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もし、大地震が来たら

9月1日は防災の日です。

最近、地震が多いですよね。

私は、まぐまぐで「週刊MEGA地震予測」というメルマガに入っています。
土木の測量学の専門家の東大村井名誉教授は、全国の国土地理院の電子基準点という観測器より地形の起伏を計測して、今、南関東が最高レベルで非常に危ないそうです。

週刊ポストではしばしばあげられましたが、ほとんどのマスコミの報道されていません。

メルマガでは、言っていませんが、M8ぐらいの断層があるそうです。


近々大きな地震は数十年の誤差で起こるでしょう。

まあ数十年では,我々は備え続けようはないのですが・・・・

数十年後ろに起こってくれることを祈るばかりです。

実際南関東で起こったとき、対策はまったくお手上げ、というのが現状のようです。


しかし、歴史的には日本は、何度も大地震を乗り越えてきました。

今年は熊本大震災
2011年には、東日本大震災。
福島原発事故が重なり、長期不況に加え、
2004年は中越地震。
1995年は阪神大震災。
バブル崩壊後でもあり、西日本を中心に大きく経済に影響する。
特に神戸港の貿易は八割上海に移行したと言われています。

東日本大震災の爪痕も、阪神大震災の爪痕も一か月のちに行きましたが、それは言語を絶する世界でした。異臭のすごさと、大勢の人が一瞬になくなって、何が起こったかわからないさまよえる魂の悲しみが夏でもひんやり伝わってきました。

1993年 釧路沖地震。
1948年 福井地震。
1946年 南海地震。
1945年 三河地震。
1933年 昭和三陸地震。
1923年には関東大震災。
首都東京の壊滅的被害は、震災手形が世界恐慌に重くのしかかり、中国や満州に活路を見つけることで、太平洋戦争へとつながりました。

1896年 明治三陸地震。
1891年 濃尾地震。(名古屋)
1847年善光寺地震。(長野)
1825年には安政の大地震。
安政の地震は幕府の財政難をさらに逼迫させ、倒幕の遠因になります。

1792年 普賢岳大噴火 島原大変肥後迷惑 (九州)
1771年 八重山地震 (沖縄、宮古島地域)
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(八重山地震で打ち上げられた岩)

この地震で全島津波で水をかぶった島にはハブがいない、という言い伝えがあります。
たとえば沖縄本島、石垣島にはハブはいるけど、宮古島にはいない、というように
(山のない宮古・八重山両列島で死者・行方不明者約12,000人・家屋流失2,000戸以上という惨事)

1751年 高田地震(新潟)
1708年宝永地震(東南海地震)
この地震のあと、没落の一途をたどった幕府の財政は、行き詰まり、1716年に、紀州藩から吉宗が将軍に就任し、幕府の財政を立て直します。それは、まず全国に寺子屋を普及させ、農民に文字を覚えさせ、二毛作を奨励し、米にのみ年貢をかけ、新しい開墾や野菜などの作物には年貢をかけず、その結果開墾を飛躍的に広げたのです。その結果、主産業の農業は格段と生産性が上がりました。

1703年元禄地震
今まで潤沢にあった徳川幕府の財政はこの地震のあと、没落の一途をたどります。

1677年 延宝房総沖地震
1666年越後高田地震
1662年 寛文近江若狭地震
1611年 慶長三陸大地震
1611年 会津地震
1605年 慶長大地震
徳川は、地震の復興を各藩に命じ、関ヶ原以降、豊臣家と外様には大きな負担を強いたようです。その結果、大阪の陣で豊臣が滅びた後は、力の落ちた外様大名を次々と改易していきました。まさに徳川は地震も利用して天下統一を図ったと言えるかもしれません。

1596年慶長伊予分後伏見地震
1586年 天正地震
天正地震は豊臣秀吉が、家康への戦意を喪失し、和解に導いたとも言われています。

1498年明応地震
明応地震は南海大地震で、足利義政時代の応仁の乱で疲弊し、財政もいよいよ厳しい中で、この大地震が起き、これ以降、室町幕府は 中央政府としては完全機能しなくなり、戦国時代へと突入するのです。

1361年正平地震
1360年 紀伊摂津地震
この大地震は南朝方の紀伊半島を中心に起きた地震ではあるが、いよいよ混迷を深め、しかし足利義満が1392年、南北朝統一につなげる遠因になったのではないでしょうか。

1293年 鎌倉大地震
死者2万人にものぼる当時の被害は壊滅的だったようです。この地震のどさくさに紛れて、北条貞時は、時の権力者平頼綱一族を滅ぼしました。ただ1274年、81年と2度に渡る元寇での戦費の支出や、地震での損失は、鎌倉幕府倒壊の遠因になったようです。

明治維新もそうですが、外敵による脅威が増すと、中央集権が望まれ、平和や繁栄が続くと、分権化が望まれます。後醍醐天皇の悲劇は、元が衰退し、建武新政のときにはドコンテルムが皇帝になり、(1333年)あとは有名な韓国ドラマ「奇皇后」でもあるように、愚皇帝の下で、元は衰退の一途をたどります。
ちょっと余談ですが。

1099年2月16日(2月22日)(承徳3年1月24日) 康和地震(承徳地震、南海地震) - M 8〜8.5、興福寺、天王寺に被害。死者は不明。地殻変動により土佐で田畑海没。津波被害は不明。(ウイキペディア引用)

1096年12月11日(12月17日)(嘉保3年11月24日) 永長地震(嘉保地震、東海・東南海地震) - M 8〜8.5、死者1万人以上と推定。東大寺の鐘が落下、伊勢・駿河で津波による大きな被害など。(ウイキペディア引用)

1026年6月10日(6月16日)(万寿3年5月23日) 万寿地震 - 石見国(島根県益田市)の日本海沖で巨大な地震津波が発生し、沿岸の各村落に襲来して未曾有の被害をもたらしたとの口碑がある。M 7.5〜7.8、死者1,000人以上と推定。(ウイキペディア引用)

887年8月22日(8月26日)(仁和3年7月30日) 仁和地震(南海トラフ連動型地震説あり) - M 8〜8.5、五畿七道諸国大震、京都・摂津を中心に死者多数。津波あり(『日本三代実録』)。南海地震の記録だが地質調査によればほぼ同時期に東南海・東海地震も発生。津波堆積物からM 9クラス。(ウイキペディア引用)

869年
7月9日(7月13日)(貞観11年5月26日夜) 貞観地震 - M 8.3〜8.6(Mw >8.7)、陸奥国地大震動、地震に伴う津波(貞観津波)の被害が甚大で死者約1,000人(『日本三代実録』)。多賀城損壊。津波堆積物調査から震源域が岩手県沖〜福島県沖、または茨城県沖の連動型超巨大地震の可能性も指摘される[注 6]。東北地方太平洋側で繰り返し発生していると推定されるM 9クラスの地震の候補とされる。(ウイキペディア引用)

869年の東北地震である貞観地震、それから16年後の南海トラフ地震は朝廷の財政に深刻な影響を及ぼしたことは明らかです。当時、徐々に氾濫も多くなり、935年醍醐天皇の時下、平将門の乱、936年藤原純友の乱が起きましたが、歴史上最も賢帝のひとりといわれている醍醐天皇、賢臣といわれている藤原基経、菅原道真のもとで、うまく政治をリードしました。しかしその後、安倍貞任の乱などが起き、寺どうしの争いや、強訴などが頻発し、白河天皇兄弟である後白河天皇と崇徳上皇が争いだし、保元平治の乱を経て、平清盛が実権をにぎりなど、武士の時代になりました。

以上
見てきたように、大地震は大きくその時代の態勢に影響します。言えることは、優秀なトップの時は、その地震を利用します。例えば貞観時代の藤原基経、室町時代の足利義満、江戸時代の徳川家康、秀忠、家光、吉宗。

逆にリーダー不在、もしくは能力が低い場合の時は、治安、経済が悪化し、体制が変わる要因となります。

足利義政と日野富子の時代、豊臣秀吉が死亡する前年、秀吉なき豊臣の時勢、安政の時代、そして関東大震災後の日本。

最近では社会党政権の時の阪神淡路大震災。東日本大震災の時の民主党政権。

しっかりとしたビジョンと準備があれば、たとえ天変地異の大地震でも、ピンチを良い方向に変えられるのです。

地震は必ず忘れた頃にやってきます。

とにかく備えあれば、憂いなしです。

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2016年08月19日 20:52に投稿されたエントリーのページです。

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