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2008年06月 アーカイブ

2008年06月08日

日本における学力は着実に低下している。

先日「学力の社会学」(2004年 岩波書店 苅谷剛彦 志水宏吉編)を読みました。この本は教育現場を知るうえで大変参考になる本です。ぜひ教育関係の方にはお勧めです。

この本でまず強調しているのは、「日本における学力は着実に低下している」ということです。特に小学校4年、5年、6年での学習遅滞者の増加は深刻です。遅滞者とは下の学年のテストを行った時、その学年の平均点を下回る児童を指します。

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遅滞発生率は、4年、5年、6年と高学年になるほど増加します。しかし2002年では、もし82年と同等の試験をしていたならば、はるかに高い遅滞発生が起こることをこの図は示しています。82年からの20年の学力の低下は大変な事態になることを示唆しています。

現実問題として2000年にはOECDの学力調査(PISA)で日本は数学1位、読解力8位、科学2位で総合で1位であったのが、2006年では15位まで落ちています。先日現在は18位まで落ちている、という報道がなされています。

なぜここまで日本人の学力は落ちてしまったのでしょうか。この本の調査では、家庭環境の格差の増大に大きな原因がある、としています。家庭環境の格差がそのまま学習意欲の格差につながり、それが学力の格差につながります。つまり優秀者での格差はあまり82年と差はないのですが、学習遅滞者の学力が大幅に低下しているのです。

日本人の一人当たりのGDPが下落している今日、家庭環境が悪化している家庭が増加しています。
このデータはそのことを如実に表しています。

今日において、日本の学力の悪化は学校教育の問題だけでなく、社会全体の問題であるといえるでしょう。日本人全体で、今向上心を失っているように感じます。GDPが世界2位になり、少子化、老人大国への変節はあきらかに成熟国家になったことを意味します。

私はなによりも、今日、日本人は、自国のあるべき方向性を見失い、生きる意欲が弱まってきたように感じます。日本人のホワイトカラーの生産性は先進国で最低といわれています。大人に仕事のあり方、生き方が今最も問われているのだと思います。

そのためには大人がしっかりとした哲学を持ち、生きる目標を見出し、学校の責任にばかりしないで、しっかり子どもたちを教育すべきではないでしょうか。

学校はどうあるべきか、企業はどうあるべきか、個人はどうあるべきか、それぞれ「教育、学習についてのご提案」「戦略ブログ」「社長ブログ」で皆さんと一緒に考えていきたいと存じます。

個別学習志向が「鍵」

この本の中で、小学生を対象として、先生の志向別に学習の平均点が出ています。

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これを見ると明らかに個別志向型の先生が、生徒の成績を上げているのがわかります。

さらに学習遅滞者の発生率を先生の志向別に見てみますと、下記のようになります。学習遅滞も個別志向型の教育により、防げることを、このデータは明確に示しています。

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さらに学習速進者の発生率を、先生の志向別に見てみますと、下記のようになります。さすがに優秀な生徒は、個別志向型ではもちろん伸びますが、方向性の定まらない先生のもとでも、速進性を発揮しています。おそらくまだ経験の浅い先生は、優秀な生徒は放任していまうので、それがプラスに働いているのでしょう。

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この3点のグラフから、個別学習指導がかなり重要なことがわかります。個別学習指導をするには下記の点が必要になってくると思います。
①生徒のテストデータを数多くもち、成長過程が記録されていなければならない。
②個別指導をする時間を増やすには、よほど効率的に業務を遂行しなければならない。
③各生徒の性格、成長性、得意分野などを把握して、的確に個別指導をしなければならない。

これらのことを可能にする先生は、よほどのベテランの優秀な先生でなければなりません。若い時から個別指導をさせるには、ITの力を借りることで、ある程度補えると思います。

①では生徒の学習履歴を蓄積する。②では先生用グループウエアを併用する。③は成績管理の部分をより簡単に分析できるシステムにする。

以上この3点をうまく活用すれば、若い先生でも早くから個別指導がうまくなるのではないでしょうか。ただ忘れてはならないのは、なによりもまず、生徒が学習を楽しいと感じさせることが大切で、そこで問われるのは先生の「人間力」だと思います。

学習遅滞者が発生する原因

1、遅滞が発生する出題内容
基礎的なスキルや単純な思考過程ではなく、より複雑な思考過程を必要とする問題で遅滞は発生しやすい。
たとえば、設問を導く問題の場合、 設問①で答えた内容を設問②で利用する、など。すこしひねった問題を、遅滞者はとくことが難しい。

遅滞者の学習の取組の視点と、非遅滞者の学習の取組の視点が異なる、ということです。遅滞者は文字を意味として頭脳でイメージすることも難しくなっているのです。また学習に取り組む集中力もありません。当然継続的に学習することも不可能でしょう。そういう生徒を非遅滞者と同じスタイルで教えても、なかなか理解することは難しいと思います。

遅滞者の学習への救済はまず、漢字、英単語といった単純な知識をマスターさせ、自信をつけさせ、学習への意欲をとりもどすことが大切だと思います。

またコンピュータによるマルチメディア学習は、文字を読むことが苦手な遅滞者でも、直接イメージで伝えることができるので、理解がしやすい。

またゲーム学習は、学習そのものへの取組の障壁を下げる効果があります。またゲームに擬似的に学習効果をあげる仕掛けがしてあれば、(たとえば当社のゲーム学習ソフトはロボット育成ゲームであり、ロボットがロボリンピックを勝ち取るためにドリル学習を訓練するしくみ。学習効果以上にどんどんロボットの性能がよくなり、擬似的に学習効果が発揮されるしかけ)生徒は擬似的学習効果に快感を覚え、向上心がくすぐられ、学習の継続化が測れ、結果的に本当に学習効果をあげることが可能となります。

従来の教育方法で、成果のあがらなかった遅滞者の救済教育に、コンピュータを一手段として活用してはいかがでしょう。


2、学習遅滞の原因
①男子(23.4%)>女子(16.6%)  格差6ポイント
②両親非大卒(3割)>両親大卒(1割) 格差20ポイント
③非通塾(21.6%)>通塾(14.4%) 格差7ポイント
④家庭学習:勉強しない(34.2%)>毎日する(11.5%)格差23ポイント
⑤家庭学習:勉強0時間(40.5%)>30分(17.2%)>2時間まで(6.7%)格差23ポイント、11ポイント

①男子が女子より学習遅滞者が多い、ということは、肉体的なことと関係があると思います。成長期の男子は性エネルギーも強くなり、運動でそのエネルギーを発散しないと、なかなか机に向かえないものです。なかなか机の前でじっとしていられない生徒は、家庭でコンピュータ学習をとりあえず週間化させることをお勧めします。

②両親の学歴が学習遅滞に関係するのは、両親が、子供の学習に対して、価値観をもっているか否かにかかわってきます。家の手伝いを優先させる両親の場合、子供に家庭学習を指導しない両親の場合、子供の勉強時間は0になる場合が多く、それは⑤につながります。このような家庭の子供は学校で先生が学習指導をしなければならないと思います。

③このデータでは、通塾に関しては、学習遅滞ポイントは比較的少ないことが出ています。これは塾が速進者には有効でも、遅滞者には必ずしも有効ではないことを示しています。まだ塾でも黒板中心の学校での学習スタイルと同じ場合、なかなか遅滞者を救済することはできません。また遅滞者救済の塾もなかなかないのが現状です。その原因は、塾では遅滞者を救済するより、速進者を伸ばすほうが塾の経営にとって有効であると同時に、速進者の成績を伸ばすほうが、遅滞者を救済するより容易であるからでしょう。今後少子化に伴う塾の過当競争では、遅滞者の救済に焦点をおくことも塾の生き残り策のひとつかもしれません。

④⑤家庭学習の習慣化が成績に直結するのは当然のことです。いかに生徒に家庭学習の習慣化をみにつけさせることが先生の指導の大きな役割のひとつだと思います。
読み書き計算、といったアナログ学習はもちろん基本中の基本だと思います。
しかしマルチメディア学習、ゲーム学習、ドリル学習などのデジタル学習は、特に遅滞者の学習習慣化には有効だと思います。

是非先生方にデジタル学習を学習指導に取り込むことで、指導の幅を広げることは、遅滞者の救済に大きく貢献すると思います。

当社の教育市場向け商品の基本コンセプト

当社の教育市場における教材、及びシステム開発の特徴は

① 個別習熟度別学習
② 授業や自学自習が楽しくなるモチベーションの開発
③ 学校でも家庭でも、いつでもどこでも学習できるシステムの開発
④ 生徒の成績や成長が明確に理解できるようなシステムの開発
⑤ 文武両道を促進
⑥ 成長期におけるけがの予防、食育などを取り入れた学校、家庭、塾やスポーツクラブの連携
⑦ 先生の個別指導や適格な指導をより簡単に、使いやすいように開発
⑧ 歴史教育と各科目の融合
⑨ 乳幼児から小学生、中学生、高校生、大学生、新社会人、中間管理職、経営職、シルバーにいたるまでの生涯教育、学習の連続性を生かすシステムの構築
⑩ 社会で必要な教育、学習を社会人になるまでいかに学ぶか

です。

学習の動機付け

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「学力の社会学」(2004年 岩波書店 苅谷剛彦 志水宏吉編)

このグラフを見ると、勉強が楽しい、しかも将来のためになる、と感じているのは小学生のほうが多く、中学性ではそのモチベーションは大幅に減少しているのがわかります。

今自分の行っている勉強が社会とどうつながり、どう役に立つかが理解できるしくみを早急につくらなければ、彼らのモチベーションは大人になるにつれ下がる一方だと思います。

私も中学1年の途中で、大きく成績が下がったことがあります。中学生の多感な時期は恋愛や悩み、先生との相性、いじめなど、ちょっとしたきっかけで、学習への姿勢が大きく変わります。

しかし学年を追うごとに積み重ねで学習が難しくなる中学において、一度学校のカリキュラムに遅れたら、取り返すのはかなり難しくなります。いつでもわかりやすく簡単に過去のカリキュラムや、下の学年の学習を履修できるe-Learing教材があれば、多くの遅滞生徒をなくすことが可能です。

先生の経験年数と学力の関係

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「学力の社会学」(2004年 岩波書店 苅谷剛彦 志水宏吉編)

このグラフを見ると、ベテランの先生のほうが、あきらかに生徒の学力を上げていることがわかります。教師としての技術は経験の積み重ねが大切だ、ということでしょう。

ただ11年から20年までの先生よりは、10年未満の先生のほうが、生徒の学力を上げているのは、若さゆえのバイタリティや熱心さ、当時の自分を思い出しながら生徒に接するので実績が出るのかもしれません。

一方で黒板を利用した授業で成果を出している学校が成績がいいこと、また個別志向教師の成績がいい、というデータ結果を併せて考えれば、ベテランで優秀な先生は、基本的には、授業は黒板を利用した講義形式をとる。しかしそのなかで、まずなんらかの形で生徒の学習意欲のモチベーションを上げる。さらに効率よく業務をこなし、生徒への的確な個別指導ができている先生の指導の下で、生徒の学力は向上するのでしょう。

①個別指導 ②生徒のモチベーションの向上と維持 ③メンタル面でのケアの3つが大切でしょう。このうち①と②はITにまかせることができるかもしれませんが、③は先生との1対1の会話のなかでケアすることが最も有効なのではないでしょうか。

受けたい授業

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「学力の社会学」(2004年 岩波書店 苅谷剛彦 志水宏吉編)

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このデータで、生徒の受けたい授業は小学生も中学生も教科書や黒板、という伝統スタイルが圧倒的であるのがわかります。成績上位者ほど自分たちで調べたり、発表したりすることへの志向性が強い。小学生も中学生も傾向に差があまりないのが特徴といえば特徴です。

成績観

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「学力の社会学」(2004年 岩波書店 苅谷剛彦 志水宏吉編)
ここで注目することは小学生も中学生も圧倒的に勉強へのモチベーションは、「将来役立つ」が高いのがわかります。次に「人よりいい成績をとりたい」という競争心のモチベーションが高いです。もうひとつ注目すべきは、「勉強はおもしろい」という現在的モチベーションは小学生のほうが中学生より高いのが特徴です。中学になると「勉強がおもしろい」、と感じる人が20ポイント下がります。

家庭での勉強の仕方

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「学力の社会学」(2004年 岩波書店 苅谷剛彦 志水宏吉編)

家庭での勉強の仕方で、小学生も中学生も成績上位者は、「嫌いな科目でも頑張る」、「自分から進んで勉強」で下位者より20ポイント高いことが特徴です。

全体的には、小学生のほうが、中学生より家庭での勉強意欲が高いことがうかがわれます。

優秀な学校の授業のあり方と生徒の学習態度 中学校

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「学力の社会学」(2004年 岩波書店 苅谷剛彦 志水宏吉編)
中学優秀校の授業の特徴は、ここでも教科書、黒板中心が特徴です。しかし下記のデータで一番目立つことは、宿題を平均校の4倍も出していて、しかも、宿題をきちんとこなす生徒が7割もいるということです。
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上記特徴に加え、週4日勉強、授業内容を自分で調べる、嫌いな科目もがんばる、自主的に勉強など、とにかく生徒が前向きに、自主的に取り組んでいるのがわかります。

優秀な学校の授業のあり方と生徒の学習態度 小学校

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優秀な小学校の算数の授業の特徴は、やはり、教科書、黒板を中心に学習すること。授業中のドリル小テストは意外に少ないこと。発表、議論が平均校より飛びぬけていて、宿題も平均校より3割多いのが特徴です。

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国語に関しては、宿題も少なく、とにかく発表議論を多く取り入れています。

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授業態度はよく発言し、よく質問し、復習、調べ学習も徹底的に行うことが特徴です。生徒が積極的に授業に取り組ませています。

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「学力の社会学」(2004年 岩波書店 苅谷剛彦 志水宏吉編)

家庭でもこれだけ積極的に生徒が学習に取り組むということは、指導技術と人間性を加味させないと難しいかもしれません。

家庭環境と正答率

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中学生は、父親が大卒、もしくは非大卒で、テストの正答率は8ポイント弱異なります。また学歴が将来を決めるか、という問いに、大卒の家庭で育った生徒は59%がそう思う+まあ思うだが、非大卒の家庭の生徒は64.6%が学歴が将来を決める、と考えている。にもかかわらず学習時間は非大卒の家庭の生徒のほうが少ない。つまり非大卒の家庭の生徒は学歴が将来を決める、と強く考えていても、家で勉強をあまりせず、しかも成績は大卒の家庭の子どもより悪い。

この結果を見ると、父親が非大卒の中学生は、すでに将来をあきらめているように思えてしまいます。ただでさえ精神的にナイーブな時代なのに、すでに将来を悲観している子どもが少なからずいる、ということはその状況を変えていく必要があると思います。

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「学力の社会学」(2004年 岩波書店 苅谷剛彦 志水宏吉編)

中学時代のクラスの特徴は、もっとも成績の良い生徒が、もっとも有望な将来性をもつと見られ、成績の順位が悪くなるに従い、社会の底辺の人に近づく、と見られてしまうということではないでしょうか。少なくとも私は中学時代、そう感じていました。何十年かぶりに同窓会へ行くと、当時の感情がよみがえったりします。13から15歳の多感な時代に、そういった成績優位の画一化された価値観がクラスを支配するのはとても悪いことではないでしょうか。中学時代は五割くらいの子どもが肯定的に生きていても、残りの五割はあまり前向きに生活をしていないのではないでしょうか。

画一的な授業が、画一的な価値観を決めるのかもしれません。社会とのつながりを学ばせることは急務の課題でしょう

シュタイナーと生涯学習

20世紀は肉体の機械化の時代でした。

人間の足の何十倍、何百倍の速さで移動できる自動車や飛行機。人間の力の何百倍、何千倍のパワーを持つトラックやクレーン車。生活圏、経済圏の規模は飛躍的に増大しましたが、頭脳はアナログのままでした。そこには、頭は人間の原寸大、体はキングコングといったいびつな形の20世紀の人間像がありました。

文明は専門特化され、先鋭化し、古代哲学のような科学と芸術、哲学の融合という本来の学問の本質は捨て去られました。専門家を増産するため、学校ではペーパーテスト中心の試験で高得点の人間だけを選別し、企業に入っても、より現実の目に見える利益を上げることが最優先にされ、その貢献度を点数化し、ふるいにかける。本来集団で活動する本質的な協業は失われ、人をけ落とすことで自分の出世を計る。道徳は形骸化し、若者を育てる精神は失われ、年老いては無用とばかり切り捨てる。

20世紀後半に入り、コンピュータが発明され、パソコンが普及し、21世紀に入るとインターネットが生活に入り込んできました。今こそアンバランスに小さい頭を成長させる時なのです。

みなさんはシュタイナーという人をご存じですか。19世紀から20世紀にかけて活躍したオーストリアの思想家、教育家です。今日の教育学、教育現場に多大な影響をもたらし、彼の教育理論は教育のバイブルと言っても過言ではありません。

やや乱暴にかいつまんでいえば、彼の理論は、理想的な大人になるために、幼児期、児童期、少年期、青年期それぞれにおいてどのように教育していったらよいかを、その年代の視点に立って述べています。幼児期の教育理論を読むと、われわれは幼児の視点に戻って教育を考えさせられ、少年期のものを読めば、少年期を思い出します。その理論では、理想的な大人とは、社会に貢献する意志を持ち、創造性に富み、正義と勇気と道徳心を兼ね備えた人間ととらえられているようです。

思えば20世紀の教育は、専門的な部分にのみ重きを置き、道徳や創造性をむしろ軽んずるものでした。本来、社会、とくに資本主義下では、人々は協力しあい、安定した経済のなかで繁栄が築かれるはずです。ところが多くの人が利潤追求に走り、道徳を失い、自己欲求ばかり満たそうとするあまり、戦争が起きたり、貧富の差が増大したり、バブル経済が生じたりするのです。

放送法に守られたテレビと大新聞のみが情報伝達手段を握り、国民が偏った情報しか得られないことや、人口の急増に伴うマス教育と得点主義の教育の弊害などは、20世紀の人間が、肉体ばかり肥大(つまり機械化)して頭脳がアナログだったがための悲劇です。

シュタイナーは次のようなことを述べています。授業には算数や数学のように概念で考えるものと、体育や音楽のように手足を使って学ぶものがあり、実は双方が関連づけされて、理想的な教育が生まれると。これを簡単に言うと、「学ぶことと実技の融合」です。つまり企業でいうOJT(仕事をしながらその仕事の技術を学ぶこと)が最も理想的な教育なのです。
これを学校の学習で実行させるには、パソコンを使った学習が最も有効です。学んだことに関して、自分なりの整理をしたり、自分なりの考えを書き込んだり、いろいろな視点で情報加工したりするのです。

またシュタイナーはまったく異なる分野を関連づけて学ばせることの重要性も強調して示唆しました。たとえばエジプト文明を学びながら、生体における肝機能も学ぶ。それによって歴史的認識が身近なものとなり、生体への認識が歴史的継続であることを把握するでしょう。大切なことは知識ではなく、そういった皮膚感覚で認識をすることなのです。こういう教育は20世紀に入り、西洋科学の偏重、専門特化の追求、知識の偏重により忘れ去られてきました。歴史すらも日本史、世界史と分離して学習しています。

私はパソコンでこのような学びの本当の喜びを回帰させようと考えました。メディアファイブではワールドヒストリー(日本史と世界史を結びつける)、死地則戦(孫子の兵法、戦争シミュレーション、経営戦略、シェイクスピア、コンピュータビジネスの攻防を結びつける)の商品開発を通し、まったく異なる分野を結びつけることによる新しいコンセプトを生み出そうとしました。OJTが最も理想的な教育と言いましたが、企業こそ、最も人生で重要な教育機関になるべきだと思います。

メディアファイブでは20世紀には埋もれさせられていた理想的教育を復活させるために、コンピュータを使い、幼児には自然への回帰、小学生には学習の楽しさ、中学生以上には学問への能動的アプローチ、社会人には企業研修のなかで道徳教育こそビジネス教育の基本、というコンセプトで商品を世の中に広めていくつもりです。

2008年06月11日

マルチメディアの意味

マルチメディアとは、人から人へ、コンセプトの伝達の革命です。

「A」という人が「B」という人に自らのコンセプトを伝える場合、
アナログ方式では、Aは自らの脳でイメージしたものを言葉に置き換えてBに伝達し、Bは伝えられた言葉からAのイメージを再現します。このため、どうしても経験や能力の違いから両者のイメージの間にギャップが生じることになります。

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一方、デジタル方式では、Aは脳でイメージしたものを音と映像を使ってハイパーテキストに構成し、BはAのイメージをモニター上で再現します。つまり、Bは、モニター上で直接Aの脳にあるイメージを見ることができるわけで、デジタル方式のメディアではアナログ方式に比べ、コンセプトの伝達能力が飛躍的に向上するのです。

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レオナルド・ダ・ヴィンチの手記にこんな一説があります。
「鳥は、風のおかげで羽ばたきもせずに上昇するときには円運動を行う。風に向かって行動を起こす場合には、鳥は2つの力に押される。ひとつは鳥の翼の下の凸面に突き当たる風の力。もう一つは傾斜をなして下りる鳥の重さである。こういう速度を得たために、次のようなことが生じる。鳥が風の吹いてくる方向に胸を向けると、風は鳥の下で一定の重量を空中に持ち上げる。こうして鳥はその運動のはじめより遥かに高くまで反射運動を行う。これこそ鳥が羽ばたくことなく高く上昇する真の理由である」
実に画家らしく、映像イメージを重視した思考展開です。

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なにかを考えるとき、その対象をイメージに浮かべながら考えることは重要です。歴史上の天才は、このようなイメージ思考により数々の大発見を果たしてきた。

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科学を中心とする人類の進歩は言葉や数字すなわちメディアというツールを発明したがゆえに、個人の発明の積み重ねで発展しました。しかし個人の頭脳は有史以来、あくまで文字というメディアの上で思考してきたために、人類全体の思考能力は進歩していません。ソクラテスやニュートン、アインシュタインと言った天才はいつも時代の気まぐれがつくるものであり、現代人が古代人より優れた思考力をもっているとはいえません。いかにイメージ思考をできるかが個人の能力差となってあらわれるからです。今、パソコンが個人のものとなることで、万人がこのイメージ思考を日常的に展開することが可能となります。

文字は概念を伝える媒体で、概念を直接伝えるのはマルチメディアのほうが優れています。だから新しい概念を学ぶ場合、マルチメディアで伝えるほうがわかりやすい。だから遅滞者の学習にはとくにマルチメディアで学ぶことが有効なのだと思います。

2008年06月12日

教育の目的は、ただの一度でいいから子供の挫折を救うこと。

先週日曜日に起きた秋葉原事件は大変悲しい事件です。秋葉原を電車で通り過ぎるたびに、本当に胸が締め付けられます。

くしくも7年前の大阪池田市の付属小学校の事件も同じ日でした。

犯人は、子どものころは優等生で、高校時代に勉強に挫折し、内向的になり、大学に行かずに社会人になる。転職を繰り返し、派遣社員として働く。あるいは無職。自己愛が強く、きわめて自己中心的で、残酷なゲームソフトや漫画が好きで武器マニアだそうです。そして何よりも社会を恨んでいる。

凶悪事件や通り魔事件の犯人にこのようなプロフィールが多い。

残虐なゲームソフトに非がある、と人は言いますが、先日、出張の折、有名な漫画「課長島耕作」が社長になったことが話題になり、私も7年ぶりぐらいにマンガを買ったのですが、簡単に人を殺す漫画があり、とても不愉快になったのを思い出しました。

しかしそういうゲームメーカーや出版社やマスコミを責めても、いつまでたっても問題は解決しません。もともと男の子には戦士になるためのDNAが組み込まれているのです。そういうニーズは、たとえ暴力をテーマにしたゲームや漫画を発売禁止にしたところで、新しいバイオレンスエンターテイメントが出てくるだけです。もちろんないにこしたことはないですが。

この事件はいろいろ自問させます。なぜ犯人は学生時代の挫折から立ち直れなかったのか。 なぜ大学へ行かなくても成功する道はたくさんあることを知らないのか。日本はそれほど学歴社会でない。なぜ暴力のエネルギーを前向きなスポーツなどに使わなかったのか。なぜ自分だけが不幸だと思うのか。なぜ人から尽くされることや愛されることを考える前に、自分から役に立とうと考えないのか。

今の若者にとって,世の中に対する閉塞感が問題なのではないでしょうか。一度学校の勉強についていけなくなると、人生が大幅に狂ったように感じてしまう日本の閉塞感です。

学歴の問題でも、現実には、私のまわりのベンチャー企業の経営者で、あまり高学歴な人はいません。

そういう意味では、本当はそれほど日本は学歴社会ではないと思います。もちろん人脈、という点では東大法学部、早稲田、慶応は人脈で仕事をするうえで有利なのかもしれません。しかしたとえそういう大学を出ていなくても、経営者になれば、いろいろな会もありますし、人脈を人間力で築く人のほうがむしろ有効に人脈を生かしているでしょう。そもそも人脈はメリットがあるから人脈になるのであって、人の役に立つ能力があれば、いかなる出身だろうと、周囲に人脈はできるものです。

若い人は現在の自分を否定する人が多い。こんな成績でいいのか、こんな性格でいいのか、社会に入ってもこんな安月給で今を生きていていいのか、こんな会社で働いていいのか、自分はこのままでいいのか?などなど。

努力しても努力してもなかなか挫折以前の成績がとれない。それでも成功が見えてくるまで待たなければならない。成功のあかりが見えてくるまで、ひたむきな努力を続けながら待たなければならない。この「待つ」コツ、「待つ」感覚を若い時につけていただきたい。自分から逃げることは、成功を遠ざけます。

若いころは気持ちも不安定ですし、常に将来に不安を抱えて生きています。当然挫折や失敗もします。家庭内でも親や兄弟にいらいらすることも多いでしょう。

しかしいつの時代でも、どんな人でも何かを我慢し、何かをあきらめ、何かを待たなければならないのです。若い時分は我慢できない、あきらめきれない、待つことができないのです。それをできるようにすることを教えてもらい、訓練することも若いうちにはしなければならないと思います。

画一的な指導では、クラスを画一的な価値観でしばります。そうなると勉強のできる子以外落ちこぼれになります。そのままにしておくことは、社会に出て本当に必要な訓練を学ぶことができません。一つの集団のなかでも様々な価値観があり、その価値観のなかで自分の活かせる場所を探す。人生はそういう学習の連続だと思います。

「学力の社会学」のデータもそういうことを物語っているのかもしれません。

精神の鋭敏な中学時代や高校時代に挫折するのは当たり前です。しかしいったん授業のカリュキュラムから遅れると(そういう生徒を遅滞者といいます。)、まず文字を読んでも頭に入らなくなります。文字を読みなれている時はすぐ文字からイメージ化できるのですが、それができなくなるので、文字を読むのがまどろっこしくなるのです。

そういう時こそマルチメディアで学べれば、そのままイメージ化できます。苦痛なく何度かマルチメディア映像を見るだけで、直接理解することができるようになるのです。音声合成を利用して学ぶ方法もあります。学ぶためには五感をフルに活用をするのです。

一度遅滞が始まると、常に「落ちこぼれ」としての後ろめたさを感じ、前やった授業の復習をするだけでも、後ろめたく感じ、ましてや前の学年の教科書を開くことは、自分の妹や弟より馬鹿になったような気がして気が進みません。

そんなとき、いつでも前の学年をマルチメディアやゲーム感覚で学べる教材を利用できれば、そしてその利用を教師がチェックし、少しでも利用することを指導すれば、遅滞は防げると思います。

当社のゲーム学習はロボットを訓練させてロボリンピックで優勝させることです。少しでも成績が向上すると、主人公のロボットが銀メダルや金メダルを取れるのです。擬似的な成功体験を生徒にさせることで、モチベーションを維持させる仕組みです。

どんな手段でも、子どもたちに将来のことを説くより、今やっている学習をおもしろくさせ、少しずつ自信を持たせ、一度でも立ち直れれば、人生の上での大きな糧となります。

当社にはそういった教育ソフトが多々あります。恥ずかしながら、自分の挫折体験からこういうソフトが必要だと思ったのです。

先生方にお願いしたいのは、生徒に一回でも挫折から立ち直る自信や経験をさせてあげて欲しいということです。

それで秋葉原の悲劇を一つでも減らすことができるのです。

2008年06月19日

20年にわたる教育現場の問題点とITによる対策 1

「学力の社会学」(2004年 岩波書店 苅谷剛彦 志水宏吉編)からの考察

20年にわたり、学力の低下、格差は3割に及びます。その間、OECDの世界の学力順位は、日本は1位から18位に落ちました。この原因は日本が世界2位の経済大国になり、少子化になり、次の目標がなくなったことが最大の要因でしょう。

さらにバブル崩壊以降国内産業は低迷し、最近復活してきたといっても、大企業の海外進出だけが、アジア圏の経済勃興にビジネスの恩恵を受けられ、地方や国内の中小企業は依然と厳しい経営が続いています。その中で個人の格差も開き、貧困家庭が急増し、子供たちはその影響を大きく受けているのが現状です。

そういう社会情勢のなかで、いかに子どもたちをやる気にさせ、学力を伸ばすことができるか、というテーマを、アンケートを通してこの本は示してくれています。その中身は下記のとおりです。


ポイント
1、個別志向教育・学習は、確実に生徒の成績を伸ばし、遅滞者を減らし、速進者を増加させる。
2、すべては黒板による授業が重要。オーソドックスな授業で生徒の学習姿勢をつくるべき。
3、将来のモチベーションだけでなく、現在の学習を面白くすることが大切。
4、教師は事務時間を減らし、個別指導の時間を増やすべきである。

それに対し、当社の学校向けシステム商品は
1、個別習熟度別学習教材の充実(ミラクルスクール、MSU、ドリルなど)
2、オーソドックスな授業で行う教材の充実(マルチメディア教材、対戦モードなど)
3、現在の学習を面白くする工夫がされている(ミラクルスクール、プレミアシリーズなど)
4、先生の仕事をサポートする、e-Learningと合体した教師用グループウエア(則天)

現状の教育現場の問題点
1、従来のカリキュラムに加え、ITを授業や指導に導入する先生の時間的余裕がない。生徒の問題や保護者への対応はこの20年でかなり増加している。
2、パソコン教室のパソコンは管理する先生以外使いにくい。もっと気軽にだれでもクラスで利用でjきるパソコンを増やしてほしい。
3、日本は教育への予算が極めて低い。GDPの3.5%であり、先進国の平均は5%。さらに予算はひも付きではないので、地震や犯罪が起きると、予算は建物や防災設備、防犯対策に流れる。(イギリスでは教育の情報化に毎年600億円位付くそうです。)
4、IT教材は地元業者にお金が流れず、市議会では予算が付きにくい。
5、各学校での校長先生の教育ソフト購入の決裁権がなく、現場の先生の個別のニーズには今の制度では、対応しづらい。(欧米では校長先生に決裁権があるそうです。)
6、先生方が、現場ではITの活用の必要性を強くは感じていない。(この20年の学力低下、学力格差は社会的問題であり、教育現場の問題ではない。)

この現状の教育現場の問題点は、国をあげてドラスティックに解決していくしか、方法はありません。たとえば私立ではすでにありますが、教育の情報化を専門とする先生をおくことなど、重要な課題だと思います。

20年にわたる教育現場の問題点とITによる対策 2

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まず、1882年から2001年までの20年間で、3割も学力は落ちたこと。
世界で82年では学力1位でも2008年で18位まで落ちている。
そしてその原因は遅滞者つまり勉強のできない子どもの増加によること。
遅滞発生率は学年が高くなるほど増加する。


(速進者発生率は20年で変わらない)

そしてその原因の大きくは家庭にあること。


勉強のモチベーションは「現在が楽しい」より、将来役立つためであることが強い。それは年齢が高くなるほど強くなる。

将来学歴が必要と考えているのは大卒の家庭の子どもより非大卒の家庭の子どもが多い。にもかかわらず、非大卒の子どもは勉強へのモチベーションが低い。成績も無関心な子どもが多い。
家庭の格差がそのまま生徒の成績の格差にあらわれる。
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(父大卒、非大卒家庭の正答率と学習時間)

学校の教師の志向としては個別指導型教師のほうが生徒の成績を上げることができる。
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(正答率と教師の志向性の相関関係)

遅滞発生率も個別指導で抑えることができる。
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なおかつ21年以上のベテラン教師が、生徒の成績を上げることができる。10年から21年の中堅が、10年までの若い教師より、生徒の成績を上げることは難しい。若い教師は生徒に近い目線で、生徒に人気があり、ベテランは技術と親の目線で指導できるからではないか。
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生徒も指導法はやはり黒板、教科書中心の授業を最も望んでいる。(できる子もできない子も)しかし効果を上げる優秀な学校ではより積極的に宿題を出す。

できる子ほど自分の発表や調べ学習、自分たちで考えることに積極的であり、成績下位者ほど非積極的である。

勉強の成績を上げることは、現状では、ほとんど先生の人間性やカリスマ性、熱心さにのみ頼っていて、教師の指導法に技術的な積み重ねがない。
成績を効率的に上げる優秀校ほど、もちろん家庭学習の時間が長く、授業中もよく発言し、よく質問し、間違えた問題を復習し、調べ学習を積極的に行う。

20年にわたる教育現場の問題点とITによる対策 3

前回までの内容からITを活用して次のことをご提案します。
まず生徒の学習のモチベーションはオーソドックスな黒板授業で形成されます。
電子黒板を利用して、ちょっと工夫してみましょう。生徒のモチベーションが大幅に向上します。
授業でマルチメディア教材を利用して、遅滞生徒にも理解させ、対戦モードで学習意欲を盛り上げ、ゲームモードや特訓モードを個別学習や宿題でやらせて、そのデータをもとに個別指導を行う。
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遅滞者の原因が、前の学年の勉強がわからなくなると、どんどん遅れをとる。だからいつでも、どの学年でも自由にe-Learningで学習できる環境をつくることが大切です。

また学習遅滞が進むと、文字を読むことも億劫になるほど活字離れが進む。そういう子どもには、その子の能力にあった問題を自動的に出題させて、その子の進み具合にあったカリキュラムにすることも重要です。
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また文字を読むのが苦手な子どもはまず、マルチメディアで学ばせて、文字ではなく、直接イメージで理解させるとスムーズに学習が好きになります。
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計算、漢字や英単語の記憶など単純な学習はゲーム学習などで、子どもたちが継続できるシステムを選んで学習させる。
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とにかく生徒たちに学習習慣を日々継続させ、少しでも実力を上げて自信をつけさせることが肝要です。たとえ子どもたちに疑似的にでも自分たちが努力すれば成長できる自信をつけさせれば、自然と学習にも意欲が出てきます。

個別型指導が遅滞生徒にも速進生徒にも有効であるのだから、生徒一人一人の学習履歴を見て指導するように心がける。
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生徒の成績向上の過程を明確化できれば、指導しやすい。

先生の仕事に費やす時間を、テスト作成、採点、成績管理から個別指導へと移行させる。会議をなるべく減らし、グループウエア上でできる会議は集まらなくてもすませる。

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(当社教員用グループウエア メイン画面 授業の進捗把握日誌)

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(生徒個別指導情報画面)

2008年06月21日

「江戸の教育力」を読んで 1

江戸の教育力(大石学 東京学芸大学出版会 2007年3月30日)を読みました。大石氏は学芸大学の教授で、江戸時代の専門家です。大河ドラマ「新撰組!」などの時代考証もされています。

この本はまず戦国時代のルイス・フロイスなど外国人の目から見た日本の教育について紹介し、そのあと江戸時代前期、吉宗の改革を境に中期、そして後期という時代の流れに沿って教育の変遷をわかりやすく紹介しています。

まず戦国時代の幕を閉じたのは、秀吉で、彼は卓越した戦争術で天下統一したのではなく、各地方の領主に、「戦争をやめれば、領土を安堵する」、という「平和の拡大」という条件を出して、日本全国から戦争をなくしたのだそうです。

この史実は実に示唆に富んでいます。今日、世界中で金融資本が跋扈し、バイオエネルギーに金が集まるせいで、アフリカなどの後進国で餓死者が出る、といったとんでもない現状を、秀吉みたいなリーダーが出現して、正常な社会に戻してほしいです。

話を元に戻すと、先に述べたフロイスは1585年島原で書いた「日本覚書」のなかで、下記のようなことを記述しています。

「日本女性の多くが文字を書くこと、教育において体罰は行わないこと、日本の子どもは10歳でも50歳と同じくらいの判断力と賢明さ、思慮分別を備えている。」

また同時期に来日した宣教師ヴァリニャーロは「日本巡察記」で
「日本国民は優秀で、子どもたちも良く学問し、規律を守り、外国語を短期間で習得する能力を持っている。下層民も優れ、上品で仕事熱心である。また日本人は穏やかで、子どもたちは下品な言葉を使わず、暴力を振るわない。さらには大人のような理性と落ち着きをもっている。服装、食事、仕事などは清潔で美しく、すべての日本人が同一の学校で教育を受けたようである。」と記している。

また少し時代は下ってオランダ人フランソア・カロンは「日本大王国志」で
「日本人は子どもを注意深く、やさしく育てる。7歳から12歳の子どもたちは驚くほど賢明で温和で知識、言語、応対は老人のように成熟し、オランダではほとんど見られないほどである。・・・学校へ行く年齢に達すると徐々に読書を始めるが、強制ではなく、習字も楽しんで習う。常に名誉欲をもたせ、他に勝てるように励ます。」
日本の育児と教育が、辛抱と優しさをもって行われ、プライドを持たせることによって大きな効果を上げていたことが記されています。

小さいころから日本の子どもは、四書五経を教科書に素読していたのですから、それは、それは日本人の子どもは賢かったでしょう。

映画「ラストサムライ」の冒頭の語りの部分で、「彼ら(日本人)が命をかけて守ったもの、それは今や忘れられつつある言葉“名誉”」というくだりがあります。

本当に今の日本人に「忘れられつつある言葉」です。

日本人の「学び」におけるモチベーションの原点が「名誉」にあったのでしょう。士農工商という階級のなかで、さらに各地方で価値観が異なる日本人はそれぞれの土地と立場で「名誉」を持っていたのだと思います。

戦後、占領政策のもと、四書五経をベースにした教育勅語は軍国化教育の元凶として打ち捨てられ、「名誉」や「忠誠」、「愛国心」も教育勅語とともにタブーになりました。

軍国化教育の問題点は、明治維新の後、欧米列強の植民地政策の圧力の中で、日本は生き残るために富国強兵をしなければならず、その結果、無理やり中央集権国家として近代化されていくなかで、国民の教育の価値観の幅が狭まり、さらに日清、日露戦争での奇跡的な勝利のもと、その方向性に異を唱える者が少なくなり、国全体が軍国化していったのでした。

多様化された価値観の中でこそ「名誉」は教育のモチベーションになるのです。(「名誉」ということが今では死語ならば「誇りに思うこと」でいいです。)なぜなら統一された価値観のなかで、「名誉=誇りに思うこと」を得られるのは、一握りのエリートだけだからです。あとの9割は「落ちこぼれ」になってしまうのです。今の日本の教育がそれです。

だからこそ、今、江戸時代の教育を見直す時なのではないでしょうか。もちろん「武士」の「名誉=誇りに思うこと」はあります。しかし農民にも「名誉=誇りに思うこと」がありました。二宮尊徳や安藤昌益の書物にはそれがあふれています。商人の「名誉=誇りに思うこと」もありました。石田梅岩がその哲学を書きました。大工や絵師など職人の「名誉=誇りに思うこと」もありました。左甚五郎や葛飾北斎の作品にその「名誉=誇りに思うこと」が残っています。もちろん各地方にもさまざまな「名誉=誇りに思うこと」が残っていました。熊本の肥後もっこす、薩摩のぼっけもん、高知のいごっそう、青森の津軽じょっぱりなどなど。

武士の「誇り」と中央集権の強化、価値観の統一が戦前の軍国主義化を生んだのだから、その反対をすればよいと思います。様々な職業の「誇り」を見つけ、地方のよさを見つけ、価値観の多様化する教育を目指すべきではないでしょうか。

もはや日本は戦争という選択肢を捨てたので、中央集権を強化し、国力をあげて、国を守る時代ではありません。インターネットが普及した今日、価値観の多様化は急速に進んでいます。しかし教育現場では、価値観の多様化は進んでいません。

教育現場で、社会とのつながりを意識して教育すれば、自然と価値観は多様化すると思います。社会には様々な仕事があり、その仕事がいかに世の中に役立っており、そしてこの国はその長い歴史のなかでどのように作られてきて、そのなかで自分たちはどのような土地に生まれ、住んでいるのか。地方の歴史や文化の良さとあいまって指導すれば、江戸時代の教育の良さをよみがえらせることができます。

過去に戻ることはできません。今の進歩した教育現場に、失われた過去の価値観の多様性を戻すことで、現場で日々努力されている先生方の教育が、さらに実りあるものになると思います。

「江戸の教育力」を読んで 2

秀吉の刀狩り、太閤検地により、兵農分離が進みました。それを引き継いだ家康の時代、武士は城下町で官僚化し、農村では庄屋や組頭が選ばれ、自治や自律が進みました。そして年貢などの統治に関することは文書により、やりとりされました。その結果、農村でも急速に文字文化が発達しました。

たとえば元禄時代以前、幕府は農村に五人組を対象とする法令を制定するなかで、村内に田畑を持たなくても、読み書きや算術を教えるものは、代官に報告し、村中で援助するように指示しているそうです。

子どもたちは、7,8歳になると手習所に通わせ、最終的には「小学」「四書」「五経」など儒学を習わせていました。

元禄時代、武士、庶民とも教育への理解が高まり、「現実性、合理性、人間性の尊重」が特徴の文化でした。この時代、都市では三井、鴻池、住友など庶民を相手にする新しいタイプの商人が活発化し、農村でも生産力が増大し、農民の生活水準は向上しました。

その背景に商人や農民のための教科書が執筆され、「商売往来」「百姓伝記」「会津農書」「農業全書」など多くの経営の書物が刊行されました。

政治的には文治主義が主導でした。これは武力ではなく、儒学の普及、浸透によって社会の安定をめざす政治でした。

徳川家康から4代家綱まで歴代将軍の侍講を務めた朱子学者林羅山は上野に家塾を設立しました。5代将軍綱吉はこの塾を湯島に移し湯島聖堂をつくりました。林羅山の孫、信篤は大学頭に任命されこの学問所を統括しました。

諸藩でも学問所の設立は盛んに行われ、会津藩主保科正之は山崎闇斎に学び、水戸藩主徳川光圀は江戸小石川藩邸に彰考館を設けて大日本史を編纂しました。

このように各地に藩校が設立され、幕末までに276校あったそうです。また幕府や藩は庶民教育のために郷学も設立しました。

8代将軍徳川吉宗は江戸前期の高度成長の行き詰まりの停滞期に将軍に就任し、享保改革を行いました。そのなかで、教育改革も断行しました。


享保改革は、幕府財政を再建し、国民生活の維持安定のために「大きな政府」「強い政府」による国家再建を行いました。

そのために1、徹底した法の整備、2、下層官僚でも幹部に登用できるよう、官僚機構の改編、3、公文書システムの確立を行いました。

吉宗は教育改革にも力を入れ、儒学を基礎とする国民教育を振興することにより、社会を安定させました。従来の幕府の教育方針は武士が儒学を修め、徳のある政治を行い、社会を安定させようとしたのに対し、国民全体に儒学の振興普及を図ったのです。

幕府主催の儒学の講義を庶民にも開放しました。湯島聖堂は偶数の日は直参、旗本などが学び、奇数の日は庶民に開放しました。しかしもっと気軽に学問ができるように郷学、寺子屋、といった小さい私塾を全国に普及させていきました。

その結果、明治の初めには75000の寺子屋と6500の私塾ができたそうです。今日の全国の小中学校が33870校であることを考えれば、学問する場所が実に庶民の身近にあったのがわかります。

このようなことから、日本全国の平均識字率は80%を優に越え、識字率という点においては、世界最高の文化国家であったことがうかがわれます。

「江戸の教育力」を読んで 3

吉宗の改革で注目すべきは、学問を庶民まで浸透させたことです。しかも官や藩が主導するだけでなく、7万にも上る寺子屋(幕末では)はまさに民の自発的な学問所でした。士農工商それぞれの学問があり、地方でもばらばらに行われており、価値観が多様化し、しかも直接社会と結び付いた教育が行われていたのです。

いつでもどこでも気軽に「学ぶ」場所があり、明治になるまで、日本人は庶民の隅々まで「学び」を楽しんでいたのです。

現在、米国で教育における慈善事業としてジョージ・ルーカスがやろうとしているのは、
1.子どもたちに、プロジェクトを立て、それに沿って実行する能力をつけさせる。
2.組織やチームでコラボレーションする能力を身につけさせる。
3.学校で学ぶ理由、社会のなかでどのようにその学問が役立つかを認識させる。
4.学校現場の先生にどうしたら教育のイノベーションをしていただけるか。
5.家族や友達との関係を学ぶ。
です。

この5つを江戸時代の教育はすでに実践しています。
1、儒学でいう「知行合一」はまさにこのことです。
2、庶民における5人組、武士における「お家」はすべて組織で行動するためのシステムです。
3、家と仕事と地域と寺子屋が一体となった仕組みは、まさに社会と学問が自然と結び付いています。
4、「過ちてはすなわち改めるに憚ることなかれ」「君子豹変」「知者は水を楽しむ」「知者は動く」「君子の過ちは日食月食」で、いかに過ちを改善するか、こそ教師のもっとも手本とするところです。
5、寺子屋は、儒学を通して親や友人との関係を説いている。

このように江戸時代の教育は、現代からみると、少人数制にしろ、人間教育にしろ、社会への直結にしろ、社会や人との関わり、国家観にいたるまでかなり理想的な教育が施されていたようです。

「いつでも、どこでも、気軽に、楽しく、そして誇りをもって」学ぶ知恵が江戸時代の教育にあったようです。

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