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鎌倉薪能

先日、初めて鎌倉薪能に行きました。

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私は小さい頃から三島由紀夫、川端康成、小林秀雄、立原正秋という作家が好きで、その影響でしょうか、中学生の頃から能に惹かれていました。

立原正秋は大学生のころ、根津甚八主演の[恋人たち]というドラマが面白かったのをきっかけに読むようになりました。彼の小説はとても屈折した大衆小説ですが、何度も映画にもなり、しかもその根底には三島、川端、小林秀雄の文学が流れていました。

三島、小林はあまりに天才すぎて現実との接点が難しいのですが、川端は独自の世界観は具象的であり、立原の小説は、現実にはいないけれど、一種魅力的な男女の悲劇的な恋物語として気軽に読めます。

鎌倉薪能は私が生まれる前年から始まりました。立原正秋の出世作がこの薪能を題材にした[薪能]という小説です。立原はちょくちょくこの薪能を題材に評論や小説にあげています。

舞台は鎌倉宮です。鎌倉宮は明治2年に明治天皇の指示で、南北朝時代、後醍醐天皇の息子である護良親王が、殺害されたこの地に神社を建てたのでした。

護良親王は南北朝時代、鎌倉幕府を倒し、建武の新政第一の功労者でありましたが、武士の代表である足利尊氏と対立して、自分の息子を皇太子にしたい阿野廉子の讒言などから、後醍醐天皇自ら我が子である護良親王を足利尊氏に引き渡してしまったのです。

そして1335年中先代の乱が起こると、足利直義によって鎌倉宮の奥にある石牢で殺害されました。

護良親王の妹である用堂尼が、東慶寺に入り、護良親王を弔いました。鎌倉宮や、その隣にある護良親王陵は東慶寺が管理しているそうです。

その554年後、明治維新に、なぜか北朝系であるはずの明治天皇が南朝の建武の新政で活躍した人たちを次々に祭り官幣大社にし、全国で15の南朝関係の神社が明治に誕生しました。さらになぜかその一番目が鎌倉宮でした。

そのうち3つ(阿倍野神社、霊山神社、北畠神社)は北畠顕家を祀っています。

間接的にとはいえ、父である後醍醐天皇が、護良親王を足利尊氏に渡してしまったことが彼の死に繋がります。思えば、護良親王は、どれほど悔しい思いで死んだことでしょう。
もし彼が生きていたら、建武の親政はこんなにも早く崩壊することはなかったはずです。
そして、武士の世はこなかったかもしれません。イギリスのように貴族が武装する時代が続いたかもしれません。


鎌倉駅を降りるとポツポツ雨が降り始め、ちょうど30分歩いて宮に着く頃は本降りになってきました。

入り口でポンチョを借りると、益々降る雨の中、開演となり、市長の挨拶のあと、神主が祝詞を唱え、山伏の法螺貝の音とともに始まりました。

最初は謡から始まり、狂言に移り、いよいよメインイベント、能の演目は恋重荷です。時は平安中期、もっとも皇室が権勢を誇った白河法皇の時世、御所の庭の菊を手入れする庭師の翁がいました。この翁は白河法皇の寵のある女御に恋をしたのです。

それを知った女御は、池の周りを思い荷物を何周も回れば、その間、翁に姿を見せようと、お付きの家人から伝えさせたのでした。

張り切った翁はその用意された重荷を動かそうと張り切ったのですが、全く動きませんでした。翁は悲嘆してその場で死んでしまいました。

これは世阿弥の作品なのですが、こういう翁の恋をからかって騙すという演目で綾の鼓というのもあります。これも同じように女御に恋した掃除の翁に渡したつつみで見事な音を出したら恋を成就させてやろう、とならないつつみを渡して、鳴らなかったので悲嘆にくれた翁が池に飛び込むという話です。

世阿弥はなぜこんな屈折した演目を二つも作ったのだろうか。世阿弥の父親観阿弥は楠木正成の妹の子供だそうです。能が南朝の諜報活動の一端を担いながら、室町幕府の庇護の元で発展した複雑な動きをします。

観阿弥の突然死も、世阿弥の佐渡への島流しも、世阿弥の息子元雅の突然死もその関係に起因するのでしょう。

薪能の舞台はまさに佳境にはいります。
翁の騙された怒りは、亡霊となって女御の前に現れます。鎌倉宮のこの舞台で、美しい女御とコントラストな翁の亡霊。私はその亡霊に釘づけになりました。それは、まさに翁に鎌倉宮の祭神、護良親王が降臨したようでした。

翁は怒りを女御にぶつけます。しかし最後は女御を許し、守り神になるぞ、と言い残して消えていきます。

なんともストーリー的には、変なストーリーです。しかし、この物語に世阿弥はなにか隠すものがあったのでしょう。

とても感動的な一夜でした。

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2015年10月12日 11:53に投稿されたエントリーのページです。

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