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教育の目的は、ただの一度でいいから子供の挫折を救うこと。

先週日曜日に起きた秋葉原事件は大変悲しい事件です。秋葉原を電車で通り過ぎるたびに、本当に胸が締め付けられます。

くしくも7年前の大阪池田市の付属小学校の事件も同じ日でした。

犯人は、子どものころは優等生で、高校時代に勉強に挫折し、内向的になり、大学に行かずに社会人になる。転職を繰り返し、派遣社員として働く。あるいは無職。自己愛が強く、きわめて自己中心的で、残酷なゲームソフトや漫画が好きで武器マニアだそうです。そして何よりも社会を恨んでいる。

凶悪事件や通り魔事件の犯人にこのようなプロフィールが多い。

残虐なゲームソフトに非がある、と人は言いますが、先日、出張の折、有名な漫画「課長島耕作」が社長になったことが話題になり、私も7年ぶりぐらいにマンガを買ったのですが、簡単に人を殺す漫画があり、とても不愉快になったのを思い出しました。

しかしそういうゲームメーカーや出版社やマスコミを責めても、いつまでたっても問題は解決しません。もともと男の子には戦士になるためのDNAが組み込まれているのです。そういうニーズは、たとえ暴力をテーマにしたゲームや漫画を発売禁止にしたところで、新しいバイオレンスエンターテイメントが出てくるだけです。もちろんないにこしたことはないですが。

この事件はいろいろ自問させます。なぜ犯人は学生時代の挫折から立ち直れなかったのか。 なぜ大学へ行かなくても成功する道はたくさんあることを知らないのか。日本はそれほど学歴社会でない。なぜ暴力のエネルギーを前向きなスポーツなどに使わなかったのか。なぜ自分だけが不幸だと思うのか。なぜ人から尽くされることや愛されることを考える前に、自分から役に立とうと考えないのか。

今の若者にとって,世の中に対する閉塞感が問題なのではないでしょうか。一度学校の勉強についていけなくなると、人生が大幅に狂ったように感じてしまう日本の閉塞感です。

学歴の問題でも、現実には、私のまわりのベンチャー企業の経営者で、あまり高学歴な人はいません。

そういう意味では、本当はそれほど日本は学歴社会ではないと思います。もちろん人脈、という点では東大法学部、早稲田、慶応は人脈で仕事をするうえで有利なのかもしれません。しかしたとえそういう大学を出ていなくても、経営者になれば、いろいろな会もありますし、人脈を人間力で築く人のほうがむしろ有効に人脈を生かしているでしょう。そもそも人脈はメリットがあるから人脈になるのであって、人の役に立つ能力があれば、いかなる出身だろうと、周囲に人脈はできるものです。

若い人は現在の自分を否定する人が多い。こんな成績でいいのか、こんな性格でいいのか、社会に入ってもこんな安月給で今を生きていていいのか、こんな会社で働いていいのか、自分はこのままでいいのか?などなど。

努力しても努力してもなかなか挫折以前の成績がとれない。それでも成功が見えてくるまで待たなければならない。成功のあかりが見えてくるまで、ひたむきな努力を続けながら待たなければならない。この「待つ」コツ、「待つ」感覚を若い時につけていただきたい。自分から逃げることは、成功を遠ざけます。

若いころは気持ちも不安定ですし、常に将来に不安を抱えて生きています。当然挫折や失敗もします。家庭内でも親や兄弟にいらいらすることも多いでしょう。

しかしいつの時代でも、どんな人でも何かを我慢し、何かをあきらめ、何かを待たなければならないのです。若い時分は我慢できない、あきらめきれない、待つことができないのです。それをできるようにすることを教えてもらい、訓練することも若いうちにはしなければならないと思います。

画一的な指導では、クラスを画一的な価値観でしばります。そうなると勉強のできる子以外落ちこぼれになります。そのままにしておくことは、社会に出て本当に必要な訓練を学ぶことができません。一つの集団のなかでも様々な価値観があり、その価値観のなかで自分の活かせる場所を探す。人生はそういう学習の連続だと思います。

「学力の社会学」のデータもそういうことを物語っているのかもしれません。

精神の鋭敏な中学時代や高校時代に挫折するのは当たり前です。しかしいったん授業のカリュキュラムから遅れると(そういう生徒を遅滞者といいます。)、まず文字を読んでも頭に入らなくなります。文字を読みなれている時はすぐ文字からイメージ化できるのですが、それができなくなるので、文字を読むのがまどろっこしくなるのです。

そういう時こそマルチメディアで学べれば、そのままイメージ化できます。苦痛なく何度かマルチメディア映像を見るだけで、直接理解することができるようになるのです。音声合成を利用して学ぶ方法もあります。学ぶためには五感をフルに活用をするのです。

一度遅滞が始まると、常に「落ちこぼれ」としての後ろめたさを感じ、前やった授業の復習をするだけでも、後ろめたく感じ、ましてや前の学年の教科書を開くことは、自分の妹や弟より馬鹿になったような気がして気が進みません。

そんなとき、いつでも前の学年をマルチメディアやゲーム感覚で学べる教材を利用できれば、そしてその利用を教師がチェックし、少しでも利用することを指導すれば、遅滞は防げると思います。

当社のゲーム学習はロボットを訓練させてロボリンピックで優勝させることです。少しでも成績が向上すると、主人公のロボットが銀メダルや金メダルを取れるのです。擬似的な成功体験を生徒にさせることで、モチベーションを維持させる仕組みです。

どんな手段でも、子どもたちに将来のことを説くより、今やっている学習をおもしろくさせ、少しずつ自信を持たせ、一度でも立ち直れれば、人生の上での大きな糧となります。

当社にはそういった教育ソフトが多々あります。恥ずかしながら、自分の挫折体験からこういうソフトが必要だと思ったのです。

先生方にお願いしたいのは、生徒に一回でも挫折から立ち直る自信や経験をさせてあげて欲しいということです。

それで秋葉原の悲劇を一つでも減らすことができるのです。

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2008年06月12日 04:58に投稿されたエントリーのページです。

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