« ショーケンⅡ | メイン | 「最良国家」が育てる教育とは何か1 ——憲法哲学・福祉・AIが交差する地点で »

高村光太郎と私

私は中学時代から好きな詩がありました。

高村光太郎の「さびしきみち」です。

かぎりなくさびしけれども
われは
すぎこしみちをすてて
まことにこよなきちからのみちをすてて
いまだしらざるつちをふみ
かなしくもすすむなり

・・・・・・・そはわがこころのおきてにして
またわがこころのよろこびのいずみなれば

わがめにみゆるものみなくしくして
わがてにふるるものみなたえがたくいたし
されどきのうはあぢきなくもすがたをかくし
かつてありしわれはいつしかにきえさりたり
くしくしてあやしけれども
またいたくしてなやましけれども
わがこころにうつるもの
いまはこのほかになければ
これこそはわがあたらしきちからならめ
かぎりなくさびしけれども
われはただひたすらにこれをおもう

%E9%AB%98%E6%9D%91.JPG

私は中学生のとき、この詩を知ってから今に至るまで、毎日のように心の中で念仏のようにとなえています。