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いつの時代もこの世は修羅

私自身、当社のSNSサイトネクレボでお客様とコミュニケーションをとらせていただき、とても楽しいひとときをいただき、勉強にもなっています。今、私の中で、数少ない癒しや楽しみの一つにさせていただいております。みなさんありがとうございます。

その中で、メッセージを交換させていただいているある方から、「神」にまつわる私のお勧めの映画は、というお尋ねがあり、私は、あまり映画には詳しくはないのですが、「親鸞 白い道」をあげました。

あまり面白い映画とは言えないのですが、この主人公の俳優は本当にお坊さんになってしまいました。この映画の見所はこの時代、簡単に人は病気で死ぬし、殺されるし、食べ物はないし、生きるだけでも大変なシーンばかりです。

いつの時代も庶民は食うや食わず、というのが日常だったのではないでしょうか。本当に餓死者が出なくなったのは、戦後の最近だけでしょう。

しかし、今の豊かさは間違いなく、戦後の成長期の貯金です。今からお金を稼ぐには、やはり至難の業です。戦後は大企業がイノベーションにより、世界に通用する商品をつくり、それを日本の中小企業のしたうけが支え、先進国をめざし、上下水道や高速道路、鉄道などのインフラを整備し、日本中が総中流として内需が潤っていたのです。

これほど住みやすく、便利な国はなかなかありません。世界一といっていいと思います。

しかし、今や成熟国家となった日本に残された道は知価社会の到来のみです。
もう多くの中小企業が存立できる基盤はないのです。みな外国へ行ってしまいました。
残された国民は、みなが専門家となり、個人のネットワークを中心にビジネスを展開していくしかありません。

そしてお金を稼ぐには、それはそれは並大抵ではありません。でも悲嘆にくれることはありません。昔の人はもっと劣悪な環境のなかで生き抜いてきたのです。

私は今、ITを活用して、みんなが希望をもって、楽しく仕事をして生きていける仕組みを作ろうとしています。無謀かもしれません。

でも、みなさんにネクレボに参加していただき、ネクレボを通してその願いがかなうのでは、という希望が少しずつ見え始めました。

是非、みなさんのご意見をお聞きしたいと存じます。

いま、英国で、サッチャーの国民葬における、批判のデモが起きています。
サッチャーが英国の貧富の差を作った、という批判です。

日本はいつの時代もあまり貧富の差はありませんでした。
それは貧富の差がいつの時代も政権を安定させないのでしょう。
どうも日本は庶民のパワーが強いのです。

だから、日本では、必ずスキルの時代、資格の時代は到来します。
庶民のスキルこそが、内需を創造し、庶民の生活を支えるはずです。
私はそう信じます。

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2013年04月14日 12:28に投稿されたエントリーのページです。

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