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井伊直虎と龍譚寺と井伊谷宮

今、大河ドラマで、「女城主井伊直虎」というのを放映しています。

相変わらずマンネリの戦国時代で、見る気もしなかったのですが、戦国時代に女城主なんていたんだ、って思ってちょっと見たら、結構面白かったので見ています。

なぜ面白いかっていうと、小林薫演じる南渓和尚の住職龍譚寺は行ったことがあるからです。そしてこの龍譚寺のとなりに、井伊谷宮という神社があります。この神社は明治に建てられたのですが、明治天皇の号令のもと、建武の新政で活躍した忠臣のちなむ場所に神社を立てて、官幣大社として国がらみで祀りました。
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(龍譚寺)
井伊谷宮は、宗良親王という後醍醐天皇の第4皇子を祀っているのです。
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(宗良親王陵)
宗良親王は短歌の達人にして、自ら武具をとって南朝のために、東日本を転戦しました。
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(井伊谷宮)
1338年、陸奥大将軍北畠顕家が戦死すると、南朝は東北奪還のため、大軍船で、常陸を目指します。しかし、途中、台風に遭遇し、北畠親房は霞ヶ浦へと、宗良親王は静岡に流され井伊道政にかくまわれ、北畠顕信は後村上天皇とともに伊勢へ戻されました。

宗良親王は井伊道政の娘をめとり、井伊を中心に信濃に勢力を伸ばし、北朝と対峙していました。

宗良親王は井伊家の菩提、龍譚寺野となりに、その墓だけを分離して井伊谷宮を、代々祀ってきたそうです。その神社が明治になって別格官幣社になったそうです。

井伊家は、南朝に最後まで忠義をつくし、井伊谷城は落城し、南北統一後は、北朝の今川家に組み込まれ、今川家に冷遇され、当主を殺されたり、戦死させたれたり、さんざんな挙句に、女当主として直虎がなり、それはあらゆるどん底の中から、徳川家康の配下に移り、井伊直政の代で徳川四天王といわれ、大出世し、徳川の譜代大名として、幕末に井伊直弼が大老として開国をしました。

井伊直政は、父を今川殺され、幼いころから、自分も今川に殺されそうになり、つぶれかかった領地を命からがら、徳川家康の傘下にはいることで、生き延び、家康が天下をとると、30万石の、譜代家臣最大の大名になりました。

1330年代に、南朝方についたばっかりに、1600年の関ケ原まで苦労の連続だったのです。
実に270年の苦労は、江戸時代に花開き、さらにその240年後、井伊直弼は開国を押し切り、暗殺され、藩も縮小の憂き目をみ、さらに江戸幕府もその7年後滅びました。

井伊直虎の物語は実に、そのどん底に近い物語なのかもしれません。一族のどん底の物語を大河にするのも珍しいかもしれません。

そうやって「女城主直虎」を見るのは面白いですね!

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2017年04月12日 11:56に投稿されたエントリーのページです。

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