールをめぐる闘い~

第3集 富は分かち合えるのか~巨大格差の果てに~

大切なことです。
ぼくがブログでおっかなびっくり述べていることです。
ちょっとホッとしています。
こんなこと言っていいのかな、とか思いながら書いていたら
税務署が入っちゃったりして・・・・
やっぱりやばいのかなあ、って思っていたところだったので
取り越し苦労でよかったです。(冗談です。)

第1集は、かいつまんでいうと、世界経済はいきづまり、格差はひろがり、残る希望はAIとエコノミーシェアリングだ、ということです。

原因は中流の罠です。つまり、世界中である程度の現代的な生活が実現されたので、基本的欲望はもうない、ということです。

そして、それを打破するビジネスのひとつとして、まずAIを紹介されました。

AIを活用して、ファイナンスをする企業が、イギリスのEU離脱で大儲けした、という話です。

次に、エコノミーシェアリングなるものが、紹介されました。

それはなにか、というと民泊です。フランスで民泊を進めるインターネット会社が7兆円企業に成長し、利用者は一億人を突破したことを述べてます。

そして、紹介された民泊をしているフランスの個人宅は年間350万円それで稼いでいるそうです。

第1集の紹介はこれまでにして、僕の感想です。

AIはもう、一般人を豊かにするためには無理です。ここの領域はそれこそ、第2集であきらかになる、ハーバードやスタンフォードの出身勢、つまり、グーグル、フェイスブック、マイクロソフトの領域なのです。

金融と情報(インターネット)を押さえられているので、庶民の恩恵はありません。

次に、エコノミーーシェアリング、これは、どこでも民泊をやれ、っていうことではないですよね?

ちょっと言い方は違うと思います。これこそ、僕が長年主張している、消費者の投資家化、つまり個人が自己投資して、ビジネスし、少し豊になることです。

民泊もその一つにすぎません。自宅を改造し、宿泊客をとるビジネスなのですから。

それ以上に、資格者などのスペシャリストが提携してビジネスをする市場こそ、今後飛躍的に拡大していく市場なのです。


手前みそですが、2009年に出版した「究極の経営」で主張したことです。

是非このNHKスペシャルはとてもわれわれ庶民の行く末を見据える大事なドキュメンタリーなので
みなさんもご高覧することをお勧めします。

2016年10月22日

NHKスペシャル 第二集 国家vs市場経済 第3集 富は分かち合えるのか~巨大格差の果てに~

第2集 第3集 ともに最初に衝撃なことばが述べられました。

トップ63人が、下位32億人の資産と同じ、ということです。


そして、一国のGDPを超える企業がランキング10位くらいから出てくることです。そして20位以下はほとんどが企業で占められることです。


そして、数多くのグローバル企業が、小国を裁判で訴えている、ということです。


さらに驚くことに、フリードマンの孫が、グローバル企業のための、国家を作ろうとしていることです。
もっとも小さい国を買収なり、交渉して、そこにグローバル企業は本社を置き、税金を大幅に軽減させよう、ということです。


最近、金融ビジネスで有名になったケイマン諸島はその一例でしょう。

もはやグローバル企業自体が、ものすごい力をもった新興国として変貌していくのです。


その一方で、あるスペインの村が紹介されました。

その村では、人間の根幹となるビジネス、衣食住にかかわることは、村営にして、利益をあげてはいけないしくみにしています。

村の経済は発展し、若い人の流入は増加し、とてもハッピーだ、ということでした。

村長の采配が優れているのでしょう。

しかし、これは、マルクスの主張する、まさに共産主義国家そのものです。


資本主義は競争から共存へと変化していくのです、と結論づけます。

村の規模が小さいのと、村長の手腕が稀有であることが、うまく共存社会をつくったのであり、時間と規模が拡大すれば、社会主義国家の失敗を繰り返えさない保証はありません。

いずれにしろ、第1集と同じく、現状の問題点の指摘は、とても驚愕するショッキングな内容なのですが、資本主義の次はなにかの結論には、説得力がないドキュメンタリーでした。


ただ、格差社会に不満をもつ人々は、中国が、毛沢東回帰しているように、またゲバラブームの再燃にも象徴されるように、共産主義を目指しそうです。

1世紀前に比べ、格段と生産性があがっているので、スペインの村のように、よりマルクスの理想的な共産主義社会は実現しやすいでしょう。しかし一党独裁はやはり大きな危険をはらむと思います。

われわれは、社会主義革命が起きた時、スターリン時代に2000万人、文化大革命時に3000万人、カンボジアでも300万人の殺人が起きたことを忘れてはなりません。

歴史は繰り返します。

国の変遷を一言でいうと、日本は、明治維新で開国し、日清、日露戦争で勝利し、関東大震災と世界恐慌を経験し、満州事変を起こし、中国と戦争し、そして、米英と開戦し、広島長崎に原爆をおとされ、大都市は空襲で焼け野原となり、1945年無条件降伏をしました。

戦後、朝鮮戦争特需で、経済は復興し、商社が活躍し、家電・自動車メーカーが急成長し、不動産価格が急騰しバブルとなり、昭和から平成へと変わり、バブルがはじけ、証券市場でマザーズが作られ、ITバブルが起こり、そしてはじけ、長期不況となり、民主党政権が誕生し、しかし自民党政権に戻り、アベノミクスで経済を立て直そうと、いう状況です。

日本という国家と庶民である我われがどのようにかかわるのか、今、だれもが考え直すべき時だと思います。

2016年10月24日

富裕層が貧困対策を始めだした。しかし・・

昨日のNHKスペシャル マネーワールド第3集で、米国において、富裕層が、自ら増税への運動を開始した、という報道がなされました。

ただ、政府のお金を増やしただけで、貧困対策をすることは難しく、やはり消費者が、自ら、自営業的な投資活動を行う人が普及していかなければなりません。


インターネットはインフラサービスであり、基本サービスは無料のビジネスです。テレビがインターネットにとってかわっただけで、もっと悪いのは、テレビは国内産業として守られてても、インターネットはグローバルです。


昭和の時代は、ラーメン屋や食堂、酒屋に薬屋、さまざまな個人事業主がいました。

しかし、今は巨大チェーン店やコンビニエンストアが、所せましと地域を席捲し、個人自営の出る幕はありません。

農業は、大手がまだ手をださない、魅力的な第2起業なのではないでしょうか?


先日所沢で、体験農業の民泊施設を見学にいきました。


つかわれなくなった農家を改造して、家族を泊めて体験農業をさせる施設です。

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totoro3.jpg(体験農場)

本当に「となりのトトロ」の世界でした。
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(トトロに出てくる五右衛門風呂)

最近は予約が急増し、休日はなかなか予約がとれないそうです。
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過疎地域での農業もとても魅力的な第二起業になるでしょう。


資格がらみのサービスはインターネットでどこでででもできます。


過疎地域で、農業をしながら、半分自給自足の、のんびりネットを活用したサービスビジネスを展開するのもいいかもしれません。


でも、それについてくるような、できた奥さんはなかなかいないかもしれませんが。


とにかくミドル&シルバーエイジが、投資活動を活発化することが、景気を押し上げる最有効手段だと思います。


そしてそれによる国全体の景気浮上の最も大きな利益をえるのは、グローバル資本家でしょう。


それこそ、共存共栄の安定した資本主義の次の社会が実現するのです。

2016年10月28日

なぜ資本主義が行き詰ったか?情報革命は、現在、供給サイドの革命が進んだところです。これから、需要サイドの革命がおこるのです。

 なぜ資本主義が行き詰ったか?私なりの解釈をさせていただければ、資本主義はそもそもは、生活改革なのです。

20世紀になり、機械、電気が発明され、自動車、テレビ、洗濯機や冷蔵庫などの生活をドラスティックに変革するものが発明され、最初は先進国の庶民の生活が変わり、そして21世紀に入り、発展途上国の生活が変わり、いまは世界にそれがいきわたり、資本主義は行き詰りました。

そしてIT革命が起きたのですが、これは米国を中心に情報革命が起きました。

これはものすごい勢いで広がったのです。

なぜなら供給サイド中心の革命だったからです。
Google,facebookが象徴するように、需要サイドは基本タダなのです。

勿論初期の段階はパソコン、スマフォ、タブレットとハード面では消費者サイドはお金を出しました。

しかし肝心のソフト面はタダが基本なため、中心となる人以外の仕事は消え、景気は悪化し、格差が広がり、資本主義の行き詰まりが露呈し始めたのです。


そしてこれから需要サイドの変革が必要となり、起きてくるのです。それこそが、消費者の投資活動なのです。

民泊に象徴されるシェアエコノミーもその一つでしょう。

なによりもビジネス経験豊富な40代以上の人々が、SNSやグループウエアなどITを活用して、第2の起業もしくはフリーランスで活動することが普及することこそ、需要サイドの情報革命なのです。

しかし、これから、さらに格差は広がる、というより、中間層が激減し、貧困層が急増していく中で、なにかしかのビジネスをしていかなければ、生活が苦しくなる人が増加します。


そして受け身であった、消費者層が、少しでも生活を良くしようとインターネットで仕事を探すようになるでしょう。


そして、消費者が少しづつ、自分のビジネスのための投資活動も始めだします。

その流れが広がり、大きな川になったとき、真に工業化社会から情報化社会への移行が完成するのです。


情報革命は、現在、折り返し地点である供給サイドの革命が進んだところです。

これから、需要サイドの革命がおこるのです。

これと同じようなことが、18世紀後半以降にも起きました。農業から工業化社会への移行期の産業革命でです。

機械の発明により、農業の生産性が向上し、大規模農業へ移行し、溢れた大量の農民が、都市に流入し、工場の労働者の担い手になっていきました。

機械が単なる道具であるように、インターネットも単なる道具です。

供給が先行し、需要がそれに続くのは世の常です。

インターネットを活用して、SNSやグループウエアや思考支援ツールを活用して新しいサービスを考えましょう。

今まではベンチャー経営者が主役でした。

そして次の主役は、あなたです!

2016年11月10日

トランプが米国大統領になる意味は

トランプが米国大統領になりました。

知り合いの米国人は、ことごとく、トランプを嫌っていました。

トランプが大統領になったら国を捨てる、という人もいます。

みなさん白人ですが。


ただ、行き着く方向性はヒラリーもトランプも同じだと思います。

ただ、あからさまに、移民排除やブロック経済をかかげるトランプと

富裕層を最優先にしながら、巧妙に戦争に持ち込むヒラリーかという

方法論のちがいでしょう。


トランプの勝因はただひとつ、米国での低所得層の強い支持です。

それは、トランプが、移民を声高に排除する、という政策を掲げたことがすべてでしょう。


まさに、ドイツが、第1次世界大戦で敗れ、ハイパーインフレになり、国中で失業者があふれたときに

ユダヤ人排除と、アーリア人種の優位を掲げたヒトラーと同じ手法で大統領になりました。

世界大恐慌がおこり、世界中がこの恐慌から抜け出せないなかでのできごとです。

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(経済成長と景気の関係)

なぜか戦争は不景気のなかで起こります。

不景気になると、失業者であふれる。

そして、失業対策を声高にあげるリーダーが現れ、手っ取り早く移民排除をおこなう。

そこで起こる様々な混乱に乗じて、戦争が始まる。

いつの時代も、人々の社会への不満は戦争につながります。


供給過剰で行き詰った経済を、戦争による破壊で、まずはチャラにし、

そしてまた新しく都市を建設することで、需要を創造することで

恐慌から抜け出す、ということなのでしょう。


トランプの当選は、その出方はまさに、そういう流れの一環として実現したのでしょう。

イギリスのEU離脱に続き、

第二次大戦前の欧米のブロック経済のはじまりです。


人類が、戦争という安直な需要創造ではなく、情報化社会にふさわしい需要創造を選択することを祈るばかりです。

2016年11月13日

大衆の心をつかめるかが、あらゆる富と権力に勝るかも

トランプの勝利はやはり衝撃でした。


米国の富の9割を握るエリート層がこぞってヒラリーを支持するなかで、

しかも共和党までヒラリーを支持するなかで、


白人下層にターゲットを絞り、排他政策、国内支持で訴えたトランプは勝ちました。


話は大きく飛びますが、今日、NHKスペシャルで「宮崎駿は終わらない」というドキュメンタリーを放映していました。


あれだけヒットを飛ばし、大変な興行成績を残したジブリが本当に閉鎖されていて、スタッフがいなかったことにも驚きました。


そして引退したはずの宮崎駿が、ちかくの自分のアトリエで一人で、細々と仕事をしているところから、そのドキュメンタリーは始まったのです。


スタッフのいなくなった宮崎駿はCGで新しいアニメをチャレンジしよう、という話でした。


CGは、なかなか手書きのアニメのようにはいかなく、ことごとくCGスタッフに、宮崎はだめだしを出していました。


でも、いろいろ試行錯誤をおこない、宮崎まで、75を過ぎて、初めてCG制作に手を出そうとすらしていました。


やっぱりCGでの製作は無理なのでは、鈴木プロデューサーと話し合ったりもしていました。


長編作品も企画し、鈴木プロデューサーに渡していました。


ある日、角川ドワンゴの社長が、ゾンビをCGでAIを活用して動かす映像を宮崎に見せに来ました。

その映像を見て、宮崎はあからさまに、とても不愉快だ、っと言い放ちました。

この映像には、人の痛みとか、心がない!そんなの見たくない、といったのです。

もちろんドワンゴの社長は動きを見てもらおうとしたのですが、それ以前の問題で宮崎に否定されてしまいました。


このシーンはとても大きな啓示を、僕に示してくれました。


どんなにテクノロジーが発達して、人工知能があらゆることをしても、火星に人間を飛ばしても、なによりも大切なのは、人の心を動かすことなのではないのか。

人の痛みを分かち合うことなのではないのか。

宮崎駿は、「人生の喜びを共感してもらう映画をめざしている」と言います。

そこが宮崎映画が常にメガヒットになる原点なのかもしれません。


それを考えると、

私たちは、技術の進歩がビジネスを作る、と考えるのは誤りなのではないでしょうか。

ビジネスとして価値を生み出すものは、人の心を動かすものなのです。


どんなに富と権力をヒラリーが味方しても、「俺は、低学歴者が好きだ!」と叫んだトランプが大衆の心を動かし、最後は勝ったのです。


同じように、人工知能が小説や映画を作れる時代になっても、大切なのは、大衆の心を動かせるか、なのです。


そこがとても重要なのでしょう。

もちろん大衆の支持は、時として間違えることも多いです。

ヒトラーは大衆に熱狂的に支持されて、独裁国家をつくりました。

日本の戦前の軍隊も、おなじく国民の強い支持が、太平洋戦争を後押ししました。


しかし、それが正しいにしろ、誤りにしろ、大切なのは、人の心を動かすことで、

ことビジネスは、そのことが最も重要なのだ、と思います。


2016年12月13日

日本の強みは「総中流」だった・・

どこかの外人の記事に出ていたのですが、

日本は一人当たりにすると、決して優秀な民族ではないそうです。


一億3千万人も人口がいるから、GNPもノーベル賞の数も多いそうです。


少なくとも米国には勿論かなわないでしょう。

なぜならインターネットを通して、世界の情報と金融を掌握しているのですから。


中国は人口が、日本の十倍以上いるのだから、やはりかないません。


それでは、日本の強みはなんなのでしょう。


すでにかつて、という言葉ですが

それは「総中流」でしょう。


昔の話ですが

かつてほぼ7割の人が中流意識をもっていたから

消費市場も巨大だったし、

教育もいきとどいていたし

優れた企業を数多く輩出したのです。


いまや、日本は人口しか優越できるものがありません。


貧富の差は増し、大企業と中小企業の格差も増し


市場は縮小し、人口も縮小をはじめ、もうすぐフォールという激減状況になっていきます。


日本を救うものは、ただただ総中流を復活させることでしょう。

それには、やっぱりフリーランスで活躍できる世の中にすることしかありません。


日本は・・・。

2017年04月22日

次に必要なのは需要革命

昨日、NHKスペシャル「欲望の資本主義」というのを見ました。

とても素晴しいドキュメンタリーでした。

まず、冒頭で、米国のノーベル経済学者スティッグリッツが象徴的なことを話しました。

今の経済の問題は、総需要が不足し、その結果世界経済が減退している。
その根本的問題は、不平等。

つまり、富の集中によって、中間層がいなくなり、一局の金持ちに金が集中すること。

金持ちは貧乏人より金を使わない、ということ。

ここからは、私(北畠)の考え

だからこそ、中間層を増大させることが、経済発展に必要です。

そしてそこには限界があります。

人の欲望は、まずは衣食住という生活根本の欲望(需要)の消費に向かいます。

それが工業化社会の経済成長につながります。

まずは、産業革命後の欧米日本の産業の発展。それにいきづまり、世界大戦へと発展していきました。

次に、第二次世界大戦後の欧米日本の産業の発展。現代的な、自動車、洗濯機、冷蔵庫、テレビなどの現代的な家電の普及にともなう産業の発展。これは、日本がリードして、でも1990年代から行き詰り始めました。

つまり1800年初頭から始まった産業革命は1900年ころからアメリカを中心に自動車が庶民が乗るようになり、欧米日本に至っては、1950年までまたなければなりません。

つまり工業化社会が庶民生活に根付くには100年から150年かかったのです。
%E5%B7%A5%E6%A5%AD%E5%8C%96%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2syukusyou.jpg(母校の授業で活用した思考支援ツールで作成)

1995年、クリントン政権における、ゴア構想、つまり情報スーパーハイウエイ構想が実現されると、インターネットを中心とする情報革命がおこりました。

この情報革命で、最も大きいことはBRICSといわれる、つまりブラジル、中国、ロシア、インド、中国、欧米日本以外の大国の経済成長をおもいっきり助長しました。

確かにかつて日本が、そうであったと同じように、人件費のやすさ。から世界の工場と言う役割で経済発展してきました。
しかし経済発展のもっとも大きなものは、国民が生活の現代化と呼ばれる自動車、冷蔵庫や洗濯機やテレビそして住宅などの購入です。

それが、ブリックスの経済発展に大きく貢献しているのです。

しかし、全て生活の現代化を満たした欧米諸国は、需要は満たされ、しかもインターネットの発達は拡大しない需要の中で、アマゾン、グーグル、フェイスブックに代表されるように、あらゆる生活の需要を奪って行きます。

その結果、個人商店や中小企業は消え、大企業と大富豪に集中するようになったのです。

どうしてこうなるか、というと、産業革命は当然のことですが、供給サイドの革命から始まります。

とくにインターネットのビジネスは、当初は金持ちも貧乏にも平等に訪れます。
しかし、需要がついていけず、大資本家は、インターネットビジネスでの優位性を保つために、無料でユーザーに普及させることを狙います。
今日におけるネットビジネスはそこで発展してきました。グーグルサイトもフェイスブックも利用者側は基本無料です。

最もテレビやラジオもそういう側面はありましたが。そういう意味ではテレビやラジオも情報化社会の先駆けという位置づけでもいいかもしれません。

工業化社会における産業革命も、1800年から1830年ごろから始まり、まず工場などの供給サイドで起こり、それにともない、イギリスでは、機械に取って代われた失業者たちが、ラッタイト運動をおこしました。

ラッタイト運動とは、暴徒が、工場を打ち壊したりする運動でした。
今日、情報化の進行に伴い、失業者の増大をネオラッタイトと呼んでいます。クリントン政権の時の労働長官で、「ワークオブ・ザ・ネーション」で有名なロバートライシュは、早くからこの問題を指摘しました。


産業革命は1800年くらいからスタートし、供給サイドの産業革命は素早く進行したのに、大衆は、なかなかこれを受け入れられず、供給過剰から、世界恐慌がおこり、二度までの世界大戦をおこし、やっと1950年代以降に、生活の工業化社会が浸透したのです。

今、世界は供給サイドの情報革命が進み、それに伴い、需要サイドがついていけず,格差が広がり、需要不足で、経済は行き詰まっています。

まさに、世界大戦前夜の世界そのものです。


これから、世界は、戦争に突入するのか、需要革命が起きるのか、大きな岐路に立たされています。


少なくとも日本は、先の大戦で、需要拡大で戦争を選び、国家を滅ぼしました。(太平洋戦争は日本は追い込まれた、という反論はあるでしょうが、満州朝鮮中国への侵攻は、景気対策の一環という見方は明確にできます。そのおかげで、旧財閥や新興財閥は大きく昭和初期には潤ったのですから)

その経験を生かすためには,勿論、後者を選ぶべきでしょう。


2017年04月25日

次にくる需要革命すなわち生活者の革命とは?

それでは、次にくる需要革命、すなわち生活者の革命とは、どのようなものでしょうか?

われわれは、まず10年後の2027年をイメージしてみましょう。そしてさらに10年後2037年後を想定してみましょう。

まず、今進歩しつつある人工知能について考えてみましょう。

人工知能の構造は、パターンをなるべく多く記憶させ、具体的には、正解といわれる事例をたくさん記憶させ、判断すべき事象を、そのパターン群から類似、もしくは一致するものを選び出し、それを正解としてアクションをおこさせる、という仕組みです。

人工知能が発達すればするほど、より擬人的なロボットが出てくるのは明白です。

たとえば介護ロボットを作れるとします。

ある一人暮らしの寝たきり老人がいるとします。その老人が介護ロボットを雇います。

おなかすいた、と老人がいうと、ごはんを作って口に運んでくれます。トイレ、というとしびんやおむつをとりかえ、洗浄もしてくれる。もしくはトイレに運んでくれる。

さびしくて話しかけると、ロボットは実にきめ細やかに理想的な会話をしてくれる。

具合が悪くなれば、すぐに救急車を呼んでくれる。

これを、人間がやるときのデメリットは、人には感情があるので、優秀な介護をする人をさがさないと、本当に老人はつらいことになります。近年、介護老人ホームで老人の虐待が事件になったりしますが、そういうことはロボットにはありません。

おそらく教育でもそうでしょう。家庭教師を頼むより、言葉を認識するロボットが教えてくれるほうがより、優秀な先生でしょう。

仕事を管理監督指導するのもロボットがおこなったほうがいいかもしれません。

それでは人間がロボットにとってかわられないことはなにか?

まずトップの決断。これは、ロボットを利用して新しい目的を実現するのだから、トップつまり社長の決断とか、教育だったら親の決断とか、そういうものは、まずはロボットにとってかわられません。


こういう社会になることで、人間はどう変わるのか?教育とか、労働とか、人間にとって努力と苦痛が伴うものが、苦痛なく楽しく生産活動ができるようになるでしょう。

それは、人々が、競争原理に従って勉強したり、働いたりするのではなく、協調によってより付加価値をたかめ、楽しく人生を起こる社会の実現につながるのだと思います。


情報化社会は、豊かな中間層が7割以上もいて、そして仕事の時間も短く、あえて、楽しく貢献的に消費をおこない、また個人個人が仕事での投資も含めた生産活動をすることによって、よりみんなが豊な社会が実現されるのです。

経済の流れはより豊かにより活発にながれることが、みんなも潤すのです。決して一部の独占と中間層の消滅、貧富の差の拡大は富を持つ層の富すらも奪いかねないのです。

とにかく中間層を厚くして、経済をより活発に回すことが、富裕層にとっては、もっとも大きく儲けることができるのです。当然のことに中間層も下層も豊かになれます。

歴史は繰り返す、というなら確実にこの後、大きな戦争がきます。


しかし、人類が賢くなり、戦争を起こさなくても、情報化社会への需要マーケットの移行がスムーズに起こせれば、戦争は回避されます。


需要革命は、教育によって行われます。よりここちよい、でもしっかり知識や技術や思考を身に着けて、いままでにない仕事へと変化させる、そんな状況が拡大していけば、需要革命は起こると確信しています。

詳しくは、2008年に書いた拝著「究極の経営」をお読みください。

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あれから9年経ちますが、まったく修正のいらない内容と自負しております。

でも売れませんでした。(≧◇≦)

売れない古い本の宣伝で ドーモスミマセン!

2017年08月19日

フーテンの寅さん

今年の正月、たまに放映されるお能を録画するために、ビデオデッキを買いました。

今は、スマフォで録画予約から再生までできます。

そんなことから、時間を持て余す電車の中で、スマフォでテレビの録画予約をします。

また録画したものを、スマフォやタブレットでベッドの中や、wifiのつながるところでちょくちょく見ています。

いままで、あまりテレビや映画を見る習慣がなかったので、世の中の有名な映画を結構みるようになりました。

なぜか、最近は渥美清のドラマ、ドキュメンタリー,男はつらいよなどがよく放映されています。

男はつらいよは,渥美清が死ぬまで、48本も作られました。

まさに国民的映画です。

大学浪人のころ、恒例のお正月のテレビ番組で、この寅さんを見て、はじめて組織に属さない自分を同化し、面白い中に、寂しさを感じたのを覚えています。

高度成長期から平成の初めまで、石原裕次郎や加山雄三などの青春路線,高倉健や菅原文太のアウトロー路線、森繁久彌やクレージーキャッツ、そして渥美清に代表されるお笑い路線と、国民的映画はこの三つ巴でありました。


急拡大する日本経済の中で、裕次郎や加山はスマートに成功するおしゃれな勝ち組,やはり経済成長を裏稼業で稼ぐアウトローに比べ,寅さんは不器用で、そういう経済成長から取り残される下町の、本当に日常にあるような可笑しくも、ちょっと寂しい人情劇です。


今日ある勝ち組のオピニオンリーダーが、ユーチューブで講義をしているのを見ましたが、100万人の頂点に立て,という話です。

でも、クラスでもなかなか一番になれないのに,会社でもなかなか一番になれないのに,100万人の頂点に立つなんて、ほぼ100パーセントできないですよね。


でもリスナーは元気になるそうです。これは、僕はまやかしだとおもいます。

ひとはなかなか勝ち組にはなれない。でも寅さんのようにはなれるかもって思います。

おとこはつらいよは、1969年からはじまり、渥美清がなくなる1995年までじつに26年続きました。

どんなに社会を一世風靡したように感じても、石原裕次郎の青春ものも、1957年から67年くらいまでの10年、高倉健の任侠ものも1963年から70年、菅原文太のトラック野郎にいたってはたった5年程度です。

男はつらいよに続くのは、1981年から2001年までのドラマ「北の国から」の20年でしょう。

ヒーローものより、一般の等身大の人の映画がスーパーロングランになるのでしょう。

先日、あるユーチューブに100万人に一人になれ、というある先生の啓蒙ビデオを見ましたが、100万人に1人になるには、100万分の1、つまり、不可能ということじゃない、と思いました。

そういう啓蒙のしかたはあまり賛成できません。

そういえば、高校生のころ、トルストイが、小説でも音楽でも劇でも英雄や王侯貴族の芸術は新の芸術じゃない、等身大の民衆のなかから出てくる芸術こそ、もっとも価値がある、ということを言っている芸術論を読んだことを思い出しました。

ああ、トルストイがいってるのは、フーテンの寅さんのことなんだ、と今思い至りました。

私も少しでも、そんな教材が作れたらいいな、って思う今日この頃です。

2018年02月12日

貧困家庭における教育問題と資本主義の終焉

先日、知人の紹介で、「私たちは子どもに何ができるのか」(英治出版)という本を読みました。

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この本は、米国内のボランティアで、貧困家庭の親の支援を10年くらいしている著者が、貧困家庭の教育問題をデータにもとづいて、指摘することが主題の著作物です。

しかし私は、相変わらず自己流の解釈から、この本を二つのテーマからとらえました。

一つは貧困の問題ともう一つはディープラーニングの問題。

貧困の問題は情報と金融が一握りの人に握られることによる資本主義の終焉へと向かう中での格差社会で、貧困層の増大とともに、攻撃的な反社会性の人間を増産し、やがては彼らが向こう見ずな暴動から資本主義の終焉へと向かうことの現実をはじめて実感した気分です。

著者は、貧困層の拡大は、豊かな感受性やクリエイティブな脳を作る、非認知的教育が損なわれる、と警告しています。そして科学的に分析しています。

最近NHKで「欲望の経済学」という番組やってて、欧米のノーベル賞級の経済学者が、みんなこれから資本主義が終わり共産主義に変わるって言ってて驚きました。

ほんとかなあ、インターネットと金融を握る、グローバル資本家は、かなり長い歴史を支配できるのでは、って考えていましたが、この本読んでわかりました。

なんたって米国の半分が貧困家庭ですから。その貧困が暴力革命を起こす戦士を製造するって話です。日本でも足立区や新宿区では三分の一が生活保護家庭だといいます。

そして、著者は貧困家庭で育った子供に、非認知教育をおこなうことで、反社会性の大人をつくることが防げる、と説いています。家庭を超えた、自律性、そして明確な目標設定を作って学習をするディープランニングなるものを提唱しています。

ただ、僕は、ディープラーニングの場合、所詮作り事の目標に対する学習ということより、実際の働きの中で、どう学習して生産性を上げていくか、という実践的な学習が本当の学習(ディープランニング)なのではないかなって思います。

僕はそれをITを使ってどう教育をするか、というのを至高の学習と究極の経営という二冊の本で書きました。資本主義を終焉させないためには、繰り返しの主張ですが、中間層の復活が必需です。

中間層は体制に従順です。しかし、貧困層は、体制に暴力的です。

ターミネーター4は2018年を舞台にしています。マトリクスにしてもターミネーターにしてもグローバル資本家が生み出した人工知能に、人間が支配される、という映画です。

こうなりたい、という人はいないとおもうけどなあ。


憲法改正と憲法変遷論

最近、憲法改正に関する話題が増えてきました。

あなたは、憲法改正に賛成ですか?反対ですか?

その答えに自信もって答えられる人が何人いるでしょうか?

ぼくも答えられません。

最近、マスコミ出身の政治家が、ネット動画で、憲法学者なんかいらない、憲法はそのまま正確によめれば、それでいいんだ!と暴言を吐いていました、歴史をみれば、それがあまりに暴言であることがわかります。

理由は簡単です。憲法は、その文言通りの政治にはならない、どういう政治状況になるか、まったくわからないからです。

フランスの法哲学者メインは、憲法は国家の入れ物で、政治はそこに入っている水と表現しました。

史上初の最も民主主義的な憲法であるワイマール憲法下で、あの独裁者ヒットラーは堂々と選挙に勝って、独裁政権を打ち立てました。政権握ってから、憲法を停止しましたが。

日本だって、明治憲法は、天皇に大権があるのに、明治天皇は、自分の反対する日露戦争をすら止められませんでした。そして、日露戦争の開戦が決定したとき「よもの海 みなはらからと思ふ世に など波風のたちさわぐらむ」とおもいっきり御前会議で歌をよみました。

もともと明治憲法は、薩長政治を有効におこなうために、天皇の大権の決定には内閣の「輔弼」つまり助けが必要、とちょこっと記入されただけで、薩長政治に政治実権は、握られてしまいました。

大正天皇は、天皇になるやいないや、その薩長政治の大権を天皇に権力を集中しようとして、山形有朋に、かえって実質的権力をはく奪されてしまいました。

昭和天皇は、明治天皇や、大正天皇を見て、よりうまく天皇大権を使おうと努力しましたが、満州における張作霖爆殺事件では、白川首相を更迭し、満州における陸軍の暴走をとめようとしたことが、逆に、満州事変を引き起こし、中国との戦争を引き起こすきっかけを作ってしまいました。

さらに、2.26事件では、天皇大権を取り戻そうとする、青年将校たちを、まっこうからその征伐に乗り出し、かえって、軍部の権限を増大させてしましました。

これだって、当時、尊皇派と統制派という、尊皇派は天皇中心の政治をおこなうことを主眼とする派閥と、憲法に基づいて、機能的におこなう派閥との陸軍内での対立で、昭和天皇は自分の権限強化より、憲法重視の政治を行うことを希望していたのです。

それは、天皇が皇太子時代に留学した、イギリス的君主国家を望み、そういう国家の実現を切望したいたのです。

しかし、2.26事件は首相は難を逃れたものの、多くの閣僚が、虐殺されたのですから、陸軍にたてつく文官が少なくなってしまいました。


今回の問題は、改憲派は、日本の国土は日本の軍隊がしっかり守るべき、という至極あたりまえのことをするには、押し付けられた憲法ではできないのでは、という話です。

勿論、軍隊を強化することは、国としての存在感の維持と、外交は、有利に働きます。


しかし、現実問題として、今の日本の軍事力は、実は世界でもかなり優位にたっている、ということです。

核にしたって、全国に原子力発電所があり、核兵器になりうる核燃料もたくさん国内に存在し、きわめて短期間での核兵器開発が可能なのも周知の事実です。

たしかに憲法は軍隊を持つことを禁じています。しかし、憲法より、国際法が優さるという世界の不文律のなか、一国を守ることは、基本的な国家の権利ではあるので、軍隊を増強するのは、憲法違反かもしれませんが、違反だから、すぐにやめなければならない、ということにはならないのです。

平たく言えば、人間に生存権があるように、国家も生存する権利があるのです。「国の交戦権はいかなる理由でも認めない。」という条文があっても、自国を侵略を準備する国家があれば、相手国家に攻めていき、先手攻撃しても、憲法に優越する事態における政治的行為として、一時的には許されることだと思います。

憲法は入れ物です。入れ物の間口を大きくすることは、憲法の存在意義をも低下させることでもあるのです。

したがって、僕は、憲法改正しなくても、憲法違反のままでも、今のままの憲法の方が都合がいいのではないか、とおもいます。

憲法改正をすれば、いの一番で、世界の紛争に巻き込まれ、イスラム圏の恨みを買って、日本の治安も悪くなる可能性も高くなるからです。

でも、それなら僕は、憲法改正反対とは、言いきれません。

なぜか。それは三島由紀夫が、憲法改正を訴えてクーデーターを起こし、自決したからです。

三島由紀夫は45歳で死にました。しかし、彼の残した出版物のありとあらゆる著作物は、あまりに頭脳明晰、すごすぎるのです。

先日家族で鎌倉にドライブに行ったとき、助手席に乗った、高校生の娘がモーツアルトは、人間が出せない波長の音楽を作曲した、という話をしていましたが、僕より、一回り若くして死んだ三島由紀夫は、あまりにも天才すぎて、しかも、かれは東大法学部出で、法律の専門家でもあったのです。

その三島由紀夫が命を懸けて、憲法改正を訴えた、ということは、常人では測れない、憲法の欠陥がこの憲法にあるのでしょう。

たぶん、国家の免疫なるものかもしれません。

いまの日本国憲法では、国家の尊厳もなく、愛国精神もない日本人を増加させ、日本国は免疫不全を起こす、ということなのでしょう。

しかし、ネトウヨと呼ばれる、愛国主義の人は増えている今日、三島由紀夫がこの状況をみれば、どうお考えでしょうか?

ただ、ただその一点だけで、僕は憲法改正に賛成か、反対かわかりません。

三島由紀夫には、生きててほしかったなあ。

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