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2025年02月 アーカイブ

2025年02月06日

令和と昭和 不適切にも程がある。

タイトル: 令和と昭和を巡るタイムトラベルの魅力

時代が交差する物語には、何か特別な魅力があります。タイムトラベルを題材にしたドラマ「不適切にも程がある」を観ると、その面白さを深く感じます。この作品では、1986年と2024年という異なる時代をバス型のタイムマシンで行き来します。私自身、1986年の日本の神戸を生きた経験があるので、ドラマを観ながら懐かしい思い出に浸ることができました。

昭和と令和、この二つの時代を象徴するものといえば、私はまず「たばこ」を思い浮かべます。昭和の時代には、たばこはどこでも吸えるものでしたが、現代では考えられません。私自身もかつてはヘビースモーカーでしたが、40歳でやめました。

1986年、私は今は、日本を代表するゲーム会社に就職し、神戸で働いていました。当時の私の住まいは尼崎の塚口にある、風呂なしの2DKのアパートでした。それでも、その場所にさまざまな思い出があります。例えば、休みの日に訪れた「つかしん」という商業施設は、私にとって夢のような存在でした。

その頃、手取りが少なかった私は、つかしんで10万円のスーツを見ながら、自分の給料だけで買える日は来るのかと考えていました。しかし、仕事は非常にやりがいがあり、現在の私を形成する大きな経験となっています。時を経て振り返ると、その当時の自分に感謝の言葉を送りたい気持ちでいっぱいです。

39年の間には、バブル崩壊や経済の低迷といった困難が日本を襲いました。それでも私は、自身の著書で「これからは知の時代だ」と主張し、会社をその方向へ導こうと心がけていました。しかし、現実は厳しく、大企業の多くが中国市場への進出を試みる中で、日本のモノ作りは衰退していくこととなりました。

それでも、今の日本には最後のチャンスがあります。それは、AIを生活、教育、ビジネスの中でどれだけ効果的に活用するかにかかっています。時代が変わっても、私たちには新しい未来を切り開く力があるはずです。この瞬間を大切にし、新たな時代を築いていきたいですね。

現代を生き抜くためにAIを活用する方法は、多岐にわたります。AIは私たちの生活やビジネス、教育などの多くの側面で革新をもたらしています。ここでは、その具体的な活用方法をいくつかご提案します。

① 生活
スマートホームの実現: AIを組み込んだスマートデバイスで家庭をより効率的に管理できます。照明やエアコンの自動調整、冷蔵庫の在庫管理など、日常生活を快適にすることが可能です。
私は、夜寝るとき。AIに向かって「何時に起こして」という目覚ましと、朝起きるときに「今何時?」と聞くだけでも便利です。
健康管理: ウェアラブルデバイスを通じて健康データを収集し、AIが解析してフィードバックを提供。個人の健康状態をリアルタイムで把握し、予防医療に役立てることができます。

② 教育
パーソナライズド・ラーニング: 学生一人ひとりの理解度や進捗状況に合わせた学習プランをAIが提案することで、より効果的な学習が可能になります。
オンライン教育の充実: AIを活用したインタラクティブな教材やバーチャルアシスタントが登場し、自宅でも質の高い教育を受けることができます。
AIヒント機能:AIがその問題のヒントを出し、次のテストの予想問題も提示してくれたりします。個人の能力にあった適格なアドバイスをしてくれるので、なんの知識がなくても、過去問題集をいきなり学習するだけで、短期合格を実現できます。

③ ビジネス
データ分析と意思決定: 大量のデータをAIで解析し、ビジネス戦略の立案に役立てることができます。市場動向の予測や消費者行動の分析などで競争優位性を確保できます。
まちがいのない人材採用:
組織において、最も深刻なのは、人材採用、登用の間違いです。採用において、ひとりの問題児jが会社の屋台骨を揺るがすことが多々ありますし、上役に登用することで、その組織が機能しなくなることも多々あります。AIの活用により、この問題を最小限にすることは、組織を活性化させるうえでとても重要でしょう!
オートメーション: 製造業やサービス業での業務自動化により、効率や生産性を大幅に向上。特に反復作業をAIに任せることで、人間はより創造的な業務に集中できます。

これらのAIを活用した取り組みは、時代の変化に対応するためのツールとして非常に有効です。AIは私たちの能力を拡張し、新たな可能性を開くための大きな力となるでしょう。未来に向けてAIを取り入れることで、より豊かで充実した生活を築くことができます。

2025年02月26日

2.26事件とAI 前編

今年、226事件が起きて89年になります。

226事件は1936年に起きました。
三島由紀夫が11歳のときでした。

三島事件は、1970年に起きました。
私が10歳のときでした。

三島が11歳の時の226事件の体験談をどこかで読みましたが、
自分が三島事件を小学四年生の時テレビで見た感覚とどこか共通してる、
と感じました。

226事件は、日本の軍部が政治に深く関与し始めた時期に起きた重大な事件です。

根本原因
1. 経済的不安、昭和恐慌による桁外れの経済的困難が背景にありました。農村部の貧困や失業率の高さが社会不安を増大させました。
2. 政治腐敗と不信、政治家たちの腐敗と政策の不透明さがあったため、国民や軍部は政府に不満を募らせていました。
3. 軍内部のイデオロギー対立、陸軍内では、天皇親政を望む革新派(統制派と皇道派)と、その手法に異を唱える勢力との間で対立がありました。青年将校は強硬な改革を志向する皇道派の影響を受けました。

結果
政府高官の暗殺 高橋是清大蔵大臣、斎藤実内閣総理大臣などが暗殺され、一時的に政府の機能が麻痺しました。
クーデター失敗  青年将校たちの動きは最終的に失敗に終わり、多くの首謀者が処刑や重罰を受けました。

政治への影響
1. 軍部の影響力強化 事件後、政府と天皇制に対する軍部の影響力がむしろ増す結果となりました。軍部が政治的な影響をさらに強めていくきっかけとなりました。
2. 統制派の台頭 陸軍内でより現実的な統制派が勢力を伸ばし、組織としての結束や政治的な影響力を高めました。

陸軍組織の欠陥
1. 上下関係の不明確さ 当時、陸軍内では若手将校の自主的な行動がしばしば許容され、組織的な統制が弱かったことが、こうした事件につながりました。
2. 教育の偏り 陸軍士官学校での教育がイデオロギー重視であり、政治的慎重さや法の尊重が欠けていました。
3. 内部対立 陸軍内での派閥対立が激しく、組織内のまとまりに欠けていたことも影響しました。

なによりも、明治維新以降、日清戦争、日露戦争で、日本は、奇跡的に大国に勝ち、
日本国民そのものが軍人を過度にリスペクトし、最終手段は、戦争で解決すればいい、という雰囲気が国内に蔓延したいたようです。

陸軍士官学校も、海軍士官学校も帝大以上に難関と言われ、青年将校は最高のエリートとして将来を嘱望されていました。

2.26事件は、政治を暴力で動かす結果となり、米国との開戦に、歯止めをかける政治家がいなくなった要因にもなりました。

昭和天皇独白録では、昭和天皇は、太平洋戦争の開戦を止められなかったのは、もし止めていたら、自分は暗殺され、さらに国家は収集がつかないものになっていたであろう、と証言しました。

実際、2.26事件の首謀者安藤大尉は、クーデターにより、自分と仲が良かった秩父宮を立てようとしたようです。

昭和天皇が、2.26事件の勃発で、激怒したのは、そのことが念頭にあったと推察されます。

大きな組織にいると、派閥などの政治力で動くこと組織が古くなるほど大きくなります。

そもそも国力が米国の10分の1しかないのに、開戦時には、陸軍が北進して、中国やロシアと戦い、海軍は南進して、イギリスやオーストラリアなどと戦いながらの開戦では、どんなに大きい国家でも勝てるものでも勝てません。

組織は70年で劣化すると言われています。1917年に革命で生まれた
ソビエト連邦も1987年に崩壊しました。

中国共産党も1948年に中国本土統一して、2018年ごろから行き詰り始めました。

日本もすでに戦後70年です。

組織の劣化が派閥争いや、組織内論理で行動するようになり、70年で亡ぶのです。
組織の劣化こそ、AIによって防げるのではないか、と考えます。

次回はそのことについて話します。

2025年02月27日

2.26事件とAI 後編

なぜ、2.26事件で青年将校たちは、あのような暴挙をおこしたのでしょうか?
世界恐慌が始まり、冷害も重なり、東北地方では、娘を身売りする親が続出していました。
当時、徴兵で駆り出される兵隊は、農家の次男三男が多く、部下より青年将校たちは、地方の惨状を聞いていました。

青年将校は、政治が、外国や財閥からの賄賂をもらった老獪な政治家による政治がその原因と信じ込み、当時の岡田内閣の閣僚を暗殺していきました。

まあ、近衛文麿のブレーンである尾崎秀美がゾルゲ事件で昭和41年に逮捕され、処刑されたことを考えると、現在の政治状況と近いものはあったのでしょう。

米国でも、財務次官補のハリーホワイトなどソ連のスパイだった官僚や政治家も多く、戦後マッカーシーによる赤狩りが行われたほどでした。

事件の前年、226事件の幹部の一人、安藤輝三大尉は、当時、天皇の侍従長であった、鈴木貫太郎に東北の農村の惨状を直談判しに行きました。その時、安藤は鈴木の人格に感銘して、西郷隆盛のような人だ、と言ったそうです。

組織は、モチベーションやプライドが高ければ、高いほど、反動としての不満も高くなる。

226事件は、日本の陸軍の若手将校たちが1936年に引き起こしたクーデター未遂の出来事です。これは大きな組織内での「派閥争い」の一つの例です。以下に簡単に説明します。

1. 指導層と下層の断絶
当時、若い将校たちは上の人たち(指導層)が何を考えているのかを理解できず、信頼関係が築かれていませんでした。普通の組織では、指導者とメンバーがコミュニケーションを取り合い、信頼し合うことが重要ですが、その関係が壊れていたのです。これにより、若手将校たちは自分たちの思いを実現しようと強引に行動しました。

2. 組織文化の欠如
陸軍の中に、きちんとした価値観や文化が育まれていなかったため、若手将校たちは暴力に訴えることが許される雰囲気を作ってしまいました。組織の内部での士気や倫理感が低下してしまい、暴力行為を正当化してしまったのです。

3. 合意形成の不在
組織では、みんなが意見を出し合い、合意を形成することが大切ですが、この事件ではそれができませんでした。特定のグループが自分たちの理想を無理強いして、他の意見が無視されるような状態になりました。結果、結束が失われてしまったのです。

4. リーダーシップの分散
組織の中で誰がリーダーかがはっきりせず、各将校が自分勝手に動くことが許されました。これにより、組織全体としての方向性が見えなくなり、最終的には分裂を招く結果に繋がりました。

5. 外部環境への適応力不足
226事件は、当時の日本が置かれている国際的な状況や時代の流れにうまく適応できていなかったことも影響しています。組織が外の環境に目を向けず、自分たちの内部問題ばかりを考えることで、外部からのプレッシャーに対処できなくなりました。

226事件は、組織内部のコミュニケーション不足やリーダーシップの欠如、文化の不在などが重なり合って引き起こされたもので、現代の組織にとっても重要な教訓があります。全員が協力し、意見を尊重し合うことが、強い組織を作るためには不可欠です。

さらに具体的に説明すると

226事件は、1936年に日本の陸軍の若手将校たちが政府を転覆しようとしたクーデター未遂の出来事です。これは、当時の政治情勢や軍の内部事情が絡み合った複雑な背景を持っています。以下に、事件の前に起きた満州事変や石原莞爾の影響についても含めて、説明します。

1. 満州事変とその影響
満州事変とは、1931年に日本の軍隊が中国の満州地域を占領した事件です。この事件は、石原莞爾という若い陸軍の将校が主導的な役割を果たし、自分たちの判断で行動しました。彼はこの行動によって英雄視され、多くの若い将校たちが彼のように、軍の力で国を動かしたいと考えるようになりました。これが、下層の将校たちの「自分たちの手で政治を変えたい」という気持ちを高める要因となりました。

2. 指導層との断絶
226事件が起こる頃、若手の将校たちは上司や政府の指導層と距離を感じていました。彼らは、政治の決定に参加することなく、ただ命令を受けるだけの立場であったため、憤りを感じていました。このような不満が彼らの行動につながりました。

3. 組織文化の変化
満州事変を経て、若手将校たちの間に「軍の力が最も重要」という価値観が育っていきました。このため、暴力的な手段がとられても許されるという雰囲気が生まれました。彼らは、意思統一や合意形成を無視し、自己の理想を実現しようとする傾向が強くなりました。

4. 合意形成の欠如
226事件の計画には、多くの若手将校が参加しましたが、彼らの間にもしっかりした合意はありませんでした。政府をどう変えるか、どのように行動すべきかについて、それぞれの思いが異なっていました。強い仲間意識はあったものの、具体的なビジョンが欠けていたのです。

5. リーダーシップと適応力の不足
事件を起こした若手将校の中には、リーダーシップを発揮する者もいれば、各自が好き勝手に動く者もいました。リーダーが一人ではなく、組織内での役割分担が曖昧であったため、全体としての方向性が見えなくなってしまいました。また、国際的な情勢や世の中の変化に適応できず、自分たちの内部問題ばかりに焦点を当てていたことも、大きな問題でした。

226事件は、満州事変の影響で生まれた若手将校の英雄視や、内部のコミュニケーション不足、リーダーシップの欠如、組織文化の不在が重なって引き起こされたものです。この事件からは、組織におけるコミュニケーションやメンバー間の信頼、リーダーシップの重要性が学べます。全員が協力し、意見を尊重し合うことが、強い組織を作るためには不可欠です。

組織におけるコミュニケーション不足やリーダーシップ、合意形成の欠如は、いつの時代でもどんな組織でも起こります。これをAIを活用したグループウエアが存在すれば、ある意味、こういう組織の劣化や誤解に基づく悲劇はおきなかったと思います。

次回、どういうシステムがあれば、このような悲劇が生まれなかったかを説明します。

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