憲法改正していないのに、なぜ自衛隊は存在するのか
これは、42年前、私の卒論である憲法変遷論をベースに現代の国家と教育について、
若干の拙説をご紹介するもです。
日本国憲法第9条には、はっきりこう書いてあります。
「国の交戦権は、これを認めない」「戦力は、これを保持しない」
にもかかわらず、自衛隊は存在し、2014年には集団的自衛権の行使さえ閣議決定によって「合憲」とされました。憲法の条文は一字も変わっていないのに、である。
これは矛盾なのか。それとも、合法的な「解釈」の範囲内なのか。
この問いに正面から向き合う学問領域が、「憲法変遷論」です。
「変遷」とは何か——条文は変わらず、意味が変わる
憲法には二種類の変化があります。
一つは「憲法改正」。正式な手続き(日本では国会の3分の2以上の発議と国民投票)を経て条文そのものを書き換えること。
もう一つが「憲法変遷(Verfassungswandlung)」。条文は一切変えないまま、その意味・解釈・運用が実質的に変わっていくこと。
この概念を最初に体系化したのは、19世紀末のドイツの法学者イェリネック(Georg Jellinek)です。彼は「憲法は改正だけでなく、社会の変化に伴って自然に変容していく」と論じました。
日本でもこの議論は戦後まもなくから始まった。1953年、川添利幸が「憲法変遷とVerfassungswandlungの法的性格」を発表したのを皮切りに、以降30年にわたって日本の憲法学者たちが激しく論争を繰り広げた。
四つの学派——どう「変遷」をとらえるか
この論争を整理する鍵は、憲法学の立場を二軸で分類することにある。
縦軸:権利はどこから来るか
自然法論(B)——権利は人間の本性に由来し、国家以前から存在する
法実証主義(A)——権利は国家が法律によって定めるものだ
横軸:憲法をどう理解するか
社会学的(α)——法は社会の実態・慣習・力学によって決まる
解釈学的(β)——法は学者・裁判所の解釈によって意味が確定する
この二軸を組み合わせると、四つの象限が生まれる。
| | 社会学的(α) | 解釈学的(β) |
自然法論(B) 自然法論ー社会学的カテゴリー | Bα | 自然法論ー解釈学的カテゴリー Bβ(日本)
法実証主義(A)| Aα | Aβ |
日本国憲法は「Bβ」——自然法的な権利論を、解釈によって展開する枠組みだ。第97条の「永久の権利」という言葉がそれを端的に示している。
各学派は変遷論を異なる目で見る。Bβ派は「解釈の幅はあるが、自然法的な核心は侵せない」と主張する。一方、Aα派は「社会の実態が変われば、法も変わる」と考える。
上記のカテゴリーを、主要五か国の憲法の位置づけは下記のとおりです。

#変遷論の「危険性」——論文が30年前に警告したこと
私は42年前、この問題を卒業論文として研究した。そこで導いた結論は、憲法改正が迫っている今日に、もう一度、振り返ってみます。
変遷論は、政治的合法化のイデオロギーとして使われる危険があります。
具体的に言おう。「時代が変わった」「国民の意識が変わった」「安全保障環境が変わった」——こうした言葉を使えば、条文を一字も変えないまま、憲法の本来の意味を骨抜きにすることができるからです。
1961年以降、自民党は変遷論を用いた九条の形骸化を試み続けた、と当時の論文は論じた。そして30年後の2014年、まさにその警告が現実となった。安倍政権は集団的自衛権の行使を「必要最小限度の実力行使として憲法上許容される」と閣議決定し、条文改正なしに安全保障政策を根本から転換しました。
これは「変遷論による憲法の政治的利用」の最も鮮明な実例です。
現代の変遷論——「解釈改憲」の時代
論文が研究した1950〜80年代の議論は、今日さらに拡大・深化している。
「積極的平和主義」という変遷
安倍政権が掲げた「積極的平和主義」は、九条が定めた「消極的平和(戦争をしない)」から「積極的平和(国際平和に貢献する)」への変遷を、解釈によって実現しようとした試みと見ることができる。
「緊急事態条項」をめぐる変遷
コロナ禍以降、緊急事態における国家権限の問題が急浮上した。明文規定のない緊急事態対応を行政解釈で積み重ねることもまた、広い意味での変遷である。
デジタル社会と新しい権利
プライバシー権・忘れられる権利・AIによる意思決定からの保護——これらは憲法に明文がないにもかかわらず、解釈によって徐々に保護されるようになっています。これは「Bβ的変遷」の肯定的な例です。
結論として言える。変遷論は「ある」のではなく、どう使われるかが問題なのです。
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変遷論のリトマス試験——「国民の受認」があるか
ではどこで線を引くか。研究を通じて私が至った基準は明快だ。
「国民の受認なき変遷は認められない」
権利の縮小を伴う変遷——特に九条のように平和的生存権に直接関わる問題——は、閣議決定や行政解釈だけで成立させてはならない。少なくとも、国会での十分な審議と国民的議論、理想的には国民投票に相当するプロセスが必要だ。
一方、権利を拡張する変遷(プライバシー権の創設、環境権の確立など)は、「Bβ的解釈」の正当な発展として評価できる。
この非対称性——縮小変遷には厳格な正当化を、拡張変遷には弾力的な対応を——こそが、Bβ的憲法論の要諦だと思う。
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世界に視野を広げると——ハンガリーという反面教師
変遷論の危険性は、日本だけの問題ではありません。
ハンガリーは2011年、「神・自然法・生命の神聖」を明示的に参照する新たな基本法を制定した。言葉の上では最も自然法論(B)的な憲法です。しかしオルバン政権はその後、憲法裁判所の管轄権を縮小し、裁判官任命を政治化し、選挙制度を変更しました。
「自然法を語りながら、実質的に法実証主義的な権力集中を進める」——これこそ変遷論の政治的悪用の最新形です。ハンガリーは2025年の世界平和指数で17位と「平和な国」に分類されながら、民主的後退の象徴として国際社会から懸念される逆説的な存在となっています。
憲法は「生きた文書」である——だからこそ守らなければならない
最後に、本質的な問いを立てたい。
憲法変遷論は「悪い理論」なのか?
答えはノーです。
ヘンリーメインは「憲法は静的であり、政治は動的である」といいました。
時代の流れに従い、憲法の枠組みの中で、はげしく政治は揺れ動きます。
時にはこぼれ、あふれることさえあります。
変遷は不可避だし、時に必要でさえあります。問題は「どの方向への変遷か」「誰が何のために変遷させるのか」です。
憲法学者のよく言う言葉があります——「憲法は生きた文書(living document)である」。その通りだ。しかし「生きた文書」は、生命力を持つがゆえに病気にもなり、操作にも屈しやすい。
だからこそ私たちは、変遷論の本質を理解し、その政治的悪用に警戒し続けなければなりません。
78年間、一字も改正されなかった日本国憲法は、その間ずっと解釈によって「生きて」きました。その生命力を守るものは、制度ではなく、市民一人ひとりの憲法への理解と当事者意識です。
憲法変遷論は、私たちの社会が、どのような権力に、どこまで委ねてよいか」という、最も実践的な民主主義の問いだと思います。