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15の夜

久しぶりに、三重の美杉村という山奥で弟の自動車に乗る機会がありました。アウディのオープンカーで、BGMに尾崎豊の曲が流れていました。山間の秋風がとても心地よいものでした。このような自然のなかで聞いたからかもしれませんが、久しぶりに聞くその歌唱力が、とても魅力的なのに驚きました。特に、「15の夜」という彼の代表作を1曲全部聞いたのは初めてですが、その歌詞に改めて驚きました。「盗んだバイクに乗りながら、自由を求める・・・」という歌詞です。

戦前は権威に支配され、地域の共同体があり、お国のために、という義務をまず押し付けられ、すべてがなくなった戦後、若者は、「15の夜」に代表される「自由」と「自分」を模索する青少年時代を送るわけです。

NHKスペシャルで、「学徒兵 許されざる帰還」というものを見ましたが、パイロットを希望した学徒兵が、拒否してもむりやり特攻隊に組み入れられ、使い古した訓練機で特攻に行かされ、死ねないで戻ってきたら寮に隔離して、罵倒されながら次の特攻に行かされる、という実態でした。戦後、人々は自由社会の中、利己主義に走り、モラルの荒廃が嘆かれますが、戦前のように軍人や憲兵が不当に威張り、役人が威張り、町内会の長が威張り、リーダーたちが本当に威張っていた時代よりはましだと思います。

権威は道徳も強制しますが、そういうものがなくなれば、当然社会から道徳も希薄になるでしょう。規範や道徳は、個人が組織の中で有形無形に強制行動するためのシステムといっていいでしょう。現代人にとっては、道徳が個人の利益につながる場合ならば、それを受け入れられるでしょう。

以前、テレビをつけたら偶然幻冬者の社長、見城徹氏がインタビューで尾崎豊のことを話していました。尾崎は見城氏に対し、絶対的な愛を要求し、常に愛情を確かめるために踏み絵をさせ、意にそぐわないと暴れまわったそうです。

だれでも若いころは、感覚が鋭敏なため、自分の感情を持て余した経験はあると思います。それが尾崎ほどの天才になると、自分の感情に収集がつかなくなるのでしょう。天才が若死にするのは、暴れまわる感情が肉体を蝕むからだと思います。

そういう意味では、戦前は、不当な強制が外部から強烈にあるので、自分の感情を暴れさせている暇はなかった。特に軍隊では環境が肉体的にあまりにも苛酷だと、根本的欲求、つまり食欲と睡眠欲しか沸かないものです。大学時代、ワンゲルの夏合宿で日高など険しい山を2週間はさまよいましたが、食べたい、休みたい、怖さから逃げたいという欲求以外はまったく起きませんでした。下界でちまちま悩んでいたことが、とてもちっぽけに思えます。

だからといって、都会の便利さや安全に囲まれた、食べ物に不自由しない、下界での悩みがチープだというつもりはありません。苦しみは同じなのです。なんのよりどころもない社会であることが、人々を不安にさせるのです。ヒトラーは「大衆は支配されたがっている」といいました。これはこう解釈するとわかりやすい。「大衆は依存することができるから、支配されたがる」。よりどころがほしいのです。よりどころは人々のつながりによって成り立ちます。

心のよりどころは、自由な社会でも、独裁的な支配社会でも必要なのです。極端な言い方をすれば、個人の心のよりどころが満たされていれば、どのような環境下でも人は前向きに生きられるのかもしれません。尾崎豊の場合は、人との愛だったのでしょう。

自分のよりどころを見つけることも、学習しなければならないのかもしれません。自分のよりどころとは、「自分を活かせる場所」ではないでしょうか。「自分を活かす」とは自分の能力、自分の性格、自分の過去、自分のネットワーク、自分の外見などなど。より自分を「活かす」には、今列挙した自分を磨くことも大切ですが、どう今の自分を「活かす」かが、もっとも重要なのではないでしょうか。

それは恋愛のパートナーとでもあるし、学校のクラスでもあるし、スポーツやクラブのチームでもあるし、会社の中でもあるでしょう。また不特定多数でも、お客様が喜ぶ商品を提供することもその中に入るでしょう。家族や組織の中でどう活かすか、ということでしょう。

前にも「ジョージ・ルーカスと教育」で述べましたが、今日生きている人間の数は、過去生きてきた人間すべての数の20倍といいます。そのような異常事態の中では、当然人々が自分の居場所を見出すことは難しくなっているのだと思います。

それを解決する可能性があるのがITというコミュニケーション革命だと思います。ITをいかに活用したら、人々は自分の居場所を見つけるか。自分を活かすことができるか。これが現代人に与えられたもっとも大切なテーマのひとつだと思います。

私はその鍵を「分配の法則」にあると思います。そのことはまた次の機会にお話したいと思います。

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2007年10月24日 22:14に投稿されたエントリーのページです。

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