« 貧困家庭における教育問題と資本主義の終焉 | メイン | 沈黙 宗教とはなにか »

憲法改正と憲法変遷論

最近、憲法改正に関する話題が増えてきました。

あなたは、憲法改正に賛成ですか?反対ですか?

その答えに自信もって答えられる人が何人いるでしょうか?

ぼくも答えられません。

最近、マスコミ出身の政治家が、ネット動画で、憲法学者なんかいらない、憲法はそのまま正確によめれば、それでいいんだ!と暴言を吐いていました、歴史をみれば、それがあまりに暴言であることがわかります。

理由は簡単です。憲法は、その文言通りの政治にはならない、どういう政治状況になるか、まったくわからないからです。

フランスの法哲学者メインは、憲法は国家の入れ物で、政治はそこに入っている水と表現しました。

史上初の最も民主主義的な憲法であるワイマール憲法下で、あの独裁者ヒットラーは堂々と選挙に勝って、独裁政権を打ち立てました。政権握ってから、憲法を停止しましたが。

日本だって、明治憲法は、天皇に大権があるのに、明治天皇は、自分の反対する日露戦争をすら止められませんでした。そして、日露戦争の開戦が決定したとき「よもの海 みなはらからと思ふ世に など波風のたちさわぐらむ」とおもいっきり御前会議で歌をよみました。

もともと明治憲法は、薩長政治を有効におこなうために、天皇の大権の決定には内閣の「輔弼」つまり助けが必要、とちょこっと記入されただけで、薩長政治に政治実権は、握られてしまいました。

大正天皇は、天皇になるやいないや、その薩長政治の大権を天皇に権力を集中しようとして、山形有朋に、かえって実質的権力をはく奪されてしまいました。

昭和天皇は、明治天皇や、大正天皇を見て、よりうまく天皇大権を使おうと努力しましたが、満州における張作霖爆殺事件では、白川首相を更迭し、満州における陸軍の暴走をとめようとしたことが、逆に、満州事変を引き起こし、中国との戦争を引き起こすきっかけを作ってしまいました。

さらに、2.26事件では、天皇大権を取り戻そうとする、青年将校たちを、まっこうからその征伐に乗り出し、かえって、軍部の権限を増大させてしましました。

これだって、当時、尊皇派と統制派という、尊皇派は天皇中心の政治をおこなうことを主眼とする派閥と、憲法に基づいて、機能的におこなう派閥との陸軍内での対立で、昭和天皇は自分の権限強化より、憲法重視の政治を行うことを希望していたのです。

それは、天皇が皇太子時代に留学した、イギリス的君主国家を望み、そういう国家の実現を切望したいたのです。

しかし、2.26事件は首相は難を逃れたものの、多くの閣僚が、虐殺されたのですから、陸軍にたてつく文官が少なくなってしまいました。


今回の問題は、改憲派は、日本の国土は日本の軍隊がしっかり守るべき、という至極あたりまえのことをするには、押し付けられた憲法ではできないのでは、という話です。

勿論、軍隊を強化することは、国としての存在感の維持と、外交は、有利に働きます。


しかし、現実問題として、今の日本の軍事力は、実は世界でもかなり優位にたっている、ということです。

核にしたって、全国に原子力発電所があり、核兵器になりうる核燃料もたくさん国内に存在し、きわめて短期間での核兵器開発が可能なのも周知の事実です。

たしかに憲法は軍隊を持つことを禁じています。しかし、憲法より、国際法が優さるという世界の不文律のなか、一国を守ることは、基本的な国家の権利ではあるので、軍隊を増強するのは、憲法違反かもしれませんが、違反だから、すぐにやめなければならない、ということにはならないのです。

平たく言えば、人間に生存権があるように、国家も生存する権利があるのです。「国の交戦権はいかなる理由でも認めない。」という条文があっても、自国を侵略を準備する国家があれば、相手国家に攻めていき、先手攻撃しても、憲法に優越する事態における政治的行為として、一時的には許されることだと思います。

憲法は入れ物です。入れ物の間口を大きくすることは、憲法の存在意義をも低下させることでもあるのです。

したがって、僕は、憲法改正しなくても、憲法違反のままでも、今のままの憲法の方が都合がいいのではないか、とおもいます。

憲法改正をすれば、いの一番で、世界の紛争に巻き込まれ、イスラム圏の恨みを買って、日本の治安も悪くなる可能性も高くなるからです。

でも、それなら僕は、憲法改正反対とは、言いきれません。

なぜか。それは三島由紀夫が、憲法改正を訴えてクーデーターを起こし、自決したからです。

三島由紀夫は45歳で死にました。しかし、彼の残した出版物のありとあらゆる著作物は、あまりに頭脳明晰、すごすぎるのです。

先日家族で鎌倉にドライブに行ったとき、助手席に乗った、高校生の娘がモーツアルトは、人間が出せない波長の音楽を作曲した、という話をしていましたが、僕より、一回り若くして死んだ三島由紀夫は、あまりにも天才すぎて、しかも、かれは東大法学部出で、法律の専門家でもあったのです。

その三島由紀夫が命を懸けて、憲法改正を訴えた、ということは、常人では測れない、憲法の欠陥がこの憲法にあるのでしょう。

たぶん、国家の免疫なるものかもしれません。

いまの日本国憲法では、国家の尊厳もなく、愛国精神もない日本人を増加させ、日本国は免疫不全を起こす、ということなのでしょう。

しかし、ネトウヨと呼ばれる、愛国主義の人は増えている今日、三島由紀夫がこの状況をみれば、どうお考えでしょうか?

ただ、ただその一点だけで、僕は憲法改正に賛成か、反対かわかりません。

三島由紀夫には、生きててほしかったなあ。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.media-5.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/359

About

2018年02月12日 09:51に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「貧困家庭における教育問題と資本主義の終焉」です。

次の投稿は「沈黙 宗教とはなにか」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

ブログパーツ

Powered by
Movable Type 3.34