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玄象

先週、国立能楽堂で玄象を見た。玄象とは弦上とも書き、弦の神様という意味です。

ここへきたのは10年ぶりで、懐かしい思いがこみ上げてきました。

若和布というなまめかしい狂言のあとに、その能は始まった。

太政大臣藤原師長は琵琶の名手で、日本国内には自分以上の名手がいない、と思い、ひそかに唐土(中国)に渡ろうとした。須磨の浦まで来ると、日も暮れて、塩屋の主に一夜の宿を頼んだ。主は恐縮しながら師長を家へ入れると、主と姥は、師長に琵琶を一曲頼んだ。

琵琶を弾いていると、浜風の音や小屋の屋根板に打ちつける雨の音が琵琶の音に合わず、師長は弾くのを止めてしまった。姥は苫をとりだすと、板屋に葺き、雨の音を琵琶の音に合わせてしまった。

師長が、そなたたちはただものではないとお見受けした、是非とも琵琶をお聞かせ願いたい、と言うと、主は琵琶を、姥は琴を奏で、あまりのすばらしさに、師長は驚いた。

「自分がこの国で一番の琵琶の名手と思っていたが大変な思い上がりだった」。師長がそうつぶやいてその場を立ち去ろうとすると、姥は師長の袖を引き、とどめようとした。

師長が、そなたたちは何者なのですか、と尋ねると、主は「玄象の主、村上天皇とは私のことだ。この姥は梨壷の女御である。そなたが唐土へ渡るのを止めに参った」と告げてしばらく消え、村上天皇在りし日の姿となって再び現れた。

そして師長に三面の琵琶を渡すと、それを師長に奏でさせた。天皇も合わせて奏でると、竜神が現れて激しく舞った。その竜神につられ天皇も舞った。

その天皇の舞いは、観世宗家である清和氏が舞いました。宗家の舞はいつも神々しく美しい。白い貴人の衣装を身にまとい、上品な面をつけ、その舞は本当に神のようだった。

能であるから、能管と大鼓、小鼓、太鼓だけで演奏をしているのだけれども、頭の中で藁葺きの板間に打ち付ける雨音をBGMに激しく琵琶の音が鳴っていた。村上天皇はその琵琶のなかで、徐々に舞の激しさを増していった。

現代劇だったならば、そこに琵琶と雨の音の効果音がことさら大きく入ると思います。しかし能ではその音を観客に想像させることで、単純なものから最大限、その存在感を引き出させます。つまり「秘めたるは花なり」、これこそ能の醍醐味でしょう。

しかし私は、いつも観世流宗家の舞を見る日は、偶然にも嫌なことが起こります。不思議とこの大きな感動を、毎回のように、暗澹たる気持ちの中で味わっている。きわめて美しい女性と付き合うと運が悪くなる、といわれますが、それに近いのかもしれない。いまでは自分は美と心中する気概はないので、大人になってからは、そういうものを避けてきました。こういうことが、こう何度も続くと、宗家の舞を見ることが、少し恐ろしくなりました。これからは心して見なければなりません。

そのようなことを考えていると、私は高校時代を思い出しました。女性にはおくてでしたが、当時、わけもわからず美や芸術のことで頭をいっぱいにしていたからです。特に小林秀雄の文庫本はいつも鞄に入っていました。

そのなかでも「当麻」という能を書いた文章は、当時繰り返し読んでも意味はわからなかったのですが、一番好きでした。今、改めて読み返すと、初めて理解できたような気がします。

簡単に言えば、世の中はどんどん複雑になりはしたけれど、中世のシンプルな生き方が、それは史家からは乱世とは呼ばれているが、もっとも健全なのだ、ということです。

本文にある有名な一句「美しい花はあっても、花の美しさはない」とは、花の美しさを分析しても意味はない、現代社会は分析ばかりするが、それは現実を複雑にするばかりだ、といいたいのでしょう。

私は複雑になりすぎたこの現代社会を、ITという未来の申し子を利用して、中世のシンプルな生き方に戻せる道具を作ろうとしているのです。

時代そのものは元には戻りません。未来をシンプルに生きることが、これから私たちが目指すべき人間の理想的な生き方なのだと思います。

それは宗家の舞う能のように、美しい夢幻の世界のように思えますが、必ず実現させよう、と決意を新たに秋の深まりを感じさせる、肌寒い夜道を帰りました。

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2007年10月23日 09:23に投稿されたエントリーのページです。

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