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「江戸の教育力」を読んで 1

江戸の教育力(大石学 東京学芸大学出版会 2007年3月30日)を読みました。大石氏は学芸大学の教授で、江戸時代の専門家です。大河ドラマ「新撰組!」などの時代考証もされています。

この本はまず戦国時代のルイス・フロイスなど外国人の目から見た日本の教育について紹介し、そのあと江戸時代前期、吉宗の改革を境に中期、そして後期という時代の流れに沿って教育の変遷をわかりやすく紹介しています。

まず戦国時代の幕を閉じたのは、秀吉で、彼は卓越した戦争術で天下統一したのではなく、各地方の領主に、「戦争をやめれば、領土を安堵する」、という「平和の拡大」という条件を出して、日本全国から戦争をなくしたのだそうです。

この史実は実に示唆に富んでいます。今日、世界中で金融資本が跋扈し、バイオエネルギーに金が集まるせいで、アフリカなどの後進国で餓死者が出る、といったとんでもない現状を、秀吉みたいなリーダーが出現して、正常な社会に戻してほしいです。

話を元に戻すと、先に述べたフロイスは1585年島原で書いた「日本覚書」のなかで、下記のようなことを記述しています。

「日本女性の多くが文字を書くこと、教育において体罰は行わないこと、日本の子どもは10歳でも50歳と同じくらいの判断力と賢明さ、思慮分別を備えている。」

また同時期に来日した宣教師ヴァリニャーロは「日本巡察記」で
「日本国民は優秀で、子どもたちも良く学問し、規律を守り、外国語を短期間で習得する能力を持っている。下層民も優れ、上品で仕事熱心である。また日本人は穏やかで、子どもたちは下品な言葉を使わず、暴力を振るわない。さらには大人のような理性と落ち着きをもっている。服装、食事、仕事などは清潔で美しく、すべての日本人が同一の学校で教育を受けたようである。」と記している。

また少し時代は下ってオランダ人フランソア・カロンは「日本大王国志」で
「日本人は子どもを注意深く、やさしく育てる。7歳から12歳の子どもたちは驚くほど賢明で温和で知識、言語、応対は老人のように成熟し、オランダではほとんど見られないほどである。・・・学校へ行く年齢に達すると徐々に読書を始めるが、強制ではなく、習字も楽しんで習う。常に名誉欲をもたせ、他に勝てるように励ます。」
日本の育児と教育が、辛抱と優しさをもって行われ、プライドを持たせることによって大きな効果を上げていたことが記されています。

小さいころから日本の子どもは、四書五経を教科書に素読していたのですから、それは、それは日本人の子どもは賢かったでしょう。

映画「ラストサムライ」の冒頭の語りの部分で、「彼ら(日本人)が命をかけて守ったもの、それは今や忘れられつつある言葉“名誉”」というくだりがあります。

本当に今の日本人に「忘れられつつある言葉」です。

日本人の「学び」におけるモチベーションの原点が「名誉」にあったのでしょう。士農工商という階級のなかで、さらに各地方で価値観が異なる日本人はそれぞれの土地と立場で「名誉」を持っていたのだと思います。

戦後、占領政策のもと、四書五経をベースにした教育勅語は軍国化教育の元凶として打ち捨てられ、「名誉」や「忠誠」、「愛国心」も教育勅語とともにタブーになりました。

軍国化教育の問題点は、明治維新の後、欧米列強の植民地政策の圧力の中で、日本は生き残るために富国強兵をしなければならず、その結果、無理やり中央集権国家として近代化されていくなかで、国民の教育の価値観の幅が狭まり、さらに日清、日露戦争での奇跡的な勝利のもと、その方向性に異を唱える者が少なくなり、国全体が軍国化していったのでした。

多様化された価値観の中でこそ「名誉」は教育のモチベーションになるのです。(「名誉」ということが今では死語ならば「誇りに思うこと」でいいです。)なぜなら統一された価値観のなかで、「名誉=誇りに思うこと」を得られるのは、一握りのエリートだけだからです。あとの9割は「落ちこぼれ」になってしまうのです。今の日本の教育がそれです。

だからこそ、今、江戸時代の教育を見直す時なのではないでしょうか。もちろん「武士」の「名誉=誇りに思うこと」はあります。しかし農民にも「名誉=誇りに思うこと」がありました。二宮尊徳や安藤昌益の書物にはそれがあふれています。商人の「名誉=誇りに思うこと」もありました。石田梅岩がその哲学を書きました。大工や絵師など職人の「名誉=誇りに思うこと」もありました。左甚五郎や葛飾北斎の作品にその「名誉=誇りに思うこと」が残っています。もちろん各地方にもさまざまな「名誉=誇りに思うこと」が残っていました。熊本の肥後もっこす、薩摩のぼっけもん、高知のいごっそう、青森の津軽じょっぱりなどなど。

武士の「誇り」と中央集権の強化、価値観の統一が戦前の軍国主義化を生んだのだから、その反対をすればよいと思います。様々な職業の「誇り」を見つけ、地方のよさを見つけ、価値観の多様化する教育を目指すべきではないでしょうか。

もはや日本は戦争という選択肢を捨てたので、中央集権を強化し、国力をあげて、国を守る時代ではありません。インターネットが普及した今日、価値観の多様化は急速に進んでいます。しかし教育現場では、価値観の多様化は進んでいません。

教育現場で、社会とのつながりを意識して教育すれば、自然と価値観は多様化すると思います。社会には様々な仕事があり、その仕事がいかに世の中に役立っており、そしてこの国はその長い歴史のなかでどのように作られてきて、そのなかで自分たちはどのような土地に生まれ、住んでいるのか。地方の歴史や文化の良さとあいまって指導すれば、江戸時代の教育の良さをよみがえらせることができます。

過去に戻ることはできません。今の進歩した教育現場に、失われた過去の価値観の多様性を戻すことで、現場で日々努力されている先生方の教育が、さらに実りあるものになると思います。

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2008年06月21日 06:27に投稿されたエントリーのページです。

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