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小林秀雄「本居宣長」

これは実に難解な本です。もう一人の大評論家の福田恒存でも2週間かけて読破した、といいます。僕は高校時代から小林秀雄全集を読み始め、いまでは様々な種類の全集を4種類持っています。何の自慢にもなりませんが・・。その中で一番難解だと思いました。

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本居宣長

だからこの本をすぐ読むことをお勧めするわけではありません。どうしても読みたい方は、源氏物語と万葉集と古事記と本居宣長の現代翻訳版、小林秀雄が本居宣長について語っている対談、講演CDをを読破、ないしお聞きしてから読まれることをお勧めします。

お伝えしたかったのは、この「本居宣長」の冒頭に宣長の遺書について紹介されていることです。宣長が葬儀の仕方、墓の建て方を事細かに記述しているのです。いまはやりのエンディングノートです。

この評論はまさにエンディングノートで始まり、エンディングノートで終わります。これは小林秀雄のいわゆるエンディングノートでもあるのです。小林秀雄の思想の帰結が本居宣長であり、かれこそが日本の未来の希望の光と考えたのだと思います。

どういうことか、端的にいうと
「日本人の葬式がどんどんチープなものになることへの危機感。」すなわち日本人が死を直視しなくなることこそ、日本人が、日本の文化が滅びにつながるということです。

人に転生が本当にあるかどうかはわかりません。しかし、生物はすべて生物誕生から脈々と進化して遺伝子情報は受け継がれていきます。

先祖の「想い」の記憶も受け継がれていく、という考えは不自然ではありません。その「想い」こそが宣長のいう「もののあわれ」ではないでしょうか?

だから宣長は、古事記から始まる日本の歴史を学び、かたや古人の残している数多くの短歌を学ぶことで、先祖の想いすなわち「もののあわれ」を学ぶことにつながり、現代をよりよく生かすための最上の学問と説いているのです。

そして20世紀最高の思想家(私はそう思っています)小林秀雄は本居宣長の言葉を借りて、自分のエンディングノートにしたのです。

小林秀雄はプラトンがギリシャ神話を実際おきた事実と受け止めていることを例に出し、宣長が古事記を事実として受け止めることこそ重要だ、と主張します。

また文章には残していませんが、講演では、「霊魂は存在するかって?存在するに決まってるじゃないか!」と強い口調で話しています。

戦前は、あまりに科学的な視点を無視したことが戦争につながりました。しかし現代の日本ではあまりに死とか、死後とか、神や宗教という世界を蔑ろにしているのではないでしょうか?

葬儀ビジネスでトラブルが多いのは、いざ身内の死に直面するまで、ほとんどの人がその準備を避けることに帰結するのだと思います。本来は、宣長のように自分の死をきちんと考え、その準備をするべきでしょう。

真逆な方法で、強烈なエンディングノートを残した、対照的な作家がいます。それはやはり20世紀最高の作家、三島由紀夫です。1970年11月25日、市ヶ谷駐屯地で自衛隊にクーデターを呼びかけ、そのまま切腹しました。

三島由紀夫の切腹は戦前の2.26事件につながり、明治維新へとつながります。遺作となった豊饒の海四部作は明治維新の香りを残しながら大正から昭和、そして1970年代へとつながります。

三島事件は、僕はちょうど小学4年生でしたが、たぶんスポーツ新聞だったと思いますが、首と胴体が分断された三島の暗い写真をいまでも覚えています。三島にとっても2.26事件は小学校4.5年くらいの時だと思います。

三島由紀夫はより大衆にわかりやすい方法でエンディングノートを残し、小林秀雄は大衆にはわかりにくい方法でエンディングノートを残したのです。

小林秀雄と三島由紀夫のスタンスの違いは、小林秀雄の本居宣長補記Ⅱに出てきます。
小林は宣長の「うひ山ぶみ」を引用し、「学者はただ、道を尋ねて明らめしるをこそ、つとめとすべけれ、私に道をおこなうべきものにはあらず」と言わしめました。

小林秀雄は言います。苦労して、時間かけて学ばなければ身にならないんだ、と。
三島由紀夫はより直接的に行動し、わかりやすく大衆に訴えたために、誤解と謎を社会に残しました。

いずれにしろ、だれでも「転生」(霊的な意味に限らず)を信じてエンディングノートを残すべきではないでしょうか。

そうそういまから10数年前、あまり詳しい話はできませんが、池袋のキャバクラで、おばあちゃんが、小林秀雄とつきあってた、というキャバ嬢がいました。おばあちゃんは時々その女の子に小林秀雄のことを話したそうですが、それは、それは、色男だったそうです。

あなたもエンディングノートを残さないと、50年後にただの色男、としてしかひ孫さんに伝わらないかもしれませんよ・・・。

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2013年02月11日 19:03に投稿されたエントリーのページです。

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