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霊山神社

5月6日、ゴールデンウイークの最終日、日帰りで福島の霊山神社へお参りに行ってきました。東北大震災の前年、家族で、福島の第1原発にほど近い、楢葉町にある天神岬に家族でキャンプをした帰りに、霊山神社の春の大祭に行って以来です。3年ぶりのお参りです。

P1010086.JPG(霊山神社春の大祭 数年前の画像)
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霊山神社は南北朝時代の1333年11月に、北畠顕家卿が鎮守府将軍として多賀城に赴任し、1336年足利尊氏の謀反のあと、討伐のための遠征隊を終え、その後北朝が盛り返し、関東、京都での攻撃態勢の拠点として霊山という絶壁の山頂を拠点としたのです。

霊山神社は霊山から5キロ離れ、明治維新に明治天皇の指示で作られた神社で、別格官幣社という国家直轄の神社として創立しました。ただ、もともとは顕家卿の支城で、江戸時代、白河藩主松平定信によってこの地を祭っていたそうです。

今、八重の桜で、西田敏行演じる西郷頼母が宮司様になったことでも有名です。

ご祈祷をいただく前に足立宮司様に様々貴重なお話をいただきました。足立宮司様は福島神社庁の責任者をお勤めになっていて、震災ではそれはそれは大変ご苦労されました。宮司様は国際政治にも明るく、大変有意義なお話をお聞きできました。宮司様の背後に顕家卿の御影が飾られており、経営に悩み、迷っている自分に、宮司様のお声を通して、顕家卿が、自分に語り掛けて頂いているようでもありました。

その中で、最も心に残ったのは、経営において、鳥の目、魚の目、そして虫の目が大切というお言葉でした。遠く空から俯瞰するような鳥の目をもって、物事を眺め、魚の目をもって世の中の潮の流れを感じ取り、虫の目をもって目先の経営も大切にする。

まさに、今の自分に本当にしみいるお言葉でした。また、目まぐるしく激変する経営環境に、必至に方向転換にもがく自分に、まさに必要なお言葉でした。

そのあと、本殿にてご祈祷をいただき、それはそれは、ものすごく強い霊力いただいた感じを受けました。

自分のような才なく器なく、薄学非才の輩でも、ご先祖様に多少なりとも許容していただけたような気になりました。

以前のブログで書きましたが、当社の誕生は様々な偶然が重なっています。
http://blog.media-5.jp/kitabatake/cat27/ (歴史 南北朝 参照 →)
会社起こして20年。ただ、自分はご先祖様の小間使いとして、その指示のもと、少しでも日本の教育に貢献できれば、と思いつつ、いまだその指示を達成できていません。

もうすぐ5月22日(新暦で6月10日)は顕家卿の命日です。父親房卿の思いを一心に背負い、20歳の尊命を、1338年のその日、堺の石津川で散らしてしまいました。

厳しい経営環境のなかとはいえ、たかがちっちゃい会社を切り盛りするのに四苦八苦し、すでに52の齢をいたずらに重ねている自分は、とても非力で情けなく感じます。

ご祈祷が終わり、こんな立派な宮司様の後を、お継ぎになる方がいらっしゃるのだろうか、とふと思い、失礼を顧みず、そのことを尋ねると、じつは、後を託すはずのご子息は4年前、交通事故で他界されたそうです。

大正期、八甲田山の陸軍の雪中行軍の遭難碑慰霊祭にご祈祷のために出かけて、高速道路での事故だったそうです。27歳のお若さでのことだったそうです。

ちょっと、その時、僕が困った表情をしたのでしょう。でも宮司様はにっこり笑って、あの震災はとても大変でつらかったけど、諸事に忙殺されることで、息子への悲しみを忘れることができたのです、と涙を浮かべておっしゃいました。

そのとき、僕は親房卿の短歌が思い浮かびました。

「さきだてし、こころもよしな中々に 浮世のことも思い忘れて」
(息子に先立だれたのも、悪いものではない。あまりに酷い世の中を一瞬でも忘れることができるから)

僕は、顕家卿を失った親房卿の思いを真近でみてしまった気がしました。

どんなにつらくても、今の自分のつらさなんて本当にちっぽけなものだ。自分は自分に課せられた使命を、可能な限り、全うしなければいけないんだ、という決意を秘めて、帰路につきました。

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