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バーチャルとリアル

ゲームソフトや携帯電話に代表されるITのツールが教育によくない、という識者の意見をよく耳にします。残酷な暴力シーンの多いゲームソフトは、子供の犯罪を助長する、とか、携帯電話や携帯メールは援助交際を助長する、とか、ゲームばかりすると脳が退化する、などなどです。確かにごもっともな意見だと思います。

資本主義の世の中では、当然ITをめぐっても、人の欲望や享楽を満たす市場が拡大することは仕方のないことです。まずその市場が拡大し、目立ち、問題が起きるのは、資本主義国家での新しいビジネスのたどらなければならない道だと思います。自動車が普及を始めた昭和30年代、カミナリ族は公道をマフラーを抜いて、暴走していました。ITの一時欲求的な利用方法からなかなか抜け出せないところに問題があるのです。

世界の人口がビックバンのごとく急増した今日、人間のコミュニケーションはITの活用なくしては不可能だと思います。ただITに関する精神面、文化面での議論がまったく進んでいないことが、今日のITの弊害をことさら、増大しているのだと思います。暴力シーンの多いゲームソフトは相手がゲームであるから、ゲームキャラクターの感情を考える必要がない。こういうゲームに慣れてくると、生身の人間に対してもその人の感情を考えなくなる人が増えてくる。しかし本来、ITはより人の気持ちを理解したり、コミュニケーションを密にしたり、人と人の関係を円滑にするためにあるべきなのです。そういった人と人の精神面、そして文化面でどうITを利用して、よりよい関係や世の中を築いていくかを考えていかなければなりません。

ITの問題、すなわちバーチャルとリアルの問題は実は大昔からあるのです。色即是空 空即是色という般若心経の有名な一節があります。形あるものはすなわち無であり、無はすなわち形あるものとなる、という意味なのですが、平家物語の諸行無常のように形あるものはいつか滅びて無になる、ということだけを言っているのではないと思います。これこそバーチャルとリアルの関係、デジタルとアナログの関係なのではないでしょうか。

孫子の兵法は、いかに気の流れを読み取り、それを生かして、戦いに勝つか、ということが本質なテーマです。戦上手は戦う前から勝敗を理解できます。つまり孫子の兵法は、まず心の中にコンピュータをもって、バーチャルなシミュレーションをしろ、ということなのです。バーチャルの中で勝てれば、リアルでも勝てる、というノウハウ集なのです。

ビジネスでも人間関係でも、心があり、人が動き、形ができる。IT社会になるまでは、この過程の時間が長かった。インターネットが人々の生活の主流になると、ネット上でのあらゆる活動がそのままビジネスに直結する、という点で本当にバーチャルが魔法のように現実(リアル)に影響するようになりました。ソフトバンクの孫正義氏は、リアルなビジネスは限界があるけれどバーチャルなビジネスのインパクトは無限大だ、と言っています。
リアルなビジネスで苦労して会社を上場させ、バーチャルなビジネスで飛躍した初代の成功者の至言だと思います。

しかし、バーチャルなビジネスには参入しやすく、ちょっとしたことですぐにひっ繰り返されもします。だから玉石混交であらゆるものが参入し、マネーロンダリングの温床となり、ある意味、胡散臭いイメージが生じてしまいます。しかしそれは新しい時代に対する警戒や嫉妬も含めた世間のイメージなのかもしれません。

大化の改新後、中大兄皇子は10年も天皇になれませんでした。平清盛はなりあがり者として最後まで公家に陰口を叩かれ、頼朝は権力の中心である京都から離れて鎌倉に新しい都をつくりました。建武の親政は失敗し、世間からさんざん落書きされました。信長はうつけとされ、秀吉は猿とののしられ、家康はまったく世間に人気がなかった。明治維新の元勲たちは田舎侍の西欧かぶれと言われ、戦後、第2位まで経済大国に押し上げた日本のビジネスマンたちは世界から働きねずみとののしられました。世間の嫉妬は、実はバーチャルな最も強大なパワーなのかもしれません。

石橋湛山によれば太平洋戦争は、日清戦争で自信をつけ日露戦争でつけあがった日本国民全体の責任、と指摘されていますが、まさにそのとおりでしょう。ITが普及するにつれ、世間のバーチャルな意志がリアルに実現できる可能性が高くなる、ということは、より多くの人に富をもたらすチャンスでもあるのでしょう。しかしその一方で深くものを知り、考え、慎重な条件で行動しなければ、失敗や敗北に遭遇しやすいということです。その意味では、脳機能ブームで思考力、判断力を鍛えるのもひとつの方法かもしれません。

太古より、戦争により国を奪い、富を得られる時代には、体が大きく、一騎打ちが強い男が尊ばれたでしょう。奈良平安時代は宮廷内の政争に強く血筋のよいものが尊ばれたでしょう。鉄砲の時代になると、秀吉のように頭脳と人間的魅力が重要になってきます。近代にはいると、秀吉のような人間がますます要求されてきました。

ところがIT時代になると、黎明期では、ネット上での成功がすべてを制してきました。そこには人間的魅力が介在しなくてもよいのです。頭だけでネット上でアピールすることが成功に結びつくのです。モーツアルトのように人間はめちゃくちゃでも、音楽は神の手にゆだねられたごとく、ネット社会でもそういう人間が出現したら、そこに富が集まるのでしょう。

しかしIT社会も成長期に入り、成熟期に近づいてくると、国民ひとりひとりが大人として責任をもち、二律背反的な判断でなく、常に学び、慎重に考えながら生きていける国家こそが繁栄するのだと思います。わかりやすく片方の意見を切り捨てれば、そのなかに隠れている真実も切り捨てられるのです。IT社会こそ二律共存的な生き方が可能なのではないでしょうか。


今日、日本と欧米でのITにおける技術格差はそれほどあるとは思いません。深刻に差がついているのはITにおける教育、文化、哲学面だと思います。欧米の人々はITを通して二律共存的な発想をしている人が多くなっているように感じます。先日ご紹介したSaas(9月19日「高田屋嘉兵衛とシリコンバレー」)は、みんながどんどんビジネスのアイデアを出し合って、自由に利用する、という発想です。昔のように自分だけがシステムを囲い込む方法は、時代遅れになってきているのです。

でも実はその二律共存の発想の原点は日本にあるのです。江戸時代の循環社会、職人の技術、アイデア、和の精神、などなど。

これからわれわれが目指すITの教育、文化、哲学の家元は日本なのです。それをすでに欧米の人たちのほうが気づいている。日本でもせっかく一昨年くらいから和への回帰ブームになっているのですが、単純な懐古主義的なブームで、それをITと結びつけるどころか、かえってITを敬遠している人たちが増えているように感じます。

ITを教育や仕事、家庭でいかに利用するか、より日本の多くの方々に深く、深く考えていただきたいと思います。そして世界にそれを問うことを目的として英語を勉強すれば、英語も身につくのではないでしょうか。みなさんの経験や人生観を世界中の人が待っているような気がします。

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2007年10月01日 12:08に投稿されたエントリーのページです。

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