« 生成AI時代の歩き方 終戦記念日 | メイン | 今日本が国家として向かうべき方向性とそれを実現させるための教育とは »

生成AIの歩きかた。失われし時をもとめて

今年、6月に私は64歳になりました。来年からは年金も受け取る年齢です。
このブログを書き始めたのは2007年、47歳の時でした。それから早17年経ちました。
このメディア・ファイブを立ち上げたのは、1993年、33歳の時、早31年が経ちました。

これまでの人生を振り返ると、あっという間と感じると同時に、本当に長い道のりを歩んできたものだとも感じます。

私が生まれたのは1960年(1世代)、ちょうど日本が敗戦の焼け野原から15年がたち、ほとんど復興は完了していました。戦争の傷跡は、上野のデパートに行ったときに見た傷痍軍人がアコーディオンを弾いていた姿や、小学校への通学路に残る空襲の名残の教会の土台を通して記憶に刻まれています。

私が生まれる64年前の1896年(2世代) には日清戦争が終わり、その8年後には日露戦争が起きていました。日清日露戦争は、清、ロシアという大国を相手に国家存亡をかけた戦いであったのにも関わらず、勝利したので、それが日本国民に、戦争をすれば必ず勝ち、国際問題を解決できる、という誤った雰囲気を作り、40年後の米国への無条件降伏へとつながりました。

そして、その64年前の1832年(3世代)はその翌年から天保の大飢饉が起きました。その二年後大塩平八郎の乱が起きます。これを前後にゴロウニン事件、高田屋嘉平がロシアにつかまり、シーボルト事件、黒船来航と、江戸幕府が弱体化し、欧米列強の植民地政策に巻き込まれていきます。このころが江戸時代の終焉の始まりではないでしょうか。
世界では、フランスでは1830年に7月革命が起き、1848年の2月革命でナポレオンが登場します。

その64年前は1768年(4世代) 。その4年後には明暦の大火がありました。
江戸幕府はこの明暦の大火から、火事に備えて、材木の備蓄と、水道設備の拡充、延焼を防ぐために道路の拡張と長屋などをすぐに壊せるように、対策を整えました。

世界ではこの7年後にイギリスの植民地だったアメリカが独立戦争を始めました。イギリスで産業革命が起こり始めたのもこのころです。

その64年前は1704年(5世代) 。忠臣蔵はその2年前から前年にかけておきました。この元禄のころ、江戸は世界でも第2位の経済都市になっていました。
世界ではまずイギリスで名誉革命がおこり、権利の章典が発布され、スコットランドを併合して大ブリテン王国が成立し、プロイセン王国も成立し、1701年からスペイン継承戦争が14年まで続きました。ヴェルサイユ宮殿が完成したのもこのころです。

その64年前は1640年(6世代) 。その3年前に島原の乱がおこり、2年後に寛永の大飢饉が起きました。
世界では、1640年に明が滅亡し、1642年よりイギリスで清教徒革命が起きました。

その64年前は1576年(7世代) 。織田信長が安土城を築城しました。
世界では1571年フェリペ2世がレパントの海戦でオスマン帝国に勝利し、アルマダの海戦でイギリスに敗れました。

その64年前は1512年(8世代) 。このころは北条早雲が活躍したころです。
世界ではミケランジェロによるシスティーナ礼拝堂の天井画が公開されました。

その64年前は1448年(9世代) 。その7年前に嘉吉の乱で、足利義教が暗殺されました。
世界ではジャック・ケイト、ヘンリー6世に反乱を起こす。その7年後、ヨーク公リチャードが反乱を起こし、ばら戦争が起きました。

その64年前は1384年(10世代) 。その8年後に南北朝統一。
世界では1337年よりフランスとイギリスで100年戦争を継続中。

その64年前は1320年(11世代) 。後醍醐天皇の最初の即位。
その二年前、文保の和談で、後深草天皇(持明院統)と亀山天皇(大覚寺統)は交互に次の天皇を出すことが決まった。この年北畠顕家が生まれました。
イタリアではダンテの神曲、ジオットの登場などルネサンス文化が始まり、1337年にイギリスとフランスで百年戦争が起こりました。
世界では、このころペストが大流行しました。(1330年ころから)
1333年、鎌倉幕府は滅亡し、建武の新政が後醍醐天皇により打ち立てられました。

その64年前は1256年。(12世代) 日本では日蓮がその3年前に日蓮宗を開き、4年後に立正安国論を書き、1271年に佐渡に流されました。佐渡に流されるとき、近くの中山道を通り、いまでも中山道沿いで画廊や美術学校をやっている青山さんの先祖の難産を救った逸話が残されています。その時の欅がいまでも残っており、日蓮駒つなぎの欅という碑が立っています。
その3年後、日蓮の予想どおり元寇が起こりました。
1259年は、後深草天皇が、弟の亀山天皇へ譲位し。この後の後継問題で、南北朝の元となることが起きます。
1293年、北畠親房は誕生しました。

その64年前は、1192年。(13世代) 日本ではいい国作ろう鎌倉幕府で、源頼朝が征夷大将軍になった年です。イギリスではリチャード一世がイスラムと休戦協定を結び、第三回十字軍の遠征を止めた年です。

その64年前は1128年(14世代) 、平忠盛が殿上人となり、平家の隆盛、武士の台頭の元を作ったのがこの頃です。

その64年前は1064年。(15世代) その11年前は藤原頼通が宇治平等院鳳凰堂を建てました。2年前は源頼義が前九年の役で安倍貞任を破りました。

その64年前は1000年(16世代) 、藤原道長の娘彰子が一条天皇の中宮となり、1年後に枕草子、7年後に源氏物語が世に出ました。

その64年前は936年(17世代) 、平将門、藤原純友の乱となる承平天慶の乱が起き、世の中が騒然となります。946年に村上天皇が即位し、897年に即位した醍醐天皇とともに、最も天皇制の栄えた時期でした。

歴史の中で、どの時代もそれぞれの人々が懸命に生きて、人生を全うしていったのだと実感します。中世から近世にかけて、戦争の時代がほとんどであり、江戸時代と現代の日本だけが極めて特異に平和だったということがわかります。

還暦を過ぎるあたりから、人は自分の人生を意識し始めるものです。誰もが「こんなに長く生きてきたけれど、短いようにも感じる」と思うものです。

伊達政宗の詩に、「馬上少年過 世平白髪多 残躯天所許 不楽復如何」という言葉があります。これは、「若い頃は馬に乗って戦場を駆け巡っていたが、今は平和な時代に白髪も増えた。神が私を生き残らせてくれたのだから、残りの人生を楽しむべきだ」という意味です。

私も同じ気持ちを抱いています。知的な世界に憧れて15歳であまりできは良くはありませんでしたが、学問を志し、大学では法哲学や政治、教育を学びました。その後、日本有数のゲーム会社でビジネスの奇跡を学び、シンクタンクで苦労しながらナレッジの研究とお客様の会社の新規事業のサポートをおこない、会社を興した後は、壮絶な人間関係や金銭の苦労に直面しながら半世紀が過ぎました。会社も設立31年になり、白髪も増え、AI技術に深く関わる人生を送っています。

人類の歴史の中で、ナレッジの産業革命がこの時期に起こるとは思ってもみませんでした。神様が私をここまで生かしてくれたのなら、今を楽しまなければどうするのでしょうか?その心境で、私はこれからの時間を大切に、楽しみながら過ごしていきたいと思います。


マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」(原題:À la recherche du temps perdu)というのがあります。

20世紀初頭に執筆された大作で、全7巻から成る小説です。この作品は、時間、記憶、愛、社会的階級などのテーマを探求しており、特に「記憶の働き」という点に強い焦点が当てられています。

物語は、主人公である「私」が過去を振り返り、失われた時間を取り戻そうとするところから始まります。彼の回想は、具体的な出来事や人々、感情に根ざしており、特に香りや味が記憶を呼び起こす瞬間を象徴的に描いています。このエピソードは、作品全体のテーマである記憶の作用を示唆しています。

プルーストは、非常に精緻な文体と長い文を特徴としており、読者に深い心理描写や時代の雰囲気を感じさせる作品を提供します。また、彼は社交界やアートに関する観察を通じて、当時のフランス社会を鋭く描写しています。

私がプルーストに興味をもったのは、まさに15歳の高校受験のとき、小林秀雄の「秋」という文章の断片を、高校受験の模擬試験かなにかで出会い、考えるヒントという文庫本を買って読んだ時でした。

「失われし時を求めて」は古本屋で買っては見たものの、いまだに完読しておりません。Kindleで断片的に読むぐらいです。

ただ、64年生きると、人生だけでなく、歴史すらも実感としてわいてくる、という感覚を持ちました。

しかし、時の経つ感覚は益々早くなります。ひとつ前のブログ、つい2,3か月前に書いた感覚でしたが、ちょうど1年が経っていました。終戦のことを書いたので、2,3か月前のわけはないのですが。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.media-5.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/400