2014年06月11日

短歌

久方の 月にぞ秋は知られける身に染む風の音ならねども

いかにせむ さらでもかすむ月影の老いの涙のそでにくもらば

誰かはと 思うものからふるさとのたよりまたるるはつ雁の声

かくてなど すまざりけると山里の月見る秋の心にぞとふ

いほりさす 宿は深山の影なれば寒く日ごとにふる時雨かな

岩清水 清き流れをたのむより濁らじとこそ思いそめしか

さきそむる 花にしらせじ世の中の人の心の移りやすさよ

男山 昔のみゆき思うにもかざしし花のはるぞわすれぬ

山深く 結ぶ庵もあれぬべし身のうきよりは世を嘆くまに

いかにせむ 春の深山の昔より雲居間でみし世の恋しさを

嘆けとて 老いの身にこそのこしけめあるは数々あらずなる世に

ふりにける 身にぞおどろくあわゆきのつもればきゆる色を見るにも

吉野山 雲井の桜君が代にあふべきはるやちぎりおきけむ

いかにして 老いの心を慰めむたえて桜のさかぬよならば

まださかぬ 梢あればと頼まずば移ろう花やなお憂かれまし

幾里の 月にこころをつくすらむ都の秋をみずなりしより

岩清水 清き流れをたのむよりにごらじとこそ思いそめしか

昔みし 平野にたてるあや杉のすぎにけりとてわれなわすれそ

先立し心もよしな、なかなかに 浮世のことを思い忘れて

おしからぬ わが身のかふる秋ならばさてくらすべき今日の暮れかは

おしむべき ことわりならぬ身をあきのくるるしもなどものはかなしき

はれくもる 程だにもなく山のはの嵐よりふる初時雨かな

今よりや 人めかれなむくさの原霜おきそへて冬はきにけり

霜枯れは さすがに残る秋の色を跡見せぬまでふれる雪かな

まつひとの 跡みるまでもつもらねどこころ空なるけさの初雪

ふみわけて とふ人あらばふりつもるゆきより深き跡はみてまし

なげきつつ くれ行くとしを世に振ればなおいそぐとや人のみるらむ

いたずらに 過ぎる月日をせめてなどまてとばかりも契らさりけむ

そのままに たえなばいとどうかるべき一夜の夢を人に語るな

ことわれよ 神々ならばゆふだすきかけてちかいしすえのことのは

かよいこし 人は軒ばの夜はの月たのまぬ松の木のまにぞみるえる

うき人は おもいもいでじひとりわが心をやりてみつる月かは

なげけとて 老いの身こそのこしけめあるはかずかずあらずなる世に

8年へし 波の枕のよるの夢さめれば花のうてななりけり

そのままに たえなばいとどうかるべき一夜の夢を人にかたるな

ひとりみて なぐさみぬべき花になどしづこころなく人をまたるる

九重の 御階のさくらさぞなげに昔にかえる春をまつらむ

まださかぬ 梢あればとたのまずばうつろう花やなほうからまし

春をへて 涙ももろくなりにけりちるをさくらとながめせしまに

小山田の 猪苗代水のひきひきに人のにごる世ぞうき

うたたねの 夢には聞きつ郭公思いあはする一声もがな

わすれずば いざかたらはむほととぎす雲いになれし代々の昔を

わがうえに月日は照らせ神路山 仰ぐ心に私はなし

あはれとは しるやしらずや時鳥ふりぬるねにはともになくとも

松風の 音するかたの山影は思いやるよりすずしかりける

萩の戸の 昔の秋の面影に今だにかかる袖の露かな

野べみれば 秋は千種の花がたみめならう色にわきぞかねぬる

ふるさとの なしてこそみめ宮城野の萩の錦をきてもかへらば

かぎりなき 蟲のうらみにたぐへてもつきぬは老いのなみだなりけり

さびしとは 太山隠れの杉の庵松の軒もる夜半の月影

幾里の 月に心をつくすらむ都の秋をみずなりしより

かくてなど すまざりけると山里のつきみる秋の心をぞとう

なにしおはば 雲井の秋の夜半の月そとよりもさぞてりまさるらむ

待つ申し やまのあなたの里人になりてぞ月はみるべかりける

なおいかに ながめられましもの思う心のうちを月にとはれば

ことわれよ 神々ならばゆふだすきかけてちかいしすえのことのは

かよいこし 人は軒ばの夜はの月たのまぬ松の木のまにぞみるえる

うき人は おもいもいでじひとりわが心をやりてみつる月かは

いにしえの 竹の園より家の風ふきしふかばよよにかはるな

いづかたも 道ある御代のちかければまたもこえなむ白河の関

これもみな わすれがたみになりぬべし思いのほかの紫のかりいほ

山ふかく むすぶいおりもあれぬべし身のうきより

2011年05月29日

資料鎌倉

1140 〃 6 .
〃 1141 永治 1  鳥羽上皇、出家する 崇徳天皇法王の意で近衛
〃 1142 康治 1 .
〃 1143 〃 2  源為義、内大臣藤原頼長に臣従する
〃 1144 天養 1 .
〃 1145 久安 1 .
〃 1146 〃 2  平清盛、正四位下に叙し、安芸守となる 京都大火
〃 1147 〃 3 .
〃 1148 〃 4 .
〃 1149 〃 5 .
〃 1150 〃 6  左大臣藤原頼長、氏長者となり、兄忠通と不和
〃 1151 仁平 1  藤原頼長、内覧となる 関白忠通、鳥羽上皇に讒 訴
〃 1152 〃 2 .
〃 1153 〃 3 .
〃 1154 久寿 1  源為朝、九州で乱行、父為義、官を解かれる
〃 1155 〃 2  後白河天皇即位、頼長の内覧を止める 諸国飢饉
〃 1156 保元 1  保元の乱
〃 1157 〃 2 .
〃 1158 〃 3  後白河上皇の院政始まる
〃 1159 平治 1  平治の乱
〃 1160 永暦 1  源義朝・義兵殺される 源頼朝伊豆に流される.清盛正三位
〃 1161 応保 1 . 平忠景貴海島に逐電 平家貞、忠景追討ならず
〃 1162 〃 2 .
〃 1163 長寛 1 .
〃 1164 〃 2 .
〃 1165 永万 1 .
〃 1166 仁安 1 .
〃 1167 〃 2  平清盛太政大臣となる 平家全盛に向かう
〃 1168 〃 3  清盛病により出家する 京都大火
〃 1169 嘉応 1  後白河上皇、出家する
〃 1170 〃 2  藤原秀衝、鎮守府将軍となる
〃 1171 承安 1  清盛の女徳子、入内(高倉天皇女御)後に建礼門 院を称す
〃 1172 〃 2  宋の明州の使者、法王清盛に物を送る
〃 1173 〃 3  法王、清盛に命じて宋に返牒を送らせる
〃 1174 〃 4  法王・平氏一門、厳島に参詣
〃 1175 安元 1  源空、専修念仏をとなえる(浄土宗)
〃 1176 〃 2 .
〃 1177 治承 1  鹿が谷事件 京都大火、大内裏・大極殿・八省院 など焼失 俊寛ら喜界島(硫黄島)に流刑
〃 1178 〃 2 .
〃 1179 〃 3  清盛、院政を停止し、後白河法王幽閉
〃 1180 〃 4  源頼朝、伊豆に挙兵
〃 1181 養和 1  清盛没、後白河法王院政再開 
〃 1182 寿永 1  院宣を下し諸国荘園より兵粮米の徴収
〃 1183 〃 2  義仲、倶利伽羅峠に平氏の軍を破る
〃 1184 〃 3  源義仲、源範頼・義経の軍に敗れ、粟津に敗死
1185 文治 1  壇ノ浦の戦 平氏滅亡 島津忠久、島津荘下司職に補任
〃 1186 〃 2  頼朝、荘園の兵粮米停止を奏上 忠久、島津荘総地頭職になり、姓と十字家紋を賜 う
〃 1187 〃 3  源義経、陸奥の藤原秀衝のもとに逃れる
〃 1188 〃 4  宣旨により藤原基成・泰衝に義経追討を命ず  
〃 1189 〃 5  藤原泰衝、源義経を衣川に殺す 頼朝、藤原泰 衝を討つ  
〃 1190 建久 1  頼朝入京し、法王に謁す。右近衛大将を辞し鎌倉に帰る  
〃 1191 〃 2  栄西帰朝し、臨済宗をひろめる  
頼朝征夷大将軍になる  






頼朝死ぬ

1201 建仁 1  諸国大風雨
〃 1202 〃 2 .
〃 1203 〃 3  北条時政、執権となる
〃 1204 文久 1  頼家、北条時政に殺さる 諸国地頭の非法を禁止    
〃 1205 〃 2  時政陰謀露見し失脚、子の義時が執権となる
〃 1206 建永 1  幕府、頼朝の恩賞地は大罪を除き没収しない
〃 1207 承元 1  幕府、地頭に武蔵国荒野の開墾を命令
〃 1208 〃 2 .
〃 1209 〃 3  諸国の国衙、守護人の怠慢により群盗蜂起
〃 1210 〃 4  幕府、武蔵国の大田文を作る
〃 1211 建暦 1  再度、東海道に新駅増設
〃 1212 〃 2 .
〃 1213 建保 1  侍所別当の和田義盛、挙兵して敗死(和田合戦)
〃 1214 〃 2  栄西、実朝に茶を勧める
〃 1215 〃 3 .
〃 1216 〃 4  実朝、渡宋を計画し、陳和卿に造船を命令
〃 1217 〃 5 .
〃 1218 〃 6 .
〃 1219 承久 1  実朝横死し、源氏滅亡
〃 1220 〃 2  
〃 1221 〃 3  承久の乱
〃 1222 貞応 1  六波羅探題設置
〃 1223 〃 2  新補地頭の得分率を定める
〃 1224 元仁 1  親鸞、浄土真宗を開く
〃 1225 嘉祿 1  幕府、評定衆を設置
〃 1226 〃 2  頼経、征夷大将軍となる(摂家将軍の始まり)
〃 1227 安貞 1  道元帰国し、曹洞宗を開く(永平寺)
〃 1228 〃 2 .
〃 1229 寛喜 1 .
〃 1230 〃 2  諸国に大飢饉、餓死者多し
〃 1231 〃 3  寛喜の飢饉 人身売買激増
〃 1232 貞永 1  御成敗式目制定
〃 1233 天福 1 .
〃 1234 文暦 1  専修念仏宗を禁圧
〃 1235 嘉禎 1 .
〃 1236 〃 2  興福寺僧徒鎮圧のため大和に守護・地頭設置
〃 1237 〃 3  幕府、諸寺社・国司・領家の訴訟は式目によらない
〃 1238 暦仁 1  新補地頭の処分法制定
〃 1239 延応 1  幕府、人身売買禁止
〃 1240 仁冶 1  御家人の所領譲与・売買を禁止
〃 1241 〃 2 .
〃 1242 〃 3  九条道家、皇嗣を幕府に諮問する
〃 1243 寛元 1 .
〃 1244 〃 2  賭博禁止  「平家物語」なる
〃 1245 〃 3  養子・飢饉養助・人身売買等の法を定める
〃 1246 〃 4  北条時頼、執権となる
〃 1247 宝治 1  宝治合戦…時頼、秦村とその一族を攻め滅ぼす
〃 1248 〃 2 .
〃 1249 建長 1  幕府、引付衆を設置
〃 1250 〃 2  幕府、大和の悪党の乱暴禁圧を六波羅に命ず
〃 1251 〃 3 .
〃 1252 〃 4  五摂家分立
〃 1253 〃 5  日蓮、日蓮宗をとなえる
〃 1254 〃 6  日蓮「立正安国論」を書く
〃 1255 〃 7 .
〃 1256 康元 1 .
〃 1257 正嘉 1  園城寺僧徒が、戒壇建立の強訴
〃 1258 〃 2 .
〃 1259 正元 1  後深草天皇譲位、恒仁親王(亀山天皇)践祚
〃 1260 文応 1 .
〃 1261 弘長 1  幕府、諸国盗賊・悪党蜂起について禁圧
〃 1262 〃 2 .
〃 1263 〃 3  高麗、日本人の沿岸侵略禁圧を要請
〃 1264 文永 1 .
〃 1265 〃 2 . 忠時、長子久経に薩摩守護職を譲る
〃 1266 〃 3  引付衆廃止、評定衆が訴訟を扱う
〃 1267 〃 4  高麗の使きたる
〃 1268 〃 5  時宗、執権となり、元の使者を退ける
〃 1269 〃 6  蒙古使、対馬に来着 幕府、引付を復活
〃 1270 〃 7  朝廷、蒙古へ拒否の返牒作成するも幕府送らず
〃 1271 〃 8  元使趙良粥、国書をもたらす
〃 1272 〃 9  諸国に大田文の銭出命令
〃 1273 〃 10  元使趙良弼、再び大宰府に来るも上京拒否
〃 1274 〃 11  文永の役
〃 1275 建治 1  
〃 1276 〃 2  幕府、博多付近の海岸に防塁を築かせる
〃 1277 〃 3 .
〃 1278 弘安 1  元、日本商船の交易を許可
〃 1279 〃 2  元使周福、筑紫に來着 元使を博多で斬る
〃 1280 〃 3 . 島津久経、忠宗に守護職を譲る
〃 1281 〃 4  弘安の役…元の東路軍・江南軍博多に来襲、暴風雨で撤退
〃 1282 〃 5  興福寺僧徒強訴 春日社神木動座終わる
〃 1283 〃 6 .
〃 1284 〃 7  北条時宗死去 元使、対馬に来着
〃 1285 〃 8  霜月騒動 内管領平頼綱、安達泰盛一族を滅ぼす
〃 1286 〃 9  幕府、異国警護をさらに厳重にする
1288年 後醍醐天皇生まれる

資料3

1293 1293 正応5年1月13日 北畠親房生まれる。(29日説あり) 3月7日 鎌倉幕府、鎮西探題を設置する。 4月13日 鎌倉の大地震 死者2万余人。 4月22日 北条貞時、平 頼綱・資宗父子を殺害する。 5月25日 鎌倉幕府、政務・庭中・人身売買について定める。 6月24日 北畠親房、従五位下に叙される。 11月17日 奈良興福寺一乗院の僧徒と大乗院の僧徒が交戦。
1294 1 1294 永仁2年1月6日 北畠親房、従五位上に叙される。 1月14日 京都大火。 4月 楠木正成生まれる。 6月29日 鎌倉幕府、弘安の役に関する賞罰の詮議を停止する。 12月24日 北畠師重、参議に就任。
1295 2 1295 永仁3年   5月5日 吉田兼好、賀茂で競馬を見物する。       5月14日 京都洪水。       9月14日 内侍所に願文を奏上し、持明院統の皇位継承のことを祈る。       12月29日 北畠師重、権中納言に就任。       この年 北畠持房生まれる。(親房の弟)
1296 3 1296 永仁4年   9月13日 奈良春日社神人、上洛して狼藉を働く。 10月24日 北畠師重、左衛門督を兼任する。 11月20日 吉良義世が謀反、鎌倉幕府はこれを捕らえて斬罪にする。       11月29日 北畠師重、検非違使別当に就任。
1297 4 1297 永仁5年   2月18日 北畠親房、正五位下に叙される。       3月6日 永仁の徳政令が発布される。
1298 5 1298 永仁6年   2月28日 鎌倉幕府、越訴・質券売買・利銭出挙を認める。       5月23日 北畠親房、従四位下に叙される。       この年 吉田兼好、東宮蔵人に就任する。
1299 6 1299 永仁7年   1月5日 北畠師重、正二位に叙される。       1月27日 鎌倉幕府、鎮西評定衆を設置する。       4月10日 鎌倉幕府、鎮西引付衆を設置する。   正安元年   4月25日 改元。       10月8日 元の使僧の一山一寧、鎌倉に来て国書を進呈する。
1300 7 1300 正安2年   1月5日 北畠親房、従四位上に叙される。       閏7月14日 北畠親房、元服して兵部権大輔に就任する。       この年 邦良親王生まれる。
1301 8 1301 正安3年   1月21日 後二条天皇、即位する。       この年 金沢貞顕、伊勢国守護に就任
1302 9 1302 正安4年   7月27日 京都大火。   乾元元年   11月21日 改元。       11月22日 北畠師重、中納言に就任する。       12月11日 鎌倉大火。
1303 10 1303 乾元2年   1月20日 北畠親房、左少将に就任する。 2月29日 金沢貞顕、「たまきはる」を書写校合する。   嘉元元年   8月5日 改元。       8月28日 北畠師重、権大納言に就任する。       12月17日 北畠親房、正四位下に叙される。       12月30日 北畠親房、右中将に就任する。
1304 11 1304 嘉元2年   7月16日 後深草法皇、崩御する。       9月26日 鎌倉幕府、興福寺の訴えにより大和国の地頭を撤廃する。       12月22日 第33回内宮遷宮。
1305 12 1305 嘉元3年   3月9日 京都大地震。       4月6日 鎌倉大地震。       4月23日 北条宗方、連署の北条時村を殺害する。       5月4日 北条貞時、北条宗方を殺害する。       9月15日 亀山法皇、崩御する。       12月30日 北畠親房、権左少弁に就任する。
1306 13 1306 嘉元4年   4月25日 日本商船、元で貿易を開始する。   徳治元年   12月14日 改元。       12月20日 第33回外宮遷宮。       12月22日 北畠親房、左少弁に就任する。
1307 14 1307 徳治2年   7月28日 北畠師重、出家して深覚と号する。       11月1日 北畠親房、弾正大弼に就任する。       この年 後宇多上皇、出家して法皇となる。
1308 15 1308 徳治3年   8月10日 守邦親王、第9代鎌倉将軍に就任する。       8月25日 後二条天皇、崩御する。       9月19日 尊治親王、皇太子となる。   延慶元年   10月9日 改元。       11月8日 北畠親房、従三位に叙される。       この年 護良親王生まれる。       3月9日 大宰府、蒙古襲来のことを朝廷に報告する。
1309 16 1309 延慶2年   2月8日 吉田兼好、左馬助に就任する。
1310 17 1310 延慶3年   3月9日 北畠親房、正三位に叙される。       6月14日 吉田兼好、怪鳥を射止める。       6月25日 金沢貞顕、六波羅北方探題に就任する。       11月6日 鎌倉大火。       12月17日 北畠親房、参議に就任する。
1311 18 1311 延慶4年   1月17日 北畠親房、左近衛中将を兼任する。       3月30日 北畠親房、備前権守を兼任する。   応長元年   4月28日 改元。       7月20日 北畠親房、左兵衛督・検非違使別当に就任する。       10月26日 北条貞時、死去する。       12月21日 北畠親房、権中納言に就任する。       この年 宗良親王生まれる。
1312 19 1312 正和元年   3月20日 改元。       5月23日 鴨川洪水。       8月10日 北畠親房、従二位に叙される。
1313 20 1313 正和2年   10月23日 京都地震。
1314 21 1314 正和3年   閏3月4日 石清水八幡宮の神輿上洛し、強訴する。       7月28日 鎌倉幕府、大和国に地頭を設置する。
1315 22 1315 正和4年   3月8日 鎌倉大火。       4月16日 北畠師親、死去する。       6月23日 鎌倉幕府、路次の狼藉を禁止する。
1316 23 1316 正和5年   1月5日 北畠親房、正二位に叙される。       5月6日 鎌倉幕府、大友・少弐両氏に鎮西警固を命じる。       7月10日 北条高時、第14代鎌倉幕府執権に就任する。
1317 24 1317 文保元年   2月3日 改元。       4月 文保の御和談成立。       5月6日 山伏、禁中に乱入する。       9月3日 伏見法皇、崩御する。       10月25日 一山一寧、死去する。
1318 25 1318 文保2年   3月2日 顕家生まれる 3月6日 京都地震。       3月9日 邦良親王、皇太子となる。       4月25日 延暦寺衆徒が、園城寺を焼く。       3月29日 後醍醐天皇、即位する。       4月7日 京都地震。       この年 北畠親房、世良親王の養育を命ぜられる。       この年 北畠顕家生まれる。       この年 護良親王、梶井門跡となる。
1319 26 1 1319 元応元年   4月28日 改元。       8月5日 北畠親房、中納言に就任する。       この年 結城宗広、伊勢光明寺を再建する。
1320 27 2 1320 元応2年   9月10日 延暦寺の訴えにより検非違使・左兵衛督吉田隆長を罷免する。       10月21日 北畠親房、淳和院別当に就任し、源氏の長者となる。       この年 北畠顕信生まれる。
1321 28 3 1321 元応3年   1月1日 北畠顕家、従五位下に叙される。 1月30日 京都大風。 北畠顕能生まれる。   元亨元年   2月23日 改元。       3月24日 京都地震。       4月30日 京都大暴風雨。       9月12日 鎌倉幕府、大友貞宗と少弐貞経に鎮西警固を命ずる。       12月9日 後宇多法皇、院政を廃止して記録所を置き天皇親政となる。
1322 29 4 1322 元亨2年   1月13日 北畠師重、死去する。       1月16日 京都大暴風雨。       8月16日 虎関師錬、「元亨釈書」30巻を選進する。
1323 30 5 1323 元亨3年   1月13日 北畠親房、権大納言に就任する。       5月 北畠親房、奨学院別当に就任する。       5月3日 鎌倉大地震。       6月15日 北畠親房、按察使を兼任する。       6月30日 大仏宣時、死去する。       7月14日 京都大暴風雨。       9月16日 第34回内宮遷宮。       12月5日 京都大火。
1324 31 6 1324 元亨4年   4月27日 北畠親房、大納言に就任する。       6月25日 後宇多法皇、崩御する。       9月19日 正中の変が発生する。       10月4日 日野資朝・日野俊基、鎌倉に護送される。       11月16日 金沢貞将、上洛して厳戒態勢をしく。   正中元年   12月9日 改元。
1325 32 7 1325 正中2年   1月7日 北畠親房、内教坊別当に就任する。       閏1月8日 邦良親王、六条有忠を幕府に派遣して密かに登祚を計画する。       6月 京都大雷雨洪水。       8月 鎌倉幕府、日野資朝を佐渡へ流罪に処する。       9月16日 第34回外宮遷宮。       12月30日 北畠顕家、侍従に就任する。       この年 楠木正行生まれる。
1326 33 8 1326 正中3年   3月13日 北条高時、出家する。       3月16日 金沢貞顕、第15代鎌倉幕府執権に就任する。       3月20日 邦良親王、死去する。   嘉暦元年   4月26日 改元。       7月24日 量仁親王、皇太子となる。       8月12日 鎌倉幕府、伊賀守護代に黒田の悪党の逮捕を命ずる。       10月30日 嵯峨の北畠親房の屋敷が焼失する。       この年 護良親王、得度して尊雲法親王と号する。
1327 34 9 1327 嘉暦2年   4月24日 赤橋守時、第16代鎌倉幕府執権に就任する。       この年 護良親王、天台座主に就任する。
1328 35 10 1328 嘉暦3年   3月16日 北畠顕家、少納言に就任する。       4月19日 北畠顕家、左少将に就任する。       5月26日 僧忍性に菩薩号が贈られる。       11月9日 北畠顕家、中宮権亮に就任する。
1329 36 11 1329 嘉暦4年   2月11日 護良親王、天台座主を辞任する。   元徳元年   8月29日 改元。       12月14日 護良親王、天台座主に就任する。       9月17日 世良親王、死去する。       9月17日 北畠親房、出家する。       10月5日 北畠顕家、左中弁に就任する。       12月14日 宗良親王、天台座主に就任する。       この年 金沢貞顕、伊勢守護職を解任される。       この年 足利義詮生まれる。
1330 37 12 1330 元徳2年   3月26日 後醍醐天皇、慈遍著の「神懐論」を叡覧する。       4月1日 大判事中原章房、清水寺で殺害される。
1331 38 13 1331 元徳3年   1月13日 北畠顕家、参議に就任する。       1月16日 北畠顕家、左中将を兼任する。       5月5日 元弘の変が発生する。       6月 日野俊基ら、鎌倉に押送される。       6月12日 北畠顕家、弾正大弼を兼任する。     元弘元年 8月9日 南朝改元。       8月22日 鎌倉幕府軍、上洛する。       8月24日 後醍醐天皇、神器を持って京都を脱出する。       8月27日 後醍醐天皇、笠置寺に行幸する。       9月14日 楠木正成、挙兵する。       9月20日 光厳天皇、事実上即位する。       9月28日 笠置が幕府軍の攻撃で陥落する。       10月1日 後醍醐天皇、捕らえられる。       10月3日 後醍醐天皇、六波羅に移される。       10月6日 後醍醐天皇、光厳天皇に神器を授与する。       10月21日 赤坂城が陥落し、楠木正成は逃亡する。       11月5日 北畠顕家、従三位に叙せられる。
1332 39 14 1332 元徳4年 元弘2年 1月21日 桜山茲俊、吉備津宮に火をかけて自害する。       3月7日 後醍醐天皇、隠岐に流される。       3月8日 尊良親王、土佐に流される。       3月8日 宗良親王、讃岐に流される。       3月8日 恒良親王、但馬に流される。       3月22日 光厳天皇、完全に即位する。       4月28日 北朝改元。   正慶元年   5月3日 鎌倉幕府、足助重範を斬罪に処する。       5月22日 鎌倉幕府、平 成輔を相模で殺害する。       5月 鎌倉幕府、花山院師賢らを流罪に処する。       6月2日 鎌倉幕府、日野資朝を佐渡で斬罪に処する。       6月3日 鎌倉幕府、日野俊基を鎌倉で斬罪に処する。       6月19日 鎌倉幕府、北畠具行を斬罪に処する。       6月26日 護良親王の令旨を得た竹原八郎らが熊野勢と十津川衆を率いて挙兵する。       11月 楠木正成、千早城に挙兵する。       11月 護良親王、吉野で挙兵する。       11月 鎌倉幕府、伊勢神宮外宮長官度会常昌に上洛を命じる。       12月6日 伊勢神宮外宮長官度会常昌、鎌倉に釈明のために出発する。
1333 40 15 1333 正慶2年 元弘3年 1月5日 楠木正成、鎌倉幕府軍を破る。       1月21日 赤松則村、播磨で挙兵する。       2月 赤坂城が陥落する。       閏2月1日 吉野城が陥落する。       閏2月24日 後醍醐天皇、隠岐を脱出する。       2月25日 護良親王、志摩の木本孫三郎に挙兵の令旨を発する。       3月13日 菊池武時、博多で鎮西探題軍攻撃中に戦死する。       3月15日 護良親王、結城宗広に挙兵の令旨を発する。       4月1日 護良親王、熊谷小四郎に挙兵の令旨を発する。       4月1日 護良親王、伊予の怱那孫九郎に挙兵の令旨を発する。       4月28日 護良親王、和泉の和田一族に挙兵の令旨を発する。       5月7日 北条仲時、五辻宮守良親王軍に敗れて自害する。       5月8日 新田義貞、挙兵する。       5月10日 足利高氏、六波羅探題を滅ぼす。       5月21日 新田義貞、鎌倉を攻撃する。       5月22日 北条高時ら283人が鎌倉東勝寺で自害し、鎌倉幕府が滅亡する。       5月24日 足利高氏、吉見円忠に命じて伊勢の幕府軍を討つ。       5月25日 北条英時、鎮西探題が滅ぼされて自害する。   元弘3年   5月25日 光厳天皇が廃立され、年号が元弘3年に統一される。       5月26日 長門探題の北条時直、降伏する。       5月31日 吉見円忠、伊勢の地頭等に味方につくように命令を発する。       6月5日 後醍醐天皇、京都に戻り復位する。       7月19日 岩松経家、飛騨の守護職に就任する。       8月5日 足利高氏、従三位武蔵守に就任し、「尊」の字を与えられる。       8月5日 新田義貞、従四位上左馬介に就任する。       8月5日 脇屋義助、正五位下右衛門佐に就任する。       8月5日 北畠顕家、従三位陸奥守に就任する。       10月9日 記録所・雑訴決断所・窪所・武者所が設置される。       10月20日 北畠顕家、北畠親房とともに陸奥に下向する。       11月29日 北畠顕家、陸奥多賀城に入る。       この年 興良親王生まれる。
1334 41 16 1334 元弘4年   1月12日 日本最初の紙幣が発行される。       1月18日 結城宗広が結城一族のトップになる。       1月23日 恒良親王、皇太子となる。       1月26日 南禅寺が五山のトップとなる。   建武元年   1月29日 改元。       1月 結城宗広・親朝父子、奥州評定衆に就任する。       1月 雑訴決断所の条規を制定する。       3月28日 乾坤通宝が鋳造され、紙幣と併用される。       7月9日 少弐頼尚が、規知高政の乱を平定する。       8月 二条河原に落書が書かれる。       9月7日 服制が定められ、奢侈を禁じる。       10月22日 護良親王、名和長年・結城親光に捕らえられる。       11月15日 護良親王、鎌倉に護送される。       11月19日 北畠顕家、津軽の旧幕府軍を滅ぼして津軽を平定。       12月17日 北畠顕家、従二位に叙せられる。       この年 北畠顕信、正五位下右中将に就任する。
1335 42 17 1335 建武2年   5月 北畠親房、伊勢に下向する。       6月22日 西園寺公宗ら、謀反により捕らえられる。       7月22日 北条時行、鎌倉を撃破して足利直義を破る。(中先代の乱)       7月23日 護良親王、足利直義に殺害される。       8月1日 成良親王、征夷大将軍に就任する。       8月2日 西園寺公宗・日野氏光ら、殺害される。       8月9日 足利尊氏、征東将軍となり鎌倉へ進軍する。       8月19日 足利尊氏、北条時行を破り鎌倉を奪回する。       10月15日 足利尊氏、帰京命令を無視して鎌倉で反乱を起こす。       11月2日 足利直義、新田義貞討伐の兵を募る。       11月12日 北畠顕家、鎮守府将軍に就任する。       11月25日 遠江鷺坂の戦いで、新田義貞が足利軍を破る。       12月11日 箱根竹の下の戦いで、足利尊氏が新田義貞を破る。       12月22日 北畠顕家、義良親王を奉じて陸奥を出発する。
1336 43 18 1336 建武3年   1月10日 後醍醐天皇、延暦寺に行幸する。       1月11日 足利尊氏、入京する。       1月20日 結城親光、足利尊氏軍に虚偽に降って破壊を企てるが殺害される。       1月27日 北畠・新田連合軍、京都の足利尊氏軍を破って京都を奪回する。       1月30日 足利尊氏、丹波へ敗走する。       2月4日 北畠顕家、右衛門督に就任し、検非違使別当を兼任する。       2月5日 北畠顕家、鎮守府大将軍に就任する。       2月6日 北畠顕家、豊島河原の戦いで足利尊氏を破る。       2月6日 楠木正家(正成一族)、常陸久慈西郡の戦いで佐竹義冬を敗死させる。       2月10日 楠木正成、西宮の戦いで足利尊氏を破る。       2月12日 足利尊氏、光厳上皇の院宣を受けて、海路で九州へ逃れる。   延元元年   2月29日 改元。       3月2日 筑前多々良浜の戦いで、菊池武時・阿蘇惟直が足利尊氏に敗れる。       3月2日 北畠顕家、権中納言に就任する。       3月10日 義良親王、元服する。       3月13日 志摩円応寺の雑掌が、山田吹上光明寺僧恵観が海賊したと訴える。       3月20日 北畠顕家、義良親王を奉じて陸奥に帰国する。       4月3日 足利尊氏、博多を出発して東上をはじめる。       4月9日 後伏見天皇、崩御する。       5月25日 湊川の戦いで、楠木正成が足利尊氏に敗れて戦死する。       5月27日 後醍醐天皇、延暦寺に行幸する。       6月5日 足利直義、延暦寺を攻撃し、千種忠顕が戦死する。       6月14日 足利尊氏、光厳上皇・豊仁親王を奉じて入京し、東寺に陣どる。       6月30日 京都の戦いで、名和長年が戦死する。   建武3年 延元元年 8月15日 光明天皇、即位する。北朝は建武の年号を使用する。       9月18日 懐良親王、征西大将軍に就任する。       10月10日 後醍醐天皇、京都に戻る。       10月10日 新田義貞、恒良親王・尊良親王を奉じて越前に行く。       10月10日 北畠親房、宗良親王を奉じて伊勢に下る。       10月11日 近江塩津の大雪での戦いで、新田方の得能通綱・土居通増が戦死する。       11月2日 神器授受が行われる。       11月7日 足利尊氏、建武式目17か条を定めて室町幕府を開く。       11月12日 恒良親王、奥州の結城宗広に出兵を要請する。       11月30日 宗良親王、志摩の木本盛房に出兵を要請する。       12月11日 楠木正家の常陸瓜連城が陥落する。       12月11日 北畠親房、吉津の加藤定有に出兵を要請する。       12月21日 後醍醐天皇、神器を奉じて吉野へ行幸する。       12月21日 事実上、南北朝の対立が始まる。       12月21日 北畠親房、志摩の木本盛房に出兵を要請する。       12月 北畠親房、伊勢の軍を率いて北朝方の棚橋大神宮法楽寺を占領する。       この年 北畠親房、従一位に叙される。 高 師直、室町幕府執事に就任する。
1337 44 19 1337 建武4年 延元2年 1月1日 北畠親房、北畠顕家に伊勢へ来援を要請する文書を送付。       1月1日 高 師泰、新田義貞を越前金崎城に攻撃する。       1月4日 北畠親房、潮田幹景の兵を召集する。       1月8日 北畠顕家、尊良親王を奉じて霊山城に拠る。       1月18日 北畠親房、大杉氏の兵を召集する。       1月25日 北畠顕家、脇屋義助に吉野へ行くことを言上する。       2月3日 吉野朝廷、結城宗広に急遽来援することを命じる。       2月9日 越前の恒良親王、結城宗広に急遽来援することを要請する。       2月11日 藤中将某、宗良親王の令旨を奉じて志摩の豪族に出兵を要請する。       2月19日 吉野朝廷、結城宗広に西上を命じる。       3月6日 越前金崎城が落城する。尊良親王は自害し、新田義貞は退却する。       3月6日 金崎城の戦いで、新田義顕が戦死する。       3月7日 金崎城の戦いで、恒良親王が捕らえられる。       4月1日 北畠顕信、伊勢東黒部浜で幕府軍と戦う。       4月2日 堀河具信、北畠顕信に味方して幕府軍と戦う。伊勢泥沼の戦場化する。       4月5日 吉野朝廷、結城宗広に西上を督促する。       4月28日 吉野朝廷、結城宗広に吉野来援を命令する。       5月6日 北畠親房、結城宗広に西上を促す。       5月6日 後醍醐天皇、志摩の豪族小山一族に出兵を求める。       5月14日 綸旨をもって結城宗広に朝敵撃退を命じる。       6月9日 北畠親房、結城宗広に遠江南朝軍井伊氏と関東平定をすすめる。       6月11日 足利尊氏、堺浦の魚貝商人を南朝内通の疑いで商売停止を命じる。       7月 仁木義直、伊賀の守護職に就任。       7月11日 北畠親房、結城宗広に上洛できずば関東出兵することを促す。       7月下旬 大中臣隆経、伊勢宝楽寺方面の戦いで戦死する。       8月11日 北畠顕家、義良親王を奉じて霊山城を立って上洛の途につく。       8月30日 伊勢一之瀬城の宗良親王、加藤定有の勲功を賞する。       9月 北畠親房、度会家行の館で神道関係の書籍を書写する。       9月24日 北畠親房、加藤中務丞と小山政景の勲功を賞する。       9月26日 北畠親房、志摩の豪族が出兵要請に背いたことを叱責する御教書を出す。       9月28日 北畠親房、大本盛房の勲功を賞する。       10月26日 北畠親房、大本盛房の志摩大木御厨下司職を安堵する。       11月6日 北畠親房、志摩の豪族に出兵を督促。       12月8日 北畠顕家、小山城を陥落させ、小山朝郷を捕らえる。       12月23日 北畠顕家、鎌倉を陥落させる。足利義詮逃亡し、斯波家長戦死する。       この年 潮田幹景、松阪神山城を築城する。       この年 吉水院の宗信法印、吉野皇居を造営する。       この年 上杉憲勝、関東執事に就任する。       この年 甲斐に飢饉が発生する。
1338 45 20 1338 暦応元年 延元3年 1月2日 北畠顕家軍、鎌倉を出発する。       1月7日 北畠顕家、三島神社に伊豆安久郷を寄進して天下泰平を祈願する。       1月21日 北畠顕家軍、尾張に入る。       1月23日 吉田定房、死去する。       1月24日 北条時行、美濃で北畠顕家軍に入り、洲俣川で幕府軍を破る。       2月1日 北畠顕家軍、伊勢に入る。       2月2日 山中道俊ら幕府軍、鈴鹿峠に布陣して北畠顕家軍を迎え撃つ。       2月11日 幕府軍の別府幸実、北畠顕家軍攻撃のために伊勢へ急行する。       2月13日 近江の豪族肥後弥九郎、五辻宮を奉じて南朝につき鮎河城に拠る。       2月14日 幕府軍高 師泰ら、北畠顕家軍と一志郡雲出川で戦う。       2月16日 北畠顕家軍、飯野郡櫛田川で幕府軍の石河兼光を追い散らす。       2月21日 北畠顕家軍、幕府軍を京都に敗走させる。       2月28日 北畠顕家軍、幕府援軍の桃井直常らと奈良坂で敗れ、河内に敗走する。       3月8日 北畠顕家軍、天王寺の戦いで幕府軍に勝つ。       3月13日 高 師直、北畠顕信らの拠る男山城を攻撃する。       3月14日 北畠顕家軍、阿倍野・河内片野で幕府軍と戦う。       3月15日 北畠顕家軍、摂津渡辺の戦いで幕府軍に勝つ。       3月16日 北畠顕家軍、足利尊氏と阿倍野で戦い、敗れて和泉へ敗走する。       3月22日 南朝、九州の阿蘇惟時に急遽出兵して北畠顕家の救援を命じる。       3月21日 坊門清忠、死去する。       4月27日 南朝、再度九州の阿蘇惟時に出兵を命じる。       5月6日 北畠顕家軍、幕府軍が拠る堺浦の町家に放火する。       5月8日 北畠顕家、和泉坂本に観音寺城を築城する。       5月9日 北畠顕家軍、和泉熊取等に進撃を開始する。       5月15日 北畠顕家、吉野朝廷に諌奏の上奏文を書く。       5月22日 北畠顕家、高 師直と堺浦・石津で激戦する。       5月22日 北畠顕家、石津の戦いで高 師直軍に敗れて戦死する。       5月29日 南朝、再度九州の阿蘇惟時に急遽出兵を督促する。       5月30日 高 師直、男山城に進撃する。       6月1日 北畠顕信ら、男山麓放生川まで討って出る。       7月5日 男山城と石清水八幡宮が幕府軍により炎上する。       7月11日 男山城が落城する。       7月29日 伊勢玉丸城の兵、北朝方の内宮大宮司大中臣忠緒の宿所に放火する。       閏7月2日 新田義貞、斯波高経と藤島で戦い戦死する。       閏7月20日 吉野朝廷、大本盛房に出兵の綸旨を出す。       閏7月26日 北畠顕信、従三位陸奥介となり鎮守府将軍に就任する。       閏7月26日 北畠顕能、従四位上伊勢守に就任する。       8月11日 足利尊氏、征夷大将軍となり幕府を開く。       8月12日 北畠親房、加藤定有に武功を賞して領地を与える。       8月17日 北畠親房ら南朝方、東国へ向けて大湊を出帆する。       9月11日 北畠親房ら南朝方の乗った船団が台風で遭難する。       9月29日 北畠親房、結城親朝に義良親王の安否を問う文書を送付する。       10月5日 北畠親房の拠る神宮寺城が陥落し、阿波崎城そして小田城に移る。       11月6日 北畠親房、結城親朝に出兵を要請。       11月11日 台風で遭難した船団に乗ってた結城宗広、伊勢に帰ってくる。 信、義良親王を奉じて海路伊勢を出発するも、嵐(台風と推定)に遭遇して伊勢に戻る。 宗良親王は遠江に上 陸、北畠親房は目的地の常陸に上陸。       11月26日 結城宗広、再び東国に行く為に軍船を準備する。 常陸小田城に拠る       12月 結城宗広、死去する。       12月 潮田幹景、神山城に篭城する。       12月27日 千種忠顕の父・六条有忠、死去する。       この年 満良親王、土佐へ下向する。       この年 懐良親王、九州へ下向する。
1339 46 1339 延元4・暦応2 2月 南朝方春日顕国、下野を攻め矢木岡・益子・上三川・箕輪諸城を攻略。 顕信、「陸奥介兼鎮守府将軍」、年齢は20歳代 3月 義良親王(11)、吉野に帰り、ついで皇太子となる。 3月 28日 越前の南朝軍、経峰で幕府軍を攻撃、攻防続く。 三月:南部氏を中心とする北奥南軍、津軽北軍の曾我氏を攻撃(かねてより、吉野からの指令があったものと推定。決 着は付かず、五月には撤収か)。 4月 6日 高師泰・師冬、関東平定のため京都を出発する。 5月 15日 一色範氏、深堀時通に筑前国・博多を警護させる。 6月 1日 光厳上皇、備後の浄土寺・肥前の東妙寺に塔婆を建立させ、天下泰平を祈らせる。 6月 29日 後醍醐天皇(51)、伊予国より九州を目指す懐良親王(10)に綸旨を下し、九州経営を委ねる。 7月 3日 新田義貞(38)の弟・脇屋義助(33)、黒丸城を落とす。斯波高経(34)は加賀へ逃れる。 7月 高師泰・師冬・仁木義長、伊井谷城を攻める。宗良親王(28)、大平城・安倍城と移り、信濃へ向かう。 七月:南軍脇屋義助(新田義貞の弟)、越前にて北軍に対し反撃。遠江の宗良親王、北軍の攻撃を受ける。 8月 高師冬、鎌倉に入り常陸へ出陣。 八月十六日後醍醐天皇が吉野にて崩御 52歳義良親王が即位、後村上天皇となる。 11歳 8月 27日 幕府方畠山義顕、南朝方高城の肝付兼重を攻め、九州南部を平定する。 常陸で北畠親房(46)、信濃で北条時行、越前で脇屋義助(33)が相次いで挙兵。 九月:北畠親房、小田城にて「神皇正統記」執筆。関東の北軍、高師冬を大将に常陸駒館城を攻撃するも撤退。 10月 25日 高師冬、下総駒舘城を攻撃する。 10月 足利尊氏(34)、後醍醐天皇を弔うため、天龍寺を創建する。
1340 47 1340 興国元・暦応3 2月 北畠親房(46)、職原抄を著す。 春 鎮守府将軍北畠顕信、任地に赴く。 5月 27日 高師冬が駒舘を攻略するが、まもなく南朝軍が奪回し師冬は逃走。 6月 19日 少弐頼尚(47)、相良定長に肥後の南朝軍を討たせる。 6月 24日 北条時行が信濃・大徳王寺城で挙兵、小笠原貞宗(48)がこれを攻略する。 7月 一色範氏、菊地武敏らを攻撃するため筑後に出陣、豊福原などで合戦。 8月 8日 島津貞久(71)、薩摩一宇治・市来両城を攻略、同国各地で戦う。 8月 24日 仁木義長、遠江大平城の宗良親王(29)を攻略する。 9月 13日 斯波高経(35)ら幕府軍、越前府中を攻略し、脇屋義助(34)を破る。 10月 6日 佐々木道誉(34)・秀綱父子、妙法院宮御所を襲い、これを焼く。 10月 26日 幕府、延暦寺の訴えにより道誉父子を配流に処す。
1341 48 1341 興国2・暦応4 2月29日 細川顕氏、南朝方の僧・西阿を討伐するため大和に出陣し、河合城を攻撃。 3月 24日 塩冶高貞が京都を出奔。幕府が追討する。 6月 高師冬、北畠親房(48)の拠る小田城を攻撃。 8月 14日 足利直義(35)、佐々木道誉(35)に伊勢の南朝軍を討伐させる。 11月 10日 小田城の小田治久(58)が高師冬に通じたため北畠親房(48)は関城、春日顕国は大宝城へ逃れる。 12月 20日 河野通世・忽那一族、伊予国道後で幕府軍と戦う。 12月 23日 足利直義(35)、夢窓疎石(66)の要請により天竜寺船を元に派遣する。 この年 幕府、高師冬・上杉憲顕(35)を関東執事とする。
1342 49 1342 興国3・康永1 2月 17日 幕府軍、石見国・小石見城の新田義氏を攻略。 3月 13日 小笠原貞宗(50)、常陸国・大宝城を攻撃。 5月 5日 高師冬が常陸国・関城を攻撃、9月まで攻防が続く。 5月 四国の南朝軍を統率するため下向した脇屋義助(36)、伊予で病死。 細川頼春(38)、川之江城を攻略、南朝軍を破る。 6月 19日 南朝懐良親王(13)、薩摩へ。島津貞久(73)を谷山で撃破する。 7月 細川頼春(38)、四国の南朝軍を攻める。 9月 6日 美濃守護土岐頼遠、京都で光厳上皇(29)の車に矢を射る。頼遠は12月1日に誅殺される。
1343 50 1343 興国4・康永2 1月 26日 高師冬が関城を攻撃、攻防が続く。 3月 大友氏泰・合志幸隆、菊池城を占拠する。 4月 2日 春日顕時、関城に赴き結城直朝らを討つ。 6月 10日 結城親朝が足利氏に通じる。 11月 11日 関・大宝城陥落。北畠親房(50)、吉野へ帰る。 南朝の関東経営は崩壊する。 12月 2日 丹波守護仁木頼章(44)の代官荻野朝忠が背き、幕府は山名時氏(40)を守護とし朝忠を討たせる。  
1344 51 1344 興国5・康永3 2月 25日 高師冬、常陸より鎌倉に戻る。 3月 7日 春日顕国、大宝城を攻略。 3月 8日 幕府軍が大宝城を奪回、春日顕国は捕らえられ翌日殺される。 4月 13日 南朝、諸国の挙兵を計り、この日阿蘇惟澄に告げる。 4月 24日 幕府、春日顕国らの首を京都六条河原に晒す。 7月 4日 関東執事・上杉憲顕(37)、鎌倉に到着。 12月 22日 足利直義(38)の三条坊門第に火災発生。  
1345 52 1345 興国6・貞和元 3月 3日 出雲の幕府軍、佐々木貞家が篭る屋根山城を攻略。 8月 27日 畠山直顕、薩摩国・鹿児島谷峰城の南朝軍を攻撃。  
1346 53 1346 正平1・貞和2 熊野水軍、北畠親房(52)の命を受け瀬戸内海を西進。忽那氏の援助を受け、懐良親王(17)の拠る征西将軍府を援ける。 1月 21日 足利直義(40)、島津貞久(77)らに命じ、伊集院忠国らを討伐させる。 3月 6日 吉見氏頼、井上俊清らを能登木尾城に攻撃。 7月 23日 興福寺衆徒、東大寺を襲撃する。 8月 27日 伊集院忠国、再び南朝に応じ薩摩日置若松城を攻略。 11月 9日 洞院公賢が風雅和歌集を撰進。 11月 21日 足利直義(40)、島津貞久(77)らに伊集院忠国の討伐を命じ、九州のことは一色範氏に委ねた旨伝える。 12月 28日 光厳上皇(33)、倹約令を出す。
1347 54 1347 正平2・貞和3 6月 6日 南朝軍、熊野水軍を率いて薩摩東福寺城を攻撃。 6月 19日 薩摩・大隅・日向の幕府軍が島津貞久(78)の薩摩谷山の陣に合流、南朝軍と戦う。 7月 22日 吉良貞家・畠山国氏・石塔義房ら、陸奥藤田城のに南朝軍を攻略。 8月 10日 楠木正行(21)が挙兵し隅田城を攻撃。紀伊・河内・摂津などで転戦、京に迫る。 8月 24日 楠木正行(21)、細川顕氏と河内池尻に戦う。 9月 9日 楠木正行(21)の軍、河内八尾城を攻撃。 9月 17日 楠木正行(21)、細川顕氏を河内藤井寺に破る。 10月 1日 山名時氏(44)、河内東条の楠木軍を攻撃。 10月 7日 懐良親王(18)、阿蘇惟時に挙兵を促す。 11月 26日 楠木正行(21)、山名時氏(44)・細川顕氏を摂津住吉・天王寺で破る。 12月 懐良親王(18)、肥後へ。『後三年合戦絵巻』成る。
1348 55 1348 正平3・貞和4 1月 懐良親王(19)、菊池城に入る。 1月 5日 四条畷の戦い。楠木正行(22)、高師直と戦い敗死。 1月 6日 高師直軍、吉野を攻略。後村上天皇(20)、賀名生に逃れる。 1月 14日 高師泰、河内東条を攻撃。 1月 24日 高師直の軍、吉野を攻略。 1月 28日 高師直、吉野の行宮・蔵王堂などを焼く。 2月 8日 吉野より帰還途上の高師直軍を南朝軍が攻撃、佐々木道誉(42)戦傷、その子佐々木秀宗は戦死。 3月 18日 南朝、阿蘇惟澄を筑後権守とする。 3月 高野山衆徒、宮方・武家方の戦闘に加わらぬことを盟約する。 4月 1日 忽那義範、南朝軍に応じ讃岐塩飽島を攻略する。 4月 26日 南朝軍、高師泰と河内天野二王山で合戦。 8月 8日 足利直冬、紀伊国に到って南朝軍と戦い、阿瀬河城を攻略する。 10月 27日 北朝、光明天皇(27)譲位し、崇光天皇(14)が即位する。
1349 56 1349 正平4・貞和5 2月 26日 費用不足などにより崇光天皇(14)の即位式を延期。 2月 27日 清水寺焼亡。 4月 11日 足利直冬、長門探題となり備後へ赴任。 6月 11日 足利尊氏(44)ら四条河原の橋勧進田楽を見物。桟敷が倒れ死傷者多数発生する。 閏6月 2日 足利直義(43)、高師直と不和を生じる。 閏6月 15日 足利尊氏(44)、高師直の執事職を罷免、公認に高師世を任命。 8月 13日 高師直が足利直義(43)襲撃を計り、直義は尊氏第にのがれる。 8月 14日 高師直の要求により、足利尊氏(44)は、上杉重能らの配流と直義の政務停止を決定する。 このことにより直義(43)は幕府最高権力を足利義詮(18)に譲ることになる。 8月 15日 幕府、上杉重能・畠山直宗を越前に配流、ついで配所で殺す。 8月 21日 僧疎石(74)の調停により直義(43)の政務及び師直の執事職を元に戻す。 9月 9日 足利尊氏(44)、次子足利基氏(9)を初代関東管領とし鎌倉へ送る。 9月 10日 足利直冬、高師直方の軍勢に破れ、四国から九州へ西走。 9月 足利基氏(9)、初代関東管領となり鎌倉へ向かう。 足利尊氏(44)、中国探題足利直冬を討つ。直冬は九州へ逃れる。 10月 足利基氏(9)、高師冬を執事とする。 10月 22日 足利義詮(18)、鎌倉より入京する。 11月 14日 一色直氏、足利直冬追討の命を島津貞久(80)に伝え薩摩・大隈両国の兵を召集させる。 12月 8日 足利直義(43)が出家。恵源と号す。 10月28日 足利尊氏(45)・高師直、足利直冬追討のため京を出発。 11月12日 上杉能憲(17)、常陸に挙兵。 11月19日 足利尊氏(45)ら足利直冬追討軍備前三石に到着。 桃井直信、能登に進む。 11月21日 足利直義(44)、京を脱出し畠山国清の石川城へ。 11月23日 足利直義(44)南朝に降るとの報が京都に届く。 12月1日 上杉憲顕(44)、鎌倉より上野に赴く。 12月13日 足利直義(44)、南朝に帰服し、足利尊氏討伐の綸旨を得る。 12月21日 足利直義(44)が摂津天王寺に進み、直義党の多くが集まる。 12月25日 高師冬、上野の上杉憲顕(44)討伐に向かう途次、湯山で近臣にはかられ須沢城に逃れる。 12月29日 足利尊氏(45)、軍を京へ引き返す。
1350 57 1350 正平5・観応1 1月3日 高師冬、京都より鎌倉に赴く。 1月6日 足利尊氏(45)、島津貞久(81)に手書を与え足利直冬を討たせる。 1月11日 赤松則村(73)死去。 4月8日 吉田兼好(67)死去。 5月2日 豊前の南朝方新田・土岐氏ら挙兵。 5月28日 安芸の南朝方吉岡山形ら挙兵。 6月 足利直冬、少弐氏に迎えられ太宰府に入る。一色氏逃亡。 6月21日 高師泰、足利直冬方に転じた三隅兼連を討つため石見へ下る。 7月 土岐周斎が美濃で挙兵、近江に迫る。 7月28日 足利義詮(20)・高師直、土岐周斎討伐のため京都を出発。 8月13日 出雲の佐々木信濃五郎佐衛門尉ら、直冬に応じ挙兵。 8月20日 足利義詮(20)・高師直ら、美濃を平定し京都に帰る。 10月 足利尊氏(45)・直義(44)の対立激化。(観応の擾乱)。 10月16日 足利直冬九州で挙兵の報が京都に届く。
1351 58 1351 正平6・観応2 1月7日 足利尊氏(46)、摂津瀬河宿に到る。足利直義(45)は入京、八幡へ。 1月 高師泰、包囲を解いて京へ引き返す。 1月15日 足利直義方桃井直常、入京し足利尊氏(46)・義詮(21)と戦う。 1月16日 足利尊氏(46)ら播磨へ敗走。播磨書写山に拠り兵を募る。 1月17日 高師冬、諏訪直頼に攻められ自刃。 小笠原政長・山名時氏(48)らが直義軍に応じ、足利尊氏・義詮らは丹波ついで播磨に走る。 1月19日 本願寺宗昭(覚如)(80)死去。 2月 足利尊氏(46)・高師直、龍野で石塔頼房と戦い、兵庫湊川へ。 2月8日 上杉能憲(18)、関東の兵を率いて西上。 2月12日 吉良貞家、足利直義(45)に応じ、陸奥岩切城に畠山国氏を攻め滅ぼす。 2月17日 打出浜の合戦。足利尊氏(46)、足利直義(45)に破れる。 2月20日 足利尊氏(46)・直義(45)和睦。 2月26日 上杉能憲(18)、師直・師泰ら高一族を討滅。 2月27日 足利尊氏(46)入京、翌日直義(45)入京 6月29日 尊氏の党小笠原為経・武田文元ら、直義の党禰津宗貞らと信濃野辺宮原に戦う。 7月8日 足利直義(46)・義詮(22)が不和。 7月28日 足利尊氏(47)、佐々木道誉(45)討伐のため近江石山寺に出陣。 8月1日 足利直義(46)、尊氏(47)と不和になり北陸を経て鎌倉へ逃げる。 南朝、尊氏と結び直義の追討を命令。 8月18日 足利尊氏、直義追討のため近江に入る。 9月12日 八相山の戦い。直義軍、尊氏軍に破れ敦賀に戻る。 赤松則祐、護良親王若宮(陸良親王)を奉じ播磨伊川城に戦い、ついで摂津西部を転戦。 9月29日 一色範氏、直冬の党少弐頼尚に筑後河北荘で敗れる。 9月30日 僧夢窓疎石(76)死去。 10月1日 懐良親王(22)の軍が肥後山鹿・関両城を攻略、次いで筑後に進む。 10月2日 足利尊氏(47)・直義(46)、和を計り近江興福寺に会すが不調。 10月9日 直冬党上杉三郎ら、備後勝戸城に尊氏の党を攻撃。 10月 足利直義(46)、鎌倉へ。 10月 北畠顕信・田村氏ら南朝軍、陸奥国府を奪回。 10月24日 足利尊氏(47)、南朝へ降る。 10月25日 懐良親王(22)、筑後国府に入る。 10月28日 小笠原政長ら、信濃より遠江に進み直義党と戦う。 11月4日 足利尊氏(47)、直義追討のため京都を出発、鎌倉へ。 11月5日 一色範氏、豊前小倉城を攻略。 11月7日 南朝、崇光天皇(17)を廃す(正平の一統)。 11月15日 足利直義(46)、鎌倉へ入る。 12月11日 尊氏軍、上杉能憲(18)らを駿河蒲原に破る。 12月23日 南朝、神器を回収。 12月29日 尊氏党高麗経澄ら、直義軍を相模足柄山に破る、ついで尊氏(47)は伊豆国府に進む。
1352 59 1352 正平7・文和1 1月5日 足利尊氏(47)、足利直義と和睦し、鎌倉へ入る。 2月1日 足利直冬の党大館右馬助ら門司・赤間関に侵入、細川清氏の軍に敗れる。 2月26日 足利尊氏(47)、弟直義(46)を毒殺。 後村上天皇(24)、賀名生より摂津住吉に向かう。 閏2月6日 新田義宗、義興ら宗良親王(41)を奉じ上野国で挙兵。 宗良親王を征夷大将軍とする。 閏2月18日 新田義宗、鎌倉に入り足利尊氏(47)を追走、新田義興(21)の拠る関戸の陣へ。 宗良親王(41)、武蔵国へ出発。 閏2月19日 後村上天皇(24)、八幡に到る。 閏2月20日 足利尊氏(47)、人見原で新田義宗を破る。 義宗は笛吹峠へ向かい、宗良親王(41)と合流。 新田義興(21)は鎌倉へ。北畠顕信、鎌倉へ。 閏2月20日 北畠顕能・楠木正儀ら、京で戦い足利義詮(22)を近江に追う。 尊氏軍、武蔵人見原・金井原で新田義興軍を破る。 閏2月23日 足利義詮(22)、観応の年号を復活。 新田義興・北条時行ら、鎌倉より三浦に赴く。 閏2月28日 足利尊氏(47)、小手指ヶ原で宗良親王(41)・新田義宗軍を破る。 3月2日 新田義興(21)、鎌倉を落ち、信濃へ。 3月11日 足利尊氏(47)、観応の年号を復活。 3月21日 足利義詮(22)、近江より入京し、後村上天皇(24)の本陣男山を攻撃。 3月15日 足利義詮(22)入京、北畠顕能ら八幡に退く。 吉良氏、陸奥国府を奪回、さらに宇津峰城へ。 4月8日 大内弘世、杉貞広を周防白坂山に攻撃。 4月14日 毛利親衡が安芸吉田荘に挙兵、尊氏の将武田氏信がこれを攻撃。 4月29日 足利義詮(22)、一色範氏らに日向の直冬党畠山直顕を討たせる。 5月11日 八幡陥落、四条隆資(60)ら戦死、後村上天皇(24)、賀名生に移る。 6月2日 南朝、光厳(39)、光明(32)、崇光(18)三上皇らを賀名生へ移す。 6月8日 吉見氏頼、能登を攻略して越中に進み、桃井直常らを破る。 6月16日 吉良・石塔氏、西上の途次、土岐氏と長森で戦い、摂津に至る。 7月23日 島津氏久が大隈隈本・北里両城を攻略、畠山直顕は氏久攻撃を図り、ついで直顕の子宗泰が氏久を破る。 8月17日 弥仁親王(後光厳天皇・14)践祚。 11月 足利直冬、今川憲氏(36)に追われ九州より長門へ。南朝に帰順。
1353 60 1353 正平8・文和2 足利直冬の勢力拡大。 1月28日 足利尊氏(48)、陸奥の諸将に宇津峰城を討たせる。 2月2日 針摺原の戦い。少弐頼尚・菊池武光・太宰府の南軍、一色氏を破る。 2月 四条隆俊、紀伊に進み幕府軍を破る。 3月13日 北畠顕能、大和に入る。 3月23日 南朝方吉良満員、石塔頼房ら、摂津吹田に土岐頼康の軍を攻撃。 3月 備前・美作の兵、足利直冬に応じる。 5月4日 宇津峰城を落とす。北畠顕信、藤島へ。 5月20日 足利尊氏(48)、北条時行らを相模龍ノ口に斬る。 6月6日 山名時氏(50)入京。楠木正儀・石塔頼房らの南朝軍、再び京に入る。足利義詮(23)、近江に逃走する。 6月9日 楠木正儀・石塔頼房ら京都を回復、足利義詮(23)は近江坂本に逃れる。 6月13日 足利義詮(23)、後光厳天皇(15)を奉じ美濃小島に移る。 7月25日 足利義詮(23)、赤松・石橋氏ら、京より南朝軍を追う。 7月28日 楠木正儀が河内、山名時氏が但馬へ帰る。 7月29日 足利尊氏(48) 、鎌倉より京都に向かう。 9月21日 足利尊氏(48)、後光厳天皇(15)を奉じ入京. 11月8日 宇都宮氏、宗良親王(42)・新田氏の拠る小国城を攻略。足利直冬、山名氏を頼る.
1354 61 1354 正平9・文和3 4月17日 北畠親房(60)没。 4月 倭寇、高麗全羅道の船四十余艘を奪う。 5月21日 足利直冬、石見より東上。 9月23日 宗良親王(43)・千種顕経・新田義宗ら、越後宇加地城を攻撃。 10月18日 足利義詮(24)、足利直冬追討のため西下する。 10月28日 後村上天皇(26)、金剛寺へ。 12月 足利直冬、山名時氏(51)、桃井直常、京へ迫る。 12月23日 足利尊氏(49)、後醍醐天皇以下慰霊のため一切経を書写し等持院に納入。 12月24日 足利直冬・桃井直常らが京都に迫り、足利尊氏(49)、後光厳天皇(16)を奉じ近江武佐寺に逃れる。 この年 足利尊氏(49)、斯波家兼・吉良満家らを奥州管領とする。
1355 1355 正平10・文和4 1月16日 桃井・斯波氏つづいて直冬・山名氏と南朝軍入京。 2月6日 神南の合戦。足利義詮(25)、山名軍を破り京へ。 2月7日 足利尊氏(50)入京。南北両軍、京で戦う。 3月4日 越後の上杉憲将らが挙兵、幕府方風間長頼と戦う。 3月13日 足利直冬ら敗退。直冬、安芸へ逃れる。 3月28日 後光厳天皇(17)環京。 3月 懐良親王(26)、博多を攻略。 4月7日 宇都宮・和田氏、志都乃岐・大島で宗良親王(44)の南朝軍を破る。宗良親王信濃へ。 8月18日 懐良親王(26)、菊池武澄らを率いて肥前国府に入る。 8月20日 宗良親王(44)、諏訪社祝矢島・仁科一族を率いて信濃桔梗原に小笠原長亮を攻め、敗れる。 9月1日 懐良親王(26)、菊池武澄らを率い肥前国府に入る。 10月2日 懐良親王(26)、博多に進出。一色憲氏、長門に破れる。
1356 正平11・延文1 10月 細川頼之(27)、足利直冬追討に乗り出す。
1357 正平12・延文2 3月20日 島津氏、志布志松尾城を攻める直顕を破り、大隅より追う。 1358 正平13・延文3 1月 厚東氏、大内氏に攻められ、豊前へ。 4月30日 足利尊氏(53)死去。 10月 足利義詮(28)、征夷大将軍となる。

2011年05月03日

資料1

出来事

1293 正応5年   1   1月13日 北畠親房生まれる。(29日説あり)
      3月7日 鎌倉幕府、鎮西探題を設置する。
      4月13日 鎌倉の大地震 死者2万余人。
      4月22日 北条貞時、平 頼綱・資宗父子を殺害する。
      5月25日 鎌倉幕府、政務・庭中・人身売買について定める。
      6月24日 北畠親房、従五位下に叙される。
  永仁元年   8月5日 改元。
      11月17日 奈良興福寺一乗院の僧徒と大乗院の僧徒が交戦。

1294 永仁2年   2 1月6日 北畠親房、従五位上に叙される。
      1月14日 京都大火。
      4月 楠木正成生まれる。
      6月29日 鎌倉幕府、弘安の役に関する賞罰の詮議を停止する。
      12月24日 北畠師重、参議に就任。

1295 永仁3年   3 5月5日 吉田兼好、賀茂で競馬を見物する。
      5月14日 京都洪水。
      9月14日 内侍所に願文を奏上し、持明院統の皇位継承のことを祈る。
      12月29日 北畠師重、権中納言に就任。
      この年 北畠持房生まれる。(親房の弟)

1296 永仁4年   4 9月13日 奈良春日社神人、上洛して狼藉を働く。
      10月24日 北畠師重、左衛門督を兼任する。
      11月20日 吉良義世が謀反、鎌倉幕府はこれを捕らえて斬罪にする。
      11月29日 北畠師重、検非違使別当に就任。

1297 永仁5年   5 2月18日 北畠親房、正五位下に叙される。
      3月6日 永仁の徳政令が発布される。

1298 永仁6年   6 2月28日 鎌倉幕府、越訴・質券売買・利銭出挙を認める。
      5月23日 北畠親房、従四位下に叙される。
      この年 吉田兼好、東宮蔵人に就任する。

1299 永仁7年   7 1月5日 北畠師重、正二位に叙される。
      1月27日 鎌倉幕府、鎮西評定衆を設置する。
      4月10日 鎌倉幕府、鎮西引付衆を設置する。
  正安元年   4月25日 改元。
      10月8日 元の使僧の一山一寧、鎌倉に来て国書を進呈する。

1300 正安2年   8 1月5日 北畠親房、従四位上に叙される。
      閏7月14日 北畠親房、元服して兵部権大輔に就任する。
      この年 邦良親王生まれる。

1301 正安3年   9 1月21日 後二条天皇、即位する。

      この年 金沢貞顕、伊勢国守護に就任
1302 正安4年   10 7月27日 京都大火。
  乾元元年   11月21日 改元。
      11月22日 北畠師重、中納言に就任する。
      12月11日 鎌倉大火。

1303 乾元2年   11 1月20日 北畠親房、左少将に就任する。
      2月29日 金沢貞顕、「たまきはる」を書写校合する。
  嘉元元年   8月5日 改元。
      8月28日 北畠師重、権大納言に就任する。
      12月17日 北畠親房、正四位下に叙される。
      12月30日 北畠親房、右中将に就任する。

1304 嘉元2年   12 7月16日 後深草法皇、崩御する。
      9月26日 鎌倉幕府、興福寺の訴えにより大和国の地頭を撤廃する。
      12月22日 第33回内宮遷宮。

1305 嘉元3年   13 1月6日 後宇多上皇の常葉井殿への御幸に参仕
3月9日 京都大地震。
      4月6日 鎌倉大地震。
4月     平野祭、梅宮祭、月次祭に参仕
      4月23日 北条宗方、連署の北条時村を殺害する。
      5月4日 北条貞時、北条宗方を殺害する。
                  6月 平野祭、梅宮祭、月次祭 大祓に参仕
      9月15日 亀山法皇、崩御する。
      12月30日 北畠親房、権左少弁に就任する。

1306 嘉元4年   14 1月1日 後宇多上皇の御所年始の儀に参仕
  徳治元年   1月15日 亀山法皇御月忌の御幸に供奉
4月 平野祭、梅宮祭、月次祭に参仕
      4月25日 日本商船、元で貿易を開始する。
             9月12日 後宇多上皇結縁灌頂厳修のため、亀山殿への御幸に参仕
      12月14日 改元。

1307 徳治2年   15 12月20日 第33回外宮遷宮。
      12月22日 北畠親房、左少弁に就任する。
         5月12日  後宇多上皇供花結縁のため、長講堂への御幸に供奉
      7月28日 北畠師重、出家して深覚と号する。
                        

1308 徳治3年   16 11月1日 北畠親房、弾正大弼に就任する。
      この年 後宇多上皇、出家して法皇となる。
      8月10日 守邦親王、第9代鎌倉将軍に就任する。
  延慶元年 正月26日 後宇多法皇伝法灌頂を受けられるため、東寺への御幸に供奉
  8月25日 後二条天皇、崩御する。
      9月19日 尊治親王、皇太子となる。
      10月9日 改元。

1309 延慶2年   17 11月8日 北畠親房、従三位に叙される。
      この年 護良親王生まれる。

2011年04月24日

資料2

西暦 年号 南朝年号 日付
出来事


1309 延慶2年   17 11月8日 北畠親房、従三位に叙される。
      この年 護良親王生まれる。

1310 延慶3年   18 2月8日 吉田兼好、左馬助に就任する。
      3月9日 大宰府、蒙古襲来のことを朝廷に報告する。
      3月9日 北畠親房、正三位に叙される。
      6月14日 吉田兼好、怪鳥を射止める。
      6月25日 金沢貞顕、六波羅北方探題に就任する。

1311 延慶4年   正月3日花園天皇御元服にさいし、慶を奏上
正月7日白馬節会、御元服に賀表を奏上
正月10日伏見、後伏見上皇、永福、広義両門院、法勝寺への御幸に供奉
19 11月6日 鎌倉大火。
      12月17日 北畠親房、参議に就任する。
  応長元年   1月17日 北畠親房、左近衛中将を兼任する。
      3月30日 北畠親房、備前権守を兼任する。
      4月28日 改元。
      7月20日 北畠親房、左兵衛督・検非違使別当に就任する。
      10月26日 北条貞時、死去する。

1312 正和元年   20 12月21日 北畠親房、権中納言に就任する。
      この年 宗良親王生まれる。
      3月20日 改元。
1313 正和2年   21 5月23日 鴨川洪水。
1314 正和3年   22 8月10日 北畠親房、従二位に叙される。
      10月23日 京都地震。
1315 正和4年   23 閏3月4日 石清水八幡宮の神輿上洛し、強訴する。
      7月28日 鎌倉幕府、大和国に地頭を設置する。
      3月8日 鎌倉大火。
1316 正和5年   24 4月16日 北畠師親、死去する。
      6月23日 鎌倉幕府、路次の狼藉を禁止する。
      1月5日 北畠親房、正二位に叙される。
1317 文保元年   25 5月6日 鎌倉幕府、大友・少弐両氏に鎮西警固を命じる。
      7月10日 北条高時、第14代鎌倉幕府執権に就任する。
      2月3日 改元。
      4月 文保の御和談成立。
      5月6日 山伏、禁中に乱入する。
1318 文保2年   26 9月3日 伏見法皇、崩御する。
      10月25日 一山一寧、死去する。
      3月6日 京都地震。
      3月9日 邦良親王、皇太子となる。
      3月29日 後醍醐天皇、即位する。
      4月7日 京都地震。
      4月25日 延暦寺衆徒が、園城寺を焼く。
      この年 北畠親房、世良親王の養育を命ぜられる。
1319 元応元年   27 1 この年 北畠顕家生まれる。
      この年 護良親王、梶井門跡となる。
      4月28日 改元。
1320 元応2年   28 2 8月5日 北畠親房、中納言に就任する。
      この年 結城宗広、伊勢光明寺を再建する。
      9月10日 延暦寺の訴えにより検非違使・左兵衛督吉田隆長を罷免する。
1321 元応3年   29 3 10月21日 北畠親房、淳和院別当に就任し、源氏の長者となる。
      この年 北畠顕信生まれる。
  元亨元年   1月1日 北畠顕家、従五位下に叙される。
      1月30日 京都大風。
      2月23日 改元。
      3月24日 京都地震。
      4月30日 京都大暴風雨。
      9月12日 鎌倉幕府、大友貞宗と少弐貞経に鎮西警固を命ずる。
この年 12月9日 後宇多法皇、院政を廃止して記録所を置き天皇親政となる。

北畠顕能生まれる。
1322 元亨2年   30 4
     
      1月13日 北畠師重、死去する。
1323 元亨3年   31 5 1月16日 京都大暴風雨。
      8月16日 虎関師錬、「元亨釈書」30巻を選進する。
      1月13日 北畠親房、権大納言に就任する。
      5月 北畠親房、奨学院別当に就任する。
      5月3日 鎌倉大地震。
      6月15日 北畠親房、按察使を兼任する。
      6月30日 大仏宣時、死去する。
      7月14日 京都大暴風雨。
1324 元亨4年   32 6 9月16日 第34回内宮遷宮。
      12月5日 京都大火。
      4月27日 北畠親房、大納言に就任する。
      6月25日 後宇多法皇、崩御する。
      9月19日 正中の変が発生する。
  正中元年   10月4日 日野資朝・日野俊基、鎌倉に護送される。
1325 正中2年   33 7 11月16日 金沢貞将、上洛して厳戒態勢をしく。
      12月9日 改元。
      1月7日 北畠親房、内教坊別当に就任する。
      閏1月8日 邦良親王、六条有忠を幕府に派遣して密かに登祚を計画する。
      6月 京都大雷雨洪水。
      8月 鎌倉幕府、日野資朝を佐渡へ流罪に処する。
      9月16日 第34回外宮遷宮。
1326 正中3年   34 8 12月30日 北畠顕家、侍従に就任する。
      この年 楠木正行生まれる。
      3月13日 北条高時、出家する。
  嘉暦元年   3月16日 金沢貞顕、第15代鎌倉幕府執権に就任する。
      3月20日 邦良親王、死去する。
      4月26日 改元。
      7月24日 量仁親王、皇太子となる。
      8月12日 鎌倉幕府、伊賀守護代に黒田の悪党の逮捕を命ずる。
1327 嘉暦2年   35 9 10月30日 嵯峨の北畠親房の屋敷が焼失する。
      この年 護良親王、得度して尊雲法親王と号する。
1328 嘉暦3年   36 10 4月24日 赤橋守時、第16代鎌倉幕府執権に就任する。
      この年 護良親王、天台座主に就任する。
      3月16日 北畠顕家、少納言に就任する。
      4月19日 北畠顕家、左少将に就任する。
1329 嘉暦4年   37 11 5月26日 僧忍性に菩薩号が贈られる。
  元徳元年   11月9日 北畠顕家、中宮権亮に就任する。
      2月11日 護良親王、天台座主を辞任する。
1330 元徳2年   38 12 8月29日 改元。
      12月14日 護良親王、天台座主に就任する。
      3月26日 後醍醐天皇、慈遍著の「神懐論」を叡覧する。
      4月1日 大判事中原章房、清水寺で殺害される。
      9月17日 世良親王、死去する。
      9月17日 北畠親房、出家する。
      10月5日 北畠顕家、左中弁に就任する。
      12月14日 宗良親王、天台座主に就任する。
1331 元徳3年   39 13 この年 金沢貞顕、伊勢守護職を解任される。
      この年 足利義詮生まれる。
      1月13日 北畠顕家、参議に就任する。
      1月16日 北畠顕家、左中将を兼任する。
      5月5日 元弘の変が発生する。
    元弘元年 6月 日野俊基ら、鎌倉に押送される。
      6月12日 北畠顕家、弾正大弼を兼任する。
      8月9日 南朝改元。
      8月22日 鎌倉幕府軍、上洛する。
      8月24日 後醍醐天皇、神器を持って京都を脱出する。
      8月27日 後醍醐天皇、笠置寺に行幸する。
      9月14日 楠木正成、挙兵する。
      9月20日 光厳天皇、事実上即位する。
      9月28日 笠置が幕府軍の攻撃で陥落する。
      10月1日 後醍醐天皇、捕らえられる。
      10月3日 後醍醐天皇、六波羅に移される。
      10月6日 後醍醐天皇、光厳天皇に神器を授与する。
1332 元徳4年 元弘2年 40 14 10月21日 赤坂城が陥落し、楠木正成は逃亡する。
      11月5日 北畠顕家、従三位に叙せられる。
      1月21日 桜山茲俊、吉備津宮に火をかけて自害する。
      3月7日 後醍醐天皇、隠岐に流される。
      3月8日 尊良親王、土佐に流される。
      3月8日 宗良親王、讃岐に流される。
      3月8日 恒良親王、但馬に流される。
  正慶元年   3月22日 光厳天皇、完全に即位する。
      4月28日 北朝改元。
      5月3日 鎌倉幕府、足助重範を斬罪に処する。
      5月22日 鎌倉幕府、平 成輔を相模で殺害する。
      5月 鎌倉幕府、花山院師賢らを流罪に処する。
      6月2日 鎌倉幕府、日野資朝を佐渡で斬罪に処する。
      6月3日 鎌倉幕府、日野俊基を鎌倉で斬罪に処する。
      6月19日 鎌倉幕府、北畠具行を斬罪に処する。
      6月26日 護良親王の令旨を得た竹原八郎らが熊野勢と十津川衆を率いて挙兵する。
      11月 楠木正成、千早城に挙兵する。
      11月 護良親王、吉野で挙兵する。
1333 正慶2年 元弘3年 41 15 11月 鎌倉幕府、伊勢神宮外宮長官度会常昌に上洛を命じる。
      12月6日 伊勢神宮外宮長官度会常昌、鎌倉に釈明のために出発する。
      1月5日 楠木正成、鎌倉幕府軍を破る。
      1月21日 赤松則村、播磨で挙兵する。
      2月 赤坂城が陥落する。
      閏2月1日 吉野城が陥落する。
      閏2月24日 後醍醐天皇、隠岐を脱出する。
      2月25日 護良親王、志摩の木本孫三郎に挙兵の令旨を発する。
      3月13日 菊池武時、博多で鎮西探題軍攻撃中に戦死する。
      3月15日 護良親王、結城宗広に挙兵の令旨を発する。
      4月1日 護良親王、熊谷小四郎に挙兵の令旨を発する。
      4月1日 護良親王、伊予の怱那孫九郎に挙兵の令旨を発する。
      4月28日 護良親王、和泉の和田一族に挙兵の令旨を発する。
      5月7日 北条仲時、五辻宮守良親王軍に敗れて自害する。
      5月8日 新田義貞、挙兵する。
      5月10日 足利高氏、六波羅探題を滅ぼす。
      5月21日 新田義貞、鎌倉を攻撃する。
      5月22日 北条高時ら283人が鎌倉東勝寺で自害し、鎌倉幕府が滅亡する。
  元弘3年   42 16 5月24日 足利高氏、吉見円忠に命じて伊勢の幕府軍を討つ。
      5月25日 北条英時、鎮西探題が滅ぼされて自害する。
      5月25日 光厳天皇が廃立され、年号が元弘3年に統一される。
      5月26日 長門探題の北条時直、降伏する。
      5月31日 吉見円忠、伊勢の地頭等に味方につくように命令を発する。
      6月5日 後醍醐天皇、京都に戻り復位する。
      7月19日 岩松経家、飛騨の守護職に就任する。
      8月5日 足利高氏、従三位武蔵守に就任し、「尊」の字を与えられる。
      8月5日 新田義貞、従四位上左馬介に就任する。
      8月5日 脇屋義助、正五位下右衛門佐に就任する。
      8月5日 北畠顕家、従三位陸奥守に就任する。
      10月9日 記録所・雑訴決断所・窪所・武者所が設置される。
      10月20日 北畠顕家、北畠親房とともに陸奥に下向する。
1334 元弘4年   43 17 11月29日 北畠顕家、陸奥多賀城に入る。
      この年 興良親王生まれる。
      1月12日 日本最初の紙幣が発行される。
      1月18日 結城宗広が結城一族のトップになる。
  建武元年   1月23日 恒良親王、皇太子となる。
改元。 1月26日 南禅寺が五山のトップとなる。
1月29日
     
     
      1月 結城宗広・親朝父子、奥州評定衆に就任する。
      1月 雑訴決断所の条規を制定する。
      3月28日 乾坤通宝が鋳造され、紙幣と併用される。
      7月9日 少弐頼尚が、規知高政の乱を平定する。
      8月 二条河原に落書が書かれる。
      9月7日 服制が定められ、奢侈を禁じる。
      10月22日 護良親王、名和長年・結城親光に捕らえられる。
      11月15日 護良親王、鎌倉に護送される。
      11月19日 北畠顕家、津軽の旧幕府軍を滅ぼして津軽を平定。
1335 建武2年   44 18 12月17日 北畠顕家、従二位に叙せられる。
      この年 北畠顕信、正五位下右中将に就任する。
      5月 北畠親房、伊勢に下向する。
      6月22日 西園寺公宗ら、謀反により捕らえられる。
      7月22日 北条時行、鎌倉を撃破して足利直義を破る。(中先代の乱)
      7月23日 護良親王、足利直義に殺害される。
      8月1日 成良親王、征夷大将軍に就任する。
      8月2日 西園寺公宗・日野氏光ら、殺害される。
      8月9日 足利尊氏、征東将軍となり鎌倉へ進軍する。
      8月19日 足利尊氏、北条時行を破り鎌倉を奪回する。
      10月15日 足利尊氏、帰京命令を無視して鎌倉で反乱を起こす。
      11月2日 足利直義、新田義貞討伐の兵を募る。
      11月12日 北畠顕家、鎮守府将軍に就任する。
      11月25日 遠江鷺坂の戦いで、新田義貞が足利軍を破る。
1336 建武3年   45 19 12月11日 箱根竹の下の戦いで、足利尊氏が新田義貞を破る。
      12月22日 北畠顕家、義良親王を奉じて陸奥を出発する。
      1月10日 後醍醐天皇、延暦寺に行幸する。
      1月11日 足利尊氏、入京する。
      1月20日 結城親光、足利尊氏軍に虚偽に降って破壊を企てるが殺害される。
      1月27日 北畠・新田連合軍、京都の足利尊氏軍を破って京都を奪回する。
      1月30日 足利尊氏、丹波へ敗走する。
      2月4日 北畠顕家、右衛門督に就任し、検非違使別当を兼任する。
      2月5日 北畠顕家、鎮守府大将軍に就任する。
      2月6日 北畠顕家、豊島河原の戦いで足利尊氏を破る。
      2月6日 楠木正家(正成一族)、常陸久慈西郡の戦いで佐竹義冬を敗死させる。
  延元元年   2月10日 楠木正成、西宮の戦いで足利尊氏を破る。
改元。 2月12日 足利尊氏、光厳上皇の院宣を受けて、海路で九州へ逃れる。
2月29日
     
     
      3月2日 筑前多々良浜の戦いで、菊池武時・阿蘇惟直が足利尊氏に敗れる。
      3月2日 北畠顕家、権中納言に就任する。
      3月10日 義良親王、元服する。
      3月13日 志摩円応寺の雑掌が、山田吹上光明寺僧恵観が海賊したと訴える。
      3月20日 北畠顕家、義良親王を奉じて陸奥に帰国する。
      4月3日 足利尊氏、博多を出発して東上をはじめる。
      4月9日 後伏見天皇、崩御する。
      5月25日 湊川の戦いで、楠木正成が足利尊氏に敗れて戦死する。
      5月27日 後醍醐天皇、延暦寺に行幸する。
      6月5日 足利直義、延暦寺を攻撃し、千種忠顕が戦死する。
  建武3年 延元元年 6月14日 足利尊氏、光厳上皇・豊仁親王を奉じて入京し、東寺に陣どる。
      6月30日 京都の戦いで、名和長年が戦死する。
      8月15日 光明天皇、即位する。北朝は建武の年号を使用する。
      9月18日 懐良親王、征西大将軍に就任する。
      10月10日 後醍醐天皇、京都に戻る。
      10月10日 新田義貞、恒良親王・尊良親王を奉じて越前に行く。
      10月10日 北畠親房、宗良親王を奉じて伊勢に下る。
      10月11日 近江塩津の大雪での戦いで、新田方の得能通綱・土居通増が戦死する。
      11月2日 神器授受が行われる。
      11月7日 足利尊氏、建武式目17か条を定めて室町幕府を開く。
      11月12日 恒良親王、奥州の結城宗広に出兵を要請する。
      11月30日 宗良親王、志摩の木本盛房に出兵を要請する。
      12月11日 楠木正家の常陸瓜連城が陥落する。
      12月11日 北畠親房、吉津の加藤定有に出兵を要請する。
      12月21日 後醍醐天皇、神器を奉じて吉野へ行幸する。
      12月21日 事実上、南北朝の対立が始まる。
      12月21日 北畠親房、志摩の木本盛房に出兵を要請する。
      12月 北畠親房、伊勢の軍を率いて北朝方の棚橋大神宮法楽寺を占領する。
この年 この年 北畠親房、従一位に叙される。

高 師直、室町幕府執事に就任する。
1337 建武4年 延元2年 47 20
     
      1月1日 北畠親房、北畠顕家に伊勢へ来援を要請する文書を送付。
      1月1日 高 師泰、新田義貞を越前金崎城に攻撃する。
      1月4日 北畠親房、潮田幹景の兵を召集する。
      1月8日 北畠顕家、尊良親王を奉じて霊山城に拠る。
      1月18日 北畠親房、大杉氏の兵を召集する。
      1月25日 北畠顕家、脇屋義助に吉野へ行くことを言上する。
      2月3日 吉野朝廷、結城宗広に急遽来援することを命じる。
      2月9日 越前の恒良親王、結城宗広に急遽来援することを要請する。
      2月11日 藤中将某、宗良親王の令旨を奉じて志摩の豪族に出兵を要請する。
      2月19日 吉野朝廷、結城宗広に西上を命じる。
      3月6日 越前金崎城が落城する。尊良親王は自害し、新田義貞は退却する。
      3月6日 金崎城の戦いで、新田義顕が戦死する。
      3月7日 金崎城の戦いで、恒良親王が捕らえられる。
      4月1日 北畠顕信、伊勢東黒部浜で幕府軍と戦う。
      4月2日 堀河具信、北畠顕信に味方して幕府軍と戦う。伊勢泥沼の戦場化する。
      4月5日 吉野朝廷、結城宗広に西上を督促する。
      4月28日 吉野朝廷、結城宗広に吉野来援を命令する。
      5月6日 北畠親房、結城宗広に西上を促す。
      5月6日 後醍醐天皇、志摩の豪族小山一族に出兵を求める。
      5月14日 綸旨をもって結城宗広に朝敵撃退を命じる。
      6月9日 北畠親房、結城宗広に遠江南朝軍井伊氏と関東平定をすすめる。
      6月11日 足利尊氏、堺浦の魚貝商人を南朝内通の疑いで商売停止を命じる。
      7月 仁木義直、伊賀の守護職に就任。
      7月11日 北畠親房、結城宗広に上洛できずば関東出兵することを促す。
      7月下旬 大中臣隆経、伊勢宝楽寺方面の戦いで戦死する。
      8月11日 北畠顕家、義良親王を奉じて霊山城を立って上洛の途につく。
      8月30日 伊勢一之瀬城の宗良親王、加藤定有の勲功を賞する。
      9月 北畠親房、度会家行の館で神道関係の書籍を書写する。
      9月24日 北畠親房、加藤中務丞と小山政景の勲功を賞する。
      9月26日 北畠親房、志摩の豪族が出兵要請に背いたことを叱責する御教書を出す。
      9月28日 北畠親房、大本盛房の勲功を賞する。
      10月26日 北畠親房、大本盛房の志摩大木御厨下司職を安堵する。
      11月6日 北畠親房、志摩の豪族に出兵を督促。
      12月8日 北畠顕家、小山城を陥落させ、小山朝郷を捕らえる。
      12月23日 北畠顕家、鎌倉を陥落させる。足利義詮逃亡し、斯波家長戦死する。
      この年 潮田幹景、松阪神山城を築城する。
      この年 吉水院の宗信法印、吉野皇居を造営する。
1338 暦応元年 延元3年 48 21 この年 上杉憲勝、関東執事に就任する。
      この年 甲斐に飢饉が発生する。
      1月2日 北畠顕家軍、鎌倉を出発する。
      1月7日 北畠顕家、三島神社に伊豆安久郷を寄進して天下泰平を祈願する。
      1月21日 北畠顕家軍、尾張に入る。
      1月23日 吉田定房、死去する。
      1月24日 北条時行、美濃で北畠顕家軍に入り、洲俣川で幕府軍を破る。
      2月1日 北畠顕家軍、伊勢に入る。
      2月2日 山中道俊ら幕府軍、鈴鹿峠に布陣して北畠顕家軍を迎え撃つ。
      2月11日 幕府軍の別府幸実、北畠顕家軍攻撃のために伊勢へ急行する。
      2月13日 近江の豪族肥後弥九郎、五辻宮を奉じて南朝につき鮎河城に拠る。
      2月14日 幕府軍高 師泰ら、北畠顕家軍と一志郡雲出川で戦う。
      2月16日 北畠顕家軍、飯野郡櫛田川で幕府軍の石河兼光を追い散らす。
      2月21日 北畠顕家軍、幕府軍を京都に敗走させる。
      2月28日 北畠顕家軍、幕府援軍の桃井直常らと奈良坂で敗れ、河内に敗走する。
      3月8日 北畠顕家軍、天王寺の戦いで幕府軍に勝つ。
      3月13日 高 師直、北畠顕信らの拠る男山城を攻撃する。
      3月14日 北畠顕家軍、阿倍野・河内片野で幕府軍と戦う。
      3月15日 北畠顕家軍、摂津渡辺の戦いで幕府軍に勝つ。
      3月16日 北畠顕家軍、足利尊氏と阿倍野で戦い、敗れて和泉へ敗走する。
      3月22日 南朝、九州の阿蘇惟時に急遽出兵して北畠顕家の救援を命じる。
      3月21日 坊門清忠、死去する。
      4月27日 南朝、再度九州の阿蘇惟時に出兵を命じる。
      5月6日 北畠顕家軍、幕府軍が拠る堺浦の町家に放火する。
      5月8日 北畠顕家、和泉坂本に観音寺城を築城する。
      5月9日 北畠顕家軍、和泉熊取等に進撃を開始する。
      5月15日 北畠顕家、吉野朝廷に諌奏の上奏文を書く。
      5月22日 北畠顕家、高 師直と堺浦・石津で激戦する。
      5月22日 北畠顕家、石津の戦いで高 師直軍に敗れて戦死する。
      5月29日 南朝、再度九州の阿蘇惟時に急遽出兵を督促する。
      5月30日 高 師直、男山城に進撃する。
      6月1日 北畠顕信ら、男山麓放生川まで討って出る。
      7月5日 男山城と石清水八幡宮が幕府軍により炎上する。
      7月11日 男山城が落城する。
      7月29日 伊勢玉丸城の兵、北朝方の内宮大宮司大中臣忠緒の宿所に放火する。
      閏7月2日 新田義貞、斯波高経と藤島で戦い戦死する。
      閏7月20日 吉野朝廷、大本盛房に出兵の綸旨を出す。
      閏7月26日 北畠顕信、従三位陸奥介となり鎮守府将軍に就任する。
      閏7月26日 北畠顕能、従四位上伊勢守に就任する。
      8月11日 足利尊氏、征夷大将軍となり幕府を開く。
      8月12日 北畠親房、加藤定有に武功を賞して領地を与える。
      8月17日 北畠親房ら南朝方、東国へ向けて大湊を出帆する。
      9月11日 北畠親房ら南朝方の乗った船団が台風で遭難する。
      9月29日 北畠親房、結城親朝に義良親王の安否を問う文書を送付する。
      10月5日 北畠親房の拠る神宮寺城が陥落し、阿波崎城そして小田城に移る。
      11月6日 北畠親房、結城親朝に出兵を要請。
      11月11日 台風で遭難した船団に乗ってた結城宗広、伊勢に帰ってくる。
      11月26日 結城宗広、再び東国に行く為に軍船を準備する。
      12月 結城宗広、死去する。
      12月 潮田幹景、神山城に篭城する。
      12月27日 千種忠顕の父・六条有忠、死去する。
この年 満良親王、土佐へ下向する。
この年 懐良親王、九州へ下向する。