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長久手の戦い

1584年3月徳川家康、織田信雄連合軍1万5千は小牧山城に、羽柴秀吉は10万の大軍を楽田城に本陣を置き対峙。こう着状態が続く。

秀吉側の池田恒興は2万の兵を率いて南下を開始。戦局打開のために徳川の本国三河を襲う作戦である。これを知った家康は自ら1万の兵を率いて信雄とともにあとを追う。池田軍は丹羽氏重守岩崎城を攻撃、2時間で落城させる。

4月9日家康軍、大須賀隊がひそかに大将豊臣秀次の陣に迫る。急を突かれた秀次は大混乱に陥る。秀次隊の潰走を聞いた池田恒興は急きょ長久手に向かうが、家康軍の攻撃に秀吉側は総崩れとなる。

この敗戦を聞いた秀吉は、ただちに全軍を率いて救援に向かう。家康はあらかじめ秀吉の行動を予想し、小幡城に撤収。秀吉は兵を引き返した。

秀吉は山崎の戦いで明智光秀を破り、獅子が谷の戦いで柴田勝頼を破り主権を握った。しかし本来、信長の家臣である秀吉にとって、本来ならば信長の子供達に主権をゆずるべきなのが、自分がその座に居座ってしまった。信長の息子である信雄と組んだ家康に、正当性はある。

この戦いは、家康の風林火山の戦いである。まず動かざること山の如しで、小牧山に布陣し、早きこと風の如し、静かなること林の如く秀次軍に近づき、これを壊滅させ、その動揺をついて家康が侵略すること火のごとく池田恒興軍を破った。

いかに秀吉が大量の軍隊を擁していても、正当性の弱さが秀吉にとってこの戦いのウイークポイントであろう。

軍争編
兵の動きは敵にさとられないようにし、
自軍に有利になるように動き、臨機応変に動く。
風のように素早く動き、林のように静かに止まり、
火のような勢いで侵攻し、
影のように敵に察知されないようにし、山のように落ち着いて、雷のように敵に攻撃をする。奪った領土は地元の民衆に分け与え、利益を士卒で分け、すべて利益があると見て行動する。遠回りと近道の使い方を知っているものが勝つ。これが、戦闘の方法である。

これは孫子のもっとも有名な風林火山の項目である。スピード、静か、猛攻、勝機が訪れるまでは動かない。大軍を少人数の如く臨機応変にこのように動かすには実はこのあとの「領土を民に分け与え、利益を士卒に分ける」というくだりが重要なのである。公平平等の利益分配があるから、風林火山の動きが可能なのである。さらに必要なのは道すなわちコンセプトこれを三国志の曹操は命令と教育によって導く、としました。次に天すなわち正義・時節・運です。その次は地、すなわちマーケティング。そして将すなわちリーダーシップ。最後に法すなわち秩序を守るためのシステムである。このようなことが常日頃から組織に導入されていて初めて風林火山の動きができる組織が生まれる。

徳川家康という人は織田信長、豊臣秀吉と比較されるが、現代でもそうであるが、戦国時代の当時、もっとも民衆に人気がなかった。どことなく、信長、秀吉が英雄視されながらも、天下をとったあとも、地味だったそうだ。なにを考えているか分からない「狸おやじ」のイメージがあるが、実は秀吉と比較しても大変まじめで誠実だ。秀吉は信長の死後、信長の子供を、自害させたり、追放したり、部下にしてしまったが、家康は、生前の秀吉の約束を守り、天下を取った後も、17年間大阪城で主家としてその存続を認め、本心では豊臣家を大和郡山に移し、存続させるつもりだったという。(山本七平「徳川家康」)
地味で、戦争は生涯三方が原の一敗のみ、天下統一後は、武家諸法度などの政治システムの構築に努め、道、天、地、将、法をすべてわきまえた家康こそ孫子流の理想的リーダーなのだろう。

織田信長も豊臣秀吉も短命な政権に終わったのに、なぜ徳川政権だけが260年も続いたのか。それは家康が政治のシステムを構築したからだろう。武家諸法度を作り、鎖国をし、長崎と平戸に外国との交流を限定させ、参勤交代の基をつくり、御三家と直参旗本、譜代、親藩、外様大名を分け、士農工商の身分制度をつくり、学問を制定した。

企業もコンセプトを定め、利益を公平平等に分配するシステムを作り、自発的に研修できるシステムをつくることが組織安定のポイントとなる。

「商売は商戦にあらず」。今の言葉では、「ビジネスは戦いにあらず」でしょう。偶然、浦和の小さな古本屋で見つけた、くしくも大恐慌の1年前、1928年発行の「処世の王道」という渋沢の著書の中に書いてありました。野村徳七を例に出して、相場は儲かった人がいれば損をする人も必ず出る、だが買った人も、売った人もみんなが得をするのが商売だ、と言いました。私はこの言葉が渋沢の言葉の中で一番好きです。
人と人は争うのではなく、協力しあうほうが絶対得です。競争したり、戦ったりする暇があれば、お互いの良いところを見出し、より良いものを作るほうが良いはずです。企業もしかりです。そのための切り札は組織における情報共有と公平平等な分配、そして人材教育です。甘い?と思われる方もいるかもしれません。しかしその考えは間違いです。協力しあいながら本当の付加価値を出すことのほうが、はるかに地道な努力と時間と忍耐と覚悟が必要なのです。
だれでもみな手持ちの金と時間は限られています。そのなかで付加価値を出すことは並大抵なことではないのです。その学習は、人が生きるうえでもっとも難しく、もっとも重要なのだと思います。その学習こそ、「経営」です。「経営のコツここなりと気づいた価値百万両」と松下幸之助は言いました。「経営」は経営者だけでなく、社員一人ひとり、いえ国民一人ひとり皆が学ぶものなのではないでしょうか。
経営者は、私心なくお金をあるべき自然の流れに従って流さなければなりません。自然を「天」と置き換えれば、「則天」です。つまり「則天去私」が経営者のめざすべき心がけなのだと私は思っています。?この言葉は私の中学時代からの座右の銘でもありました。
金融資本が世界中を跋扈し、穀物にも手を伸ばし、それがため、餓死する人もでる始末です。天はこの狂える人間の愚行に天罰を加えたのでしょう。つまり金融というバベルの塔を壊したのです。
それでは次はなにか。もちろんまた悪魔の手品(マジック)が現れるかもしれません。しかし、今言えることは、「実ビジネスは壊れない」ということです。まじめに働き、身の丈に合った利益を出し、常に改善をおこないながら再投資する。この資本主義の原点のビジネスはこの危機に一緒に崩壊することはないでしょう。
それではいままでのように働いていればよいのか?否です。原点のビジネスを維持し続けられないから、問題がおこるのです。
大切なことは、利益を出すシステムを整備することです。それはなにか?資本主義の原点から考えれば「イノベーション=改良」です。
「もの」が付加価値を生み出す時代は終わったのです。否、「もの」が付加価値を生み出すのは若い急成長国家です。日本においては価格競争から「もの」だけでは利益を出しにくくなるでしょう、これから付加価値を生み出すのは、人に依存するサービスであり、知恵によって作られた商品です。
 また、破たんする会社の特徴は売上やニーズより、投資や開発を先行させる傾向があります。 まず売上をあげること、ニーズを発掘することを全社が一丸となって進めることが重要ではないでしょうか。
企画部門、開発部門、総務部門など内勤でもSEO対策やメールで新規開拓も可能です。しかしその活動が継続的かつ効果的なものにするためには、内務者の明確な活動記録や評価するシステムが必要です。

日本における中小企業で、いきなりグローバル戦略は難しい。自社商品やサービスを究極まで質を上げ、そのノウハウを海外展開することが重要。
そのためには改善提案が必要。グループウエア上でも、日報の記入にしても、改善提案しやすいシステムをつくることが必要。
ノウハウや技術をシークレットにすることは、その普及に歯止めがかかります。これからは技術をオープンにし、みんなが活用できるようにし、自分たちはその進化力の速さとクオリティで他の企業との差別化をすることが必要で、一人一人が常に仕事の改善改良を続けるシステムに、組織をかえていかなければなりません。
そうはいってもなかなか、通常の業務のなかに改善提案やシステム導入はできません。理由は評価システムが大雑把だからです。人は自分の働きが、報酬に見合わなければ働きません。それを年に2回、中間管理職まかせで決定することは企業の進歩を促進しません。
採算、人事、学習、技術といった項目で定常的に評価することが、人をまじめに一生懸命に働くのです。

ヒットが出ますように、儲かりますように、という運頼みの経営から全員が知恵を出し合い、どうやって利益がでるかを工夫しあいながら、粘りの頭脳経営をしなければなりません。
なぜ経営は実態を把握しずらいのでしょうか。まずバランスシートで本当に利益があがっているかどうか、把握することはできません。その商品やお客様、サービスが利益を上げているかどうかは、通常の販売管理ソフトでは、期をまたいでいるので解りにくいのです。
従って、その商品やサービスがスタートしてから、どれだけのコストと時間がかかり、どれだけの利益をだしたか、明確になるシステムが必要です。
そしてそのプロジェクトが利益を出しているかどうか、だれが、どの程度貢献しているか、という参加している人の貢献シェアが明確にならなければなりません。
だれかが仕事をしたら、その結果が明確にならなければ、仕事のイノベーションは生まれません。しかし従来の経営手法では一人一の仕事の結果が明確化されていないのです。
個人の仕事の結果を明確化する個人生産性のシステムが必要なのです。上司によるいい加減な評価は、人材の資源を有効に活用することはできません。

「行き詰ったら原点に帰る」昔から言われている原理原則です。巷では、億万長者になれる、とか楽して儲けるとか甘い言葉の散乱した本が店頭に並べられています。しかし今度の金融危機はそういう甘言がみなまやかしであることを証明しています。当たり前のことをコツコツすることが大切なのでしょう。
改善改良の継続、公平平等の分配、個人生産性の向上。もちろんなかなか実行することは難しいです。当社でも3年前から取り組んではいますが、なかなか理想的な状態にはなりません。
しかしたとえば当社では間接部門でもメール営業やSEO対策をおこなってもらっています。それもきちんとそういう行為が実を結べば、結果として評価される仕組みなので、みな続いているのだと思います。
そして自分の仕事の結果が出て、報酬として受け取ったとき、働くよろこびとモチベーションにかわるのでしょう。

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2008年12月06日 16:55に投稿されたエントリーのページです。

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