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5年前ファーストフードで

5年ほど前の朝、ファーストフード店でこんな情景にでくわしました。
いかにも朝帰りとわかる、髪を金髪に染めた制服の女子高生二人が、私の隣の席に座って話をしていました。一人の女の子の携帯電話が鳴り、どうも友達からの電話だったようです。声が大きいので聞かずとも聞こえてくるのですが、電話している女の子の親が、その通話の相手である友達に電話をかけ、昨日の女の子のアリバイを確かめたようです。逆切れした女の子は母親に電話し、延々と罵倒し続けていました。

母親は泣きながら電話を一方的に切ったようです。そのとき、ふと女の子の悲しみが伝わってきたように感じました。女の子がもし本当に母親を憎んでいたら、自分から電話を切ってしまうでしょう。いつまでも母親に罵声を浴びせ続けているのが、なんとなく心では母親に助けを求めているように聞こえたのです。

おそらく電話の相手の母親は団塊の世代か、もしくは私と同じくらいの年齢でしょう。当時、もし私に25で子供ができていたら、このような不良少女になっていたのではないかと思ったのです。
私の年代は昭和一桁世代の親を持ちます。彼らは青少年時代を戦中、戦後の貧しい生活下で生きてきました。彼らは国家のために、という教育を受け、自分の子供には、自分たちのような貧しい思いはさせたくない、という自己犠牲のもと、子供中心の生活を続けてきたのだと思います。

私たちの世代は権威を嫌い、自己犠牲を知らずに育った年代です。子供はかわいい、という動機で接し、友達のように育て、忙しくなったり手に負えなくなると自分の都合で責任を放棄し、無視してきたのではないでしょうか。若ければ若いほど、遊びたい欲求は強く、その傾向は増していくでしょう。秋田で自分の子供を欄干から突き落としたとされる痛ましい事件も、まさにそれゆえでしょう。

子供の側からすれば、そうした親の姿勢に深く傷ついていると思います。おそらく自分の親が他人であるかのような感じを子供の頃から受けていたのではないでしょうか。これも親の同志的教育の悲劇的な結果なのかもしれません。援助交際をする女子高生は、自分を買う愚劣きわまりない大人を大変軽蔑していると聞きます。これはその愚劣な大人を親に見立てた、親に対する、自分を傷つけてまでする、大変憎しみのこもった復讐なのでしょう。

父親の威厳が必要な時代といわれます。三島由紀夫は父親をテーマに扱った小説を数多く残しています。これは私の独断ですが、彼は日本社会における父親像の原形を、明治の元勲に象徴される明治男に求めています。

「春の雪」では主人公の父親である松枝公爵は権力の象徴であり、主人公の松枝清秋はその対局にある優雅と美の象徴として描かれていました。「奔馬」では昭和初期の右翼の少年が主人公なのですが、その父と子を不純と純粋という対比で描いています。「絹と明察」では高度成長期の織物会社の経営者である主人公は父親の象徴的人物として描かれ、社員すなわちわが子に思考することを許しませんでした。「午後の曳航」では母子家庭で育った子供が、あこがれている船乗りの男がいざ自分の父親になると、そのあこがれの存在が堕落したとして殺害してしまう物語です。つまり父親は世間から子を守るための力(権力)としたたかさ(不純)をもつものと定義しています。

三島の近代能楽集のなかに「邯鄲」という小品があります。これは邯鄲という枕に寝る人は人生がむなしくなり失踪するという話をききつけた主人公が、その枕で寝てみると、夢の中で、世の中の富と名誉と美女を手に入れる体験をし、普通の人では人生に意味を感じなくなるところ、彼は常に大人になることを拒否していたために、なにも変わらず目が覚めた、という話です。ホリエモンが逮捕されたときの「邯鄲の夢」という新聞の見出しが印象に残ります。

三島の小説は、父親を既成権力、妥協、欲望、愚鈍、旧体質として描き、子供を美、未完成、創造、理性、新しい概念としてとらえ、むしろ子供を主役におき、父親の醜さをコントラストに描き、彼の美学を表現します(彼の小説は常に既存価値=父親を破壊する子供という形で芸術を表現するものが多いのです)。しかし彼の死の直前に完成した「天人五衰」で、最後に美が醜い形で消滅する姿を描き、彼の美学にピリオドを打っています。

彼は自身の求める時代とずれた時代に生きたことを大変くやしく思っていることは間違いありません。彼が求めていた時代は今だったのかもしれません。改めて今日読んでみると、彼の作品は今の時代のために創った時限爆弾だったと気付きます。彼の芸術は、「父親=既存権力」に立ち向かう「子=新しい概念」という形で成り立つ美学の構築物なのです。彼が生きた戦後、高度成長期は彼が対立しなければならない父親=既存権力が根こそぎ崩壊していき、もはや彼はそのなかで創作を生み出すことが不可能となり、彼自身が父親=既存権力となってがんこ親父が子供にげんこつを喰らわすように、死を持って社会に恫喝したのです。彼が最後に残した「豊饒の海」4巻が30年隔てた今日、破裂するように仕組んで死んでいったのです。

日本人は今日、ますますその幼稚化が進行しています。もっとも幼稚化しているのはまずテレビや大衆新聞です。不二家の賞味期限改ざんの問題は、もともと不二家が社内でプロジェクトチームを作り、業務改善しようとしたときに挙げられた問題が世間に流れたのです。賞味期限を改ざんしたこと自体は、確かに問題があります。しかし、そういった問題を明示化して改善しようとした矢先に、社会に表面化したのです。この問題で不二家が窮地に立つのならば、逆に業務改善する会社は今後より問題を隠蔽する方向に進むでしょう。テレビ報道は不二家をただ糾弾するばかりで、そこに世間をよくしよう、という意識は感じられません。まるで中学校のクラスのいじめをみているようでした。

日本の幼稚化は、団塊の世代の権利の主張に起因する、と言う人が結構います。それは敗戦でゼロから出直した日本が、「戦争という過去を断ち切り、個人の権利を主張する」という新しい国家のコンセプトでスタートしたからです。そして団塊の世代の、断ち切る「過去」とはすなわち自分たちの父親だったのかもしれません。少なくとも自分たちは「父親」というイメージにネガティブな感覚をもっていたのではないでしょうか。「父親」という権力、権威を破壊し、自分たちの自由と権利を謳歌する。高度成長を遂げ、世界第2位の経済大国になった今でも、まだこの国全体が同じコンセプトを持ち続けているように感じます。当然です。団塊の世代の子供たちが今の若者なのだからです。

しかし戦後60年たつと、日本はすでに成熟した国家に突入したのです。日本という国を人にたとえると、体はすでに中年に入ってきているのに、いまだに赤ちゃんプレイをしているようなものです。

成熟国家では「過去を大切にし、個人の義務を履行する」コンセプトでなくてはなりません。「個人の義務」とは社会の責任、とくに子供や若者を育てる義務です。情緒的にいうのならば、日本における新しい「父親」像を明示しなければならないのです。米国にもヨーロッパにもそういう「父親」像は強く感じます。
そのためには「どうして断ち切らなければならない過去を起こしたか」ということ、つまり「なぜ、あのような悲惨な太平洋戦争が起きたか」というところからスタートしなければならないのではないでしょうか。太平洋戦争があるから、過去を大切にできない。60年たった今日はその過去を徹底的に分析し、日本人の糧へと変えていかなければならないと思います。

ファーストフードの女子高生はもう成人していると思います。今、なにを考えて、どうしているのでしょうか。

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2007年09月29日 23:47に投稿されたエントリーのページです。

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