私は中学時代から好きな詩がありました。
高村光太郎の「さびしきみち」です。
かぎりなくさびしけれども
われは
すぎこしみちをすてて
まことにこよなきちからのみちをすてて
いまだしらざるつちをふみ
かなしくもすすむなり
・・・・・・・そはわがこころのおきてにして
またわがこころのよろこびのいずみなれば
わがめにみゆるものみなくしくして
わがてにふるるものみなたえがたくいたし
されどきのうはあぢきなくもすがたをかくし
かつてありしわれはいつしかにきえさりたり
くしくしてあやしけれども
またいたくしてなやましけれども
わがこころにうつるもの
いまはこのほかになければ
これこそはわがあたらしきちからならめ
かぎりなくさびしけれども
われはただひたすらにこれをおもう
私は中学生のとき、この詩を知ってから今に至るまで、毎日のように心の中で念仏のようにとなえています。