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政治経済 アーカイブ

2007年09月17日

「クイーン」という映画を見て

 「クイーン」という映画を久しぶりに地元の映画館で見ました。これは1997年8月31日パリでダイアナ妃が交通事故死したことから始まる映画です。偶然にもこの事故から2週間後、私はパリとロンドンに行っていました。まだ事故現場は生々しく、バッキンガム宮殿の門前には花束が数多く置かれていました。

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(97年9月バッキンガム宮殿の前 ダイアナ妃への花束が門に積まれている。)

 映画は、ダイアナ妃に同情するイギリス国民からの非難に悩みながら、王室を守ろうとするエリザベス女王の心の葛藤と、それを助けようとする就任したばかりの若きブレア首相とのやりとりを描いたものです。エリザベス女王はイギリス国民の良心を信じながらも、大衆を心情的に煽る大衆紙に傷つきます。

 法哲学者長尾龍一氏はケルゼン選集のあとがきにこのように書いています。
「民主主義とは絞首台に登らされる自由でもある」と。
つまり大衆は時として判断を間違える。間違えた判断により絞首台に上ることもあるのです。ナチスを選んだのも民主主義憲法下のことだし、文化大革命もソ連時代のスターリン支持も大衆の選択ミスで数千万人の命が失われました。

 大衆とはとても不思議な「意思」です。10人集まると意見はばらばら。それが1万人、100万人、1000万人・・・・と増えてくると、結構また大衆という人格が見えてくる。これは人であって人でない。意思であって意思ではない。大衆が受け入れればすぐに何億、何百億という金が動く。どんなにチープなテレビ番組でも、視聴率10%で1000万人が見、億という広告料が動く。

 太平記と同時代に北朝の花園院は「太子を誡める書」のなかでこう言っています。
「民衆は暗愚であるからこれを教導するには仁義をもってし、凡俗は無知であるからこれを統治するに政術をもってする」。そして仁義や政術を身につけるには「学びに学んで経書を身につけ、正しい知識、正しい判断ができるように日々自分を評価し、反省しなければならない」と。

 「クイーン」では女王がタブロイド紙の過激な記事に傷つきます。ある意味ダイアナ妃を死に追いやった張本人であるタブロイド紙が、まったく反省する様子もなく、今度はダイアナ妃の味方をして王室の存続の否定を国民に煽る。すべては新聞が売れるため、部数を伸ばすためという理由で、命や生活を脅かされるほうはたまったものではない。

 リーダーが判断を誤ったならば、毅然とその過ちを正すのはよいと思います。しかし目上だろうが、同僚だろうが、部下だろうが、節度、というものがあります。マスコミには人としてのその節度を忘れた報道が目に付くと、私は思います。人の痛みを考えない報道に、なんの真理があるのでしょうか。相対立する立場の双方に立って真理を追究するのがマスコミであり、あまりに節度を欠いた報道姿勢は非難されるべきだと思います。

 民主主義体制は国民の教養レベルが一定水準であることを前提として存在可能な国家のシステムです。また「自然法」にのっとった国家システムです。「自然法」とは正義にのっとる、ということです。正義という価値判断が機能せず、「利」という価値判断で国家が動き始めたならば、これも民主主義の危機といえるでしょう。

 私は、日本人は、消費という観点からは世界でトップレベルの国民だと思います。日本人は、お金を払う段になると、商品やサービスに対する目の厳しさは大変なものです。それは、日本の市場に供給する企業の商品やサービスの品質向上能力を磨きます。それゆえに、世界の市場で、日本の商品の品質レベルが通用するのでしょう。しかし政治、文化、生活といった点では、日本人はけっこう鈍感になってきているのではないでしょうか。

 ただ、「クイーン」を見て、あれだけ国民の文化水準の高いといわれている英国民の弱点を垣間見た気がします。そこにちょっとイギリスへの親近感と安堵と、もしかして追いつけるかも?という野心が芽生えました。
 
 でも、イギリスを始め、ヨーロッパの教育のイノベーション(特に IT化)は進化のさなかにあるそうです。日本にとっては、今が一番その背中に近づいているのかもしれません。このままでは、これからの10年、日本は西欧に大きく引き離されてしまう可能性があります。これは行政の問題ではありません。行政はむしろ焦っています。国民のITへの敬遠、パソコン離れに起因することが大きいと思います。

やっぱりまた不安になりました・・・・。どうしたらITはみなさ んに受け入れられるのでしょうか。映画を見ても、けっきょく最後は日 ごろの私のテーマに行き着いてしまいました。

2008年02月03日

670年前の悲劇

デュマの巌窟王を読んだことがありますか。14年間無実の罪に陥れられ、モンテクリスト伯としてよみがえり、自分を陥れた人たちを復讐するフランスの小説です。しかし日本に670年間も誤解され、無視されつづけた最強の巌窟王がいます。北畠親房です。

北畠親房というと、どうも右寄りの思想と見られています。その原因は「神皇正統記」を書いたからでしょう。この書は1339年、戦場のなかの常陸の大宝城や関城で書かれました。しかしこの内容は、実は、とても右寄りの人には受け入れられない本なのです。戦前は右翼の攻撃対象にもなっていました。なぜなら武烈天皇や陽成天皇の例を出し、行いや心持ちの悪い天皇は廃嫡してしまえ、と述べているのです。さらに陽成天皇を廃嫡した藤原基経や、承久の乱で朝廷に反旗を翻して後鳥羽上皇を隠岐に流した北条泰時の徳を褒め称えているのです。さらに親房は、日本人はみな元を正せばアマテラスにいきつくから皆兄弟なのだと言っています。(「人はすなわち天下の神物である。ゆえに人たるもの精神の正しさを失ってはならぬ」日本の名著9神皇正統記上P371)、(「天下の万民はすべて神の子である。神は万民の生活が安らかにするこおを本願とする。」同下P431)

かといって神を限定するわけでもなく、人間みなその心はそれぞれなのだから、いろいろな宗教があるのを認めなければならない、と言っており(「ひとつの宗派に志ある人が、他の宗派を非難したり低く見たりすることはたいへんな間違いである。」同中P395)いかにリベラルだったかがわかります。

そもそも読者の中には「神」ということばも抵抗がある方が多いのではないでしょうか。親房の「神」はすなわち八百万の神、イコール自然や天という言葉で置き換えて差し支えないと思います。宮崎駿のトトロやもののけ姫、千と千尋の「神」と同じイメージです。

親房は山間の村人たちに政治意識、国家観念を啓蒙していきました。もちろん武家を敵に回したための、戦闘要員として村人たちを引き入れた、という理由もあるでしょう。しかし、親房が従来思われている、天皇崇拝、公家の権益を守るだけの人間であったならば、そのような行動にはでないでしょう。なぜなら北朝と和解し、良い暮らしをしようと思えば、いくつもチャンスはあったのだから。親房が実現したい国家、それは国民すみずみまで学問と日本の伝統文化を大切にする文化国家の建設だったのです。

賀野生には親房の理想国家の建設に共鳴し、武器をとって命をおとした村人の慰霊碑が親房の墓のとなりに建っています。

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(村人たちの慰霊碑)

先日、経済団体での上田知事との懇談会で、知事が日本国内の需要の低さを嘆いていましたが、私は国民の独立心と向上心に火をつけなければならない、と思い、メディアファイブを作ったとき、資格試験のソフトの開発に力を入れました。消費市場を投資市場に変えていかなければならないのです。その辺のことは2001年に刊行した頑張り応援宣言の中に収録されている、「21世紀への提言」をご高覧ください。911の年、日本経済はどん底になり、失業者が増加したときに、皆さんに資格をとって頑張っていただこう、と無料で配布したものです。

もうひとつ親房の誤解を解かねばなりません。彼が血統を重視したことです。なぜ血統を重視したか。ひとつは上記にあるように日本人はみなアマテラスに行き着く、という文化国家の建設にありました。
もうひとつは、これがもっとも大問題なのですが、いままでブログに書いてきた、報酬の分配の問題です。彼は上古を例にとり、(「まず勲功があるからといって官位をあげることはしませんでした。そのかわり勲位という制度をつくり、それ相応の待遇をうけることができたのです。」同下P443)今でも勲一等というのはこの名残なのです。(「そして官職を選ぶ基準はまず行いの正しい人。そしてその次に才能のある人を選びました。また徳義、清廉、公平、勤勉の4つを重点として人を選択したそうです。」同下P445)

当時報酬は土地でした。しかも建武の親政になり、北条政権が滅びると恩賞の問題で日本中大混乱に陥りました。親房がいいたかったことは、(「土地は政治の基であり、恩賞ではな」ということ。同下P447)もともと武士は朝廷の一官職であったのが、平氏の台頭から北条政権にかけて朝廷から離脱を始め、殺し合いで土地を奪うようになってしまったことを親房は思わず「武士は長年にわたる朝敵」と言ってしまったのです。まあこういうことを宣言すれば武士は味方から逃げていくでしょう。親房の失敗と誤解はここにあるのだと思います。親房はあまりに人間を信じすぎ、理想高く、人々の理性に期待していたのです。だから日本人はみな神の子だ、という神皇正統記を書いたのでしょう。

しかしこれはもてるものの、高い地位にあるものの思い込みだと思います。大部分のもてない人々は奪い合い、殺し合い、ぎりぎりのところで生き延びているのです。人々の欲望を理性で制限させようとする政治はいつの時代でも失敗します。田中氏が以前のブログで指摘したように宗教しかその解決の手段は当時なかったのでしょう。

それでは親房はどうすればよかったのか。息子の顕家が尊氏を破って都を奪還したとき、恩賞をとらずに、みなの手本にさせるぐらいが関の山だったでしょう。欲望を抑えろといっても、当時ではどうすることもできなかったのです。

やはり力で欲望への配分を制限するしかなかったのです。つまり「公家の武家化」を実現するしかなかった。しかし南朝の公家で武士を指揮できるのは、護良親王と顕家しかいなかった。なぜ後醍醐天皇は自分の息子であり、建武の親政第一の功労者である、護良親王を足利尊氏に渡してしまったのか。護良親王なきあと、顕家の戦死で建武の親政は実質終わったことになってしまうのです。

それから300年近く、欲望を力で奪い取る、戦乱の世が続きました。徳川家康や天海の出現で、ようやく乱れたる世にピリオドを打つことができたのです。もちろん宗教という手段も使いますが、徳川幕府は欲望を合い反する2つの勢力を共存させることで、みなの欲望をそいできました。つねに二律背反なものを同居させました。士農工商という階級をつくり、商人など金持ちほど低い位にする。またこの時代にもまだ南北朝の対立の流れは存在していたのですが、それも温存する。譜代、外様と藩を分け、徹底した分権統治と、外様同士を争わせ、あらゆる社会で2律背反を同居させることにより、徳川幕府を脅かす巨大な勢力が誕生しないようにしたのです。その結果270年近い安定した社会を生み出しました。

そして黒船の出現とともに、また強力な中央集権国家の存在が必要となり、その対応が柔軟にできなかった徳川幕府は倒れ、明治政府が誕生しました。そして中央集権のもと、個人と組織の競争はまた始まりました。

日本は軍部の派閥争いから、危うく国を滅亡させる寸前まで陥りました。

戦後、自由主義の下、個人の競争、会社の競争の元で、日本は大きく高度成長を遂げました。
しかしその成長もだんだん行き詰まりつつあり、環境問題も表面化し、競争原理だけで本当にいいのか、新しい突破口を皆が模索しはじめました。

そして今、ITの出現とともに、組織と個人のシナジーが可能になったのです。ようやく親房の理想が実現できる世の中が到来したのです。

2008年03月16日

私が、ただ、ひたすら伝えたいこと。

私は、もちろん専門家ではないのですが、多少は政治経済のことは知っているつもりでした。大学時代はゼミで戦後政治をくわしく勉強し、卒論は憲法変遷論でした。この年になるまで、日本の経済史や、政治関係の、それこそ何百冊という本も読みました。

しかし私は、政治的センスがありません。私の考えは一般世論と同じレベルです。私が投票する人や党は大抵勝ちます。(これは自慢ではなく、自分の政治レベルが大衆レベルであるということ)郵政民営化の選挙のときも、賛成に投票しました。今、そのことをだれかに正直に話すと、大抵「お前は政治がわかっていない」、と馬鹿にされます。

確かに、小泉政治は、大企業だけが豊かになり、国内経済、特に地方の経済は大変な落ち込みをもたらしました。

でも当時私は、日本人が、いつまでも高速道路やダムのなどの補助金に頼って生活しているのではダメだと思ったのです。個人が自分に投資することに目覚め、みんなで知恵を出し合い、力を合わせて仕事をすれば、日本人ならば、世界に通用する仕事ができるのではないのか、と思ったのです。

ところが結果は、地方は疲弊し、格差はひろがり、個人はやる気をなくし、自分への投資をやめ、パソコンに背を向け、いわゆるひきこもる人が増えてしまいました。

ただ国民に、国を頼る傾向は少なくなってきたことだけは確かです。あとは国民が「やる気」と小さな「成功体験」を持つことです。

私が教育ソフトメーカーをはじめたのも、人と知恵を育てるグループウエア開発しているのも、ただひたすら、この世の中が、みんなで知恵を出し合うことが富を生み出す社会に早くなって欲しいからです。

もっと具体的に言うと、組織に属していても、個人でも、自分に「投資」することで、自分の収入を増やし、豊かな生活を送る術を個人個人が身につけることにあります。

経済の専門家は、人口の増えない社会に経済発展はありえない、といいます。
しかし消費市場に「投資」という概念が持ち込まれれば、市場は無限に広がると思います。この考えを私は大学時代から持っていました。

消費市場は、人の生活における消費は有限ですが、個人が「投資」にめざめれば、そこで利益が生まれ、再生産されるからです。個人における「投資」はITの普及とともに可能になります。市場の川下である消費市場が広がれば、川上である生産財市場も拡大します。だから早く知価社会へ産業革命しなければならないのです。

農業社会では単なる道具である、鋤や鍬のような工業製品の市場が拡大して、工業化社会になったのと同様に、知恵や知識が従来の産業と結びつくことで、市場が拡大して、知価社会になるのです。

もともとイギリスで起きた産業革命は燃料不足による社会不安から起き、戦争が工業化社会への牽引となりました。知価社会は人口の急増(19世紀以前にくらべ)による弊害、先進国における人口のいきづまり、工業化社会経済のいきづまりから派生し、環境問題や高齢化社会、ITの普及が牽引になるでしょう。

私の身近な人が、3年前に亡くなったのですが、元は農林省の家畜衛生試験場の技官で、退官後は、ザンビア大学やモンゴル大学の教授として第3国の獣医学やウイルス、DNAの研究の指導に当たっていました。

しかし70歳になってからは、引退し、毎日将棋や言語学や仏教の勉強をしていました。時々、家へ遊びに来たのですが、大抵私と、そういった話で盛り上がりました。さすが東大出の研究者だけあって、それはそれは、あらゆる分野の知識や知恵は大変なものでした。

私は、そのうち本を書いたり、学問の仕方などで、会社の仕事も手伝ってもらおうと思っていたのですが、急死してしまい、日本の学問、文化にとっても本当に残念でなりません。特に長年研究してきたDNAと日本語の言語の起源と、仏教文化の関係を書いてもらいたかった。

定年を迎えた人が、その経験や知恵を生かす場所が、今の日本になかなかありません。ITを活用すれば、そういう人の人財を有効に活かせるはずです。

年配の人だけではありません。運悪く社会で活躍できない才能は、日本中に数多く眠っているはずです。たとえその仕事には就いていなくても、あなたの中にもだれにも負けない才能が眠っているかもしれません。

私はメディアファイブで、人々の才能を掘り返し、利益につなげるための道具を開発してきました。

プレミアシリーズで、世の中で初めて五感で学べ、携帯電話やiPodとの連携を強め、いつでもどこでも人々の才能を活かし、さらに勉強好きにするシステムを開発しました。

そして、人々の能力を正当に組織で活かし、利益をもたらすためのシステム「則天」を開発しました。

私は今年、完成した「則天」をベースに、そういう情報交流や仕事ができるSNSを作ろうと思います。老若男女みな参加してください。自分の可能性をそこで追求できれば、と思います。

日本人はものすごく高い知恵とエネルギーと大和魂を持っているはずです。元寇の危機のときも、江戸の元禄文化も、明治維新だって、戦後の焼け野原のときだって、高度成長期だって世界に類のない奇跡を起こしてきたではないでしょうか。

今度は個人、一人ひとりが、企業ひとつひとつが、国に頼らず奇跡を起こす番です。それは民間ベースで、地方ベースで「IT共同体」をつくればよいのです。

是非みなさん一緒に力を合わせて、もう一度奇跡を起こしましょう!自分の才能を見つけ、目標を持ち、その目標を目指して命をかけて働き、考え、知恵を絞れば、かならず利益を出せるはずです。

2008年04月19日

渋沢栄一とお花見

私は埼玉ニュービジネス協議会という、主にベンチャー企業の経営者の集まりに属しております。その中で、交流委員会、渋沢委員会、IT・教育委員会というものがあり、私はIT ・教育委員会をコーディネートさせていただいております。

先日渋沢委員会で渋沢栄一資料館の見学とお花見を王子飛鳥山でおこない、私も参加させていただきました。

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渋沢栄一資料館は10年ぶりに訪れました。10年前、どうしてビジネスはなかなか巧くいかないのだろう、と思い悩みながら電車に乗っていると、飛鳥山が目に入り、そういえば、ここに渋沢栄一の邸宅があったと思い、思わず見たくなって途中下車しました。

10年前は冬の夕暮れだったので、暗いイメージが記憶に残っていましたが、今回はお天気で、桜も満開で、飛鳥山はお花見で賑わっていました。館長さんに案内していただき、いろいろと説明を受けました。

10年前には、なぜ渋沢栄一が成功したか、よくわからなかったのですが、今思うと、次のようなことではないでしょうか。

1、徳川慶喜の家来となり、その側近である平岡円四郎に認められたこと。
2、幕府使節団としてパリへ行き、資本主義のあるべき姿を知り、必要なものを日本に作った。
3、「共存共栄」の思想が、周囲の人と金を集めた。
4、家が商家であり、しかも小さい頃から論語を学んでいました。そのことがマックスウエーバーのいう、ヨーロッパとピューリタンと似たような、日本武士道と論語という資本主義を成長させるための教育を、渋沢は偶然うけてきた。

前にも触れましたが、私は渋沢栄一の「処世の王道」という昭和3年発刊の古本を偶然古本屋で見つけました。この本は大正12年に発刊しようとしたのですが、関東大震災で紙型が焼失し、それ以後絶版になっていたものが、渋沢の米寿の祝いに改めて昭和3年、発刊したものです。

その内容を要約すると、
1、なぜ論語を学ぶのか
・論語は父、年長の従兄から学んだ。
・論語は実践しやすい
・維新前の商工業者には素養がない。維新後、外国との交流も始まったので、品位を高めなければならない。

2、徳川慶喜の家来になる
・幕府は早晩つぶれるので、慶喜公の将軍就任には反対
・豪族政治になると思っていた
・パリ万国博に大使として派遣される
・静岡で商工会を開く
・勝海舟は慶喜公を静岡におしこめる
・函館戦争に榎本武明にさそわれる
・大久保利通に嫌われる。識見卓抜で、その才能たるや、底の見えぬ気味悪さ
・西郷隆盛は賢愚を超越
・木戸孝允は文学の趣味が深く、考えも組織的
・勝海舟はこの三公の器まで行かない
・祖先崇拝は温故知新
・江藤新平と黒田清隆は自分の意見を押し通す
・伊藤博文は議論好き。論理的かつ博覧強記で相手を説得。

3、富貴は正道をもってする
4、算盤の基礎を論語の上におけ
5、西郷は情に流され、江藤新平は残忍にはまる。大久保利通はその間。
6、商売は商戦にあらず
戦いは相手を倒すことにあり(+―)商売は相手も幸せにする(++)。

7、西洋と東洋と道徳のちがい
西洋:よいことはなるべく人に勧める
東洋:己の欲せざることは人にすることなかれ
というものです。

とくに幕末の偉人が等身大に描かれていて、とても面白かった。

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話は渋沢記念館の見学に戻りますが、今回の見学で、もっとも印象に残ったのは、館長さんがとくに強調していたのが、栄一が政治の道を選ばず、経済の道を選んだ、ということです。

私も世の中を良くするのは経済だと思っています。特に、15年前、ポール・ケネディの「大国の興亡」を読んだとき、いかに経済が歴史を作ってきたかを痛感しました。

渋沢が作った企業群は現在も日本経済の中心を担っている企業が多く、もし今日、グループ化すれば、もちろん日本一のグループになるでしょう。しかし渋沢は会社を作っても、私物化をしませんでした。戦後、財閥解体のとき、GHQは渋沢一族が、財閥と見られている割りに、財産があまりに少ないことにびっくりしたそうです。

渋沢に私欲がなかったから、渋沢に金と権力が集まったのでしょう。ひょっとしたら維新の英雄より、渋沢のほうが、よほど今日の日本の礎を築いた人なのかもしれません。

お花見の帰りの居酒屋では皆大変盛り上がりました。

2008年10月10日

資本主義の原点に帰りましょう!

今、リーマンブラザーズの破綻、メリルリンチの買収、国内でも4半期前まで空前の利益をだしている企業が突然破綻するなど、従来ではありえないことが起きています。さらに株価の下落は止まらず、底なしの様相を呈しています。

1929年以来の大恐慌の到来が、本格化しそうです。具体的にはどういうことなのでしょうか。
それは従来型の経済のシステムの崩壊が始まったことを示唆しています。 従来型の経済システムとは、バランスシートを重視する経営を基本とする経済システムです。 総資産はいくらか。その中で利益はいくら出しているか。その数字により、銀行はその企業の融資額を決め、利息を決め、証券市場は株式公開をさせるかどうかを決めます。

企業において、株式公開がもっとも儲かるものであり、その株式公開は、売上規模を求む経営であることです。 もともと証券会社は上場にあたり、手数料収入が収益源となるため、発行株式の多い企業、すなわち、規模が大きいほど利益が大きくなるので、売上の大きい会社を上場させる傾向にあります。 急拡大する企業は、消費市場でも法人市場でも突然大きなニーズが現れ、その市場をいち早く押さえた企業です。

間接的ではありますが、日本の十指に入る経営者が、その部下である私の友人にしみじみ言っていたそうです。自分の財産はほとんど株式市場で儲けたようなものだ。実際のビジネスはどんなにヒットを出してもたかが知れている。その会社は創業以来、常に3割以上の利益を叩き出し、大ヒットをいくつも叩き出した企業です。この言葉は、株式市場がいかに実ビジネスからかい離していたかを物語ります。

その結果、株式市場で利益を出す企業、つまりファンドに信じられないほどの金があつまり、1993年以降、米国は金融のグローバル化を強め、世界中に実業の10倍近い金が動きました。

しかし、そのような証券市場での価値に見合う企業が雨後の筍のように出てくるのでしょうか。そのような中で、証券会社は利益をだすために、似た会社で、売上規模がある程度大きくなったところで上場させ、自社の利益拡大を図ろうとしたのです。

ところが、二番煎じ、三番煎じの会社は、一番煎じに比べ市場シェアも抑えられず、またオリジナリティも薄いため走り続けるには限界があります。そこで様々な無理をすることで、悪くすると破たんの原因にもなります。

そして短期的利益に執着することが、長期的戦略においてはデメリットであることも増えてきます。

もともと誕生してから早く上場する会社は、その成長力はまさに実力でしょう。しかし商品ラインナップや事業領域の幅は狭く、本業の行き詰まりから次の手を打つことが難しくなります。攻撃型のボクサーが以外に防御に弱いように。

本当に企業の評価は、その売上や利益、そこにいる人材や業歴で把握することができるのでしょうか?会社は固形物ととらえられてはいないでしょうか。会社も、人や組織で構成されている流動物です。どんなに業歴が華々しくても、利益が上がっていても、所詮企業の血液がお金である限り、流動物です。

金融界の英雄であるジョージ・ソロスでさえ、金融が資本主義を滅ぼすと警告をしました。企業は常に買収におびえ、株価の維持に固執するあまり、本来、山あり谷ありの業績をいかにうまくコントロールするかが経営の手腕のはずなのに、右肩あがりの経営に執着するあまり、企業組織の破壊、社員の心理的破壊、企業間の破壊、市場の破壊を招く結果となるのです。

そして最近、米国のサブプライムローン問題に端を発し、金融市場のグローバル化にかげりが出始め、いよいよ崩壊がはじまりました。私たちはいまこそ実業と金融の関係をもう一度見直す時期にきているのではないでしょうか。

本来金融は実業を発展させるための潤滑剤のはずです。近代の先物取引は江戸幕府が大阪堂島にひらいたのが先駆けといわれていますが、これも初めは米の値段を、安定的に取引するための手段だったはずです。渋沢栄一や万俵鉄平のように、みんなが得をする経営者を応援するために金融市場はあるべきです。

企業経営は波乗りです。つまりいかに人を育てるか、お金をいかにうまく生み出し、投資し、社員や社会に還元していくか、を私心なく采配できる経営者にお金が集まるべきでしょう。なぜならそういう経営者こそ本当の付加価値を生むことができるのだから。

今日行われている金融資本と、本来ある資本主義では、本質的なところで相対するものです。本来の資本主義は皆で金を出し合い、利益を生みだしたら利益を分かち合うものなのです。

何度も引用して恐縮ですが、そのことはすでに100年以上もむかし、渋沢栄一が看破しています。「商売は商戦にあらず」。今の言葉では、「ビジネスは戦いにあらず」でしょう。偶然、浦和の小さな古本屋で見つけた、くしくも大恐慌の1年前、1928年発行の「処世の王道」という渋沢の著書の中に書いてありました。野村徳七を例に出して、相場は儲かった人がいれば損をする人も必ず出る、だが買った人も、売った人もみんなが得をするのが商売だ、と言いました。私はこの言葉が渋沢の言葉の中で一番好きです。

人と人は争うのではなく、協力しあうほうが絶対得です。競争したり、戦ったりする暇があれば、お互いの良いところを見出し、より良いものを作るほうが良いはずです。企業もしかりです。そのための切り札は組織における情報共有と公平平等な分配、そして人材教育です。甘い?と思われる方もいるかもしれません。しかしその考えは間違いです。協力しあいながら本当の付加価値を出すことのほうが、はるかに地道な努力と時間と忍耐と覚悟が必要なのです。

だれでもみな手持ちの金と時間は限られています。そのなかで付加価値を出すことは並大抵なことではないのです。その学習は、人が生きるうえでもっとも難しく、もっとも重要なのだと思います。その学習こそ、「経営」です。「経営のコツここなりと気づいた価値百万両」と松下幸之助は言いました。「経営」は経営者だけでなく、社員一人ひとり、いえ国民一人ひとり皆が学ぶものなのではないでしょうか。

経営者は、私心なくお金をあるべき自然の流れに従って流さなければなりません。自然を「天」と置き換えれば、「則天」です。つまり「則天去私」が経営者のめざすべき心がけなのだと私は思っています。
この言葉は私の中学時代からの座右の銘でもありました。

金融資本が世界中を跋扈し、穀物にも手を伸ばし、それがため、餓死する人もでる始末です。天はこの狂える人間の愚行に天罰を加えたのでしょう。つまり金融というバベルの塔を壊したのです。

それでは次はなにか。もちろんまた悪魔の手品(マジック)が現れるかもしれません。しかし、今言えることは、「実ビジネスは壊れない」ということです。まじめに働き、身の丈に合った利益を出し、常に改善をおこないながら再投資する。この資本主義の原点のビジネスはこの危機に一緒に崩壊することはないでしょう。

それではいままでのように働いていればよいのか?否です。原点のビジネスを維持し続けられないから、問題がおこるのです。

大切なことは、利益を出すシステムを整備することです。それはなにか?資本主義の原点から考えれば「イノベーション=改良」です。

「もの」が付加価値を生み出す時代は終わったのです。否、「もの」が付加価値を生み出すのは若い急成長国家です。日本においては価格競争から「もの」だけでは利益を出しにくくなるでしょう、これから付加価値を生み出すのは、人に依存するサービスであり、知恵によって作られた商品です。

また、破たんする会社の特徴は売上やニーズより、投資や開発を先行させる傾向があります。 まず売上をあげること、ニーズを発掘することを全社が一丸となって進めることが重要ではないでしょうか。

企画部門、開発部門、総務部門など内勤でもSEO対策やメールで新規開拓も可能です。しかしその活動が継続的かつ効果的なものにするためには、内務者の明確な活動記録や評価するシステムが必要です。

日本における中小企業で、いきなりグローバル戦略は難しい。自社商品やサービスを究極まで質を上げ、そのノウハウを海外展開することが重要。

そのためには改善提案が必要。グループウエア上でも、日報の記入にしても、改善提案しやすいシステムをつくることが必要。

ノウハウや技術をシークレットにすることは、その普及に歯止めがかかります。これからは技術をオープンにし、みんなが活用できるようにし、自分たちはその進化力の速さとクオリティで他の企業との差別化をすることが必要で、一人一人が常に仕事の改善改良を続けるシステムに、組織をかえていかなければなりません。

そうはいってもなかなか、通常の業務のなかに改善提案やシステム導入はできません。理由は評価システムが大雑把だからです。人は自分の働きが、報酬に見合わなければ働きません。それを年に2回、中間管理職まかせで決定することは企業の進歩を促進しません。
採算、人事、学習、技術といった項目で定常的に評価することが、人をまじめに一生懸命に働くのです。

ヒットが出ますように、儲かりますように、という運頼みの経営から全員が知恵を出し合い、どうやって利益がでるかを工夫しあいながら、粘りの頭脳経営をしなければなりません。

なぜ経営は実態を把握しずらいのでしょうか。まずバランスシートで本当に利益があがっているかどうか、把握することはできません。その商品やお客様、サービスが利益を上げているかどうかは、通常の販売管理ソフトでは、期をまたいでいるので解りにくいのです。

従って、その商品やサービスがスタートしてから、どれだけのコストと時間がかかり、どれだけの利益をだしたか、明確になるシステムが必要です。

そしてそのプロジェクトが利益を出しているかどうか、だれが、どの程度貢献しているか、という参加している人の貢献シェアが明確にならなければなりません。

だれかが仕事をしたら、その結果が明確にならなければ、仕事のイノベーションは生まれません。しかし従来の経営手法では一人一の仕事の結果が明確化されていないのです。

個人の仕事の結果を明確化する個人生産性のシステムが必要なのです。上司によるいい加減な評価は、人材の資源を有効に活用することはできません。

「行き詰ったら原点に帰る」昔から言われている原理原則です。巷では、億万長者になれる、とか楽して儲けるとか甘い言葉の散乱した本が店頭に並べられています。しかし今度の金融危機はそういう甘言がみなまやかしであることを証明しています。当たり前のことをコツコツすることが大切なのだと思います。

改善改良の継続、公平平等の分配、個人生産性の向上。もちろんなかなか実行することは難しいです。当社でも3年前から取り組んではいますが、なかなか理想的な状態にはなりません。

しかしたとえば当社では間接部門でもメール営業やSEO対策をおこなってもらっています。それもきちんとそういう行為が実を結べば、結果として評価される仕組みなので、みな続いているのだと思います。

そして自分の仕事の結果が出て、報酬として受け取ったとき、働くよろこびとモチベーションにかわるのでしょう。

利益を出すシステムづくりを早急にしないと、「念じていれば神風(キャッシュ)がふいてくる」と祈るしか方法がなくなってしまいます。

2008年11月16日

真言内証義と経営システム

前のブログで、玉川温泉につかって北畠親房の「真言内証義」と顕家の「奏文」を繰り返し読んだことは述べました。なぜこの二つか、というと、顕家の思想的主張はこの「奏文」にしか書かれていないのですが、「真言内証義」は比較的短文で、しかも曼陀羅についてかかれているからです。いくら読んでも、難しすぎてよくわからないのですが、なんとなくこの中に当社が5年をかけて開発している経営システム「則天」の普及へのヒントが隠されているような気がしたのです。「読書百篇意自ら通ず」という言葉がありますが、70回くらいしか読んでいないので、まだ意自ら通じていません。ただこうやって文章にしてしまえば、少しは理解が進むかな、という思いから筆をとりました、ならぬキーボードをたたき始めました。

まったくの素人の私が無造作に話すとご批判を受けるかもしれませんが、早い話がもともと仏教の目的は、人間の本質を洞察し、欲望に満ち溢れた人間を、いかに高い次元へと導くか、ということだと思います。経営も欲望に満ち溢れた人間を、いかに機能的に会社の目的に組織的に導くか、ということなのだから、仏教がヒントになるかも、と思うのです。もともと曼陀羅は仏教の概念をシステム化したものなのですから、これはこのまま経営システムとして応用することは可能です。

前回のブログで、仏教の目的が法報応の3段階で進むことにちなんで、「則天」の目的を1、改善提案 2、目標と予算の管理 3、個人の生産性という三段階に分けることに気づいた、と述べました。さらに醍醐味の5味にちなんで5つのステップに分けます。(もともと分けているのですが)情報共有モデル→ナレッジモデル→プロジェクトモデル→スタンダードモデル→フルモデルへのステップです。

「真言内証義」は過去の原因を把握しろ、と言います。人はそれぞれで、みな過去になにか背負ってきたように一人一人強烈にキャラクターがあります。天、人間、修羅、餓鬼、畜生、地獄という六道というのがあり、その人がどこから来たのか、と考えたくなる時があります。まあ大抵「人間」からなのですが。時として「修羅」や「餓鬼」からきたのでは、と思う人もたまにいます。

また四苦八苦というのがあり、「生、老、病、死」という基本のほかに「愛別離苦、怨憎得苦、所求不得苦、五取おん苦」というのがあります。愛する人と別れる苦しみ、いやな人に会う苦しみ、欲しいものが手に入らない苦しみ、自我に執着する苦しみがあるそうです。そしてこの苦しみの原因が無明という欲望から来ていると。その種類は3つあり、貪(感覚的欲望)・瞋(生存に執着する欲望)・癡(生存を断ちたい欲望)の3つの欲望から来ているといいます。

そしてこの苦しみを解決する手段が八正道と呼ばれる正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定から成るそうです。

思うに会社の問題点は、そこに構成する人々のこういった欲望から起因します。しかも人それぞれの欲望や苦しみがあり、それが、本来目的にそって機能するはずの組織が機能しなくなるのです。

日本の伝統的な経営システムである年功序列・終身雇用という制度は、一生涯の雇用を保証し、若い時は安月給でも歳をとるに従い地位と給料があがる仕組みです。独身の時は、沢山働き、会社に利益をもたらし、歳を取ると、住宅ローンをはじめ、子どもの学費や親の介護などどんどんお金がかかります。そういうときに、とても優れた制度なのです。出世する確率も高く、会社に対し、強いモチベーションも持てます。そのために様々な個人的な欲望を抑え、会社に対する誇りと所属意識は芽生え、玉石混合ですが、上司から様々な教育を受け、会社は組織を維持することができました。

しかし今日、バブル崩壊以降、大企業を中心にリストラが大幅に敢行され、労働流動性が加速し、非正規雇用者が増加し、その結果、年功序列・終身雇用というシステムが制御していた個人の欲望をコントロールするシステムが崩壊し、企業は組織のモチベーションやモラルを維持するのが難しくなってきたのだと思います。とくに、「教育するシステム」という観点からは深刻だと思います。なぜなら年配の人が若い人を教育したら、いつ自分の立場が危うくなるか分からないからです。したがって中間管理職も、従来の役割や機能は低下し、むしろ上司にも部下にも、自分に有利になるよう働きかけ、むしろ悪い面が増えてきたようです。今日では、中間管理職を減らす組織が増加しています。夜の飲み会は、以前はある程度上司や先輩とのコミュニケーションや教育の場であったのが、今日、中間管理職のリーダーシップの欠如を埋め合わせや、組織のためより個人の利益誘導に利用されることが多くなったのだと思います。

企業モラルの低下も目先の利益に走るのもこのシステムの崩壊は要因の一つにあると思います。また国内消費市場の冷え込みが回復しないのもこのシステムの崩壊が要因のひとつになっていると思います。先日、埼玉NBCの会合で、北畑前通産事務次官の講演を拝聴してびっくりしたのですが、かつての日本の高度成長は輸出が要因ではなく、国内消費の上昇が最大の要因だ、ということをおっしゃっていました。どんなに株価があがっても、大企業が儲けても、国内消費の活発化なくして本当の景気回復はないのです。そして国内消費の活発化は未来への安心と夢がなくては実現できません。年功序列・終身雇用の崩壊が日本国民に与えたものは、未来への希望を失い、個人主義に走ること、モラルをなくすこと、そしてやる気をなくすことです。その結果個人消費は収縮し、マクロ的にみれば、労働生産性を低下させ、教育レベルを低下させているのです。

だからいち早く年功序列・終身雇用にかわるシステムを普及させなければならないのです。そのシステムこそ「則天」なのです。個人の仕事の結果を記録し、組織の貢献度を記録し、個人の知恵をシステム的に結集し、最終的には金、人、技術、情報、学習という点でシステマティックに、より正当な評価をすることができるのです。こういうシステムを企業が一般的に利用することになり、正当な評価が約束されれば、社員は自己投資や研鑽に目覚め、会社の生産性はあがります。これは以前からの私の持論ですが、次世代型経済は個人市場が、従来の消費市場に加え、「自己投資」を含めた投資市場により飛躍的に拡大するものと思います。そうなったとき、企業の生産性は飛躍的に向上し、教育力はまたOECDのトップクラスに返り咲き、日本は世界のリーディングカンパニーになるでしょう。

親房は、遠い将来、そういう日本になることを願ってこの「真正内証義」を書いたのではないでしょうか。それにしてはあまりに難しすぎます。もっと簡単に書いてもらいたいです。

2009年04月01日

構想15年、著作3年で完成しました。!

本当にご無沙汰しております。今年になってなかなかブログが書けなかったのは、実は1冊の本と1本のDSの原稿を書いていたからです。

まず本からご紹介します。

4月22日当社から「究極の経営」を出版します。15年前、メディアファイブを設立した頃、「デジタル社会の成功法則」という書籍を出すことを計画しました。しかしなかなか推敲が進まず、5年前、「則天」のバージョン1が発売したころ、本格的に発売しようと考え、さらに一昨年、タイトルを「究極の経営」と題して、昨年5月に発売しようとし、なんと1年後の今年の4月22日になりました。

実に難産でした。日本人一人一人が自己実現の喜びで働く民族であり、そのためのツールを作っていこう、という構想を発表するはずが、15年の間に、ツールの対象であるシステムやコンテンツを作り続け、結局コンセプトを発表する前に、すべて作るべきものは世に出してしまいました。

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おこがましい言い方をお許しいただければ、ようやく画竜点睛を書いたわけです。つまりこの本に書かれていることは、すぐにソフトやシステムで現実の経営やビジネスの現場で実現できるのです。つまりこの本とメディアファイブで作ったソフト、システムがすべて「究極の経営」という作品なのです。

サブタイトルは「景気循環の波を活用した 組織と個人の生産性飛躍法」です。
ポイントは2001年9.11にあります。この日を境に日本の内需は縮小の一途をたどっています。内需が縮小すると、自己実現のための市場が縮小し、より生理的、親和的、一時欲求的市場が中心に栄えます。その結果日本における知的なイノベーションは遅れてしまいました。今日、幼稚化した日本を嘆く知識人が多いのもそのためです。しかしこれは景気循環の一現象であり、今回の恐慌はその流れをリセットするきっかけを作ることが予想されます。

このような景気循環のなかで、いかに個人と組織の関係を見つめ直すか、が今、とるべき戦略と考えます。

企業においてはITを活用し、社員を事業主の目線まで引き上げ、組織のレバレッジを活用して組織の生産性を向上させること。

こういったテーマを孫子の兵法(古典から学ぶ)、旭山動物園、など様々な身近な視点での話(コラム)も交えてご紹介していきます。


今までにない、新しいご提案が随所に入っていると思います。ご期待ください!

さらに「孫子の兵法DS」を5月21日に発売します。

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これは今日様々な厳しい現実と決断を突きつけられているビジネスマンが、戦略的思考法を訓練できるソフトです。これは上記の「究極の経営」と連携したソフトで、まさにビジネスマンの暗黙知を磨くためのに作りました。「究極の経営」とあわせてご利用いただくと、より実践的です。

以上よろしくお願いします。
詳しくはホームページでご高覧ください。

2010年02月15日

なぜ、今、「ナナミ」なのか。 序章 「韓国に行ったこと」

昨年秋、15年ぶりに韓国に行きました。まず驚いたことは、ソウル市内が見違えるように美しくなったことです。15年前は、高度成長期の日本(路地はごみで汚く、道路は常に渋滞状態で、鉄道などの交通網は当時の日本よりはるかに発達していない)といった印象だったのが、いまやシアトルのような落ち着いた美しい巨大都市、といった様相に変貌していたのです。

さらに驚いたことには、夜、東大門市場にいくと、夜中でもその人の多さ、お店の数、品物のバラエティに富んだこと、今の日本では考えられないほど「消費」する場が活発でした。また値段も安く、ネクタイ200円、洋服が300円、500円とユニクロ顔負けの値段でした。

確かに15年前、まだ韓国では、週休1日で、熱心なサラリーマンは朝6時に来て、自己研鑽し、8時から始業し、夜中12時に帰宅する、というそのモーレツぶりに、本当に驚かされました。まさに1970年ごろの日本を見ているようでした。しかし今や、精神的にも経済的にも日本は韓国に抜かれた感があります。

韓国は、一度は経済破綻をし、IMFの占領下にあったはずなのに、なぜこのように発展しているのでしょうか。このエネルギーは韓国民ひとりひとりの向上心のエネルギーに他なりません。世界一のITインフラを誇り、教育にもITをフルに活用し、失業率は二桁に近く高くても、けっして浮浪者を数多く目にすることもなく、さっそうとたくましく生きている韓国人をみていると、なぜ、みんなこんなに前向きなのだろうか、と不思議に思いました。

その疑問に対する答えは次の日に、見つかりました。観光ツアーでバスで38度線に行ったのです。MDSという非武装地帯は観光地化されており、バスでソウルから1時間のところにありました。検問があり、パスポートをチェックされ、第1師団の場所から、北朝鮮や板門店が見えました。そこは朝鮮戦争の名残が色濃くのこるところで、銃弾でハチの巣だらけのさびた機関車や封鎖された線路などが、松本零二の漫画さながらに雨ざらしで展示されていました。

そのあと、都羅山駅という北朝鮮との往来のある駅(現在は電車は行き来していない)へ行きました。ここはブッシュ大統領も見学に訪れたそうです。この線路は中国北東部を通り、シベリア鉄道につながり、戦前はヨーロッパまでつながっていたそうです。

思えば有史以来、朝鮮半島は、中国、ロシアという大国に囲まれ、日本からもたびたび侵略され、ヨーロッパにおけるポーランドのように、侵略の悲劇が繰り返し行われていた場所なのです。現在、韓国では20歳ぐらいになると(19歳~29歳)、徴兵制度があり、大学を休学してみな兵役につきます。しかも38度線はいつ、何時、戦争が起きて、命を鴻毛のごとく軽く扱われるかわかりません。一緒に同行していただいた韓国ソフト企業の幹部の方も徴兵にいったそうで、南方にいくか38度線にいくかで、その兵役期間のストレスはまったく異なるそうです。幸い彼は南方へ配属されましたが。

直接銃をもって国を守る使命があり、しかもその直接の敵が、60年前までは同じ国の国民なのです。この国の若者たちは、いやでも国家とはなにか、民族とはなにか、ということと命がけで直接向き合わなければならない。

38度線には、北朝鮮が、韓国を攻めるために掘った坑道が20以上もあるという。そのうちいくつか発見され、3番目に発見された第3坑道は、現在観光地化されており、今回、その坑道に潜りました。

非武装地帯を眺めていると、その先に北朝鮮があり、そしてその先には中国とロシアが広大に広がっている。北朝鮮の孤立も、わけのわからない行動も、ある意味大国から独立を守るための必死な選択なのかもしれません。

その点、日本は四方海という深い壕に囲まれた、実にのんきな国家に見ます。日本は戦後、朝鮮戦争や、ベトナム戦争の特需を受けて、奇跡的な復興を遂げ、高度成長を経て世界第2位の経済大国になっていきました。

終戦後に押しつけられた、戦争放棄を謳った日本国憲法は、日本が直接戦争に巻き込まれることを防いできました。もちろん憲法上は違憲状態の境界線のなかで、自衛隊を整備してきたこともその要因には含まれるでしょう。

そういう平和ボケした今の日本は、もっとも国家として危険な状態にあるのではないか、と韓国に来て思います。あまりにも日本国民が鈍感すぎるからです。日本人が尊敬する現存する有名人は芸能人かスポーツ選手。ひとたびこういうテレビに出る人が選挙に立候補するとトップ当選をする。

古代ローマ帝国の衰亡期のきっかけは、コロッセオという競技場が市民に開放され、無料でパンを配り、為政者たちが、市民の人気とりだけに終始したからです。名君マルクスアレリウスの息子コンモデスは、皇帝になるや、暴君となり、落とした評判をコロッセオに出演して1万2千人の剣闘士を殺害して自分の威信を見せつけ、市民の人気とりを行いました。

これ以降、大ローマ帝国は衰退期には入り、市民は国家に対して危機意識を持たないまま、100年後ゲルマン民族の大移動のなかで分裂し、自然消滅的に衰退していったのです。

だからテレビタレントやスポーツ選手を人気取りのために候補者にたてる政治には本当に怒りを覚えます。実際本気で政治をやろうとすれば、今の日本では、軍事力を形式上放棄し、情報機関が弱いので、命がけでしょう。

国際社会である限り、そして最強の国家でない限り、かならず強国の影響を受けます。それは国際社会の最前線にいる政治家や官僚に直接大きな圧力となります。しかしそういう圧力はもちろん報道されることもなければ、国民が知る機会もあまりありません。

ただわれわれにできることは、そういう国で、どう生きるべきか、ということです。憲法を改正して、国防を増強させることも選択枝のひとつかもしれません。しかし1920年代の大恐慌の後、日本がそういう道を選んだことが日本の破滅を生んだことも忘れてはなりません。

私は10月の韓国旅行のあと、このブログの原稿を書いたのでしたが、アップしませんでした。あまりにも日本の将来が絶望的だったからです。韓国の38度線に立って、日本の鈍感さがとても危険に思えたのです。ここに立てば、中国やロシア、そして米国という大国からの威圧を否応なく感じ取れるのです。そして現実には存在するこの危機感が、どうしたら日本人に伝わるのか、どうしたら日本人がまた競争心や向上心を取り戻せるのか、わからなかったのです。

経済力の低下はそのまま国力の低下につながります。このまま日本の凋落が続けば、日本の独立すらも危ぶまれるのではないか。2020年ごろには形の上では独立国でも、実質的には米国、ロシア、中国に分割統治されることもあり得るのではないか・・・・。

しかし、私は、日本という国を大きく見損なっていました。
今の日本はけっして絶望的ではありません。
日本ではすでに十分次世代型ナレッジ社会の萌芽が芽生えていたのです。それは「萌」にヒントがあります。
だから「ナナミ」を作りました。
次のブログをお読みください。(なぜ、今、「ナナミ」なのか。内需拡大は世界の国益 PART2)

なぜ、今、「ナナミ」なのか。 内需拡大は世界の国益PART2

今回のテーマは「ナナミ」。2月4日に出した「教えて資格試験シリーズ」という萌え系タイトルの主人公です。いろいろなところで「メディアファイブは変わったね。どうしちゃったの?」と言われています。
お陰様で最近ではもっとも反響があり、出だし好調です。

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なぜ、今、「ナナミ」なのか。
もともと10年前、「萌え系」ということばがブームになり始めたころ、ある「萌え系」のゲーム会社から、教育コンテンツの提供を依頼されたのです。その話はそれきりだったのですが、私は、これは売れるかもしれない、「萌え系」をつくるぞ!と社内にハッパをかけたのですが、「また社長が思いつきでなんか言っているよ」ぐらいで、だれにも相手にされませんでした。

当時社内では、学校をお客さんにしている教育ソフトメーカーが、「萌え系」を作るとはもってのほかだ、という空気に満ちあふれていました。社内に受け入れられないときは具体的な企画として押し通すしかありません。私は秋葉原の「萌え系」のショップを回りましたが、お店まわりをしているうちに、頭が混乱してなにも得ることのなく帰りました。そのとき強く感じたことは、「こういうのが世の中に蔓延するのは日本も末期に近いな」と感じたことでした。(最近その考えが誤りであることに気づきました。)

しかしその後、「萌え系」が非常にコアなユーザーで売れること、そしてこの不景気にかかわらず、「萌え系」を扱っている会社のトップの方たちとおつきあいして、その羽振りの良さにも驚き、なんとか当社でも「萌え系」を出すように開発部に厳命し、そういう仕事の経験をもつスタッフも採用しました。しばらくして、「ナナミ」の企画が開発部からあがってきました。そこには未来から送り込まれたアンドロイドのことが書かれており、それをみて私は「これだ!」と思ったのです。

現在に立って、これからどうなるんだろう、と未来を見ることはなかなか難しいものです。でも未来から現在をみることは、たとえそれが突拍子もない仮定であっても、現在を把握しやすいのではないでしょうか。

今、誰もが未来に不安を抱いています。誰もがまったく未来が見えないからです。

だから現在から過去へ行ったり、未来から過去に行ったりできるサイトがあれば、楽しいと思います。(歴史クイズサイトNEXTREVOLUTIONは、そういうサイトです。)

楽しみながら未来や過去を行ったり来たりしているうちに、なんとなくその不安が解消されるのではないでしょうか。

何度も繰り返しになりますが、教育のイノベーションが日本に一番必要だ、との気負いからメディアファイブを創業して17年、本当に苦労しました。この20年、内需は縮小し、ITバブル崩壊以降、教育やITへのモチベーションは下がる一方でした。

私は、これまでずっと手前味噌ですが、どうしてこんないいものを作っても、なかなか広がらないのだろう、わかってくれなのだろうとぼやき、最近では、こんなに努力して、知恵を絞っても報われないのなら、ちがう商売をすれば、もっと成功したのでは、とさらにたびたびぼやいていました。
(そうは言っても、それは1にも2にも私の力不足であることが要因であるのは自覚しております。)

その一方で米国はクリントン政権時代に早くもナレッジ社会実現を目指し、ロバートライシュ博士を国務大臣にし、ITにおけるゴア構想を打ち立て、米国企業はITと金融で世界を圧倒しました。

日本はこの20年、ITと教育に後ろ向きでした。しかもこの数百年に一度の産業革命の時期に、総理大臣が13人も変わっているのです。日本には強力なリーダーを出現させる土壌がない、ということなのではないか。古くは道鏡、菅原道真、平清盛、後醍醐天皇、足利義満、織田信長、豊臣秀吉、近現代では田中角栄、金丸信、竹下登、小沢一郎。最近では総理大臣になると、もしくは絶対権力を握ると贈収賄問題、政治資金規正法問題が浮上する。

なぜ日本では強力なリーダーが生まれにくいのか?先日、週刊文集で興味深い記事を目にしました。ウチの大学「誇れる卒業生」「恥ずかしい卒業生」という記事です。誇れる卒業生は野球選手が多く、1位古田、2位長島茂雄、3位原辰徳となり、政治家はやっと8位に小泉純一郎、17位に東国原英夫しかなく、反対に「恥ずかしい卒業生」は1、2位はお笑いタレントだが3位から小沢一郎、6位に鳩山由紀夫、東国原英夫、8位に森喜朗、11位に麻生太郎、15位に宇野宗佑など現在の権力者、総理大臣、総理大臣経験者が目白押しです。これは実に日本人を特徴づけるデータではないでしょうか。

それは天皇制と関係があると思います。先日の2月11日建国記念日は紀元前660年1月1日に神武天皇が即位した太陽暦の日のですが、2670年も万世一系なのです。実際は武烈天皇と継体天皇は5代さかのぼる血縁関係でした。にもかかわらず、万世一系としているのは、古来より日本は共同体的社会であり、天皇という永遠不変の祭祀の元、みな平等という意識が強かったからではないでしょうか。

イギリスではもともとの王族であったハロルド王とそれを征服したノルマンディー公ウイリアム一世はまったく別の王朝に見られていますが、系図では関係があり、武烈天皇と継体天皇ほどには血縁は離れていません。従って日本における「万世一系」は、血のつながり、というより神や自然など絶対的な存在であると考えられます。普遍的祭祀のもとに平等な共生社会をつくる村落共同体が日本の組織の基本だったのです。

もっと言うと、日本人はリーダーを作りたくないから、絶対的存在としての天皇を担いできたのではないでしょうか。それは比較的単一民族で、しかも四方海に囲まれていて、平安時代以降は鎌倉の元寇以外侵略の危機がなかったことにも原因しているかもしれません。

(話はずれますが、このことは企業経営にも言えることで、だからこそ日本のホワイトカラーの生産性は先進国最下位になるのだと思います。その解決法は「究極の経営」でご高覧ください。)

中国の人々はいつも異民族の侵略の危険性にさらされていたので、漢の劉邦、明の朱元璋、清のヌルハチなどどんなに下層階級出身だろうと強いリーダーについていく。

しかし日本史の中で、強力なリーダーは短命政権に終わり、日本人の人気は、直接権力を被らないスポーツ選手であり、嫌われるのは総理大臣や目に見える権力者なのです。そしてそれが人を特定させない官僚制度を発達させてきたのでしょう。

「究極の経営」でも言及しましたが、村落共同体は武士と一揆といわれる契約のもと、利益を折半し、村人は武士に守ってもらうという仕組みが中世より起こり、その流れが村請け制度として江戸時代まで続いたのでした。九割は農民といわれた日本は、まさに「サムライ」の国ではなく、「農民=ものづくり」の国なのです。

(「サムライ」は現代でいえば、官僚や大企業のエリートにあたります。本来かれらはサムライ同様「誇り」をモチベーションに公のために生きようとするはずなのですが、官僚たたきやリストラなどにより、「誇り」は傷つけられ、社会的にも組織的にも孤立感が強くなっているのではないでしょうか。)

考えてみれば、米国と日本の関係も国際的な「一揆契約」だと思います。日本は憲法上軍事力を放棄して、ものづくりに励み、米国に軍事力で守ってもらう。そこである程度の「年貢」を米国に提供することはやむを得ないことだと思います。まさに武士と農村の一対一関係なのです。

ポールケネディの「大国の興亡」(1993年 草思社)下巻210ページに下記のことが記述されています。

「もちろん「日本の奇跡」を実現させたのは、朝鮮戦争と、それにヴェトナム戦争の際のアメリカの国の防衛支出による刺激ばかりではない。・・・・・日本の工業を発展させた大きな理由のひとつは、狂信的なまでに高度の品質管理を追求し、西洋の進んだ経営技術や生産工程を取り入れ(改善し)・・・・・さらに国をあげて熱心に教育水準の向上に取り組んだことも理由にあげられるし、・・・・・・・・・起業家精神に富んだ町工場があり、・・・・・・・・
労使対立を妥協とお互いへの敬意によって乗り越えるという姿勢があったことも活力の基本となった。」

さらに
「日本経済が持続的な成長を遂げるには巨額の資本が必要だった。まさにその資本を手に入れることができた理由として一つには「非軍事国」としてアメリカの戦略的な傘の下にあり、防衛支出がきわめて少なかったことがあげられるが、これより大きいのは財政政策と税制によって異例なほど高い貯蓄率を確保し、これを投資に振り向けられたことだろう。」

また
「さらに、通商産業省がはたした役割も大きい。通産省は「新しい産業を育て、技術の進歩をうながし、同時に時代遅れになった産業の廃棄を秩序正しく協調的に進めていった」。このやりかたはアメリカの自由放任政策とはまったく異なるものである。」

要約すれば「日本の奇跡的経済成長は、軍事は米国に依存し、経済に国力を集中し、戦争による特需のほか、大企業、中小企業が一丸となって品質を追求し、欧米の技術を吸収改良し、教育水準を上げ、しかもそのリーダーシップを優れた官僚がおこなっていたこと」にあるのです。

もっと要約すれば、非軍事力という道を選び、日本は総中流意識のもと、道具を工夫し、技術革新をし、教育に力を入れ、強力なリーダー不在の中、顔の見えない官僚たちがそのコントロールをおこなったことが高度成長につながったのです。

城山三郎の「官僚たちの夏」はまさにそのことを生き生きと描いています。
今日の官僚たたきは、リーダーを作りたがらない日本的共同体のなかで、とても大きな危険をはらんでいます。高級官僚にはその権限にふさわしい厚い待遇をするべきです。今回の市場開放においても、高度成長期の官僚だったらどう行動をとることでしょうか。

冷戦終結後、日本の高度成長に危機感を抱いた米国は、日本の共生経済の象徴である「談合」と「系列」を解体させ、小泉政権下で金融の自由化をおこない、日本市場に徹底した競争原理を持ち込みました。当時、日本国民も、政府への依存と市場の不透明感がバブル崩壊から立ち直れない元凶と考え、市場開放を支持しました。恥ずかしながら私もそうでした。しかしその結果、日本経済は驚くほど意気消沈し、格差社会は広がり、内需縮小に拍車がかかり、高品質を誇っていた日本の大メーカーは海外に生産拠点を移し、そのクオリティは疑問視されはじめ、韓国、台湾、中国のメーカーに価格競争で勝てなくなりつつあります。

市場の閉鎖性の元凶に官僚をやり玉にあげたために、官僚もなすすべもなく、市場開放に合意していったのだと思います。

いままで資源のない日本という国が、自家発電のように輝くばかりに経済価値を生産していたのが、今、ほとんどその自家発電が止まろうとさえ見えるのです。この経済の凋落には米国も驚き、また大損もし、後悔しはじめているのではないでしょうか。高度成長期の日本のように、日本が、日本スタンダードの中で、自家発電を活発化させている方が、米国にとっても利が多いはずです。日本人には欧米流競争原理はあわなかったのです。

象徴的なのはトヨタです。私もアウディ、ローバーなどの外車、そしてマツダ、日産、ホンダ、スズキなどの日本車に乗りましたが、やはりトヨタ車がもっともバランスよく、故障も少なく安定していました。こういう車を作れるのは、会社の技術力だけではなく、共存共栄のもと、抱えている下請け中小企業の層の厚さからくるものではないでしょうか。それが、今日、アジアの台頭による価格競争の激化、内需縮小のなかで、しわ寄せは中小の下請け企業に来ていることが、今日トヨタが表面化している問題の遠因に感じます。(もちろん政治問題も大きいのですが)

日本は海外に生産拠点をシフトするのではなく、国内でふんばり、ITとナレッジを活用して他国にまねできない付加価値を作るべきです。そして国民総中流国家を目指すべきです。それが共同体国家日本のありかたではないでしょうか。

私は自衛隊を否定しません。もちろん可能な範囲で軍事技術力を高めるべきでしょう。自衛隊の違憲問題は、憲法改正の問題として長く論じられています。私も大学時代のゼミの主なテーマでした。19世紀のイギリスの法学者、ヘンリー・メインは、法は固定的であり、政治は流動的である、といっています。憲法は実態と乖離しているほうが、存在価値は高まります。なぜなら、憲法とは、17世紀のイギリスの哲学者、ホッブスのリバイアサンの定義から導けば、国家権力から人権を守るために存在しているのです。憲法と政治実態が乖離して、それが政治問題化されていれば、それだけ国家権力に対し、憲法のブレーキがきいている、つまり憲法の存在価値が高い、という証拠だと思います。(ちなみに私の卒論は憲法変遷論でした。)憲法がその時代にぴったり迎合していたら、憲法は単なる国家権力の裏付けの存在だけであり、値打ちは半減してしまいます。

その上で、日本は平和憲法のもと、米国との同盟関係を維持し、日本の利益の米国へのある程度の上納もやむを得ないことでしょう。それは日本社会で、古来からおこなわれている武士と農民の一揆契約にあたります。日本人は「サムライ」の国ではなく、ものを生産する平和な農工商の民なのだと思います。そして中国やロシアや近隣アジア諸国ともバランスよくつきあっていくべきでしょう。

確かに平和憲法は、米国から押し付けられた憲法かもしれませんが、実は古来からある日本の共同体社会にとても適した憲法ではないでしょうか。戦後の復興、経済2位への繁栄ぶりはそれを裏付ける現象だと思います。


「ナナミ」の「NextRevolution」の冒頭に2020年、日本が米国、中国、ロシアに分割統治される話があります。この話を思いついた下地はこの前のブログにある通り、昨秋、韓国の38度線にたった時です。競争社会に背中を向けるニートやフリーターがこのまま増加し、すべての日本人がなすすべもなく日本経済が凋落していったならば、本当に10年後、そういうことが起こるかもしれない。

しかしそうはならないでしょう。日本ではすでに次世代型ナレッジ社会の下地が十分作られているのです。ニートやフリーターは、工業型資本主義社会の崩壊の犠牲者であり、新しいナレッジ型の日本共同体を作るときの担い手になるのではないでしょうか。

ここで「ナナミ」の話に戻ります。

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(紀伊国屋流山店おおたかの森店のキャンペーン状況)

中心となるキャッチコピーは下記の通りです。

競争心なんていらない。
   ・・・・・・これからは共生社会
かわいコちゃんに教えながら
   勉強するってけっこう快感。
幸せを追いかけるより、今の小さな幸せを味わおう!
ナナミに教える、ちょっとした幸せ。

そのこころがナナミのストーリー「NextRevolution」にあります。

「三津枝博士は2010年の社会状況を徹底的に分析し、次の結論を導いた。
ターゲットは大学生、20代、30代社会人、ニート、フリーターの男子。そんなターゲットに女子のアンドロイドつまりガイノイドを送り込み、ガイノイドに、ターゲットが教育したくなる気にさせる。そして、ガイノイドを教育しているうちに、ターゲットが自信と希望を持ち、ナレッジ社会で活躍できるように仕向けるのだ。

いくらロボットだからといって、素人が教えるのは無謀すぎると思われるだろう。もちろん過去に送り込んだゲイノイドに歴史を変える操作は磁場が狂うから、仕事はさせられない。しかしもう一つ教育上の目的もある。実は教師の使命感、自立感をもって学ぶことがもっとも楽しく、より深く学べるのだよ。そうやっていくうちにターゲットは自信をつけるのだ。教師と生徒なんて紙一重だ。成功者と敗北者の間もまたしかりだ。人は立場の違いで才能を発揮したり、失ったりするのだ。こういう教育の方法は30年代だからこそできる。

米国では1991年ロバートライシュ博士はすでに知価社会にはスペシャリスト中心の社会であることを提唱し、それをシンボリックアナリストと呼んだ。

クリントン政権はいち早くこのことに着目し、ロバートライシュ博士を大臣に取り立て、米国はいち早くナレッジ社会を実現させた。しかしあまりにバブルが拡大し、金融業界が膨張し、リーマンショックにつながった。なぜか?ナレッジ社会を競争原理のまま突入させると、欲望の暴走とそれを阻害するものを破壊することに知恵を巡らせる結果となる。それは知恵をマイナスに結集し、人類の滅亡へとつながる。それに比べ、日本のニート、フリーターのように戦うことに背を向け、社会から阻害された者たちは、ひとたび自信を取り戻し、ネットを活用して力を合わせればナレッジをプラスに働かせ、循環社会的価値を生み出すことができる。なにせ、江戸時代の循環社会の血がながれているのだから。

しかしそのような可能性を持っていたにもかかわらず、日本では、不幸なことに、いままでナレッジ社会を実現すべくリーダーシップを発揮したリーダーが出現しなかった。その原因は日本人も世界中からも、日本が米国型の合理主義を進めばより富を生み出すと思われていたからだ。しかし自由党から民政党への政権交代は、国民が、合理主義が日本にあわないことを気づいたからだ。2010年、目標を失った漂流する日本社会にこそ光をあてなければならない。」

つまり「萌え系」ブームは日本の末期症状ではなかったのです。むしろナレッジ型日本的共同体の再構築へのシグナルと萌芽だったのです。

かつてイギリスで農本主義から資本主義への移行期、囲い込み運動で土地を追われた農民や羊飼いが都市に流れて、資本主義の土台である工場労働の担い手になったように。

だから「ナナミ」を作りました。

ベストセラーの本のタイトルにもありましたが、「今起きていることは皆正しい。」
ニート・フリーターの人々よ、そして自信を失ったサラリーマンの方々、立ち上がりましょう!立ち上がる、といってもなにかと戦うのではないのです。「萌え系」の世界にいて良いのです。「競争」に背を向けていてよいのです。楽しく、心地よくコミュニケーションをとりながら、自分なりの世界を築きましょう。

孫子の兵法でも「戦わずして勝つ」ことが最上の策と言っています。究極の「勝ち」は幸せになることだと思います。いつも言われているように将来の幸せではありません。小さくても継続する「今」の幸せです。ゲームの楽しさでもいいし、「萌え」にひたる楽しさでもいいし、ネットでのコミュニケーションでも良いのです。

米国も中国もロシアも皆肯定し、ITをフルに活用して、気の合った人たちとネットでコミュニケーションをとり、アニメやキャラクター、ゲームを活用して自分たちの思いを共感し合いましょう!

日本人はもともと右脳系の民族です。浮世絵、浄瑠璃、歌舞伎、人形、羽子板、和歌や俳句など、昔から生活の身近に今でいうマンガや萌え系、ゲームに通じる娯楽が盛んにあったのです。

ただ、ある程度はお金を稼がなければ、最低限の衣食住が守れないので、自分の世界の中でお金を稼ぐことを考えましょう。自分の世界のなかで楽しくお金を稼げれば、世の中に対して自信と自由を感じます。

最初はまず年収300万円を目指し、次に500万円を目指し、そして700万円を目指す。気負わず、自然に時間をかけてゆっくりやればよいのです。楽しければ時間を忘れます。

今、大河ドラマでブームになっている坂本龍馬がそんな人だったのではないでしょうか。尊王攘夷でも開国でもどちらでもよいのです。どちらも良い面と悪い面があるのです。自分の頭で考えて取捨選択をし、自分の良さを時代に当てはめながら自分のペースで生きるのです。

「NextRevolution」
次の革命は新旧交代ではない。旧きも新しきも、資本家も労働者も、外国も日本も得をする、共生型ナレッジ社会の実現なのです。それは環境社会でもあります。

戦うよりも、すべてを受け入れて、共存し、そのなかで新しい付加価値を生むことが、日本古来からの先人の知恵であり、DNAなのです。みんながマイペースに自分の得意なところを探して社会に役立てるのです。

繰り返しになりますが、日本は自家発電のような国です。資源もなければ、広い土地もない。総中流社会で内需拡大したほうが、外国にとっても得なのです。日本に過度な競争原理を取り入れると、すぐにしぼんで光が消えてしまうのです。

そのためには日本人がまずITの活用を楽しみましょう。仕事でもプライベートでも。特に教育に関しては。当社はこれからもそんなソフトやシステムを開発していきます。

2010年04月01日

いかに内需拡大をするか 個人の仕事多角化が決め手 需要コモディティ作戦

今、日本の雇用情勢は、大変深刻です。内需があまりに縮小しているのです。海外に目を向ければ、先端技術は欧米にリードされ、中国韓国に追いつかれ、単純な製造物も中国をはじめアジア諸国に価格競争で敗れ、にもかかわらず為替は円高を推移し、輸入は増加し、国内はデフレスパイラルから抜け出せない。国内ではあきらめムードが蔓延し、国民の活力は沈静化し、国には頼れず、地方は疲弊し、多くの国民が不安と閉塞状況のなかで暮らしていると思います。

昨年9月に政権交代した民主党は、コンクリートから人へ、そして内需拡大をスローガンにこの不況の脱出を最重点の政策課題にしてきましたが、支持率は低下する一方です。

その政策の方向性は正しいと思いますが、ただ政府が旗を振るだけではこの不況を脱出できません。国民が自信とやる気を取り戻さなければならないのです。現状は、多くの国民が、どう生活し、どう生きていけばよいのかがまったくわからない状況なのです。

多くのエリートがこの景気の問題を、人口減少問題に結びつけます。しかしこれはあまりに大ざっぱな言い訳にしか過ぎません。近現代で、圧倒的に国力で世界を凌駕したイギリスとアメリカは、人口が多いから発展したわけではありません。いち早く産業のイノベーションをおこなったから国力が拡大したのです。以下はポールケネディの大国の興亡から引用したものです。

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次に平成21年度総務省発表の情報白書で、先進国の情報資本推移の国際比較です。

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この図は1995年を基準とした情報投資の拡大状況です。一慨に前図の、一人当たりの工業化と比較することはできませんが、これを見れば、いかに日本の情報投資が進んでいないかわかります。つまり、今日の日本は、近代史において革命で倒されたロシアと近い状況だったのです。人口の増加が、国の発展を促すのではありません。産業のイノベーションの進捗スピードが国力を拡大させるのです。より早く知価社会を実現することが国力を拡大させるのです。もちろんそのために日本は教育や企業の現場でイノベーションを起こさなければなりません。

しかし需要のないところに情報投資はできません。どのように需要をつくるか。それこそサービス産業の質的、量的変化、拡大しかないのです。国民一人一人のスペシャリスト化、IT活用の高度化が必要なのです。今、日本で一番欠落しているのはそこだと思います。これだけ経済規模が大きいのに、サービス産業の市場が活性化されていないのです。これは国がリードしてできるものではありません。いかに国民がやる気を出して、今の自分の行き詰まりを突破し、個人個人のビジネススタイルを確立させるか、だと思います。小泉政権の時の派遣法の改正は、労働者が、失業しても安易に派遣社員として食べていけるようになったので、目先の失業率は改善しても、産業のイノベーションは進歩しなかったのです。そのつけがリーマンショックで一気に問題化したのです。

とにかく派遣社員の正規雇用を今おこなうのは難しい。だとすれば、今までの技術や資格をとって、派遣社員同士でITを活用して手を組み、新しいサービスを自分たちの手で行うほうがよい。これは前のブログでお話したことなので、省きますが。(なぜ今ナナミなのかをご高覧ください)

そういう社会の実現に向けて、私はここで具体的なご提案をさせていただきたいと存じます。それは、みんなが都市への一極集中するのではなく、日本中に自分が稼げるビジネスを探せばよいのです。

当社も、スタッフ募集を時々行うのですが、おかげさまで多くの方の応募があります。しかし存念ながら、当社も余裕はあるわけではないので、現在、目先の問題でどうしても必要と思われる人材のみの採用となり、履歴書や自己PRを見て、時期が変われば一緒に仕事をさせていただきたいのに、と思われる才能や技術を持った方々が数多くいます。

そういう方々にも是非お伝えしたいのは、従来と同じパターンで就職活動しても苦労するばかり、ということです。経済は日々刻々と変わります。現在の経済状況を見れば、ひとつの仕事で豊かな生活ができるような仕事はなかなかどこをさがしても見つからないでしょう。しかし一月5万円の仕事を4つすれば、なんとか食べていくことはできるのです。

また少し、余裕ができれば、今なら小さな小屋くらいだったら、自動車を買うお金くらいで、ローンで田舎にセカンドハウスを購入することが可能です。先日宮古島へいってきたのですが、そうやってダイビングショップを宮古島で経営されている方にお会いしました。次のブログでご紹介します。

また、そこで小さな畑を耕し、おいしい農作物がとれれば、それをインターネットで販売することも可能です。将来、万が一、日本経済が破綻すればハイパーインフレになり、家族の食物を確保するためにもリスクヘッジになるでしょう。
せっかく当社に応募していただいた方には、当社の事業マッチングサイトをご用意してありますので、是非そちらへ応募していただければ、と存じます。可能な限りのバックアップをいたします。

当社も今、現在は普通の会社の体をなしていますが、将来的には社員と外部の方たちとの垣根を低くしていきたいと考えております。そのシステムこそが、現在売り出し中のシステム人材育成グループウエア「則天」なのです。「則天」はあらゆる角度から、社員ひとりひとりがチームや組織のシナジーを活用して利益をたたき出すか、ということを主眼に開発したものです。会社に実質的利益を出していれば、どういう形態で働いても、会社にこなくてもかまわないはずです。

つまり、日本の情報化への産業イノベーションのを進ませるには、会社はひとつ、仕事はもひとつ、という個人の考え方がかわり、会社自体も9時から5時までの勤務で働く、という意識を変えることが必要なのです。そしてそれを実現する道具がITなのです。

当社に応募してくる方たちの多くが、転職回数が多いのです。その理由の多くは職場の人間関係でしょう。とくにいじわるな古株の社員がいると、とたんにモチベーションは下がります。私も以前つとめていた会社で上司と折り合いが悪く、苦労した経験があります。

なぜ人は人をいじめるのでしょうか。それは、「いじめ」が権力維持の道具だからです。だから能力のない人間、コンプレックスの多いにんげん、頭の悪い出世できない人間が無冠の自分の権力を維持するために「いじめ」をおこなうのです。

しかしそれは、大変な人材の能力の損失です。その解決方法は、そういう「権力維持装置」を取り上げてしまえばよいのです。よく古株の頭の悪い人はITを入れると、「情」がなくなって職場が無味乾燥になる、といいます。そういう奴に限って「いじめ」や「セクハラ」や感情的問題を職場で起こします。

職場は利益がからむので、どうしても感情的になりがちです。だからこそシステマティックにするほうが社員にとってもよいのです。

ましてや他人同士で仕事をするには、とくに利益配分に関しては、システマティックにしないと、感情的問題がでてきます。

だから当社の則天を使いましょう。そういうところを開発主眼においた、現存する唯一のシステムなのです。ネット上でクラウドで気軽に使えます。

初期導入は無料です。


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